宝生流謡曲 「放生川」

●あらすじ
 「放生会」とは、生きた魚を川に放ち功徳を得るものですが、このお話は石清水八幡宮の放生会の神徳をたたえたものです。シテの老人が放生会の由来を説明します。「放生会」とは、生きた魚を放つお祭りです。大慈悲を行うための方便とあれば、殺生でさえも菩薩の多くの善行に勝る功徳があります。まして生きている魚を放てば、魚は神仏の衆生済度の誓願のなかに救いとられます。」放生会の説明を老人は続けます。そもそも、元正天皇の養老四年(720年)九月九州に異国が襲ったとき、天皇は宇佐八幡に祈って討ち、悟りを得てその戦没者を弔うための放生の願をかけたのが発祥ですと。老人はそう語って桶を水に沈め魚を放流します。老人は自分は二百歳の竹内宿弥だと仄めかし男山に姿を消します。
 中入り後の場面で、竹内宿弥が現れ、和歌を詠い厳かな舞を披露します。

●宝生流謡本(参考)     外一巻の一      脇能    (太鼓あり)
    季節=秋    場所=山城国男山(京都)
    素謡(宝生) :  稽古順=入門      素謡時間30分 
    素謡座席順   ツレ=男        
              シテ=前・老翁 後・竹内の神    
              ワキ=鹿島の神職    

●竹内宿弥(たけのうち すくね)
 竹内宿弥は、第12代景行・第13代成務・第14代仲哀・第15代応神・第16代仁徳天皇の五代にわたって二百四十年も仕えたといわれる伝承の人物で、神宮皇后を助けて新羅と戦いまた応神天皇の即位に功があったと云われています。石清水八幡の祭神・応神天皇の替わりに登場させ、八幡宮の歴史の古さと長寿の伝説を語ろうとしています。
 現在は放生川は汚れが激しく、放生池というのがあり、そこで毎年石清水祭りと呼ばれて9月15日に行われています。

●放生川 (ほうじょうがわ )  解説
 八幡平谷の買屋橋から京阪八幡市駅に近い全昌寺橋の200メートルの間、大谷川はその名を「放生川」と変える。この名は、石清水八幡宮の神事の放生会(ほうじょうえ)に由来する。『縁事妙』には、「放生会の神事は、貞観5年(863年)、あるいは貞観18年(876年)、安宗和尚が初めて山路子持川(放生川の古名)で、宇佐本宮の例をならって行なった」とある。また、『空圓記』には、「承平6年(936年)、八幡宮別当定胤が初めて高良神社の前庭で放生会を行なったので、このときから放生川と呼んだ」とあり、放生川の名は承平6年に付されたようである。
 放生川の源流は、甘南備丘陵に発し、市東部の集落を縫うように蛇行する防賀川と、美濃山丘陵から市内を東西に二分するように北進する大谷川である。この二つの河川が八幡舞台で合流して大谷川の名で八幡森排水機場へ流入。その一部が西に折れて放生川となる。 江戸時代には、放生川の川浚えが毎年1回行われ。住民の賦役が大きな負担となっていた。この川浚えは、石清水八幡宮社務家の監督下で森・山路などの各町ごとに割り当てて場所を区画し、数日にわたって行われた大規模なものであった。
 「放生川を飛び交う蛍」は、八幡百景の一つ。今では蛍を見ることはできなくなったが、優美な反り橋「安居橋」から見る情景が新八幡百景に詠われている。

●放生川と安居橋
下院の馬場前(ばばさき)から南を望むと、左側に頓宮駐車場と「みやびの森子供公園」と名付けられた広場があり、その外側に八幡市駅方面から延びてきている石畳の公道があって、さらにその東側、南から北へ流れる幅20メートルほどの川に、いかにも由緒ありげな反橋が架かっているのが見えます。これが八幡八景の一つとして「神わざにつかふる雲の上人もつきをやめづる秋の川はし」(安居橋の月)と歌われた「安居橋(あんごばし)」です。川の名は大谷川というが、古来この橋を中心として上下流約200メートルの間を「放生川(ほうじょうがわ)」と称してきました。

●安居橋
 放生川はやはり八幡八景の一つで、「そのかみにたれか放ちて此の川のたえぬばかりに蛍とびかふ」(放生川の蛍)と詠まれ、往時は蛍の名所、殺生禁断の川として知られていました。言うまでもなく、放生の名や殺生禁断の掟は、貞観5年(863)から幕末まで、「石清水放生会」(現在の石清水祭)で、この川に生ける魚が放されていたことに由来します。安居橋も、貞観の昔から幕末まで行われていたという「安居神事」に由来します。「安居」よいうのは仏教の言葉で、陰暦4月16日から7月15日までの3ヶ月間、一所に籠って修行に専念することを言い、これを夏安居(げあんご)と称し、石清水八幡宮でも、その最終日に当たる7月15日前後には盛大な行事が催されていました。なお、現在の安居橋は、八幡市によって平成3年に架け替えられたものです。

●石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
   〒612-8588 京都府八幡市八幡高坊30番地. TEL:075-981 ...
石清水八幡宮へのアクセスは 京阪電車本線「八幡市(やはたし)」駅下車、西側にある男山ケーブル線「八幡市」駅からケーブルに乗車し「男山山上」駅下車。参道を徒歩6〜7分で本殿に着く。ケーブルは通常、1時間に4便。 ケーブルを利用しないで表参道を徒歩で上ることもできる。京阪電車「八幡市」駅下車、東の方向に数10m進み、南に向かうと石清水八幡宮の「一の鳥居」が見える。それをくぐるとかなり道幅の広い舗装された参道が本殿まで続いている。
祭神
 中御前:応神天皇(おうじんてんのう)[誉田別尊(ほんだわけのみこと)]
 西御前:比淘蜷_(ひめおおかみ)[多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)、
     市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)]
 東御前:神功皇后(じんぐうこうごう)[息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)]
由緒、神徳
 貞観元年(859年)、現在の大分県の宇佐八幡宮に籠もり修行をしていた大和大安寺の僧行教は八幡大神から『吾、都の近くにある石清水男山の峯に移座して国家を鎮護せん』との御託宣を受け、このことを朝廷に奏上したという。これが「石清水八幡宮」の起源とされている。清和天皇の命を受け木工権允橘良基(ごんのじょうたちばなよしもと)は男山に六宇の宝殿を建立し、貞観2年(860年)に遷座が行われたとされている。しかしながら、宇佐八幡宮の神官大神氏が和気清麻呂一派や行教と組んで都への進出を図ったものという説もあるようで、こうなると話しは、にわかに俗っぽくなる。天慶2年(939年)の平将門、藤原純友の乱では、朝廷の請願があり八幡大神の神威により速やかに平定されたという。それ以来、国家安泰、都の守護の神社として朝廷の崇敬は益々篤いものになったようで、天皇、上皇の行幸は数多くとり行われたといわれている。また、源氏一門は八幡大神を氏神とし、格別の信奉をはらってきたようである。以来、国民にも勝ち運の神、厄除け開運の神として崇敬され、現在でも全国屈指の厄除けの神社として有名である。

謡曲研究会 平成20年9月19日     


     放生川      

      脇 能(太鼓なし)   
        ツレ   男 (神霊の従属)
        シテ   老翁
          季 秋
        後シテ 武内の神
        ワキ   鹿島の神職      所 山城国男山
      詞 章              (胡山文庫)

ワキ  次第上 御影を仰ぐこの君の。御影を仰ぐこの君の。四方こそ静なりけれ。
ワキ     詞「抑これは鹿島の神職筑波の何某とは我が事なり。偖も此度都にのぼり。
          洛陽の寺社残なく拝み廻りて候。又今日は八月十五日。
         南祭の由承り候ふ間。八幡に参詣申さばやと存じ候。
    道行上 曇なき都の山の朝ぼらけ。都の山の朝ぼらけ。景色もさぞな木幡山。
         伏見の里も遠からぬ竹田河原をうち過ぎて。淀の継橋かけまくも。
         忝しや神祭る。八幡の里に着きにけり八幡の里に着きにけり。
シテツレ真ノ一声上 うろくづの。生けるを放つ川波に。月も動くや秋の水。
ツレ    上 夕山松の風までも。
    二人上 神のめぐみの。声やらん。
シテサシ 上 それ国を治め人を教へ。善を賞し悪を去ること。直なる御代のためしなり。
    二人上 かるが故に知れるはいよ/\万徳を得。無知は又恵に適ひ。
         おのづから積善の余慶殊に満ち。善悪の影響のごとし。
         かゝる御影の道広く。誓の海のうろくづの。生きとし生ける物として。
         豊なる世に住まふ事。偏に当社の。御利生なり。
     下歌 仕へて年も千早ふる神のまに/\詣で来て。

  ( 小謡 此御代に ヨリ  まつる社かな マデ )

     上歌 此御代に照る槻弓の八幡山。
ツレ    上 此御代に照る槻弓の八幡山。
    二人上 宮路のあとは久方の。雨つちくれを湿して枝を鳴さぬ松の風。
         千代の声のみいや増しに。戴きまつる社かな/\。
ワキ    詞「いかに是なる翁に尋ぬべき事の候。
シテ    詞「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ    詞「けふは八幡の御神事とて。皆々清浄の儀式の姿なるに。
         翁に限り生きたる魚を持ち。真に殺生の業不審にこそ候へ。
シテ    詞「けに/\御不審は御理。まづまづ今日の御神事をば。
         なにとか知し召されて候ふぞ。
ワキ    詞「さん候これは遥かの遠国より。始めて参詣申して候ふ程に。
         委しき事をば知らず候。いで此御神事をば。放生会とかや申すよなう。
シテ    詞「さればこそ放生会とは。生けるを放つ祭ぞかし。
         御覧候へ此魚は。生きたる魚をそのまゝにて。
ツレ カカル上 放生川に放さん為なり。知らぬ事をな宣ひそ。
シテ    上 其上古人の文を聞くに。
シテツレ二人上 方便の殺生だに。菩薩の万行には超ゆると云ふ。
         ましてやこれは生けるを放せば。魚は逃れわれは又。
         かへつて誓の網に漏れぬ。神の恵を頼むなり。
ワキ カカル上 げにありがたき御事かな。さて/\生けるを放つなる。
         其御いはれは何事ぞ。
ツレ    上 異国退治の御時に。多くの敵を亡ぼし給ひし。
         幾生の善根のその為に。放生の御願をおこし給ふ。
ワキ    上 いはれを聞けばありがたや。さて/\生けるを放つなる。
         川は何れの程やらん。 
シテ    詞「御覧候へこの河の。水の濁も神徳の。
ワキ  サシ上 誓は清き石清水の。
シテ    上 末は一つぞ此川の。
ワキ    上 岸に臨みて。
シテ    上 水桶に。

  ( 小謡 取り入るゝ ヨリ  あらたなりけり マデ )

地     上 取り入るゝ。此うろくづを放さんと。/\。
         裳裾も同じ袖ひちて。掬ぶやみづから水桶を。
         水底に沈むれば。魚は悦び鰭ふるや水を穿ちて岸陰の。
         潭荷葉動くこれ魚の遊ぶ有様の。
         げにも生けるを放つなる御誓あらたなりけり。
ワキ    詞「尚々当社の御事懇に御物語り候へ。
地   クリ上 そも/\当社と申すは欽明天皇の昔より。一百余歳の代々を経て。
        此山に移りおはします。

  ( 独吟 然るに宗廟の ヨリ  浅からぬ誓かな マデ )
  ( 囃子 然るに宗廟の ヨリ  めでたけれ マデ )

シテ  サシ上 然るに宗廟の神として。
地     上 御代を守り国家を助け。文武二つの道広く。九重続く八幡山。
         神にも御名は八つの文字。
シテ    下 それ諸仏出世の本来空。
地     下 真性不生の道を示し。八正道を顕し。人仏不二の御心にて。
         正直のかうべに宿り給ふ。
    クセ下 人の国より我が国。他の人よりも我が人と。誓はせ給ふ御恵。
         げにありがたや。われら如きのあさましき。迷を照し給はんの。
         其御誓願まのあたり。行教和尚の御法の袖に影うつる。
         花の都を守らんと。南の山にすむ月の。光も三つの衣手に映り給へり。

  ( 小謡 さればにや ヨリ  波も静なり マデ )

         さればにや宗廟の。跡明かに君が代の。すぐなる道を顕し。
         国富み民の竃まで。にぎはふ鄙の貢舟四海の波も静なり。
シテ    下 利益諸衆生の御誓。
地     下 二世安楽の。神徳は猶栄ゆくや。男山にし松立てる。
         梢も草も吹く風の皆実相の響にて。峯の山神楽。其外里神楽。
         懺悔の心夢覚め。夜声もいとゞ神さびて。月かげろふの石清水の。
         浅からぬ誓かなげに浅からぬ誓かな。
地  ロンギ上 不思議なりとよ老人よ。/\。
                       中入り
  ( 囃子 都に帰り神勅を ヨリ  めでたけれ マデ )
待謡
ワキ カカル上 都に帰り神勅を。都に帰り神勅を悉く奏し仰ぐべしと。
         言えばお山も音楽の。聞えて異香薫ずなる。
         これただことと思われずこれただことと思われず
後シテ 出羽上 ありがたや百王守護の日の光。ゆたかに照らす天が下。
         幾万代の秋ならん。和光の影も曇なく。神と君とに仕への臣。
         武内と申す老人なり。
地     上 末社は各々出現して。けふ待ち得たる放生の。神の御幸を早むれば。
シテ    上 御前飛び去る鳩の嶺。
地     上 山下に連なる神拝の社人。
シテ    上 小忌の衣の袖を連ね。
地     上 千早ふるなり。あま乙女。
シテ    上 久方の。月の桂の男山。
地     上 さやけき影は。処から。
地  ロンギ上 さては神代も和歌を上げ。/\。舞をまひけるめでたさよ。
            真ノ序ノ舞
  ( 仕舞 なか/\小忌の ヨリ  めでたけれ マデ )

シテ    上 なか/\小忌の御衣をめし。おの/\舞をまひ給ふ。
地     上 さらば四季の和歌を上げ其品かへて舞ひ給へ。
シテ    上 春は霞の和歌を上げて喜春楽を舞はうよ。
地     上 さて又夏にかかりては。いかなる舞をまひ給ふ。
シテ    上 かたへ涼しき川水に。浮みて見ゆる盃の。傾盃楽を舞はうよ。
地     上 始めて長き夜も更くる。風の音に驚くは誰が踏む舞の拍子ぞ。
シテ    上 秋来ぬと。目にはさやかに見えずとも。秋風楽を舞はうよ。
地     上 日数も積る雪の夜は。
シテ    下 回雪の袖を翻し。
地     上 さて百敷の舞には。
シテ    上 大宮人のかざすなる。
地     上 桜。
シテ    上 橘。
地     上 もろともに。花の冠をかたぶけてようこくよりも立ち廻り。
         北庭楽を舞ふとかや。

  ( 小謡 さのみは何と ヨリ  めでたけれ マデ )

地     上 さのみは何と語るべき。詞の花も時を得て。
         其風猶も盛にて鬼も神も納受する
         和歌の道こそめでたけれ和歌の道こそめでたけれ

                       註 〇印から〇印までは素謡ではうたわない。


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