野 宮   (ののみや)

●あらすじ
晩秋の9月7日、旅僧がひとり、嵯峨野を訪れ、伊勢斎宮の精進屋とされた野の宮の旧跡に足を踏み入れます。昔そのままの黒木(皮のついたままの木)の鳥居や小柴垣を眺めつつ参拝していると、榊を持った上品な里女が現れます。女は、僧に向かい、毎年必ず長月七日に野の宮にて昔を思い出し、神事を行う、ついては邪魔をしないで立ち去るようにと話します。僧が、昔を思い出すとはどういうことかと尋ねると、かつて光源氏が、野の宮に籠もっていた六条御息所を訪ねてきたのがこの日だと告げ、懐かしそうに御息所の物語を語ります。そして、自分こそが、その御息所だと明かし、姿を消してしまいました。別に現れた里人から、改めて光源氏と六条御息所の話を聞いた僧は、御息所の供養を始めます。すると、牛車に乗った御息所の亡霊が現れます。御息所は、賀茂の祭りで、源氏の正妻葵上の一行から、車争いの屈辱を受けたことを語り、妄執に囚われている自分を救うため、回向して欲しいと僧に頼みます。野の宮での源氏との別れの記憶にひたりながら、御息所は、しっとりと舞い、過去への思いを深く残す様子で、再び車に乗り、姿を消しました。

●宝生流謡本      内二十巻の三     三番目    (太鼓なし)
    季節=秋   場所=山城国嵯峨   作者=世阿弥元清
    素謡稽古順=中伝序   素謡時間=55分 
    素謡座席順   シテ=前・女  後・六条御息所
               ワキ=旅僧

●みどころ
「野宮」は鬘物のなかでも、大曲とされています。源氏物語に材を取り、主人公は六条御息所です。秋の嵯峨野の哀愁に満ちた風情のなか、昔を懐かしむ御息所の深い切なさや、辛く悲しい恋の妄執といった心のうねりを、優雅にしっとりと、そして品よく描いた曲です。六条御息所は、「葵上」でこそ、生霊になるほどの嫉妬心の持ち主として描かれましたが、源氏物語では、知性と教養溢れる魅力的な淑女とされています。そのように高貴で聡明な女性でも、寂しい境涯に置かれ、心の奥底で嫉妬、妄執を養うこともあるのです。人の世に生きることの悩みの深さ、思いの深さが沁みてきます。

● 「源氏物語と能」 
解説:上坂信男氏
 源氏物語の中でも、特に光源氏の一生を左右する存在なのが藤壺中宮と六条御息所。 藤壺中宮は光源氏が憧れた義理の母である。薄雲女院(うすぐものにょいん)とも称されるが、桐壺院の一周忌で誰にも相談せずに出家してしまう。 これは光源氏との「いろいろ」を避けるため、俗世を忘れたいがための出家であるが、冷泉帝のことただけは気がかり。光源氏に後見させ、その後は出家したものとして道心揺るがずに一生を全うする。 これは「素晴らしすぎて」能曲にならない。能はたいてい諸国一転の僧が登場して回向するというのが主な筋立てであり、藤壺中宮では回向を頼む必要がないため、おそらく昔の作者は藤壺中宮を主人公にした作品をつくらなかったのであろう。 反対に、六条御息所という人は不幸な宿命を背負わされてしまった人。皇太子妃として華やかな暮らしを送るはずが、父も母も亡くなり、また夫も早く没してしまった。後見ともなるべき男兄弟もいない。おそらく一人っ子だったのではなかろうかと思われる、「立場的な不幸」を背負っている人である。 藤壺中宮に憧れていた光源氏は、彼女の代わりとして六条御息所に言い寄るが、実際手に入れてみたらやはりいろいろな点で違いがあったため、「がっかり」「幻滅」を感じ、横を向いてしまった。 ここから「すれ違いの不幸」が始まる。六条御息所の悩苦は生霊(もののけ)として光源氏の正妻葵の上に向かってしまう。 当時の一夫多妻制において、「ねたみ・うらみ」という感情は表立たせてはならない排斥点であるが、六条御息所のインテリな性格・感情が心の中の戦いとなり、それが諸国一転の僧による回向から成仏という能のテーマに合っている。

●参 考  
観世流能楽師・柴田稔 Blog
能「野宮」は源氏物語を本説に作られ、賢木(さかき)の巻には黒木の鳥居と小柴垣に囲まれた野宮の描写があります。野宮と聞いて、室町時代に能を観ていた人には、「あぁ、あのことか」と、理解することができた言葉だったのでしょうが、しかし私を始め、いまの現代人には、野宮と聞いてその意味を理解できる人は、まずいないのではないかと思います。日本の古い時代、天皇に変わって伊勢神宮に奉仕した皇女のことを斎宮(さいぐう)といい、その御所を“野宮”と言ったそうです。斎宮は宮中で一年間、野宮で一年間身を清めるための潔斎をおこない、三年目の秋、伊勢へと赴いたそうです。伊勢に下向するとき、斎宮が乗った御所車を再現させたもので、 「斎宮行列」のお祭りに使われているようです。 野宮は都の外野を意味し、平安時代には嵯峨野あたりに固定されました。 この斎宮の制度は鎌倉時代まで続き、能の「野宮」ができた室町時代には、その名残が残っていたのでしょう。能「野宮」は源氏物語の六条御息所が主人公です。もちろん六条御息所は名前からしても、斎宮ではありません。斎宮に選ばれたのは、彼女の娘なのです。彼女は娘に付き添って野宮にいたわけで、能「野宮」はややこしい題名です!
六条御息所は、生まれも地位も高く、教養があり、美人で趣味もよく、完璧な女性とされています。
十六歳のとき光源氏の父・桐壷の帝の弟(皇太子)と結婚し、御息所となり、一人の娘を設けますが、二十歳の時に夫と死別し、そのあとは源氏と契り、源氏の第二の妻の座につきます。しかし、源氏の彼女に対する思いは薄れ、それを悲しむ彼女は、源氏と別れるため娘と伊勢に下向する決心をしたのです。六条御息所が三十歳の時です。源氏と御息所が最後の夜を過ごしたのが、野宮だったのです。源氏は御息所にあうため、秋の嵯峨野へ赴きます。そのことを源氏物語はこのように描いています。『はるけき野辺を分け入り給ふより、いとものあわれなり。 秋の花みなおとろへつつ、あさぢが原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあわせて…』もの淋しい様子が目に浮かびます。今回の野宮神社への訪問は、黒木の鳥居と小柴垣を見ること、それと嵯峨野の寂れた景色を見ることにありました。が・・・あたりの景色は秋に移ろうとしているのですが、猛暑の勢いは衰えません。カメラ片手に、汗だくになって歩き回っていたというのが正直な感想です。JR嵐山駅から、徒歩で15分くらいのところに野宮神社はあります。途中、竹林が茂る一角、深い藪にあたりがひんやりしていたところがありました。これが昔の面影かな、そんなことを思って自分を慰めていましが・・・野宮神社の辺りにはたくさんの小柴垣がありました。このあたりの藪にはタヌキもキツネも住んでいるようで、このけものたちのために、抜け穴を作ってあったのが面白かったです。


               
源氏物語関係の謡曲7曲
                                       
小原隆夫調べ
 コード    曲 目    概          要      場所  季節  素謡   習順
内04卷3 玉  葛  初瀬寺ニ参詣僧ガ玉葛ヲ供養   奈良   秋   40分  入門
内05卷4 葵  上  葵ノ上ニ六条ノ宮が生霊トナリ嫉妬 京都   不   37分  初奥
内13卷3 半  蔀  雲林院で光源氏と夕顔の霊夢  京都   秋   30分  入門
内14卷5 源氏供養 源氏物語54帖ノ紫式部ヲ供養   滋賀   春   46分  入門
内20卷3 野  宮  葵ノ上ノ後日物語ヲ旅僧ニ語る    京都   秋   55分  中序
外04卷5 須磨源氏 源氏物語の光源氏桐壷      兵庫   春   35分  入門
外09卷3 胡  蝶  一条大宮ニテ胡蝶ノ精舞う      京都   春   35分  平物

(平成24年6月15日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


               野  宮  (ののみや)

         季 秋      所 山城国嵯峨     素謡時間 55分
   【分類】三番目物 
   【作者】世阿弥元清   典拠:源氏物語 葵の巻・賢木の巻に拠る
   【登場人物】    前シテ:女、後シテ:六条御息所   ワキ:旅僧 

    詞  章                            (胡山文庫)

ワキ    詞「これは諸国一見の僧にて候。我此ほどは都に候ひて。
         洛陽の名所旧跡残なく一見仕りて候。また秋も末になり候へば。
         嵯峨野の・方{かた}ゆかしく候ふ程に。立ちこえ一見せばやと思ひ候。
         これなる森を人に尋ねて候へば。野の宮の旧跡とかや申し候ふほどに。
         逆縁ながら一見せばやと思ひ候。
   カカル上 われ此森に来て見れば。・黒木{くろぎ}の鳥居
      詞「小柴垣。昔にかはらぬ有様なり。
   カカル上 こはそも何といひたる事やらん。よし/\かゝる時節に参りあひて。
         拝み申すぞありがたき。
       下 伊勢の神垣隔なく。法{のり}の教の道すぐに。
         こゝに尋ねて宮所心も澄める夕かな心も澄める夕かな。
シテ  次第上 花に馴れ来し野の宮の。/\。秋より後は如何ならん。
    サシ上 をりしもあれ物のさみしき秋暮れて。なほしをりゆく袖の露。
         身を砕くなる夕まぐれ。心の色はおのづから。千草{ちぐさ}の花にうつろひて。
         衰ふる身のならひかな。
     下歌 人こそ知らね今日ごとに昔の跡に立ち帰り。

   (小謡 野の宮の ヨリ  恨なれ マデ )

     上歌 野の宮の。森の木枯{こがらし}秋ふけて。/\。身にしむ色の消えかへり。
         思へば・古{いにしえ}を何と忍ぶの草衣。来てしもあらぬ仮の世に。
         行き帰るこそ恨なれゆきかへるこそ恨なれ。
ワキ カカル上 われ此森の陰に居て
      詞 古を思ひ。心を澄ますをりふし。いとなまめける女性一人忽然と来り給ふは。
         いかなる人にてましますぞ。
シテ    詞「いかなる者ぞと問はせ給ふ。そなたをこそ問ひ参らすべけれ。
         是は古・斎宮{さいぐう}に立たせ給ひし人の。仮に移ります野の宮なり。
         然れども其後は此事絶えぬれども。長月七日の今日は又。昔を思ふ年々に。
      下 人こそ知らね宮所を清め。御神事をなす所に。行方も知らぬ御事なるが。
         来り給ふははゞかりあり。とく/\帰り給へとよ。
ワキ    詞「いや/\これは苦しからぬ。身の行末も定なき。世を捨人の数なるべし。
         さて/\こゝは・旧{ふ}りにし跡を今日毎に。昔を思ひ給ふ。
   カカル上 いはれはいかなる事やらん。

   (独吟 光源氏この処に ヨリ  此宮所 マデ )

シテ    詞「光源氏この処に詣で給ひしは。長月七日の日けふに当れり。
         其時いさゝか持ち給ひし榊の枝を。忌垣{いがき}の内にさし置き給へば。
         御息所{みやすどころ}とりあへず。
       下 神垣はしるしの杉もなきものを。
       詞「いかにまがへて折れる榊ぞと。よみ給ひしも今日ぞかし。
ワキ    上 げに面白き言の葉の。今持ち給ふ榊の枝も。昔にかは<P 144b>らぬ色よなう。
シテ    詞「昔にかはらぬ色ぞとは。榊のみこそ常磐の陰の。
ワキ    上 森の下道{したみち}秋暮れて。
シテ    上 紅葉{もみぢ}かつ散り。
ワキ    上 浅茅{あさぢ}が原も。

   (小謡 うら枯れの ヨリ  此宮所 マデ )

地     上 うら枯れの草葉に荒るる野の宮の/\。跡なつかしきこゝにしも。
         其長月の七日{なぬか}の日も今日にめぐり来にけり。
         ものはかなしや小柴垣いとかりそめの御住居今も火焼{ひたき}屋のかすかなる。
         光は我が思{おもい}内にある色や外に見えつらん。
         あらさび{ミ}し宮所あらさびし此宮所。
ワキ    詞「なほ/\御息所のいはれ懇に御物語り候へ。
地   クリ上 そも/\此御息所と申すは。桐壺の帝の御弟{おんおとゝ}。
         前坊{ぜんぼう}と申し奉りしが。時めく花の色香まで妹背の心浅からざりしに。

   (独吟 会者定離 ヨリ  恨なりけれ マデ )
   (囃子 会者定離 ヨリ  火宅の門 マデ )

シテ  サシ上 会者定離{えしやぢやうり}のならひもとよりも。
地     上 驚くべしや夢の世と。程なおくれ給ひけり。
シテ    下 さてしもあらぬ身の露の。
地     下 光源氏のわりなくも忍び/\に行き通ふ。
シテ    下 心の末の。などやらん。
地     下 また絶々の中なりしに。
    クセ下 つらきものにはさすがに思ひ果て給はず。遥けき野の宮に。
         分け入り給ふ御心。いと物あはれなりけりや。
         秋の花みな衰へて虫の声もかれ%\に松吹く風の響までも。
         さびしき道すがら秋の哀しみも果なし。かくて君こゝに。
         詣でさせ給ひつゝ情をかけて様々の。言葉の露も。色々の御心の内ぞあはれなる。
シテ    上 其後桂の御祓。
地     上 白木綿{しらゆふ}かけて川波の。身は浮草のよるべなき心の水に誘はれて。
         ゆくへも鈴鹿川八十瀬{やそせ}の波にぬれ/\ず。伊勢まで誰か思はんの。
         言の葉は添ひゆく事もためしなきものを。親と子の。
         多気の都路に赴きし心こそ恨なりけれ。
   ロンギ上 げにやいはれを聞くからに。唯人ならぬ御気色其名を名のり給へや。
シテ    上 名のりてもかひなき身とてはづかしの。もりてやよそに知られまし。
         よしさらば其名もなき身とぞ問はせ給へや。
地      上 なき身と聞けば不思議やな。さては此世をはかなくも。
シテ    上 去りて久しき跡の名の。
地     上 御息所は。
シテ    上 我なりと。
地     下 夕暮の秋の風。森の・木{こ}の間の・夕月夜{ゆうづくよ}。影かすかなる木の下の。
         黒木の。鳥居の二柱に立ちかくれて失せにけり跡たちかくれ失せにけり。
                 中入
   (囃子 かたしくや ヨリ  火宅の門 マデ )

ワキ  待謡上 かたしくや森の木蔭の苔衣。/\。同じ色なる草むしろ。思を述べて夜もすがら。
          かの御跡を。弔ふとかやかの御跡を弔ふとかや。
後シテ 一声下 野の宮の。秋の千草の。花車。われも昔に。めぐり来にけり。
ワキ カカル上 ふしぎやな月の光も幽かなる。車の音の近づく方を。
         見れば網代{あじろ}の下すだれ。思ひかけざる有様なり。
    カカル上 いかさま疑ふ所もなく。御息所にてましますかさもあれ如何なる車やらん。
シテ     詞「いかなる車と問はせ給へば。思ひ出でたりその昔。
シテ カカル上 加茂の祭の車争ひ主は誰とも白露{しらつゆ}の。
ワキ    上 所せきまで立てならぶる。
シテ    上 物見車のさま%/\に殊に時めく葵の上の。
ワキ    上 御車{おんぐるま}とて人を払ひ。立ちさわぎたる其中に。
シテ    上 身は・小車{おぐるま}の遣る方もなしと答へて立て置きたる。
ワキ    上 車の前後に。
シテ    上 ばつと寄りて。
地     上 人・轅{ながえ}に取り付きつゝ人だまひの奥に。
         押しやられて物見車の力もなき身の程ぞ思ひ知られたる。
         よしや思へば何事も。報{むくい}の罪によも洩れじ。
         身はなほ牛の小車のめぐり/\来ていつまでぞ妄執を晴し給へや。妄執を晴し給へや。
シテ    下 昔を思ふ。花の袖。
地     上 月にと返す。<P 145c>気色かな。
                 序ノ舞
シテ    上 野の宮の。月も昔や。思ふらん。
地   ノル上 影さびしくも森の下露森の下露。

   (独吟・仕舞 身の置き処も ヨリ  火宅の門 マデ )

シテ    下 身の置き処も。あはれ昔の。
地     下 庭のたゝずまひ。
シテ    下 よそにぞかはる。
地     上 気色も仮なる。
シテ    下 小柴垣。
地     下 露うちはらひ。訪はれし我も其人も。
         唯夢の世とふりゆく跡なるに誰{たれ」松虫の音は。
         りん/\として風茫々たる野の宮の夜すがら。なつかしや。
                  破ノ舞
地   キリ上 こゝはもとより忝くも。神風や伊勢の内外の鳥居に出で入る姿は生死の道を。
         神は受けずや思ふらんと。また車にうち乗りて火宅の門{かど}をや。
         出でぬらん火宅の門。
 


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