殺生石 (せっしょうせき)

●あらすじ
玄翁という高僧が下野国那須野の原(今の栃木県那須郡那須町)を通りかかります。ある石の周囲を飛ぶ鳥が落ちるのを見て、玄翁が不審に思っていると、ひとりの女が現れ、その石は殺生石といって近づく生き物を殺してしまうから近寄ってはいけないと教えます。玄翁の問いに、女は殺生石の由来を語ります。「昔、鳥羽の院の時代に、玉藻の前という宮廷女官がいた。才色兼備の玉藻の前は鳥羽の院の寵愛を受けたが、狐の化け物であることを陰陽師の安倍泰成に見破られ、正体を現して那須野の原まで逃げたが、ついに討たれてしまう。その魂が残って巨石に取り憑き、殺生石となった」、そう語り終えると女は玉藻の前の亡霊であることを知らせて消えます。玄翁は、石魂を仏道に導いてやろうと法事を執り行います。すると石が割れて、野干(やかん)(狐のこと)の精霊が姿を現します。野干の精霊は、「天竺(インド)、唐(中国)、日本をまたにかけて、世に乱れをもたらしてきたが、安倍泰成に調伏され、那須野の原に逃げてきたところを、三浦の介(みうらのすけ)、上総の介(かずさのずけ)の二人が指揮する狩人たちに追われ、ついに射伏せられて那須野の原の露と消えた。以来、殺生石となって人を殺して何年も過ごしてきた」と、これまでを振り返ります。そして今、有難い仏法を授けられたからには、もはや悪事はいたしませんと、固い約束を結んだ石となって、鬼神、すなわち野干の精霊は消えていきます。

●宝生流謡本      内二十巻の二     四五番目    (太鼓あり)
    季節=秋   場所=下野国那須野   作者=
    素謡稽古順=平物   素謡時間=33分 
    素謡座席順   シテ=前・里女  後・野干の精
               ワキ=玄翁道人

●みどころ
「九尾の狐」の話を耳にしたことのある方は多いと思いますが、この伝説の妖怪こそ、玉藻の前に化けた狐の精霊です。インドや中国でも絶世の美女となって時の王を惑わし、世の平安を乱す存在とされてきました。そんなスケールの大きい伝説をもとにした、変化に富んだ能です。前半は那須野の殺生石の近く、という異様な情景のなかで、女と高僧との問答が展開されます。動きは少ないのですが、妖しい雰囲気に満ちています。後半は打って変わって、狐の精霊が、自らの物語をアクション満載で再現する、大捕り物が演じられます。コンパクトにまとまって、きびきびとしたストーリー展開が楽しめます。またワキの玄翁和尚の存在感も見逃せません。当時、法力にすぐれた高僧として有名で、さまざまな逸話が残っています。殺生石を鎮めた話では、玄翁和尚が喝を入れて石を砕き、砕かれた石が日本の各地に散ったといわれています。前後の平たい大きな鉄鎚を玄翁(または玄能)と呼びますが、この殺生石を砕いた話が名前の由来となっています。

●参 考  殺生石(せっしょうせき) [ 日本大百科全書(小学館) ]    [ 執筆者:渡邊昭五]
人馬や鳥虫が近づくと毒にあてられ死ぬという石。とくに能の『殺生石』でも知られている栃木県那須郡那須町の那須岳(那須温泉の湯川の谷―大字湯本)にある溶岩のこと。実際にはこの石が有毒なのではなく、付近の硫気孔から硫化水素などのガスが噴出し、そこに近づく昆虫類が多く死んでしまう。伝説では玉藻前が白狐と化して石となったことになっている。かつて金毛白面九尾の妖狐が天竺から唐を経て日本に渡来して鳥羽天皇の寵姫の玉藻前になり、多くの人に害を与えたが、安倍泰成(あべのやすなり)にその正体を見破られ那須野まで逃げてきて隠れる。しかし、狩り出されてついに射殺され石と化してしまう。玄翁和尚がここを通りかかり、その法力によって石を砕きその霊を成仏させたという。『下学集』や『御伽草子』にもあり、芸能でも謡曲や歌舞伎(かぶき)、大道芸の活(いき)人形などにも扱われて、人々によく知られた伝説である。

●玉藻前伝説
久寿元年(1154年)の春、鳥羽院の御所にどこのものともしれない女が現れ、名を化生前と名乗った。化生前は天下に並びなき美女であるばかりか、四書五経にも通じる才女であった。ある秋の日、詩歌管弦の夕べが催されたとき、嵐が吹き荒れ、灯り火が消え暗闇となったが、院の側に侍っていた化生前の身体から光が放たれ、殿中を明るくした。これを見た大臣公家は怪しんだか、院は、「身から光を放つとは、よほど前世で善行を重ねたものと思われる」といたく感激し、名を「玉藻前」と改めさせる。院は玉藻前の美貌と才覚にひかれて、ついに夫婦の契りを結ぶ。
それから程なくして、院が病にかかる。病は日ごとに重くなり、典薬頭を招いて病状を尋ねたところ、「これは尋常の病ではない。邪気の仕業によるものだ」と診断を下した。そこで陰陽頭の安部泰成を召して占わせたところ、「院の病は化生玉藻前の仕業である。彼女を除けば病はたちまちに平癒するでしょう」と申し上げた。泰成によると、玉藻前はもともと天竺に生まれた金毛九尾の狐であり、天竺にては班足太子の塚の神となって、千の王の命を捕らせようとした。また、その後周の后褒?となって国を滅ぼそうとした。時代は下って天平七年、妖孤は若藻という少女となって、遣唐留学生吉備真備が帰国する船に乗り込み、日本へと上陸した。そして、下野那須野に隠れ住み、朝廷を滅ぼそうと都へ現れたのである。
しかし、これを聞いた鳥羽の院は少しも信じようとはしない。そこで泰成は、「泰山府君の祭りを行い、玉藻前に幣取りの役をさせれば正体を現すであろう」と進言し、泰山府君の祭りが執り行われた。すると、手にした御幣を打ち振るかにみえた玉藻前は、突然その場から消えうせてしまう。
妖孤が那須野に逃れたことを知った朝廷は、東国の武将上総介と三浦介に妖孤退治の勅を下し、八方の軍勢を遣わす。両人は那須野へ赴き、探し回ったところ、ついに草むらから九尾の狐を発見するが、四方八方に飛び回る狐を射止められず、一旦国へ帰り、犬を狐に見立てて百日間弓矢の稽古に励む。この訓練は、犬追物として後の時代まで伝わることになる。こうして訓練を重ね、さいど 妖孤退治に臨んだ両人は、ついに九尾の狐を射止めることに成功する。射殺された狐の遺骸は京に運ばれ、うつぼ船に流され捨てられたが、玉藻前の執心はなおも那須野原に残り、殺生石となった。その後玄翁によって執心が成仏されるところを描いたのが、能「殺生石」である。

●殺生石
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「殺生石」殺生石(せっしょうせき)は、栃木県那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩。鳥羽上皇が寵愛した伝説の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体をあらわし、数万の軍勢によって殺害され、石となったという逸話がある。その後、至徳2年(1385年)に玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒ガスがたえず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られている。現在は観光名所となっており、観光客も多く訪れる。ただし、ガスの排出量が多い場合は立ち入りが規制される。 玄翁によって砕かれた殺生石が飛来したと伝えられる地は多数存在しているが、一般に美作国高田(現岡山県真庭市勝山)、越後国高田(現新潟県上越市)、安芸国高田(現広島県安芸高田市)、または、豊後国高田(現大分県豊後高田市)と言われている。また、四国に飛来したものが犬神になり、上野国(現・群馬県)に飛来したものがオサキになったともいう。岡山県真庭市勝山には、玄翁の開山による化生寺境内に、殺生石の石塚が存在している。また、これも玄翁の開山とされている、福島県白河市表郷中寺、常在院境内にも、殺生石の破片と言われる石が祀られており、玄翁の座像と、殺生石の縁起を描いた絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」が伝えられている。

(平成24年6月15日 あさかもユーユークラブ 謡曲研究会)


        殺生石        四五番目    (太鼓あり)

                季節=秋   場所=下野国那須野    
           シテ=前・里女 後・野干の精
           ワキ=玄翁道人

ワキ次第 『心を誘う雲水の。心を誘う雲水の。浮世の旅に出でうよ。』
ワキ  詞『これは玄翁と云へる道人なり。我、知識の床を立ち去らず、一見所を開き。
      終に払子を打ち振って世上に眼をさらす。
ワキ   『雲水の。身は何処とも定め無き。身は何処とも定め無き。浮世の旅に迷い行く。
      心の奥を白河の。結び籠めたる下野や。那須野の原に着きにけり。
      那須野の原に着きにけり。』
ワキ   『急ぎ候程に、はや那須野の原に着きて候。』
アイ   『ありゃ、落つるわ落るわ…』
ワキ   『汝は何事を申すぞ。』 お前は何が落ちると言うんだ?
アイ   『さん候只今この石の上に、
      鳥の舞い出でて候ひしがむらむらと落ちてそのまま虚しくなり申して候。』
ワキ   『さらば立ち越え見ようずるにて候。』
シテ   『なう、その石の辺へな立ち寄らせ給ひそ。』
アイ   『何事やら申して候』 何か言ってるみたいですね。
ワキ   『そもこの石の辺へ立ち寄るまじき謂れの候か。』
シテ   『それは那須野の殺生石とて。人間は申すに及ばず。
      鳥類畜類までもさわるに命なし。かく恐ろしき殺生石とも。
      知ろしめされでお僧達は。求め給へる命かな。其処立ち退き給へ。』
ワキ   『さてこの石は何時の世よりかく殺生をば致すやらん。』
シテ   『昔 鳥羽の院の上童に。玉藻の前と申しし人の。執心の石となりたるなり。』
ワキ   『不思議なりとよ玉藻の前は。殿上の交わりたりし身の。
      この遠国に魂を留めし事は何故ぞ。』
シテ   『それも謂れのあればこそ。昔より申し慣わすらめ。』
ワキ   『御身の風情、言葉の末。真を知らぬ事あらじ。』
シテ   『いや委しくはいさ白露の玉藻の前と』
ワキ   『聞きし昔は都住まひ』
シテ   『今魂は天離る』
ワキ   『鄙に残りて悪念の』
シテ   『なほも現すこの野辺の』
ワキ   『往来の人に』
シテ   『仇を今』
地   謡『那須野の原に立つ石の。那須野の原に立つ石の。苔に朽ちにし跡までも。
      執心の残し来て。また立ち帰る草の原。物凄ましき秋風の。梟 松桂の。
      枝に鳴きつれ 狐 蘭菊の花に隠れ棲む。この原の時しも物凄き秋の夕べかな。
ワキ   『なほなほ、玉藻の前の御事委しく御物語候へ』
地   謡『そもそもこの玉藻の前と申すは出生出世定まらずして。何処の誰とも白雲の。
      上人たりし身なりしに』
シテ   『然れば好色を事とし』
地   謡『容顔美麗なりしかば。帝の叡慮浅からず。』
シテ   『ある時玉藻の前が智慧を計り給うに。一字滞る事なし。』
地   謡『経論聖教和漢の才。詩歌管弦に至るまで問うに答への暗からず。』
シテ   『心底曇りなければとて』
地   謡『玉藻の前とぞ召されける』
地   謡『ある時帝は。清涼殿に御出なり。月卿雲客の堪能なるを召し集め。
      管弦の御遊ありしに。頃は秋の末。月まだ遅き宵の空の。
      雲の気色すさましく。うちしぐれ吹く風に。御殿の燈消えにけり。
      雲の上人立ち騒ぎ。松明とくと進むれば。玉藻の前が身より。光を放ちて。
      清涼殿を照らしければ。光 大内に充ち満ちて 画図の屏風 萩の戸 
      闇の夜の錦なりしかど。光に輝きて。ひとえに月の如くなり』
シテ   『帝それよりも。御悩とならせ給ひしかば』
地   謡『安倍の泰成占って。勘状に申すやう。これはひとえに玉藻の前が所為なりや。
      王法を傾けんと化生して来たりたり 調伏の祭あるべしと。奏すれば忽ちに。
      叡慮も変わり引きかへて。玉藻化生を元の身に。
      那須野の草の露と消えし跡はこれなり。』
ワキ   『かやうに委しく語り給ふ。御身はいかなる人やらん。』
シテ   『今は何をかつつむべき。その古は玉藻の前。今は那須野の殺生石。
      その石魂にて候なり。』
ワキ   『げにや余りの悪念は。却って善心となるべし。さあらば衣鉢を授くべし。
      同じくは本体を。二度現し給ふべし。』
シテ   『あら恥ずかしや我が姿。昼は浅間の夕煙の』
地   謡『立ち帰り夜になりて。立ち帰り夜になりて。懺悔の姿現さんと。
      夕闇の空なれど。この夜は明し燈火の。我が影なりと思し召し。
      おそれ給はで待ち給へと石に隠れ失せにけり。石に隠れ失せにけり』
        (中入り・間狂言)
ワキ   『木石心なしとは申せども。草木国土悉皆成仏と聞くときは。
      もとより仏体具足せり。況んや衣鉢を授くるならば。成仏疑いあるべからずと。
      花を手向け焼香し。石面に向かって仏事をなす。』
ワキ   『汝 元来殺生石。問う 石霊。何れの所より来たり。今生かくの如くなる。
      急々に去れ 去れ。自今以後 汝を成仏せしめ。仏体真如の善心と成さん。
      摂取せよ』
シテ   『石に精あり。水に音あり。風は大虚に渡る。』
地   謡『像を今ぞ現す石の。二つに割るれば石魂 忽ち現れ出でたり。恐ろしや。』
シテ   『今は何をかつつむべき。天竺にては斑足太子の塚の神。
大唐にては幽王の后褒 と現じ。我が朝にては鳥羽の院の。
玉藻の前とはなりたるなり。』
シテ   『我 王法を傾けんと。仮に優女の形となり。玉体に近づき奉れば御悩となる。
      既に御命を取らんと。喜びをなしし所に。安倍の泰成 調伏の祭を始め。
      壇に五色の幣帛を立て。玉藻に御幣を持たせつつ、肝胆を砕き祈りしかば。』
地   謡『やがて五体を苦しめて。やがて五体を苦しめて幣帛をおつ取り飛ぶ空の。
      雲居を翔り海山を越えてこの野に隠れ棲む』
シテ   『その後 勅使立って』
地   謡『その後勅使立って。三浦の介 上総の介 両人に綸旨をなされつつ。
      那須野の化生の者を。退治せよとの勅を受けて。野干は犬に似たれば犬にて稽古。
      あるべしとて百日犬をぞ射たりける。これ犬追物の始めとかや』
シテ   『両介は狩装束にて』
地   謡『両介は狩装束にて数万騎那須野を取り籠めて草を分つて狩りけるに。
      身を何と那須野の原に。現れ出でしを狩人の。追っつまくっつさくりにつけて。
      矢の下に射伏せられて。即時に命を徒らに。
      那須野の原の露と消えてもなほ執心は。この野に残つて。殺生石となつて。
      人を取る事多年なれども今逢い難き御法を受けて。この後悪事を致す事。
      あるべからずと御僧に。約束堅き石となつて。約束堅き石となつて。
      鬼神の姿は失せにけり。』

執筆:  立命館大学能楽部2006年度入部 K. F. 能楽部紹介冊子「幽姿」2007年度秋号から
一部原文と字体や句読点を変えた部分があります。また厳密な現代語訳ではありません。ご了承ください。尚、非常に分かりやすい能なので、このページよりも舞台を見てください。


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