唐 船 (とうせん)

●あらすじ
 唐土(中国)の明州の津に住んでいた祖慶官人という者が、ある年、唐土と日本との間に争いがあったときに、捕らえられて日本に留められます。そして、箱崎の某に使用人となり、牛飼いをして過ごすうちに2人の子をもうけ、気がつくと13年が経っていました。祖慶は、その年月のことを何くれとなく思いつつ、今日も2人の子と共に野飼いに出かけます。一方、唐土に残された2人の子は父の生きていることを知り、宝を父に換えて帰国しようと船に宝を積んで箱崎にやってきます。そのことを知らされた祖慶は、夢かと喜び、箱崎の某の許しを得て帰国しようとしますが、日本でもうけた2人の子が一緒に連れて行ってほしいと泣き悲しみます。それに対し、唐土の2人の子は早く帰国しようと迫るので、板ばさみになった祖慶は「身は一つ、心は二つ」と海に身を投げて死んでしまおうとします。その親の心の哀れさに打たれ、箱崎の某は、祖慶が日本の2人の子を連れて帰国することを許します。親子は喜び、楽を奏して、出船に乗り、唐土をめざしていきます。

●宝生流謡本(参考)    内十九巻の五   四五番目  (太鼓あり)
    季節=秋    場所=筑前国箱崎(福岡県)
    素謡(宝生) :  稽古順=初奥  素謡時間=50分
    素謡座席順   子=日本子
               シテ=祖慶官人  
               ワキ=箱崎某      
               子=唐 子

●参 考
 この能で、帰国を許されたシテが舞う、喜びの「楽」は、作物の舟の中という、狭い狭い空間で舞われます。「楽」は、「菊慈童」「枕慈童」「鶴亀」「天鼓」など、中国を舞台とした能に用いられ、足拍子を沢山踏むのが特徴です。他の能では、当然、舞台いっぱいを使うものを、「唐船」では、舟の中だけで舞いますが、笛の譜と舞の寸法は、変わらないのです。つまり、足数を減らすなどの工夫をしながら舞っていくのですが、舞台全体で舞うのと同じ曲、同じ振付で舟の中で舞うというのは、何とも前衛的な素晴らしい趣向と言えるでしょう。 ただし、笛・一噌(いっそう)流古来の伝書に基づき、本日は「楽」の最初の方の部分だけ二行短い譜で演奏して頂きます。これは、角の目付柱へ出て行く型の所で、他の能ですと、大小前(だいしょうまえ、大鼓と小鼓の前の意で、つまり舞台中央奥)から出て行く為、足数を多く必要とする所ですが、舟の中ですと、二〜三足しか出られませんから、ここを按配して、一噌流では二行短い、能「唐船」専用の譜を用意しているのです。本来の譜でありながら、近年は演奏されていなかったものです。 また、「楽」は、途中から「盤渉楽(ばんしきがく)」という、一音律高い調子の極めて複雑な譜の曲に変化する場合があります。現代では、あらかじめ「小書(こがき、特殊演出)」として番組に記して上演する場合が多いのですが、本当は、「盤渉楽」になるかどうかを決めるのは笛方の特権です。つまり、気が向けばその場で、笛方の一存で譜を変えて良い事になっており、他の囃子方はその譜につれて演奏し、シテも「盤渉楽」を舞う事になります。能には、こうした即興的な一発勝負の面白さも沢山あるのです。
「唐船」は、内容も分かりやすく面白い能ですが、何しろ四人の子方がそれぞれ大役なので、なかなか優秀な子方が揃わず、その為、上演の珍しい作品となっています。方便として、唐子二人は大人に演じさせる場合もありますが、やはり「唐船」独特の面白さは、何としても子方四人で上演致しませんと表現されないと思います。「唐船」の後日談として「箱崎物狂(はこざきものぐるい)」という能(廃曲で現在は上演されず)が有る事を付記しておきます。これは、唐土に帰った日本子達が、今度は母親を迎えに日本へ渡って来るというお話で、この能によると、日本子達の名前は、千代若(ちよわか)・千代光(ちよみつ)で、中国名はソハン・ソチクとなっています。

●筥崎宮(筥崎八幡宮)        
(2004/12/17)「能楽の淵」ヨリ 
 延喜21年(921)に醍醐天皇の勅によって筑前大分宮(穂波宮)から遷座したとされる神社。当時の公式な格の高い神社のリストである『延喜式』神名帳に創建後すぐに載っているので、第60代醍醐天皇(885~931)勅願というのもあながち間違いではないでしょう。 祭神は八幡大神(応神天皇)及び応神天皇の母である神功皇后、そして玉依姫で、別名・筥崎八幡宮ともいい、宇佐・石清水とともに三大八幡宮に数えられています。 神功皇后が応神天皇を産んだ後、その胎盤(御胎衣=おえな)を箱に収めて埋め、そこに松を植えた「筥松」が本殿のすぐ脇にあり、この筥松のある岬ということで、「筥崎」と呼ばれるようになったといいます。 その縁起を能にしたのが世阿弥作による復曲能『箱崎』です。もっとも能では松の下にあるのは、箱に収められた戒(戒律)・定(精神集中)・恵(真理を見通す智恵)の三学の妙文だとされていますが。 筥崎宮は、表参道がそのまま箱崎の港まで続いているように、海と深い関わりを持っている神社です。古代から中世にかけて大宰府の外港として、中国や朝鮮半島との貿易の拠点ともなったようで、『今昔物語集』などには箱崎の賑わいが描かれています。 唐船の夫婦石 箱崎が中国と良きにつけ悪しきにつけ、交流が深かったことは能『唐船』でも分かります。箱崎の何某は中国船との争いの時に、祖慶官人という男を抑留、下人として使っていました。祖慶官人は日本人の女性との間に子を成していましたが、そこに中国で成した子が迎えに現れ、日本で産まれた子も連れて祖国へ帰るのでした。 ちなみに、能『唐船』ではあえて日本人の妻のことが描かれていませんが、筥崎宮での伝えによると置いていかれたとされており、境内には祖慶官人の帰国の際に夫婦が腰掛けて名残を惜しんだとされる「夫婦石」があります。廃曲能として後日談にあたる『箱崎物狂』という曲があったそうで、置いていかれた妻が物狂として登場するそうです。


             
古代中国関係の謡曲 18曲
                              
小原隆夫 調
 コード    曲 目      概         要       場所 季節  習順  素謡
内04巻1  鶴   亀 唐の玄宗帝新年春の節会事始め   唐国  春   平物  10分
内08巻3  楊 貴 妃 玄宗皇帝ノ愛妃ノ魂パクヲ探す      唐国  秋   入門  55分
内12巻5  猩   々 猩々ガ親孝行ノ高風ニ福ヲ与える    唐国  秋   平物  10分
内16巻2  是   界 是界坊ノ野心比叡山ノ僧ニ打砕カレル  京都  不   入門  32分
内16巻3  芭   蕉 唐ノ帝芭蕉ヲ愛シタ 芭蕉ノ精僧ニ語ル  唐国  秋   中奥  70分
内16巻5  天  鼓 帝ニ奉セシ天鼓ハ 王伯王母ガ鳴ラス    唐国  秋   初奥  45分
内19巻5  唐  船 捕虜ニ日本子迎ニ来タ唐子ノ情ケト帰国 福岡  秋   初奥  50分
内20巻1  邯  鄲 濾生が夢 50年の栄賀も一炊の夢   唐国  不   初序  38分
外03巻1  項  羽 虞美人草ト項羽ノ物語り          唐国  秋   平物  30分
外05巻1  西 王 母 桃ノ精 御代ヲ寿ぐ             唐国  春   平物  22分
外06巻1  咸 陽 宮 秦ノ始皇帝 宮殿ニ燕国ノ刺客ニ襲ワレル 唐国  秋   入門  23分
外06巻5  石  橋 大江定基唐で修行(連獅子の舞い)  唐国  夏   初序  25分
外10巻5  鐘  馗 鐘馗ノ悪魔退治               唐国  秋   平物  20分
外13巻3  昭  君 美女昭君ノ異国ニ亡クナリ父母ニ嘆く   唐国  春   中序  45分
外13巻4  三  笑 三賢人ノ談笑                唐国  秋   入門  25分
外14巻1  枕 慈 童 700年前ノ周王ニ使エタ仙家ノ慈童ニ逢ウ 唐国  秋   平物  20分
外15巻1  張  良 張良黄石公ノ沓ヲ取リ兵法ヲ学ぶ     唐国  秋   入門  25分
外16巻1  皇  帝 玄宗皇帝寵妃楊貴妃ヲ助ける      唐国  春   入門  27分

(平成24年4月20日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


       唐 船    

  1195   唐 船 (とうせん)  四五番目  (太鼓あり)   内十九巻の五 
       子方 日本子 素謡時間約五十分
        シテ 祖慶官人         季 秋
        ワキ 箱崎 某        所 筑前国箱崎 
       子方 唐 子

        詞 章                (胡山文庫)

ワキ  詞「かように候者は。九州箱崎の何某にて候。
      さてもひと年唐土と日本の船の争いあって。唐土の船をば日本にとどめ。
      日本の船をば唐土にとめて候。某も一艘とめ置きて候。
      某も船を一艙留めおきて候。その船に祖慶官人と申す者を止めおきて候が。
      はや十三回になり候。かの祖慶官人に申しつけ野飼いをせさせて候。
      今日も申しつけばやと存じ候。
シカシカ
ワキ 「いかに誰かある。
太刀持「おん前に候。
ワキ 「祖慶官人にいつものごとく牛馬をひき。野飼いにいでよと申し候え。
太刀持「畏って候。いつものごとく牛馬を追い野飼いにいで候えや。

孫子祖有上 唐土船の楫枕。夢路ほどなき。名残かな。
孫子サシ上 これは唐土明州の津に。そんし祖有と申す兄弟の者なり。
孫子祖有上 さてもわが父官人は。ひと年日本の賊船にとらわれ。
      きのうきょうとは思えども。十三回にはやなりぬ。
      あまりに父の恋しさに。いまだこの世にましまさば。
      今一度対面申さんと。
   下歌 思い立つ日を吉日と.船のとも綱.ときはじめ。
   上歌 明州河を.おし渡り。明州河を.おし渡り。海まんまんと分け行けば。
はや日の本もほの見えて。心づくしの果にある。忍びし妻を.松浦潟。
波路はるかに行くほどに。名にのみ聞きし筑紫路や.
箱崎に早く着きにけり.箱崎に早く.着きにけり。

 〇ソンシ詞「急ぎ候ほどに箱崎の地に着きて候。いかに誰かある。
    ソンシ詞「汝は箱崎殿えゆき。某が着きたる由申し候え〇
              シカシカ
舟子 「おん前に候。
ソンシ「この所にて父のおん行くえを尋ねて来たり候え。
舟子 「畏って候。
舟子 「いかに申しあげ候。その由申して候えば。
      こうこう御通りあれとの御事にて候。

ワキ  詞「唐土の人の渡り候か。
孫子 詞「これに候。祖慶官人いまだ存生にて。
      箱崎殿に召し使われ候由承り及びて候に。
      数の宝にかえ伴い帰国すべきために。ただ今このところに参りて候。
ワキ  詞「さん候祖慶官人はいまだ存生にて候。それにおん待ち候え。
      御帰り候わばひき合わせ申そうずるにて候。
              シカシカ
ソンシ「心得申して候。
ワキ 「いかに誰かある。
太刀持「おん前に候。
ワキ 「官人に牛馬を飼わせ候よし兄弟に知らせ候な。
太刀持「心得申して候。やあやあ祖慶官人。今日は子細にある間。
      裏道より御帰り候えや。

シテサシ上 いかにあれなる童ども。野飼いの牛を集めつつ。はやはや家路に急ぐべし。
日本子(二人)かかる業こそもの憂けれ。
シテ  上 よしわれのみか.天の原。
シテ日本子上(二人)たなばたの。たとえにも似ぬ身のわざの。
      牛牽く星の。名ぞしるき。
シテ  上 秋咲く花の野飼いこそ。
シテ日本子上(二人)老のこころの。慰めなれ。
シテ  上 これは唐土明州の津に。祖慶官人と申す者なり。
      われ計らざるに日本に捕らわれ。牛馬をあつかい草刈り笛の。
      高麗唐土をば名にのみ聞きて過ぎし身の。あら故郷恋しや。
    詞「かくて年月を送るほどに二人の子を持つ。
カカル上 また唐土にも二人の子あり。
かれらがことを思う時は。それも恋しくまったこれもいとおしし。
ひとかたならぬ箱崎の。二人の子どもなかりせば。
カカル下 老い木の松は雪折れて.この身の果は.いかならん。

 ( 小謡 あれを見よ ヨリ  おろかなり マデ )

地   上 あれを見よ野飼いの牛の声声に。野飼いの牛の声声に。
      子故にものや思うらん。いわんや人倫においておや。
      わが身ながらも.おろかなり.わが身ながらも.おろかなり。
    いざや家路に帰らん.いざや家路に帰らん。

  ( 連吟 如何に父御よ ヨリ  着きにけり マデ )

日本子ロンギ上 如何に父御よきこしめせ。さて住みたもう唐土に。
      牛馬をば飼うやらん.おん物語り候え。
シテ  上 なかなかなれや唐土の。花山には馬を放ち。
      桃林に牛をつなぐ.これ花の名所なり。
日本子上(二人)さて唐土と日の本は。いずれ勝りの国やらん詳しく語りたまえや。
シテ  上 愚かなりとよ唐土に。日の本をたとうれば。
      ただ今尉がひいて行く。九牛が一毛よ。
日本子上(二人)さほど楽しむ国ならば。痛わしやさこそげに恋しくおぼしめすらめ。
シテ  下 いやとよ方方を。もうけて後は唐衣。帰国のことも思わずと。
地   上 語り慰み行くほどに。嵐の音の少なきは松原や末になりぬらん.
箱崎にはやく着きにけり.箱崎にはやく.着きにけり。
ワキ  詞「いかに祖慶官人。なにとて遅く帰りてあるぞ。
シテ  詞「さん候あまりに多き牛馬にて候えば。
      われら親子して谷谷峰峰追い廻り候ほどに。さて遅く帰りて候。
ワキ  詞「尤もにて候。また官人に尋ぬべきことの候かくさず申すべきか。
シテ  詞「これは今めかしき事を仰せ候うものかな。
      なに事にてもまっすぐ申そうずるにて候。
ワキ  詞「さておことは唐土に兄弟の子を持ちてあるか。
シテ  詞「さん候子を持ちて候。
ワキ  詞「その名をそんしそいうと申すか。
シテ  詞「あらふしぎや。さて名まで何とてご存じにて候ぞ。そんしそいうと申し候。
ワキ  詞「その名をそんしそいうと申すか。
シテ  詞「あら不思議や。何とて知ろしめされ候ぞさように申し候。
ワキ  詞「其の孫子祖有。汝未だ存生の由を聞き。
      数の宝にかえ官人を連れて帰国すべきために。
      ただ今此の所に渡りて候。
シテ  詞「さてその船はいずくにござ候ぞ。
ワキ  詞「こなたへ来たり候え。あれにかかりたる大船こそかの両人の船にて候。
シテ  詞「げにこれは某が船にて候。
ワキ  詞「さらば対面し候え。
シテ  詞「余りに異体に候程に対面はいかがにて候。
ワキ  詞「何の苦しう候べき。急いで対面候え。
シテ  詞「やあいかにあれなるは唐土に残しおきたる兄弟の者か。
ソンシソイウ上 さん候童われらはそんしそいうなり。
シテ  詞「これはそも夢か夢ならば。
ソンシソイウ上 所は箱崎。
シテ  上 明けやせん。

  ( 小謡 春宵一刻 ヨリ  したもうか マデ )

地   上 春宵一刻その値。千金も何ならず.子ほどの宝よもあらじ。
      唐土は心なき。夷の国と聞きつるに。かほどの孝子ありけるよと。
      日本人も随喜せり。とうとや箱崎の神も納受.したもうか。
                シカシカ
ソンシ 上 いかに申し上候。いちだんの追風がおりて候。急ぎお船に召され候え。
シテ  詞「いかに箱崎殿へ申し候。追風がおりて候。御暇たまはり候へ。
ワキ  詞「めでたうやがて御帰国候へ。
日本子 詞「あら悲しやわれをも連れておん入り候え。
シテ  詞「げにげに出船の習いとてはったと忘れてあるぞ此方へ来り候へ。。
ワキ  詞「暫く。祖慶官人の事は力なき事。此の幼き者は。
      此の所にて生まれ相続の者にて候程に。いつまでも相続のものにて候程に。
      いつまでも某が召し使うずるにてあるぞ。こなたへ来たり候え。
日本子(二人)上 あら情なのおん事や。大和なでしこの花だにも。
      同じ種とて唐土の。唐紅に咲く物を。薄くも濃くも花は花。
      情なくこそ候えとよ。
ソンシソイウ上 じこく移りて叶まじ。急ぎお船に召されよと。早とも綱をとくとくと。
シテ  上 呼ぶ子もあれば。
日本子(二人)上 とリ止むる。

  ( 独吟 中に留まる ヨリ  悲しき マデ )

シテ  上 中に留まる.父ひとり。
地   上 たつぎも知らず泣きいたり。身もがな二つ箱崎のうらめしの心づくしや。
      たとえば親の子を思うこと。人倫に限らず。焼け野の雉子夜の鶴。
      梁の燕も。みな子ゆえにぞもの思え。
  クセ下 いわんやわれはさなきだに。明日をも知らぬ老の身の。
      子ゆえに捨てん命は何なかなかに惜しからじと。
シテ  上)今は思えばとにかくに。
地   上 船にも乗るまじ留まるまじと。
      巌にあがりて十念しすでに憂き身を投げんとす。
      唐土や日の本の。子どもは左右にとり付きて。これをいかにと悲しめば。
      さすが心もよわよわとなりぬることぞ.悲しき。
ワキ  詞「よくよくものを案ずるに。物の哀れを知らざるは。
      ただ木石に異らず。かくてかれらを留めおきて。
      親の思いをいかにせん。はやはや子供をとらすなり。
シテ  詞「あまりのことのふしぎさに。さらに真と思われず。
ワキ  詞「こはそも何の疑いぞや。当社八幡もご知見あれ。偽りさらにあるべからず。
シテ  詞「これは真か。
ワキ  詞「なかなかに。

  ( 囃子 ありがたの ヨリ  急ぎける マデ )

地   上 ありがたのおん事や。真に諸天納受して。この子をわれらに。
      与えたもうかありがたや。かくてあまりの嬉しさに。
      時刻をうつさず。暇申して唐人は。船にとり乗りおし出だす。
      喜びのあまりにや。楽を奏し舟子ども。棹のさす手も舞の袖。
      おりから波の鼓の。舞楽につれて。おもしろや。   <楽>

  ( 小謡・仕舞 陸には舞楽に ヨリ  急ぎける マデ )

地 キリ上 陸には舞楽に乗じつつ。陸には舞楽に乗じつつ。
     名残おしてる海面遠く。なりゆくままに。招くも追風.船には舞の。
      袖の羽風も追風とやならん。帆を引きつれて。舟子ども。帆を引きつれて。
      舟子どもは。悦び勇みて。唐土さしてぞ.急ぎける。


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