求 塚(もとめづか)

●あらすじ
西国の僧が摂津生田で会った若葉摘みの女に求塚へ案内してもらう。女は求塚についてしく語ると自分は二人の男の求婚に悩み入水した菟名日処女(うないおとめ)であると乗り、塚の内に消える。回向する僧の前に女の幽霊が現れ苦患を訴える。              
(社)能楽協会

●宝生流謡本(参考)   内十九巻の二  四番目  (太鼓あり)
   季節=春     場所=摂津国生田の里
 素謡(宝生)  :  稽古順=奥伝   素謡時間素謡=66分 
 素謡座席順    ツレ=里 女
            シテ=前・里 女  後・女の霊
            ワキ=旅 僧

●解 説
旅の僧が都に上る途中、生田の里で、若菜摘みの女性に、生田の森、生田の川、求塚などの事を尋ねます。若菜摘みの女性たちは戯れながら帰ってしまいますが、1人残った女性が、求塚のことを語ります。「 昔この所に、菟名日少女と申す女ありしに。また其の頃、小竹田男子、血沼の丈夫と申しし者、かの菟名日少女に心をかけ、同じ日の同じ時、わりなき思ひの玉章を通はす。…」小竹田男子と血沼の丈夫、二人の男に思いを寄せられた菟名日少女は「彼方へ靡かば此方の恨みなるべし…。」と、どちらにも靡かずにいましたが、様々の争いの後、二人の男は生田川の鴛鴦を弓矢で射、二つの矢先は同じ鴛鴦に当りました。菟名日少女は、鴛鴦が死んだ事までも「我故」と思い、「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」、これを最後の言葉に菟名日少女は生田川に身を捨てます。それを取り上げ、塚の土中に籠め、又、二人の男は「何時まで生田川…」何時まで生きる事があろうかと、と刺し違えて死んでしまいました。 これを語るうちに、その女性は、菟名日少女を「私」と言い、二人の男が死んだ事まで「我が利(トガ)」で、たすけ給えと言いながら塚の中に入ってしまいます。 所の者に話を聞き、僧は弔いをしていると、求塚の中より弔いを喜ぶ声が聞こえ、浮かばれていない菟名日少女の亡霊が現れます。小竹田男子と血沼の丈夫、二人の男は、菟名日少女の左右の手を引き、来れ来れと責め、又、鴛鴦は鉄鳥となって、菟名日少女の髪に乗り移り、頭をつつき、髄を食います。菟名日少女は、地獄の鬼に追っ立てられ、「行かんとすれば、前は海、後は火焔、左も右も水火の責めに詰められて」しかたなく柱に縋りつくと、柱は火焔となって燃え上がります。八大地獄の責めを受け、三年三月の苦しみが果てると、鬼も去り火焔も消え、暗闇となります。菟名日少女の亡霊は、元の住処を求め行き、求塚の草の蔭野の露の様に消え失せます。 能「求塚」の前半、菟名日少女は、雪の残る新春に菜摘み女たちに交じり、旅僧に戯言を言いながら、楽しそうに若菜を摘みます。本当ならば幸せな一生を送る筈であったと思います。ひょっとすると、楽しそうに若菜を摘む女たちと自分も一緒にと思って、ひかれるように交じったのでしょうか。 菟名日少女は、「彼方へ靡かば此方の恨みなるべし…。」と考える様な、やさしい少女であった事と思います。己が決断をしなかった事で、また、己にかかる事を受け入れ様とした事で、思いもよらない結果となりました。鴛鴦が命を落とした事も「我故」と考え、自分で自分の命を絶ち、それ故、二人の男まで死んでしまいます。
 「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」生田の川は名のみなりけり。生きるという名前であるのに、生きられなかった…。浮世を渡るという言葉がありますが、生きていく事の難しさを思わずには居られません。菟名日少女、小竹田男子、血沼の丈夫の三人は、神戸の処女塚、その東西にある二つの求塚に、今も浮かばれずにいるのでしょうか。「やさしい」「優柔不断」、「強い」「わがまま」、「中道」「適度」、色々な言葉を改めて考えさせられる思いでおります。
平成18年11月10日 照の会 「求塚」 上田拓司

●謡曲の遺跡
★東求女塚古墳  
東求塚之碑「ひがしもとめづか」と読む、処女塚古墳・西求女塚古墳と同じく能『求塚』ゆかりの古墳です。といっても、西求女塚古墳と処女塚古墳が遺跡公園として整備されているのに対して、東求女塚古墳は明治時代に阪神電車敷設の土取りで取り壊され、現在は碑が残っているのみです。
 その日は阪神本線「住吉」駅から歩いて5分ほど行った公園の中にあります。私が訪れた時も男の子たちが野球をしていて、本当に住宅地の中の児童公園でした。碑の上も小さな女の子がままごとに使っているのか、登ったり下ったりを繰り返し。写真はいなくなった一瞬をパチリと撮りました(笑) ここが古墳であったことはあまり知られていないのか、私がいろいろ写真を撮ったりメモしているのを見て、子どもの母親らしい人が「ここって古墳なんや!」と初めて気付いたようなことを言ってました。 以下、神戸市東灘区が設置した案内板の文章をそのまま載せます。
 東求女塚古墳は、御影塚町の処女塚古墳、灘区都通の西求女古墳とともに『葦屋の菟名負処女』をめぐる悲恋伝説ゆかりの塚として古くから有名です。伝説では、菟名負処女をめぐって争った信太壮士の墓だといわれてますが、実際は、このあたりを支配した豪族の墓であろうと考えられます。
 現在、墳丘の一部は公園の中に残っていますが、墳丘のほとんどは、土取りによってなくなってしまいました。 昭和57年、遊喜幼稚園の園舎改装工事に伴って行われた発掘調査では、前方部の墳丘の裾部と周濠が発見されました。また、公園整備に伴う調査で後円部の裾部も残っていることがわかりました。 これらの調査の結果から、前方部を北西に向けた全長約80mの前方後円墳で、墳丘の斜面には石が葺かれていたことがわかりました。 東求女塚古墳から出土した遺物は、銅鏡・車輪石・剣・玉などで、明治時代の壁土取りの際発見されました。これらの遺物は、現在、東京国立博物館に保管されています。 この古墳の造られた年代は、出土した遺物から、4世紀後半と考えられます。 遊喜幼稚園というのは公園の隣にある幼稚園のことで、前方後円墳の前方部にあたるそうです。ちなみに公園が後円部です。    
(2005/08/12記)「能楽の淵」より抜粋

★西求女塚古墳  
 西求女塚と書いて「にしもとめづか」と読みます。古墳といえば想像するのは丸(円墳)と四角(方墳)が合体した形の前方後円墳ですが、この西求女塚古墳は四角い方墳が二つ繋がった形の前方後方墳です。 大きさは全長97メートル。竪穴式石室から中国製の剣・刀・槍などが出土し、4世紀ごろの神戸地方の有力豪族を葬った墓だと言われています。 前方部に奈良の(一説には卑弥呼の墓ともいわれる)箸墓古墳と同じ形式を持つことから、この地方最古の古墳であろうとも。実際に卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡も出土しています。 この西求女塚古墳は、東にある処女塚古墳を挟んで東求女塚古墳とほぼ等間隔で並んでいます。その位置関係からある悲哀物語が生まれています。古くは『万葉集』に記され『大和物語』を経て、能『求塚』に到ります。
 昔、小竹田男(ささだおのこ)と血沼丈夫(ちぬのますらお)という二人の青年が菟名日処女(うないのおとめ)に恋をして、二人は同時に恋文を送りました。女はどちらにも靡かず、生田川のオシドリを射当てた人に従うと答えますが、すると二人の矢は同時に鳥を射止めます。女は悩み抜いて川に身を投げ、その遺体は塚に築きこめられました。その後、男たちも互いに刺し違えて死んだという…。 彼ら三人を葬った墓が処女塚と東西の求女塚の古墳だと言われています。古墳の上にある案内板には、『万葉集』にある男を悼んだ歌が書かれていました。
語りつぐからにもここだ 恋しきを
            ただ目に見けむ古壮士(いにしへおとこ)
 …実際にはこれら三つの古墳の造成年代はかなり異なり、それほどの関連性は認められないのだそうですが、古墳にそういう伝説を重ね合わせた過去の日本人に思いを馳せてみてもいいかもしれません。                     
 (2004/06/17記)「能楽の淵」より抜粋

(平成24年4月20日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                   求  塚  (もとめつか)

1193      求 塚 (もとめつか)
      季 春      所 摂津国生田の里     素謡時間 六十三分
  【分類】四番目 億伝
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】前シテ:里の女、後シテ:女の霊  ツレ:里の女、 ワキ:旅僧

         詞 章                  (胡山文庫)

ワキ  次第上 ひなの長路の旅衣。/\都にいざや急がん。
ワキ    詞「これは西国方より出でたる僧にて候。我いまだ都を見ず候ふ程に。
        唯今都に上り候。
    道行上 旅衣 八重の塩路の浦伝ひ。/\。舟にても行く旅の道海山かけてはる%\と。
        明し暮して行く程に。名にのみ聞きし津の国の。生田の里に着きにけり/\。
シテツレ一セイ上 若菜摘む。生田の小野の朝風に。なほ冴え返る。袂かな。
ツレ    上 木の芽も春も淡雪に。
シテツレ  上 杜の下草。なほ寒し。
シテ  サシ上 深山には松の雪だに消えなくに。
シテツレ  上 都は野辺の若菜摘む。頃にも今やなりぬらん。思ひやるこそ床しけれ。
シテ    上 こゝはまたもとより所もあまざかる。
シテツレ  上 ひな人なれば自ら。うきも命のいく田の海の。身の限にてうきわざの。
        春としもなき小野に出でて。
     下歌 若菜摘むいく里人の跡ならん雪間あまたに野は成りぬ。
     上歌 道なしとてもふみ分けて。
ツレ    上 道なしとてもふみ分けて。
シテツレ  上 野沢の若菜けふつまん。雪間を待つならば若菜も若しや老いもせん。
        嵐吹く森の木蔭小野の雪もなほ冴えて。
        春としも七草の生田の若菜摘まうよ生田の若菜摘まうよ。
ワキ    詞「いかにこれなる人に尋ね申すべき事の候。生田とは此あたりを申し候ふか。
ツレ カカル上 生田と知し召したる上は。御尋までも候ふまじ。
シテ    上 処処の有様にも。などかは御覧じ知らざらん。
      詞「先は生田の名にしおふ。これに故有る林をば。生田の森と知し召さずや。
ツレ カカル上 また今渡り給へるは。名に流れたる生田川。
シテ    詞「水の緑も春浅き。雪間の若菜摘む野べに。
ツレ カカル上 すくなき草の原ならば。小野とはなどやしろしめされぬぞ。
シテツレ  上 三吉野志賀の山桜。立田初瀬の紅葉をば。歌人の家に知るなれば。
        処に住める者なればとて。生田の森とも林とも。知らぬ事をな宣ひそよ。
ワキ カカル上 げに目前の処々。森を始めて海川の。霞み渡れる小野の景色。
      詞「実にも生田の名にしおへる。さて求塚とは何処ぞや。
シテ    詞「求塚とは名には聞けども。真はいづくの程やらん。わらはも更に知らぬなり。
ツレ カカル上 なう/\旅人よしなき事をな宣ひそ。わらはも若菜を摘む暇。
シテ    上 御身もいそぎの旅なるに。何しに休らひ給ふらん。
シテツレ  上 されば古き歌にも。
地     下 旅人の道さまたげに摘む物は。生田の小野の若菜なりよしなや何を問ひ給ふ。
      上 春日野の。飛火の野守出でてみよ。/\。若菜つまんも程あらじ。
        其如く旅人も。急がせ給ふ都を今幾日ありて御覧ぜん。
        君が為春の野に出でて若菜つむ。衣手寒し消え残る。
        雪ながら摘まうよ淡雪ながら摘まうよ。
      下 沢辺なるひこりは薄く残れども。水の深芹かき分けて青緑色ながらいさや。
        摘まうよ色ながらいさや摘まうよ。
地  ロンギ上 まだ初春の若菜にはさのみに種はいかならん。
シテ    上 春立ちて朝の原の雪見れば。まだ古年の心地して。
        ことし生は少なしふるはの若菜つまうよ。
地     上 古葉なれどもさすがまた。年若草の種なれや。心せよ春の野辺。
シテ    下 春の野に/\。菫つみにと来し人の。若菜の名や摘みし。
地     上 げにやゆかりの名をとめて。妹背の橋も中絶えし。
シテ    下 佐野の茎立わか立ちて。
地     上 緑の色も名にぞそむ。
シテ    上 長安の薺。
地     上 からなづな。白み草も有明の。雪に紛れて摘みかぬるまで春寒き。
        小野の朝風また森の下枝松たれて。何れを春とは白波の。
        河風邪までも冴返り。
        吹かるゝ袂もなほ寒し。摘み残して帰らんわかな摘みのこし帰らん。
ワキ    詞「いかに申すべき事の候。若菜つむ女性は。皆々帰り給ふに。
        何とて御身一人残り給ふぞ。
シテ    詞「さきに御尋ね候求塚を教へ申し候はん。
ワキ    詞「それこそ望にて候御教へ候へ。
シテ    詞「こなたへ御入り候へ。これこそ求塚にて候へ。
ワキ    詞「さて求塚とは。何と申したる謂にて候ふぞ。委しく御物語り候へ。
シテ    詞「さらば語つて聞せ申し候ふべし。昔此処にうなゐ乙女のありしに。
        又その頃さゝだ男。ちぬのますらをと申しゝ者。かのうなゐに心をかけ。
        同じ日の同じ時に。わりなき思の玉章を贈る。彼の女思ふやう。
        一人になびかば一人の恨深かるべしと。左右なうなび?く事もなかりしが。
        あの生田川の水鳥をさへ。二人の矢さきもろともに。一つの翅に中りしかば。
   カカル下 其時わらは思ふやう。無慙やなさしも契は深緑。水鳥までも我ゆゑに。
        さこそ命はをし鳥の。つがひ去りにしあはれさよ。
        住みわびつ我が身捨てゝん津の国の。生田の川は名のみなりけりと。
地     上 これを最期の詞にて。/\。此河波に沈みしを。
        取り上げて此塚の土中に籠め納めしに。
        二人の男は此塚に求め来りつゝ。いつまで生田川流るゝ水に夕汐の。
        さし違へて空しくなれば。それさへ我が科に。
        なる身を助け給へとて塚の中に入りにけり塚の中にぞ入りにける。
                中入
ワキ  待謡上 一夜臥す 牡鹿の角の塚の草。/\蔭より見えし亡魂を。弔ふ法の声たてゝ。
        南無幽霊成等正覚。出離生死頓証菩提。
後シテ   上 おう廣野人稀なり野人稀なり。わが古墳ならで又何者ぞ。
        骸を争ふ猛獣は。去つて又残る。塚を守る飛魄は松風に飛び。
        電光朝露なほ以て眼にあり。古墳多くは少年の人。生田の名にも似ぬ命。
地     上 去つて久しき故郷の人の。
シテ    上 御法の声は有難や。
地     上 あら閻浮恋しや。
地     上 されば人 一日一夜をふるにだに。/\。八億四千の思あり。況んや我等は。
        去りにし跡も久方の。天の御門の御代より。今は後の堀川の御宇にあはゞ我も。
        二たび世にも帰れかし。いつまで草の蔭。
        苔の下には埋れんさらば埋れも果てずして。
        苦は身をやく火宅の住家御覧ぜよ火宅の住家御覧ぜよ。
ワキ    下 あら痛はしの御有様やな。一念ひるがへせば。無量の罪をも遁るべし。
     下二 種々諸悪地獄鬼畜生。生老病苦以漸悉令滅。
      上 はやはや浮び給へ。
シテ    下 ありがたやこの苦の隙なきに。御法の声の耳にふれて。大焦熱の煙の中に。
        晴間の少し見ゆるぞや。ありがたや。
      詞「恐ろしやお事は誰そ。何さゝだ男の亡心とや。又此方なるはちぬのますらを。
        左右の手を取つて。来れ/\と責むれども。
      下 三界
      詞「火宅の住家をば。何と力に出づべきぞ。又恐ろしや飛魄飛び去る目の前に。
        来るを見れば鴛鴦の。鉄鳥となつて黒鉄の。
      下 嘴足剣の如くなるが。首をつゝき髄を喰ふ。
        こはそも妾がなせる科かや。恨めしや。
      詞「なう御僧此苦をば。何とか助け給ふべき。
ワキ カカル上 実に苦の時来ると。云ひもあへねば塚の上に。火焔一群飛び覆ひて。
シテ    上 光は飛魄の鬼と成つて。
ワキ    上 笞をふり上げ追立つれば。
シテ    上 行かんとすれば前は海。
ワキ    上 後は火焔。
シテ    上 左も。
ワキ    上 右も。
シテ    上 水火の責に詰められて。
ワキ    上 せん方なくて。
シテ    上 火宅の柱に。
地     上 すがりつき取りつけば。柱は則ち火焔と成つて。
        火の柱を抱くぞとよあらあつや。
        堪へがたや五体はおき火の。黒煙と成りたるぞや。
シテ    下 而して起上れば。
地     下 而して起上れば。獄卒は笞を当てゝ。追立つればたゞよひ出でて。
        八大地獄の数々苦を尽し御前にて。懺悔の有様見せ申さん先等活黒縄衆合。
        叫喚大叫喚。炎熱極熱無間の底に。足上頭下と落つる間は。
        三年三月の苦果てゝ。
        少し苦患の隙かと思へば。鬼も去り。火焔も消えて。くら闇となりぬれば。
        今は火宅に帰らんと。ありつる住家はいづくぞと。暗さは暗しあなたを尋ね。
        こなたを求塚いづくやらんと求め/\辿り行けば。求め得たりや求塚の。
        草の蔭野の露消えて草のかげ野の露きえ/\と。
      亡者のかたちは失せにけり/\。


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