雲林院 (うんりんいん)

●あらすじ
津の国芦屋の里に住む公光は、幼少の頃から「伊勢物語」を愛読していました。或る夜の不思議な夢に導かれて雲林院を訪ねると折しも花の盛りと桜が咲きみだれています。夢に見たままの美しさに一枝手折ろうとすると、どこからともなく由ありげな老人が現れてそれを咎めます。二人は桜を詠んだ古歌をひいて花を折ることの是非を争いますが、結局お互いの風流心を認めて仲直りします。公光が霊夢によって都へ来た由を告げると、老翁は我こそが在原業平であるとほのめかして夕霞にまぎれます。やがて天中に月は昇り、花の木陰で仮寝をする公光の夢に殿上人姿の業平が現れます。伊勢物語に伝わる業平と二条の后の恋を物語り、更に昔を偲んで雅やかに舞を舞いますが、いつしか公光の夢もさめて業平の姿は消えて行きます。     
 (「宝生の能」平成11年4月号より)

●宝生流謡本     内十三巻の四      三番目  (太鼓なし)
   季節=春  場所=武蔵国隅田川  作者=世阿弥の長男元雅の作品
   素謡(宝生)  : 稽古順=初伝の序  素謡時間=45分
   謡座席順   シテ=前老翁・後在原業平
            ワキ=芦屋公光

●解 説  雲林院    
京都大徳寺の南にあった天台宗の大寺。 能の演目。三番目物の美男物。雲林院 (能)を参照。
 雲林院(うりんいん)は、かつて京都大徳寺の南(現在の京都市北区紫野)にあった天台宗の大寺。のちに、なまって「うじい」とも。 もとは、淳和天皇の離宮紫野院であったが、その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に賜った。869年(貞観11年)親王が亡くなった後、僧正遍昭に譲られ、884年(元慶8年)、遍昭はこれを花山元慶寺の別院とし、年分度者3人を与えられて天台教学を専攻させた。その後、鎌倉時代までは天台宗の官寺として栄え、菩提講・桜花・紅葉で有名であった。雲林院は、「今昔物語集」、「大鏡」の舞台となり、また「古今和歌集」以下の歌集で歌の名所であった。在原業平が「伊勢物語」の筋を夢で語る謡曲「雲林院」にもなったが、時とともに寺運が衰えた。 1324年(正中元年)復興され大徳寺付属の寺となり、以後禅宗の寺となったが、応仁の乱(1467年−1477年)の兵火により廃絶してしまった。
 現在は、地名として雲林院の名が残り、また堂宇としてわずかに観音堂が残るのみである。

●謡曲「雲林院」と雲林院
 謡曲「雲林院」の概要は、摂津の国芦屋の在原公光は、幼少の頃から伊勢物語の心酔者であった。或夜、京都紫野雲林院で在原業平と二條后とが伊勢物語を持って佇んでいる夢を見たので不思議に思い雲林院まで来た。老翁のすすめで木蔭に伏して寝ていると、やがて業平の霊が現れて伊勢物語の秘事(恋愛の事)を語り、その時の思い出に折からの桜月夜に興じて舞の袖をひるがえすうちに夜も明けて公光の夢は覚めたのであった。という風雅な情緒ある物語である。
 雲林院はもと淳和天皇の離宮であった。後に僧正遍昭が奏して元慶寺別院として著名な大伽藍であったが、南北朝の頃から荒廃、後醍醐天皇の御代 其敷地を大灯国史に賜り大徳寺の発祥の地となった。然し現在は観音堂と当寺だけの物淋しいたたずまいである。

●謡蹟めぐり 
雲林院   京都市北区紫野雲林院町  
(平6・9高橋春雄氏記)
雲林院は初め紫野院といい、淳和天皇(53代)の離宮であった。光孝天皇の仁和2年僧正遍昭(百人一首の 天津風雲の通ひ路吹きとじよ 乙女の姿しばし留めん で有名)が勅許を得て元慶寺の別院とした寺で、今の大徳寺から南方に広い寺域を占めていた。後醍醐天皇の御代、雲林院は荒廃し、その敷地を宗峰妙超(現大徳寺開山である)に賜わった。すなわち大徳寺の前身であり大徳寺の発祥の地である。今は昔の面影もなく観音堂一宇が残り、観世音菩薩を本尊とし法灯をついでいる。私も初めは雲林院といえばかなり大きなお寺を想像していたが、実際に訪ねてみると小さなお堂が一つあるだけである。本曲にあるように公光が訪ね上って咲き乱れる花を手折ろうとしても花を植えるスペースもないほどの狭さである。この物語が書かれた頃は今の大徳寺あたりも含めて広いところだったようだ。京都の業平邸は雲林院からはだいぶ遠くなるが、京都御所の南、御池通り東洞院南角あたりとのことで、二条の后の邸もすぐ隣であったという。

芦屋市の謡蹟              兵庫県芦屋市  
(平5.4高橋春雄氏記)
ワキの公光は芦屋の里に住んでいて、幼少の時から伊勢物語を好んでいた。ある夜不思議にも紅の袴をつけた女性と束帯した在原業平とが、雲林院の花陰に伊勢物語の草紙を持ってたたづんでいる夢をみて都に上ったのである。芦屋には業平も住んでいたことがあり、市民会館の場所に業平別荘の址があるというので訪ねた。芦屋市は阪神地区の高級住宅地として知られ、街のまんなかを芦屋川が流れその両岸にうつくしい町並みや公園が続いている。市民会館は分かったが、別荘址とは確認できなかった。それでも、公光(きんみつ)の名をとった公光橋や、業平の名をとった業平橋や業平という地名を見つけることができた。業平の父、阿保親王の陵、親王塚もある由だが、見逃してしまった。この高級住宅地に二人が住んでいたと思うと、芦屋市も急に身近なものに感じられてきた。芦屋川に沿って河口まで歩いてみる。広い松林の公園の中を歩いてゆくと、「鵺」にゆかりの「ぬえ塚」があった。

●在原業平(ありわら の なりひら)    
在原業平、(825-880)は平安時代初期の貴族。従四位上・蔵人頭・右中将。歌人であり、六歌仙、三十六歌仙のひとり。また伊勢物語の主人公とみなされている。 父は平城天皇(51代)第一皇子の阿保親王、母伊都内親王は桓武天皇(50代)の皇女で、業平は父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。血筋からすれば天皇家の嫡流ともいえるが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり臣籍降下して兄行平らとともに在原氏を名乗る。 仁明天皇(54代)の蔵人となり、嘉祥2年(849年)従五位下に進むが、文徳天皇(55代)の代になると13年に渡って昇進がとまり不遇な時期を過ごした。清和天皇(56代)のもとで再び昇進し、従五位上に序せられ、右馬頭、右近衛権中将、蔵人頭に進んだ。文徳天皇の皇子惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどした。鷹狩に執着した桓武天皇の子孫だけあり、兄行平ともども鷹狩の名手であったと伝えられる。 紀有常女(惟喬親王の従姉にあたる)を妻とし、紀氏と交流があった。子の棟梁、滋春、棟梁の子・元方はみな歌人として知られる。業平は『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘」と記され、美男の代名詞のようにいわれる。早くから『伊勢物語』の主人公の、いわゆる「昔男」と同一視されている。ちなみに伊勢物語では、二条后こと藤原高子や惟喬親王の妹である伊勢斎宮恬子内親王などとの禁忌の恋が語られている。
 なお、恬子内親王との間には密通によって高階茂範の養子・師尚が生まれたという説があり、以後高階氏は業平の子孫ではと噂された。 歌人としては『古今和歌集』に30首が入集している。
代表歌
在原業平「世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからまし 」
      「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くゝるとは 」

(平成21年4月17日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


          雲 林 院 (うんりんいん)

     雲 林 院   内十八巻の五  四・五番目 略三番目    (太鼓あり)
      季 春   処 京都紫野雲林院
【分類】四五番目物 (略三番目)
【作者】世阿弥元清   典拠 伊勢物語による。
【登場人者】前シテ:老翁 後シテ:在原業平 ワキ:蘆屋光公

   詞章                                   (胡山文庫)

  次第
ワキ    上 藤咲く松も紫の。/\。雲林院を尋ねん。
ワキ    詞「是は津の国蘆屋の里に。光公と申す者にて候。
         我幼かりし頃よりも。伊勢物語を手馴れ候処に。
         ある夜ふしぎなる霊夢を蒙りて候程に。
         唯今都の上らばやと存じ候。
    サシ上 花の薪に開くる日初陽潤えり。鳥の老いて帰るとき。
         薄暮くもれる春の夜の。時の都に急ぐなり
ワキ   下歌 蘆屋の里を立ち出でて われは東(ひがし)に赴けば。
         名残の月の西の海 潮の蛭子の浦遠し 潮の蛭子の浦遠し
     上歌 松陰に 煙を被く尼が崎 煙を被く尼が崎 。/\。
         暮れて見えたる漁火の あたりを問へば難波津に。
         咲くや木の花冬ごもり。今は現(うつつ)に都路の。
         遠かりし 程は桜にまぎれある。雲の林に着きにけり
         雲の林に着きにけり  
ワキ カカル上 遙かに人家を見て花あれば即ち入るなればと。
         木陰に立ち寄り花を折れば 
シテ    詞「誰(た)そやう花折るは。今日(けふ)は朝(あした)の霞(かすみ)消えしままに。
         夕(イふべ)の空は春の夜の。殊にのどかに眺めやる。
         嵐の山は名にこそ聞け」
      下 まことの風は吹かぬに、
      詞「花を散らすは鶯の、羽風(はかぜ)に落つるか松の響きか人か」
   カカル上 それかあらぬか木(こ)の下風(したかぜ)か。。
         あら心もとなと散らしつる花や。
シテ    詞「や。さればこそ人の候。落花狼藉の人そこ退(の)き給へ。
ワキ    詞「それ花は乞ふも盗むも心あり。とても散るべき花な惜しみ給ひそ。
シテ    詞「とても散るべき花なれども、花に憂きは嵐。
   カカル上 それも花ばかりをこそ散らせ、おことは枝ながら手折(たを)れば。
        風よりもなほ憂き人よ」。
ワキ    詞「何とて素性法師(そせいほふし)、見てのみや人に語らん桜花、」
   カカル上 手ごとに折りて家苞(いえづと)にせんと詠みけるぞ。
シテ    詞「そやうに詠むもありまたある歌に」
      下 春風は花のあたりをよぎりて吹け、
      詞「心づからや移ろふと見ん。
        げにや春の夜(よ)の一時(ひととき)を、千金(せんきん)に代へじとは。
        花に清香(せいきやう)月に陰、千顆万顆(せんくわばんくわ)の玉よりも。
        宝と思ふこの花を」
   カカル上 折らせ申すことは候ふまじ。
ワキ    上 げにげにこれは御理り。花物云わぬ色なれば。人にて花をこい衣。
シテ    詞「形容激して影唇を動かせば。
   カカル上 我は申さずとも
ワキ     上 はなも惜しきと
シテ    上 いいつべし

    (小謡 げに枝を カラ  都ぞ春の錦なる マデ)

地     上 げに枝を惜しむはまた春のため、手折(たお)るは。見ぬ人のため、
        惜しむも乞ふも情あり。二つの色の争ひ柳桜(やなぎさくら)をこき交ぜて、
        都ぞ春の錦なる、都ぞ春の錦なる。
シテ    詞「いかに旅人、御身はいづかたより来たり給ふぞ」
ワキ    詞「これは津の国蘆屋(あしや)の里に、公光(きんみつ)と申す者にて候ふが、
        われ、幼(いとけな)かりし頃よりも、伊勢物語を手馴れ候ふところに、
        ある夜(よ)の夢に、とある花の陰よりも、
        紅(くれない)の袴(はかま)召されたる女性(にょしょう)、
        そくたひ給へる男(おのこ)、
        伊勢物語の草子(そうし)を持ちたたずみ給ふを、
        あたりにありつる翁(おきな)に問へば、あれこそ伊勢物語の根本、
        在中将業平、女性は二条(にでう)の后(きさき)、
        所は都北山陰、紫野雲(むらさきのくも)の林と語ると見て夢覚めぬ。
        あまりにあらたなる事にて候程に。これまで参りて候。
シテ    詞「さては御身(おんみ)の心を感じつつ、伊勢物語を授けんとなり。
        今宵(こよひ)はここに臥し給ひ、別れし夢を待ち給へ。
ワキ カカル上 嬉しやさらば木の下に。袖を片敷き臥して見ん。 
シテ    詞「其の花衣を重ねつつ。また寝の夢を待ち給はば。などかしるしのなかるべし
ワキ    詞「かように委しく教え給う。御身はいかなる人やらん
シテ    詞「其の様年の昔男となど知らぬ
ワキ カカル上 さては業平にてましますか
シテ    上 いや
地     上 我が名を何と夕映えの。/\。花をし思う心故木隠れの月にあらはれぬ。
        真に昔を恋衣一枝の花の陰に寐て。我が有様を見給はば。
        その時不審を晴らさんと。夕べの空の一霞みおもほえずこそなりにけり/\
             中入り
後ワキ 待謡上 いざさらば、木陰の月に臥して見ん、木陰の月に臥して見ん、
        暮れなばなげの花衣、袖を片敷き臥しにけり。/\。
後シテ   下 月やあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが身一つは、もとの身にして。
ワキ カカル上 ふしぎやな雲の上人におやかに。花に移ろいあらはれ給うは。
        如何なる人にてましますぞ
シテ    詞「今は名におか包むべき。昔男の古へを。片乱為に来たりたり
ワキ カカル上 さらば夢中に伊勢物語の。其の品々を語り給へ
シテ    詞「いでいでさらば語らんと
   カカル上 花の嵐も声添えて
ワキ    上 其の品々を
シテ    上 語りけり
    クリ上 抑もこの物語は。如何なる人の何事によつて。
地     上 思いの露を染めけるぞと。いいけんことも。理りなり

    (独吟 まづは弘微殿の カラ  迷い行く マデ)
    (囃子 まづは弘微殿の カラ  夢となりにけり マデ)

シテ  サシ上 まづは弘微殿の細殿に。人目を深く忍び
地     下 心の下簾のつれづれと人は佇めば。我も花に心を染みて。
        共にあこがれ立ち出でる
    クセ下 二月や。まだ宵なれど月は入り。我等は出づる恋路かな。抑も日の本の。
        中に名所と言うことは。我が大内にありかの遍昭がつらねし。
        花の散り積る芥川を打ち渡り。思い知らずも迷い行く。
        かづける衣は紅葉がさね。緋の袴ふみしたき。誘い出づるやまめ男。
        紫の一元結いの藤袴。しをるる裾をかい取って
シテ    上 信濃路や
地     上 園原しげる木賊色の。狩衣の袂を冠の巾子(コジ)にうちかづき。
        忍び出づるや二月(キサラギ)の。たそがれ月もはや入りて。
        いとど朧夜に。降るは春雨か。落つるは涙かと。袖打ち払い裾をとり。
        しを/\すご/\と。たどり/\も迷い行く
シテ    下 思い出でたり夜遊の曲
地     上 返す真袖を。月や知る

    (仕舞 夜遊の舞楽も カラ  夢となりにけり マデ)

    キリ上 夜遊の舞楽も時移れば。/\。名残の月も山藍の羽袖。
        返すや夢の告げの枕。この物語。語るも尽きじ
シテ    下 松の葉の散り失せず
地     下 松の葉の散り失せず。末の世までも情知る。言の葉草のかりそめに。
        かくあらはせる古への。伊勢物語。
        語る夜もすがら 覚むる夢となりにけるや覚むる夢となりにけり 


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