宝生流謡曲 「錦 木」

●あらすじ
 諸国一見の僧。陸奥狭布の里で錦木売りの夫婦と出会う。二人は求婚する男が女の家の門辺に錦木を立てて女がそれを取り入れれば承諾の証と語り、3年間錦木を立て続けて思い叶わず、死んだ男の塚を錦塚と教え姿を消す。 夜もすがら僧が弔っていると二人の幽霊が現れ、男が錦木を立て続けた様子を見せ、仏果を得た喜びの舞を舞い、夜明けと共に消え失せる。

●宝生流謡本      内十八巻の四     四番目(太鼓あり)
    季節=秋    場所=陸奥国狹布の里      作者=世阿弥
    素謡稽古順=入門   素謡時間=54分 
    素謡座席順   ツレ 里  女
              シテ 前・里男 後・錦塚の男
              ワキ 旅  僧

●解 説
能 錦木(にしきぎ)
 【分類】四番目物 (雑能) 【作者】世阿弥  【主人公】前シテ:男、後シテ:男の亡霊
諸国一見の僧が、従僧と共に陸奥国狭夫の里(秋田県)にやって来ます。そこへ錦木を手にした里の男と細布を持った女が現れて、恋の思いを懐かしんで語ります。僧が二人の売り物を不審に思い、その謂れを尋ねると、二人は名物についての歌物語を語ります。さらに僧が詳しい話を所望すると、男が、この地方には、恋した女の家の門に錦木を立て、女がその錦木を家に取り入れれば、男の思いがかなったしるしという風習があるが、3年間錦木を立てるために女の家に通ったものの、思いを遂げることなく死んだ男の塚があり、それが錦塚と呼ばれていると話します。そして、二人で僧をその塚に案内し、塚の中に消えてしまいます。  <中入>
僧は里の者に錦塚の謂れを聞き、塚の前で仏事を始めます。すると、女の亡霊が現れて、僧の読経を感謝します。続いて、男の亡霊も塚の中から感謝の言葉を述べ、僧の前に姿を現します。塚の中で昔が再現され、男の亡霊は、機を織る女に3年間錦木を立て続けた恋の苦悩を物語ります。女の亡霊が、今度は男の求婚を受け入れます。男の亡霊は喜びの舞を舞います。朝になると野中に塚が残っていた。

□錦木塚     位置情報 北緯40度15分16.9秒東経140度46分4.0秒
錦木塚錦木塚(にしきぎづか)は、秋田県鹿角市十和田錦木地区にある塚。能や謡曲の「錦木」、また能因法師の歌「錦木はたてなからこそ朽にけれ けふの細布むねあはしとや」などの歌枕「錦木塚」として全国に知られている。世阿弥の謡曲「錦木」によって世に広がった。近世ではこの地は「歌枕の地」とされており、菅江真澄や古川古松軒および松浦武四郎がそれを記録しているほか、幕府巡見使がここに巡見所を設け、地元民に塚の縁起を聞き、細布の献上をしている。石川啄木も金田一京助から錦木塚の伝説を聞き、この地に足を運び、「鹿角の国を懐う歌」をつくり歌っている。また、長詩「錦木塚」を雑誌明星に発表している。塚は現在小公園の隅にあり、菅江真澄が犬の伏せた形と表現した大きな置き石がある。公園内には錦木地区市民センターがあり、そこには資料室が設けられている。この地を訪れた古人や、細布の現物などが展示されている。
伝承=昔、鹿角が狭布(きょう)の里と呼ばれていた頃、大海(おおみ)という人に政子姫というたいへん美しい娘がいた。東に2里ほど離れた大湯草木集落(三湖伝説の八郎太郎もこの地が出身だと言われている)の里長の子に錦木を売り買いしている黒沢万寿(まんじゅ)という若者がいて、娘の姿に心を動かされた。若者は、錦木を1束娘の家の門に立てた。錦木は5種の木の枝を1尺あまりに切って1束にしたもので、5色の彩りの美しいものであった。この土地では、求婚の為に女性の住む家の門に錦木を立て、女性がそれを受け取ると、男の思いがかなった印になるという風習があった。若者は来る日も来る日も錦木を立てて、3年3ヶ月ほどたったところ、錦木は千束にもなった。政子姫は若者を愛するようになった。政子姫は五の宮岳に住む子どもをさらうという大鷲よけに、鳥の羽を混ぜた布を織っていた。これができあがって、喜びにふるえながら錦木を取ろうとすると、父はゆるさぬの一言で取ることを禁じた。若者は落胆のあまり死亡し、まもなく、政子姫も若者の後を追った。父の大海は嘆き悲しみ、2人を千本の錦木と共に手厚く葬ったという。

□福島県の錦木塚
錦木塚の古墳が福島県に現存する。(所在地=伊達郡桑折町大字伊達崎字錦塚 9) 七世紀初に築造されたものと言われている。福島県の信夫・伊達地方は、古くから養蚕業が盛んで、生繭・製糸や絹織物が生産されていた。今は養蚕地帯が、桃・りんご・梨・ぶどう等果物の産地に変わりました。伊達郡川俣町では、今でも軽目羽二重が生産されております。その製品は品質が良いと有名です。 同じく世阿弥元清の作で、能楽「通小町」の小野小町に、深草少将が、百夜通いの伝説は「錦木」の言い伝へが、関係しているのではないだろうか。 伊達郡桑折町は、奥州藤原氏と源頼朝の争いの奥州合戦で功のあった、常陸入道念西がこの地を賜り、伊達氏を名乗ったのが伊達家の始まりで、居城を築いた西山城跡がある。15代晴宗のとき、将軍足利義輝の命で(1548年)米沢城に移るまで、約360年間この地を拠点して勢力を拡大していったと言う。   小原隆夫 記

□世阿弥の錦木
ある僧が、従僧と共に狭夫の里にやって来る。そこへ錦木を手にした里の男と細布を持った女の幽霊が現れ、錦塚のいわれを説明し、塚の中に消える。里の者にいわれを聞いた僧は、塚の前で読経をすると、2人の幽霊が次々に現れ、感謝を述べて、今度は女は男の求婚を受け入れ、男の幽霊は感謝の舞を踊る。朝になると、そこには塚があるだけだった。 ただ、伝承も謡曲も小野小町と深草少将との百夜通いの逸話と異口同音であり、袖中抄などから創作されたものと考えられている。

●大鼓の稽古『錦木』  2005.05.11
 大鼓の稽古日でした。今回の曲は『錦木』。 「錦木」とは五色に彩った木のこと。男が恋する女の家の戸口に夜ごとに一本ずつ立ててゆき、女は同意するときこれを中にしまう、という風習が昔、東北地方にあったと言われています。本当かどうかは分からないのですが。 能『錦木』の場合は、それを女が取り入れてくれないので3年もの間、錦木を立て続けて、そして死んでしまったという男が主役。この曲、私、大好きなんです。『錦木』とか『通小町』とか、恋の実らなかった男の執心を描いた能って大好きで。 お稽古を受けたのは、男女の亡霊が現れる後半。男が三年も錦木を立てながら恋が実らなかった恨みを述べるものの、僧侶の回向によって今宵望みがかなったと喜びの舞を舞い、朝の野中に消えていく部分です。 曲の仕組みとしては、前の『松虫』と並んでややこしい曲でした。でも抑揚が強くてややこしいと思うクセを必死に覚えて、舞の後は「だいたい」で覚えて行ったら、クセはほぼ完璧に打ちながら、最後のキリで何度もつっかえました(汗) 稽古はいつも懸命にしなきゃ…どこだって手を抜いてはダメですね。 キリは大ノリの謡ですし、ただめでたく終わるだけだからと、正直少し舐めていたのですが、よく見ると恋が成就してめでたいという終わり方ではないのです。本当にめでたいのは舞の前後だけで、その後には「影恥づかしや。恥づかしや。あさまにやなりなん」「夢も破れて」とあります。なにか憂いを帯びたような結末。 それに併せて謡の調子も微妙に変化しますし、普通は打たないような手が並んでいます。大鼓はこうやって、情緒を出すんだな、と改めて感じさせられました。結局、シテは成就してもまた、ややこしい恋の妄執の内に沈んでしまったのか…そんなことを感じました。 ちなみに大倉流宗家では『錦木』は禁曲だそうで、打たれないそうですね。弟子家に習っているからこそ、お稽古できます。大好きな曲なので大切にお稽古させていただきました。  (後略)

                              
(平成24年2月17日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


 ◎この能は、世阿弥元清の作で、謡曲にでてくる、錦木塚の古墳が、福島県に現存する。(所在地=伊達郡桑折町大字伊達崎字錦塚 9) 七世紀初に築造されたものと言われてる。福島県の信夫・伊達地方は、古くから養蚕業が盛んで、生繭・製糸や絹織物が生産されていた。今は養蚕地帯が、桃・りんご・梨・ぶどう等果物の産地に変わりました。伊達郡川俣町では、今でも軽目羽二重が生産されております。その製品は品質が良いと有名です。
 同じく世阿弥元清の作で、能楽「通小町」の小野小町に、深草少将が、百夜通いの伝説は「錦木」の言い伝へが、関係しているのではないだろうか。
 伊達郡桑折町は、奥州藤原氏と源頼朝の争いの奥州合戦で功のあった、常陸入道念西がこの地を賜り、伊達氏を名乗ったのが伊達家の始まりで、居城を築いた西山城跡がある。15代晴宗のとき、将軍足利義輝の命で(1548年)米沢城に移るまで、約360年間この地を拠点して勢力を拡大していったと言う。

     錦  木
                  四番目(太鼓あり)    
        シテ 前・里男  後・錦塚の男          季 秋
        ワキ 旅  僧                    所 陸奥国狹布の里 
        ツレ 里  女


ワキ 次第  げにや聞きてもしのぶ山。げにや聞きても信夫山。其通ひ路を尋ねん。
         「是は諸国一見の 僧にて候。我未だ東国を 見ず候程に。
         この度思い立ち陸奥の果てまでも修行せばやと 思い候。」 
         いづくにも心とめじと行く雲の。いづくにも心とめじと行く雲の。
         旗手も見えて夕暮れの空もかさなる旅衣。おくわそなたか陸奥の。狹布の里にも着きにけり。
         狹布の里にも着きにけり。
シテツレ次第  狹布の細布織りおりの 狹布の細布織りおりの錦木や名たてなるらん
シテ      陸奥の忍ぶもぢずり誰故に 乱れそめにし我からと 藻にすむ蟲の音になきて
シテツレ    いつまで草のおいつかきて 思いをほさん衣手の 森の下露おきもせず 
        寝もせで夜半を明かしては春の眺めもいかならん 浅ましやそもいく程の身にしあれば 
        猶まつ事のあり顔にて 思わぬ人を思い寝の 夢か現か寝てか覚めてか これや恋慕の (下歌)
        徒にすぐる心は多けれど 身になす事は涙川 流れて早き月日かな 流れて早き月日かな (上歌)
        げにや流れては妹背の中の川と聞く
ツレ      げにや流れては妹背の中の川と聞く
シテツレ   吉野の山はいずくぞや ここはまた心の奥か陸奥の狹布の郡の名にしおふ
        細布の色こそ変われ錦木の 千度百夜いたづらに 悔しき頼みなりけるぞ 悔しき頼みなりけり
ワキ     「不思議やなこれなる市人を見れば夫婦と おぼしくて。
        女性の持ち給いたるは鳥の羽にて織りたる 布と見えたり。
        又男の持ちたるはうつくしく色どり飾れる木なり。
        いづれもいづれもふしぎなる 売り物かな。これは何と申したる 物にて候ぞ」
ツレ     「これは細布とて 機ばり狭き布なり」
シテ     「これは錦木とて美しく色どり飾れるきなり。
        いづれもいづれも当所の名物なりこれこれ 召され候え」
ワキ     「げにげに錦木細布の事は承り及びたる 名物なり。さて何ゆえの 名物にて候やらん」
ツレ上    うたてに仰せ候や。名におう錦木細布の。其のかいもなく余所までは。聞きも及ばせ給わぬよなう。
シテ     「いやいやそれも 御理り。その道々に 縁なき事をば。何とて知ろし めさるべき」
シテツレ   見たてまつれば世を捨て人の。恋慕の道の色にそむ。この錦木や細布の。知るしめさぬは理りなり。
ワキ      あら面白の返答やな。さてさて錦木細布とは。恋路によりたる謂れよなう。
シテ     「中々の事 三年まで。立て置く数の 錦木を。日毎に立てて千束とも詠み」
ツレ      又細布は機ばり狭くて。さながら身をもかくさねば胸あい難き恋とも詠みて。
シテ上    恨みにもよせ
ツレ上    名をもたてて
シテ上    逢わぬを種と
シテツレ   詠む歌の
地       錦木は立てながらこそ朽ちにけれ。立てながらこそ朽ちにけれ。狹布の細布。
        胸合わじとやとさしも詠みし細布の。機ばりもなき身にて。歌物語恥かしや。
        げにや名のみは岩代の。松の言の葉とり置き夕日の陰も錦木の。
        宿りにいざや帰らん宿りにいざや帰らん。
ワキ     「猶々錦木細布の謂れ 御物語り候え」
シテ      「語って 聞かせ申し候べし。昔よりこの所の 習いにて。男女の媒にはこの 錦木を作り。
        女の家の門に立てつる しるしの木なれば。美しくいろどり飾りてこれを 錦木という。
        さるほどに逢うべき夫の 錦木をば取り入れ。逢うまじきをば 取り入れねば。
        或いは百夜三年まで錦木 立てたりしによって。三年の日数重なるを以って千束とも詠めり。
        又この山陰に 錦塚とて候 これこそ三年まで錦木立てたりし人の 古墳なれば。
        取り置く錦木の数ともに塚に 築き籠めて。これを錦塚と 申し候。」
ワキ     「さらば其の 錦塚を見て。故郷得えの物語にし候べし教えて 給はり候え」
シテ      「おういでいでさらば 教え申さん」
ツレ      この所え入らせ給えとて
シテツレ    夫婦の者は先に立ち。彼の旅人を伴いつつ。
地       狹布の細道分け暮らして錦木塚はいづくぞ。彼の岡に草かるをのこ心して。
        人の通い路あきらかに。教えよやみ地芝の。露をば誰に問はまし真如の玉はいづくぞや。
        求めたくぞおぼゆる。
シテ      秋寒げなる夕間暮れ
地       嵐木枯らし村時雨。露分けかねて足引きの。山の常陰も物さび松桂に鳴く梟覧菊の花にかくなる。
         狐棲むなる塚の草。もみじ葉染めて錦塚は。これぞと言い捨てて。塚の内にぞ入りにける。
        夫婦は塚に入りにけり。 (中入)
ワキ待謡   牡鹿の角の束の間も。牡鹿の角の束の間も。寝られんものか秋風の。松の下臥夜もすがら。
        声仏事をやなしぬらん 声仏事をやなしぬらん
ツレ      いかにお僧。一樹一河の流れを汲むも。他生の縁ぞと聞くものを。
        ましてや知遇のあればこそ。かく宿りする草の枕の。夢ばし覚まし給うなよ。あら貴の御法やな。
後シテ    今こそは。色に出なん錦木の
地       三年は過ぎぬ古えの
シテ      夢また夢に。今宵三年の知遇に。いマゾかえるなれど。
地       尾花が本の思い草の。陰より見えたる塚の幻に。あらわれ出づるを御覧ぜよ。
ワキ      ふしぎやなさも古塚と見えつるが。内はかがやくともしびの。影明らかなる人家のうちに。
         機物を立て錦木を積みて。昔をあらわす粧いたり。これは夢か現かや。
ツレ      かきくらす心の闇にまといにき。夢現とは世人定めよ。
シテ      「げにや昔に 業平も。世人定めよと いいしものを。夢現とは 旅人こそ。
        よくよく知ろし めさるべけれ」
ワキ      よし夢なりとも。はやはや昔をあらわして夜すがら我に見せたまへ
シテ      「いでいで昔を あらわさんと。夕影草の 月の夜に」
ツレ      女は塚の内に入り手。秋の心も細布の機物を立てて機を織れば。
シテ      「夫は錦木 取り持ちて。さしたる門を たたけども」
ツレ      内より答える事もなく。密かに音するものとては
シテ      機物の音
ツレ      秋の虫の音
シテ      聞けば夜声も
ツレ      きり
シテ      はたり
ツレ      ちよう
シテ      ちよう
地       きりはたりちようちよう。きりはたりちようちよう。機織松虫きりぎりす。
         つづりさせよとと鳴く虫の。衣のためかな侘みそおのが住む野の。千種の糸の細布織りてとらせん。
地クリ      げにや陸奥の狹布の郡の習いとて。所からなることわざの。世に類いなき有様かな
シテ      申しつるだに憚りなるに。猶も昔をあらはせとの。
地       お僧の仰せに従いて。織る細布や錦木の。千度百夜を経るとてもこの執心はよもつきじ。
シテ      然れども今逢いがたき縁によりて
地       妙なる一乗妙典の。功力をえんと懺悔の姿。夢中に猶も。あらわすなり。
地クセ     夫は錦木を運べば女は内に細布の。機織る虫の音に立てて問うまでこそなけれども。
         たがいに内外にあるぞとわ。知られ知らるる中垣の。草の戸ざしは其のままにて。
        夜は既に明けければすごすごと立ち帰りぬ。さる程に思いの数も積もり来て。
        錦木は色朽ちてさながら苔に埋れ木の。人知れぬ身ならばかくて思いもとまるべきに。
        錦木は朽つれども。名は立ちそいて逢う事は。涙も色に出でけるかや。恋の染め木とも。
        この錦木を詠みしなり。
シテ      思いきや。ひぢ゙のはしがきかきつめて。
地       百夜も同じ丸寝せんと。詠みしだにあるものを。せめては一年待つのみか。
        二年余りありありてはや陸奥の今日まだも。年くれないの錦木は。千度にならばいたづらに。
        我も門邊に立ちをり錦木と共に朽ちぬべき。袖に涙のたまさかにもなどや見みえや給はぬぞ。
        さていつか三年はみちぬ。あらつれなつれなや
地       錦木は
シテ      千束になりぬいまこそは。
地       人に知られぬ閨の中見め。
シテ      嬉しやな。今宵鸚鵡のさかづきの。
地       雪を廻らす舞の袖かな 舞の袖かな。
シテ      舞をまい。
地       舞をまい。歌を謡うも妹背の媒たつるは錦木。
シテ      織るは細布の
地       とりどり様々の夜遊の盃に移りて有明の影はづかしやはずかしや。
         あさまにやなりなん。覚めぬさきこそ夢人なるもの。さめなば錦木も細布も。
         夢も破れて松風さつさつたるあしたの原。野中の塚とぞ。なりにける。


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