東 北(とうぼく)

●あらすじ
 関東から京都へ上った旅僧が東北院の、和泉式部の住居跡を訪れ、折から花盛りの一本の梅の木に感じ入っていると、美しい里女が来て「この梅は今、和泉式部・好文木・鶯宿梅などと呼ばれているが、ここが上東門院の御所の頃、和泉式部が植えた“軒端の梅”だ」と謂われを語る。そして花も昔の主、和泉式部を慕い年々色香も増して咲き続けていると言う。僧が感心すると、自分こそこの梅の主、和泉式部だと花の蔭に消える。 僧は門前の人から式部の話を聞き、よもすがら読経していると、式部ノ霊が在りし日の美しい上臈姿で現れ、昔、門前に車で通り掛かった御堂関白藤原道長が、車中で法華経を誦しておられた声を聞いて「門のほか法の車の音聞けば、われも火宅を出でにけるかな」と詠んだことが思い出されると言い、その功徳で火宅の苦しみを逃れ、歌舞の菩薩となったと語り、和歌の徳や東北院の霊地を讃え、美しい舞を舞う。 物語に劇的な葛藤もなく、全体に淡々とした趣きだが、前段は物静かに進め、後段やや動的になり、昔語りのクセの段を舞い、続いて気品ある幽玄な舞が見せ場で、やがて別れを告げ方丈へ入ったかと思うと、僧の夢は覚める、という能らしい能の一つ。       
 演能 宝生流・松本恵雄師  第4回特別口演6月28日

●宝生流謡本     内十八巻の三    三番目     (太鼓なし)
    素謡(宝生)  :季節=春   場所=京都東北院   稽古順=平物  素謡時間40分
    素謡座席順   シテ=前里女・後和泉式部 
              ワキ=旅僧

●参 考   和泉式部(いずみしきぶ)生没年不詳
生年は天延二年(974)、貞元元年(976)など諸説ある。父は越前守大江雅致(まさむね)、母は越中守平保衡(たいらのやすひら)女。父の官名から「式部」、また夫橘道貞の任国和泉から「和泉式部」と呼ばれた。母が仕えていた昌子内親王(冷泉天皇皇后)の宮で育ち、橘道貞と結婚して小式部内侍をもうける。やがて道貞のもとを離れ、弾正宮為尊(ためたか)親王(冷泉第三皇子。母は兼家女、超子)と関係を結ぶが、親王は長保四年(1002)六月、二十六歳で夭折。翌年、故宮の同母弟で「帥宮(そちのみや)」と呼ばれた敦道親王との恋に落ちた。この頃から式部が親王邸に入るまでの経緯を綴ったのが『和泉式部日記』である。親王との間にもうけた一子は、のち法師となって永覚を名のったという。しかし敦道親王も寛弘四年(1007)に二十七歳の若さで亡くなり、服喪の後、寛弘六年頃から一条天皇の中宮藤原彰子のもとに出仕を始めた。彰子周辺にはこの頃紫式部・伊勢大輔・赤染衛門などがいた。その後、宮仕えが機縁となって、藤原道長の家司藤原保昌と再婚。寛仁四年(1020)〜治安三年(1023)頃、丹後守となった夫とともに任国に下った。帰京後の万寿二年(1025)、娘の小式部内侍が死去。小式部内侍が藤原教通とのあいだに残した子は、のちの権僧正静円である。
中古三十六歌仙の一人。家集は数種伝わり、『和泉式部集』(正集)、『和泉式部続集』のほか、「宸翰本」「松井本」などと呼ばれる略本(秀歌集)がある。また『和泉式部日記』も式部の自作とするのが通説である。勅撰二十一代集に二百四十五首を入集(金葉集は二度本で数える)。名実共に王朝時代随一の女流歌人である。   誠心院 京都市中京区新京極六角下ル 和泉式部の墓がある。


          
和泉式部関係の謡曲2曲
                                  
小原隆夫調
 コード   曲 目    概          要       場所 季節 素謡時間
内10卷5  誓願時 夜念仏で和泉式部歌舞菩薩となる 奈良  春   60分
内18卷3  東 北  軒端ノ梅ト和泉式部ノ物語        京都  春   40分
 
●観能記
宝生の能 「東北(とうぼく)」   
(H13.2.11・宝生能楽堂)
シテ…佐野萌、 ワキ…鏑木岑男、 間…大藏彌太郎
笛:一噌 幸政 小鼓:住駒 昭弘 大鼓:亀井 忠雄
 東国の僧が京都東北院で、見事に咲き誇る梅を眺めていると、女が現れ、これが和泉式部の愛でた「軒端の梅」と教えて消える(前場)。僧がその木陰で経を読誦していると、夢の中で和泉式部が現れ、昔、関白藤原道長が経を読みながら門前を通ったのを聴いて、一首の歌を詠んだ。「門の外法の車の音聞けばわれも火宅を出でにけるかな」その歌の功徳によって火宅を免れ出たと語り、和歌の徳や東北院の風光を讃えて、たおやかに舞を舞い、式部の臥所であった方丈に消え失せる。
能 「東北」 は 平安時代の優れた歌人、和泉式部の霊が東北院、一条南京極の東にありここでの和泉式部は、歌舞の菩薩となって現れます。東北院の門前を藤原道長の乗る「牛車」が通りかかり
朗々と経を誦する道長の声が聞える。和泉式部は一首の歌を詠んだ。「門の外法の車の音聞けばわれも火宅を出でにけるかな」「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 「色こそ見えね 香やはかくるる 」と地謡が謡い、笛が吹し鼓が序を打ち、ゆるやかに薫り立つ王朝の雅・懐旧の情の「舞」が舞われるこの梅こそ和泉式部の蓮華座であると 僧が知ったとき、式部の姿は消え、僧は東北院の梅の香に包まれて居るのだった。 シテを演じられた佐野萌師は、大濠公園能楽堂でご出演下さっていました昨年亡くなられとお聞きして、ご冥福を祈りながら拝見しました

●解 説
馥郁たる梅の香に酔いしれる名曲「東北」は「平安時代を代表する女流歌人」と聞いて、みなさんは誰を思い浮かべますか?『枕草子』の清少納言、あるいは『源氏物語』の紫式部を挙げる方が多いのではないでしょうか。しかし、彼女たちの影に隠れがちながらも王朝時代を代表する「あの女流歌人」を忘れてはいけません。 その歌人の名は和泉式部。紫式部や同時代の大歌人・藤原公任にも称賛された、すばらしい歌才の持ち主です。現代の私たちには、小倉百人一首に選ばれた「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」の作者として知られています。 和泉式部はまた、「恋多き女性」としても知られていました。夫のある身で美貌の皇子・為尊親王と恋に落ち、夫から離縁され、親からも勘当を受ける。ところが一年ほどで為尊親王が病死してしまうと、今度はその弟・敦道親王から熱心な求愛を受ける。そして敦道親王との間に一子をもうけたものの、その敦道親王も数年後に若くして病死してしまう…。そんな華麗で劇的な恋愛遍歴を持つ和泉式部を、紫式部などは日記の中で「けしからぬかたこそあれ(感心できない)」と批判したほどでした。 敦道親王の死後、和泉式部は時の権力者・藤原道長の娘で一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として仕えます。彰子は道長の建立した法成寺の中に東北院を建てて晩年を過ごしました。和泉式部は東北院に梅を植え、「軒端の梅」と名付けて日々眺めて楽しんだと言われています。
雲水山東北院と号しており、ここに和泉式部ゆかりの「軒端の梅」があります。
和泉式部の遺跡は数多くありますが、往事の東北院の末と称する寺が京都市左京区浄土寺町にあります。 岐阜県可児郡御嵩町には和泉式部の廟所と言われる石碑が存在する。同地に伝わる伝承によると、晩年彼女は東海道を下る旅に出て、ここで病を得て歿したとされている。碑には「一人さへ渡れば沈む浮橋にあとなる人はしばしとどまれ」という一首が刻まれている。
福島県石川郡石川町には、この地方を治めた豪族、安田兵衛国康の一子『玉世姫(たまよひめ)』が和泉式部であると言い伝えが残る。式部が産湯を浴びた湧水を小和清水(こわしみず)、十三でこの地を離れた式部との別れを悲しんだ飼猫『そめ』が啼きながら浸かり病を治したといわれる霊泉が猫啼温泉として現存する。

(平成22年12月19日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


            東 北 (とうぼく)

         季 春      所 京都東北院     素謡時間 43分
  【分類】三番目
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:斉藤別当実盛 ワキ:僧 ワキズレ:住僧

         詞 章                  (胡山文庫)

ワキ   次第上 年立ちかへる春なれや。/\花の都に急がん。
ワキ     詞「これは東国方より出でたる僧にて候。我いまだ都を見ず候ふほどに。
          この春思ひ立ち都に上り候。
    道行上 春立や。霞の関を今朝越えて。/\。
         果はありけり武蔵野を分け暮らしつゝ跡遠き。山また山の雲を経て。
         都の空も近づくや。旅までのどけかるらん/\。
ワキ    詞「さては此の梅は和泉式部と申し候ぞや。暫く眺めばやと思ひ候。
シテ    詞「なう/\あれなる御僧。其梅を人に御尋ね候へば。何と教へ参らせて候ふぞ。
ワキ    詞「さん候人に尋ねて候へば。和泉式部とこそ教へ候ひつれ。
シテ    詞「いやさやうには云ふべからず。梅の名は好文木。
         又は鶯宿梅などとこそ申すべけれ。知らぬ人の申せばとて用ひ給ふべからず。
         此寺いまだ上東門院の御時。和泉式部此梅を植ゑおき。
         軒端の梅と名づけつゝ。目がれせず眺め給ひしとなり。
         かほどに妙なる花の縁に。御経をも読誦し給はゞ。
   カカル下 逆縁の御利益ともなるべきなり。
       詞「これこそ和泉式部の植ゑ給ひし軒端の梅にて候へ。
ワキ     詞「さては和泉式部の植ゑ給ひし軒端の梅にて候ひけるぞや。
         又あの方丈は。和泉式部の御休所にて候ふか。
シテ     詞「なか/\の事和泉式部の臥処なりしを。造も替へずそのまゝにて。
   カカル上 今に絶えせぬ眺ぞかし。
ワキ カカル上 ふしぎやさても古の。名を残しおく形見とて。
シテ    上 花も主を慕ふかと。年々色香もいやましに。
ワキ    上 さもみやびたる御気色。
シテ    上 なほもむかしを。思ふかと。
地     上 年月をふるき軒端の梅の花。古き軒端の梅の花。主を知れば久方の。
         天ぎる雪のなべて世に。聞えたる名残かや。和泉式部の花心。
   ロンギ上 げにや古を。聞くにつけても思出の。春や昔の春ならぬ我が身ひとりぞ心なき。
シテ    上 ひとりとも。いさしら雪古事を。誰に問はまし道芝の。
         露の世になけれども。此花に住むものを。
地     上 そも此花に住むぞとは。とぶさに散るか花鳥の。
シテ    上 同じ道にと帰るさの。
地     上 先だつあとか。
シテ    上 花の蔭に。
地     下 やすらふと見えしまゝに。我こそ花の主よとゆふぐれなゐの花の蔭に。
         木がくれて見えざりき木がくれて見えずなりにけり。
              中入り
ワキ  待謡上 夜もすがら。軒端の梅の蔭に居て。/\。花も妙なる法の道。
         迷はぬ月の夜と共に。此御経を読誦する/\。
後シテ 一声下 あらありがたの御経やな。あらありがたの御経やな。
      上 たゞいま読誦し給ふは譬喩品よなう。
      詞「思ひ出でたり閻浮のありさま。此寺いまだ上東門院の御時。
         御堂の関白この門前を通り給ひしが。
         御車の内にて法華経の譬喩品を高らかに読み給ひしを。
         式部この門の内にて聞き。門の外法の車の音きけば。我も火宅を。
         出でにけるかなと。かやうによみし事。
         今のをりから思ひ出でられて候ふぞや。
ワキ カカル上 げに/\歌は。和泉式部の詠歌ぞと。
       詞「田舎まで聞き及びしなり。さては詠歌の心の如く。
   カカル上 火宅をばはや出で給へりや。
シテ    詞「なか/\の事火宅は出でぬさりながら。詠みおく歌舞の菩薩と成りて。
ワキ    上 なほこの寺に澄む月の。
シテ    上 出づるは火宅。
ワキ    上 今ぞ。
シテ    上 すでに。
地     上 三界無安の内を去りて三つの。車にのりの道。すはや火宅の門を今ぞ。
         和泉式部は成等正覚を得るぞ有難き。
地   クリ上 それ和歌といつぱ。法身説法の妙文たり。たま/\後世に知らるゝ者はただ。
         和歌の友なりと。貫之もこれを書きたるなり。
シテ  サシ上 かるが故に天地を動かし鬼神を感ぜしむる事わざ。
地     上 神明仏陀の冥感に至る。殊に時ある花の都。
         雲居の春の空までものどけき心を種として。天道にかなふ。詠吟たり。
    クセ下 所は九重の。東北の霊地にて。王城の。鬼門を守りつゝ。
         悪魔を払ふ雲水の。水上は山陰の賀茂川や。すゑしら河の波風も。
         いさぎよき響は。常楽の縁をなすとかや。庭には。池水をたゝへつゝ。
         鳥は宿す池中の樹僧は敲く月下の門。出で入る人跡かず/\の。
         袖をつらね裳裾を染めて。色めく有様はげに/\花の都なり。
シテ    上 見仏聞法のかず/\。
地     上 順逆の縁はいやましに。
         日夜朝暮に怠らず九夏三伏の夏たけて秋来にけりと驚かす。
         澗底の松の風一声の秋を催して。上求菩提の機を見せ池水に映る月影は。
         下化衆生の相を得たり。東北陰陽の時節もげにと知られたり。春の夜の。
                     序ノ舞
シテ  ワカ上 春の夜の。闇はあやなし梅の花。
地     上 色こそ見えね。香やは隠るゝ香やは隠るゝ。/\。
シテ    下 げにや色に染み。香にめでし昔を。
地     下 よしなや今更に。思ひ出づれば我ながらなつかしく恋しき涙を遠近人に。
         洩らさんも恥かし。いとま申さん。
シテ    下 これまでぞ花は根に。
地     下 今はこれまでぞ花は根に。鳥は旧巣に帰るぞとて。方丈のともし火を。
         火宅とや。なほ人は見ん。こゝこそ花の台に和泉式部が臥所よとて。
         方丈の室に入ると見えし夢はさめにけり見し夢はさめて失せにけり。


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