関寺小町(せきでらこまち)

●あらすじ
7月7日のこと、近江国関寺の住職が稚児を伴い、近くに住む老女の庵を訪ねる。老女が歌道を極めていると聞き稚児の和歌の稽古のためである。老女は僧の頼みを一旦断るが、問いに答えて話す。衣通姫(そとおりひめ)の事や小町の歌の対応から僧は小町だと悟る。素性を知られた小町は栄華を誇った往時を回想するが今は歌道のみが慰みのようである。僧は関寺の七夕祭に誘う。小町は祭りの稚児の踊りを見ているうちに、誘われるように立ち上がり昔忘れぬ舞を舞う。そしてやがて夜明けと共に自分の庵に寂しく帰っていく。
               
●宝生流謡本      内十七巻の三   三番目    (太鼓なし)
    季節=夏   場所=近江国関寺   作者=世阿弥作か
    素謡稽古順=三老女   素謡時間=****分 
    素謡座席順   ワキヅレ=住僧
               シテ=小野小町
               ワキ=関寺の僧

●演能参加記 関寺小町       [2009年 04月 26日] 観世流能楽師 柴田 稔
今日、中野にある梅若さんの舞台で、梅若恭行師七回忌追善素人会がご子息・靖記さんの主催で行われました。恭行師は先代・梅若六郎師の弟にあたる方で(つまり、現六郎(玄祥)師の叔父様)、86歳でお亡くなりになる晩年まで舞台を勤められました。私は晩年のころの恭行師しか存じ上げませんが、とても包容力があって、自然体で舞台を勤められている、そんな印象をもっています。
楽屋ではいつも笑い声が絶えない穏やかな方で、よく昔の能楽会の話や、若いころの稽古の様子などお話ししてくださいました。今日この追善素人会で、「関寺小町」の地謡を始めて謡わせて頂いたのです。「関寺小町」は「桧垣」、「姨捨」と合わせて”三老女”といわれ、能の世界では最高の秘曲とされています。 しかしこの「関寺小町」は銕仙会の公演では上演されたことがありません。
というのも、六世銕之丞(華雪)師の芸談で読んだことがあるのですが、分家の立場の銕之丞として”三老女”のうち一つは控えておく、ということなのです。 それ以降銕之丞家では「関寺小町」は上演されていません。(現銕之丞は九世)(それ以前のことは把握していませんので)ですから私は普段この曲に接することはほとんどありません。ただ今から20年ほど前、大阪の大槻秀夫師がこの「関寺小町」を勤められる時に、先代銕之丞先生が地謡を謡われたことがあります。銕仙会関係で「関寺小町」の上演は、私が知る限り、あとにも先にもこの時限りです。この地謡の編成は、地頭が銕之丞であと、片山博太郎(九朗右衛門)、野村四郎、山本順之というそうそうたるメンバーでした。(記憶に間違いがなければ)私はまだ書生で、もちろんこの地謡のなかになど入っていません。というわけで、今日初めて「関寺小町」の地謡を謡わせていただきました。
梅若家には「関寺小町」の伝承があって、ここ数年観世流では「関寺小町」の上演がたびたびありましたが、そのほとんどを梅若玄祥(六郎改め)師が地謡を謡っておられます。じつは今から11年前、梅若恭行師が「関寺小町」を勤められるとき、子方役に私の息子をご指名していただきました。 この時には梅若さんに子方がいなく、甥っ子の慎太朗君はすでに大きくなって私の息子・昂徳がもっぱら子方を引き受けていたのですが、この時ばかりは困りました。いざ子供を稽古する段階になって、シテ謡や地謡をどのように謡っていいのやらまったくわかりません。謡本には見なれない節扱の記号がありますし、肝心な位取りがチンプンカンプンです。子方の謡に関しては、いくら秘曲とはいえ子方の謡いに秘伝はあるわけがなく、息子にはいつものように真っ直ぐに謡わせればよいので、それはそれで問題はなかったのですが、子方が地謡に合わせて舞う場面があり、その型付けは六郎先生からお聞きしてなんとかなったのですが、その場面のシテ謡や地謡をどう謡ってよいのやら、本当に困りました。大槻秀夫先生のときのテープを借りて勉強しましたが、この時ばかりは、息子にいい加減な稽古しかできなかったのが悔やまれます。その地謡を今日謡ったのです。
今でも「関寺小町」の謡いは分かりませんが、今日一緒に謡ってみてとても面白く感じました。面白く謡えましたとは曲がりなりにも言えませんが…(笑)さすが玄祥師だなと感じ入りました。
今日は良い経験をさせていただきました。


              
小野小町関係 5曲
                             
小原隆夫調べ
 コード     曲 目      概            説     場所   習順  季節  謡時間
内02巻4  卒都婆小町 小野小町が卒都婆と僧に昔を語る 山城国   奥伝  不   62分
内11巻3  鸚鵡小町   老女小町鸚鵡返しで和歌を返歌  近江国  奥伝  春   60分
内16巻4  通 小 町    深草少將恋い人のもとに99夜通う 山城国   初奥  秋   35分
内17巻3  関寺小町   老衰ノ小町ヲ関寺ニ招キ慰メル     近江国   三老  夏
外06巻3  草 紙 洗   小野小町ト大伴黒主ノ和歌くらべ   京都   初序  夏   50分


●小野 小町(おの の こまち)
小野小町の詳しい系譜は不明である。彼女は絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、後世に能や浄瑠璃などの題材としても使われている。だが、当時の小野小町像とされる絵や彫像は現存せず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占め、素顔が描かれていない事が多い。故に、美女であったか否かについても、真偽の程は分かっていない。平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。 系図集『尊卑分脈』によれば小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。また、数々の資料や諸説から生没年は天長2年(825年) - 昌泰3年(900年)の頃と考えられている。しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、他の史料には全く見当たらない。そればかりか、小野篁の生没年(延暦21年(802年) - 仁寿2年(853年))を考えると篁の孫とするには年代が合わない。血縁者として『古今和歌集』には「小町姉(こまちがあね)」、『後撰和歌集』には「小町孫(こまちがまご)」、他の写本には「小町がいとこ」「小町姪(こまちがめい)」という人物がみえるが存在が疑わしい。さらには、仁明天皇の更衣(小野吉子、あるいはその妹)で、また文徳天皇や清和天皇の頃も仕えていたという説も存在するが、確証は無い。このため、架空説も伝えられている。また、「小町」は本名ではなく、「町」という字があてられているので、後宮に仕える女性だったのではと考えられる(ほぼ同年代の人物に「三条町(紀静子)」「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」が存在する)。前述の小町姉が実在するという前提で、姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、妹である小町は「年若い方の”町”」という意味で「小野小町」と名付けられたという説もある。
生誕地については、現在の秋田県湯沢市小野(旧雄勝郡雄勝町小野)という説が主流となっており、
湯沢市には小野小町にちなんだ建造物「小町堂」があり、観光の拠点となっており、町おこしの一環として、毎年6月の第2日曜日に「小町まつり」を開催している。また、米の品種「あきたこまち」や、秋田新幹線の列車愛称「こまち」は彼女の名前に由来するものである。
京都市山科区小野は小野氏の栄えた土地とされ、小町は晩年この地で過ごしたとの説もある。ここにある随心院には、卒塔婆小町像や文塚など史跡が残っている。後述の「花の色は..」の歌は、花が色あせていくのと同じく自分も年老いていく姿を嘆き歌ったものとされる。
山形県米沢市小野川温泉は、小野小町が開湯した温泉と伝えられ、伝説が残っている。温泉街には、小町観音があり、美人の湯と称されている。近年、科学的分析により、美肌成分が多く含まれていることが判明し、単なる伝承ではなく、効果の裏付けが確認された。

(平成21年2月20日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


             関寺小町 (せきでらこまち)

         季 夏      所 近江国関寺     
  【分類】三番目物 (三老女)
  【作者】         典拠:
  【登場人物】 シテ:小野小町、 ワキ:関寺の僧  ワキズレ:住僧

         詞 章                  (胡山文庫)
   次第
ワキワキヅレ上 待ち得て 今ぞ秋にあふ。/\星の祭を急がん
       詞「是は江州関寺の住僧にて候。今日は七月七日にて候程に。
          七夕の祭を執り行ひ候。又此の山陰に老女の庵を結びて候が。
          歌道を極めたる由申し候程に。幼き人々を伴ふ申し。
          彼の老女の物語をも承らばやと存じ候
ワキヅレ   上 さつさつたる涼風とあいはつと。一時に来る初秋の。
          七日の夕べに早なりぬ
ワキ     上 今日織女の手向けとて。糸竹呂律の色々に
ワキヅレ   上 ことをつくして
ワキ     上 敷島の
ワキワキヅレ上 道を願ひの糸はえて。
ワキヅレ   上 道を願ひの糸はえて
ワキワキヅレ上 織るや錦のはた薄。花をもそえて秋草の露の玉琴かきならす。
         松風までの折柄の。手向にかなう夕べかな/\
シテ  サシ上 朝に一鉢を得ざれども求むる能はず。草衣夕べの膚をかくさざれども。
         おぎぬぶに便りあり。花は雨の過ぐるによつて紅まさにおびたり。
         柳は風に欺かれて緑漸く垂れり。人更に若き事なし。終には老の鶯の。
         百囀りの春の来たれども。昔に返る秋はなし。あら来し方恋しや/\
ワキ     詞「如何に老女に申すべき事の候
シテ    詞「誰にて渡り候ぞ。
ワキ    詞「是は関寺に済む者にて候が。老女の御事を聞き給い。
         歌詠むべき様をも承らん為に。児達これへ御出でにて候
シテ     詞「これは思いも寄らぬ御出でかな。埋れ木の人知れぬ事となり。
         花薄穂に出だすべきにしもあらず。心を種として言葉の花色香に染まば。
         などか其の風を得ざらん。優しくも幼き人々の御心に好き給うものかな
ワキ     詞「まずまず普く人の翫び候は。難波津の歌を以て。
         手習う人の始めにもすべき由聞こえ候よなう
シテ    詞「中々の事それ歌は神代より始まれども。文字の数さだまらずして。
         事の心わき幼かりけらし。今人の代となつて。
         めでたかつし世継ぎを詠み納めし詠歌なればととて。
         難波津の歌を翫び候
ワキ    詞「又浅香山の歌は。大君の御心を和げし故に。これまたまでたき詠歌よなう
シテ    詞「げによく心得給いたり。此の二歌を父母として
ワキ カカル上 手習ふ人の始めとなりて
シテ    詞「高き賤しき人もわかす
ワキ    上 都鄙遠国の人々や
シテ    中 我等如きの庶人までも
ワキ    上 好ける心に
シテ    上 あふみの海の
地     上 さざ波や浜の眞砂はつくるとも。詠む言の葉はよもつきじ。
         青柳の糸絶えず松の葉の散り失せぬ。種は心と思し召せ。
         たとひ時移り事去るとも。この歌の文字あらば鳥の跡もつきせじや
ワキ    詞「有難う候。歌人の言葉多しといへども。女の歌は稀なるに。
         老女の御事ためしすくくなうこそ億へ。我がせこが来べき宵なりささがにの。
         蜘のふるまひかねてしるしも。これは女の歌候か
シテ    詞「これは衣通姫の御歌なり。衣通姫とは允恭天皇の后にてまします。
         形の如くわらはも其流をこそ学び候へ
ワキ    詞「さては衣通姫の流にてましますかや。近年聞こえし小野の小町こそ。
         衣通姫の流とは承れ。侘びぬれば身を浮草の根を絶えて。
         誘う水あらばいなんとぞ思ふ。これは小野の小町の歌候な
シテ    下 これは大江の惟章が心変りせし程に。世の中物憂かりしに。
      詞「文屋の康秀が三河の守ななりて下りし時。田舎にて心を慰めよかしと。
         我を誘いし程に読みし歌なり。
      下 忘れて年をへしものを。聞けば涙の。古事のまた思はるるかなしさよ
ワキ    詞「ふしぎやな侘びぬればの歌は。我詠みたりしと承る。
         又衣通姫の流と聞えつるも小町なり。げに年月を考ふるに。
         老女は百に及ぶといえば。たとひ小町のながらふるとも。
         未だ此の世にあるべきとなれば。今は疑う所もなく。御身は小町の果ぞとよ。
   カカル上 さのみな包み給いぞとよ
シテ    上 いや小町とは恥ずかしや。色見えてこそよみしものを
地     上 うつろふ物は世の中の。人の心の花やみゆる。恥ずかしや侘びぬれば。
         身を錦のしとねの起き臥しなりし見なれぼも。今は埴生の。
         こや玉を敷き床はさん
シテ    上 関寺の鐘の声
地     上 諸行無常と聞くなれども老耳には益もなし。逢坂の山風の。
         是生滅法の理りをも得ばこそ。飛花落葉の折々は。好ける道とて草の戸に。
         硯をならしつつ。筆を染めてもしほ草。
         かくや言の葉の枯れ枯れに哀れなるにて強からず強からぬは女の歌なれば。
         いとどしく老いの身の弱り。行く果てぞ悲しき
ワキヅレ  詞「如何に申し候。七夕の祭遅なはり候。老女をも伴い御申し候へ
ワキ    詞「如何に老女。七夕の祭を御出であつて御覧候へ
シテ    詞「いやいや老女が事は憚りにて候程に。思いも寄らぬ御
ワキ    詞「何の苦しう候べき。         
      上 唯々御出で候へとよ。
地     上 七夕の織る糸竹の手向け草。幾年経てかかげろうの。
         小野の小町の百年に及ぶや天つ星あひの蜘の。
         上人に馴れ馴れし袖も今は朝衣の。浅ましや労しや目もあてられぬ有様。
         たても今宵は七夕の。手向けの数も色々との。或いは糸竹にかけて廻らす杯の。
         雪をうけたる童舞の袖ぞ面白き
子方    上 星祭るなり呉竹の
            イロエ打上
シテ    上 代々を経て住む。行く末の
地     下 幾久しさぞ。萬歳楽
シテ    上 あら面白の唯今の童舞の袖やな
       詞「昔豊の命明の五節の舞姫の袖をこそ五度かべしか。
         これはまた七夕の手向けの袖ならば。
   カカル上 七返してやあるべき。
      詞「狂人走れば不狂人も走るとかや。唯今の童舞の袖に引かれて。
      下 狂人こそ走れ候へ。百年は
             序の舞
    ワカ上 百年は。花に宿るし。胡蝶の舞  
地     上 哀れなり哀れなり老木の花の枝
シテ    下 さす袖も手忘れ
地     上 裳裾も足弱く
シテ    下 ただよふ波の
地     上 立ち舞う袂は飜せども。昔に返す袖はあらばこそ
シテ    上 あら恋しの古へやな
地     上 さる程に初秋の短夜はや明け方の。関寺の鐘
シテ    下 鳥も頻りに
地     下 告げ渡る東雲の。あさまにもならば
シテ    下 はづかしの森の
地     下 はづかしの森の木隠れもよもあらじ。暇申して帰るとて杖にすがりてよろよろと。
         もとの藁屋に帰りけり。
      上 百年の姥と聞こえしは。小野が果の名なりけり/\


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