宝生流謡曲 「是 界」

●あらすじ
中国の天狗の首領である是界坊は、自国において高慢の輩を残らず天狗道に誘い入れたので、次は日本の仏法を妨げようと日本へ渡ります。まず愛宕山の太郎坊を訪れ、相談の末、比叡山を襲う事にします。それについては不動明王の威力が恐ろしく、不安にもなりますが、やがて決心をして、太郎坊の案内で比叡山に赴きます。 比叡山の僧が勅命を受け悪魔退散の祈願の為、都へ急ぐ途中にわかに風が起こり天地震動して、是界坊が天狗本来の姿で現れます。そして僧を魔道に誘い入れようとするので、僧は悪魔降伏のため不動明王を念じました。すると明王は矜迦羅、制多伽両童子とともに現れ、悪魔の降伏に力を合わせたので、さすがの是界坊も力を失い地に落ちて、以後二度と日本に現れないことを誓って消え失せます。        
 (「宝生の能」平成13年3月号より)

●宝生流謡本(参考)  内十六巻の二    切能   (太鼓あり)
    季節=不定    場所=前:山城国愛宕山 後:山城国比叡山(京都) 
    素謡稽古順=入門    素謡時間=32分   作者=竹田法印定盛
    素謡座席順 シテ=前・是界坊 後・天狗
             ワキ=比叡山の僧

●今昔物語と是界坊                    
高橋春雄 記ヨリ
この曲の出典は今昔物語巻二十「震旦天狗智羅永寿渡此朝語第二」という。佐成謙太郎著の「謡曲大観」に原文が載っているので、少し難解だが引用させていただく。
「 今は昔、震旦(注、昔の中国)に強き天狗有けり、智羅永寿(ちらようじゅ)といふ。此の国に渡にけり。 此の国の天狗に尋ね会て語て云く、「我が国には止事無き徳行の僧共数(あまた)有れども、我等が進退に懸らぬ者はなし。然れば此の国に渡て、修験の僧共有りと聞くに、其等に会て一度力競(くらべ)せむと思ふは何(いか)が可∨有き」と。 此の国の天狗此れを聞て、極て嬉(うれし)と思て答て云く、「・・近来可∨凌き者共有り教へ申さむ、己が後に立て御(おは)せ」と云て、行く後に立て、震旦の天狗も飛び行く。比叡の山の大嶽の石率都婆の許に飛び登て、震旦の天狗も道辺に竝居ぬ・・。 かくて、僧を待ち受けてゐると、余慶律師が山の千寿院から内の御修法行ひに下り、次で飯室の深禅僧正が下ったが、おそろしくて近づき得ず、次に下って来た山の座主横川の慈恵大僧正の小童部に搦め取られ、「汝は何者だ」と訊問せられて、
震旦より罷渡たる天狗也。渡給はむ人見奉らむと此に候ひつるに、初め渡給ひつる余慶律師と申人は、火界の呪を満て通給ひつれば、輿の上大に燃ゆる火にて見えつれば、其をば何かはせむと為る、己れ焼けぬべかりつれば、迯て罷去にき。次に渡り給ひつる飯室の僧正は、不動の真言を読で御しつれば、制多迦童子の鉄の杖を持て副て渡り給はむには、誰か可二出会一きぞ、然は深く罷り隠れにき。今度渡り給ふ座主の御房は、前々の如く猛き旱き真言も不二満給一ず、只止観と云ふ文を心に案じて登り給ひつれば、猛く怖しき事も無く、深くも隠さずして、傍に罷寄て候つる程に、此く被∨搦れ奉て悲き目を見給へる也。といひ、散々に踏みひしがれて、僅かに危い命を助けられ震旦に立ち帰ったとあるに拠ったのであらうか 。」

●日吉大社と太郎坊  
(平15・11高橋春雄記ヨリ)
曲中に出てくる地名、神社など他曲に掲げたものが多い。愛宕山、比叡山、横川中堂については「花月」参照。ワキに協力する神々のうち男山すなわち石清水八幡宮は「女郎花」、北野天満宮は「老松」、加茂明神は「加茂」を参照。松の尾明神は「松尾」で取りあげる予定です。ここではワキに協力する神として「山王権現」すなわ・

(平成23年12月16日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


     是  界 
         (切能)       
                                   季  不定
         前シテ>  大唐の善界坊          所  山城国愛宕山
         後シテ>  天 狗                   山城国比叡山  
         ツレ>    愛宕の太郎坊
         ワキ>    比叡山僧
         ワキツレ二人>従僧
                                      

シテ次第「雲路を凌ぐ旅の空。雲路を凌ぐ旅の空出づる日の本尋ねん。
    詞「是は大唐の天狗の首領善界坊にて候。扨も我が国に於て。育王山青龍寺。 
      般若台に至るまで。少しも慢心の輩をば。皆我が道に誘引せずと云ふ事なし。
      誠や日本は小国なれども神国として。仏法今に盛んなる由承り及び候ふ間。
      急ぎ日本に渡り。仏法をも妨げばやと存じ候。
   道行「名にしおふ。豊芦原の国津神。豊芦原の国津神。青海原にさし下ろす。
      天の瓊矛の露なれや秋津島根の朝ぼらけ。其方もしるく浮ぶ日の。
      神の御国は。これかとよ神の御国はこれかとよ。
シテ 詞「急ぎ候ふ程に。これははや日本の地に着きて候。先ず承り及びたる愛宕山に行き。
      太郎坊に案内を申さばやと存じ候。これは早愛宕山にてありげに候。
      山の姿木の木立。これこそ我等が住むべき処にて候。まづまづ案内申そうずるにて候。
      如何に案内申し候。
ツレ  詞「誰にて渡り候ふぞ。
シテ  詞「これは大唐の天狗の首領善界坊にて候ふが。御目にかゝり度き事の候ひて。
      これまで遥々参りて候。
ツレ  詞「さては承り及びたる善界坊にて渡り候ふか。先某が庵室へ御入り候へ。
      さて唯今は何のために御出にて候ふぞ。
シテ  詞「さん候。唯今参る事余の儀にあらず。我が国に於て。育王山青龍寺。般若台に至るまで。
      少しも慢心の輩をば。皆我が道に誘引せずと云ふ事なし。
      誠や日本は小国なれども神国として。仏法今に盛なる由承り及び候ふ間。
      我が行力をもためさん為。唯今これまで参りて候。同じくは御心を一つにして。
      自他の本意を達し給へ。
ツレ  詞「さてはやさしくも思し召し立ち候ふものかな。それ我が国は天地開闢より此方。
     まづ以て神国たり。されば仏法今に盛なり。まづまづ間近き比叡山。
     あれこそ日本の天台山候ふよ。
ツレ   「心のまゝに窺ひ給へ。
シテ   「さてはいよいよ便あり。それ天台の仏法は。権実二教に分ち。
ツレ   「又密宗の奥義を伝へ。
シテ   「顕密兼学の所なるを。
ツレ   「我等如きの類として。
シテ   「たやすく窺ひ。
シテツレ 「給はん事。
地    「蟷螂が斧とかや猿猴が月に。相同じ。かくは知れどもさすがなほ。我慢増上慢心の。
      便を得んと思ふにも。大聖の威力をいよいよ案じ連ねたり。
地  クリ「それ明王の誓約まちもちなりと云へども。其利益余尊に超え。
      正しく火生三昧に入り給ひて一切の魔軍を焚焼せり。
シテサシ「外には忿怒の相を現ずといへども。
地    「内心慈悲の御恵。凝念不動の理を顕し。但住衆生心想之中。げにありがたき悲願かな。
   クセ「然りとはいへども。輪廻の道を去りやらで。魔境に沈むその歎。思ひ知らずや我ながら。
      過去遠々の間に。さすが見仏聞法の。その結縁の功により。三悪道を出でながら。
      なほも鬼畜の身を借りて。いとゞ仏敵法敵となれる悲しさよ。今此事を歎かずは。
      未来永々を経るとても。いつか般若の智水を得て。火生三昧の。焔を遁れ果つべき。
シテ   「世の中は。夢か現か現とも。
地    「夢ともいさや白雲の。かゝる迷を翻し帰服せんとは思はずして。いよいよ我慢の旗矛の。
      靡きもやらで徒に。行者の床を窺ひて。降魔の利剣を待つこそはかなかりけれ。
ツレロンギ「かくては時刻移りなん。いざ諸共に立ち出でて。比叡の山辺の案内せん。
シテ   「法の為。今ぞ愛宕の山の名に。頼を懸けて思ひ立つ雲の。桟うち渡り。
地    「我が名やよそに高尾山。東を見れば大比叡や。
シテ   「横河の杉の梢より。
地    「南に続く如意が嶽鷲の御山の。雲や霞も嵐と共に失せにけり嵐と共に失せにけり。
                                       (中入来序)
ワキ一声「勅を受け。我が立つ杣を出でながら。急ぐも同じ名に高き。大内山の。道ならん。
ワキ   「かくてやうやう大比叡を。下りつゝ行けば不思議やな。あれに見えたる下り松の。
地   歌「梢の嵐吹きしをり。梢の嵐吹きしをり。雲となり雨となり。山河草木震動し。
      天に輝く電光。大地に響く雷は。肝魂を暗まかす。こはそも何の。
      故やらんこはそも何の故やらん。
後シテ  「そもそもこれは。大唐の天狗の首領。善界坊とは。我が事なり。
    詞「あら物物しや如何に御坊。今更何の観念をかなせる。
     「それ若作障碍即有一仏。魔境と説けり。あら痛はしや。欲界の。内に生るる輩は。
地    「悟の道や其まゝに。魔道の巷と。なりぬらん。
地   歌「不思議や雲の中よりも。不思議や雲の中よりも。邪法を唱ふる声すなり。本より魔仏。
     一如にして。凡聖不二なり。自性清浄天然動なき。これを不動と名づけたり。
                            (イロエ)
ワキ   「聴我説者得大智恵。吽多羅他干満。
地    「その時御声の下よりも。その時御声の下よりも。明王現れ出で給へば。
      矜迦羅制多伽十二天。各降魔の力を合はせて。御先を払つて。おはします。
                            (ハタラキ)
シテ   「明王諸天はさて置きぬ。
地     「明王諸天はさて置きぬ。東風吹く風に。東を見れば。
シテ   「山王権現。
地    「南に男山西に松の尾北野や賀茂の。山風神風吹き払へば。
      さしもに飛行を翅も地に落ち力も槻弓の八洲の波の。
      立ち去ると見えしが又飛び来りさるにても。
      かほどに妙なる仏力神力今より後は来るまじと。
      云ふ声ばかりは虚空に残り。言ふ声ばかり虚空に残つて。
      姿は雲路に。入りにけり

               (宝生流以外では、善界、是界、是我意などとも書く) 


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