宝生流謡曲 「小 塩」
●あらすじ
都の人たちが大原に花見に行くと一人の老人が桜の花を持ち佇んでいる。声を掛けると老人は大原野の桜の景色を見せたり業平が詠んだ小塩山の和歌などを語り夕暮れに消え失せる。 花見の人々が夜もすがら桜を眺めていると在原業平が在りし日の典雅な姿で現れ昔を偲ぶ舞などを舞いながら夜明けと共に消え失せていく。
●宝生流謡本 外十五巻の五 四五番目略三番目 (太鼓あり)
季節=春 場所=山城国小塩山 稽古順=初序 素謡時間=45分
素謡座席順 シテ=前・老人 後・在原業平
ワキ=都の男
●観能記@ 能「小塩」 喜多流
シテ 友枝昭世
ワキ 宝生 閑 ワキツレ 則久英志 御厨誠吾
アイ 山本東次郎
笛 一噌仙幸 小鼓 大倉源次郎 大鼓 亀井広忠
太鼓 前川光長
地頭 香川靖嗣 後見 中村邦生
友枝昭世の舞台は、概ね、何かを考えさせる、発見する、その端緒を与えてくれる。今回も600年からの伝統のある能と云う、演劇、あるいは芸能の、なにかしらの秘密の匂いがするような舞台であった。それは、金春禅竹と云う作者から来るものかもしれないけれど。能と云うのは、つくづくと、なんとなく、とんでもなく詐術的、呪術的なものなのだと思った。 後シテの中将の面(なのか?)は、つくづく不思議な面立ちである。女性的にも男性的にも見えながら、だから、少々気持ち悪く人間臭く、浮世離れして神性も持ち、生々しくも見える。様々に見える面は、在原業平にして陰陽の神、あるいは小塩明神の姿でもあるのかもしれない。能面の写真を探していたら、「林望が能を読む」の「小塩」の頁に喜多実の舞台写真があった。この写真の面に少し似ている。
後シテは薄紫の狩衣と白の指貫、初冠に追懸の貴公子の姿である。黒垂を使わない時(髪を両側に垂らしていない)は、演者の横顔の側面が丸見えになり、残念ながら実年齢が見えてしまう。
演者の耳が見えてしまうのは、実はそんなになくて、思いつくのは「融」「須磨源氏」「雲林院」「小塩」の後シテくらいである。あと、「玄象」の村上天皇。他にもまだある?なんとなく、「融」では黒垂をつける時もあるけれど(鬼の系譜だから?単に異装?)、「須磨源氏」「雲林院」「小塩」ではほとんど見かけない気がする。「雲林院」と「小塩」は後シテが在原業平である。鬘物は鬘で隠してほとんど耳を出さないし、あるいは、黒頭などに隠れていて、尉面には面自体に耳がついているものも多くて、やはりあんまり生の耳は出ない。ベシミ系も割りに耳があり、般若もある。とすると、シテで直面を除いては、演者の耳が見えるのはそんなに多くない。生耳の出る舞台が、もうひとつあった!「翁」。 未だに能楽の決まり事に完全に馴染んでいないのは、単純に勉強不足、観能不足と、古典オンチだと思うが、同時にそれでもいいと思う偏屈な感覚もある。曲がりなりにも数十年も洋服を着て電車に乗るなどと云う喧騒の中で暮らして来ているのだ。「小塩」では初冠に花を挿す場合もあって、これが馴染めない。今回は初冠に花はなかったので安心したけれど、友枝昭世の実年齢が見える横顔側面が待っていた。友枝昭世は、そこで観客を現実に返してしまうほど平凡な舞台人ではなくて、明らかに充分に舞台は虚構の上に立つ詐術であることを観客に見せるのであるが・・・もしかして意図的ではないにしても。後姿は男性、横顔は実年齢の友枝昭世。そして正面の顔は、夢の顔、男でも女でもない神性のある在原業平なのである。この見所に向ける角度による切替わりに目が離せなかった。 (後略)
●観能記A 2008.03.22 花の雪散る…「小塩」
お能をみていると色々な業平に会える。妻の嘆きを通して面影をみる「井筒」すらりとした姿と色合いに偲ばれるひととしての「杜若」そしてこの「小塩」前の二つは直接に業平本人は登場しない。だからこそこのお能が楽しみだった。国立能楽堂の催しはパンフレットは別売りだが、詞章と解説番組まで載っているのがありがたい。 ところは西山大原野、花見にきた町の男たち、群衆の中にみっしりと重たげに花をつけた桜の枝をかざした老翁と出会う。やわらかな黄味がかった上の衣(水衣?)下の小袖は濃い茶色で、しぼがある生地が深い色合いである。 始めから、お囃子が凛々と耳をうつ。大小の鼓大倉源次郎も亀井広忠もちから強い響きだ。配する笛は、一噌仙幸駘蕩としたやわらかな音色である。 群衆のなかできわだって品のよい老人だから、都の男が「風流なかただ」と驚くのも無理はない。ワキは宝生閑、いつもの旅僧の姿でないのが新鮮、かぶりものがないとごく普通の市井のひと。さりげなさがふんわりといい感じだ。 なだらかな西山の山裾をのぼっていくとその途中でふと出会うお社がある。仰々しくないそれが大原野神社である。たぶんむかしはもっと社領も広かっただろうが岡の高さはそれほど変わってはいないはずだ。 参道に入る手前で鳥居を左手に、東をながめると遠くひろびろと都の景色がひろがる。ここ西山はうらうらと明るく足弱なものでも遊山に出かけやすい。西行法師の庵もこのあたりにあったと聞く。暖かいひかりが満ちているからだろう。 穏やかに緩やかに会話が弾み、足取りも軽くそこここの景色を愛でる。消え失せる前のなんでもないやりとりにも春の心はずみが思われる。不思議でならない都の男たちが子細を尋ねる里人はかっちりと長袴を着こなしている。このあたりの郷士でもあろうか、篤実で力のこもった語りである。アイが登場すると常は、ふっと見所の空気が緩むものだがこのたびはみごとに引き締まった彼の語りに思わず引き込まれて姿勢をただす。 後シテの面は、澄み切って美しい。業平だから「中将」の面が使われるとおもっていた。しかしわたしの目でみてもなめらかな眉のあたりなどそれには見えない。(後に知人から。あれは「十六」という名の面である旨、教えていただく)纏う狩衣はほんのりとあたたかみのある薄紫。冠は武官のそれ若々しい面は、微笑んでいたり、神々しかったり、また二条の后のように艶めかしくみえたりする。 そのどれもが一体となっているようにみえる後シテである。序の舞はゆるくゆるやかに続き足拍子さえもやわらかに踏まれる。ふと脇を向くその面に花吹雪が散りかかる。闇を裂くのはきりっと際だつ鼓の音色。そのたびに細かな花びらが舞う。胸紐は美々しい紫玉留めの色合いはそれよりやや赤みを帯びている。 業平の歌尽くしにのって舞い続けるのは桜の精と化した神である。高きにいますそれではなく、もっと人懐かしい神である。うす紫の装束は「業平」の、杜若にちなんだものとそのときは思っていた。ところが翌々日の宵、春のはじめの淡雪が街灯に照らされるのをみたときにはじめて腑に落ちたのである。細かな雪はあかりの中で薄く色づいてみえた。春のあけぼのの薄紫の雲と散る花をひと色であらわせばこの色に違いない、と。その色こそは業平の色あたたかな中にもかすかな苦味を含んでいる。激しいこころは表にあらわさぬまま、人が桜か、桜が神か、ゆらゆらと絡まった糸がほどけるが如くに舞は終わる。
(在原業平関係 05曲)
小原隆夫 調べ
コード 曲 目
概 説
場所 季節 習順 謡時間
内15巻5
小 塩 在原業平ノ霊大原小塩ノ昔ヲ語る
京都 春 初序 45分
内03巻3 井 筒 業平ト紀有常ノ娘話
男装ノ女舞ウ 奈良 秋 中序 50分
内09巻3 杜 若 在原業平ノ歌ト
杜若ノ精ガ舞う 愛知 夏 入門 48分
内18巻5 雲 林 院 雲林院で在原業平の霊夢
京都 春 初序 45分
内13巻4 隅 田
川 狂女ノ母隅田川デ子ノ亡霊ニ逢ウ 東京
春 奥伝 60分
(平成23年10月21日 あさかのユーユークラブ
謡曲研究会)
小 塩
小 塩(おしお) 四五番目・略脇能・三番目
内十五巻の五
(太鼓あり)
素謡時間約四十五分
シテ 前・老人 後・在原業平 季 春
ワキ 都 の 男
所 山城国小塩山
詞 章 (胡山文庫)
ワキ 次第上 花にうつろふ嶺の雲花にうつろふ嶺の雲かかるや心なるらん。
詞「かやうに候者は。下京辺住居する者にて候。さても大原野の花。
今を盛りの由承り及び候間。若き人々を伴い申し。
唯今大原山えと急ぎ候。」
サシ上 面白やいづくはあれど所から。花も都の名にしおえる。
大原山の花桜。
( 小謡 今を盛りと ヨリ 心に任すらん マデ )
上歌 今を盛りと木綿花の。今を盛りと木綿花の。
手向の袖も一入に色そう春の時を得て。神もまじわる塵の世の。
花や心に任すらん 花や心に任すらん。
シテ一セイ上 しをりして。花をかざしの袖ながら。老木の梁と。人や見ん。
年経れば齢は老いぬしかはあれど。花をしみれば物思いも。
なしと詠みしも身の上に。今白雪を戴くまで。光にあたる春の日乃。
長閑き御代の時とかや。
( 小謡 散りもせず ヨリ 老いな厭いそ花心 マデ )
上歌 散りもせず残らぬ花盛り。四方の梢も一入に。
匂い満ち色にそう情けの道に誘わるる
老いな厭いそ花心 老いな厭いそ花心。
ワキ 詞「不思議やな貴賤群集のその中に。
殊に年たけ給える老人花の枝をかざし。
さも花やかに見え給もうは。そもいずくより来たり給うぞ」
シテ 詞「思いよらずや貴賤の中に。わきて言葉をかけ給うは。
さも心なき山賤の。身にも応ぜぬ花好ぞと。お笑いあるか人々よ」
カカル上 姿こそ山乃かせぎに似たるとも。心は花になさばこそ。
ならばならめや心からに
地 下 をかしとこそは御覧ずらめ。よしや此身は埋れ木の朽ちは。
果てしなや心の。色も香も知る人ぞ知らずな問はせ給ひそ。
ワキ 詞「あら面白の戯れやな。よも真には腹立ち給はじ。如何様故ある。
心言葉の。奥床しきを語り給え」
シテ 詞「何と語らん花盛り。いうに及ばぬ景色をば。如何は思い給うらん」
ワキカカル上 げにげに妙なる梢の色。うつろう陰も大原や。
シテ 上 小塩乃山の小松が原より。
ワキ 上 煙る霞の遠山桜
シテ 上 里は軒端の家桜
ワキ 上 匂うや窓の梅も咲き
シテ 上 あかねさす日も紅の
ワキ 上 霞か
シテ 上 雪か
ワキ 上 八重
シテ 上 九重の
( 小謡 都辺は ヨリ 知られけれ マデ )
地 上 都辺はなべて錦となりにけり。なべて錦となりにけり。
桜を折らぬ人しなき。花衣きにけりな時も日も月も弥生。
逢いにあう眺めかな。げにや大原や。
小塩の山も今日こそは神代も思い知られけれ神代も思い知られけれ
ワキ 詞
「かから面白き人に参りあいて候ものかな。
此のまま御供申し花をも眺めうずるにて候。又唯今の言葉の末に」
下 大原や小塩の山も今日こそは
詞
「神代の事も思い出づらめ。今所から面白う候。
これは如何なる人の御詠歌にて候ぞ」
シテ 詞
「これは古へこの所に御幸のありし時。在原の業平供奉し給いしに。
忝なくも后の事を思い出でて。神代の事とは詠みしなり。」
下 申すつけて我ながら。空恐ろしや天地の。神の御代より人の身の
妹背の道は浅からぬ。
地
上 名残をしほの山深み。名残をしほの山深み。
のぼりての世の物語。かたるも昔男。哀れふりぬる身の程嘆きても。
かいなかりけり嘆きてもかいぞなかりける。
( 連吟 げに山賤の ヨリ 失せにけり マデ )
地 ロンギ上 げに山賤のさしもげに。しばふる人と身ゆるにも心ありける姿かな。
シテ
上 心知らればとても身の。姿に恥じぬ花の友に馴れてさらばまいらん。
地
上 まじれやまじれ老人の。心若木の花の枝。
シテ 上 老いかくるやとかざさん。
地
上 かざしの袖を引き引かれ。このもの陰ごとに
シテ 上 貴賤の花見。
地 上 輿車の花のながえをかざしつれて。
よろぼいさぞらいとりどりに廻る盃の。
天も花にや碎へるらん紅埋も夕霞。
かげろふ人の面影ありと見えつつ失せにけり/\。
(中入)
ワキ 詞「ふしぎやな今の老人の。唯人ならず見えつるが。
さては小塩乃神代の古跡。和光の影に業平の。花に映じて衆生済度の」
カカル上 姿あらはし給うぞと
待謡上 思いの露もたまさかの。思いの露もたまさかの。
光を見るも花心。妙なる法の道の辺に。
猶も奇特を待ち居たり猶も奇特を待ち居たり
(一セイ)
後シテ 上 月やあらぬ。春や昔の春ならぬ。
我が身ぞもとの。身も知らじ
ワキ 上 ふしぎやな今までは。立つとも知らぬ花見車の。
やごとなき人の御有様。これはいかなる事やらん
シテ
上 げにや及ばぬ雲の上。花の姿はよも知らじ。ありし神代の物語。
思いぞ出づる昔男の。姿あらわすばかりなり。
ワキ 上 あら有り難の御事や。他生乃縁は朽ちもせで。
シテ 上 契りし人も様々に
ワキ 上 思いぞ出づる
シテ 上 花も今
( 小謡 今日来ずは ヨリ 花を待たうよ マデ )
地 上 今日来ずは明日は雪ぞ降りなまし。明日は雪ぞ降りなまし。
消えずはありと。花と見ましやと詠ぜしに。
今はさながら花も雪も。皆白雪の上人の桜。
かざしの袖ふれて花見車暮るるより月の花を待たうよ。
地 クリ上 それ春宵一刻値千金。花に清香月に影。
惜しまるべきは唯この時なり
( 囃子 思ふ事 ヨリ 残るらん マデ )
シテ サシ上 思ふ事いはで唯にややみぬべし。
地 上 われにひとしき人しなければ。とは思へども人知れぬ。
心の色はおのづから思い内より言の葉乃。
露しなしなにもれけるぞや
( 独吟・仕舞 春日野の ヨリ 人もいふ マデ )
地 クリ上 春日野の。若紫の摺り衣。しのぶ乃乱れ。
かぎり知らずっもと詠ぜしに。
陸奥の忍ぶもじ摺り誰れ故乱れんと思う。我ならなくにと。
詠みしも紫の色にそみ香にめでしなり。
又はから衣。着つつ馴れにし妻しあれば。
遙々来ぬる旅をしぞ思ふ心の奥までは。
いさ白雪のくだり月乃都なれや東山。
これもまたあづま乃はてしなの人の心や。
シテ 上 武蔵野は。今日はな焼きそ若草の
地 上 妻もこもれり我もまたこもる心は大原や。
小塩に続く通い路の。行くへは同じ恋草の。
忘れめや今も名は昔男ぞと人もいふ
地 下 昔かな (序の舞)
シテ 上 昔かな。花も所も。月も春。
地 下 ありし御幸を。
( 仕舞 花も忘れじ ヨリ 残るらん マデ )
シテ 下 花も忘れじ。
地 上 花も忘れぬ。
シテ 下 心やをしほの。
地 上 山風吹き乱れ散らせやちらせ。散りまよふ木の下ながら。
まどろめば。桜に結へる夢か現か世人定めよ。
夢か現か世人定めよ。寝てか覚めてか。
春の夜の月。曙の花にや。残るらん。
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