宝生流謡曲 富士太鼓
                                   2008/10/1更新
あらすじ
 萩原院(花園天皇)の時代に現在の大阪・四天王寺の浅間という雅楽奏者が太鼓の役に召されましたが、一方同じく大阪・住吉神社の富士という奏者もこの役を望んで上洛しました。このことを知った浅間は富士を憎み、富士の宿所に押し入りこれを殺してしまいます。ここまでの経緯が冒頭、ワキの萩原院の臣下によって語られます。住吉に残されていた富士の妻は不吉な夢を見て富士のことが気にかかり、娘を連れて都へ来たところ、臣下に富士が殺されたことを告げられます。富士の形見の装束を渡された富士の妻は、これを身に付けると、自分の力では浅間を討つことは出来ないためか、富士が死んだのは太鼓のあるためであり太鼓こそが仇であると言います。まず娘に太鼓を打たせ、ついで自ら撥を持ち太鼓を打ち始めます。「持ちたる撥をば剱と定め」のシテ謡いとともにますます狂乱した様子で舞いますが、やがて正気を取り戻し、天下の安寧を願う舞を舞った後、夫の形見の装束を脱ぎ捨て、名残を残しつつも太鼓のもとを去ってゆきます。

装束と舞
 シテが途中で着る夫の形見は雅楽奏者用の鳥兜と舞衣です。女物で鳥兜をかぶるのは「富士太鼓」と後述する「梅枝」しかありません。他には「白髭」、「大社(おおやしろ)」、「道明寺」があります。これら鳥兜をかぶるシテは必ず「楽」という舞を舞います。これは雅楽に伴う舞である舞楽を模したもので、「富士太鼓」では夫の霊が半ば取り憑いていることを表しています。囃子には通常太鼓が入りますが、この曲では除かれ、シテの狂乱の心を表現しています。

題材
 「謡曲拾葉抄」は実際の事件としてちょうど萩原院の時代、文保三年に芸事に関連して殿上人の間で殺人事件があり、「富士太鼓」はこれに題材を得たのではないかとしています。雅楽師の間での事件としては同じような事件で有名なものがこれより二百年ほど前にありましたが、これは反映されていないようです。あるいは、雅楽に限らず類似の事件はこの時代ありがちであって、そのことを反映した現在能であるという見方も成り立つようです。

「梅枝 (うめがえ) 」
 「富士太鼓」の後日談を扱った能に「梅枝」があります。「富士太鼓」が現在能であるのに対してこれは夢幻能です。旅の僧(ワキ)が住吉で里の女に宿を借りると、その女は実は富士の妻の霊であり僧に回向を頼むという内容です。

(平成22年5月21日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)



  富士太鼓  四番目(太鼓なし)
 
        子方   富士の娘             季 秋
         シテ   富士の妻
         ワキ   宮 人              所 京都

ワキ 詞「これは萩原の院に仕へ奉る臣下なり。さても内裏に七日の管絃の御座候により。
      天王寺より浅間と申す楽人。これはならびなき太鼓の上手にて候ふを召し上せられ。
      太鼓の役を仕り候所に。又住吉より富士と申す楽人。
      これも劣らぬ太鼓の上手にて候ふが。管絃の役を望み罷り上りて候。
      此由きこしめされ。富士浅間いづれも面白き名なり。さりながら古き歌に。
    下「信濃なる浅間の嶽も燃ゆるといへば。
    詞「富士の煙のかひや無からんと聞く時は。名こそ上なき富士なりとも。
      あつぱれ浅間は増さうずるものをと勅諚ありしにより。
      重ねて富士と申す者もなく候。しかれども浅間安からずに思い。
      かの宿所に押しよせ。あへなく富士を討つて候。まことに不便の次第にて候。
      定めて富士が縁の無きことは候ふまじ。もし尋ね来りて候は。
      形見を遣はさばやと存じ候。
   次第
(そこへ、富士の後を追って都にやってきた妻と子が登場する。妻のいでたちは、深井の面に水衣、腰巻、子方は直面に少女の姿である。)

シテ子方「雲の上なほ遥なる。雲の上なほ遥なる。富士の行方をたづねん。
シテ  上「これは津の国住吉の楽人。富士と申す人の妻や子にて候。
    詞「さても内裏に七日の管絃の役者。天王寺より楽人めされ参る由を聞き。
      妾が夫も太鼓の役。
シテ子方
二人 上「世に隠無ければ。望み申さん其ために。都へのぼりし夜の間の夢。
      心にかゝる月の雨。
   下歌「身を知る袖の涙かと。明かしかねたる夜もすがら。
   上歌「寝られぬまゝに思ひ立つ。寝られぬまゝに思ひ立つ。
      雲井やそなた故郷は。跡なれや住吉の松の隙より眺むれば。
      月落ちかゝる山城もはや近づけばこれぞこの。八幡に祈りかけ帯の。
      むすぶ契の夢ならで。
      うつつに逢ふや男山都にはやく着きにけり都にはやく着きにけり。
シテ  詞「急ぎ候ふ程に。都に着きて候。
      此処にて富士の御行方を尋ねうずるにてあるぞ此方絵来たり候。
     〇「いかに案内申し候。
                                     狂言シカジカ
シテ 詞「これは富士がゆかりの者にて候。
      富士に引き合はせられて賜はり候へ。〇 
                                     狂言シカジカ
(狂言の案内で、萩原院の臣下に面会した母娘は、訪ねる富士が討たれたことを聞かされて、悲しみに沈む。)

ワキ 詞「富士がゆかりと申すはいづくにあるぞ。
シテ 詞「これに候。
ワキ 詞「さてこれは富士がため何にてあるぞ。
シテ 詞「恥かしながら妻や子にて候。
ワキ 詞「なう富士は討たれて候ふよ。
シテ 詞「何と富士は討たれたると候ふや。
ワキ 詞「なか/\の事富士は浅間に討たれて候。
シテ   「さればこそ思ひ合せし夢の占。重ねて問はゞなかなかに。
      浅間に討たれ情なく。
地  上「さしも名高き富士はなど。煙とはなりぬらん。
      今は歎くに其かひもなき跡に残る思子を。
      見るからのいとゞ猶すゝむ涙はせきあへず。
ワキ 詞「今は歎きてもかひなき事にてあるぞ。是こそ富士が舞の装束候ふよ。
      それ人の歎には。形見に過ぎたる事あらじ。これを見て心を慰め候へ。
シテ 下「今までは行方も知らぬ都人の。妾を田舎の者と思し召して。
     偽り給ふと思ひしに。誠にしるき鳥甲。月日もかはらぬ狩衣の。
     疑ふ所もあらばこそ。痛はしやかの人出で給ひし時。みづから申すやう。
     天王寺の楽人は召にて上りたり。御身は勅諚なきに。押して参れば下として。
     上を計るに似たるべし。其うへ御身は当社地給の楽人。明神に仕へ申す上。
     何か望のあるべきぞと申しゝを。知らぬ顔にて出で給ひし。
     その面影は身に添へど
地  下「まことの主は亡きあとの忘形見ぞよしなき。
地  上「かねてよりかくあるべきと思ひなば。かくあるべきと思ひなば。
     秋猴が手を出し。斑狼が涙にても留むべきものを今更に。
     神ならぬ身を恨みかこち。歎くぞあはれなる歎くぞあはれなりける。
                                       (物着)
(悲しみ嘆く妻に夫の怨霊が乗り移るところは、妻が腰巻姿のまま、鳥兜をかぶることで表現される。そのアンバランスがかもしだす鬼気迫る姿で、剣に見立てた撥を振りかざすところが、この曲最大の見所である。)

シテ  「あら嬉しあれに夫の敵の立ちたるはいかに。
子方  「あれは太鼓にてこそ候へ。何と御覧じて敵とは仰せ候ふぞ。 
     あら浅ましや候。
シテ 詞「うたての人のいひ言や。あかで別れし我が夫に。
     はなるる事も何故ぞ。太鼓の役を争うゆえなり。
     「唯恨めしきは太鼓なり。夫の敵よいざ打たう。
子方 上「げに理なり父御前に。別れし事も太鼓故。さあらば親の敵ぞかし。
     打ちて恨を晴らすべし。
シテ 上「妾がためには夫の敵。いざやねらはんもろともに。
子方 上「男の姿狩衣に。
シテ 上「物の具なれや鳥甲。
子方 上「恨の敵討ちをさめ。
シテ 上「鼓を苔に埋まんと。
地  上「寄するや鬨の声立てゝ。秋の風より。すさまじや。
シテ 上「打てや/\と攻鼓。
地  上「あらさてこりの。泣く音やな。
地  上「なほも思へば腹たちや。なほも思へば腹たちや。怪したる姿に引きかへて。
     心言葉も及ばれぬ。富士が幽霊来ると見えて。
     よしなの恨や。もどかしと太鼓討ちたるや。
                                         (楽)
(妻と子が、太鼓に向かってかわるがわる剣を振りかざすうちに、富士の怨念も次第に収まってきて、最後は千秋楽を舞いながら、晴れ晴れとした気持ちになるところで、一曲が終わる。)

シテ 下「持ちたる撥をば剣と定め。
地  下「持ちたる撥をば剣と定め。瞋恚の焔は太鼓の烽火の。天にあがれば雲の上人。
     誠に富士颪に絶えず揉まれて裾野の桜。四方へばつと散るかと見えて。
     花衣さす手も引く手も。伶人の舞なれば。太鼓の役は。本より聞ゆる。
     名の下空しからず。たぐひなやなつかしや。
ロンギ地「げにや女人の悪心は。煩悩の雲晴れて五常楽を打ち給へ。
シテ 上「修羅の太鼓は打ちやみぬ。此君の御命。千秋楽を打たうよ。
地  上「さてまた千代や万代と。民も栄えて安穏に。
シテ 下「太平楽を打たうよ。
地  下「日も既に傾きぬ。日も既に傾きぬ。
     山の端をながめやりて招きかへす舞の手の。
     うれしや今こそは思ふ敵は打ちたれ。
     打たれて音をや出すらん我には晴るゝ胸の煙。
     富士が恨を晴らせば涙こそ上なかりけれ。
   キリ「これまでなりや人々よ。
   〇これまでなりや人々よ。〇
     「暇申してさらばと。伶人の姿鳥甲。皆ぬぎすてゝ我が心。
     乱れ髪乱れ笠。かゝる思は忘れじと。
     また立ちかへり太鼓こそ憂き人の形見なりけれと。
     見置きてぞ帰りける後見置きてぞ帰りける。


                     註 〇印から〇印までは素謡ではうたわない。


あさかのユーユークラブindexページに戻る

郡山の宝生流謡会のページに戻る

このページのトップに戻る

謡曲名寄せに戻る