檜 垣 (ひがき)

●あらすじ
肥後国白河のほとりに、百歳近い老女(シテ)が住んでいる。彼女は自分の罪を滅することができるかと期待し、毎日重い足取りで岩戸観音まで閼伽の水を運ぶのである。ある日居住の僧(ワキ)が老女に名を尋ねると、「年ふればわが黒髪も白河のみつはぐむまで老いにけるかな」(『後撰集』)を詠んだ遊女、檜垣の女であると明かし、姿を消す(中入)。その夜、白河のほとりにまで尋ねて行った僧の前に、再び檜垣の女の亡霊(後シテ)が現れ、世の無常を述べ、美しい舞姫であったという罪ゆえに地獄で受ける苦しみを見せ、かつて藤原興範に乞われて舞った老体の舞を再現し、僧に救済を求めて消えていく」                 
(『岩波講座 能・狂言』より)

●宝生流謡本     内十五巻の三   三番目    (太鼓なし)
   素謡 : 季節=不定  場所=肥後国岩戸  稽古順=三老女  素謡時間=****分
   素謡座席順  シテ=前・老女 後・檜垣の媼
             ワキ=岩戸山の僧

「檜垣」は一般に「三老女」と呼ばれるものの一つであり、たいへんに重い習いだとされている。
「三老女」とは「姥捨」「檜垣」「関寺小町」で、演者に深い精神性を要求する。

●観能記
能『檜垣』            
観世榮夫古希記念『檜垣』 (平成9年11月16日・国立能楽堂)
檜垣の女=:観世榮夫、  僧:=宝生閑、 アイ=所の者:野村万蔵(現・萬)
平成19年6月に亡くなった観世榮夫を偲び、師が古希記念として舞った『檜垣』。
能には「重習(おもならい)」という特別なあつかいを受ける演目がいくつかあり、なかでも“三老女”といわれる「檜垣」「関寺小町」「姥捨」は秘曲とされている。世阿弥は、かつての白拍子が年老いて、過去を思い来世の成仏を願いながら静かに舞うこの「檜垣」を幽玄の極地と説いている。
お〜〜〜〜〜!!長い!! 正味2時間を超す演能!疲れた!!
百歳を超す老女が痛々しい姿で閼伽の水を汲み岩戸観音に捧げる。 昔、太宰府でその嬌名をうたわれた白拍子”檜垣”!今は肥後の国は白川のほとりに住んでいるという設定!この老女こそその白拍子の亡霊!美貌と舞いの名手にて、男たちを惹きつけ人心を惑わした罪業により成仏できずに業火のつるべを延々と手繰ることになった老女!  ここでお約束の旅の僧!
この岩戸観音は剣豪宮本武蔵が『五輪書』を書いたというところである。

  ♪年ふれば我が黒髪も白河の
          みつハくむまで老いにけるかな
後撰集の歌をひいて自分の身分をあかす。
  ♪朝には紅顔あって世路に楽しむといえども
          夕べには白骨となって郊原に朽ちぬ。
有為の有様 無常の誠誰か生死乃理を論ぜざるいつを限るならひぞや。白骨の御文・・・持って世の無常を語る。

平安時代の白拍子たちは絵空事の芸能を以て人心をまどわせる心とし生きながらに仏罰をうけつつ生きるという時代背景。それを踏まえて観ていると哀れも極まる。 昔は舞女として評判であったが今は老残を晒し緑の黒髪は土水の藻屑塵芥!その罪により今は冥土にて熱鉄の桶を担い猛火のつるべを下げて身を焦がす!旅の僧のその回向によって白拍子は業火の炎からまぬがれる!

●解 説    :
観世流能楽師・柴田稔   
銕仙会の先輩、浅井文義さんが老女物「檜垣」を演ぜられました。老女物は能の世界では最も位(くらい)の高いものとして、われわれ能楽師が目指す終極の目的になっています。
「能の役者は女の能を舞いこなすために一生の修行を賭ける」ともいわれ、その頂点が老女の能になるわけです。「関寺小町」、「姨捨」、「檜垣」を三老女といい、なかでもこの「檜垣」は主題がはっきりしていてので、観る側も演じる側も手ごたえというものを感じやすい作品だと思います。
「檜垣」は、若くて美しい白拍子が、その美しさゆえに男を悩まし、その罪で地獄に落ちた苦悩を描いています。 当日のパンフレットに「因果の水を汲む老女」と題して西野春雄氏が次のように書かれていました。 「単に老醜をはかなむのではなく、美しかった舞姫のいたましい末路を描く。男どもを惹きつけたその美しさゆえに、死後は、業火の焔に燃え立つ釣瓶を、永遠に手繰り続け、因果の水を汲まねばならないのだ。」(抜粋)
「檜垣」を分かりやすく的確に表現されています。もし、もしも私にも老女物を演ずることが許されれば、この「檜垣」を手掛けたいと思っています。 世阿弥は著書の中で、「老人の物まね、この道の奥儀なり。」と記してあり、また、「稽古の劫(こう)入りて、位上がらでは似合うべからず。」(稽古を積み重ねて、芸の位が上がらない人は演じる資格がない)と戒めてもいます。日々の研鑚の積み重ねですね、いつの日か「檜垣」を演じれるよう、がんばります。

●参考@  「檜垣」
 能の曲名。三番目物(鬘物カズラモノ)。世阿弥作。古くは『檜垣の女』とも。『後撰集』『大和物語』を典拠とする。 まず後見が藁屋の作り物を設える。左右の下部は檜の薄板を網代アジロ組みにした垣、即ち檜垣となっている(前場は引き回しを掛けておく)。賎しい住まいを表す。肥後国岩戸イワド山に篭もる僧(ワキ)は、毎日水桶を持ち仏に水を手向ける老女(前シテ)に名を尋ねる。老女は、元太宰府で檜垣の庵に住んだ白拍子シラビョウシが、老いて白川に住み、通り掛かった藤原興範オキノリに請われて水を参らせた話をし、夕紛ユウマグれに消え失せる(藁屋の中に中入)。日が暮れると、川霧の中に庵の燈が見え、彼の老女(後シテ)が現れる。老女は、地獄に堕ちて因果の炎に身を焼き、釣瓶ツルベで繰り返し水を汲んでも浮かばれぬ苦しみを見せ、興範の所望で舞った舞(序之舞)を静かに舞い、僧に回向を頼む。
 簡潔な構成による、極めて静かな能である。世阿弥の『能作書』には、女能の代表作として挙げている。前シテは姥ウバ或いは老女の面を懸け、後シテは専用面の檜垣女ヒガキノオンナの面を懸けて白を主体とした装束を用いる。登場に際し、前シテは「習ナライノ次第」、後シテは「習ノ一声イッセイ」と言う常とは異なる囃子を奏する。また最後は謡の後囃子の残る「残留ノコリドメ」となる。その他曲中に多くの口伝や秘伝がある。また古くは序之舞の初めに乱拍子ランビョウシを踏む演出が行われていた。能の中でも最高の秘曲に数えられ、余程年功を積んだ演者でなければ上演が許されない。従って上演される例も極めて少ない。本曲と『姥捨オバステ』『関寺セキデラ小町』とを併せて「三老女」と称し、至難の曲として扱う(ただし流儀によっては三老女に扱う曲が異なり、また宝生流では『檜垣』の謡のみ残し能では上演しない)。

●参考A   〈檜垣 ヒガキ〉 「檜ヒノキ」
 ヒノキ科の常緑高木。わが国特産種。高さ30〜40m。樹皮は赤褐色、葉は小鱗片状で、枝に密生。雌雄同株。春、枝の上に小花を開き、後に球果を結ぶ。材は帯黄白色、緻密で光沢・芳香があり、諸材中最も用途が広く、建築材として最良。チャボヒバ・クジャクヒバなど葉の美しい園芸品種もある。古称、ひ。

(平成22年5月21日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                    檜 垣(ひがき)     

         季 不定      所 肥後国岩戸     
  【分類】三番目 (謡奥伝)
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】前シテ:老女、後シテ:檜垣の媼 ワキ:岩戸岩戸山の僧 

         詞 章                              (胡山文庫)

ワキ    詞「これは肥後の国岩戸と申す山に居住の僧にて候。さても此岩戸の観世音は。
        霊験殊勝の御事なれば。暫く参籠し処の致景を見るに。
   カカル上 南西は海雲漫々として万古心の内なり。人稀にして慰多く。
        致景あつて郷里を去る。誠に住むべき霊地とと思ひて。三年が間は居住仕つて候。
      詞「ここに又百にも及ぶらんとおぼしき老女。毎日閼伽の水を汲みて来り候。
        今日も来りて候はゞ。いかなる者ぞと名を尋ねばやと思ひ候。
シテ  次第上 影白河の水汲めば。/\。月も袂や濡らすらん。
    サシ上 それ籠鳥は雲を恋ひ。帰雁は友をしのぶ。人間もまたこれ同じ。
        貧家には親知少なく。賎しきには故人疎し。老悴衰へ形もなく。
        露命きはまつて霜葉に似たり。
     下歌 流るゝ水のあはれ世のその理を汲みて知る。
     上歌 こゝは処も白河の。/\。水さへ深き其罪を浮びやすると捨人に。
        値遇を運ぶ足引の。山下庵に着きにけり。山下庵に着きにけり。
      詞 いつもの如く今日もまた御水あげて参りて候。
ワキ    詞「毎日老女の歩返す%\も痛はしうこそ候へ。
シテ    下 せめてはかやうの事にてこそ。少しの罪をも遁るべけれ。亡からん跡を。
        弔ひ給ひ候へ。
      詞「明けなば又参り候ふべし。御暇申し候はん。
ワキ    詞「暫く。御身の名を名乗り給へ。
シテ    詞「何と名を名乗れと候ふや。
ワキ    詞「なか/\の事。
シテ    詞「これは思もよらぬ仰かな。かの後撰集の歌に。
      下 年ふれば我が黒髪も白河の。
      詞「みつはぐむまで老いにけるかなと。詠みしもわらはが歌なり。
        昔筑前の太宰府に。庵に桧垣しつらひて住みし白拍子。
        後には衰へて此白河の辺に住みしなり。
ワキ カカル上 げにさる事を聞きしなり。その白河の庵のあたりを。藤原の興範通りし時。
シテ    上 水やあると乞はせ給ひし程に。その水汲みて参らするとて。
ワキ    上 みづはくむとは。
シテ    上 よみしなり。
地     上 そもみづはくむと申すは。/\。唯白河の水にはなし。
        老いて屈める姿をばみつはぐむと申すなり。そのしるしをも見給はゞ。
        かの白河の辺にて我が跡弔ひてたび給へと夕まぐれして。
        失せにけり夕まぐれして失せにけり。
                 中入り
ワキ    詞「さては古の桧垣の女仮に現れ。我に言葉をかはしけるぞや。
        一つは末世の奇特ぞと。思ひながらも尋ね行けば。
    待謡上 不思議や早く日も暮れて。/\。河霧深く立ちこもる。
        陰に庵の燈の。ほのかに見ゆる。不思議さよほのかに見ゆる不思議さよ。
後シテ一セイ上 あら有難の弔やな。/\。風緑野に収つて煙条直し。
        雲岸頭に定まつて月桂円なり。朝に紅顔あつて。世路に楽むといへども。
地     上 夕には白骨となつて郊原に朽ちぬ。
シテ    上 有為の有様。
地     上 無常のまこと。
シテ    上 誰か生死の。
地     下 理を論ぜざるいつを限る習ぞや。老少といつぱ分別なし。
        変るを以て期とせり誰か必滅を。期せざらん誰かはこれを期せざらん。
ワキ カカル上 不思議やな声を聞けばありつる人なり。同じくは姿を現し給ふべし。
        御跡とひて参らせん。
シテ    上 さらば姿を現して。御僧の御法を受くべきなり。人にな現し給ひそとよ。
ワキ    上 なか/\に人に現す事あるまじ。早々姿を見え給へ。
シテ    上 涙曇りの顔ばせは。それとも見えぬ衰を。誰白河のみつはぐむ。
        老の姿ぞ恥かしき。
ワキ    下 あら痛はしの御有様やな。今も執心の水を汲み。輪廻の姿見え給ふぞや。
        早々浮び給へ。
シテ    詞「我古は舞女の誉世に勝れ。その罪深き故により。今も苦をみつ瀬河に。
        熱鉄の桶を荷ひ。猛火の釣瓶を提げて此水を汲む。
      上 其水湯となつて我が身を焼く事隙もなけれども。
      詞「此程は御僧の値遇に引かれて。釣瓶はあれども猛火はなし。
ワキ    上 さらば因果の水を汲み。其執心を振り捨てゝ。とく/\浮び給ふべし。
シテ    詞「いで/\さらば御僧のため。このかけ水を汲み乾さば。罪もや浅くなるべきと。
ワキ    上 思も深き小夜衣の。袂の露の玉だすき。
シテ    上 影白河の月の夜に。
ワキ    上 底澄む水を。
シテ    上 いざ汲まん。
地   次第上 釣瓶の水に影落ちて。袂を月や上るらん。
地   クリ上 それ残星の鼎には北渓の水を汲み。後夜の炉には南嶺の。柴を焚く。
シテ  サシ上 それ氷は水より出でて水よりも寒く。
地     上 青き事藍より出でて藍より深し。もとの憂き身の報ならば。今の苦去りもせで。
シテ    下 いや増さりぬる思の色。
地     下 紅の涙に身を焦がす。
    クセ下 釣瓶の懸縄繰り返し憂き古も。紅花の春のあした黄葉の秋の。
        夕暮も一日の夢と早なりぬ。紅顔の粧舞女のほまれもいとせめて。
        さも美しき紅顔の。翡翠のかづら花しをれ。桂の眉も霜降りて。
        水にうつる面影老衰。影沈んで。緑に見えし黒髪は土水の藻屑塵芥。
        変りける。身の有様ぞ悲しき。実にやありし世を。
        思ひ出づればなつかしや。其白河の波かけし。
シテ    上 藤原の興範の。
地     上 そのいにしへの白拍子いま一節とありしかば。昔の花の袖今更色も麻衣。
        短き袖を返し得ぬ心ぞつらき陸奥の。けふの細布胸合はず。
        何とか白拍子その面影のあるべき。よし/\それとても。
        昔手馴れし舞なれば。舞はでも今は叶ふまじと。
シテ    上 興範しきりに宣へば。
地     上 浅ましながら麻の袖。露うち払ひ舞ひ出す。
シテ    上 桧垣の女の。
地     上 身の果を。
                  序ノ舞
シテ    上 水掬ぶ。釣瓶の縄の釣瓶の縄の。繰り返し。
地     上 昔に帰れ白河の波。白河の波白河の。
シテ    下 水のあはれを知る故に。これまで現れ出でたるなり。
地     下 運ぶ芦田鶴の。ねをこそ絶ゆれ浮草の。
        水は運びて参らする罪を浮べてたび給へ罪を浮べてたび給へ。


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