通 盛 (みちもり)
●あらすじ
戦によって悲劇的な最後を迎える夫婦の情愛を修羅能として描いている名曲です。所は阿波の鳴門。二人の僧(ワキ・ワキツレ)源平の合戦の跡地として、毎夜海辺に出て読経していると篝火を付けた小舟が近づいてきます。それには物悲しげな老人と女(前シテ・ツレ)が乗っています。僧が篝火の明かりで読経したいと呼びかけると、老人は喜んで舟を寄せます。 問われるままに平家一門の、殊に小宰相の局の悲しい最期を二人で語ると、海に飛び込み消え失せます。驚いた僧は、改めて通盛夫婦を弔うと、二人の霊(後シテ・同ツレ)が現れ、最期の有様を物語り、読経のお陰にて、局と共に成仏出来た事を喜び、また海に消えます。 派手さはありませんがしみじみとした情感漂います。前場の篝火を付けた小舟の二人。海に飛び込む緊迫。後場の夫婦の情愛と戦いの変化。能ならではの演出です。 能楽師 吉浪寿晃 記
●宝生流謡本
内十五巻の二 二番目 (太鼓なし)
素謡 : 季節=夏
場所=阿波国鳴戸 稽古順=入門 素謡時間43分
素謡座席順 ツレ=女
シテ=前・漁 翁 後・平 通盛
ワキ=旅 僧
●解 説@ 能通 盛
■作者 井阿弥原作・世阿弥
改作(素材 『平家物語』
巻九、『源平盛衰記』巻三十七)
■場所 阿波国 鳴門(現・徳島県鳴門市
兵庫県淡路島 海峡) 季節 夏
演能時間 1時間10分〜20分
分類 2番目 修羅物
■登場人物
前シテ・・・漁翁 面:笑尉、三光尉、朝倉尉の類
装束:尉鬘、無地熨斗目、水衣、緞子腰帯、腰蓑、尉扇、棹
後シテ・・・平通盛の霊 面:中将
装束:黒垂、梨子打烏帽子、白鉢巻、厚板、大口、長絹又は単法被、紋腰帯、負修羅扇、太刀
ツレ・・・小宰相局 面:小面 装束:鬘、摺箔、紅入唐織、紅入中啓
ワキ・・・僧 装束:角帽子、無地熨斗目、
水衣、緞子腰帯、墨絵扇、数珠、経巻
ワキツレ・・・従僧 装束:角帽子、無地熨斗目、縷水衣、緞子腰帯、墨絵扇、数珠
アイ・・・鳴門の浦人 装束:狂言上下
■小書 各流ともナシ
●解 説A 平 通盛(たいら の みちもり)
平安時代末期の武将。平教盛の嫡男。弟に教経・業盛・忠快がいる。妻は小宰相。越前三位と呼ばれた。本名は公盛。
? 時代 平安時代末期
? 生誕 仁平3年(1153年)〜死没 寿永3年2月7日(1184年3月20日)
? 官位 中宮亮、建礼門院別当、非参議従三位
? 氏族 桓武平氏維衡流
? 父母 平教盛、藤原資憲の娘
? 兄弟
通盛、教経、業盛、忠快、盛縁、教子(藤原範季室)
? 妻 平宗盛娘、小宰相 子 通衡
● 生 涯
父の教盛は平清盛の弟で、平氏政権樹立とともに教盛の家系も栄達することになった。父の教盛は門脇中納言と呼ばれ嫡男の通盛も幼くして従五位下・蔵人に任じられ、順調に昇進を重ねる。
平氏の財源の柱は知行国支配であり、その中でも大国の越前国は重要な収入源だった。越前国の知行国主は清盛の嫡男の重盛であり、甥の通盛は国司となり支配を固めた。ところが、治承3年(1179年)に重盛が死去すると、後白河法皇は越前国を取り上げ、通盛も国司を解任されてしまう。清盛はこの措置に怒り、やがて、同年11月の治承三年の政変につながる。この政変によって通盛は越前守に復帰している。 治承4年(1180年)5月の以仁王の挙兵に端を発して、各地で反平氏の蜂起が起こる。その中の最たるものが関東で挙兵した源頼朝と信濃国で挙兵した源義仲だった。
頼朝、義仲の叔父で以仁王の挙兵に関与した源行家も美濃国、尾張国で勢力圏を築きつつあった。養和元年(1181年)3月、重衡を大将とする行家討伐の軍が派遣され、通盛も従軍。尾張国墨俣川の戦いで行家を撃破する。
北陸道の加賀国・能登国でも在地の源氏が蠢動し始めていた。越前守の通盛は従兄の経正とともにこの鎮定を命じられた。
同年9月、越前国に賊徒が乱入して大野郡・坂北郡に放火した。国府にあった通盛は国中が従わない状態になっていると報告を送っている。越前国水津の戦いで通盛の軍は越前・加賀の国人(源義仲配下の根井行親)に敗れ、国府を放棄して津留賀城(敦賀城)への退却を余儀なくされている。援軍を求め、教経、行盛らが送られることが決まるが、通盛は津留賀城を放棄して山林へ逃れて、11月に帰京している。北陸道は義仲に侵食されることになった。
寿永2年(1183年)4月、維盛を総大将とする義仲追討軍(『平家物語』によると10万騎)が編成され、通盛も大将軍の一人として従軍する。追討軍は越前国燧城の戦いで勝利を収めた。5月に入り、維盛らの主力7万騎は義仲を追って加賀国から越中国へ進出。通盛は平知度と3万騎の兵を率いて能登国の反乱鎮圧に向かった。だが、維盛の主力軍が倶利伽羅峠の戦いで大敗を喫してしまう。通盛も能登から撤退。義仲は逃げる平氏軍を追撃し篠原の戦いで北陸追討軍は壊滅した。
●解 説B 通 盛(みちもり)
能の曲目で、二番目物。 五流現行曲で、出典は『平家物語』。『申楽談儀(さるがくだんぎ)』に世阿弥(ぜあみ)が「修羅(しゅら)かかりにはよき能」とし、井阿弥(せいあみ)の作を世阿弥が改作したと語っている。平家滅亡を悼み、僧(ワキ、ワキツレ)が阿波(あわ)の鳴門(なると)の磯辺(いそべ)で読経していると、老いた漁師(前シテ)と姥(うば)(ツレ。現在の演出では若い女の扮装(ふんそう)のまま前後場ともに演ずる便法が普通)の乗る釣り舟が漕(こ)ぎ寄せて経を聴聞(ちょうもん)する。僧は平家一門の最後のありさまを問い、2人は平通盛の戦死と小宰相(こざいしょう)の局(つぼね)の入水(じゅすい)を語り、海に消える。通盛夫婦を弔う僧の前に、武装の通盛(後シテ)と小宰相の局(本来の演出では後ツレ)の幽霊が現れ、愛を引き裂く戦(いくさ)の無情を語り、戦死の模様と修羅道の苦しみを訴えるが、成仏して終わる。修羅能の原点とされる能で、暗い海から僧の読経に慕い寄る前段、悲恋の情緒に彩られた後段、ともに優れた作品である。
[執筆者:増田正造 [日本大百科全書(小学館)]
平成24年5月12日あさかのユーユークラブ
謡曲研究会
通 盛 (みちもり)
季 夏 所 阿波国鳴門 素謡時間 43分
【分類】二番目物
【作者】世阿弥元清 典拠:平家物語、源平盛衰記
【登場人物】前シテ:漁翁、後シテ:平 通盛 ツレ:女 ワキ:旅僧
詞章 (胡山文庫)
ワキ 詞「是は阿波の鳴門に一夏{いちげ}を送る僧にて候。扨も此浦は。
平家の一門はて給ひたる処なれば痛はしく存じ。
毎夜此磯辺に出でて御経を読み奉り候。
唯今も出でて弔ひ申さばやと思ひ候。
上 磯山に。暫し岩根のまつ程に。/\。
誰が夜舟とは白波に。楫音ばかり鳴門の。浦静かなる。今宵かな。
ツレ サシ上 すは・遠山寺{とほやまでら}の鐘の聲。この磯辺近く聞え候。
シテ 上 入相ごさめれ急が給へ。
ツレ 上 程なく暮るゝ日の数かな。
シテ 上 昨日過ぎ。
ツレ 上 今日と暮れ。
シテ 上 明日またかくこそ有るべけれ。
ツレ 上 されども老に頼まぬは。
シテ 上 身のゆくすゑの日数なり。
シテツレ 上 いつまで世をばわたづみの。あまりに隙も波小舟。
ツレ 上 何を頼に老の身の。
シテ 上 命のために。
シテツレ 上 使ふべき。
(小謡 うきながら ヨリ 悲しき マデ )
地 上 うきながら。心のすこし慰むは。/\。月の出汐の海士小舟。
さも面白き浦の秋の景色かな。処は夕浪の。鳴門の沖に雲つゞく。
淡路の島や離れ得ぬ浮世の業ぞ悲しき浮世の業ぞ悲しき。
シテ サシ上 暗濤月を埋んで清光なし。
ツレ 上 舟に焚く海士の篝火更け過ぎて。
シテツレ
上 苫よりくゞる夜の雨の。芦間に通ふ風ならでは。音する物も波枕に。
夢か現か御経の声の。嵐につれて聞ゆるぞや。・
楫音{かぢおと}を静め唐櫓を抑へて。聴聞せばやと思ひ候。
ワキ 上 誰そや此鳴門の沖に音するは。
シテ 上 泊定めぬ海士の釣舟候ふよ。
ワキ 上 さもあらば思ふ子細あり。この磯近く寄せ給へ。
シテ 上 仰に随ひさし寄せ見れば。
ワキ 上 二人の僧は巖の上。
シテ 上 漁の舟は岸の陰。
ワキ 上 芦火の影を仮初に。御経を開き読誦する。
シテ 上 有難や漁する。業は芦火と思ひしに。
ワキ 上 善き燈火に。
シテ 上 鳴門の海の。
シテワキ
下 弘誓深如海歴劫不思議の機縁によりて。五十展転の随喜功徳品。
(小謡 げにありがたや ヨリ 有難き マデ )
地
下 げにありがたやこの経の。面ぞくらき浦風も。芦火の影を吹き立てゝ。
聴聞するぞありがたき。
(小謡 竜女変成と ヨリ お経あそばせ マデ )
上 竜女変成と聞く時は。/\。姥も頼もしや祖父はいふに及ばす。
願も三つの車の芦火は清く明かすべしなほ/\
お経遊ばせなほ/\お経あそばせ。
ワキ 詞「あら嬉しや候。火の光にて心静に御経を読み奉りて候。先々此浦は。
平家の一門果て給ひたる処なれば。毎夜此磯辺に出でて御経を読み奉り候。
取り分き如何なる人此浦にて果て給ひて候ふぞ委しく御物語り候へ。
シテ 詞「仰の如く或は討たれ。又は海にも沈み給ひて候。中にも小宰相の局こそ。
や。もろともに御物語り候へ。
ツレ 上 さる程に平家の一門。馬上を改め。海士の小船に乗りうつり。
月に棹さす時もあり。
シテ サシ上 こゝだにも都の遠き須磨の浦。
シテツレ
下 思はぬ敵に落されて。げに名を惜む武士の。おのころ島や淡路潟。
阿波の鳴門に着きにけり。
ツレ 下 さる程に小宰相の局乳母を近づけ。
シテツレ
下 いかに何とか思ふ。我頼もしき人々は都に留まり。通盛は討たれぬ。
誰を頼みてながらふべき。此海に沈まんとて。
主従泣く/\手を取り組み舟端に臨み。
ツレ 下 さるにてもあの海にこそ沈まうずらめ。
地 下 沈むべき身の心にや。涙の兼ねて浮ぶらん。
上 西はと問へば月の入る。/\。其方も見えず大方の。
春の夜や霞むらん涙もともに曇るらん。乳母泣く/\取り付きて。
此時の物思君一人に限らず思し召し止り給へと。
御衣{おんきぬ}の袖に取り付くを。振り切り海に入ると見て老人も同じ満汐の。
底の水屑となりにけり/\。
ワキ 待謡上 此八軸の誓にて。/\。一人も洩らさじの。方便品を読誦する。
ワキ 下 如我昔所願。
後シテ 上 今者已満足。
ワキ 上 化一切衆生。
地 上 皆令入仏道の。通盛夫婦。御経に引かれて。立ち帰る波の。
あら有難の。御法やな。
ワキ
カカル上 不思議やなさも艶めける御姿の。波に浮びて見え給ふは。
いかなる人にてましますぞ。
ツレ 上 名ばかりはまだ消え果てぬあだ波の。阿波の鳴門に沈み果てし。
小宰相の局の幽霊なり。
ワキ カカル上 今一人は甲胃を帯し。兵具いみじく見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ 上 今はなにをか包むべき。これは生田の森の合戦に。名を天下に掲げ。
地 上 武将達し誉を越前の三位通盛。昔を語らん其為に。これまで現れ出でたるなり。
(独吟 そも/\此一の谷と ヨリ 後髪ぞ引かるゝ マデ )
(囃子 そも/\此一の谷と ヨリ 有難き マデ )
地 サシ上 そも/\此一の谷と申すに。前は海。上は険しき鵯越。
まことに鳥ならでは翔り難く獣も。足を立つべき地にあらず。
シテ 上 唯幾度も追手の陣を心もとなきぞとて。
地 下 宗徒{むねと}の一門さし遣はさる。通盛も其随一たりしが。
忍んで我が陣に帰り。小宰相の局に向ひ。
クセ下 既に軍。明日にきはまりぬ。
痛はしや御身は通盛ならで此うちに頼むべき人なし。
我ともかくもなるならば。都に帰り忘れずは。亡き跡弔ひてたび給へ。
名残をしみの御盃。通盛酌を取り。指す盃の宵の間も。転寝なりし睦言は。
たとえば唐土の。項羽高祖の攻を受け。数行虞氏が。
涙も是にはいかで増るべき。燈火暗うして。月の光にさし向ひ。語り慰む所に。
(囃子 舎弟の ヨリ 有難き マデ )
シテ 上 舎弟の能登の守。
地 上 早甲胃をよろひつゝ。通盛は何くにぞ。など遅なはり給ふぞと。
呼ばはりし其声の。あら恥かしや能登の守。我が弟といひながら。
他人より猶恥かしや。暇申してさらばとて。行くも行かれぬ一の谷の。
所から須磨の山の。後髪ぞ引かるゝ。 カケリ
シテ 詞「さる程に合戦も半なりしかば。但馬の守経政も早討たれぬと聞ゆ。
ワキ 上 さて薩摩の守忠度の果はいかに。
シテ 下 岡部の六弥太。
詞「忠澄と組んで討たれしかば。
(仕舞 あつぱれ通盛も ヨリ 有難き マデ )
あつぱれ通盛も名ある侍もがな。
地 上 近江の国の住人に。/\。木村の源吾重章が鞭を上げて駈け来る。
通盛少しも騒がず。抜き設けたる太刀なれば。
兜の真向ちやうと打ち返す太刀にてさし違へ共に修羅道の苦を受くる。
憐を垂れ給ひ。よく弔ひてたび給へ。
地 キリ下 読誦の声を聞く時は。/\。悪鬼心を和らげ。忍辱慈悲の姿にて。
菩薩もこゝに来迎す。成仏得脱の。身となり行くぞ有難き/\。
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