宝生流謡曲 「花 筺」

●あらすじ
 応神天皇五世の孫男大迹辺(おおあとべ)の皇子は、思い掛けず武烈天皇の後継者に選ばれる。寵愛の照日に手紙とともに花篭を形見として贈る。 照日の前は君を慕い、侍女とともに狂女の姿となって都へ追う。紅葉見物の行幸の列の前に現われた二人は、従者に者に篭を打ち落されて狂う。 帝の所望で照日は漢の武帝と李夫人の物語を舞い当てこする。気付いた帝は花篭を取り寄せて確かめ 二人を連れて都に帰る。 狂女物切っての大曲。  (演者から一言)狂女物で最も身分の高い女性、「照日の前」をシテとし唯一ツレを伴う曲なので、いかにも気位の高いキッツ〜イ女性を演じてみたいと思っています。(自分の好みかしら…) クセは「白髭」「歌占」と共に 三難クセと呼ばれるもので、地謡の聞かせ所になっています。  

●宝生流謡本   内十四巻の四    四番目略三番目(太鼓なし)
                  作成者=世阿弥元清(但しクセは観阿弥清次作)
  季節=秋  場所=前・越前国味眞野 後・大和国玉穂都  稽古順=初奥  素謡時間55分
  素謡座席順    ツレ=侍女   
             シテ=前後共・照日の前   
              ワキ=供奉官人 
              ワキズレ=御使

●解 説@ 花筐      文・長谷部好彦(響の会通信編集委員) 能 観世流 - 響の会 HIBIKI-NO-KAI
春の越前(福井県)味真野。男大迹皇子からの使者が到着します。武烈天皇の後を継ぐべく都へ向かった皇子は、故郷・味真野に最愛の女性照日ノ前を残したままでした。使者は照日ノ前に、男大迹皇子からの手紙と愛用の花筐(花籠)を渡します。その手紙に涙した照日ノ前は花籠を抱いて、一人寂しく郷里へと帰ってゆきます。〈中入〉
 時はやがて秋。大和(奈良県)では継体天皇(かつての男大迹皇子)が、玉穂の地に新たに都を造営中。そして臣下を引き連れ紅葉狩へ向かいます。一方照日ノ前は男大迹皇子を思うあまり、越前から侍女を連れて都へ向かいます。ときには南下する雁を頼りに、琵琶湖を越え、大和に至った照日ノ前たちは、継体天皇の行列に鉢合わせます。行列先をけがす狂女と見なされ、天皇の臣下によって侍女の持つ大切な花籠を打ち落とされた照日ノ前は「そなたこそ物狂いよ」と、さらに昂ぶります。すると天皇の近くで舞うよう仰せが下り、漢の武帝の后・李夫人の曲舞を自らの思いを込めて舞います。そしてその花籠を見せるよう命じた天皇は、ようやくそれが正に照日ノ前に与えた花籠だと気付き元の様に側近く置こうと誓い、照日ノ前たちを伴い一行は都へ帰って行くのでした。
〔'05/10/25 第27回研究公演パンフレット掲載〕

●解 説A         愛ヲ取リモドセ         文・黄伝次郎
 対等であること、いや、対等であろうとすること、それが問題だ。照日の位置を考えてみよう。二つの言葉が重要である。能冒頭で男大迹皇子に仕える臣下は、「ご寵愛あって召し使われ候照日ノ前」と言う。終曲部には「おん玉章の恨みを忘れ、狂気を留めよ元のごとく、召し使わんとの宣旨なり」とある。この能が始まっても終わっても、照日は王に従属する身分であることは変わらない。だが、果たしてそうか? 越前味真野から大和まで突き進む照日。帝の紅葉狩に乱入する照日。花籠を落とされるや、「そなたこそ物狂いよ」と切り返す照日…。 照日の異様なまでのエネルギーの背後には、その越えがたき王との関係を、どうにか対等に持ち込もうとする執念がある。何ゆえに王に伍そうというのか? 口惜しさのため。あっさりと、紙くずのように捨てられ、適当な手紙でオトシマエを付けようとした、男大迹への報復のため。プライドは踏みにじられたのだ。

●能の中入
継体帝となった男からの手紙(玉章)と花筐を「抱きて」故郷に一旦は帰る照日。それは春の日。
次に照日が現れる後場は、紅葉の季節。その、能の中に描かれていない数ヶ月が重要だ。照日は、花籠を、じっと見詰めていたのだ。こんな物が何になる? カタミ(形見)はカタキ(敵)へと昇華されつつあった。そして、至上命令が下る。アイヲ、トリモドセ。愛とは、憎悪の一形態である。
 だが、照日の愛とは、単純な仕返しに収まるものではない。無理にかつがれるように越(北陸)の王から中央・大和の帝となった継体。反対勢力との抗争。車の中一人きりの孤独。そのことを照日は誰よりも理解していた。照日は〈クルイ〉の中で、継体をフォローする言葉を投げかける。「この君いまだその頃は、皇子のおん身なれども、朝ごとのおん勤めに、花を手向け礼拝し、南無や天照皇大神宮、天長地久と、唱へさせ給いつつ」。皇祖神への信仰を、第三者・照日によって証言された継体。それは周囲に控える大和古参の重臣の耳に、どのように響いたか? 何より、継体の耳にはどう響いたか? コノ女ハ、俺ヲ、助ケニ現レタノカ? 古来、この能の物狂いは、偽りの物狂いだとも言われる。真の物狂か、まっ赤な偽物か。分からなくなった帝は、女を、照日をもっと間近に見たく思う。「いかに狂女宣旨にてあるぞ、おん車近う参りていかにも面白う狂うて舞ひあそび候へ」。 ではなぜ帝の前で、照日は「李夫人の曲舞」を舞うのか。衰えた容色を恥じて漢の武帝に姿を見せることなく果てた李夫人。会わないことで、帝から至上の愛を獲得するという戦略。これを、照日から王への最後通牒と取ることは深読みか。私を取り戻さないと、あなたはきっと後悔なさいますよ、と。反魂香焚いたって、私は帰って来ないのよ。  
 この物狂いは装いか? ギリギリの復活折衝を、衆人監視の中、帝に吹っかける照日。それこそ継体は脱帽するしかない。「おん玉章の恨みを忘れ、狂気を留めよ元の如く」。見事な降参である。
 照日の繊細さとふてぶてしさと大いなる愛と。それらは全て本日のシテの個性の中にある。いかなる女が、立ち現れるのか。
〔'05/10/25 第27回研究公演パンフレット掲載〕

●解 説B                大王の恋テーマ   越前市
  2007年11月22日掲載ウェブ福井新聞特集「越の国から大王 継体天皇即位1500年」
照日の前が優雅な舞を披露した能「花筐」=20日夜、越前市のいまだて芸術館  越前市ゆかりの継体大王の恋物語を題材にした謡曲「花筐(はながたみ)」能(福井新聞社後援)が二十日夜、同市いまだて芸術館で開かれた。即位千五百年を機に、大王にまつわる歴史文化を再評価、広めることを狙いとし、一流の能楽師が繰り広げる幽玄の世界に約五百人のファンが酔いしれた。
 「花筐」は、後に継体大王となる男大迹王(をほどのおう)が天皇に即位する際、照日の前に別れの手紙と花かごを残し上京、照日の前はかごを持って後を追い、大王と再会するというストーリー。 この日の能舞台では、同市出身の宝生流能楽師、水上輝和さんがシテ方(照日の前)を務めた。独特の謡(うたい)と囃子(はやし)が舞台を盛り上げる中、大王の一行と遭遇した照日の前が、扇子を手に優雅な舞を披露。恋慕で狂い舞う様子を上品に演じた。鑑賞した市民は、大王伝説を胸に刻みながら、本格的な古典芸能を堪能していた。 能を前に、地元の花筐小謡曲クラブが舞囃子「花筐」を披露。狂言師の野村祐丞さんと炭哲男さんは「昆布売」をコミカルに演じ会場を沸かせた。 丹南の官民で構成する「こしの都千五百年プロジェクト実行委員会」が主催する一連のイベントの締めくくり。世阿弥作の同謡曲を発祥の地とする同市粟田部町で上演されるのは、一九八九年以来二回目。

平成20年8月22日(金) あさぁのユーユークラブ 謡曲研究会


◎ 謡曲にでてくる「 陸奥のあさかの沼の花かつみが、福島県郡山市片平町 にある采女神社と安積(あさか)花かつみに関係有るのではないか思います。

◎第26代 継体天皇(ケイタイ)の考察
 我が国の四世紀中に成立したと伝えられる応神王朝は断絶説がある。第25代武烈天皇(ブレツ)の後を継いだ、継体帝(507〜531)は、越前国の男大跡辺皇子を、豪族大伴金村の支持により 第24代仁賢天皇(ニンケン)の皇女手白香に入婿のかたちで即位する。 男大跡辺皇子の父は産主人命・母は拾媛と言われている。蘇我稲目や物部尾輿など強力大連に擁立された第29代欽明天皇(540〜571)は二人の子供である。又、越前国の尾張連草香の娘、目子媛の間に鈎大兄皇子(第27代安閑天皇)と栓隈高田皇子(第28代宣化天皇)の子供が居たと言う。 継体帝は最初、摂津国や近江国に都を定めた後、京都乙国の宮(518)に移り、(526)大和国盤余の宮に遷都している。在位中、南鮮任那4郡の割譲(512)や磐井の反乱(527〜529)仏教公伝・大伴氏の失脚などの事件有り。
      継体帝(ケイタイ)=樟葉宮(クスハノミヤ) 大阪府枚方市樟葉 貴船神社

     花  筺               四番目略三番目(太鼓ナシ)   

       ツレ    侍女                       
       シテ    照日の前              季 秋
        ワキ    供奉官人             前・越前国味真野
       ワキヅレ  御使                 所 後・大和国玉穂都


ワキヅレ 「是は越前の国味真野と申す所に御座候。
       男大迹辺の皇子に仕え申す者にて候。さても都より御使いあって。
       武烈天皇の御代を。味真野の皇子に御譲りあり。
       御迎ひの人々罷り下り。今朝疾く御上洛にて候。
       さる間此の程御寵愛あつて召しつかはれ候。
       照日の前と申す御方。此の程御暇にて御里に御座候が。俄の御上洛につき。
       御玉章と朝毎に御手に馴れし。御花筺をまいらせられ候を。
       某に持ちてまいれとの御事にて候程に。唯今照日の御里へと急ぎ候。
       あら嬉しやこれへ御出で候よ。これにて申し候べし。いかに申し候。
       我が君は都より御迎ひ下り。御位に即かせ給い。今朝疾く御上りにて候。
       又これなる御文と御花筺とを。確にまいらせよとの御事にて候。
       これこれ御覧候へ」
シテ    「さては我が君御位に即かせ給い。都への御上りこそ。
       返す返すも御めでたう候とよさりながら」
       此の年月の御なじみ。いつの世にかは忘るべき。あら御名残情しや
       「されども思し召し忘れずして。御玉章を残し置かせらるる事の有難さよ。
       急ぎ見参らせ候らん」
       我応神天皇の尊苗を継ぎながら。帝位を践む身にあらざれども。
       天照大神の神孫なれば。毎日に伊勢を拝し奉りし。
       其の神感の至りにや。君臣の選みに出されて。いざなはれ行く雲の上。
       めぐり逢うべき月影を。秋のたのみにのこすなり。
       頼め唯袖それ馴れし月影の。しばし雲居にへだてありともと。
地    「書き置き給ふ水茎の跡に残るぞ悲しき
地    「君君と住む程だにありし山里の。程だにありし山里の。ひとり残りて有明乃。
       つれなき春も杉間吹く松の嵐もいつしかに。
       花の跡とてなつかしき御花筺玉章を抱きて里に帰りけり抱くきて里に帰りけり                                             (中入)
ワキ立衆 「君の恵みも高照らす。君の恵みも高照らす紅葉の御幸早めん
ワキ   「かたじけなくも此君は。応神天皇五代の御末。男大迹辺の皇子と申ししが。
      当年御即位治まりて。継躰天皇と申すなり
立衆   「されば治まる御代の御影。日の本の名もあひにあふ
ワキ   「大和の国や玉穂乃都に
立衆   「今宮造り
ワキ   「あらたなり
ワキ立衆「萬代に恵みも久し富草の
立衆   「恵みも久し富草の
ワキ立衆「種も栄ゆく秋の空。露も時雨も時めきて四方に色そふ初紅葉。
      松も千年の緑にて。常磐の秋にめぐりあふ。
      御幸の車早めん御幸の車早めん御幸の車早めん御幸の車早めん
後シテ 「いかにあれなる旅人。都への道教えてたべ
     「何物狂とや。物狂も思う心のあればこそ問へ」
      など情けなく教え給はぬぞや
ツレ   「よしなう人は教えずとも。都への道しるべこそ候へ。
      あれ御覧候へ雁の渡り候
シテ   「何雁の渡るとや。げによく思い出したり。秋にはいつも雁の。
      南へ渡る天つ空」
ツレ   そらごとあらじ君が住む。都とやらんもそなたなれば
シテ   「声をしるべにたよりの友と
ツレ   「我も頼むの雁こそ。つれて越路のしるべなれ
シテ   「その上名におふ蘇武が旅雁
シテツレ 「玉章を。つけし南の都路に
地    「我をも共につれてゆけ
シテ   「宿雁の旅衣
地    「飛び立つばかりの。心かな
シテ   「君が住む越しの白山知らねども。行きてや見まし足引の
シテツレ 「大和はいづく白雲の。高間の山のよそにのみ。見てややみなん及びなき。
      雲居はいづく御影山。日の本なれや大和なる。玉穂の都に急ぐなり
地    「ここは近江の海なれや。みづからよしなくも。及ばぬ恋に浮舟の
地    「こがれ行く旅を忍ぶの摺衣。旅を忍ぶの摺衣。涙も色か黒髪の
      あかざりし別路のあとに心の浮かれれきて。鹿の起き伏し堪えかなて。
      猶通い行く秋草の。野暮れ山暮れ露分けて。
      玉穂も宮に着きにけり。玉穂も宮に着きにけり。
ワキ   「時しも頃は長月や。まだき時雨の色薄き。紅葉の御幸の道の辺に。
      非形を戒め面々に。御幸の御前を清めけり
シテツレ 「さなきだに都に馴れぬ鄙人の。女といひ狂女といひ。さこそ心ならの葉の。
      風も乱るる露霜の。御幸の御前に進みけり
ワキ   「ふしぎやな其様人に変りたる。狂女と見えて見苦しやとて。官人立ちより払いけり
      「そこのき候へ」
ツレ   「あら悲しや君の御花筺を打ち落とされて候」
シテ   「何と君の御花筺を打ち落とされたるとや。あらいまいましの御事や候」
ワキ   「いかに狂女。持ちたる花籠を君の御花筺とて渇仰するは。
      そも君とは誰が事を申すぞ」
シテ   「事新しき問いごとかな。此君ならで日の本に。また異君のましますべきか」
ツレ   「我等は女の狂人なれば。知らじと思し召さるるか。忝なくもこの君は。
      応神天皇五代の御孫。過ぎし頃まで北国の。味真野と申す山里に
シテ   「男大跡辺の皇子と申ししが」
ツレ   「今は此の国玉穂の都に
シテ   「継体の君と申すとかや
ツレ   「さればかほどにめでたき君の
シテ   「御花筺を恐れもなさで
ツレ   「打ち落とし給ふ人々こそ。
シテ   「我よりも猶物狂いよ
地    「恐ろしや。恐ろしや。世は末世に及ぶといえど。日月は地に落ちず。
      まだ散りも花筺を。あらけなやあらかねの土に落し給はば。
      天のとがめも忽ちに。罰あたり給ひて。
      我が如くなる狂気して。ともの物狂と。
      いはれさせ給ふなよ人にいはれさせ給ふな。かように申せば。
      かように申せば唯現なき花筺のかごととやおぼすらん。此の君未だその頃は。
      皇子の御身なれど。朝毎の御勤めに花を手向け礼拝し。
      南無や天照皇大神宮天長地久と。唱えさせ給ひつつ。
      御手を合わせ給ひし御面も影は身に添ふて忘れ形見までも。なつかしや恋しや
シテ   「
陸奥のあさかの沼の花かつみ
地    「かつ見し人を恋種の。忍ぶもじ摺り誰故ぞ乱れ心は君の為。
      ここに来てだにへだてある月の都は名のみして。
      袖にもうつされず又手にも取られず。唯いたづらに水の月を望む猿の如くにて。
      叫びふして泣きいたり叫びふして泣きいたり 
ワキ   「如何に狂女。宣旨にてあるぞ御車近ふまいりて。
      いかにも面白う狂うて舞ひ遊び候へ。
      叡覧あるべきとの身事にてあるぞ急いで狂い候へ」
シテ   「嬉しやさては及びなき。御影を拝みや申すべき」
      いざや狂はん諸共に
地    「御幸に狂うはやしこそ。御前を払う。袂なれ
シテ   「忝なき御たとへなれどもいかなれば漢王は
地    「李夫人の御別れを歎き給ひ。朝政神さびて。夜のおとども徒に。
      唯思いの涙御衣の袂を濡らす
シテ   「また李夫人は紅色の
地    「花の粧ひ衰えて。しをるる露の床に上。ちりの鏡の影を恥じて。
      終に帝に見え給はずして去り給ふ
地クセ   「帝深く。歎かせ給ひつつ。其御形を甘泉殿の壁に写し我も画図に立ちそひて。
      明け暮れ嘆きたまえひけり。されどもなかなか。御思いは増されども
      物いひかはす事なきを。深く歎き給えば。李少と申す太子の。
      いとけなくましますが。父帝に奏し給うよう
シテ   「李夫人は本はこれ
地    「上界の嬖妾。華蕊国の仙女なり。一旦人間に。
      生るるとは申せども終にもとの仙宮に帰りぬ。泰山府君に申さく。
       李夫人の面影を。暫くここに招くべしとて。九華帳もうちにして。
      五魂香をたき給う。夜更け。人静まり。風すさまじく。
      月秋それかと思う面影の。あるかなきかにかげろへば。猶いやましの思い草。
      葉末に結ぶ白露の。手にもたまらで程もなく唯いたづらに消えぬれば。
      漂びょう悠楊としてはまた。尋ぬべき方なし
シテ   「悲しさの余りに
地    「李夫人の住み馴れし。甘泉殿を立ち去らず。空しき床を打ち払い。
      ふるきふすま古き枕ひとり袂をかたしく
ワキ   「宣旨にてあるぞ其花筺をまいらせあげ候へ」
シテツレ 「余りの事に胸ふさがり。心空なる花筺を。恥ずかしながら参らする
ワキ   「帝はこれを叡覧あつて。疑いもなき田舎にて。御手に馴れし御花筺
      「同じくとどめ置き給いし」
      御玉章の恨みを忘れ。狂気をとどめよ本の如くに。召し使わんとの宣旨なり
シテツレ 「げに有難き御恵み。直ぐなる御代にかへるしるしも。思えば保ちし筺の徳
ワキ   「彼これともに時にあふ
シテツレ 「花の筺の名をとめて
ワキ   「恋しき人の手馴れし物を
シテツレ 「かたみと名づけそめしこと
ワキ   「この時よりぞ
シテツレ 「始まりける
地    「有難やかくばかり。情の末を白露の。
      恵みにもれぬ花筺の御かごとましまさぬ君の。御心ぞ有難き
地キリ  「御遊も既に時過ぎて。御遊も既に時過ぎて。
      今は還幸なし奉らんと。供奉の人々御車やりつづけもみじ葉散り飛ぶ御前を払い。
      払いや袂も山風に。誘われゆくや玉穂の都。誘われゆくや玉穂の都に。
      尽きせぬ契りぞ。ありがたき


あさかのユーユークラブindexページに戻る

郡山の宝生流謡会のページに戻る

このページのトップに戻る

謡曲名寄せに戻る