江 口 (えぐち)

●あらすじ
旅僧が摂津の国江口の里で遊女江口の君の旧跡に立ち寄り、昔西行法師が宿を断られ「世の中を厭うまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」と詠んだ和歌を口ずさむと一人の女が現れ「法師さまを遊女の里に泊められなかったので」と弁解し、自らが江口の君の幽霊と名のり姿を消す。
 僧が夜更けに江口の君を弔っていると月夜の川面に屋形船に乗った江口の君が現れ昔の船遊びの様子や遊女の境涯を述べた舞を舞い、やがてその姿は普賢菩薩となって西の空へ消え去った。
 能の中でも艶めかしい文章としっとりした風情で楽しむ秋の名曲です。

●宝生流謡本 (参考)     内十六巻の三   三番目    (太鼓なし)
   素謡 : 季節=秋   場所=摂津国江口   稽古順=中奥   素謡時間=60分 
   素謡座席順   ツレ=侍女 
             シテ=前・里女 後・江口の君   
             ワキ=旅僧   

●観能記@ 観世流
能「江口」あらすじは、都からの旅僧一行が摂津の国、江口にやって来る。江口の旧跡で西行の古歌「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」を口ずさむと、里の女が現れては江口の君の返歌の意味を解き、自分こそ江口の君の幽霊と正体を明かして消える。僧の弔いに、月明かりの中に江口の君と遊女たちの舟が往時のままに水面に浮び、歌を謡い舟遊びの様を見せる。罪業深き遊女として宿世を送り、世の無常を悟った江口の君は、舞を舞うと、普賢菩薩となって白象に乗り西の空に消えて行く。
典拠「古今和歌集」「山家集」西行と遊女妙の歌「古事談」性空上人が遊女に普賢菩薩の姿を見た話。
初めて拝見する松木千俊の舞台。初めて見る方は先入観も思い入れも変な期待もなくて、ニュートラルな気持ちでぼんやり見ていられるのが楽しいところなのである。
シテ の松木千俊師は、割りに上背のある方なのだろうか、声もよく通って、宗家筋らしい華やかな謡い方と云ってよいのか(観世流の宗家筋の方々はほとんど拝見していないけれど)、立ち姿も綺麗。大曲を披くのは実力を認められてのことだろうと推察するけれど、チラシを見るとまだ40半ばのご年齢で、一曲の充実した内容と落ち着きは、驚異的である。声にして舞姿にしても、何か芳醇なものを持っていると思うのに、最初それが充分に染み出して来ないようなもどかしさを感じたのは、偏に抑制を効かせていたのだろうか。
後場の装束は、白地にたぶん古典柄だと思う菊とか鳳凰(?)が程よい大きさで散らばっていてモダンで素敵。色大口は薄紫で英語名なら微かに赤のかかったモーブかな。
美しい序ノ舞が終わり、「実相無漏の大海に」からは、ラストへのジャンプのための助走。地謡が「花よ紅葉よ」と謡う時のシテの左手が、時間と空間を切り裂くようで美しい。「あら由なや」は両手を打ち合わせるところは、本当に何気ない。「思えば仮の宿、心とむなと人をだに」とワキへ向き下居。立って正先で「即ち普賢菩薩と現れ」ではサシて開いただけだったか、よく覚えていないのだが、あ、やっぱり普賢菩薩であった。
こんなふうに易々とさらりと変身するとは思わなかったが、追善能に相応しく能「江口」を手向けた舞台であったと思う。易々と、と云うのはもちろん誉め言葉のつもりである

●観能記A 喜多流
能「江口」      
2009年11月1日 国立能楽堂
 日曜日、国立能楽堂へ出かけた。能「江口」を見るため。シテは喜多流の友枝昭世師。今回の「江口」を見て、今まで疑問だったものが解消した。非常に感銘深い能であった。
 諸国一見の僧が淀川河口の昔遊女の里であった江口の里に着いた。旧跡など懐かしみ、昔西行法師が一夜の宿を主の遊女に断れて詠んだ歌を一人口ずさんでいると、どこからともなく現れた女に宿を惜しんだのではないと咎められた。女は遊女の返歌を詠み、江口の君の幽霊であると声ばかり残して消え失せた。(前段終わり。)僧が江口の岸辺でその霊の弔いをなしていると、遊女達が船遊びをしている様が出現した。船に乗った遊女達が僧に言葉を交わし、遊女であったためのこの世での悲しみ、華やかさ、無常、迷いを語る。そして、遊女でありながら悟りを開き、江口の君は普賢菩薩の姿を現し、船は白象となり、白雲の打ち乗って西の空へと消えていった。
 これは、謡本によるあらすじ。能では前段と後段の間の中入りに間狂言による語りが入る。
 里人(間狂言)によって語られるのは、ワキの僧が江口の長について尋ねたことに対して。そのあらましは、播磨の書写山の性空上人が生身の普賢菩薩を拝みたく観音に御祈誓すると、江口の長を見よと御宣託あった。上人は江口に出向き、長をはじめとする遊女達と宴を囲んだ。ふと、眼を閉じると江口の長は普賢菩薩の姿となり、供の遊女達は十羅刹女となって菩薩を守っていた。眼を開くとそれはまた江口の長であり、眼を閉じるとまた普賢菩薩であった。そこで上人は紛れもなく江口の長が普賢菩薩の再誕であると信じ、念願を果たしたのだった。「江口」における最大の疑問は、最後の場面で遊女が普賢菩薩の姿に変わること。謡本を見るだけでは、普賢菩薩の出現の必然性がわからなかった。しかし、能の間狂言で語られる説話は、この疑問を解消してくれるものだった。すなわち、能の最後の場面において、ワキの僧(ひいては見所の観客)は性空上人の説話を追体験しているのだ。上人が見た菩薩を舞台の上で再現しているのだ。そう考えれば、ストーリーの上からも無理もなく、遊女が世の俗塵にまみれながらも清らかな心を保ち悟りを開いたという解釈も成り立つ。 さて、当日の舞台ではどうだったか。”すなわち普賢菩薩とあらわれ”と大小前で正面に向き直ったシテはしばし不動の姿勢で立ち尽くした。私はこの不動の姿に大きな感銘を受けた。面も輝き、まさに仏の慈悲を普く現している様であり、非常に理知的な姿であった。この作品は、能の作品の中でも深淵で理解するのが難しい作品であるそうだ。宗教的でもあり、初心者向けの作品ではないと言われつつ、それでも、むしろこの作品を見られたことは私にとって幸運であったと思う。「俗」に生きた遊女が最後には浄化され菩薩へとなっていく・・・。最後にそのような大きな救済が演じられるという部分にも強く惹かれる。私が「能が見たい」と言った心の中にあった想いとしては、私の求めるものは、濃密な「重さ・深さ・真実」、そして、今自分の抱えている芸術上の問題に対する何らかの「光」・・・道しるべとなってくれるようなヒント、であったから。

●解 説
西日本は、河川と海上の交通が盛んだったため、西日本の遊女は川と海の口に多く居て、水上の移動が多かった。桂女の里である京都桂の人々は、桂川の交通に力があった。鮎を売る桂女は、巫女であり、遊女であった歴史がある。桂女の里である桂を流れる桂川は、京都府の山中、花脊近くから、西京区の嵐山のほうを通り、鴨川や宇治川、木津川などと合流、淀川になって大阪湾へ注ぐ。その淀川の河口近くに、江口や神崎があった。江口や神崎は、遊女の多く居たところ。
お能『江口』は、西行と江口の君(遊女)が登場する話。旅の僧が、消えた江口の君の幽霊を弔う経を詠むと、江口の君ら遊女らが舟遊びする光景があらわれて、遊女は成仏する。


             
西行法師関係 4曲
                                         
小原隆夫調べ
 コード     曲 目    概         説            場所  謡稽古 季節  謡時間
内05巻5  遊 行 柳 柳ノ精遊行上人ニ西行法師ノ歌語ル     栃木   初奥   秋    60分
内10巻4  西 行 桜 老木ノ花の精ト春夜千金ノ舞ヲ楽ム      京都   中序   春    47分
内14巻3  江  口 天王寺ニ参ル僧ト江口ノ君幽霊愛執ノ迷   兵庫   中奥   秋    60分
外12巻3  雨  月 歌聖西行法師住吉明神デ和歌ノ徳ヲタタエル 兵庫   中序   秋    45分

(平成23年8月19日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                  江 口 (えぐち)

         季 秋      所 摂津国江口    素謡時間 60分
  【分類】三番目物 
  【作者】観阿弥清次 世阿弥本清   典拠:撰集抄・古事談・十訓抄等に見える
  【登場人物】前シテ:里女、後シテ:斉江口の君 ワキ:旅僧 ツレ:侍女

         詞 章                              (胡山文庫)

ワキ  次第上 月は昔の友ならば。/\。世の外いづくならまし。
ワキ     詞「是は諸国一見の僧にて候。我いまだ津の国天王寺に参らず候ふ程に。
    此度思ひ立ち天王寺に参らばやと思ひ候。
    道行上 都をばまだ夕深きに旅立ちて。/\。まだ夜深きに旅立て。
         淀の川舟行末は鵜殿の芦のほの見えし。松の煙の浪よする。
         江口の里に着きにけり/\。狂言シカ%\。
ワキ  サシ上 さてはこれなるは江口の君の旧跡かや。痛はしや其身は土中に埋むといへども。
         名はとゞまりて今までも。昔語りの旧跡を。今見る事のあはれさよ。
       詞「げにや西行法師此処にて。一夜の宿を借りけるに。主の心なかりしかば。
       上 世の中を厭ふまでこそ難からめ。
       詞「仮の宿を惜む君かなと詠じけんも。此処にての事なるべし。
       下 あら痛はしや候。
シテ    詞「なう/\あれなる御僧。今の歌をば何と思ひよりて口ずさみ給ひ候ふぞ。
ワキ    詞「不思議やな人家も見えぬ方よりも。女性一人来たりつゝ。
        今の詠歌の口ずさみを。如何にと問はせ給ふ事。そも何故に尋ね給ふぞ。
シテ    詞「忘れて年を経し物を。又思ひ染む言の葉の。
   カカル上 草の蔭野の露の世を。厭ふまでこそ難からめ。仮の宿を惜むとの。
         其言の葉も恥かしければ。さのみは惜み参らせざりし。
         其理をも申さん為に。これまで現れ出でたるなり。
ワキ    詞「心得ず仮の宿を惜む君かなと。西行法師が詠ぜし跡を。
         唯何となく弔ふ所に。さのみは惜まざりにしと。
         ことわり給ふ御身はさて。如何なる人にてましますぞ。
シテ    詞「いやさればこそ惜まぬよしの御返事を。申しゝ歌をば何とてか。
   カカル上 詠じもせさせ給はざるらん。
ワキ カカル上 実に其返歌の言の葉は世を厭ふ。
シテ    上 人とし聞けば仮の宿に。
       詞「心とむなと思ふばかりぞ。心とむなと捨人を。諌め申せば女の宿に。
   カカル上 とめ参らせぬも理ならずや。
ワキ カカル上 実に理なり西行も仮の宿を捨人といひ。
シテ    上 此方も名におふ色好の。家にはさしも埋木の。人知れぬ事のみ多き宿に。
ワキ    上 心とむなと詠じ給ふは。
シテ    上 捨人を思ふ心なるを。
ワキ    上 唯惜むとの。
シテ    上 言の葉は。
地     上 惜むこそ惜しまぬ仮の宿なるを。/\。などや惜むと夕波の。
         返らぬ古は今とても。捨人の世語に。心な留め給ひそ。
地  ロンギ上 実にやうき世の物がたり。聞けば姿もたそがれに。
         かげろふ人は如何ならん。
シテ    上 黄昏に。たゝずむ影はほの%\と。見え隠れなる川隈に。
         江口の流の君とや見えんはづかしや。
地     上 さては疑あら磯の。波と消えにし跡なれや。
シテ    上 仮に住み来し我が宿の。
地     上 梅の立枝や見えつらん。
ワキ    上 思の外に。
地     下 君が来ませるや。一樹の蔭にや宿りけん。または一河の流の水。
         汲みてもろし召されよや。
         江口の君の幽霊ぞと声ばかりして失せにけり声ばかりして失せにけり。
                  中入
ワキ    詞「さては江口の君の幽霊仮に現れ。我に言葉をかはしけるぞや。
   カカル上 いざ弔ひて浮めんと。
    待謡上 言ひもあへねば不思議やな。/\。月澄み渡る河水に。
         遊女のうたふ舟遊び。月に見えたる不思議さよ月に見えたる不思議さよ。

   (連吟 川舟をとめて ヨリ  あはれなり マデ )

地  一声上 川舟をとめて逢瀬の波枕。/\。浮世の夢を見習はしの。
         驚かぬ身のはかなさよ。佐用姫が松浦潟。
         かたしく袖の涙の唐土船の名残なり。また宇治の橋姫も。
         訪はんともせぬ人を待つも。身の上とあはれなり。
後シテツレ 下 よしや吉野の。
地     下 よしや吉野の花も雪も雲も波もあはれ世に逢はゞや。
ワキ カカル上 ふしぎやな月澄み渡る水の面に。遊女のあまたうたふ謡。
         色めきあへる人影は。そも誰人の舟やらん。
シテ カカル上 何此舟を誰が舟とは。恥かしながら古の。江口の君の川逍遙の。
         月の夜舟を御覧ぜよ。
ワキ    上 そもや江口の遊女とは。それは去りにし古の。
シテ    詞「いや古とは。御覧ぜよ。月は昔にかはらめや。
ツレ    上 我等もかやうに見え来るを。いにしへ人とは現なや。
シテ    上 よし/\何とか宣ふとも。
ツレ    上 いはじや聞かじ。
シテ    上 むつかしや。
シテツレ  上 秋の水。みなぎり落ちて。去る舟の。
シテ    下 月もかげさす。棹の歌。
地     下 うたへや歌へうたかたの。あはれ昔の恋しさを今も。遊女の舟遊。
         世を渡る一節を歌ひて。いざや遊ばん。
地   クリ上 夫れ十二因縁の流転は車の場に廻るが如し。
シテ    上 鳥の林に遊ぶにたり。
地     上 前生又前生。
シテ    上 曽て生々の前を知らず。
地     上 来世なほ来世。更に世々の終をわきまふる事なし。

   (連吟 あるひは ヨリ  迷ふ心なるべし マデ )
   (囃子 あるひは ヨリ  覚ゆれ マデ )

シテ  サシ上 あるひは人中天上の善果を受くといへども。
地     上 顛倒迷妄して未だ解脱の種を植ゑず。
シテ    上 或は三途八難の悪趣に堕して。
地     上 患にさへられて既に発心のなかだちを失ふ。
シテ    上 然るに我等たま/\受けがたき人身を受けたりといへども。
地     下 罪業深き身と生れ。殊にためし少なき河竹の流の女となる。
         前の世の報まで。思ひやるこそ悲しけれ。

   (仕舞 紅花の春の ヨリ  迷ふ心なるべし マデ )

    クセ下 紅花の春の朝。紅錦繍の山粧なすと見えしも。
         夕の風に誘はれ紅葉の秋の夕。黄纐纈の林。
         色を含むといへども朝の霜にうつろふ。
         松風羅月に言葉をかはす賓客も。去つて来る事なし。翠帳紅閨に。
         枕をならべし妹背もいつのまにかは隔つらん。およそ心なき草木。
         情ある人倫いづれ哀を遁るべき。かくは思ひ知りながら。
シテ    上 ある時は色に染み貪着の思浅からず。
地     上 又ある時は。声を聞き愛執の心いと深き心に思ひ口に言ふ妄舌の縁となるものを。
         げにや皆人は六塵の境に迷ひ六根の罪を。作る事も。
         見る事聞く事に。迷ふ心なるべし。
地     上 おもしろや。     序ノ舞
シテ    上 実相無漏の大海に。五塵六欲の風は。吹かねども。
地     上 随縁真如の波の。立たぬ日もなし/\。
シテ    下 波の立居も何故ぞ。仮なる宿に。

   (連吟 心とむる故 ヨリ  覚ゆれ マデ )

       下 心とむる故。
地     下 心とめずはうき世もあらじ。
シテ    下 人をも慕はじ。
地     下 待つ暮もなく。
シテ    下 別路も嵐吹く。
地     上 花よ紅葉よ。月雪のふることも。あらよしなや。

   (独吟 思へば仮の宿 ヨリ  覚ゆれ マデ )

シテ    下 思へば仮の宿。
地      下 思へば仮の宿に。心とむなと人をだに。諌めし我なり。
         これまでなりや帰るとて。
         すなはち普賢菩薩と現はれ舟は白象となりつゝ。
         光とともに白妙の白雲に打ち乗りて西の空に
         行き給ふ有難くぞ覚ゆる有難くこそは覚ゆれ。


あさかのユーユークラブindexページに戻る

郡山の宝生流謡会のページに戻る

このページのトップに戻る

謡曲名寄せに戻る