隅田川 (すみたがわ)

●あらすじ
春の夕暮れ時、武蔵の国隅田川の渡し場で、舟頭が最終の舟を出そうとしていると旅人が現れ、女物狂がやってくると告げました。女は都北白河に住んでいましたが、わが子が人買いにさらわれたために心が狂乱し、息子をさがしにはるばるこの地まで来たのでした。舟頭が、狂女に、舟に乗りたければ面白く狂って見せろ、と言うので、女は『伊勢物語』九段の「都鳥(みやこどり)」の古歌を引き、自分と在原業平(ありわらのなりひら)とを巧みに引き比べて、船頭ほか周囲を感心させ、舟に乗り込むことができました。 川を渡しながら、舟頭は一年前の今日、三月十五日に対岸下総(しもうさ)の川岸で亡くなった子ども、梅若丸の話を物語り、皆も一周忌の供養に加わってくれと頼みます。舟が対岸に着き、みな下船しても、狂女は降りようとせず泣いています。船頭が訳を尋ねると、先ほどの話の子は、わが子だというのです。舟頭は狂女に同情し、手助けして梅若丸の塚に案内し、大念仏で一緒に弔うよう勧めます。夜の大念仏で、狂女が母として、鉦鼓(しょうこ)を鳴らし、念仏を唱え弔っていると、塚の内から梅若丸の亡霊が現れます。抱きしめようと近寄ると、幻は腕をすり抜け、母の悲しみは一層増すばかり。やがて東の空が白み始め、夜明けと共に亡霊の姿も消え、母は、ただ草ぼうぼうの塚で涙にむせぶのでした。

●宝生流謡本     内十三巻の四      三番目  (太鼓なし)
   季節=春  場所=武蔵国隅田川  作者=世阿弥の長男元雅の作品
   素謡(宝生)  : 稽古順=奥伝   素謡時間=60分
   素謡座席順   子方=梅若丸
              シテ=梅若丸の母  
               ワキ=渡し守  
              ワキヅレ=旅人  

●能のみどころ
「隅田川」の母のような女性は「女物狂」と呼ばれ、「桜川」「百万」「班女」など同様な女性を主人公とする一連の作品を、「狂女物」と呼びます。 狂女物のストーリーは、子どもや夫など愛する対象と引き離された女が想いを募らせ一過性の狂気におちいるものの、相手に再会し、正気に戻るというハッピーエンドのものが多くを占めています。しかし、「隅田川」は、子どもは死んでしまっており、声・幻にまみえるだけの、まさに悲劇の「物狂能」です。この母子の物語は、緻密な表現や演出で、とりわけ悲しみを誘います。まず都から隅田川までの距離感が、都と鄙(ひな)の対比で示されます。『伊勢物語』の東くだりを用いることで、東、そしてさらにその向こうの陸奥が、いかに遠く未開の地であるかという印象を強く与え、そこで一人寂しく死んでいった息子の哀れさ、そこまで捜し歩いた母の一念とその悲しみを一層際立たせます。終曲の、幻に会う場面は、子方を出さず、幻を母の演技だけで表現しようとする世阿弥と、子方を出そうとする作者元雅の間で意見が分かれ、当初から二通りの演出があったといわれています。元雅は、母が思い描く在りし日の凛々しいわが子の姿と、死装束にみだれ髪で、まさに成仏できずにさまよう亡霊の子方の姿を対比させることで、親子の悲劇の完成を図ったとも伝えられます。この、あまりにも悲しい物語は、人々の心を捉え続け、その後歌舞伎や浄瑠璃にも取り入れられています。

●解 説              
『隅田川』 (すみだがわ)観世元雅(室町時代)作。
一般に狂女物は再会→ハッピーエンドとなる。ところがこの曲は春の物狂いの形をとりながら、一粒種である梅若丸を人買いにさらわれ、京都から武蔵国の隅田川まで流浪し、愛児の死を知った母親の悲嘆を描く。各流派で演じられるが、金春流で演じられる時は、『角田川』(すみだがわ)のタイトルになる。渡し守が、これで最終便だ今日は大念仏があるから人が沢山集まるといいながら登場。ワキヅレの道行きがあり、渡し守と「都から来たやけに面白い狂女を見たからそれを待とう」と話しあう。次いで一声があり、狂女が子を失った事を嘆きながら現れ、カケリを舞う。道行きの後、渡し守と問答するが哀れにも『面白う狂うて見せよ、狂うて見せずばこの船には乗せまいぞとよ』と虐められる。狂女は業平の『名にし負はば…』の歌を思い出し、歌の中の恋人をわが子で置き換え、都鳥(実は鴎)を指して嘆く事しきりである。渡し守も心打たれ『かかる優しき狂女こそ候はね、急いで乗られ候へ。この渡りは大事の渡りにて候、かまひて静かに召され候へ』と親身になって舟に乗せる。 対岸の柳の根元で人が集まっているが何だと狂女が問うと、渡し守はあれは大念仏であると説明し、哀れな子供の話を聞かせる。京都から人買いにさらわれてきた子供がおり、病気になってこの地に捨てられ死んだ。死の間際に名前を聞いたら、「京都は北白河の吉田某の一人息子である。父母と歩いていたら、父が先に行ってしまい、母親一人になったところを攫われた。自分はもう駄目だから、京都の人も歩くだろうこの道の脇に塚を作って埋めて欲しい。そこに柳を植えてくれ」という。里人は余りにも哀れな物語に、塚を作り、柳を植え、一年目の今日、一周忌の念仏を唱えることにした。それこそわが子の塚であると狂女は気付く。渡し守は狂女を塚に案内し弔わせる。狂女はこの土を掘ってもわが子を見せてくれと嘆くが、渡し守にそれは甲斐のないことであると諭される。やがて念仏が始まり、狂女の鉦の音と地謡の南無阿弥陀仏が寂しく響く。そこに聞こえたのは愛児が「南無阿弥陀仏」を唱える声である。尚も念仏を唱えると、子方が一瞬姿を見せる。だが東雲来る時母親の前にあったのは塚に茂る草に過ぎなかった。
能の名曲「隅田川」は、世阿弥の長男元雅の作品です。もとよりフィクションであり、史実に基づいたものではないとされていますが、さまざまなところで隅田川のイメージ形成に強い影響を与えてきました。この川を語る際にはさけて通れない作品です。この作品のテーマは、人買いと女の狂いです。人買いとは、婦女子をたぶらかして誘拐し、彼らを奴隷として長者に売りつける者のことをいいます。今の時代には信じられない話ですが、この国の中世にはよくあることだったようです。有名な山椒大夫の話なども、こうした時代背景から生まれたのでした。女の狂乱は、能が好んで取り上げたテーマで、世阿弥も「班女」や「桜川」など狂女を主人公にした多くの曲を書いています。戦乱にあけくれた日本の中世社会は、女性にとっては生きにくい社会だったことはたしかなようです。そこから女の悲しみやその結果としての狂乱が、深く人々の共感を呼んだのでしょう。
こうした悲しいテーマをもとに、この作品は人間の不幸と苦渋を綿々と語ります。梅若は人間の悲しみが昇華された霊性となり、隅田川は悲しみの舞台となります。この作品を作った元雅には、他にも、「弱法師」、「蝉丸」、「朝長」などの作品があり、いづれも人間の悲哀を正面に見据えたものとなっています。「隅田川」とほぼ同じような筋書きからなる世阿弥の「桜川」という曲が、最後は母子の対面の喜びで終わっているのに対し、この作品は子の死に直面する母の絶望で終わっているのです。父の世阿弥は能楽を集大成させ、夢玄能と呼ばれる様式を確立しました。それに対し、元雅はあくまでも現実を踏まえ、人間の苦悩をあからさまに表現する作風に徹しています。作品の哀れさもさることながら、自身の生涯も苦渋に満ちたもので、父に先立ち若くしてなくなってしまいました。この作品の舞台は、隅田川とそこをわたる渡し舟です。そしてこの船の中で、悲哀のドラマが展開していきます。能の曲としては、筋書きの展開に富んだ作品となっているのです。それでは、作品そのものに即して、中世人の悲しみを読み解いていきましょう。
隅田川(すみだがわ)は観世元雅(室町時代)の作で、一般に狂女物は再会→ハッピーエンドとなる。ところがこの曲は春の物狂いの形をとりながら、一粒種である梅若丸を人買いにさらわれ、京都から武蔵国の隅田川まで流浪し、愛児の死を知った母親の悲嘆を描く。観世元雅の父親の世阿弥作「班女」のシテが、後年「隅田川」のシテとすれば、人間くさい作品でないだろうか?
各流派で演じられるが、金春流で演じられる時は、『角田川』(すみだがわ)のタイトルになる。

あさかのユーユークラブ 謡曲研究会 平成20年6月21日(土)


           隅田川       四番目(太鼓なし) 

         子方 梅若丸
          シテ 梅若丸の母      季 春
          ワキ 渡し守          所 武蔵国隅田川
         ワキヅレ 旅人


ワキ    「これは武蔵の国隅田川の渡守にて候。今日は舟を急ぎ人々を渡さばやと存じ候。
        又此在所にさる子細有って。大念仏を申す事の候ふ間。僧俗を嫌はす人数を集め候。
       其由皆々心得候へ。
「今日は」のところは「コンニッタ」、「大念仏を」のところは「ダイネンブット」と発音する。当時の音便を能は保存しているのである。そこへ、先を急ぐ旅人が舟に乗り込んでくるが、道々面白い女物狂いを見たといって、船頭に話しかける。

ワキツレ 「末も東の旅衣。末も東の旅衣。日も遥々の心かな。かやうに侯ふ者は。
       都の者にて候。我東に知る人の候ふ程に。後の者を尋ねて唯今まかり下り候。
   道行「雲霞。あと遠山に越えなして。あと遠山に越えなして。いく関々の道すがら。
       国々過ぎて行く程に。こゝぞ名におふ隅田川。渡に早く着きにけり。
       渡に早く着きにけり。
     詞「急ぎ候ふ程に。これは早隅田川の渡にて候。又あれを見れば舟が出で候。 
       急ぎ乗らばやと存じ候。如何に船頭殿舟に乗らうずるにて候。
ワキ  詞「なか/\の事めされ候へ。先々御出候後の。けしからず物騒に候ふは何事にて侯ふぞ。
     男「さん候。都より女物狂の下り候ふが。是非もなく面白う狂ひ候ふを見候ふよ。
ワキ    「さやうに候はゞ。暫く舟を留めて。彼の物狂を待たうずるにて候。

女物狂いの話に興味を持った船頭は、女がやってくるかも知れぬと思い、しばらく舟を出すのをためらう。するとそこへうわさの女物狂いが現れる。

シテサシ一声「実にや人の親の心は闇にあらねども。子を思ふ道に迷ふとは。
       今こそ思ひしら雪の。道行人に言づてゝ。行方を何と尋ぬらん。
       聞くや如何に。上の空なる風だにも。
地    「松に音する。習あり。

(カケリ) ここでシテは、舞台を一巡するカケリを演ずるが、その間幾度かテンポを狂わせる動作をして、心の乱れているさまを表出する。

シテ    「真葛が原の露の世に。
地     「身を恨みてや。明け暮れん。
シテサシ 「これは都北白河に。年経て住める女なるが。思はざる外に独子を。
       人商人に誘はれて。行方を聞けば逢坂の。関の東の国遠き。
       東とかやに下りぬと聞くより心乱れつゝ。そなたとばかり。
       思子の。跡を重ねて。迷ふなり。
地  下歌「千里を行くも親心子を忘れぬと聞くものを。
    上歌「もとより契仮なる一つ世の。契仮なる一つ世の。其中をだに添ひもせで。
       こゝやかしこに親と子の。四鳥の別これなれや。尋ぬる心の果ならん。
       武蔵の国と下総の中にある隅田川にも。着きにけり隅田川にも着きにけり。

女は自分の身の上にふれ、人買いにかどわかされて生き別れになった息子を探し求めて、はるばる隅田川までやってきたのだと述べる。
女は舟に載せてくれと頼むが、船頭は面白く狂わねば船には乗せぬと意地悪をする。それに対して女は当意即妙な受け答えをして船頭を感心させる。

シテ  詞「なう/\我をも舟に乗せて賜はり候へ。
ワキ  詞「おことは何くよりも何方へ下る人ぞ。
シテ   「これは都より人を尋ねて下る者にて候。
ワキ   「都の人といひ狂人といひ。面白う狂うて見せ候へ。狂はずは此舟には乗せまじいぞとよ。
シテ   「うたてやな隅田川の渡守ならば。日も暮れぬ舟に乗れとこそ承るべけれ。
       かくの如く都の者を。舟に乗るなと承るは。隅田川の渡守とも。覚えぬ事な宣ひそよ。
ワキ  詞「実に/\都の人とて。名にし負ひたる優しさよ。
シテ   「なう其詞はこなたも耳に留るものを。彼の業平も此渡にて。名にしおはゞ。
      いざ言問はん都鳥。我が思ふ人は有りやなしやと。
    詞「なう舟人。あれに白き鳥の見えたるは。都にては見馴れぬ鳥なり。
      あれをば何と申し候ふぞ。
ワキ   「あれこそ沖の鴎候ふよ。
シテ   「うたてやな浦にては千鳥とも云へ鴎とも云へ。
       など此隅田川にて白き鳥をば。都鳥とは答へ給はぬ。
ワキ   「実に/\誤り申したり。名所には住めども心なくて。都鳥とは答へ申さで。
シテ   「沖の鴎とゆふ波の。
ワキ   「昔にかへる業平も。
シテ   「有りや無しやと言問ひしも。
ワキ   「都の人を思妻。
シテ   「わらはも東に思子の。ゆくへを問ふは同じ心の。
ワキ   「妻をしのび。
シテ   「子を尋ぬるも。
ワキ   「思は同じ。
シテ   「恋路なれば。
地   歌「我もまた。いざ言問はん都鳥。いざ言問はん都鳥。我が思子は東路に。
      有りやなしやと。問へども/\答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。
      実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。
      それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。
      遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。
      乗せさせ給へ渡守。さりとては乗せてたび給へ。

以上の場面は、伊勢物語の「都鳥」の段を踏まえ、一曲に花を添えているところだ。
船頭はいよいよ船を出す。対岸に大勢の人手があるのを不審に思った旅人がそのわけを訪ねると、船頭はこれには深いわけがあるのだと返す。

ワキ    「かゝるやさしき狂女こそ候はね。急いで舟に乗り候へ。
        この渡は大事の渡にて候。かまひて静かに召され候へ。
男   詞「なうあの向の柳の本に。人のおほく集まりで候ふは何事にて候ふぞ。
ワキ  詞「さん候あれは大念仏にて候。それにつきてあはれなる物語の候。
       この舟の向へ着き候はん程に語つて聞かせ申さうずるにて候。

ここで船頭は、櫓を漕ぐ仕草もゆったりと、昨年の同月同日に、人買いに伴われた幼い子が、ここで俄かに病気にかかり、先へ進めなくなったところを、残忍な人買いたちに捨てられて、ついに息絶えた様子をしみじみと語りだす。

ワキ  語「さても去年三月十五目。しかも今日に相当て候。人商人の都より。
      年の程十二三ばかりなる幼き者を買ひとりて奥へ下り候ふが。
      此幼き者。いまだ習はぬ旅の疲にや。以ての外に遺例し。
      今は一足も引かれずとて。此川岸にひれふし候ふを。
      なんぼう世には情なき者の候ふぞ。此幼き者をば其まゝ路次に捨てゝ。
      商人は奥へ下つて候。さる間此辺の人々。此幼き者の姿を見候ふに。
      よし有りげに見え候ふ程に。さまざまに痛はりて候へども。
      前世の事にてもや候ひけん。たんだ弱りに弱り。既に末期と見えし時。
      おことはいづく如何なる人ぞと。父の名字をも国をも尋ねて候へば。
      我は都北白河に。吉田の何某と申しゝ人の唯ひとり子にて候ふが。
      父には後れ母ばかりに添ひ参らせ候ひしを。人商人にかどはされて。
      かやうになり行き候。郡の人の足手影もなつかしう候へば。
      此道の辺に築き籠めて。しるしに柳を植ゑて賜はれとおとなしやかに申し。
      念仏四五返称へつひに事終つて候。なんぼうあはれなる物語にて候ふぞ。
      見申せば船中にも少々都の人も御座ありげに候。
      逆縁ながら念仏を御申し候ひて御弔ひ候へ。
      よしなき長物語に舟が着いて候。とう/\御上り候へ。
ワキツレ 「いかさま今日は此所に逗留仕り候ひて。逆縁ながら念仏を申さうずるにて候。

対岸に着いた船頭は、船中の客に下りるよう促すが、あの狂女のみはいつまでも下りようとしない。その不幸な幼子こそ自分の探し求める息子だと知った狂女は、そのときの様子をもっと詳しく知りたがる。

ワキ   「いかにこれなる狂女。何とて船よりは下りぬぞ急いで上り候へ。
       あらやさしや。今の物語を聞き候ひて落涙し候ふよ。なう急いで身より上り候へ。
シテ   「なう舟人。今の物語はいつの事にて候ふぞ。
ワキ   「去年三月今日の事にて候。
シテ   「さて其児の年は。
ワキ   「十二歳。
シテ   「主の名は
ワキ   「梅若丸。
シテ   「父の名字は。
ワキ   「吉田の何某。
シテ   「さて其後は親とても尋ねず。
ワキ   「親類とても尋ねこず。
シテ   「まして母とても尋ねぬよなう。
ワキ   「思もよらぬこと。
シテ   「なう親類とても親とても。尋ねぬこそ理なれ。其幼き者こそ。
      此物狂が尋ぬる子にては候へとよ。なうこれは夢かやあらあさましや候。

この部分で、この狂女が「班女」の主人公花子の後の姿であることがほのめかされている。ことの仔細を知った船頭は大いに驚き、母親を梅若丸の墓所まで案内する。

ワキ  詞「言語道断の事にて候ふものかな。今まではよその事とこそ存じて候へ。
       さては御身の子にて候ひけるぞあら痛はしや候。
       かの人の墓所を見せ申し候ふベし。こなたへ御出で候へ。
シテ   「今まではさりとも逢はんを頼みにこそ。知らぬ東に下りたるに。
       今は此世になき跡の。しるしばかりを見る事よ。さても無慙や死の緑とて。
       生所を去って東のはての。道の辺の土となりて。春の草のみ生ひ茂りたる。
       此下にこそ有るらめや。
     「さりとては人々此土を。かへして今一度。此世の姿を母に見せさせ給へや。
地    「残りても。かひ有るべきは空しくて。かひ有るべきは空しくて。
      有るはかひなき帚木の。見えつ隠れつ面影の。定めなき世の習。
      人間憂の花盛。無常の嵐音添ひ。生死長夜の月の影不定の。
      雲おほへり実に目の前の。憂き世かなげに目の前の憂き世かな。

わが子の墓の前で呆然と立ちすくみ、絶望に落ち込んだ母親に対して、船頭はただただ幼子の後世のために念仏を唱えるようにと勧める。母親の念仏と地謡の念仏が交差して、なんとも言えず悲痛な雰囲気が舞台を支配するのである。

ワキ 詞「「今は何と御歎き候ひてもかひなき事。たゞ念仏を御申し候ひて。
      後世を御弔ひ候へ。既に月出で河風も。はや更け過ぐる夜念仏の。
      時節なればと面々に。鉦鼓を鳴らし勧むれば。
シテ   「母は余りの悲しさに。念仏をさへ申さすして。唯ひれふして泣き居たり。
ワキ  詞「うたてやな余の人多くましますとも。母の弔ひ給はんをこそ。
      亡者も喜び給ふべけれと。鉦鼓を母に参らすれば。
シテ   「我が子の為と聞けばげに。此身も鳧鐘を取り上げて。
ワキ   「歎をとゞめ声澄むや。
シテ   「月の夜念仏もろともに。
ワキ   「心は西へと一すぢに。
シテワキ二人「南無や西方極楽世界。三十六万億。同号同名阿弥陀仏。
地    「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
シテ   「隅田河原の。波風も。声立て添へて。
地    「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。  
シテ   「名にしおはゞ都鳥も音を添へて。
地、子方「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

念仏の声に混じって、子どもの念仏を唱える声が聞こえてきた。それは塚の中から響いてくるように思われる。母親はたとえ幻なりとも子の面影がみたいと、声のする方向へにじり寄る。すると舞台には子方が現れ、母親の思いに応えるかのような仕草をする。

シテ   「なう/\今の念仏の中に、正しくわが子の声の聞え侯よ。此塚の内にてありげに候ふよ。
ワキ   「我等もさやうに聞きて候。所詮此方の念仏をば止め候ふべし。母御一人御申し候へ。
シテ   「今一声こそ聞かまほしけれ。南無阿弥陀仏。
子方   「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と。
地    「声の内より。幻に見えければ。
シテ   「あれは我が子か。
子方   「母にてましますかと。
地    「互に手に手を取りかはせば又消え/\となり行けば。
  いよ/\思はます鏡。面影も幻も。見えつ隠れつする程に東雲の空も。
      ほのぼのと明け行けば跡絶えて。我が子と見えしは塚の上の。草茫々として。
      唯しるしばかりの浅茅が原と、なるこそあはれなりけれ、なるこそあはれなりけれ。


母親が我が子と思ったものはやはり幻であったことがわかり、気がつけばそこにはぼうぼうたる浅茅が原がひろがるのみ。凄惨とした雰囲気の中で一曲が閉じる。


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