蝉 丸 (せみまる)

●あらすじ
 延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子蝉丸は盲目として生を受けたが、ついに父帝の勅命によって逢坂山にうち捨てられることとなった。廷臣の清貫は蝉丸を剃髪し、簑・笠・杖を与え都へ帰っていく。一人残った蝉丸は、それを伝え聞いた博雅の三位の計らいにより粗末な藁屋に雨露をしのぎ、自らの哀れな身を慰めるように琵琶を弾くのだった。 一方、醍醐天皇の第三皇女逆髪は何の因果か心乱れ、髪が逆立つ異様な姿で物狂いとなり都をさまよい出でた。異様な姿を笑われた彼女は、たしかに我が髪は逆さまだが、皇女を庶民の身分で笑うのも逆さまであり、順逆は見方によるものだ、と言い返す。 やがて逢坂山にやってくると、村雨の降る中ふと耳にする、都での懐かしい思い出を誘うような琵琶の音。音に引かれるように藁屋に近づくと、中から聞こえてきたのは弟・蝉丸の声だった。 姉と弟は手を取り合い、互いの境涯を嘆き悲しむが、やがて逆髪は、いつまでこうしていても名残はつきないと、またいずこへともなく立ち去っていく。その後姿を見えぬ目で見送る蝉丸がただ一人…。               '04/11/18文・長谷部好彦(響の会通信編集委員)

●宝生流謡本(参考)   内十二巻の四    四番目  (太鼓なし)
   素謡(宝生) : 季節=秋  場所=逢坂山  稽古順=初序  素謡時間=65分
   素謡座席順   ツレ=蝉 丸
              シテ=逆 髪   
              ワキ=清 貫   ワキヅレ=清貫の従者

●解 説
 能に蝉丸という一曲がある。作者不明とも世阿弥作ともいう。申楽談儀(1430、世阿弥の次男・元能がまとめた世阿弥の芸談集)に「逆髪(サカガミ)の能は、云々」とあり、世阿弥が演じたのは確からしい。その粗筋は、『延喜の帝(15代応神天皇の御子難波の皇子宇治の皇子)の第四皇子・蝉丸は琵琶の名手だったが、盲目のため帝の命により逢坂山に捨てられる。盲目は前世の業であり、それを今生で償い、良き来世を得よとの親の慈愛と覚悟はするものの、一人になった蝉丸は愛用の琵琶を抱いて悲嘆にくれる。そこへ博雅の三位という廷臣が現れ、藁屋を造って蝉丸を住まわせ、ご用があればお世話すると告げて去る。 そこへ、延喜の帝の第三子で逆髪と呼ばれる姫君が現れる。この姫もまた生まれつきの狂人で、ぼうぼうたる黒髪が逆立ち、櫛を入れて撫でつけても下りないために逆髪と呼ばれる。宮室を追われ、心ない村人の嘲笑を受けながら彷徨し続ける逆髪が逢坂山にさしかかると、路傍の藁屋から妙なる琵琶の音が聞こえてくる。不思議に思って近づくと、中から「外に音するは誰か」と問う声がするが、それは懐かしい弟君の声であった。 姉弟二人は抱き合って再会を喜び合い、互いの不幸をかこちあい惨めな境涯を嘆きあうが、刻がすぎ夕暮れになったので、逆髪は後ろ髪を引かれながら立ち去る』というもので、舞台での主役・シテは逆髪で蝉丸は準主役・ツレとなっているが、物語の実質的な主役は蝉丸である。 蝉丸は、能の分類では4番目もののうちの狂女ものに分類される。能では、怨霊として登場するシテが供養を受け、最後は成仏して退場するというのが多いが、能・蝉丸は最後まで悲嘆の中にいる。そういう意味では残酷な能といえる。 この能には、先立つ物語として「源博雅(ミナモトノヒロマサ)朝臣会坂の盲の許に行く物語」(今昔物語・巻24)がある。その粗筋は、『延喜の帝の孫・源博雅(918〜980)は琵琶を巧みに弾くことで知られていた。一方逢坂関には、琵琶の名手と聞こえた盲人が庵を結んでおり、彼のみが秘曲・流泉・啄木を知っていた。博雅は、この秘曲を聴きたいと夜ごと庵の辺りに通い続け、3年目の名月の夜やっと蝉丸に逢って、直接この秘曲の伝授を受けた』というもので、ここでの蝉丸は、かつて59代宇多天皇(887〜897)の皇子で管弦の道に秀でていた淳実親王に仕えていた雑色(ゾウシキ・身分低い下人)だったが、永年、親王が弾ずる琵琶を聞いていて最高の名手になり、目を病んだために逢坂に引き込んだとされている。ここの主人公・源博雅が、能に出てくる博雅の三位である。 この物語は芸道執心の美談として広く知られていたようで、100年ほど後で書かれた平家物語にも引用されているが、そこでの蝉丸は延喜帝の皇子となっている。 ところが、この物語にも先行する実話、『58代光孝天皇第四の皇子・人康親王(サネヤス、851〜872)は琵琶の名手だったが、目を患ってから諸羽山の麓・四ノ宮(京都市山科区四ノ宮、逢坂山の西方)に隠遁した、云々』があり、親王の周りには在原業平等の文化人が集ったという。

●【蝉丸神社】 −大津市大谷町
 逢坂峠の京都側・京阪京津線・大谷駅の北すぐ右、旧東海道沿いの山腹に鎮座する。民家が建ち並ぶ路沿いに右手すこし進むと国道1号線に出る。 道端の小さな広場奥の石段はやや急。両脇に建つ「蝉丸大明神」の石燈籠は元文2年(1740、徳川吉宗時代)のもの。境内には他にも江戸時代の石燈籠が数基残り、古の隆盛を偲ばせてくれる。社頭の案内には『当社は天慶9年(946、平安中期)蝉丸を主神として祀る。蝉丸は盲目の琵琶法師と呼ばれ、音曲芸能の祖神として平安末期の芸能に携わる人々に崇敬され、当宮の免許により興行することができた。その後、万治3年(1660、江戸初期)現在の社殿が建立され、街道の守護神として猿田彦命と豊玉姫命を合祀して祀っている』とある。 サルタヒコ・トヨタマヒメを祀った社に、後から蝉丸を祀ったという上社・下社に対して、当社はまず蝉丸を祀り約700年後にサルタヒコ他を祀ったことになっている。ただ、その時期は上社・下社に蝉丸を祀ったのと同じで、その神格も同じである。 上社を逢坂峠の京都側に勧請した里宮だろうが、社名から“関”の字が除かれ、蝉丸を主神とすることからみると、蝉丸が有名となり神格化が進み上・下社に合祀されたのと同時期に、別社として祀られたとも思われるが、よくわからない。 50段ほどの石段を登り鳥居をくぐった右手に舞楽殿、その奥の瑞垣に囲まれた本殿という並びは上・下社と同じだが、管理はやや行き届いている。とはいえ、いず・

(平成23年4月15日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


      蝉 丸 四番目(太鼓なし) 
 
        ツレ 蝉丸
        シテ 逆髪 季 秋
        ワキ 勅使      所 逢坂山

  次第
ワキ、ワキツレ二人「定めなき世のなか/\に。定めなき世のなか/\に。
      憂きことや頼なるらん。
ワキ   「これは延喜第四の御子。蝉丸の宮にておはします。
三人   「実にや何事も報有りける浮世かな。前世の戒行いみじくて。
      今皇子とはなり給へども。襁褓のうちよりなどやらん。両眼盲ひまし/\て。
      蒼天に月日の光なく。暗夜に灯。暗うして。五更の雨も。止む事なし。
ワキ   「明かし暮らさせ給ふ所に。帝如何なる叡慮やらん。
三人   「密かに具足し奉り。逢坂山に捨て置き申し。御髪をおろし奉れとの。
      綸言出でてかへらねば。御痛はしさは限なけれども。勅諚なれば力なく。
   下歌「足弱車忍路を雲井のよそに廻らして。
   上歌「しのゝめの。空も名残の都路を。空も名残の都路を。今日出で初めて又いつか。
      帰らん事も片糸の。よるべなき身の行方。さなきだに世の中は。
      浮木の亀の年を経て。盲亀の闇路たどり行く。迷の雲も立ちのぼる。
      逢坂山に着きにけり。逢坂山に着きにけり。

一行が逢坂山につくと、蝉丸はここで捨てられることを予感して従者に己が行く末を尋ねる。従者は様々に慰めるが、蝉丸は、これも前世の因業とあきらめ、父帝の命令どおり髪を下ろすことに同意する。

ツレ 詞 「いかに清貫。
ワキ 詞 「御前に候。
ツレ   「さて我をば此山に捨て置くべきか。
ワキ   「さん候宣旨にて候程に。これまでは御供申して候へども。
      何しに捨て置き申すべきやらん。さるにても我が君は。堯舜より此方。
      国を治め民を憐れむ御事なるに。かやうの叡慮は何と申したる御事やらん。
      かゝる思もよらぬことは候はじ。
ツレ 詞 「あら愚の清貫が言ひ事やな。本より盲目の身と生るゝ事。前世の戒行拙き故なり。
      されば父帝も。山野に捨てさせ給ふ事。御情なきには似たれども。
      此世にて過去の業障を果し。後の世を助けんとの御謀。
      これこそ誠の親の慈悲よ。あら歎くまじの勅諚やな。
ワキ 詞 「宣旨にて候ふ程に。御髪をおろし奉り候。
ツレ 詞 「これは何と云ひたる事ぞ。
ワキ    「是は御出家とてめでたき御事にて渡らせ給ひ候。

(物着)ここで、蝉丸らは舞台に残ったままで、衣装を変える。蝉丸は、角帽子に水衣の法衣をまとい、僧体となる。ワキは、蝉丸に、蓑、笠、杖を渡して去る。

ツレ   「実にやかうくわんもとひを切り。半だんに枕すと。唐土の西施が申しけるも。
       かやうの姿にてありけるぞや。
ワキ   「此御有様にては。中々盗人の恐も有るべければ。
      御衣を賜はつて簑と云ふ物を参らせ上げ候。
ツレ   「これは雨による田簑の島とよみ置きつる。簑と云ふ物か。
ワキ 詞 「又雨露の御為なれば。同じく笠を参らする。
ツレ   「これは御侍御笠と申せとよみ置きつる。笠と云ふ物よなう。
ワキ 詞 「又此杖は御道しるべ。御手に持たせ給ふべし。
ツレ   「実に/\是も突くからに。千年の坂をも越えなんと。彼の遍照がよみし杖か。
ワキ   「それは千年の坂行く杖。
ツレ   「こゝは所も逢坂山の。
ワキ   「関の戸ざしの藁屋の竹の。
ツレ   「杖柱とも頼みつる。
ワキ   「父帝には。
ツレ   「捨てられて。
地    「かゝる憂き世に逢坂の。知るも知らぬもこれ見よや。
      延喜の皇子の成り行く果ぞ悲しき。行人征馬の数々。上り下りの旅衣。
      袖をしをりて村雨の振り捨て難き。名残かな振り捨てがたき名残かな。
      さりとてはいつを限に有明の。尽きぬ涙を押さへつゝ。早帰るさになりぬれば。
      皇子は跡に唯独。御身に添ふ物とては。
      琵琶を抱きて杖を持ち臥し転びてぞ泣き給ふ。臥しまろびてぞ泣きたまふ。

ここで、源博雅に扮した狂言が現れて、蝉丸を慰め、小屋を作ってその中へ蝉丸を導きいれる。博雅は、管弦の名手で雅楽に優れていたという伝説的な人物である。
博雅が去った後、シテの逆髪が現れる。

シテ、サシ一声「これは延喜第三の御子。逆髪とは我が事なり。我皇子とは生るれども。
      いつの因果の故やらん。
    詞「心より/\狂乱して。辺土遠郷の狂人となって。
      翠の髪は空さまに生い上つて撫づれども下らず。
    詞「いかにあれなる童どもは何を笑ふぞ。何我が髪の逆さまなるがをかしいとや。
      実に/\逆さまなる事はをかしいよな。さては我が髪よりも。
      汝等が身にて我を笑ふこそ逆さまなれ。
    詞「面白し/\。是等は皆人間目前の境界なり。
      夫れ花の種は地に埋もつて千林の梢に上り。月の影は天にかゝつて万水の底に沈む。
      是等をば皆何れが順と見逆なりと言はん。我は皇子なれども。庶民に下り。
      髪は身上より生ひ上つて星霜を戴く。これ皆順逆の二つなり。面白や。
  カケリ「柳の髪をも風は梳るに。
地    「風にも解かれず。
シテ   「手にも分けられず。
地    「かなぐり捨つるみての袂。
シテ   「抜頭の舞かやあさましや。
地 歌  「花の都を立出でて。花の都を立出でて。憂き音に鳴くか鴨河や。
      末しら河を打ち渡り。粟田口にも着きしかば今は誰をか松坂や。
      関の此方と思ひしに。跡になるや音羽山の名残惜しの都や。
      松虫鈴虫きりぎりすの。鳴くや夕陰の山科の里人も咎むなよ。
      狂女なれど心は清滝川と知るべし。
シテ   「逢坂の。関の清水に影見えて。
地    「今や引くらん望月の。駒の歩も近づくか。水も走井の影見れば。
      我ながら浅ましや。髪は蓬を戴き黛も乱れ黒みて。実に逆髪の影映る。
      水を鏡とゆふ波の現なの我が姿や。

逆髪が蝉丸のいる藁屋に近づくと、中からは琵琶の音が聞こえてくる。蝉丸は博雅が戻ってきたかと思い外へ出る。ここで姉と弟は対面し、手を取り交わしながら、互いの不幸を嘆く。

ツレ、サシ「第一第二の絃は索々として秋の風。松を払つて疎韻落つ。第三第四の宮は。
      我蝉丸が調べも四つの。をりからなりける村雨かな。あら心凄の夜すがらやな。
      世の中は。とにもかくにも有りぬべし。宮も藁屋も果てしなければ。
シテ   「不思議やなこれなる藁屋の内よりも。撥音けだかき琵琶の音聞ゆ。
      そもこれ程の賎が家にも。かゝる調べのありけるよと。思ふにつけてなどやらん。
      世になつかしき心地して。藁屋の雨の足音もせで。ひそかに立ちより聞き居たり。
ツレ   「誰そや此藁屋の外面に音するは。此程をり/\訪はれつる。博雅の三位にてましますか。
シテ 詞 「近づき声をよく/\聞けば。弟の宮の声なりけり。
      なう逆髪こそ参りたれ。蝉丸は内にましますか。
ツレ   「何逆髪とは姉宮かと。驚き藁屋の戸を明くれば。
シテ   「さも浅ましき御有様。
ツレ   「互に手に手を取りかはし。
シテ   「弟の宮か。
ツレ   「姉宮かと。
地    「共に御名をゆふ付の。鳥も音を鳴く逢坂の。せきあへぬ御涙。互に袖やしをるらん。

クセの部分では、シテではなくツレの蝉丸の身の上が語られる。蝉丸が謡うことはないが、居グセの姿勢をとって、シテの存在を盛り上げる。

地 クリ 「夫れ栴檀は二葉より香ばしといへり。ましてや一樹の宿として。
      風橘の香を留めて。花も連なる。枝とかや。
シテ、サシ「遠くは浄蔵浄眼早離速離。近くは又応神天皇の御子。
地    「難波の皇子菟道の御子と。互に即位謙譲の御志。皆これ連理の情とかや。
シテ   「さりながらこゝは兄弟の宿とも。
地    「思はざりしに藁屋の内の。一曲なくはかくぞともいかで調の四つの緒に。
シテ   「引かれてこゝに。よるべの水の。
地    「浅からざりし契かな。
   クセ「世は末世に及ぶとても。日月は地に落ちぬ。習とこそ思ひしに。
      我等如何なれば。わうじを出でてかくばかり。人臣にだに交はらで。
      雲居の空をも迷ひ来て都鄙遠境の狂人路頭山林の賎となつて。
      辺土旅人の憐をたのむばかりなり。さるにても昨日までは。玉楼金殿の。
      床を磨きて玉衣の。袖引きかへて今日は又かゝる所の臥所とて。
      竹の柱に竹の垣軒も枢もまばらなる。藁屋の床に藁の窓。敷く物とても藁莚。
      これぞ古の錦の褥なるべし。
ツレ   「たま/\こと訪ふものとては。
地    「峯に木伝ふ猿の声。袖を湿ほす村雨の。音にたぐへて琵琶の音を。
      弾き鳴らし弾き鳴らし。我が音をも泣く涙の。
      雨だにも音せぬ藁屋の軒のひまひまに。時時月は漏りながら。
      目に見る事の叶はねば。月にも疎く雨をだに。聞かぬ藁屋の起臥を。
      思ひやられて痛はしや。

クセが終わると別離の場面。二人は名残を惜しむでもなく、淡々と分かれる。この別れが、なんとも言えずさびしい趣を曲に漂わせている。

シテロンギ「これまでなりやいつまでも。名残は更に尽きすまじ。暇申して蝉丸。
ツレ   「一樹の蔭の宿とて。それだに有るにまして実に。
      兄弟の宮の御わかれ。とまるを思ひやり給へ。
シテ   「実に痛はしや我ながら。行くは慰む方もあり。留まるをさこそとゆふ雲の。
      立ちやすらひて泣き居たり。
ツレ   「鳴くや関路の夕烏。浮かれ心は烏羽玉の。
シテ   「我が黒髪の飽かで行く。
ツレ   「別路とめよ逢坂の。
シテ   「関の杉村過ぎ行けば。
ツレ   「人声遠くなるまゝに。
シテ   「藁屋の軒に。
ツレ   「たゝずみて。
地    「互にさらばよ常には訪はせ給へと。
      幽かに声のする程聞き送りかへり見おきて泣く泣く別れ。
      おはします泣く/\別れおはします。


 観世流謡本より

蝉丸神社は、大津市の南西、山城と近江の境をなす逢坂山にある。蝉丸神社には上下別と三社あるそうだが、一般に蝉丸神社として通っているのは下社である。数年前、筆者は謡曲の仲間とともにこの地を旅し、蝉丸神社を訪れたことがあった。豊かな自然の中に古びた拝殿があり、その前には舞台があった。我々はこの舞台の上で、是非蝉丸の一節を謡いたいと思っていた。そこで、あらかじめ神社の許可をとり、当日は10名ばかりの仲間とともに舞台に上がると、声を揃えて斉唱したのであった。


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