海 人 (あま)

●あらすじ
藤原不比等[淡海公]の子、房前(ふさざき)の大臣は、亡母を追善しようと、讃岐の国[香川県]志度(しど)の浦を訪れます。志度の浦で大臣一行は、ひとりの女の海人に出会いました。一行としばし問答した後、海人は従者から海に入って海松布(みるめ)を刈るよう頼まれ、そこから思い出したように、かつてこの浦であった出来事を語り始めます。淡海公の妹君が唐帝の后になったことから贈られた面向不背(めんこうふはい)の玉が龍宮に奪われ、それを取り返すために淡海公が身分を隠してこの浦に住んだこと、淡海公と結ばれた海人が一人の男子をもうけたこと、そして子を淡海公の世継ぎにするため、自らの命を投げ打って玉を取り返したこと……。
語りつつ、玉取りの様子を真似て見せた海人は、ついに自分こそが房前の大臣の母であると名乗り、涙のうちに房前の大臣に手紙を渡し、海中に姿を消しました。房前の大臣は手紙を開き、冥界で助けを求める母の願いを知り、志度寺にて十三回忌の追善供養を執り行います。法華経を読誦しているうちに龍女(りゅうにょ)となった母が現れ、さわやかに舞い、法華経の功徳で仏縁を得た喜びを表します。

●宝生流謡本(参考)   内十二巻の一    四五番目略脇能  (太鼓あり)
   素謡(宝生) : 季節=春  場所=讃岐国志度の浦  稽古順=初序  素謡時間=50分
    素謡座席順   子方=房前大臣
              シテ=前・海士 後・龍汝   
              ワキ=従 者   

●解 説                               
壺 齋 閑 話より
能「海人」は、「申楽談義」に「金春の節」とあるので、世阿弥以前の古い能のようである。当の金春流では、この作品は多武峰への奉納のために作られたと伝えているらしい。金春に限らず、大和四座と呼ばれた申楽は、多武峰への奉納を義務付けられていた。多武峰は興福寺、春日大社と並んで、藤原氏とかかわりの深いところであったから、藤原氏ゆかりの伝説を能に仕立てたのではないか。内容は、藤原北家の祖・房前が、亡き母の追善のために讃州志度の浦にやってきたところ、母の亡霊が海人となって現れ、子と対面し、自らが死んだ事情について語るというものである。
房前の父・淡海公(藤原不比等)は、唐土から贈られた三つの宝のうち、面向不背という玉を竜宮に取られてしまったので、身をやつしてこの浦に来り、土地の海人と契りを結ぶのであるが、海人は生まれてきた子の出世のために、我が身を犠牲にしてその玉を取り戻す。 その折の、海人と龍との戦いの様子が一曲の趣向をなしているのである。後半では、龍女となった海人が、子の幸福を祈って舞い、自らも読経の力によって成仏する。子ゆえに命を捨てた母の愛情を描くという点で、母物の代表作であるが、「百萬」や「隅田川」におけるような、子を失い悲しみにくれた母ではなく、子のために命がけで宝物を海中から引き上げるという、勇ましい母親像が描かれている。その母親が、後には龍女となることからもわかるとおり、この能は鬘ものや世話物ではなく、鬼の能の一種である。シテの舞も勇壮に演じられ、女性が主人公であるにもかかわらず、きびきびとして動きの多い能である。こんなところから、今でも人気が高い。なお、金春、宝生、金剛、喜多の各流派では「海人」といっているが、観世流のみは「海士」の字をあてている。 筆者は数年前、謡曲の仲間とともに、謡蹟を訪ねて奈良に旅行し、多武峰の談山神社を訪れたことがあった。
多武峰は昔から紅葉の名所である。筆者らが訪れたのは折しも秋の盛り、全山がみごとな紅に染まっていた。山深いところにかかわらず、壮麗な建物が立ち並び、大勢の見物人でごった返していた。我々は、折角謡蹟の名所に来たのだからと、どこかで謡曲の奉納をしようと思ったのだが、なかなかよい場所がみつからない。
別に人目をはばかったわけでもなかったが、多宝塔の脇にほどよい空間があるのをみつけると、そこで、輪になって、「海士」の一節を合唱したのであった。

●演能記                      
粟谷能の会  喜多流能楽師 粟谷明生
私は数多くの子方を勤めてきました。子方のときは、謡の言葉の意味などわかるはずもなく、ただ言われるままに鸚鵡返しに謡を覚え、自分の役割を忠実にこなしていたわけですが、それでも、舞台の一角にいて、先人たちの能をじっと見て、幼いながらも感じることはたくさんありました。今回の研究公演(平成13年6月23日)で『海人』を勤めるに当たって、私自身が子方の房前の大臣としてシテを見つめていたときの子方の視点が曲づくりの出発点となりました。「メイロコンコントシテ・・・・」と意味も解らず唱えていたときの子方の視点、シテの母親の感情、大臣淡海公と契りを結んだ海女少女(あまおとめ)像を考える前に、子方が母親をどう見ていたかを考慮してみたいと思ったのです。子方はワキ、ワキ連を引き連れて登場すると、自らを房前の大臣と名乗り、亡くなったと聞かされている母の追善に讃州志度の浦に来たと述べます。そこへ一人の海女が現れ、ワキとの問答となり、海女が昔語りに大臣淡海公が志度の浦に下り、卑しき海女少女と契り、御子をもうけ、それが房前の大臣であると述べると、子方は「われこそ房前の大臣である、あら懐しい海女よりもっと詳しく語りなさい」と、母親と自分を結ぶ手がかりに喜び、自らを名乗って、自分は大臣の子と生まれ今は恵まれているが、気にかかることは「自分が生き残っても母を知らない」と涙します。母親が卑しい海女と知り、今は亡き母と側近から聞かせれているが、「いやもしかするとまだ生きているかもしれない」と願う一途な子の気持ち。シテはこれを受け止める側として十分な意識を持っていなくてはならないと、演技法が少しずつ見え始めてきました。
まず面に関してです。通常、後シテの面は「橋姫」か「泥眼」です。いずれも恐い顔で、とりわけ「橋姫」は『鉄輪』にも使われるように角はないが、怒り狂った鬼女なわけでたいへん恐ろしい顔つきですし、「泥眼」は眼光鋭く、嫉妬や怒りをたたえた『葵上』の六条御息所のイメージが相当強く、慈母の愛などを感じることは難しいものです。「龍女」という特殊な面もあるようですが、これも私の今のイメージには合いません。私が子方として、「どんなお母さんが出てくるのかな」と思いをふくらませているときに「橋姫」や「泥眼」では似合わず、子供心に「なんでこうなっちゃうのかな。こんな気持ち悪い顔がおかあさんじゃ、いやだよ」と思っていたものです。(後略)

●みどころ
この作品の山場は、何と言っても海人が龍宮から珠を奪い返す様子を見せる場面でしょう。「玉の段」の名を持って特別視され、謡どころ、舞どころとして知られています。一振りの剣を持って籠宮のなかに飛び入り、八大龍王らに守られた玉塔から宝珠を取り、乳房の下を掻き切って押し込める。死人を忌避する籠宮のならいにより、周囲には悪龍も近づかない。そして命綱を引く……。子のため、使命のために自らの命を投げ出す一人の海人の気迫が、特別な謡と型を伴い、ドラマチックに表現されていくのです。この場面を見せるために、一曲ができているのではないかという印象すら覚えます。 親子の死別という、悲しい結末の重苦しさは、後場の短くテンポのよい展開で雰囲気を変えられ、最終的には明るく、仏法の功徳につながります。一曲の盛り上がりを大切にして、巧妙に練り上げられています。


             
藤原氏摂関関係 5曲
                                      
小原隆夫調
 コード     曲 目      概            説        稽古順  季節  謡時間
内12巻1  海  人  房前大臣ノ母 海士龍神ヨリ宝玉取る      初序   春    50分
内12巻3  定  家  藤原定家ト式子内親王ノ恋            奥伝   冬    70分
外16巻3  雲 雀 山  藤原豊成の娘(中将姫)に乳母 家人ノ忠義  入門   春    44分
内09巻5  当  麻  当麻寺ニテ中将姫ノ霊ニ逢う            中奥   春    60分
外06巻2  俊成忠度 岡部六弥太 忠度ト藤原俊成ノ和歌ノ話     平物   春    30分

(平成23年4月15日 謡曲研究会)


       海 人        四五番目略脇能(太鼓あり)  

          子方 房前の大臣
          シテ 前・海人 後・竜女    季 春
          ワキ 従者              所 讃岐国志度の浦

前半では、房前の大臣が子方として登場し、母の亡霊たる海士と出会うところから始まる。房前を子方にしているのは、曲のテーマである母の愛を強調するためであろう。(以下、テキストは「半魚文庫」を活用)

  二人次第
ワキ、ワキツレ「出づるぞ名残三日月の。出づるぞ名残三日月の。都の西にいそがん。
ワキサシ「天地のひらけし恵ひさかたの。天の児屋根の御ゆづり。
子方  「房前の大臣とは我が事なり。さてもみづからが御母は。讃州志度の浦。
     房崎と申す所にて。むなしくなり給ひぬと。承りて候へば。急ぎ彼の所に下り。
     追善をもなさばやと思ひ候。
ワキ、ワキツレ二人下歌「ならはぬ旅に奈良坂や。かへりみかさの山かくす春の霞ぞ恨めしき。
  上歌「三笠山今ぞ栄えん。此岸の。今ぞ栄えん此岸の。南の海に急がんと。
     ゆけば程なく津の国の。こや日の本の始なる。淡路のわたり末ちかく。
     鳴門の沖に音するはとまり定めぬ。蜑小舟{あまをぶね}。とまり定めぬ蜑小舟。
ワキ 詞「御急ぎ候ふ程に。これははや讃州志度の浦に御着にて御座候。
     又あれを見れば男女{なんによ}の差別{しやべつ}は知らず人一人来り候。
     彼の者を御待{おんまち}あつて。此処の謂を委しく御尋あらうずるにて候。

ここで、子かたらが舞台右手に着座すると、海女に扮したシテが登場する。

シテ一セイ「海士の刈る。藻に住む虫にあらねども。われから濡らす。袂かな。
      これは讃州志度の浦。寺近けれども心なき。あまのゝ里の海人{かいじん}にて候。
      げにや名におふ伊勢をの海士は夕波の。うちとの山の月を待ち。
      浜荻の風に秋を知る。また須磨のあま人は塩木にも。若木の桜を折りもちて。
      春を忘れぬたよりもあるに。此浦にては慰も。名のみあまのゝ原にして。
      花の咲く草もなし。何をみるめ刈らうよ。
  下歌「刈らでも運ぶ浜川の。刈らでも運ぶ浜川の。潮海かけて流れ芦の。
      世を渡る業なれば。心なしともいひがたきあまのゝ里に帰らん。
      あまのゝ里に帰らん。
ワキ 詞「いかに是なる女。おことは此浦の海士にてあるか。
シテ 詞「さん候此浦のかづきの海士にて候。
ワキ   「かづきの海士ならば。あの水底のみるめを刈りて参らせ候へ。
シテ   「痛はしや旅づかれ。飢にのぞませ給ふかや。わが住む里と申すに。
      かほどいやしき・田舎{でんじや}のはてに。不思議や雲の上人を。
      みるめ召され候へ。
   詞「刈るまでもなし此みるめを召され候へ。
ワキ  「いや/\さやうの為にてはなし。あの水底の月を御覧ずるに。
      みるめ繁りて障となれば。刈りのけよとの御諚なり。
シテ  「さては月のため刈りのけよとの御諚かや。昔もさるためしあり。
      明珠をこの沖にて龍宮へ取られしを。かづきあげしもこの浦の。
地 次第「天みつ月も満潮の。天みつ月も満潮の。みるめをいざや刈らうよ。

飢えのためではなく、月を見るのに障りがあるから、みるめをのけて欲しいと聞いた海女は、その言葉に感じ、その昔、竜宮に取られた玉をかずきあげたのもこの浦であったと感慨をいう。そこから、物語はどんどんと進行していく。

ワキ 詞「しばらく。何と明珠をかづきあげしも此浦の海士にてあると申すか。
シテ 詞「さん候此浦の海士にて候。またあれなる里をばあまのゝ里と申して。
      かのあま人の住み給ひし在所にて候。又これなる島は。
      彼の珠を取り上げ始めて見そめしによつて。新しき珠島と書いて。新珠島と申し候。
ワキ  「さてその玉の名を何と申しけるぞ。
シテ  「玉中に。釈迦の像まします。いづかたより拝み奉れども同じ面なるによつて。
      面を向ふに背かずと書いて。面向不背{めんかうふはい}の珠と申し候。
ワキ  「かほどの宝を何とてか。漢朝よりも渡しけるぞ。
シテ 詞「今の大臣淡海公の御妹は。唐土高宗皇帝の后に立たせ給ふ。
      されば其御氏寺なればとて。興福寺へ三つの宝を渡さるゝ。
      華原磐{くわげんけい}泗濱石{しひんせき}。面向不背の珠。
      二つの宝は京着し。明珠はこの沖にて龍宮へ取られしを。
      大臣御身をやつし此浦に下り給ひ。いやしきあま乙女と契をこめ。
      一人の御子を設く。いまの房前大臣これなり。

海女の語る話を聞いた房前の大臣は、この海女が自らの出生のことを知っているのに、思わず叫びを上げ、なおも聞こうとするのに、海女も子と出会えたうれしさに、語り続ける。

子方  「やあこれこそ房前の大臣よ。あらなつかしのあま人や。なほ/\語り候へ。
シテ   「あら何ともなや。今まではよその事とこそ思ひつるに。
      さては御身の上にて候ひけるぞやあら便なや候。
子方  「みづから大臣の御子と生れ。恵開けし藤の門。されども心にかゝる事は。
      此身残りて母知らず。ある時傍臣語りて曰く。忝くも御母は。
      讃州志度の浦。房前のあまり申せば恐ありとて言葉をのこす。
      さては卑しき海士の子。賎の女の腹に宿りけるぞや。
地謡  「よしそれとても帚木に。よしそれとても帚木に。
      しばし宿るも月の光雨露の恩にあらずやと。思へば尋ね来りたり。
      あらなつかしの海士人やと御涙を流し給へば。
シテ  「げに心なき海士衣。
地    「さらでもぬらす我が袖を。重ねてしほれとやかたじけなの御事や。
      かゝる貴人の賎しき海士の胎内に。やどり給ふも一世ならず。
      たとへば日月の。潦{にはたづみ}にうつりて光陰を増す如くなり。
      われらも其海士の。子孫と答へ申さんは。事もおろかや我が君の。
      ゆかりに似たり紫の。藤咲く門の口を閉ぢて。
      いはじや水鳥の御主の名をば朽たすまじ。

海人は、我が子ゆえに命を捨てる覚悟で海底に潜り、玉のある竜宮へと至れば、龍や鰐がいて玉を守っているのを、決死に竜宮へ飛び込み玉を奪い、乳を掻き切ってその中に玉を隠し、逃げ帰ってきたさまを語る。
そしてこれも皆我が子ゆえのことなのだといいつつ、自分こそはその海人の幽霊なのだと言い残して去る。激越な調子で演じられるこの部分は、一曲のハイライトをなすものである。

ワキ 詞「とてもの事に彼の珠を。潜{かづ}きあげし所を。
      御前にてそと学うで御目にかけ候へ。
シテ 詞「さらばそと学うで御目にかけ候ふべし。その時あま人申すやう。
      もし此珠を取り得たらば。此御子を世継の御位になし給へと申しゝかば。
      子細あらじと領掌{りやうじやう}し給ふ。扨は我が子ゆゑに捨てん命。
      露ほども惜しからじと。千尋の縄を腰につけ。もし此珠を取り得たらば。
      此縄を動かすべし。其時人々力を添へ。
      引きあげ給へと約束し。一つの利剣を抜きもつて。
地    「かの海底に飛び入れば。空は一つに雲の波。煙の波を凌ぎつゝ。
      海漫々と分け入りて。直下と見れども底もなく。辺も知らぬ海底に。
      そも神変はいさ知らず。取り得ん事は不定{ふじやう}なり。
      かくて龍宮にいたりて宮中を見れば其高さ。三十丈の玉塔に。
      かの珠を籠めおき香花を供へ守護神は。八龍並み居たり其外悪魚鰐の口。
      逃れ難しや我が命。さすが恩愛の故郷の方ぞ恋しき。あの波の彼方にぞ。
      我が子はあるらん父大臣もおはすらん。さるにても此儘に。
      別れはてなん悲しさよと涙ぐみて立ちしが又思ひ切りて手を合わせ。
      南無や志度寺の・観音薩タの力を合はせてたび給へとて。
      大悲の利剣を額に当て龍宮の中に飛び入れば。
      左右へばつとぞ退{の}いたりける其隙に。宝珠を盗みとつて。
      逃げんとすれば。守護神おつかくかねてたくみし事なれば。持ちたる剣を取り直し。
      乳の下をかき切り珠を押し籠め剣を捨てゝぞ伏したりける
      龍宮の習に死人を忌めば。
      あたりに近づく悪龍なし。約束の縄を動かせば。
      人々よろこび引きあげたりけり珠は知らずあま人は海上に浮び出でたり。
シテ   「かくて浮びは出でたれども。悪龍の業と見えて。
      五体もつゞかず朱{あけ}になりたり。珠もいたづらになり。
      主も空しくなりけるよと。大臣なげき給ふ。其時息の下より申すやう。
      我が乳のあたりを御覧ぜとあり。げにも剣のあたりたる痕あり。
      その中より光明赫奕たる珠を取りいだす。さてこそ御身も約束のごとく。
      此浦の名に寄せて。房前の大臣とは申せ。今は何をかつゝむべき。
      これこそ御身の母あま人の幽霊よ。
地    「この筆の跡を御覧じて。不審をなさで弔へや。今は帰らんあだ波の。
      夜こそ契れ夢人の。明けて悔しき浦島が。
      親子のちぎり朝潮の波の底にしづみけり立つ波の下に入りにけり。

中入の間にアイ狂言があり、三つの宝の説明をする。華原磐とは、一度打つと袈裟をかけるまで妙音が鳴り止まぬという楽器、泗濱石とは、墨をすると自然と水が湧き出る硯、そして面向不背とは、玉中にある釈迦の像がどの角度から見ても同じに見える珠のことだという。
後半は、弔いの読経に誘われるように、龍女と化した母が現れる。

ワキ 詞「いかに申し上げ候。あまりに不思議なる御事にて候ふほどに。
      御手跡を披いて御覧ぜられうずるにて候。
子方  「さては・亡母の手跡かと。ひらきて見れば魂黄壌に去つて一十三年。
      骸を白沙に埋んで日月の算を経。冥路昏々たり。我を弔ふ人なし。
      君孝行たらばわが冥闇をたすけよ。げにそれよりは十三年。
地   「さては疑ふ所なし。いざ・弔はんこの寺の。志ある手向草。
      花の蓮の妙経色々の善をなし給ふ色々の善をなし給ふ。
出端
地   「寂冥無人声{じやくまくむじんじやう}。
後シテ 「あらありがたの御弔やこの御経にひかれて。五逆の達多は天王記別を蒙り。
      八歳の龍女は南方無垢世界に生を受くる。なほ/\転読し給ふべし。
地    「深達罪福相{じんだつざいふくさう}。偏照於十方{へんせうおじつほう}。
シテ  「微妙浄法身{みめうじやうほつしん}。具相{ぐそう}三十二。
地    「以八十種好{いはちじつしゆかう}
シテ  「用荘厳法身{ゆうしやうごんほつしん}。
地    「天人所載仰{てんにんしよたいがう}。
      龍神咸恭敬{りうじんげんくきやう}あらありがたの御経やな。

ここで龍女が舞うのは早舞といって、本来貴公子の演ずるべき颯爽とした舞である。母が子に感情移入して、子に変わって舞うといった風情である。しかして、龍女は成仏でき、一曲が閉じる。

シテ  「今此経の徳用にて。
地    「今この経の徳用にて。天龍八部。人与非人。皆遥見彼。
      龍女成仏さてこそ讃州志度寺と号し。毎年八講。朝暮の勤行。
      仏法繁昌の霊地となるも。この孝養{けうやう}と。承る。

筆者は数年前、謡曲の仲間とともに、謡蹟を訪ねて奈良に旅行し、多武峰の談山神社を訪れたことがあった。多武峰は昔から紅葉の名所である。筆者らが訪れたのは折しも秋の盛り、全山がみごとな紅に染まっていた。山深いところにかかわらず、壮麗な建物が立ち並び、大勢の見物人でごった返していた。我々は、折角謡蹟の名所に来たのだからと、どこかで謡曲の奉納をしようと思ったのだが、なかなかよい場所がみつからない。別に人目をはばかったわけでもなかったが、多宝塔の脇にほどよい空間があるのをみつけると、そこで、輪になって、「海士」の一節を合唱したのであった。


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