東岸居士
(とうがんこじ)
●あらすじ
都見物の旅人が、清水寺に参ろうとした途中、白河のほとりで東岸居士に出会ったので、今日はいかなる説法をするかと尋ねたところ、居士は万事全て目に見るままであるから「柳は緑、花は紅」と仏の教えにある通りであると答えます。
更に旅人が目前の橋を指して誰が架けたのかを問えば、先師自然居士が仏縁の無い衆生のために寄進させて渡されたのである、それで私もこうして勧進して歩くのだと言います。また居士は、自分は本来空にして住む家がないので、出家ということもない、それだからこそ髪も剃らず、法衣もつけないでいる、どうぞあなたも悟りの境地に至りなさいと、勧進に加わるようすすめます。
そして居士は、旅人に面白く歌って聞かせ給えと請われるままに、快く舞い、更にまた羯鼓を打って見せ、舞を舞って悟るも、法を聞いて悟るも、帰するところは皆同じと説くのでした。 (「宝生の能」平成10年2月号より)
●宝生流謡本
内十一巻の五 四番目 (太鼓なし)
季節=春 場所=京都清水寺 作者=作者不詳
素謡稽古順=入門 素謡時間=24分
素謡座席順 シテ=東岸居士
ワキ=旅人
●観能記 東京・国立能楽堂、能・「東岸居士(とうがんこじ)」。
芸尽くしの舞を楽しみました。〜初心者の方への「能鑑賞お勧め」の話も兼ねます。 汗ばむ快晴の中、東京・千駄ヶ谷にある、国立能楽堂に行きました。 時間がありましたので、一つ隣の、JR・信濃町駅で降りて緑の中を散歩して能楽堂に行きました。 きょうの能は、普及公演・「東岸居士(とうがんこじ)」(四番目物。作者不詳)でした。観世流です。 地味な物語の能ですが、勧進(寄付)のテーマは、大震災後にふさわしい出し物かもしれません。 この日の、「東岸居士」は、珍しい「橋立」の小書つきです。
つまり、特別な演出、というか、具体的には、原作に忠実な、出だしの〈サシ〉〈上歌〉があるということです。後述します。
能に先だって、武蔵野大学名誉教授・増田正造さんの「能の「橋」物語」と題した講演がありました。
(中略)
人々が、救いを求めていた時代であった程度で十分でしょう。 ひととおり、理解し終えたら、最終的には、本文を、声に出して音読してみます。これが意外に有効で、「理」でなく「情」で理解できてくるところがあります。こちらが重要です。 また、見所(けんじょ。客席)の席ですが、私は、正面席(国立能楽堂では、4800円ほど。会員は、4320円)ではなくて、脇正面(同3100円。会員2790円)や中正面(2600円。2340円)の若干安い席で、「回数」を観るようにしています。
それに、国立能楽堂の見所(客席)は、切符を買うときに、オペラや文楽と違って、それほど神経質にならなくても、どこの席でも、極端な話し、一番後ろの席しかなくても、十分観やすく、大丈夫だと思っています。 余談ですが、横浜能楽堂館長である山崎有一郎さんは、能は、目付け柱を意識して舞っているので、目付け柱の延長線の席がよい、と言います。
たとい、柱が邪魔になっても、それが、「透けて見えてくる」のがホントウだそうです。(『能・狂言なんでも質問箱』(檜書店)) 今回の私の席は、たまたま正面席にしましたが、一番、「中」に近い席です。 ちなみに、水道橋の宝生能楽堂「五雲会」で、毎月観ていたときは、中正面最前列でずっと観ていました。これは、ちょっと極端ですが。
また、総じて言いますと、歳をとっての趣味としては、能は、勉強に時間が必要ですし、その勉強は日本文化全体の理解にすこぶる有用ですし、何よりも観るのも低料金ですから、絶対にお勧めです。
「低コスト・高付加価値」の舞台鑑賞趣味となります。 (後略)
●東岸居士 橋立
作者 不明 素材 『一遍上人絵詞伝』など
場所 都、清水寺に至る途中の橋、三条白川の橋のあたり
季節 春 分類 四番目物・芸尽物・大小物
登場人物 シテ 東岸居士
喝食・水衣大口喝食出立
ワキ
東の国から旅をする男 素袍上下出立
アイ
都の男 肩衣半袴出立
あらすじは、 東の国の男が都の清水寺へ向かう途中、都の男から東岸居士の話を聞きます。男の前に現れた東岸居士は橋の勧進を勧め、曲舞や鞨鼓舞を舞って仏法帰依を勧めます。
□舞台の流れ
1、.囃子方が橋掛リから能舞台に登場し、地謡は切戸口から登場して、それぞれ所定の位置に座り
ます。
2、.東の国の男(ワキ)が「名ノリ笛」で舞台に登場し、都の清水寺へ向かいます。
3.、男は清水寺の門前の男(アイ)を呼び出し、このあたりで面白いものはないかと尋ねます。
都の男は、東岸居士の説教とその後の曲舞が面白いと教えます。
4.「一声[いっせい]」の囃子に合わせて、東岸居士(シテ)が現われます。
居士は、春の景色とはかない無常の世を謡い上げ、三条白川の橋の建立の勧進(寺社や橋など
の建設のために人々に寄付を募ること)に心を尽していると言います。
(小書(特殊演出)「橋立」では、シテの「一セイ」の謡の後に、常は省略されている、無常を
謡った「サシ・上ゲ歌」が入ります。)
5、.旅の男が居士に橋の由来や居士の出自を尋ねると、居士は、目の前の風景はそのまま悟りの姿
を表していると言い、昔、自然居士の説法勧進の功徳の力で橋が渡されたことや、自分は三界
に家もなく、郷里もなければ、捨てるべき情愛もないので出家と言われる所以もないと説いて、
勧進を勧めます。
6.、居士は、舞は狂言綺語[きょうげんきぎょ](文学や歌舞のわざが仏法を称え、仏に帰依する手
段になるという考え)となるから、舞を舞って人々を楽しませようと舞を舞います(中ノ舞)。
7.、さらに居士は、「妄念・煩悩・無明」が真如(悟り)の妨げになっていることを語り舞います
(クリ・サシ・クセ)。
8.、男の求めに応じ、居士は鞨鼓を撥で打ちながら鞨鼓の舞を見せます(鞨鼓)。
9。.居士は舞い謡いながら、白川の橋を隔てた東岸と西岸を見やります。
川のさざ波やささら、鼓の音が極楽の歌舞の菩薩の音楽のように辺りに響いています。
そして、この世のあらゆるものの真実の姿は一つであるのですと、悟りの道へ至ることをうな
がして、居士は舞い終えるのでした。
10、.シテが橋掛リから揚げ幕へ退場し、ワキがその後に続きます。最後に囃子方が幕へ入り、地謡
は切戸から退いて能が終わります。
□ここに注目
清水寺に向かう橋の賑わいを背景に、狂言綺語としての東岸居士の芸能が華やかに繰り広げられる作品です。 〈東岸居士〉の曲名は、世阿弥から金春禅竹に相伝された能本の曲名を記した『能本三十五番目録』にあがっています。作品中の曲舞の「サシ・クセ」は『一遍上人絵詞伝』に拠っており、独立の曲舞をもとに一曲が作られた可能性も考えられています。さらにそれは、シテ東岸居士、ツレ西岸居士が登場する能であって、のちにシテ一人だけが登場する形に改訂されたという説もあります。
(文・中司由起子)
あさかのユーユークラブ
謡曲研究会 平成26年1月17日(金)
東岸居士
(とうがんこじ) (太鼓なし)
季 春 所 京都C水寺 素謡時間 24分
【分類】四番目
【作者】 典拠:
【登場人物】 シテ:東岸居士、 ワキ:旅人僧
詞 章 (胡山文庫)
ワキ 詞
「是は遠国方の者にて候。我此程は都に上り。
彼方此方を一見仕りて候。又今日は清水寺へ参らばやと存じ候。
シテ 一セイ上 松をさへ。皆桜木に散りなして。花に声ある嵐かな。
ワキ 詞
「これは承り及びたる東岸居士にて渡り候ふか。
さて今日は如何様なる聴聞の御座候ふぞ。
シテ 詞
「事あたらしき問事かな。聴問といつぱ。万事は皆目前の境界なれば。
カカル上 柳は緑花は紅。あら面白の春の景色やな。
ワキ 詞
「あら面白の答や候。さてこの橋は如何なる人の懸け給ひし橋にて候ふぞ。
シテ 詞
「これは先師自然居士の。法界無縁の功力を以て。
渡し給ひし橋なれば。今又かやうに勧むるなり。
ワキ カカル上 さて/\東岸西岸居士の。
詞
「郷里は何処如何なる人の。父母をはなれし御出家ぞや。
シテ 詞
「むつかしの事を問ひ給ふや。もとろり来る所もなければ。
出家といふべき謂もなし。出家にあらねば髪をも剃らず。
衣を墨に染めもせで。唯おのづから道に入つて。
ワキ カカル上 善を見ても。
シテ 上 進まず。
ワキ 上 智を捨てゝも。
シテ 上 愚ならず。
ワキ 上 をりに触れ。
シテ 上 事に渡りて白川に。
ワキ 上 かゝれる橋は。
シテ 上 西。
シテワキ 上 東の。
地 上 東岸西岸の柳の。髪は長く乱るゝとも。南枝北枝の梅の花。
開くる法の一筋に。渡らんための橋なれば。勧に入りつゝ。
彼の岸に至り給へや。
ワキ 詞
「又いつもの如く歌うて御聞かせ候へ。
シテ 詞
「げに/\これも狂言綺語を以て。讃仏転法輪の真の道にも入るなれば。
カカル上 人の心の花の曲。いざや歌はんこれとても。
地
次第上 御法の舟の水馴棹。/\。皆彼の岸に至らん。
シテ 上 おもしろや。これも胡蝶の夢の中。
地 上 遊びたはふれ。舞ふとかや。
中ノ舞
シテ 上 鈔に又申さく。あらゆる所の仏法の趣。
地 上 箇々円成の道すぐに今に絶えせぬ跡とかや。
シテ サシ上 但し正像すでに暮れて。末法に生を受けたり。
地
下 かるが故に春過ぎ秋来れども。進み難きは出離の道。
シテ 上 花を惜み月を見ても。起り易きは妄念なり。
地 上 罪障の山にはいつとなく。煩悩の雲あつうして仏日の光晴れがたく。
シテ 上 生死の海にはとこしなへに。
地 下 無明の波荒くして。真如の月宿らず。
クセ下 生を受くるに任せて。苦にくるしみを受け重ね。死に帰るに随つて。
闇より闇におもむく。六道の街には。迷はぬ所もなく。
生死の枢には。宿らぬ住家もなし。生死の転変をば。夢とやいはん。
又現とやせんこれら有りといはんとすれば。
上 雲と上り煙と消えて後其跡を留むべくもなし。
無しといはんとすれば又恩愛の中。心とゞまつて腸を断ち。
魂を動かさずといふ事なし彼の芝蘭の契の袂には。
骸をば愁嘆の焔に焦がせども。紅蓮大。紅蓮の氷をば終に解かす事なし。
鴛鴦の。衾の下に眼をば。慈悲の涙に湿せども。焦熱大焦熱の焔をば。
終にしめす事なし。かゝる拙き身を持ちて。
シテ 上 殺生偸盗邪婬は。
地 上 身に於て作る罪なり。妄語綺語。悪口両舌は口にて作る罪なり。
貪欲嗔恚愚痴は又。心に於て絶えせず御法の船の水馴棹。皆彼の岸に至らん。
ワキ 詞
「とてものことに羯鼓を打つて御見せ候へ。物着「。
シテ 詞
「面白や松吹く風颯々として。波の声茫々たり。
ワキ カカル上 処は名におふ洛陽の。眺もちかき白河の。
シテ 詞「波の鼓や風のさゝら。
ワキ カカル上 うち連れ行くや橋の上。
シテ 上 男女の往来。
ワキ 上 貴賎上下の。
シテワキ
上 袖を連ねて玉衣の。さい/\沈み浮波の。さゝら八撥打ち連れて。
シテ 下 百千鳥。
羯鼓
シテ 上 百千鳥。囀る春は物ごとに。
地 下 改まれども我ぞふり行く。
シテ 下 行くは白河。
地 下 行くは白河の。橋を隔てゝむかひは。
シテ 上 東岸。
地 上 此方は。
シテ 上 西岸。
地 上 さゞ波は。
シテ 上 さゝら。
地 上 うつ波は。
シテ 上 鼓。
地 上 いづれも/\極楽の。歌舞の菩薩の御法とは。聞きは知らずや。
旅人よ/\。あら面白や。
シテ 上 あう南無三宝。
地 上 実に太鼓も羯鼓も笛篳篥。絃管ともに極楽の。御菩薩の遊と聞くものを。
シテ 下 何と唯。
地 下 何と唯雪や氷と隔つらん。
万法皆一如なる実相の門に入らうよ。実相の門に入らうよ。
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