桜  川  (さくらがわ)

●あらすじ
日向国(主に今の宮崎県)、桜の馬場の西に、母ひとり子ひとりの貧しい家がありました。その家の子、桜子(さくらご)は、母の労苦に心を痛め、みずから人商人(ひとあきんど)に身を売ります。人商人が届けた手紙から桜子の身売りを知った母は、悲しみに心を乱し、泣きながら家を飛び出して、桜子を尋ねる旅に出ました。 それから三年。桜子は、遠く常陸国(主に今の茨城県)の磯辺寺の住職に弟子入りしていました。春の花盛り、住職は桜子らとともに、近隣の花の名所、その名も桜川に花見に出かけます。折しも桜川のほとりには、長い旅を経た桜子の母がたどり着いていました。 狂女となった母は、川面に散る桜の花びらを網で掬い、狂う有様を見せていたのです。住職がわけを聞くと、母は別れた子、桜子に縁のある花を粗末に出来ないと語ります。そして落花に誘われるように、桜子への想いを募らせて狂乱の極みとなります。 やがて母は住職が連れてきた子と対面します。その子が桜子であるとわかり、母は正気に戻って嬉し涙を流し、親子は連れ立って帰ります。後に母も出家して、仏の恵みを得たことから、親子の道は本当に有難いという教訓が語られます。

●宝生流謡本      内十一巻の四     四番目    (太鼓なし)
    季節=春   場所=前・日向国 後・常陸国桜川 作者=世阿弥元清(ぜあみも ときよ)
    素謡稽古順=初序   素謡時間=55分 
    素謡座席順   シテ=前・後・共に桜子の母
               ワキ=磯辺寺の住職
              ワキヅレ=人商人 男

●能「桜川」のみどころ
 子どもと離れ離れになった母が、狂乱して子を尋ね歩く、子別れの狂女物のひとつです。子と母は最後の最後に巡り合うというハッピーエンドの物語ですが、その過程で母をいたわる健気な子、子を一心に思う母の人情がきめ細かく織りなされ、見る人の胸に迫ります。 しかしそれ以上に、この曲の味わいを深めるのは、“桜”を大本に据えた濃淡の多彩な色づけです。昔の人の調べたところによれば、この曲に桜11種類、桜の字が48字、花の字は53字出てくるそうです。別れた子の名は「桜子」、母子の故郷は「桜の馬場」、そして物語佳境の舞台は「桜川」。ことに花吹雪の乱れ落ちる桜川と母の心理を重ねて描写する謡は、母の狂乱の舞姿に呼応して、殊更に美しくもはかなく切ない詩情を表します。これもまた、能にしかできない表現と言えます。特に、クセから網ノ段と呼ばれる特別な舞、謡どころは必見です。 古来より、日本人が大切にしてきた桜。その花にまつわる深々とした情感を、能独特の手法でじっくりとお楽しみいただけます。
 また花を材とする「桜川」と月をあしらう狂女物の「三井寺」とは、折りに触れてよく対比されますので、見比べてみると能の面白さも、ひときわ深まることでしょう。

●茨城県の桜川磯部稲村神社   茨城県桜川市磯部779  Tel:0296-75-2838/Fax:0296-75-5967
 桜川の桜は江戸時代、水戸光圀(黄門)元禄年間(1688〜1703)度々神社へ参拝し、水戸城内を始め千波湖に注ぐ小川のほとりに桜川の山桜の苗木を植え桜川と名付けた。 徳川三代将軍家光が、寛永年間に、四代将軍家綱が、正保年間に桜川の桜の苗木を数百本、隅田川の今の木母寺付近に移植。 天文年間(1741)徳川八代将軍吉宗時代、宝暦年間(1751〜1763)九代将軍家重時代、には『桜川の桜』として江戸表へ桜の名所を作るために、多くの山桜の苗木が移植された。 現在の皇居を始め上野公園・北区飛鳥山公園・新宿御苑・小金井公園などである。

●能  桜 川  金剛流             平成20年度第2回東京金剛会例会
   シテ:工藤 寛  ワキ:殿田謙吉  ワキツレ:井藤鉄男 殿田達也  子方:辻井穂実
   笛 :内潟慶三  小鼓:古賀裕己  大鼓:高野 彰
   後見:豊嶋訓三 廣田泰能 高橋雪絵>
   地謡:今井清隆 坂本立津朗 片山峯秀 城石隆輔 見越文夫 大川隆雄 田村修 見越英明

□シテは狂女の定番、狂笹(くるいささ)に代えて掬い網を肩に登場します。 掬い網は魚を獲る道具ですが、これで水面の桜の花びらを掬おうというのです。 カケリ以下の狂乱をこの網で舞い、「次第」で網に代えて扇を持ち、狂乱がおさまった態で囃子だけの「イロヘ」で閑かに舞台を一巡し、春の情景の「クセ」を舞います。クセの終わりでシテの心情は昂揚し、再び網を持ち狂乱の「網ノ段」を舞います。その場面にふさわしい、網と扇を使い分け、華やかな舞台を作ります。

□古今、新古今、後撰集、古今六帖などの歌がふんだんに取り入れられているのもこの曲の魅力の一つです。また、他の狂女の能のように故事や仏説を云々するところがなく、子を想う親の情愛が直接滲みてくる曲です。

□この能は、所の里人が登場し狂女を呼び出すワキツレがいるのが本来のようです。ワキが「この物狂いの事にてありげに候」とあるのがこれで説明がつきます。現在では割愛されていますが、一流だけは本来のとおり演じています。

□桜川は筑波山の北、栃木県の県境から流れ出て河口、土浦、霞ヶ浦に注ぐ全長百キロに満たない川です。筑波山の北麓、真壁町から更に北の岩瀬町あたりまで山桜が多く自然交配の品種も多様で、これらを桜川沿いに植え吉野に並ぶ名所として都までも聞こえたといいます。本曲にも「未だ見もせぬ常陸の国に名も桜川ありと聞きて」として紀貫之の歌が謡われます。 岩瀬町の桜川公園を中心に「磯部の百色桜」と呼ぶ花の形や色、匂い、さまざまの山桜が保存され、そのうち十一種が国の天然記念物に指定されているそうです。 磯辺寺は稲村神社の神宮寺でした。神宮寺とは、神仏混淆で神社の附属としておかれた寺です。明治政府の神仏分離政策で廃寺となったものも多く、磯辺寺もこの時廃寺になったといいます。稲村神社にその跡があるそうです。 稲村神社囲辺は現在も桜の名所で近くの桜川べりは桜子師弟の花見の場所に設定するのに格好の所です。このあたりは昔は真壁郡でした。現在は桜川市。最寄り駅は水戸線羽黒駅又は岩瀬駅。

□能の狂女は、我が子や恋人を求めて旅をします。狂女ならずとも能には旅の場面がとても多いです。この「桜川」の狂女、「安宅」の義経主従は、長旅の双璧で他にダントツです。義経主従は京都から平泉まで、桜子の母は筑紫国日向から桜川まで。桜子の母の故郷は、筑紫国日向と設定されていますが筑紫に日向という所があったのでしょうか。単に九州の代名詞でしょうか。「我が故郷の御神をば木花開耶姫」とあり、神の国、日向国としてもいいかもしれません。筑紫ならば義経主従とほぼ同じ道程、日向ならば断然桜子の母に軍配が上がります。千キロを超す遙かな旅です。

□桜は菊とともに、わが国の国花です。平安朝以来、花と言えば桜をさす程愛されてきました。花だけではなく、栽培品種ですが「サクランボ」はその姿、味共に愛好されています。桜が属するバラ科には、リンゴ、梨、桃、苺、梅、カリンなど、果物の種の多い科です。 (梅)

                                   
あさかのユーユークラブ 謡曲研究会 平成26年1月17日(金)


                謡曲「桜川」

謡曲「桜川」とは. 謡曲「桜川」は、室町時代に幽玄能を大成させた世阿弥元清(ぜあみも ときよ)※が県内を舞台にしたものでは唯一残した能楽作品。 西暦1438年(永享10年、 諸説あり)、岩瀬の櫻川磯部稲村神社宮司磯部祐行(すけゆき)宮司が、関東管領の ...

●あらすじ
 九州日向国(宮崎県)桜の馬場の桜児は、東国方の人商人にわが身を売り、その身代金と手紙を母に渡してくれとたのみ、国を立ちます。 母は人商人から手紙を受け取り読んでみると、「母の貧しさを悲しむあまり身を売りました、名残惜しいが、母上もこれを縁に御出家下さい」とあります。 驚いてあたりを見ると、もう人商人はいません。 母は嘆き悲しみ、氏神の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)に我が子の無事を祈り、その行方を尋ねて旅に出ます。 それから三年が経ち、常陸国(茨城県)桜川は丁度桜の季節です。 桜児は磯辺寺に弟子入りしており、今日は師僧に伴われて近くの桜川という花の名所にやって来ます。 里人は、桜川に流れる花を抄って狂う女がいるから、この稚児に見せてやればよいとすすめます。 呼び出された狂女は、九州からはるばるこの東国まで、我が子をもとめてやって来たことを語り、失った子の名も桜児、この川の名も桜川、何か因縁があるのだろうが、春なのにどうして我が子の桜児は咲き出でぬのかと嘆きます。 更に、桜を信仰するいわれ、我が子の名の由来、桜を詠じた歌などを語り、散る花を抄い上げ興じ狂います。 僧はこれこそ稚児の母であると悟り、母子を引き合わせます。二人は嬉し涙にくれ、連れ立って帰国します。


     
謡曲「桜川」(観世流)
     
登場人物
         ワキヅレ   「人商人(ひとあきびと)」
         シテ      「母」              後ジテ「母・狂女」
         ワキヅレ   「里人「(さとびと)」
         子方     「桜子(さくらご)」
         ワキ      「磯部寺の住僧」
         ワキヅレ   「従僧」二人

第一場
    一
男    「かやうに候(そおろお)者は、東国方(とおごくがた)の人商人(ひとあきびと)にて候。
      われ久しく都に候ひしが、この度は筑紫日向(つくしひうが)に罷(まか)り下りて候。
      また昨日の暮ほどに幼き人を買ひ取りて候。
      かの人申され候は、この文(ふみ)と身の代(しろ)とを。
      桜の馬場の西にて桜子(さくらご)の母(はわ)と尋ねて、
      確かに届けよと仰せ候ほどに、唯今桜子の母の方(かた)へと急ぎ候。
      このあたりにてありげに候。まづまづ案内を申さばやと存じ候。
    二
男    「いかに案内申し候。桜子の母のわたり候か。」
シテ   「誰(たれ)にてわたり候ぞ。
男    「さん候(ぞおろお)桜子の御方(おんかた)より御文(おんふみ)の候。
      またこの代物(しろもの)を確かに届け申せと仰せ候ほどに、
      これまで持ちて参りて候。かまへて確かに届け申すにて候。」
シテ   「あら思ひよらずや。まづまづ文(ふみ)を見うずるにて候。
     「さてもさてもこの年月(としつき)の御有様(おんなりさま)、
      見るもあまりの悲しさに、人商人に身を売りて、東(あづま)の方(かた)へ下り候。
      のうその子は売るまじき子にて候ものを。や、あら悲しや。
      はや今の人も行(ゆ)き方(がた)知らずなりて候はいかに。
      これを出離(しゆつり)の縁として、御様(おんさま)をも変へ給ふべし。
      唯(ただ)返す返すも御名残(おんなごり)こそ惜しう候へ。」
地    「名残(なごり)惜しくは何しにか添はで母(はわ)には別るらん。
     「ひとり伏屋(ふせや)の草の戸の、ひとり伏屋の草の戸の、
      明かし暮らして憂き時も子を見ればこそ慰むに、さりとてはわが頼む、
      神も木華開耶姫(このはなさくやひめ)の、
      御氏子(おんぬぢこ)なるものを桜子とめてたび給へ。
      さなきだに住みうかれたる古里(ふるさと)の、今は何にか明暮(あけくれ)を
     、堪へて住むべき身ならねば、わが子の行方(ゆくえ)尋ねんと、
      泣く泣く迷ひ出でて行(ゆ)く泣く泣く迷ひ出でて行く。」
            (中入)
第二場
    一  (次第)
ワキ   「頃待ち得たる桜狩頃待ち得たる桜狩山路(やまぢ)の春に急がん。」
ワキ   「これは常陸の国磯辺寺(いそべでら)の住僧(ぢうそお)にて候。
      又これにわたり候幼き人は、いづくとも知らず愚僧を頼む由仰せ候ほどに、
      師弟の契約(けいやく)をなし申して候。又このあたりに桜川とて花の名所の候。
      今を盛りの由申し候ほどに、幼き人を伴ひ、唯今桜川へと急ぎ候。」
ワキ 道行「筑波山(つくばやま)、このもかのもの花盛り、このもかのもの花盛り、
      雲の林の蔭(かげ)茂き、緑の空もうつろふや松の葉色も春めきて、
      嵐も浮かむ花の波、桜川にも着きにけり、桜川にも着きにけり。」
    二
里人   「いかに申し候。何とて遅く御出(おんに)で候ぞ待ち申して候。
ワキ   「さん候(ぞおろお)皆々御供(おんとも)申し候ほどに、さて遅(おそ)なはりて候。
      あら見事や候(ぞおろお)。花は今を盛りと見えて候。
里人   「なかなかのこと花は今が盛りにて候。又ここに面白き事の候。
      女物狂(をんなものぐるい)の候が、美しき抄(すく)ひ網を持ちて、
      桜川に流るる花をすくひ候が、けしからず面白う(おもしろお)狂ひ候。
      これに暫く御座候ひて、この物狂を幼き人にも見せまゐらせられ候へ。
ワキ   「さらばその物狂を此方(こなた)へ召され候へ。
里人   「心得申し候。やあやあかの物狂に、いつもの如く抄ひ網を持ちて、
      此方(こなた)へ来(きた)れと申し候へ。
    三
後ジテ  「いかにあれなる道行人(みちゆきびと)、桜川には花の散り候か。
      なに散りがたになりたるとや。悲しやなさなきだに、行く事やすき春の水の、
      流るる花をや誘ふ(さそお)らん。
      花散れる水のまにまにとめ来れば、山にも春はなくなりにけりと聞く時は、
      少しなりとも休らはば、花にや疎(うと)く雪の色。桜花。
         −−シテのカケリ
シテ   「桜花、散りにし風の名残(なごり)には、
地    「水なき空に、波ぞ立つ。
シテ   「思ひも深き花の雪、
地    「散るは涙の、川やらん。
シテ   「(サシ)これに出(い)でたる物狂の、故郷(こきよお)は筑紫日向(つくしひうが)の者、
      さも思ひ子(ご)を失ひて、思ひ乱るる心筑紫(こころづくし)の、
      海 山越えて箱崎の、波立ち出でて須磨の浦、
      又は駿河の海過ぎて常陸とかやまで下り来ぬ。げにや親子の道ならずは、
      遙けき旅を、如何(いか)にせん。
     「ここにまた名に流れたる桜川とて、さも面白き名所あり。
     「別れし子の名も桜子(さくらご)なれば、形見といひ折柄(をりから)といひ、
      名 もなつかしき桜川に、
地    「散り浮く花の雪を汲みて、みづから花衣(はなごろも)の春の形見残さん。
      花鳥(はなとり)の、立ち別れつつ親と子の、立ち別れつつ親と子の
      行方も知らで天(あま)ざかる、鄙(ひな)の長路(ながぢ)に衰へば、
      たとひ逢ふ(おお)とも親と子の面(おも)忘れせばいかならん。
      うたてや暫しこそ、冬ごもりして見えずとも、
      今は春べなるものをわが子の花はなど咲かぬわが子の花はなど咲かぬ。
    四
ワキ   「この物狂の事にてありげに候。立ち寄りて尋ねばやと思ひ候。
      いかにこれなる狂女、おことの国里(くにさと)はいづくの人ぞ。
シテ   「これは遙かの筑紫の者にて候。 
ワキ   「それは何とてかやうに狂乱(きよおらん)とはなりたるぞ。
シテ   「さん候(だ一人ある忘れ形見の緑子に生きて離れて候ほどに思ひが乱れて候。
ワキ   「あら痛はしや候(ぞおろお)。また見申せば美しきすくひ網を持ち、
      流る る花をすくひ、あまつさへ渇仰(かつごお)の気色(けしき)見え給ひて候は、
      何 と申したる事にて候ぞ。
シテ   「さん候(ぞおろお)わが古里の御神(おんがみ)をば、
      木華開耶姫(このはなさくやひめ)と申して、御神体は桜木にて御入(おんに)り候。
      されば別れしわが子もその御氏子(をんぬぢこ)なれば、
      桜子(さくらご)と名づけ育てしかば、神の御名(おんな)も開耶姫(さくやひめ)、
      尋ぬる子の名も桜子にて、又この川も桜川の、名もなつかしき、花のちりを、
      あだにもせじと思ふなり。
ワキ   「謂(い)はれを聞けば面白や。げに何事も縁は(えんな)ありけり。
      さばかり遠き筑紫より、この東路(あづまぢ)の桜川まで、
      下り給ふも縁よ(えんによ)のう(のお)。
シテ   「まづこの川の名に負ふこと、遠きにつきての名誉あり。
      かの貫之が歌は 如何(いか)に。
ワキ   「げにげに昔の貫之も、遙けき花の都より、
シテ   「未(いま)だ見もせぬ常陸の国に、
ワキ   「名も桜川、
シテ   「ありと聞きて、
地    「常よりも、春べになれば桜川、春べになれば桜川、
      波の花こそ間(ま)なく寄すらめと詠みたれば花の雪も貫之も古き名のみ残る世の、
      桜川、瀬々(せぜ)の白波繁ければ、霞うながす、
      信太(しだ)の浮島の浮かめ浮かめ水の花げに面白き河瀬かなげに面白き河瀬かな。
    五
ワキ   「いかに申し候。この物狂は面白う狂ふと仰せ候(そおろお)が、
      今日は何 とて狂ひ候はぬぞ。
里人   「さん候(ぞおろお)狂はするやうが候、桜川に花の散ると申し候へば狂ひ 候ほどに、
      狂はせて御目(おんめ)にかけう(かきよお)ずるにて候。
ワキ   「急いで御狂(おんくる)はせ候へ。
里人   「心得申し候。あら笑止や。俄かに山嵐(やまおろし)のして桜川に花の散り候よ。
シテ   「よしなき事を夕山風の、奥なる花を誘ふ(さそお)ごさめれ。流れぬ先に花すくはん。
ワキ   「げにげに見れば山嵐(やまおろし)の、木々の梢に吹き落ちて、
シテ   「花の水嵩(みかさ)は白妙の、
ワキ   「波かと見れば上(うえ)より散る。
シテ   「桜か、
ワキ   「雪か、
シテ   「波か、
ワキ   「花かと、
シテ   「浮き立つ雲の、
ワキ   「川風に、
地 (次第)「散ればぞ波も桜川、散ればぞ波も桜川、流るる花をすくはん。
シテ   「花の下(もと)に、帰らん事を忘れ水の、地雪を受けたる、花の袖。
           シテのイロエ。
    六
シテ(クリ)「それ水流(すいりう)花落ちて春、とこしなへにあり。
地    「すさましく風高(たこ)うして鶴帰らず。
シテ(サシ)「岸花(がんくわ)紅(くれない)に水を照らし、洞樹(とおじゆ)緑に風を含む。
地    「山花(さんくわ)開けて錦に似たり、澗水(かんすい)たたへて藍(あい)の如し。
シテ   「面白や思はずここに浮かれ来て、
地    「名もなつかしみ桜川の、一樹(いちじゆ)の蔭(かげ)一河(いちが)の流れ、
      汲みて知る名も所からあひにあひなば、桜子の、
      これまた他生(たしよお)の縁なるべし。
  (クセ)「げにや年を経て、花の鏡となる水は、散りかかるをや、
      曇るといふらん。まこと散りぬれば、後(のち)は芥(あくた)になる花と、
      思ひ知る身もさていかに。われも夢なるを花のみと見るぞはかなき。
      されば梢より、あだに散りぬる花なれば、
      落ちても水のあはれとはいさ白波の花にのみ、
      馴れしも今はさきだたぬ悔(くい)の八千度(やちたび)百千鳥(ももちどり)、
      花に馴れ行(ゆ)くあだし身は、はかなき程に羨まれて、
      霞をあはれみ露をかなしめる心なり。
シテ   「さるにても、名にのみ聞きて遙々と、
地    「思ひわたりし桜川の、波かけて常陸帯(ひたちおび)の、かごとばかりに散る花を、
      あだになさじと水をせき雪をたたへて浮波の、花の柵(しがらみ)かけまくも、
      かたじけなしやこれとても、木華開耶姫の御神木の花なれば、
      風もよぎて吹き水も影を濁すなと、袂をひたし裳裾(もすそ)をしをらかして、
      花によるべの、水せきとめて桜川になさうよ。
    七
シテ   「あたら桜の、
地    「あたら桜の、とがは散るぞ恨みなる。花も憂(う)し風もつらし、散ればぞ誘ふ(さそお)、
シテ   「誘へばぞ散る花かづら。
地    「けてのみ詠(なが)めしは、
シテ   「なほ青柳(あをやぎ)の糸桜。
地    「霞の間(ま)には、
シテ   「樺桜(かばざくら)。
地    「雲と見しは、
シテ   「三吉野の、
地    「三吉野の、三吉野の、川淀(かわよど)瀧(たき)つ波の、花をすくはば若(も)し、
      国栖魚(くずいを)やかからまし。または桜魚(さくらいを)と、聞くもなつかしや。
      いづれも白妙の、花も桜も、雪も波も皆がらに、すくひ集め持ちたれども、
      これは木々の花まことは、わが尋ぬる、桜子(さくらご)ぞ恋しきわが桜子ぞ恋しき。
    八
地 ロンギ「いかにやいかに狂人(きよおじん)の、言(こと)の葉(は)聞けば不思議やな。
      もしも筑紫の人やらん。
シテ   「今までは、誰(たれ)ともいさや不知火(しらぬい)の、
      筑紫人(つくしびと)かとのたまふは何(なに)のお為に問ひ給ふ。
地    「何をか今は包むべき。親子の契り朽ちもせぬ、花桜子ぞ御覧ぜよ。
シテ   「桜子と、桜子と、聞けば夢かと見も分かずいづれわが子なるらん。
地    「三年(みとせ)の日数(ひかず)程古(ふ)りて、別れも遠き親と子の、
シテ   「もとの姿は変れども、
地    「さすが見馴れし面(おも)だてを、
シテ   「よくよく見れば、
地    「桜子の、花の顔(かお)ばせの、こは子なりけり鶯の、
      あふ(おお)時も鳴く音(ね)こそ嬉しき涙なりけれ。かくて伴ひ立ち帰り、
      かくて伴ひ立ち帰り、母(はわ)をも助け様(さま)変へて、
      仏果(ぶつくわ)の縁となりにけり。二世(にせ)安楽の縁深き、
      親子の道ぞありがたき親子の道ぞありがたき。             (留拍子)


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