宝生流謡曲 八 島

●あらすじ
 旅の僧が屋島の浦に赴くと、老人と若者の2人の漁夫がやってくるのに出会い、彼らの塩屋に泊めてもらう。老人は僧に求められて、源平の屋島の合戦の話をする。それはひときわ目立った源義経の勇姿、悪七兵衛景清と美保谷の四郎の錣引きの力比べ、主人をかばって敵の矢を受けて死んだ佐藤継信と菊王のふるまいなどの話であった。語り終わった老人は、自分が義経であるかのようにほのめかして、消えうせます。<中入>
 僧は塩屋の本当の主人から、老人は実は義経の幽霊だろうといわれる。夜半過ぎに義経の霊が昔の姿で現れ、屋島の戦のさまを物語る。義経は戦いのさなかに弓を海中に取り落としたが、弱い弓であることを敵に知られないために危険を冒して取り返したという。そのうちに修羅道の戦いの時になり、義経は能登守教経を相手に激戦のていを見せるが、気付けば全ては僧の夢であった。

●宝生流謡本   内十一巻の二   二番目物(太鼓なし)
季節=春   場所=讃岐国八島  稽古順=入門  素謡時間約=五十五分
素謡座席順   ツレ=男           
          シテ=前・老翁 後・源義経
          ワキ=旅僧         
●観能記
能「八島」について
 さる五月五日、小松市公会堂で能「八島」を鑑賞しました。前シテ(老漁夫)佐野由於氏、後シテ(源義経の霊)薮俊彦氏ほかの皆さんの出演でした。
 【 都の僧が、西国行脚の途中、讃岐の国(香川県)屋島の浦へやって来ます。老漁夫と若い漁夫が釣りから帰って来たのを見かけ、僧が宿を求めると、老漁夫は、一度は「粗末なので」と断りますが、僧が都の人と聞いて懐かしがり、中へ招じ入れます。そして漁夫たちは、僧の求めに応じて、屋島での源平合戦の模様を物語ります。その内容があまりに詳しいので、僧が不審に思い名を尋ねると、老漁夫は、掛詞(「よし常の」と「義経の」の掛詞)で自分が源義経の霊であることをほのめかして消え失せます(ここまでが前半)。
 その夜、僧の夢の中に、甲冑姿も凛々しい義経の霊が現れ、自分は生前戦に執着した心の迷いゆえに成仏できず、まだこの地に妄執が残って闘争の場を演じては自らを苦しめるのだ、と訴えます。そして、屋島の合戦で、波に流された弓を敵に取られまいと一命を賭して弓を拾い上げた「弓流し」の有り様を語り、さらに絶え間ない戦いぶりを見せようとする、その瞬間に夜は明け、義経の姿も消え果てていました。
 この能「八島」(正確には「屋島」なのでしょうが、なぜか能のタイトルでは「八島」になっています)の文学としての充実ぶりは圧倒的です。縁語や掛詞が駆使された名調子は完成度が高く、その言葉の力によって、私たちは屋島の源平合戦の場にぐいぐい引き込まれます。シテは前半も後半も床几に腰掛けて物語り、合戦物ではありますが意外に舞や所作は少ないのです。むしろ、じっくりと語りを聞かせ味わわせることがこの曲の眼目だったのでしょう。 世阿弥の台本は、平家物語を下敷きにしつつも、平家物語のたたみかけるようなリアリズムを後方に遠ざけて、見事に幻想劇に改変しています。
 また、この曲は、妄執の浄化劇ないしカウンセリング劇でもある、と、小生は感じました。妄執が屋島に残って成仏できない義経の霊は、そのことを僧に訴え、僧の夢の中で妄執のすべてをさらけ出すことで、癒され浄化されて、ようやく夜明けとともに去って行くのです。(以下省略)
                  
平成一五(二〇〇三)年五月一一日

●参考  
八島/屋島(やしま)   壷齋閑話
NHK恒例の元旦の能番組が、今年は観世流の「八島」を放送した。シテは梅若玄祥が演じていた。テクストについては別稿で紹介したのでここでは詳しく触れないが、正月を飾るに相応しい、なかなか見ごたえのある舞台だった。とくに最後に近いところでのカケリがよかった。八島は田村、箙とともに三大勝修羅といわれ、能の中でもめでたい部類のものに入る。普通修羅物というのは、その名から推し量られるとおり、修羅道に落ちた武将の煩悩を描くものだが、勝修羅というのは、武将生前の勇ましい戦いぶりを回想するという趣のものだ。 世阿弥は、平家物語を題材にとって、修羅物を多く書いた。祝言の能を脇へ置けば、鬘物と並んで、彼が最も勢力を割いたジャンルだ。清経や敦盛をはじめ大体は死んだものの煩悩を描いているが、この八島は義経生前の勇姿を描き、煩悩とはほどとおい世界を展開させている。
 徳川時代になると、能は武士の式楽となったため、大いに栄えた。なかでも武将の姿を描いた修羅物が最も人気のある番組になった。その修羅物のなかでも勝修羅は、勇壮な戦いをテーマにしていることから、とりわけ武士たちに好まれた。八島はその代表と言うべき曲なのである。 最近は、能といえば四番目、五番目がもてはやされ、修羅物を含めた二番目物は上演される機会が減ってきているようだ。だが清経が世阿弥の最高傑作といって差し支えないように、修羅物には見るべきものが多い。上演の機会が増えることを期待したい。   現行上演流派=観世、宝生、金春、金剛、喜多の5流共扱うが(観世では屋島)


           
源 義経関係の謡曲(11曲)  
                                      
小原隆夫調べ
コード    曲 目     概         要          場所  季節  謡時間
内12巻2 鞍馬天狗 1169牛若丸天狗から兵法伝授11歳   京都   春    35分
外15巻4 烏帽子折 1174牛若赤坂ノ宿ニテ熊坂長範ヲ打16歳 滋賀   秋    45分
外2巻2  熊  坂 1174烏帽子折ノ後日物語16歳       岐阜   秋    38分
外7巻2  橋 弁 慶 1174京五條橋ノ上牛若丸ト弁慶戦16歳 京都   夏    20分
内11巻2 八  島 1184源平合戦ノ義経弓流し26歳      香川   春    55分
外15巻2 正  尊 1185源 義経土佐坊正尊ヲ捕る27歳    京都   秋    36分
内2巻5  船 弁 慶 1185静と義経別知盛幽霊と弁慶27歳  大阪   秋    44分
外2巻3  吉 野 静 1185吉野山ノ衆徒ヲ静ト忠信防グ27歳  奈良   春    22分
外8巻2  忠  信 1185源義経ヲ佐藤忠信ニテ防戦ス27歳  奈良   冬    15分
内18巻2 安  宅 1187安宅ノ関ノ勧進帳義経29歳     石川    春    66分
外10巻3 摂  待 1187奥州下リ継信母孫ニ接待サレル29歳 福島   春    82分
   

(あさかのユーユークラブ 謡曲研究会 平成23年2月5日(土) 


◎この謡曲は、素謡が55分かかる曲です。「田村」「箙」と共に勝戦の修羅ものと言われています。頼朝の旗揚げに、追従した義経に仕えた佐藤継信・忠信兄弟は、奥州佐藤の庄出身です。寿永3年(1185)2月19日八島の合戦の折りに、兄の佐藤継信は、義経の楯となり平教経の矢をうけて戦死、享年28歳。(福島県飯坂町に居城大鳥跡と墓所は医王寺に現存) 西国行脚の僧に弔いを受けて継信の幽霊が現われ出て、戦いの有様が謡われています。弟の佐藤忠信は、文治2年(1186)9月21日義経の吉野山脱走を助けて京都で戦死、享年26歳。謡曲では「忠信」「吉野静」があります。
 佐藤継信・忠信兄弟の嫁女が、遺品の鎧を着て老母を慰めたという木造が、宮城県白石市越河の田村神社甲冑堂にまつらてある。白石市越河あたりも当時は佐藤の庄に含まれていたと言う。

      八 島          二番目(太鼓なし)  

        ツレ 男
        シテ 前・老翁 後・源義経             季 春
        ワキ 旅僧                        所 讃岐国八島

ワキ   「月も南の海原や 月も南の海原や 八島の浦を尋ねん
ワキ   「これは都方より出でたる 僧にて候。我未だ四国を 見ず候程に。
       この度思い立ち西国行脚と 志し候」
       春霞浮き立つ波のおきつ船。浮き立つ波のおきつ船。
       入り日の雲も影添いてそなたの空と行くほどに。はるばるなりし船路へて。
       八島の浦に着きにけり八島の浦に着きにけり
シテ   「面白や月海上に浮かんでは波涛夜火に似たり
ツレ   「漁翁夜西岸にそうて宿す
シテツレ 「暁湘水を汲んで楚竹を焼くも 今に知られて芦火の影 ほの見えそむる 物凄さよ
シテ    「月の出汐の沖つなみ
ツレ   「霞の小舟 こがれ来て
シテ   「あまの呼び声
シテツレ 「一葉万里の舟の道 唯一帆の風にまかす
ツレ   「夕べに空の雲の波
シテツレ 「月の行方に立ち消えて かすみに浮かむ松原の 陰は緑にうつろいて 
      海岸そこともしらぬいの 筑紫の海や つづくらん
      ここは八島の浦伝いあまの家いも数々に
      釣のいとまも波の上
ツレ   「釣のいとまも波の上
シテツレ 「あまの小舟のほのぼのと見えて残る夕暮れ 浦風までも長閑なる 
      春や心を誘うらん春や心を誘うらん
ワキ   「塩屋の主の 帰りて候。立ち越え宿を借らばやと 思い候。
      いかにこれなる塩屋のうちえ 案内申し候。」
ツレ   「誰にて 渡り候ぞ」
ワキ   「諸国一見の 僧にて候。一夜の宿を 御貸し候え。」
ツレ   「暫く 御待ち候え。主に其の由 申し候べし。いかに申し候 諸国一見の 御僧の。
      一夜のお宿と 仰せ候。」
シテ  「あまりに 見苦しく候ほどに お宿はかのうまじき由 申し候え」 
ツレ  「畏まって候。お宿の事を 申して候えば。あまりに 見苦しく候程に。かのうまじき由 仰せ候」
ワキ  「いやいや見苦しきは 苦しからず候。殊にこれは 都方の者にて。
      この浦始めて一見の 事にて候が。日の暮れて候えば。平に一夜と重ねて 御申し候え」
ツレ  「心得申し候。唯今の由 申して候えば。旅人は都の人にて 御入り候が。
      日の暮れて候えば。平に一夜と重ねて 仰せ候」
シテ  「何旅人は都の人と 仰せ候か」
ツレ  「さん候」
シテ  「げに痛はしき御事かな。さらばお宿を貸し申さん。
ツレ  「しかも今宵は照りもせず
シテ  「曇りもやらぬ春の夜の
シテツレ 「朧月夜にしく物もなき海人のとま
地   「八島に立てる高松の苔のむしろは痛はしや
地   「さて慰みは浦の名の さて慰みは浦の名の。
     群れいる田鶴を御覧ぜよなどか雲居に帰らざらん。旅人の古郷も。都と聞けばなつかしや。
     我等ももとはとてやがて涙に咽びけりやがて涙に咽びけり
ワキ  「いかに申し候。何とやらん似合はぬ 所望にて候へども。
     古へこの所は源平両家の合戦の巷と 承って候。夜もすがら語って 御聞かせ候へ」
シテ  「易き間の事語って 聞かせ申し候べし。 いで其頃は元暦元年三月十八日の 事なりしに。
     平家は海の面一町ばかりに 船を浮かめ。源氏はこの汀に 打ちいで給ふ。
     大将軍の 御出で立ちには。赤地の錦の 直垂に。紫裾濃の 御着背長。
     鐙ふんばり鞍笠に つっ立ちあがり。一院の 御使い。源氏の大将検非違使五位の尉。義経と」
     名のり給いし御こつがら。あっぱれ大将やと見えし。今の様に。思い出でられて候
ツレ  「其のとき平家の方よりも。言葉戦い事終り。兵船一艚漕ぎ寄せて。波打ち際に下り立って。
     「陸の敵を 待ちかけしに」
シテ  「源氏の方にも続く兵 五十騎ばかり。中にも三保乃谷の 四郎と名のって。
     真っ先駆けて 見えし所に」
ツレ  「平家の方にも悪七兵衛景清となのり。三保の谷うぃめがけ戦いしに」
シテ  「彼の三保の谷は 其のときに。太刀打ち折って 力なく。少し汀に 引き退きしに」
ツレ  「景清追っかけ三保の谷が」
シテ  「着たる兜の 錏をつかんで」
ツレ  「後へ引けば三保の谷も
シテ  「身を遁れんと前へ引く
ツレ  「互いにえいやと
シテ  「引く力に
地   「鉢附けの板より引きちぎって。左右へくぁっとぞのきにけるこれを御覧じて判官。
     お馬を汀に打ち寄せ給えば。佐藤継信能登殿の矢先にかかって馬より下に。
     どうど落つれば。舟には菊王も討たれければ。共に哀れとおぼしけるか舟は沖へ陸は陣に。
     あい引きに引く汐のあとはときの声絶えて。磯の波松風ばかりの音さびしくぞなりにける
地   「ふしぎなりとよ海人びとの。余り詳しき物語其の名を名乗りたまえや
シテツレ 「我が名を何と夕波の。引くや夜汐も朝倉や。木の丸殿にあらばこそなのりをしても行かまし
地   「げにや言葉を聞くからに。其の名ゆかしき老人の
シテツレ 「昔を語る小み衣
地   「頃しも今は
シテツレ 「春の夜乃
地   「潮の落つる暁ならば修羅の時なるべし其の時は。
     我が名やなのらんたとひ名のらずとも名のるとも義経の浮世の夢ばし覚まし給うなよ 
     夢ばし覚まし給うなよ
ワキ  「不思議や今の 老人の。其の名を尋ねし 答えにも儀経の世乃 夢心。
     さまさでまたと 聞こえつる。」
     声も更け行く浦風の。声も更け行く浦風の。松が根枕そばだてて。
     思いをのぶる苔むしろ。重ねて夢を待ち居たり 重ねて夢を待ち居たり
シテ  「落花枝に帰らず。破鏡再び照らさず。然れども猶妄執の瞋恚とて。
     鬼神魂魄の境界にかえり。我と此身を苦しめて。修羅の巷に寄り来る波の。
     浅からざりし。業因かな
ワキ  「ふしぎやな早暁にもなるやらんと。思う寝覚の枕より。甲冑を戴し見え給ふは。
     もし判官にてましますか
シテ  「我義経が 幽霊なるが。瞋恚にひかれるる 妄執にて。猶西海の 波に漂い。
     生死の海に沈論せり
ワキ  「愚かやな心からこそ生死の。海とも身ゆれ真如の月の
シテ  「春の夜なれど曇りなき心も澄める今宵の空
ワキ  「昔を今に思い出づる
シテ  「舟と陸との合戦の道
ワキ  「所からとて
シテ  「忘れえぬ
地   「武士の八島にいるや。槻弓の。武士の八島にいるや槻弓の。
     本の身ながら又ここに。弓箭の道は迷わぬに。迷いけるぞや生死の。
     海山を離れやらで。帰る八島のうらめしや。とにかくに執心の。
     残りの海の深き世に。夢物語申すなり夢物語申すなり
     忘れぬ物を閻浮の故郷に。去って久しき年なみの。夜の夢路に通い来て。
     修羅道の有様あらわすなり
シテ  「思いぞ出づる昔の春。月も今宵に冴えかえり
地   「本の渚はここなれや。源平互いに矢先を揃え。舟を組み駒を並べて。
     討ち入れ討ち入れ足なみにくっばみをひたして攻め戦う
シテ  「其の時何とか したりけん。 義経弓を 取り落とし。波にゆられて 流れしに」
地   「素の折しもは引く汐にて。遥かに遠く流れ行くを
シテ  「敵に弓を 取らせじと。駒を波間に 泳がせて。敵船近く なりし程に」
地   「敵はこれを見しよりも。船を寄せ熊手にかけて。既に危く見え給いしに
シテ  「されども熊手を 切り払い。終に弓を 取り返し」本の渚に打ち上れば。
地   「其の時兼房喪申すよう。口惜しの御ふるまいやな。渡邉にて景時が申ししも。
     これにてこそ候へ。たとひ千金ののべたる御弓なりとも。御命にはかへ給うべきかと。
     涙を流し申しければ。判官これを聞し召し。いやとよ弓を惜しむにあれず。
     義経源平に。弓箭を取って私なし。然れども佳名はいまだ半ばならず。
     さればこの弓を。 敵に取られ義経は。小兵なりと言われんは無念の次第なるべし。
     よしそれ故に討たれんは。力なし義経が運の極めと思うべし。
     さらずは敵に渡さじとて波に引かるる弓取りの。名は末代にあらずやと。
     語り給えば兼房。さて其の外の。人までも皆感涙を流しけり。
シテ  「智者は惑わず
地   「勇者は恐れずの。やたけ心の梓弓敵には取り伝へじと。
     惜しむは名のためをしまぬは。一命なれば。身を捨ててこそ後記にも。
     佳名を留むべき弓筆の跡なるべけれ。
シテ  「また修羅道のときの声
地   「矢叫びの音。震動せり
シテ  「今日の修羅の 敵は誰そ。何能登の守 教経とや。あら物々しや 手並みは知りぬ。」
      いぞ出どる壇の浦の
地   「其の船戦今ははや。閻浮に帰る生死の海山一同に震動して。船よりはときの声
シテ  「陸には。波の楯
地   「月にしらむは
シテ  「剣の光
地   「湖にうつるは
シテ  「兜の。星の数
地   「水やそらそら行くもまた雲の波の。打ち合い刺し違ごうる。船いくさのかけひき。
     浮き沈むとせし程に。春の夜の波より明けて。敵とみえしは群れいる鴎。
     ときの声と聞こえしは。浦風なりけり高松の。
     浦風なりけり高松の朝嵐とぞなりにける


 

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