呉
服 (くれは)
●あらすじ
時の帝に仕える臣下が、摂津の国住吉に参詣し、更に浦伝いに西宮に向かおうとして呉服の里を通りかかったところ、一人は機を織り、一人は糸を引いている二人の女があります。その様は常に里人とも見えないので不審に思って尋ねると、応神天皇の御代に、立派な御衣を織りそめた呉服織、あやはどりという二人の女で、今まためでたき御代を迎えて、再びここに現れ来たのだと答えます。そしてここを呉服の里と呼ぶのも、我等がこの所に住んでいた故であるといい、更に綾織の由来を説き、応神天皇の御代に、呉国の勅使が、綾女糸女の二人を伴れて日本に渡り哀龍の御衣を織って帝に奉った事などを語り、夜明けを待つようにといって姿を消します。やがて臣下が松陰に旅寝して奇特を待っているところに呉服の霊が現れ出で、めでたき君の御代を寿ぎ、綾を織り、舞を舞って帝に捧げ、喜びをなして終わります。 (「宝生の能」平成12年11月号より)
●宝生流謡本(参考)
内十一巻の一 脇能
素謡 : 季節=秋 場所=摂津国呉服の里 稽古順=入門 素謡時間37分
素謡座席順 ツレ=里女
シテ=前:里女 後:呉服
ワキ=臣下 ワキヅレ=従者二人
●演能記
呉 服 宝生流能楽師 小倉健太郎(五雲会) 宝生流 宝生能楽堂 2008.10.18
シテ 小倉健太郎、ツレ 高橋憲正
ワキ 大日向寛、 アイ 石田幸雄
大鼓 原岡一之、小鼓 古賀裕己 太鼓 小寺真佐人、笛 小野寺竜一
クレハと読みます。「ゴフク」ではないだろうなとは思っても、それなら「クレハトリ」の方がありそうに思えます。クレハだったら呉羽の方が思い浮かびますが、この読みは謡の中にあるとおり「呉服の里(クレハのさと)」の地名に基づくようです。呉服の里は現在の大阪府池田市にあり、呉服神社(クレハジンジャ)が鎮座しています。 日本書紀の応神天皇三十七年の記事に、機織りなどの技術者を求めて呉の国に使いを出し「呉王於是与工女兄媛、弟媛、呉織、穴織、四婦女」と四人の女性が使わされたとあります。このうちの呉織、穴織の二人が住んだ地が呉服の里で、呉服神社は応神天皇と呉織媛を祭神としているそうです。さてこの能ですが、脇能として作られています。後場で神が来臨し国土を祝福したり、寺社の縁起を物語るという脇能の形に添って作られているのですが、そうは言っても、前場でシテツレが若い女性二人として登場し、後場のシテが中ノ舞を舞うというのは、脇能としては珍しい部類でしょうね。舞台はまず脇能らしく、真ノ次第でワキ、ワキツレが登場してきます。いわゆる大臣ワキですので、紺系の狩衣を着けたワキ大日向さんに、赤系の狩衣のワキツレ、梅村さんと高井さんが登場してきます。脇能前場のワキの出って、なんだかすっきりした感じがして私は好きですが、大日向さんの雰囲気はこうした曲に合っているように思っています。ワキの一行は住吉明神に参詣し、これから浦伝いに西宮に参ると言い、道行きを謡って呉服の里へとやってきます。(以下省略)
●遺 蹟
呉服神社 大阪府池田市 (平14・4高橋春雄記)
本曲の舞台呉服の里とは現在の大阪府池田市である。日本書紀には応神天皇のころ、呉の国から織物の技術を伝えるため呉織(くれはとり)、穴織(あやはとり)らの縫工姫(きぬぬひめ)が摂津の国、武庫の津に着いたという記述がある。池田市に伝わる織姫伝説では、この後二人が猪名川を上がって猪名の港(唐船が渕)に着き、同地に織物の技術を伝えたとされている。呉織は139歳まで生き、その遺体を納めたとされる姫宮の跡が現在の呉服神社であるという。
伊居田神社 大阪府池田市 (平14・4記)
伊居田神社は正式の名を穴織宮(あやはみや)伊居田(いけだ)神社といい、呉服神社の妹宮で、応神・仁徳二帝と穴織を祀る。境内には穴織の墓の姫宮(梅宮ともいう)がある由であるが、残念ながら見付からなかった。同じ池田市の建石町にある星の宮は穴織が暗夜に機を織った時、星が降りて白昼のように照らした星の御門の跡という。また池田市西本町にある寿命寺は、呉織、穴織とともに渡来して唐船が渕に沈んでいた薬師如来を、行基が引き揚げ安置した寺という。
星の宮 池田市 (平12.8) 穴織が暗夜に機を織った時星が降り照らした
寿命寺 池田市 (平12.8) 渡来時に沈んだ薬師如来を引き揚げ安置
●参 考
わが町『呉服〔くれは〕の里』 謡曲『呉服』より
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作成日時 : 2009/09/15 14:11 >>
わたしの住んでいる町は、北摂池田郷、大阪の北にある池田市です。大阪空港の北側にあり、市の西側を流れる猪名川で兵庫県に接しています。その猪名川には、『唐船が淵』という旧跡があります。むかし、『アヤハトリ』〔綾羽織〕と『クレハトリ』〔呉羽織〕という二人の姉妹の織姫が、呉の国から 初めて池田の町に着いたところだそうです。池田の産土神〔うぶすなのかみ〕様をまつる神社は、伊居太〔いけだ〕神社といい、北摂山系が猪名川で切断される五月山の麓にあります。その伊居太神社には、穴織〔あやおり〕姫がまつられています。また、少し南に下がったところに呉羽織姫をまつった呉服〔くれは〕神社があります。
◇呉織〔くれはとり〕穴織〔あやはとり〕については、
「日本書紀」の應神天皇の条で次のように書いてあります。三十七年の春二月〔きさらぎ〕の戊午の朔〔ついたち〕に、阿知使主〔あちのおみ〕、都加使主〔つかのおみ〕を呉に遣わして、縫工女〔きぬぬひめ〕を求めしぬ。 爰〔ここ〕に亜阿知使主等、高麗國に渡りて、呉に達〔いた〕らむと欲〔おも〕ふ。則ち高麗に至れども、更に道路を知らず。道を知る者を高麗に乞〔こ〕ふ。高麗の王、乃ち久禮波〔くれは〕、久禮志〔くれし〕、二人を副〔そ〕へて、導者〔しるべ〕とす。是れに由りて、呉に通〔いた〕ることを得たり。呉の王、是〔ここ〕に、工女〔ぬひめ〕兄媛〔えふめ〕、弟媛〔おとひめ〕、呉織〔くれはとり〕、穴織〔あなはとり〕、四〔よたり〕の婦女を與〔あた〕ふ。四十一年の春二月の甲午の朔〔ついたち〕戊申〔つちのえさる〕に、天皇〔すめらみこと〕、明宮〔あきらのみや〕に崩〔かむあが〕りましぬ。時に年〔みとし〕一百一十歳。是の月に、阿知使主〔あちのおみ〕等、呉より筑紫に至る。時に胸形大神〔むなかたのおおかみ〕、工女〔ぬひめ〕等を乞〔こ〕はすこと有り。故〔かれ〕、兄媛を以て、胸形大神に奉〔たてまつ〕る。是〔これ〕則ち、今 筑紫の國に在〔はべ〕る、御使君〔みつかいのきみ〕の祖〔おや〕なり。既にして其の三〔みたり〕の婦女〔をみな〕を率〔ゐ〕て、津の國に至り、武庫に及〔いた〕りて、天皇崩〔かむあが〕りましぬ。及〔えまゐあ〕はず。即ち大鷦鷯〔おほさぎき〕尊に献〔たてまつ〕る。是の女人等の後は、今の呉衣縫〔くれきぬぬひ、蚊屋衣縫〔かやのきぬぬひ〕、是なり。
◇『日本書紀』を読んでも、
呉織〔くれはとり〕、穴織〔あなはとり〕が北摂の呉服〔くれは〕の里に到着したという記述はありません。でも、呉の國から、筑紫の國に着き、兄媛を宗像大神に奉り、残りの三人が、津の国の武庫の水門〔みなと〕に到着。應神天皇が崩御されたので、沿岸沿〔ぞ〕いに進み、猪名川の河口を遡って、呉服〔くれは〕の里の「唐人ヶ淵」に到着して、そこに住み着いた、という風に池田市民の小生としては考えたいですね
あさかのユーユークラブ 謡曲研究会 平成23年2月18日(金)
呉 服
(くれは)
内11巻の1 (太鼓あり)
季 秋 所 摂津国呉服の里 素謡時間 32分
【分類】脇 能
【作者】 典拠:
【登場人物】前シテ:里の女、後シテ:呉織の霊
前ツレ:里の女 後ツレ:漢織の霊 ワキ:臣下
詞 章 (胡山文庫)
ワキ 次第上 道の道たる時とてや。/\。国国豊なるらん。
ワキ 詞
「そも/\これは当今に仕へ奉る臣下なり。我此間は摂州住吉に参詣申して候。
又これより浦づたひし。西の宮にまゐらばやと存じ候。
道行上 住の江や。のどけき浪の浅香潟。/\。
玉藻刈るなる海士人の道もすぐなる難波がた。ゆくへの浦も名を得たる。
呉服の里に着きにけり/\。
シテツレ一声上 くれはとり。綾の衣の浦里に。年経て住むや。あま乙女。
ツレ 上 立ちよる浪もしら糸の。
二人上 機織り添ふる。音しげし。
シテ サシ上 これは津の国呉服の里に。住みて久しき二人の者。
二人上 我この国にありながら。身は唐土の名にしおふ。女工の昔を思ひ出づる。
月の入るさや西の海。波路はるかに来し方の身は唐人の年を経て。
こゝに呉服の里までも。身に知られたる。名所かな。
下歌 これもかしこき御代のため送り迎へし機物の。
上歌 大和にも。織る唐衣のいとなみを。
ツレ 上 織る唐衣のいとなみを。
二人上 今しきしまの道かけて。言の葉草の花までもあらはしぎぬの色そへて。
心をくだく紫の。袖も妙なるかざしかな袖も妙なるかざしかな。
ワキ 詞
「さても我此松原に来て見れば。やごとなき女性二人あり。一人は機を織り。
今一人は糸を取り引き。互に常の里人とは見え給はず。そも方々はいかなる人ぞ。
カカル二人上 はづかしや里ばなれなる松蔭の。うしほも曇る夕月の。
影にまぎれて浦波の。声にたぐへて機物の。音きこえじと思ひしに。
知られけるかや恥かしや。
ワキ カカル上 何をか包み給ふらん。其身は常の里人ならで。
詞「此松蔭に隠れ居て。機織り給ふは不審なり。
カカル上 いかさま名のり給ふべし。
シテ 詞
「これは応神天皇の御宇に。めでたき御衣を織りそめし。
呉織漢織と申しゝ二人の者。今又めでたき御代なれば。現に現れ来りたり。
ワキ カカル上 不思議の事を聞くものかな。それは昔の君が代に。唐国よりも渡されし。
詞
「綾織二人の人なるが。今現在に現れ給ふは。何といひたる事やらん。
シテ 詞
「はやくも心得給ふものかな。まづ此里を呉服の里と。
名づけそめしも何故ぞ。我此処にありし故なり。
ツレ カカル上 又あやはとりとは機物の。糸を取り引く工ゆゑ。綾の紋をなす故に。
あやはとりとは申すなり。
シテ 詞「くれはとりとは機物の。糸引く木をばくれはと云へば。
呉服取る手によそへつゝ。くれはとりとは申すなり。
ツレ 上 されば二人の名によせて。
シテ 上 くれはとり。
ツレ 上 あやとは申し伝へたり。
二人上 然ればわれらは唐人なれば。やまと詞は知らねども。
シテ 下 くれはとりあやに恋しくありしかば。二村山とよみし歌も。二人を思ふ心なり。
地 上 くれはとり。怪しめ給ふ旅人の。/\。御目の程はさすがげに。
名にしおふ都人の。所から唐人とわれらを御覧ぜらるゝは。
げにかしこしや善き君に。仕ふる人かありがたや仕ふる人かありがたや。
地 クリ上 それ綾と云つぱ。もろこし呉郡の地より織りそめて。女工の長き営なり。
シテ サシ上 然るに神功皇后の三韓を従へ給ひしより。
地 上 和国異朝の道広く。人の国まで靡く世の。我が日の本はのどかなる。
御代の光はあまねくて国富み民ゆたかなり。
シテ 下 東南雲。収まりて。
地 下 西北に風静かなり。
クセ下 応神天皇の御宇かとよ。呉国の勅使此国に。始めて来り給ひしに。
綾女糸女の女婦を添へ。万里の。滄波を凌ぎ来て西日影のこりなく。、
呉服の里に休らひ連日に立つる機物の。錦を折々の綾の御衣を奉る。
勅使奏覧ありしかば。叡感殊に甚だし。それより名づけつゝ。
袞龍の御衣の紋。いとなみも名たかき山鳩色を移しつゝ。
気色だつなり雲鳥の。羽ぶさをたゝむ綾となすいともかしこかりけり。
シテ 上 然れば万代に
地 上 絶えせぬ御調なるべしと。御定ありしより呉服の文字をやはらげて。
呉服織あやはどりと名づけさせ給へば年を迎へて色をなす。
綾の錦の唐衣。かへす%\も君が袖。古きためしを引く糸のかゝる御代ぞめでたき。
ロンギ上 これにつけても此君の。/\。めでたきためし有明の。夜すがら機を織り給へ。
シテツレ二人上 いざ/\さらば機物の。錦を織りて我が君の。御調に備へ申さん。
地 上 げにや御調の数々に。錦の色は。
シテツレ二人上 小車の。
地 下 丑三つの時過ぎ暁の空を待ち給へ。姿をかへて来らん。さらばといひて呉服どり。
あやはどりは帰れども。鶏はまた鳴かずや夜長なりと待ち給へ
夜ながくとても待ち給へ。
中入り
ワキ 待謡上 うれしきかなやいささらば。/\。此松蔭に旅居して。風も嘯く寅の時。
神の告をも待ちて見ん/\。
出端
後シテ 上 君が代は天の羽衣まれにきて。撫づとも盡きぬ巌ならなん。
千代に八千代を松の葉の。散り失せずして色はなほ。
正木のかづら長き代の。ためしに引くや綾の紋雲らざりける。時とかや。
地 上 此君の。かしこき世ぞと夕浪に。声立て添ふる。機の音。
シテ 下 錦を織る機物の内に。相思の字をあらはし。衣うつ砧の上に。
怨別の声。松の風。又は磯うつ浪の音。
地 上 しきりにひまなき機物の。
シテ ノル上 取るや呉服の手繰の糸。
地 上 我が取るはあやは。
シテ 下 踏木の足音。
地 上 きりはたりちやう。
シテ 上 きりはたり。ちやう/\と。
地 上 悪魔も恐るる。声なれや。げに織姫の。かざしの袖。
中ノ舞
地 上 思ひ出でたり七夕の。/\。たま/\逢へる旅人の。
夢の精霊妙幢菩薩も。影向なりたる夜もすがら夜もすがら。
宝の綾を織り立て織り立て。我が君に捧物。御代のためしの二人の織姫。
呉服あやはのとり%\に。くれはあやはのとり%\の御調物そなふる御代こそ。
めでたけれ。