願 寺 (せいがんじ)

●あらすじ
 紀州熊野権現に参籠し、御札を諸国にひろめよとの霊夢を受けた一遍上人は、まず都に上り誓願寺に到りました。貴賎群衆の人々に混じって、信心深げな一人の女が現れ御札を受けた後、「六十万人の決定往生」(けつじょうおうじょう)とある文字を見て、六十万人より他は往生に漏れるのかと尋ねます。上人は「六十万人」とは感得の四句「六字名号、一遍法、十界依正一遍体、万行離念一遍證、人中上上妙好華」の略で済度の人数を限るものではないと教えます。女は歓喜して「誓願寺」と打ってある額を取りのけ、上人の手で六字の名号に書き替えて欲しいと請います。上人は御身は如何なる人かと問うと、自分はあの石塔の下に住む和泉式部であると告げ消え失せます。よって上人が額を改めていると、俄かに異香薫じ、花降り、音楽聞こえ、額の効力で歌舞の菩薩となった和泉式部が、菩薩衆とともに姿を見せ、額を礼拝し仏徳をたたえるのでした。

●宝生流謡本      内十巻の五      三番目      (太鼓あり)
    季節=春    場所=京都誓願寺   作者=世阿弥
    素謡稽古順=初伝奥之分        素謡時間=60分 
    素謡座席順   シテ=前・里女 後・和泉式部
              ワキ=一遍上人

●解 説
 誓願寺(せいがんじ)
  【分類】三番目物 (鬘物)  【作者】世阿弥
  【主人公】前シテ:里女、後シテ:和泉式部の霊
一遍上人と言えば、熊野本宮證誠殿に七日七夜参籠し、霊夢を蒙って後は、定住することなく、衆生済度の為、一生涯、諸国を廻った僧です。先日、達磨大師の一生涯を映画にしたものを見ましたが、その教えに少しの違いはあっても、生き方に通じる事がある様に思います。
 洛陽誓願寺縁起によると、建治二年に、一遍上人は、誓願寺に参籠し、六時の浄業をはげみ、一心に念仏し、諸人に名號の符を与えて念仏をすすめると、人々は日夜に群集し、念仏の符を請けたとなっています。 ある日、参詣群集の中より、優なる女人が上人に、符に「六十萬人決定往生」とあるが、六十萬人以外の衆生は往生に洩れるのかと尋ねると、上人は、彌陀の悲心は無盡であり、六十萬人には限らないと述べ、又、符の文は、神託の四句の文「六字名號一遍法、十界依正一遍體、萬行離念一遍證、人中上々妙好華」の上の字を取り證文の為に書き付けたと示したとあります。女人は歓喜の涙を流し、上人に合掌し、「誓願寺」の額と並べ、上人の御手跡で六字の名號「南無阿彌陀仏」の額にするよう求め、これも御本尊の御告と言い、又、何処に住むかとの上人の尋ねに答え、和泉式部の往生した御堂を教え、消え失せます。 
上人が、六字の名號を拝書し、堂上にのぼせ、至心に敬禮し、念仏すると、異香堂に薫じ、瑞雲たなびき、陰々たる楽音の中、奇光照し来る方を見れば、金容の彌陀、雲中に立給い、菩薩聖衆前後を囲み、和泉式部も共に相従って影現せりとあります。  
能「誓願寺」では、シテが和泉式部、ワキが一遍上人です。誓願寺の額を除け、六字の名號の額になす事と、和泉式部の往生した御堂でなく、和泉式部の御墓の石塔を教えた事が違うくらいで、殆どこの洛陽誓願寺縁起の通りになっています。 
舞台正面、客席の後方に、額がかけられ、その前で人々が一遍上人より符を受け…。施餓鬼法要の時など、寺へ参りますと、門の手前より、鐘の音、読経の声などが聞こえ、お参りを済ませた人と行き違い、私も法の庭へ入り…。現代でも、同じ様な事をさせて頂いております。 「誓願寺」一曲を通じて、おだやかな喜びに満ち、品位というものを感じます。私自身、お彼岸にこの「誓願寺」をさせて頂きます事も、嬉しいことです。

●誓願寺
この項目では、京都市中京区にある浄土宗西山深草派総本山の誓願寺について記述しています
  所在地  京都府京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453番地
  宗派  浄土宗西山深草派  寺格 総本山   本尊  阿弥陀如来
  創建年 天智天皇6年(667年)   開基  恵隠、天智天皇(勅願)
誓願寺(せいがんじ)は、京都市中京区新京極通にある寺院。浄土宗西山深草派の総本山である。
天智天皇6年(667年)、天皇の勅願により奈良に創建。平安遷都後、西山上人証空の弟子円空(1213年−1284年)が京都の深草に寺を建て布教したのが始まりである。日本各地に無住の寺を含めて400か寺余りの末寺がある。愛知県の三河地方を中心に四国や兵庫、京都に多くの末寺が存在している。歴代の管長は三河地方から多く出ている。本寺のある場所は京都の中心街である新京極にある。御所に近いことから朝廷との交流も多く見られた。能の曲目に『誓願寺』があるが、この本山のことを指している。天明、弘化、元治年間に三度大火に罹り、さらに明治維新とそれに続く廃仏毀釈で寺地を公収され境内は狭隘となったが、扇の塚のある寺として芸能関係にはよく知られた寺である。


             
和泉式部関係謡曲 02曲
                                    
小原隆夫調べ
 コード    曲 目     概         説        場 所 季節 素謡  習順
内10巻5  誓 願 寺 夜念仏で和泉式部歌舞菩薩となる 京都   春   60分  初奥
内18巻3  東  北  軒端ノ梅ト和泉式部ノ物語       京都  春   40分  平物

●和泉式部(いずみしきぶ).
 生没年不詳。平安中期の女流歌人。大江雅致(まさむね)の女(むすめ)。母は平保衡(やすひら)の女であるとも。生年は円融(えんゆう)朝(970年代)とする説が有力。「雅致女式部」(拾遺集)、「江(ごう)式部」(御堂関白記(みどうかんぱくき))という女房名があることから、娘時代すでに出仕の経験があったと想像され、出仕先は大進(だいしん)であった父の縁で、冷泉(れいぜい)皇后昌子内親王のもとであったといわれる。やがて999年(長保1)までに橘道貞(たちばなのみちさだ)と結婚、和泉守(いずみのかみ)であった夫の官名から以後は「和泉式部」と一般によばれるようになった。2人の間にはまもなく娘の小式部内侍(こしきぶのないし)が生まれたが、弾正尹(だんじょうのかみ)為尊(ためたか)親王(冷泉第3皇子)、大宰帥(だざいのそち)敦道(あつみち)親王(冷泉第4皇子)との相次ぐ恋愛事件によって夫婦の生活は破綻(はたん)し、父雅致からも勘当を受ける身の上となった。このうち帥宮(そちのみや)との恋愛の経緯は『和泉式部日記』に詳しい。その宮とも1007年(寛弘4)には死別し、悲嘆に暮れる式部の心情は、「家集」中の120余首にも上る挽歌(ばんか)群として結晶している。1009年、召されて上東門院(藤原彰子(しょうし))のもとに仕え、それが機縁となって藤原道長(みちなが)の家司、藤原保昌(やすまさ)に再嫁、夫とともに任国の丹後に下ったこともあった。1025年(万寿2)冬、娘の小式部が20歳代の若さで没し、そのおりにも子を悼む母親の痛哭の歌を残している。以後、晩年の式部の消息はさだかでないが、1027年9月、皇大后藤原妍子(けんし)の七七日の法事に、保昌にかわって玉の飾りを献上し、詠歌を添えたという記事が生存を伝える最後の記録となっている(『栄花(えいが)物語』玉の飾り)。即興即詠の日常詠はもとより、定数歌や連作、題詠など制約のある詠作のなかにも、式部の鋭敏な感性と揺らめく情念はみごとに形象化されており、新鮮で自由な用語を駆使したその叙情歌の数々は、平安中期最高の歌人の名にふさわしい作品群として輝いている。
               
 [ 日本大百科全書(小学館) ] [ 執筆者:平田喜信 ]

(平成23年1月21日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


            誓願寺

・作者 世阿弥(伝)  
・季節 三月
・場所 誓願寺
・登場人物  前シテ 女  後シテ 和泉式部     ワキ 一遍上人      ワキツレ 従僧二〜三人

【前半】 一遍上人が熊野権現に参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の札を弘めよとの霊夢をみる。都へ上り、念仏の大道場、誓願寺で御札を配っていると、一人の女性が御札の言葉を見て、「六十万人より外は往生できないのでしょうか」と問う。上人は、「これは霊夢の、六字名号一遍法、十界依正一遍体、 万行離念一遍証、人中上々妙好華の四句の上の字をとったものであり、南無阿弥陀仏≠ニさえ唱えれば誰もが必ず往生できる」と説く。すると女性は有り難がり、「本堂の『誓願寺』の寺額に替え、上人の手で『南無阿弥陀仏』の六字の名号をお書き下さい。これはご本尊阿弥陀如来の御告げです。私はあの石塔に住む者です。」と、 近くの和泉式部のお墓に姿を消す。
【後半】 一遍上人が「南無阿弥陀仏」名号を書いて本堂に掲げたところ、どこからともなく良い香りがし、花が降り、快い音楽が聞こえ、瑞雲に立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に、歌舞の菩薩となった和泉式部が現れる。 誓願寺が天智天皇の勅願によって創建された縁起が語られ、阿弥陀如来が西方浄土より誓願寺に来迎される模様などを描く荘厳優美な舞が舞われ、最後は菩薩聖衆みな一同に本堂の六字の額に合掌礼拝するのであった。

        詞 章                                  (胡山文庫)

  次第
ワキ    上 教えの道も一声の。/\。後法を四法に広めん
ワキ    詞「是は念仏の行者一遍と申す聖にて候。我此の度三熊野に参り。
         一七緋参籠申し。澄城殿に通夜申して候へば。
         あらたなる霊夢を蒙りて候。六十万人決定往生の後札を。
         普く国土に弘めよとの霊夢に任せ。先ず都へと志て候。
    道行上 弥陀頼む 願ひもみつ(満・三)のおん山を。/\。
         今日立ち出づる旅衣紀の関守りがたつかゆみ(立・手束弓)
         いで(射・出)入るひかず(日・日数)重なりて。時もこそあれ春の頃。
         花の都に着きにけり 花の都に着きにけり
ワキ    詞「急ぎ候程に。これははや都誓願寺に着きて候。告に任せて札を弘めはやと思い候。
ワキ カカル上 有難やげに佛法の力とて。貴賤群集(じゅ)のいろいろ(種々・色々)に。
         袖を連らね踵(くびす)をついで。知るも知らぬもおしなべて。 
         念仏三昧の道場に 出で入る人のありがたさよ
シテ  サシ上 所は名におう羅陽の。花の衣の今更に。心は空に墨染めの
ワキ    上 夕べの鐘の声々に称名の御法
シテ    上 ふしょうの響き
ワキ    上 聴集の人音
シテ    上 軒の松風
ワキ    上 おのれ/\と
シテ    上 かわれども

   (小謡 弥陀頼む心は カラ  いざやたもたん マデ )

地     上 弥陀頼む心は誰も一声の。/\。うちに生るる蓮葉の。
         濁りにしまぬ心もて何疑いのあるべき。有難や此の教え漏らさぬ誓い目のあたり。
         受けよろこぶや上人の 御礼をいざやたもたん/\
シテ    詞「如何に上人に申すべき事の候
ワキ    詞「何事にて候ぞ
シテ    詞「此の御札を見奉れば。六十万人決定往生とあり。
         さてさて六十万人より外は往生漏れ候べきやらん不審にこそ候へ
ワキ    詞「げによく御不審候ものかな。これは三熊野の御夢想に四句の文あり。
         其の四句の文の上の字を取りて。証文のために書き付けたり。
         唯決定往生南無阿弥陀仏と。此の文ばかり御頼み候へ
シテ    詞「さてさて四句の文とやらんは。いかなる事にてあるやらん」
   カカル上 愚痴の我等に示し給え
ワキ    詞「いでいで語ってもかせもうさん。六字名号一遍法 十界依正一遍体。
        万行離念一遍証 人中上々妙好華。この四句の文の字なれば。」
   カカル上 六十万人とは書きたるなり
シテ    上 今こそ不審春の夜の。照らす弥陀の教え
ワキ    上 光明遍法十方世界に。もるるかたなき御法なるを。わづかに六十万人と。
         人数をいかで定むべき夜念仏さては嬉しや心得たり。
         この御札の六十万人。其の人数をば打ち捨てて
ワキ    上 決定往生南無阿弥陀仏と。
シテ    上 唯一筋に念ずならば
ワキ    上 それこそ即ち決定する
シテワキ  上 往生なれや何事も。皆打ち捨てて南無阿弥陀仏と。
地     上 唱うれば佛も我もなかりけり。/\。南無阿弥陀仏の声ばかり。
         至誠心深心廻向発願の鐘の声。耳にそみて有難や。誠に妙なる此の教え。
         十声一声数わかで。悟りをも迷いをも迎え給うぞ。有難き。
         さるほどに夕陽雲にうつろいて。西にかげろう夕月の夜の念仏を。
         急がん夜念仏をいざや急がん
地  ロンギ上 はや更けゆくや夜念仏の。聴衆の眠り覚さんと鐘打ち鳴らし念仏す。
シテ    上 有難や五障の雲のかかる身を。助け給はば此の世より。
         二世安楽の国にはや生れ行かんぞ嬉しき
地     上 げに安楽の国なれや。安く生まるる蓮葉の臺の縁ぞ誠なる。
シテ    下 有難や有難やさぞな始めて弥陀の国。すずしき道ぞ頼もしき
地     上 頼みぞ誠此の教え。或いは利益無量罪
シテ    上 又は餘経の後の世も
地     上 弥陀一教と
シテ    上 聴くものを
地     上 有難や有難や。八萬諸聖教皆是阿弥陀仏なるべし。
         此の本尊も上人も唯同じ御誓願寺ぞと。
         佛と上人を一体に拝み申すなり
シテ    詞「いかに上人に申すべき事の候
ワキ    詞「何事にて候ぞ
シテ    詞「昔より誓願寺と打ちたる額を除け。上人の御手跡にて。
         六字の名号になして給わりり候へ
ワキ    詞「これは不思議なる事を承り候ものかな。昔より誓願寺と打ちたる額を除け。
         六字の名号になすべき事。思いもよらぬ事にて候
シテ    詞「いやこれも御本尊の御告と思し召せ
ワキ    詞「そも御本尊の御告とは。御身はいづくに澄む人ぞ
シテ    詞「わらはが住み家はあの石塔はて候。
ワキ    詞「ふしぎやなあの石塔は。和泉式部の御墓とこそ聞きつるに
   カカル上 御住み家とは不審なり
シテ    詞「さなみな不審し給いそよ
   カカル上 我も昔は此の寺に。知遇のあればすむ水の。春にも秋や通うらし
地     下 結ぶ泉のみづからが。名を流さんも恥ずかしや。
         よしそれとても上人よ。わが偽りはなき跡に。和泉式部は我ぞとて。
         石塔の石の火の。光とともに失せにけり/\。
               中入り
ワキ    詞「佛説に任せ誓願寺と打ちたる額を除け。六字に名号を書き付けて。」
   カカル上 佛前にうつし奉れば
ワキ  待謡上 ふしぎや異香薫じつつ。/\。花降り下り音楽の声する事のあらたさよ。
         これにつけても称名の。心一つを頼みつつ。鐘打ち鳴らし同音に
ワキ    下 南無阿弥陀仏弥陀如来
後シ    上 あら有難の名号やな。末世の衆生済度のため。佛の御名を現して。
         佛前にうつす有難さよ。我もかりなる夢の世に。和泉式部といわれし身の。
         佛果を得るや極楽の歌舞の菩薩となりたるなり二十五の。
地     上 菩薩聖衆(しょうじゅ)の御法には。紫雲たなびく夕日影
シテ    上 常のともし火影清し
地     上 さながらここぞ極楽世界に。生まれけると有難さよ
    クリ上 抑も当寺誓願寺と申し奉るは。天智天皇の御願。
         御本尊は慈悲萬行の大菩薩。春日の明神の御作とから
シテ  サシ上 神といい佛といい。唯これ水波の隔たりなり
地     下 然れば和光の影広く。一体分身現れて衆生済度の御本尊たり
シテ    上 されば毎日一度は
地     下 西方浄土に通い給いて。来向いんじょうの。誓いを現しおわします。

   (仕舞と独吟 坐歌遙かに聞こゆ カラ  誓願寺を拝すなり マデ )

地   クセ下 坐歌(セイカ)遙かに聞こゆ。孤雲の上なれや。聖衆来迎す。
         落日の前とかや。昔在霊山の。御身は法華一佛。今西方の弥陀如来。
         慈眼視衆生現れて。娑婆慈眼観世音。三世利益同一体有難や。
         我らが為の悲願なり
シテ    上 若我成仏の。光をうくる世の人の
地     上 我が力には行きがたき。御法の御舟の水馴竿ささでも渡る彼の岸に。
         至り/\て楽みを極むる国の道なれや。十悪八邪の迷いの雲も空晴れ。
         真如の月の西方も。ここをさる事遠からず。
         唯心の浄土とはこの誓願寺を拝すなり
シテ    下 歌舞の菩薩のさまざまの
地     上 仏事をなせる。心かな
シテ    上 ひとりなお。佛の御名を。尋ね見ん
地     上 おのおの帰る法の場人。/\。

   (仕舞 げにも妙なる カラ  奇瑞かな マデ )

シテ    下 げにも妙なる称名の数数
地     上 虚空に響くは
シテ    上 音楽の声
地     上 異香薫じて
シテ    下 花降る雪の 
地     上 袖をかえすや返す返すも。貴き聖人の利益かなと。
         菩薩聖衆は面々に。御堂にうてる。六字の額を。皆一同の。
         礼し給うは。あれたなりけりける。奇瑞かな


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