杜  若 (かきつばた)

●あらすじ
 諸国を巡る僧が、三河国に着き、沢辺に咲く今を盛りの杜若を愛でていると、ひとりの女が現れ、ここは杜若の名所で八橋(やつはし)というところだ、と教えます。僧が八橋は、古歌に詠まれたと聞くが、と水を向けると、女は、在原業平が『かきつばた』の五文字を句の上に置き、「からころも(唐衣)き(着)つつ馴れにしつま(妻)しあればはるばる(遥々)きぬるたび(旅)をしぞ思ふ」と旅の心を詠んだ故事を語ります。やがて日も暮れ、女は侘び住まいながら一夜の宿を貸そう、と僧を自分の庵に案内します。 女はそこで装いを替え、美しく輝く唐衣を着て、透額(すきびたい)[額際に透かし模様の入ったもの]の冠を戴いた雅びな姿で現れます。唐衣は先ほどの和歌に詠まれた高子(たかこ)の后のもの、冠は歌を詠んだ業平のもの、と告げ、この自分は杜若の精であると明かします。 杜若の精は、業平が歌舞の菩薩の化身として現れ、衆生済度の光を振りまく存在であり、その和歌の言葉は非情の草木をも救いに導く力を持つと語ります。そして、伊勢物語に記された業平の恋や歌を引きながら、幻想的でつややかな舞を舞います。やがて杜若の精は、草木を含めてすべてを仏に導く法を授かり、悟りの境地を得たとして、夜明けと共に姿を消すのでした。

●宝生流謡本          内九巻の三     三番目     (太鼓あり)
    季節=夏       場所=三河国八橋   
    素謡稽古順=入門   素謡時間=48分 
    素謡座席順   シテ=里女
               ワキ=旅僧

●解 説
この能は「蔓物」または「三番目物」といわれ、若い女性や動植物の精が主役となる能です。女性が主役となるものとして「熊野」や「玉蔓」「松風」があり、動物の精では「胡蝶」があります。
世阿弥の女婿、金春禅竹の作といわれていますが、世阿弥という説もあります。曲のモチーフは在原業平の生涯を和歌で綴った「伊勢物語」の第九段(東下り)を中心に、二条の后(藤原高子)との恋愛、妻(紀有常の娘)への思慕、歌舞の菩薩の化現として多数の女性との契りと女人済度などが絡らんだ多重的な構成です。「物着」で里女が初冠と唐衣をつけることで杜若の精に変身しますが、冠には追懸(おいかけ)という馬の目隠しのような飾りをつけます。この飾りは身分の低い貴族(業平は朝臣で4位下)がつけたもので、業平が主役の「雨林院」「小塩」でも使われます。また、唐衣として菱模様(業平菱といいます)の長絹(ちょうけん)を着ますが、里女で出てくるときは唐織(からおり)という豪華な着物を着ています。長絹を羽織った後、この唐織を脱ぎます。
 面は「小面」、手には杜若の絵が描かれた中啓(ちゅうけい)という扇を持ちます。
全体にゆったりした曲調で、囃子に太鼓も入り、華やかに舞います。同じく伊勢物語からは「井筒」という、妻(紀有常の娘)の思慕をテーマとした能があり、こちらは太鼓が入らず、しっとりとした曲です。見どころは、45分過ぎくらいから杜若の精が業平の東下りを回想して舞うクセ「しかれども世の中の、一度は栄え、一度は衰える・・・」から、序の舞があり、更にキリまで続く長い舞。始めはゆったりと舞いますが、徐々にテンポは速くなります。
 苦労どころは、業平といえば、「色好み」。高貴な生まれで、顔立ちも良く、また六歌仙といわれるほど和歌の道にも秀でていたため、現在ならまさしくアイドル。まさに私の対極にある人物。さて、杜若の精=二条の后になり切れば業平に迫れるでしょうか。また、謡出しでは、囃子方と合わせなくてはならず、鼓の打ち方や音曲を知らないとなかなかうまく合いません。
 聞きどころは、なんといっても業平の和歌。伊勢物語にははっきりと業平作といわれる歌が34首入っており、能にも取り込まれています。    (後略)

●在原業平
 在原 業平(ありわら の なりひら、825年(天長2年) - 880年7月9日(元慶4年5月28日))は、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。
六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。
全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた
父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王で、業平は父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。血筋からすれば非常に高貴な身分だが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり、天長3年(826年)、父・阿保親王の上表によって臣籍降下し、兄・行平らとともに在原氏を名乗る。
仁明天皇の蔵人となり、849年(嘉祥2年)従五位下に叙爵されるが、文徳天皇の代になると全く昇進が止まり不遇な時期を過ごした。清和天皇のもとで再び昇進し、862年(貞観4年)従五位上に叙せられたのち、左兵衛権佐・左近衛権少将・右近衛権中将と武官を歴任、873年(貞観15年)には従四位下に昇叙される。陽成朝でも順調に昇進し、877年(元慶元年)従四位上、879年(元慶3年)には蔵人頭に叙任された。また、文徳天皇の皇子・惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどしている。 880年7月9日(元慶4年5月28日)卒去。享年56。
最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。

●八橋伝説地(やつはしでんせつち)  <時代>平安時代  
<地域>西三河 在原業平供養塔(ありわらのなりひらくようとう) 在原寺
<所在地> 知立市八橋町五輪16  (名鉄三河線三河八橋駅下車徒歩15分)
<概要>  八橋の地名は「水ゆく河の蜘蛛手なれば橋を八つわたせるによりて」『伊勢物語』からきたという。この地域一帯は湿地が多くかつてはカキツバタが咲き乱れ,在原業平(ありわらのなりひら,825〜880)が東国へ下る途中立ち寄った地とされる。「かきつばた」の五文字を各句の頭に配した「から衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」の和歌の前詞に「三河国八橋」と記されていたことから,カキツバタの名勝地として知れわたった。
<学習のポイント>  文人在原業平が東国に下った時の言い伝えが伝説として残っている所である。「古今和歌集」や「伊勢物語」にも登場する歌を詠んだ場所として学ぼう。
<見学のポイント>  在原業平とゆかりの深い在原寺,業平との悲しい恋の話の残る杜若姫(かきつばたひめ)の供養塔がある無量寿寺(むりょうじゅじ)などが近くにある。
<問い合わせ先>   愛知県知立市歴史民俗資料館 0566−83−1133 

●カキツバタの花解説
 カキツバタは湿地に群生し、5月から6月にかけて紫色の花を付ける。内花被片が細く直立し、外花被片(前面に垂れ下がった花びら)の中央部に白ないし淡黄色の斑紋があることなどを特徴とする。 愛知県の県花でもあり、三河国八橋(現在の知立市八橋)が『伊勢物語』で在原業平がカキツバタの歌を詠った場所とされることに由来している。
 江戸時代の前半にはすでに多くの品種が成立しており、古典園芸植物の一つでもあるが[要出典]、江戸時代後半にはハナショウブが非常に発展して、カキツバタはあまり注目されなかった。現代では再び品種改良が進められている。 漢字表記の一つ「杜若」は、本来はヤブミョウガという別種の漢名(「とじゃく」と読む)であったが、カキツバタと混同されたものである。

(平成22年12月17日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


          杜  若 (かきつばた)

          
      (金春流 金春 安明師)     (平成十九年五月第二十六回大宮薪能で)
◎解説
この能は「蔓物」または「三番目物」といわれ、若い女性や動植物の精が主役となる能です。女性が主役となるものとして「熊野」や「玉蔓」「松風」があり、動物の精では「胡蝶」があります。世阿弥の女婿、金春禅竹の作といわれていますが、世阿弥という説もあります。曲のモチーフは在原業平の生涯を和歌で綴った「伊勢物語」の第九段(東下り)を中心に、二条の后(藤原高子)との恋愛、妻(紀有常の娘)への思慕、歌舞の菩薩の化現として多数の女性との契りと女人済度などが絡らんだ多重的な構成です。「物着」で里女が初冠と唐衣をつけることで杜若の精に変身しますが、冠には追懸(おいかけ)という馬の目隠しのような飾りをつけます。この飾りは身分の低い貴族(業平は朝臣で4位下)がつけたもので、業平が主役の「雨林院」「小塩」でも使われます。また、唐衣として菱模様(業平菱といいます)の長絹(ちょうけん)を着ますが、里女で出てくるときは唐織(からおり)という豪華な着物を着ています。長絹を羽織った後、この唐織を脱ぎます。面は「小面」、手には杜若の絵が描かれた中啓(ちゅうけい)という扇を持ちます。全体にゆったりした曲調で、囃子に太鼓も入り、華やかに舞います。同じく伊勢物語からは「井筒」という、妻(紀有常の娘)の思慕をテーマとした能があり、こちらは太鼓が入らず、しっとりとした曲です。

見どころ・聞きどころ・苦労どころ
見どころは、45分過ぎくらいから杜若の精が業平の東下りを回想して舞うクセ「しかれども世の中の、一度は栄え、一度は衰える・・・」から、序の舞があり、更にキリまで続く長い舞。始めはゆったりと舞いますが、徐々にテンポは速くなります。

聞きどころ
なんといっても業平の和歌。伊勢物語にははっきりと業平作といわれる歌が34首入っており、能にも取り込まれています。
唐衣、着つつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思う(九段)〜やがて馴れぬる心かな
いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくもかえる浪かな(七段)〜信濃なる浅間の嶽に立つけぶり、おちこち人の見やはとがめぬ(八段)〜妻しあるやと思いぞ出る都人とぶ蛍、雲のうえまで去ぬべくは、秋風ふくと仮に現れ(四十五段)〜月やあらぬ、春やむかしの春ならぬ、わが身ひとつはもとの身にして(四段)〜はるばる来ぬる旅衣、着つつや舞をかなずらん

苦労どころ
業平といえば、「色好み」。高貴な生まれで、顔立ちも良く、また六歌仙といわれるほど和歌の道にも秀でていたため、現在ならまさしくアイドル。まさに私の対極にある人物。さて、杜若の精=二条の后になり切れば業平に迫れるでしょうか。また、謡出しでは、囃子方と合わせなくてはならず、鼓の打ち方や音曲を知らないとなかなかうまく合いません。


      杜若 謡詞   金春流

ワキ   「これは都方より出でたる僧にて候。
      我いまだ東国を見ず候ほどに、只今思い立ちて東国行脚と心ざし候。
     「ゆうべいうべの仮枕。ゆうべいうべの仮枕。
      宿はあまたにかわれども、同じ浮き寝の美濃のおわり。
      三河の国に着きにけり。三河の国に着きにけり。
     「急ぎ候ほどにこれは早や。三河の国、八橋とかや申し候。
      又これなる澤の杜若。今を盛りと見えて候ほどに。立より眺めばやと思い候。
      げにや光陰とどまらず春すぎ夏も来て、草木心なしとは申せども、
      時を忘れぬ花の色。 かおよ花とも申すやらん。あらうつくしの杜若やな。
シテ    「のうのう、旅人は何とてその澤には休らいたまい候よ。
ワキ   「さん候、これなる澤の杜若に眺め入りて休らい候よ。
シテ   「さすがにこの八橋の杜若は、古歌にもよまれたる名におう花の名所なれば、
      色も一 入濃紫の、なべての花のゆかりとは思いなぞらえ給わずして、
      とりわき眺め給えかし。あら、心なの旅人やな。
ワキ    「げにげにこの八橋の杜若は、古歌にもよまれけるとなりさりながら。
      いずれの歌人の言の葉やらん承りとうこそ候え。
シテ    「これは在原の業平の歌にあり。伊勢物語にいわく。
      三河の国八橋という所に至りぬ
      ここを八橋とは水ゆく河の蜘蛛手なれば。橋を八つ渡せるなり。
      その澤に杜若いと面白く咲けり。
      ある人この杜若という五つ文字を句の上におきて、
      旅の心をよめといいければ、
     「唐ころも、着つつ馴れにし妻しあれば、はるばる来ぬる旅をしぞ思う。
      これ在原の業平の、この杜若をよみし歌なり。
ワキ   「あら面白やさてはこの、東のはての国々までも業平は下り給いけるか。
シテ   「こと新しき仰せかな。この八橋のここのみか、なおしも心の奥深き。
      名所名所も名のごとく。
ワキ   「国々所は多けれども、とりわき心の末かけて
シテ   「思い渡りし八橋の
ワキ   「三河の澤の杜若
シテ   「はるばる来ぬる旅をしぞ
ワキ   「思いの色を世に残して
シテ   「主は昔に業平なれど
ワキ   「かたみの花は
シテ   「今ここに。
地謡   「在原の跡なへだてそ、杜若。在原の跡なへだてそ、杜若。
      澤辺の水の浅からず、契りし人も八橋の、くもでに物ぞ思わるる。
      今とても旅人に、昔を語る今日の暮れ。やがて馴れぬる心かな。
      やがて馴れぬる心かな。
シテ   「わらわが庵の候に立ち寄りて一夜をおん明かし候え。
ワキ   「あらうれしやさらばこう参り候。
         (物着−冠を付け、長絹を着る)
シテ   「のうのう、これなるかむり唐きぬご覧候え。
ワキ   「ふしぎやな、いやしき賤がふし戸より、色もかかやく衣をき、透き額の冠を着し、
      これを見よと承るは、何と言いたる事やらん。
シテ   「これこそ歌によまれたる唐衣。たかき子の后の御衣にてさむらえ。
      又この冠は業平の、豊のあかりの五節の舞の冠なれば、形見の冠から衣。
      身にそえ持ちて侍うなり。
ワキ   「冠から衣はまずまずおきぬ。さてさておん身はいかなる人ぞ。
シテ   「今は何をかつつむべき。われは杜若の精なり。
      植えおきし昔の宿の杜若と。よみしも女の杜若に。なりし謂れの心なり。
      又業平は極楽の。歌舞の菩薩の化現なれば、よみおく歌の詞もみな、
      発心説法の妙文なれば、草木までも露の恵みの、佛果の縁を弔うなり。
ワキ   「これはふしぎの御事かな。まさしき非情の草木に、詞をかわす法の声。
シテ   「佛事をなすや業平の、昔男の舞のすがた。
ワキ   「これぞ則ち歌舞の菩薩の
シテ   「かりに衆生と業平の
ワキ   「本地寂光の都をいでて
シテ   「あまねく済度
ワキ   「利生の
シテ   「道に
地謡   「はるばる来ぬるから衣。はるばる来ぬるから衣。着つつや舞をかなずらん。
 (地取り)はるばる来ぬる唐衣。着つつや舞をかなずらん。
シテ   「わかれこし、あとの恨みの唐衣。
ワキ   「袖を都にかえさばや。
      (イロエ)
シテ   「そもそもこの物語はいかなる人の何事によって、
地謡   「思いの露の忍ぶ山。しのびて通う道芝の初めもなく、終わりもなし。
シテ   「昔男、初冠して奈良の京、春日の里にしるよしして狩にいにけり。
ワキ   「仁明天皇の御宇かとよ。いともかしこき勅をうけて、大内山の春霞、
      たつや弥生のはじめつかた。
      春日の祭りの勅使として、透き額のかむりを、許さる。
シテ   「君の恵みのふかき故。
地謡   「殿上にての元服のこと。当時その例まれなる故に、うい冠とは申すとかや。
      しかれども世の中の、一たびは栄え、一たびは衰うる理りの、
      まことなりける身のゆくえ。住みどころ求むとて、東の方にゆく雲の、
      伊勢や尾張の海づらに立つ波を見て、いとどしく過ぎにしかたの恋しきに、
      うらやましくもかえる波かなとうち眺めゆけば信濃なる、あさまのだけなれや。
      くゆる煙の夕げしき。
シテ   「さてこそ信濃なる、浅間のだけに立つ煙。
地謡   「おちこち人の見やはとがめんと口ずさみ、なおはるばるの旅ごろも。
      三河の国に着きしかば、ここぞ名にある八橋の澤辺に匂う杜若。
      花むらさきのゆかりならば、つましあるやと思いぞいずる都人。
      そもそもこの物語、その品多きことながら、とりわきこの八橋や。
      三河の水の底いなく、ちぎりし人々のかずかずに名をかえ品をかえて、人まつ女。
      もの病み玉すだれの、光も乱れてとぶ蛍の、雲の上まで行くべくは。
      秋風ふくとかりにあらわれ、衆生済度のわれぞとは、知るや否や世の人の。
シテ   「くらきに行かぬ有明の
地謡   「光あまねき月やあらぬ、はるや昔の春ならぬ、わが身ひとつはもとの身にして
      本覚真如の身をわけ、陰陽の神といわれしも、ただ業平の事ぞかし。
      かように申す物語、うたがわせたもうな旅人。
      はるばる来ぬるから衣、きつつや舞をかなずらん。
シテ   「花前に蝶舞う、ふんぷんたるゆき。
地謡   「柳上に鶯とぶ、へんぺんたるきん。
       (序の舞)
シテ   「植えおきし、昔の宿のかきつばた。
地謡   「色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ昔なりけれ。
シテ   「昔男の名をとめし、はなたちばなの匂いうつる。あやめのかずらの、
地謡   「色はいずれぞ
シテ   「似たりや似たり
地謡   「かきつばた花あやめ、梢になくは、
シテ   「蝉のからころもの
地謡   「そで白妙の卯の花の雪の、夜もしらしらとあくるしののめの、
      あさむらさきのかきつばたの、花もさとりの心ひらけて
      すわや今こそ草木国土。すわや今こそ草木国土。
      悉皆成仏のみ法をえてこそかえりけれ。