宝生流謡曲  「景 清」

●あらすじ
平家没落の後、日向に流された悪七部衛景清を慕って、幼い頃別れた娘の人丸が訪ねてくる。景清は盲目となり老残の身、それを恥じて娘を立ち去らせるが、里人の計らいで対面することになる。 景清は武将としての栄光の日々を追懐し、娘の所望により屋島の錣引きの武勇譚を語る。 父娘の情愛に心惹かれつつも、それを断ち切り、わが跡を弔うようにと言い含めて、永遠の決別をする。

●宝生流謡本 (参考)   内九巻の二    四番目  (太鼓なし) 
  季節=不定 場所=日向国宮崎  稽古順=奥伝  素謡時間65分(松門節が有名)
  素謡座席順    ツレ=従者
              ツレ=人丸
              シテ=景清
              ワキ=里人

●解 説
「平家物語」における景清は、侍大将格の身分で、壇ノ浦の合戦後も落ち延びた人物。 景清が出てくる能は「景清」と「大仏供養(金春流「奈良詣」)」の2曲です。景清は、いずれも平家か滅び、源頼朝が鎌倉幕府を開いた以後の姿で登場しています。話の順序としては頼朝の東大寺参詣時の事件を扱った「大仏供養」の方が先で、頼朝に捕らえられて日向の国に流されて落魄の姿を見せる「景清」は後になります。能「大仏供養」のあらすじは、世を忍ぶ姿となった平家の遺臣・悪七兵衛景清は清水参詣の時、東大寺大仏供養に将軍頼朝が参詣することを知る。若草に住む母を見舞うために南都に向かう。久方ぶりの対面に一夜を語り明かし、母に暇乞いをする。大仏供養の当日、警護の厳しい中を春日の宮つ子を装い、箒をもって庭を清める態で頼朝に近づくが、見破られてしまう。仕方なく名乗りを上げ警護の兵と渡り合うが、利あらずと判断し次の機会を待って身を隠す。「平家物語」以降の景清については「幸若舞・景清」が詳しく語っています。「幸若舞・景清」には若草の母の話は出てきませんし、日向に流されたのではなく頼朝に許されて「日向宮崎の庄を賜る」ということになっています。また、熱田の遊女や娘人丸の話も「幸若舞・景清」にはありません。「錏引き」の話は「平家物語」に出てくる話です。他に歌舞伎および文楽に「出世景清」があります。

●景清系図
「平家物語」「幸若舞・景清」にでてくる家族関係をそのまま取り出してみると次のようになります。
上総守藤原忠清
   |     太郎判官忠綱
   |     五郎兵衛忠光
   |--------------- 悪七兵衛景清
 母(在若草・謡曲)| | |-----女(人丸・在鎌倉・謡曲)
          | |熱田遊女(謡曲)
          | |---------男(殺害・幸若)
          | |---------男(殺害・幸若)
          |阿古王(在清水・幸若)
          |-------------男(幸若)
          |-------------男(幸若)
         熱田大宮司の娘(幸若)

景清は上総守忠清の三男。奈良の母は兄たちと同じ母かどうかは判りません。今判るだけでも3人の女(熱田大宮司の娘・阿古王・熱田遊女)に4男1女の子持ちということになります。                                  

●景清伝説縁の土地
日向国宮崎
景清最期の地ということです。源氏の世となって源氏の勢力の強い東国よりも平家の縁のある西国に住みたいという思いはあったようです。盲目となった景清は後に地神経を詠む盲僧の始祖として崇められたこともあったようです。盲目の人たちにとって「景清」や「日向」という言葉に特別の意味を見いだしたのかもしれません。「太宰管内誌」には、宮崎の生目八幡社は景清を祭神とし日向地方の地神盲僧の拠点になっていた、とあるそうです。宮崎には景清廟もあります。
尾張熱田
幸若舞では景清の舅は熱田大宮司だということになっています。大宮司の三の姫との間に二人の子どもをもうけています。謡曲では日向に景清を訪ねるのは熱田の遊女との間にできた人丸という娘です。いずれにしても景清と熱田には何らかの関係があったようです。「尾張志」には熱田には景清社があること、熱田神宮の神宝として痣丸の話があり、明眼院には景清の鎧が納められていると書かれているそうです。また「景清は上総の悪七兵衛といひて平家の族士なること、世に知る処也。熱田大宮司の外婿なりといへり」とあるようです。熱田大神宮は伊勢神宮と並んで三種の神器を預かる大社です。
京都清水
京都清水の観音菩薩は景清が信仰した唯一の仏様です。平家滅亡後、熱田に身を隠していた景清も観世音菩薩の斎日である毎月18日には清水寺に参詣していました。この観音信仰があだとなって遊女の密告から頼朝に捕らわれますが、また観音信仰によって頼朝に許されることにもなります。清水寺境内にある爪形観音は景清が爪で石に観音像を彫りこんだものと伝えられているそうです。
また、遊女・阿古王のいた清水坂は寺に通じる参詣路としてだけでなく、当時の交通の要所でもあったそうです。周辺は賑わい参詣人に物乞いする人なども集まるところであったようです。
その他の地
千葉県木更津市には「景清本陣跡」があるそうです。今は場所を少しずらして整備されたものになっているようです。近くに「景清井」もあるとか。山口県には「景清洞」があるといいます。

●景清余話
身代わり観音
「幸若舞・景清」には、首を刎ねられたはずの景清が生き返り、代わりに清水の観音像の首が落ち血を流していたという話が出てきます。文楽「出世景清」もこの話を取り込んでいます。
文楽の初期作品「阿弥陀胸割(あみだのむねわり)」には、両親の供養のために読経と墓石のための費用を自分たちの肉を売って賄おうとした姉弟の話があります。最後、胆を切り取られた姉の身代わりになったのが姉弟が身を寄せていた寺の阿弥陀像で、切り裂かれた胸の傷から夥しい血が流れ出ていたというものです。このような「身代わり」の話は日本の民話の中にも見受けられます。
痣丸(あざまる)
景清が所持していた平家相伝の刀。その後、織田方の武将の手に渡ったが、所持した武将が目を失う。丹羽長秀も所持したがまたも目を煩ったため熱田宮に奉納したら、眼病が治ったという話が「信長公記」出てくるそうです。
座頭と景清
「平家物語」を語る琵琶法師の同業者組織では二流がよく知られています。「覚一本」を残した覚一の流れを汲む一方派と八坂(城)方派です。この二流派は幾つかの派に別れていきますが、それ以外に座頭の派として地神派というものがあったようです。そのなかに景清派、蝉丸派の名前が見えます。これらは地神経をよむものとして一段下の扱いを受けていたようです。

(平成22年12月17日 謡曲研究会)


◎あ ら す じ
 平家没落の後、日向に流された悪七部衛景清を慕って、幼い頃別れた娘の人丸が訪ねてくる。 景清は盲目となり老残の身、それを恥じて娘を立ち去らせるが、里人の計らいで対面することになる。 景清は武将としての栄光の日々を追懐し、娘の所望により屋島の錣引きの武勇譚を語る。 父娘の情愛に心惹かれつつも、それを断ち切り、わが跡を弔うようにと言い含めて、永遠の決別をする。

            
景 清  

  四番目   (太鼓なし)      季 不定
             所  日向国宮崎 下北方  
       ツ レ  人丸(景清の娘)  面:小面 紅入唐織
       ツ レ  人丸の従者     直面・素袍上下
       シ テ  悪七部衛景清    面:景清・(沙門帽子)・水衣・無地熨斗目 
       ワ キ  里人          素袍上下
                                作 者 : 世阿弥元清    


  (次第)
人丸ツレ 「消えぬ便も風なれば。消えぬ便も風なれば。露の 身いかになりぬらん。
人丸   「これは鎌倉亀 が江が谷に。人丸と申す女にて候。さて も我父悪七兵衛景清は。
      平家の味方たるにより。源氏に憎まれ。日向の国宮崎 とかやに流されて。
      年月を送り給ふなる。 いまだ習はぬ道すがら。物うき事も旅の ならひ。
      また父ゆゑと心づよく。
 下歌  二人下歌「思 寝の涙かたしく。 草の枕露をそへていと 繁き袂かな。
 上歌  相模の国を立ちいで て。相模の国を立ちいで て。誰にゆくへを遠江げに旅舟の。
      三河にわたす八橋の。雲居の 都いつかさて。
      仮寝の夢に馴れて見ん 仮寝 の夢に馴れて見ん。
ツレ詞 「やう/\御急ぎ候ほどに。これは 早日向の国宮崎とかやに御着にて候。
      こ こにて父御の御行方を御尋あらうずるにて候。
シテ  「松門独閉ぢて。年月を送り。みづ から。清光を見ざれば。
      時の移るをも。 弁へず。暗々たる庵室に徒らに眠り。
      衣 寒暖に与へざれば。膚は骨と衰へたり。
地上   とても世を。背くとならば墨にこそ。 /\。
      染むべき袖の。あさましや窶れは てたる有様を。我だに憂しと思ふ身を。
      誰こそありて憐の憂きをとぶらふよ しもなし憂きをとぶ{らふよしもなし。
ツレ   「ふしぎやなこれなる草の庵古りて。 誰住むべくも見えざるに。
      声珍らかに聞 ゆるはもし乞食のありかかと。軒端も 遠くみえたるぞや。
シテ詞  「秋きぬと目には さやかに見えねども。風の音信いづちと も。
ツレ   「知らぬ迷のはかなさを。しばし 休らふ宿もなし。
シテ詞  「げに三界は所なし たゞ一空のみ。
      誰とかさして言問はん。 又いづちとか答ふべき。
ツレ詞  「いかに此藁 屋の内へ物問はう。
シテ   「そも如何なるも のぞ。
ツレ   「流され人の行方や知りてあ る。
シテ詞  「流され人にとりても。苗字をば何と申し候ふぞ。
ツレ   「平家の侍悪七兵 衛景清と申し候。
シテ   「げにげにさやうの人をば承り及びては候へども。
      本より盲目 なれば見る事なし。
シテ   さもあさましき御有様。承りそゞろにあはれを催すなり。
      くはしき事をばよそにて御尋ね候へ。
ツレ   「さては此あたりにては御座なげに 候。
      これより奥へ御出あつて尋ね申され 候へ。
シテ   「ふしぎやな唯今の者をいかなる者 ぞと存じて候へば。
      この盲目なるものゝ 子にて候ふはいかに。
      我一年尾張の国熱田にて遊女と相馴れ一人の子をまうく。
      女子なれば何の用に立つべきぞと思ひ。
      鎌倉亀が江の谷の長に預けおきしが。
      馴れぬ親子を悲しみ。父に向つて言葉をかはす。
地歌   「声をば聞けど面影を見ぬ盲目 ぞ悲しき。
      名のらで過ぎし心こそなかな か親の絆なれ なか/\親の絆なれ。
ツレ詞  「いかに此あたりに里人のわたり候 ふか。
ワキ詞  「里人とは何の御用にて候ふぞ。
ツレ   「流され人の行方や御存じ候。
ワキ詞  「流され人にとりても。いかやうなる人を御尋ね候ぞ。
ツレ   「平家の侍悪七 兵衛景清を尋ね 申し候。
ワキ   「唯 今こなたへ御出 で候ふ山陰に。 藁屋の候ふに人 は候はざりける か。
ツレ   「其藁屋 には盲目なる乞食こそ候ひつれ。
ワキ   「なうその盲 目なる乞食こそ。御尋ね候ふ景清 候ふよ。あらふ しぎや。
      景清のことを申して候へば。あ れにまします御ことの。
      御愁傷のけしき 見え給ひて候ふは。
      何と申したる御事にて候ぞ。
ツレ   「御不審尤もにて候。何を か包み申し候ふべき。
      これは景清の息女 にてわたり候ふが。
      今一度父御に御対面 ありたきよし仰せられ候ひて。
      これまで はるばる御下向にて候。
      とてもの事に然 るべきやうに仰せられ候ひて。
      景清に引 き合はせ申されて賜はり候へ。
ワキ詞  「言語道 断。さては景清の御息女にて 御座候ふか。
      まづ御心を静めて聞しめされ候へ。
      景清 は両眼しひましまして。せん方なさに髪 をおろし。
      日向の勾当と名を附き給ひ。
      命をば旅人をたのみ。我ら如き者の憐 をもつて身命を御つぎ候ふが。
      昔に引き かへたる御有様を恥ぢ申されて。御名の りなきと推量申して候。
      某たゞ今御供 申し。景清と呼び申すべし。我が名なら ば答ふべし。
      其時御対面あつて。
      昔今の 御物語候へこなたへわたり候へ。
ワキ詞  「いかに此の藁屋の内に景清の渡り候ふか。悪七兵衛景清かげきよ。
シテ詞  「かしまし /\さなきだに。故郷の者とて尋ねしを。 此仕儀なれば身を恥ぢて。
      名のらで帰す 悲しさ。千行の悲涙袂を・朽{く}たし。
      「万事 は
      「皆夢の中のあだし身なりと打ち覚め て。
      今は此世になきものと。思ひ切つたる乞食を。
      悪七兵衛景清なんどと。 呼ば此 方が答ふべきか。
      「其上我が名は此国の。
地歌   「日向とは日に向ふ。/\向ひたる名 をば呼び給はで。力なく捨てし梓弓。
      昔 に帰るおのが名の。悪心は起さじと。思 へども又。腹立ちや。
シテ   「処に住みなが ら。
地    「処に住みながら。御扶持ある方々 に。憎まれ申す者ならば。
      たとへに盲の 杖を失ふに似たるべし。片輪なる身の癖 として。
      腹あしくよしなき言事唯許しお はしませ。
シテ   「目こそ闇けれど。
地    「目こ そ闇けれども。人の思はく一言の内に知 る者を。山は松風。
      すは雪よ見ぬ花のさ むる夢の惜しさよ。さて又浦は荒磯によ する波も。
      聞ゆるは。夕汐もさすやらん。 さすがに我も平家なり。
      物語はじめて御 慰みを申さん。
シテ詞  「いかに申し候。唯今はちと心に かゝ る事の候ひて。
      短慮を申して候ふ御免あらうずるにて候。
ワキ詞  「いや/\いつもの 事にて候ふほどに苦しからず候。又我等 より以前に。
      景清を尋ね申したる人はな く候ふか。
シテ   「いや/\御尋より外に 尋ねたる人はなく候。
ワキ   「あら偽を仰 せ候ふや。
      まさしう景清の御息女と仰せられ候ひて御尋ね候ひしものを。
      何とて 御つゝみ候ふぞ。あまりに御痛はしさにこれまで御供申して候。
      急いで父御に御 対面候へ。
ツレ   「なう自こそ是まで参り て候へ。
      恨めしやはる%\の道すがら。 雨風露霜を凌ぎて参りたる志も。
      徒らに なる恨めしや。さては親の御慈悲も。子 によりけるかや情なや。
シテ   「今までは包 みかくすと思ひしに。あらはれけるか露 の身の。
      置きどころなや恥かしや。御身 は花の姿にて。
      親子と名のり給ふならば。殊に我が名もあらはるべしと。
      思ひ切り つゝ過すなり。我を怨と思ふなよ。
地   歌「あ はれげに古は。疎き人をも訪へかしと て恨み譏るその報に。
      正しき子にだにも 訪はれじと思ふ悲しさよ。
 上歌  「一門の船 の内。一門の船の内に肩をならべ膝を組 みて。
      処せく澄む月の。景清は誰よりも 御座船になくてかなふまじ。
      一類その以 下武略さま%\に多けれど。
      名を取楫の 船に乗せ。主従隔なかりしは。さも羨ま れたりし身の。
      麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如くなり
ワキ詞  「いか に景清に申し候。御娘御の御所望の候。
      八島にて景清 の御高名の様が聞しめされたきよし仰せ られ候。
      そと御物語あつて聞かせ申され 候へ。
シテ   「これは何とやらん似合はぬ所 望にて候へども。
      これまで遥々来りたる志にて候ほどに。
      語つ て聞せ候ふべし。 此物語過ぎ候はゞ。
      やがて故郷へ帰して賜はり候へ。
ワキ   「心得申し候。御物語すぎ候はゞ。やがて帰し申さうずるにて候。
シテ語  「いで其頃は寿永三年三月下旬の事 なりしに。平家は船源氏は陸。
      両陣を海 岸に張つて。たがひに勝負を決せんと欲 す。
シテ   「能登守教経宣ふやう。去年播磨の 室山。備中の水島鵯越に至るまで。
      一 度も味方の 利なかつし事。ひとへに義経 が謀いみじきに依つてなり。
      いかにも して九郎を討たん謀こそ有らまほしけれ と宣へば。
シテ詞  「景清心に思ふやう。判官な ればとて鬼神にてもあらばこそ。
      命を捨 てば安かりなんと思ひ。教経に最期の暇 乞ひ。
      陸にあがれば源氏の兵。
      余すま じとて駈け向ふ。
地歌   「景清これを見て。 景清これを見て。物々しやと。夕日影に。
      打物ひら めかいて。切つてかゝればこらへずして。
      刃向いたる兵は四方へばつとぞ逃げにける遁さじと。
シテ   「さもをしや方々よ。
地    「さもをしや方々よ。源平たがひに見る目も恥かし一人を留めん事は。
      案の打物。小脇にかいこんで。なにがしは平家の侍悪七兵衛。
      景清と名のりかけ名のりかけ手取にせんとて追うて行く。
      三保谷が着 たりける。冑の錣を。
      取りはづし取りは づし。二三度逃げのびたれども。
      思ふ 敵なれば遁さじと。飛びかゝり冑をおつ とり。
      えいやと引くほどに錣は切れて。 此方に留れば主は先へ逃げのびぬ。
      遥 に隔てゝ立ち帰りさるにても汝。おそろ しや腕の強きと言ひければ。
      景清は三保 の谷が。頸の骨こそ。強けれと笑ひて。 左右へのきにける。
地謡   「昔忘れぬ物語。衰へはて心さへ。乱れ けるぞや恥かしや。
      此世はとても幾ほど の。命のつらさ末近し。はや立ち帰り亡 き跡を。
      弔ひ給へ盲目の。くらき所の燈 あしき道橋と頼むべし。
      さらばよ留る行 くぞとの。只一声を聞き残すこれぞ親子の。
      形見なるこれぞ親子の形見なる。