藤 戸 (ふじと)
●あらすじ
佐々木盛綱は藤戸の浦の平家との戦いでの軍功により備前の国・児島を与えられる。今日は新領地に初めて乗り込む日。盛綱は「訴訟のある者は何なりと申し出よ」と触れさせる。そこに一人の女が現れ、わが子が海に沈められた恨みを述べようとする。盛綱は慌てて言葉を制す。
この女は、戦の重要な鍵になる浅瀬のありかを教えた漁師の母親だった。仕方なく盛綱はそのときの様子を母親に語って聞かせる。去年3月25日の夜、盛綱は浦の男を呼び、藤戸の海を馬で渡れる浅瀬を聞き出す。盛綱は男の口からこの秘密が他人に知れることを恐れて、男を刺し殺し、海に沈めてしまったのだった。
女はわが子を返せと叫んで激しく盛綱に詰め寄る。前非を悔いた盛綱は遺族の保護を誓い、女を帰し、故人のために管絃講の法要を執り行うことにする。(中入)
読経の声に引かれて漁師の亡霊が現れる。秘密の浅瀬を教えたのに、卑しい者は口が軽く信用できないと刺し殺され、海に沈められた恨みから、怨霊は水神となって盛綱に襲いかかろうとするが、追善供養の功徳によって怒りも解け漁師の霊は成仏する。
●宝生流謡本
内八巻の五 四番目 (太鼓なし)
季節=春 場所=備前国児島 作者=
素謡稽古順稽古順=初伝奥之分 素謡時間=50分
素謡座席順 シテ=前・女 後・母
ワキ=佐々木三郎盛綱
●藤戸合戦
寿永3年(1184)2月7日源 義経に破れた平家は屋島に敗走する。同年12月5日源
範頼は平 行盛を破る(藤戸合戦)はのおりの出来事で、藤戸の先陣の功により、備前の国兒島を賜った佐々木盛綱(ワキ)は、新国主として意気揚々と国入りし、訴訟のある者は申し出よと触れを出す。実はこの先陣の功の陰には若い漁師の犠牲があったのである。盛綱は功を独り占めしようと、先陣の為の浅瀬のあり所を教えてくれた漁師を刺し殺し海に沈めて素知らぬ顔をしていたのだ。この事を知った漁師の母(前シテ)は訴訟の場に現れ、我が子を返せと嘆き訴え、盛綱をギリギリの思いで責める。盛綱もついには隠しきれず、その時の様子を語って聞かせると、母は我が子と同じく殺してくれと更に激しく詰め寄り、はね返されるも、我が子を返せと責め寄り、涙に沈む。さすがに盛綱も哀れと思い、弔いを約束し母を家へ送らせる。無力のままとぼとぼと帰る母の姿…。〈中入〉
盛綱が経をあげ弔っていると、果たして痩せ衰えた漁師(後シテ)が現れ、理不尽に殺された恨みを述べ、刺し殺され海に沈められ苦しむ様を再現してみせるも、やがて弔いの功徳により成仏するのだった。 我が子を殺された母の凝縮度の強い思いと恨みに対し、後シテの思いと恨みは、ワキの成仏がこんな自分の存在の上に成り立っている皮肉さを薄ら笑ってしまう様な空虚なものに思える。加害者であるワキをも哀れんでしまう様な…『藤戸』の盛綱は卑劣なワキか?
『藤戸』は『天鼓』と共に、権力者によって我が子を殺された親を前シテ、その子の亡霊を後シテとしたもので、時代や場所・背景などは違いますが、よく比較されます。 このたびは『藤戸』のワキ・盛綱について、いかにも公正な君主を装うて登場し、シテの一セイによって諦めを強要するがごときは、些かの真剣な反省も罪悪感も見てとることはできないときめつけ、(中略)、
閻盛綱は〈ふびん〉という語を六回も使っています。これを、ほかの謡曲ではどうでありましょうか。
衰え果てた弱法師や、憤死した恋重荷のシテを哀れむワキですら、〈ふびん〉は二回しか使っておらず、はるばる訪ねてきた娘を哀れむ景清は、ふびんを一回しか言っていないのであります。
●能 藤戸物語
うららかな春の日。源氏の武将・佐々木盛綱は藤戸の戦の先陣の功により賜った児島に意気揚々と入部し、訴訟のある者は申し出るようにと触れを出します。すると、さめざめと泣きながら中年の女性が現れ、我が子を海に沈められた恨みを述べます。盛綱はその言葉を制し、訴えを退けようとしますが、せめて弔って欲しいと嘆く母の心を不憫に思い、浦の漁師であった青年を手に掛けた経緯を語るのでした。−去年の三月二十五日の夜、浦の男を一人呼び出し、この海を馬で渡ることの出来る浅瀬を聞き出すと、その男と二人きり、夜の闇に紛れて下見に向かったこと。このことを誰にも知られまいと男を刺し殺し、亡骸を海に沈めたこと−明白になった真実にますます悲しみをつのらせた母は取り乱して、我が子と同じように殺して欲しいと詰め寄ります。 盛綱は弔いを約束し、母は涙ながらに帰って行きます。弔いのうちに現れたのは、亡者となった浦の男の霊。命を奪われ沈められた有り様を生々しく再現し、恨みの余り、水底の悪龍の水神となったものの、遂には弔いの功徳によって成仏して行きます。舞台展開は、〈次第〉の囃子で、佐々木盛綱(ワキ)が郎等(ワキツレ)を従えて登場し、先陣の功で備前の児島を賜った由を述べ、訴訟ある者は名乗り出るようワキツレに触れを出させます。〈一声〉の囃子で、漁師の母(シテ)が登場し、「昔の春に戻りたい」さめざめとシオル(泣くことを表す型)と、ワキは訴訟ある者と見て尋ねます。我が子を海に沈められた恨みのために来たと訴え進み出るシテと、その言葉を遮るワキの緊迫した場面となります。地謡「住み果てぬ・・・」は、子を失った母の悲しみが表現され、心打たれたワキは真相を告白します。〈クセ〉の場面は、子に先立たれ生きる支えを失った母がついには感情の高まるまま「我が子と同じ道になして」(同じ様に殺して欲しい)と詰め寄り、ワキに払い退けられて伏し、「我が子返させ給え」と両手を差し延べる所は、哀惜極まりない母の心情を余すところなく表しています。ワキはシテに弔いと、残された身内を助けることを約束し、下人(間狂言)に家に送るよう命じます。 ワキ・ワキツレが弔ううちに、〈一声〉の囃子で、後シテ(漁師の亡霊)が登場します。薄い水衣に腰蓑という生出は漁師の姿です。杖にすがり、茫々とした黒頭と〈痩男〉の面は、シテが迷える亡者であることを表しています。シテは殺された時の有様を再現して見せます。特に杖を太刀に見立てて突き刺す所、海に沈められて漂う所は具体的な型で表されています。
●『藤戸』の美しさ 金春流 金春康之師
能『藤戸』の作者は、今日不詳とされています。主題や表現・語句などの点で、『天鼓』や『角田川(隅田川)』との関連が指摘され、元雅が作者である可能性もあるようです。世阿弥が推し進めようとした歌舞を中心とする能に対し、劇的で率直な表現で能を作ろうとする個性が感じられます。
この作者が『藤戸』を生み出すにあたっては、『平家物語』がなければなりませんでした。そこに語られた物語にもとづいて、『藤戸』は作られているのです。そこで、まず、『平家物語』の「巻第十 藤戸」を読んでみましょう。 平家の方には五百余艘の兵船にとり乗って、備前の小島につくと聞えしかば、源氏室をたって、是も備前国西河尻、藤戸に陣をぞとったりける。源平の陣のあはひ、海のおもて廿五町ばかりをへだてたり。舟なくしては、たやすうわたすべき様なかりければ、源氏の大勢むかひの山に宿して、いたづらに日数をおくる。夜に入って、佐々木三郎守綱、浦の男をひとりかたらって、この海に馬にてわたしぬべきところやあるととひければ、男申けるは、「浦の者共おほう候へども、案内知ったるはまれに候。此男こそよく存知して候へと申ければ、佐々木なのめならず悦んで、わが家子・郎等にも知らせず、かの男と只二人まぎれ出て、はだかになり、瀬のやうなる所を見るに、げにもいたくふかうはなかりけり。敵矢さきをそろへて待つところに、はだかにてはかなはせ給ふまじ。帰らせ給へ」と申ければ、佐々木、げにもとて帰りけるが、「下揩ヘどこともなき者〈節操ノナイ者〉なれば、又人にかたらはれて案内をもをしへむずらん。我ばかりこそ知らめ」と思ひて、彼男をさし殺し、頸かききって、捨ててんげり。(後略)
(平成22年10月15日 あさかのユーユークラブ
謡曲研究会
藤
戸 (ふじと)
季 春 所 備前国児島
【分類】四番目物(雑能)
【作者】世阿弥元清 典拠 平家物語に拠る
【登場人者】前シテ:漁師の母、後シテ:漁師の亡霊
ワキ>佐々木三郎盛綱
【あらすじ】
源平合戦の時、備前国(岡山県)藤戸の合戦で、先陣の功のあった佐々木盛綱は、恩賞によりその辺りの土地を賜わり、新領主としてお国入りします。そして、まず領民の声を聞くべく、訴えのある者は申し出るように、従者に触れさせます。すると、一人の老婆がやって来て、罪もない我が子が、盛綱に殺された恨みを述べます。盛綱は一度は否定しますが、老婆の激しい追及と嘆きに、隠し切れず、去年3月の藤戸の合戦の折、手柄を立てようと、土地の漁師に浅瀬を聞き出しますが、他の者にも同じように教えられることを恐れて、その男を殺したことを告白します。そして、その時の様子を語り、その男を沈めた場所を話します。老婆は悲しみを新たにし、親子の情を述べ、自分も殺してほしいと詰め寄ります。盛綱は前非を悔いて、老婆を慰め、下人に命じて自宅まで送らせます。
詞章 (胡山文庫)
次第
ワキ
上 春の湊の行く末や春の湊の行く末や藤戸の渡りなるらん
ワキ 詞「是は佐々木の三郎盛綱にて候。さても今度藤戸の先陣を仕りし其の御恩賞に。
児島を賜はつて候。今日は吉日にて候ふほどに。唯今入部仕り候。
道行上 秋津洲の波静かなる島廻り。/\。
松吹く風も長閑にて実に春めける朝ぼらけ。船も道ある浦づたひ。
藤戸に早く 着きにけり/\。
シテ 上 老の波。越えて藤戸の明暮に。昔の
春の。帰れかし。
ワキ 詞「不思議やなこれなる女の。訴訟ありげに。
某を見てさめざめと泣くは何事にてあるぞ。
シテ カカル上 海士の刈る藻に住む虫の我からと。音をこそ泣かめ世をばげに。
何か恨みんもとよりも。
因果の廻る小車の。やたけの人の罪科は。
皆報ぞといひながら。我が子ながらも余り実に。科も例も波の底に。
沈め給ひし御情なさ。申すにつけて便なけれども。御前に参りて。さもろふなり。
ワキ 詞「何と我子波に沈めし恨とは更に心得ず。
シテ 詞「さてなう我が子を波に沈め給ひしことは候。
ワキ 詞「あゝ音高し何と/\。
シテ 上 なう猶も
人は知らじとなう。中々にその有様を現して。
跡をも弔ひ又は世に。生き残りたる母が身をも。
訪ひ慰めてたび給はゞ。少しは恨も晴るべきに。
地 下 いつまでとてかしのぶ山。忍ぶかひなき世の人の。
あつかひ草も茂きものを何と隠し給ふら
ん。
(小謡 住み果てぬ カラ 跡弔はせ給へや マデ )
上 住み果てぬ。此世は仮の宿なるを。/\。親子とて何やらん。幻に生れ来て。
別るれば悲の。思は世々を引く絆となつて苦の。
海に沈め給ひしをせめては弔はせ給へや。跡弔はせ給へや。
ワキ 詞「言語道断。かゝる不便なる事こそ候はね。其時の有様語つて聞かしょう。
近う寄つて聞き候へ。
(独吟 さても去年三月 カラ あはれなりけれ マデ )
語 さても去年三月二十五日の夜に入りて。浦の男を一人近づけ。
此海を馬にて渡すべき処やあると尋ねしに。彼の者申すやう。
さん候河瀬の様なる所の候。月頭には東にあり。月の末には西にあると申す。
即ち八幡大菩薩の御告と思ひ。家の子若党にも深く隠し。
彼の者と唯二人夜に紛れ忍び出で。浅みの通りをよっく見置きて帰りしが。
盛綱心に思ふやう。いやいや下郎は筋なき者にて。又もや人に語らんと思ひ。
不便には存じしかども。取つて引き寄せ二刀さし。其まゝ海に沈めて帰りしが。
さては汝が子にてありけるよな。よし/\何事も前世の事と思ひ。今は恨を晴れ候ヘ。
シテ 詞「さてなう我が子を沈め給ひし。在所は取り分き何処の程にて候ふぞ。
ワキ 詞「あれに見えたる浮洲の岩の。少し此方の水の深みに。死骸を深く隠しゝなり。
シテ 下 さては人の申しゝも。少しも違はざりけり。あの辺ぞとゆふ波の。
ワキ 上 夜の事にて有りし程に。人は知らじと思ひしに。
シテ 上 やがて隠はなき跡を。
ワキ 上 深く隠すと思へども。
シテ 上 好事門を出でず。
地 上 悪事千里を行けども。子をば忘れぬ親なるに。失はれ参らせし。子はそも何の報ぞ。
(独吟 げにや人の親の カラ あはれなりけれ マデ )
クセ下 げにや人の親の。心は闇にあらねども子を思ふ道に迷ふとは今こそ思ひ知られたれ。
もとよりも定なき。世の理はまのあたり。老少不定の境なれば。若きを先立てゝ。
つれなく残る老鶴の。眠の中なれや。夢とぞ思ふ親と子の。
はたち余の年並かりそめに立ち離れしをも。待ち遠に思ひしに。又いつの世に逢ふべき。
シテ 上 世に住めば。憂き節繁き河竹の
地 上 杖柱とも頼みつる。海士の此世を去りぬれば。今は何にか命の露を懸けてまし。
ありがひも有らばこそとてもの憂き身なるものを。亡き子と同じ道になしてたばせ給へと。
人目も知らず臥し転び。我が子返させ給へやと。現なき有様を見るこそあはれなりけれ。
ワキ 詞「あら不便や候。今は恨みてもかひなき事にてあるぞ。彼の者の跡をも弔ひ。
又妻子をも世に立てうずるにてあるぞ。まづ我が屋に帰り候へ。
いかに誰かある。彼の者を私宅へ送り候へ。
中入 狂言シカ%\
(囃子 さまざまに カラ 身とぞなりにける マデ )
ワキ 待謡上 さまざまに
弔ふ法の声立てて。/\。波に浮寝のよるとなく昼とも分かぬ弔の。
般若の船の。おのづから。其纜(トモヅナ)をとく法の。心を静め声を上げ。
下 一切有情。殺害三界不堕悪趣。
後シテ、サシ上 憂しや思ひ出でじ。忘れんと思ふ心こそ。忘れぬよりは思なれ。
さるにても身はあだ波の定なくとも。科によるべの水にこそ。濁る心の罪あらば。
重き罪科も有るべきに。よしなかりける。海路のしるべ。思へば三途の。瀬踏なり。
ワキ カカル上 不思議やな早明方の水上より。怪したる人の見えたるは。
彼の亡者もや見ゆらんと。奇異の思をなしければ。
(連吟 御弔は カラ 身とぞなりにける マデ )
シテ 詞「御弔は有難けれども。恨は尽きぬ妄執を。申さん為に来りたり。
ワキ カカル上 何と恨をゆふ月の。その夜に帰る浦波の。
シテ 中 藤戸の渡教へよとの。仰もおもき岩波の。
ワキ 上 河瀬のやうなる浅みの通を。教へしまゝに渡りしかば。
シテ 上 弓矢の御名を揚ぐるのみか。
ワキ 上 昔より今に至るまで。馬に海を渡す事。
シテ 上 稀代の例なればとて。
ワキ 上 此島を御恩に賜はる程の。
シテ 上 御よろこびも我故なれば。
(囃子 いかなる恩をも カラ 身とぞなりにける マデ )
ワキ 上 いかなる恩をも。
シテ 上 給ぶべきに。
(仕舞・独吟 思の外に カラ 身とぞなりにける マデ )
地 上 思の外に一命を。召されし事は馬にて。海を渡すよりも。これぞ稀代の例なる。
さるにても忘れがたや。あれなる。浮洲の岩の上に我を連れて行く水の。
氷の如くなる刃を抜いて。胸のあたりを刺し通し。刺し通さるれば肝魂も、
消え/\と。なる所を。其まま海に押し入れられて。千尋の底に沈みしに。
シテ 下 をりふし引く汐に。
地 下 をりふし引く汐に。引かれて行く波の浮きぬ沈みぬ埋木の岩の。
はざまに。流れかゝつて。藤戸の水底の。悪竜の。水神となつて恨を為さんと思ひしに。
思はざるに。御弔の。御法の御船に法を得て。即ち弘誓の。船に浮べば。水馴棹。
さし引きて行く程に。生死の海を渡りて願のまゝに。やす/\と。
彼の岸に。いたり/\て。彼の岸にいたり/\て。
成仏得脱の身となりぬ成仏の。身とぞなりにける。
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