梅 枝 (うめがえ)

●あらすじ
 津の国住吉で僧は一夜の宿を借りる。その家には雅楽の太鼓と舞の衣装があり、主の女人は、楽人を争って敗れた夫の形見と説明する。その夜形見を纏った女人が現れて、舞を舞い、自分と夫の供養を頼み去って行く。 (宝生能楽堂 H18/10/25)能「梅枝」 シテ金井雄資

●宝生流謡本(参考)  内七巻の四   四番目 (太鼓なし)
    素謡 : 季節=秋  場所=摂津国住吉    稽古順=初序 素謡時間=44分
    素謡座席順       ワキヅレ=従 僧  
                  シテ=前・里 女 後・富士の妻  
                  ワキ=旅 僧   

●曲目の解説
能「梅枝」   
『梅枝』と『富士太鼓』、この二曲には浅間、富士というふたりの楽人の名前が出てきます。富士に浅間、どちらも日本を代表する火山です。作品が作られた当時、二つの山はどのような噴火活動をしていたのでしょうか。能『富士太鼓』では、「信濃なる、浅間の嶽も燃ゆるといへば、富士の煙のかひや無からん」とあり、浅間山が富士山より激しく噴火していたと推察できます。富士や浅間の名前を使っての作者の工夫は大変興味あるものです。 さて『梅枝』は『富士太鼓』の後日談の能です。『富士太鼓』が4番目狂女物の現在物の分類に対して、『梅枝』はシテが富士の妻の幽霊として恋慕の情に苦しむ懺悔物語で、三番目物に近い夢幻能の作風となっています。これらの二つの作品は共通する一つの事件が引きがねとなって展開します。
95代花園天皇(1294〜1348)(萩原の院)の御代、内裏にて管絃が催されることになり、国々の役者に勅命が下ります。中でも太鼓の役は天王寺の浅間に勅命が下りますが、住吉の楽人、富士は自慢の腕前からか自ら望んで参内してしまいます。天皇は二人の太鼓を聞き比べ、富士も上手だがやはり浅間の方が上だと賛美したため、まわりの人々は以後、富士が上手と言わなくなりました。もしここまでの話で殺害事件が起きたと聞かされたら、誰もが富士が自分の負けを恨み、ライバルの浅間を殺害したと思うでしょう。しかし事件の真相は浅間が富士を殺害するという思いもよらない展開となります。『梅枝』のシテの語りに「浅間、富士とも内裏の管絃の役を争い、互いに都に上り、富士がこの役を賜ったのを浅間が安からずに思い、富士を討った」と語りますが、これは被害者、富士の妻側からの一方的な訴えで、富士が役を賜ったという事実はないのです。では実際はどうであったのか、気になるところです。喜多流の『富士太鼓』のワキの名乗りには、浅間が富士を討った理由がはっきりせず、聞きなれた下掛宝生流の詞章でも謎は解けません。浅間が勅命という大義名分での参内だったのに対し、富士は所望されていない身でありながらの身勝手な図々しい参内です。この身分不相応の態度、そしてそのような相手と内裏で役を争わなくてはならなかった屈辱感、これらのことで殺意に及んだとなると、浅間という人物は随分短気で、乱暴な男と解釈せざるを得ません。天皇から認められた浅間なのです、勝者なのにと、私はどうも腑に落ちないのです。
先日喜多流自主公演(平成15年4月、シテ中村邦生氏)の『梅枝』で、大蔵吉次郎氏の間語(あいがたり)が、これらの謎を一掃してくれるものでありました。
大蔵流の語りには大事な一言が語られていました。それは浅間が召されたあとの富士の言動、「富士、散々にいいなしければ」の一言です。天皇からお呼びがかかった役者でもないのに図々しく参内し、その上負けの裁定を受けながらもなお、「浅間などたいした楽人ではない、本当は自分の方が上手なのだ、本当の勝者は私だ」などと吹聴する富士、さすがの浅間もこれを聞いては怒りが爆発し殺害に及んだと語ります。ここに、天皇が浅間の勝ちと認めているにもかかわらず、事件を起こさざるを得なかった根拠がはっきりと語られています。
シテ方はともすると謡本の詞章からのみ作品を読み込んでしまいがちです。ワキやアイのお話や詞章をうかがうことで、取りこぼしたことなどを再発見することがあります。これらは作品全体を把握する上で大事なことです。今回の大蔵吉次郎氏の間語は私にとってこの曲の事件の全容を理解する有意義な一言でした。『梅枝』は羯鼓台に舞衣を掛けるために支えの棒をとりつける特異な曲です。昔は中入りで舞衣を外すときに、支えの棒も一緒に取り外していましたが、昨今支えている棒はそのまま付けた状態で演じられています。先日もそうでしたが、私は舞衣がとられた後の羯鼓台の景色が気になります。演者側からみて右に一本張り出た棒が妙に気になって仕方がありません。羯鼓台は左右対称であってほしいので張り出す棒も左右均等にし、装飾を施すなど、見栄えもよく、舞台進行上、見劣りがしないやり方があるはず、新たな規格を考慮してもよいのではと思えるのです。次回には改善したい個所だと思っています。
『梅枝』を演じる難しさは、しっとりとした夢幻能の世界を作ることです。楽というやや明るくなりがちな舞を恋慕の思い深く静々と舞う、「『梅枝』の楽は序之舞を舞うように」が心得です。『梅枝』という曲名は「梅が枝にこそ、鴬は巣をくえ」と囃される越天楽より名付けられました。しっとりとした曲(クセ)からロンギへ、そして楽(がく)となって、終曲では夢幻能の代表曲、『井筒』の最後を思わせるような節と型、共通するものを持っています。
喜多流での『梅枝』上演の歴史は祖父益二郎の名演から始まります。伯父新太郎も祖父の名演で刺激されたのか、一時志しましたが、ついに演じることはありませんでした。その後、昭和54年当時の喜多例会にて父、粟谷菊生が久々に演じ、それ以来たびたび上演されるようになりました。昔この名曲が何故封をされていたのかはここでは語りませんが、祖父、父の上演を機に『梅枝』が世に出たことは、たいへんすばらしいことだと思い、嬉しい限りです。『梅枝』と『富士太鼓』、共に名曲です。私自身は『梅枝』を平成6年、妙花の会にて、『富士太鼓』を平成13年、粟谷能の会にて勤めました。これらを演じてはじめて、それぞれの曲の持つすばらしさとテーマが私の心に残りました。       粟谷能の会 - 『梅枝』と『富士太鼓』の比較、そして「富士殺害事件の真相」
                        (平成15年5月 記)

●参考 梅について                   
「梅」(ウメ)
バラ科サクラ属の落葉高木。中国原産。古くわが国に渡来。樹皮は黒褐色。早春、葉に先立って開く花は、5弁で香気が高く、平安時代以降、特に香を賞で、詩歌に詠まれる。花の色は白・紅・薄紅、一重咲・八重咲など多様。果実は梅干或いは梅漬とし、木材は器物とする。未熟の果実を生食すると、屡々有毒。
ブンゴウメ・リョクガクバイなど品種多数。好文木コウブンボク。
「梅 枝」(ウメガエ)の文言がある資料
@源氏物語の巻名。
A催馬楽サイバラの曲名。
B能の一。現在能の「富士太鼓」と同じ主題の妻の悲しみを夢幻能の形式で描く。
C箏曲の一。組歌。八橋検校作曲。表組オモテグミ。「千鳥の曲」「嵐の曲」とも。
 参考:小学館発行「万有百科大事典」ほかより

(平成22年1月8日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


            通  盛 (みちもり)

         季  夏      所 阿波国鳴門     素謡時間 43分
  【分類】二番目物 
  【作者】世阿弥元清   典拠:平家物語、源平盛衰記
  【登場人物】前シテ:漁翁、後シテ:平 通盛  ツレ:女  ワキ:旅僧 

     通盛詞章                            (胡山文庫)

ワキ    詞「是は阿波の鳴門に一夏{いちげ}を送る僧にて候。扨も此浦は。
         平家の一門はて給ひたる処なれば痛はしく存じ。
         毎夜此磯辺に出でて御経を読み奉り候。
         唯今も出でて弔ひ申さばやと思ひ候。
      上 磯山に。暫し岩根のまつ程に。/\。
         誰が夜舟とは白波に。楫音ばかり鳴門の。浦静かなる。今宵かな。
ツレ サシ上 すは・遠山寺{とほやまでら}の鐘の聲。この磯辺近く聞え候。
シテ   上 入相ごさめれ急が給へ。
ツレ    上 程なく暮るゝ日の数かな。
シテ    上 昨日過ぎ。
ツレ    上 今日と暮れ。
シテ   上 明日またかくこそ有るべけれ。
ツレ    上 されども老に頼まぬは。
シテ   上 身のゆくすゑの日数なり。
シテツレ 上 いつまで世をばわたづみの。あまりに隙も波小舟。
ツレ    上 何を頼に老の身の。
シテ    上 命のために。
シテツレ 上 使ふべき。

   (小謡 うきながら ヨリ  悲しき マデ )

地     上 うきながら。心のすこし慰むは。/\。月の出汐の海士小舟。
         さも面白き浦の秋の景色かな。処は夕浪の。鳴門の沖に雲つゞく。
         淡路の島や離れ得ぬ浮世の業ぞ悲しき浮世の業ぞ悲しき。
シテ サシ上 暗濤月を埋んで清光なし。
ツレ    上 舟に焚く海士の篝火更け過ぎて。
シテツレ  上 苫よりくゞる夜の雨の。芦間に通ふ風ならでは。音する物も波枕に。
         夢か現か御経の声の。嵐につれて聞ゆるぞや。・
         楫音{かぢおと}を静め唐櫓を抑へて。聴聞せばやと思ひ候。
ワキ    上 誰そや此鳴門の沖に音するは。
シテ    上 泊定めぬ海士の釣舟候ふよ。
ワキ    上 さもあらば思ふ子細あり。この磯近く寄せ給へ。
シテ    上 仰に随ひさし寄せ見れば。
ワキ    上 二人の僧は巖の上。
シテ    上 漁の舟は岸の陰。
ワキ    上 芦火の影を仮初に。御経を開き読誦する。
シテ    上 有難や漁する。業は芦火と思ひしに。
ワキ    上 善き燈火に。
シテ    上 鳴門の海の。
シテワキ  下 弘誓深如海歴劫不思議の機縁によりて。五十展転の随喜功徳品。

   (小謡 げにありがたや ヨリ  有難き マデ )

地     下 げにありがたやこの経の。面ぞくらき浦風も。芦火の影を吹き立てゝ。
        聴聞するぞありがたき。

   (小謡 竜女変成と ヨリ  お経あそばせ マデ )

      上 竜女変成と聞く時は。/\。姥も頼もしや祖父はいふに及ばす。
        願も三つの車の芦火は清く明かすべしなほ/\
         お経遊ばせなほ/\お経あそばせ。
ワキ    詞「あら嬉しや候。火の光にて心静に御経を読み奉りて候。先々此浦は。
         平家の一門果て給ひたる処なれば。毎夜此磯辺に出でて御経を読み奉り候。
         取り分き如何なる人此浦にて果て給ひて候ふぞ委しく御物語り候へ。
シテ    詞「仰の如く或は討たれ。又は海にも沈み給ひて候。中にも小宰相の局こそ。
         や。もろともに御物語り候へ。
ツレ    上 さる程に平家の一門。馬上を改め。海士の小船に乗りうつり。
        月に棹さす時もあり。
シテ サシ上 こゝだにも都の遠き須磨の浦。
シテツレ  下 思はぬ敵に落されて。げに名を惜む武士の。おのころ島や淡路潟。
         阿波の鳴門に着きにけり。
ツレ    下 さる程に小宰相の局乳母を近づけ。
シテツレ  下 いかに何とか思ふ。我頼もしき人々は都に留まり。通盛は討たれぬ。
         誰を頼みてながらふべき。此海に沈まんとて。
         主従泣く/\手を取り組み舟端に臨み。
ツレ    下 さるにてもあの海にこそ沈まうずらめ。
地     下 沈むべき身の心にや。涙の兼ねて浮ぶらん。
       上 西はと問へば月の入る。/\。其方も見えず大方の。
         春の夜や霞むらん涙もともに曇るらん。乳母泣く/\取り付きて。
         此時の物思君一人に限らず思し召し止り給へと。
         御衣{おんきぬ}の袖に取り付くを。振り切り海に入ると見て老人も同じ満汐の。
         底の水屑となりにけり/\。
ワキ 待謡上 此八軸の誓にて。/\。一人も洩らさじの。方便品を読誦する。
ワキ    下 如我昔所願。
後シテ   上 今者已満足。
ワキ    上 化一切衆生。
地     上 皆令入仏道の。通盛夫婦。御経に引かれて。立ち帰る波の。
         あら有難の。御法やな。
ワキ カカル上 不思議やなさも艶めける御姿の。波に浮びて見え給ふは。
         いかなる人にてましますぞ。
ツレ    上 名ばかりはまだ消え果てぬあだ波の。阿波の鳴門に沈み果てし。
         小宰相の局の幽霊なり。
ワキ カカル上 今一人は甲胃を帯し。兵具いみじく見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ    上 今はなにをか包むべき。これは生田の森の合戦に。名を天下に掲げ。
地     上 武将達し誉を越前の三位通盛。昔を語らん其為に。これまで現れ出でたるなり。

   (独吟 そも/\此一の谷と ヨリ  後髪ぞ引かるゝ マデ )
   (囃子 そも/\此一の谷と ヨリ  有難き マデ )

地   サシ上 そも/\此一の谷と申すに。前は海。上は険しき鵯越。
         まことに鳥ならでは翔り難く獣も。足を立つべき地にあらず。
シテ    上 唯幾度も追手の陣を心もとなきぞとて。
地     下 宗徒{むねと}の一門さし遣はさる。通盛も其随一たりしが。
         忍んで我が陣に帰り。小宰相の局に向ひ。
    クセ下 既に軍。明日にきはまりぬ。
         痛はしや御身は通盛ならで此うちに頼むべき人なし。
         我ともかくもなるならば。都に帰り忘れずは。亡き跡弔ひてたび給へ。
         名残をしみの御盃。通盛酌を取り。指す盃の宵の間も。転寝なりし睦言は。
         たとえば唐土の。項羽高祖の攻を受け。数行虞氏が。
         涙も是にはいかで増るべき。燈火暗うして。月の光にさし向ひ。語り慰む所に。

   (囃子 舎弟の ヨリ  有難き マデ )

シテ    上 舎弟の能登の守。
地     上 早甲胃をよろひつゝ。通盛は何くにぞ。など遅なはり給ふぞと。
         呼ばはりし其声の。あら恥かしや能登の守。我が弟といひながら。
         他人より猶恥かしや。暇申してさらばとて。行くも行かれぬ一の谷の。
         所から須磨の山の。後髪ぞ引かるゝ。    カケリ
シテ    詞「さる程に合戦も半なりしかば。但馬の守経政も早討たれぬと聞ゆ。
ワキ    上 さて薩摩の守忠度の果はいかに。
シテ    下 岡部の六弥太。
      詞「忠澄と組んで討たれしかば。

   (仕舞 あつぱれ通盛も ヨリ  有難き マデ )

         あつぱれ通盛も名ある侍もがな。
地     上 近江の国の住人に。/\。木村の源吾重章が鞭を上げて駈け来る。
         通盛少しも騒がず。抜き設けたる太刀なれば。
         兜の真向ちやうと打ち返す太刀にてさし違へ共に修羅道の苦を受くる。
         憐を垂れ給ひ。よく弔ひてたび給へ。
地   キリ下 読誦の声を聞く時は。/\。悪鬼心を和らげ。忍辱慈悲の姿にて。
         菩薩もこゝに来迎す。成仏得脱の。身となり行くぞ有難き/\。


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