大原御幸(おはらごこう)

●あらすじ
三番目物。五流現行曲。喜多流は「小原御幸」と表記する。作者不明。『平家物語』のフィナーレを忠実に舞台化した能。一門の滅亡を体験した建礼門院(けんれいもんいん)(シテ)は、2人の尼とともに寂光院(じゃっこういん)に仏門修行の日々を送っている。舅(しゅうと)にあたる後白河(ごしらかわ)法皇(ツレ)が万里小路中納言(までのこうじちゅうなごん)(ワキ)を従えて訪れた初夏の日、女院は天上、人間、修羅(しゅら)、畜生(ちくしょう)、餓鬼(がき)、地獄の六道(ろくどう)のすべてにわたる体験と、わが子である先帝の最後を涙ながらに物語る。やがて女院は法皇の還幸を庵(いおり)の柱にすがって見送る。高貴の女性をシテとする幽玄能でありながら、まったく舞の要素がない異色の能。とくに品格を要することから『楊貴妃(ようきひ)』『定家(ていか)』とともに三婦人の能とよばれ重く扱われる。           [ 執筆者:増田正造 ]

●宝生流謡本 (参 考)    内七巻の三    三番目  (太鼓なし)
    素謡 : 季節=春   場所=山城国大原  稽古順=奥伝  素謡時間70分
    素謡座席順   シテ=前・老翁 後・忠度   
              ワキ=旅僧

●観能記
大原御幸 <宝生流>出演者   田崎甫、近藤敏克、田崎隆三 他   11/11/06 
久しぶりに能を見てきた。叟の会による宝生能楽堂での公演で『大原御幸』である。能というのは確かに他の演劇とは異なるように感じられる。もっともその違いは相対的なもに過ぎないが。というのは能の登場人物は常に大きな問題あるいは意識を持っており、観客もそれを知っているのだ。能というのは光の焦点のようにあらゆる意識が舞台の上でぶつかる。その過去も未来も広がっているのだ。それゆえ登場人物は多くを語ることなく、濃密な劇的空間を生み出せるのではないだろうか。ちなみに、この能は『平家物語』の『灌頂巻』に題材をとっている。
主人公は建礼門院徳子(女院)、先帝、安徳帝の生母である。壇ノ浦の合戦で大敗した平家一門は、次々の海に飛び込み自死を選んだ。安徳帝も侍女に抱かれ海へと消えた。その後を追った女院は偶然にも、あるいは不覚にも源氏方に救助されてしまう。その後都に移された女院は人里はなれた洛北・大原の里にある寂光院の粗末な草庵で、平家一門の御菩提を弔いながら時を過ごしている。そんな折、81代安徳帝(1178〜1185享年8歳)の祖父でもある、後白河法皇(1127〜1192享年66歳)が女院を訪ねてきた。法王はこの寂れた様子や女院の変りように驚きながらも、女院に壇ノ浦の合戦の様子を聞いた。女院は請われるままに話す。やがて、法王は還行し、女院はしばらく見送っていたが、やがて草庵に帰って行った。
 『大原御幸』は、ある意味地味な能である。舞が出てくるわけでもないし、非常に押さえられた演出なのだ。また、主人公が女性のためか非常に女性的な繊細さを持っている。例えば侍女たちの立ち振る舞いや、謡のトーンも繊細で女性性を感じさせる。しかし、それ以上に女院の置かれた立場に思いを馳せなければならない。「生きながらに六道」を巡ぐってしまい、死ぬことさえできなかった、という思い。そのような経験をした女院に対する共感なしには、この能は成り立たない。仏教に帰依することは慰めではあったにしろ、それで救われるわけではない。具体的に女院の苦悩が語られることはないが、それにもかかわらず、観客も女院の気持ちをともに感じるのである。平家の滅亡という大きな出来事に正面から取り扱うのではなく、後日談ともいえる話を淡々と語る。非常に深い話である。いつものことだが、拍手が気になる。
ある演者は幕に入ってからにして欲しいといっていたが、拍手は共感の気持ちを断ち切ってしまう。         

●解 説
壇ノ浦の合戦で平家一門が滅んだ後、先帝・安徳帝の生母・徳子は出家して建礼門院と名を改めて、亡き帝や一門の御菩提を弔う為、 洛北・大原の里にある寂光院にて御遁世されていました。
寂光院では女院(建礼門院)と大納言ノ局、阿波ノ内侍(ないし)の三人の侘しい草庵住まいで、都からの便りもまれです。翌年の春の終わり(文治二年・1186年)、後白河法皇は万理小路(までのこうじ)中納言を従えて大原へ御幸(みゆき)されます。 臣下のものは従者に命じ、山道は清められ、法皇の御幸が告げられした。 大原の里はホトトギスの鳴くなかに夏草が青々と茂り、池の中島の松に架かった藤の花は咲き誇り、岸には青葉混じりの遅桜に山吹の 花が咲き乱れる美しい風情でした。 法皇は辺りの景色の美しさを称え、歌を詠まれました。   
         池水に 汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛りなりけれ
 女院の草庵は軒に蔦や朝顔が絡みつき、扉は朽果てたような様の、物寂しいお堂です。法皇が御声を掛けられますと暫くして老いた尼僧が出て来ました。 ちょうど女院と局は仏前に供える為の樒(しきみ)や御花、食用の蕨などを採りに、花籠を手に山へと出られた後との事でした。 
暫くすると、柴を抱えた局と共に花籠を携えた女院の姿が見えま した。 余りにも変わり果てたその姿に、法皇は尼僧に 「あのもの達は如何なる人か」とお尋ねになりました。 
 女院は法皇の突然の御幸(みゆき)に驚き、自分のこのような姿を恥じながら、ただでさ え忘れ難いこの世に一層の執着を覚えてしまう 事を憂い、またこの御幸の事が人の噂に上ることを思うと、辛さに袖が涙で濡れるのでした。 それでも、今では同じ佛道の身にあることを頼みとして、涙を抑えて御庵室に入られました。  
        思はずも 深山の奥の住まひして 雲居の月をよそに見んとは
女院は御幸を有難く思い、礼を述べ、法皇のお尋ねのままに語られました。生きながらに六道を巡りその様をご覧になったことや、西海での一門の最後、二位殿と先帝の入水の有様を語ると共に、ご自分も続いて 入水したにもかかわらず源氏方に引き上げられ、心ならずも生き永らえてこうして涙で袖を濡らしていることを恥じ入られます。
やがて名残の尽きぬままに法皇は還行されました。女院は庵の門に佇み、暫くの間お見送りされ、やがて御庵室へと入られました。

    寂光院 ・・・ 聖徳太子創建と伝えられる、在所は左京区大原草生町
    安徳帝 ・・・ 高倉天皇の第一皇子、寿永四年(1185年)壇ノ浦にて入水、享年7歳
    建礼門院 ・・・平 清盛の二女・徳子、15歳で入内16歳で中宮となる。享年37歳
    大納言ノ局・・・五条大納言・藤原 邦綱の養女・輔子、平 重衡の妻、安徳帝の乳母
    阿波ノ内侍・・・藤原通憲(信西・後白河法皇の側近)の娘 (貞憲の娘という表記もある)
    二位殿 ・・・ 平 清盛の妻・時子
    
 女院・徳子(1155〜1191)、にとって、天子の生母となったことで「天上界」、又「人間界」には様々な苦しみがありますが愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)、怨憎会苦(憎い者に会う苦しみ)は特に思い知らされました。西海に舟で漂い水も飲めぬ有様は「餓鬼道」、 眼前で繰り広げられた戦は「修羅道」、21歳で入水し人々の叫び声うめく様 は「地獄界」、戦場での駒の行きかう蹄の音はさながら「畜生道」であったということです。 六道とは、衆生が業因により死後に赴くとされる六つの境界(道)をいう。
<天上、人間(善道)・修羅、畜生、飢餓、地獄(悪道)>

(平成22年8月17日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                  大原御幸 (おはらごこう)

         季 春      所 山城国大原     素謡時間 74分
  【分類】三番目物 
  【作者】世阿弥元清   典拠:平家物語、灌頂巻に拠る
  【登場人物】 シテ:建礼門院、 ツレ:後白河法皇、ツレ:阿波内侍、ツレ:大納言局
             ワキ:万里小路中納言  ワキズレ:大臣

         詞 章                  (胡山文庫)

ワキズレ  詞「これは後白河院に仕へ奉る臣下なり。
         扨も此度先帝二位殿を始め奉り。平家の一門長門の国早鞆の沖にして。
         ことごとく果て給ひて候。女院も御身を投げさせ給ひ候ふを取り上げ奉り。
         かひなき御命たすかりおはしまし候。
         三河の守範頼九郎太夫の判官義経兄弟供奉し申し。
         三種の神宝事故なく都に納まり給ひ候。
         さるほどに女院は都にうつらせ給ふべかりしを。先帝安徳天皇の御菩提。
         並びに二位殿の御跡御弔のため。大原の寂光院に浮世をいとひ御座候ふを。
         法皇御幸をなされ。御訪あるべきとの勅諚にて候ふ間。
         御幸の山路をも申しつけばやと存じ候。
         いかに誰かある。大原へ御幸あるべきなれば。
         行幸の道をもつくりその清を仕り候へ。
シテ  サシ上 山里はもののさびしき事こそあれ。世の憂きよりは中々に。
         住みよかりける柴の枢。都の方の音信は。
         間遠に結へる笆垣や憂き節繁き竹柱。立居につけて物思へど。
         人目なきこそ安かりけれ。
地     下 折々に心なけれど訪ふものは。

   ( 小謡 賎が妻木の ヨリ  うるほふ袖の涙かな マデ )

地     上 賎が妻木の斧の音。/\。梢の嵐猿の声。これらの音ならでは。
         正木のかづら青つゞら来る人稀になりはてゝ。草顔淵が巷に。
         繁き思の行方とて。雨原憲が枢とも湿ふ袖の。涙かなうるほふ袖の涙かな。
シテ    詞「いかに大納言の局。後の山に上り樒を摘み候ふべし。
局     詞「わらはも御供申し。妻木蕨を折り供御にそなへ申し候ふべし。
シテ  サシ上 譬へは便なきことなれども。悉達太子は浄飯王の都を出で。
         檀特山の嶮しき道を凌ぎ。菜摘み水汲み。薪。
地     下 とり%\様々に難行し仙人に仕へさせ給ひて。終に成道なるとかや。
         我も仏の為なれば。御花筐取り%\なほ山深く入り給ふなほ山深く入り給ふ。
                中入。
ワキワキツレ一セイ上 九重の花の名残を尋ねてや。青葉を慕ふ。山路かな。
    次第上 分けゆく露もふかみ草。/\。大原の御幸急がん。
ワキ    詞「行幸をはやめ申し候ふ間。大原に入御候。
ワキ カカル上 かくて大原に行幸なつて。寂光院の有様を見わたせば。
         露むすぶ庭の夏草しげりあひて。青柳糸を乱しつゝ。池の浮草波にゆられて。
         錦をさらすかと疑はる。岸の山吹咲き乱れ。八重立つ雲の絶間より。
         山時鳥の一声も。君の御幸を。待ち顔なり。
法皇    下 法皇池の汀を叡覧あつて。池水に。汀の桜ちりしきて。波の花こそ。
         盛なりけり。

   ( 独吟 ふりにける ヨリ  物すごや マデ )

地     上 ふりにける岩のひまより落ちくる。/\。水の音さへよしありて。
         緑蘿の垣翠黛の山。絵にかくとも。筆にも及びがたし。一宇の御堂あり。
         甍破れては霧不断の香を焼き。とぼそ}落ちては月もまた。
         常住の灯をかゝぐとはかゝる所かものすごやかゝる所か物すごや。
ワキ    詞「これなるこそ女院の御庵室にてありげに候。
      下 軒には蔦朝顔はひかゝり。れいじょお深くとざせり。あら物すごの気色やな。
       詞「いかにこの庵室の内へ案内申し候。
内侍    詞「誰にてわたり候ふぞ。
ワキ    詞「これは万里の小路の中納言にて候。
内侍    詞「それはさて人目まれなる山中へは。何とて御わたり候ふぞ。
ワキ    詞「さん候女院の御住居御訪のために。法皇これまで御幸にて候。
内侍    詞「女院は上の山へ花つみに御いでにて。今は御留守にて候。
ワキ    詞「御幸のよし申して候へば。女院は上の山へ花つみに御いでにて。
         今は御留守のよし候。暫くこの処に御座をなされ。
         御かへりを御待あらうずるにて候。
法皇    詞「やあいかにあの尼前。汝はいかなる者ぞ。
内侍    詞「げに/\御見忘は御ことわり。これは信西が娘。
         阿波の内侍がなれる果にてさぶらふ。
       下 かくあさましき姿ながら。明日をも知らぬこの身なれば。
         恨とは更に思はずさぶらふ。
法皇    詞「女院はいづくに御渡り候ふぞ。
阿波内侍  詞「女院は上の山へ花つみに御いでにて候。
法皇    詞「さて御供には。
内侍    詞「大納言の局。今少し待たせおはしまし候へ。やがて御帰にて候ふべし。
後シテ サシ上 昨日もすぎ今日もむなしく暮れなんとす。明日をも知らぬ此身ながら。
         唯先帝の御面影。忘るゝ隙はよもあらじ。極重悪人無他方便。
         唯称弥陀得生極楽。主上を始め奉り。二位殿一門の人々成等正覚。
     下二 南無阿弥陀仏。
      詞「や。庵室のあたりに人音の聞え候。
大納言局  詞「暫くこれに御休み候へ。
内侍    詞 「唯今こそあの岨づたひを女院の御帰にて候。
法皇    詞 「さていづれが女院。大納言の局はいづれぞ。
内侍    上 花筐臂に懸けさせ給ふは。女院にてわたらせ給ふ。
         妻木に蕨折りそへたるは。大納言の局なり。
      詞 「いかに法皇の御幸にて候。
シテ    下 なかなかになほ妄執の閻浮の身を。
         忘れもやらでうき名をまた漏せば漏るゝ涙の色。袖の気色もつゝましや。
地     下 とは思へども法の人同じ道にと頼むなり。

   ( 独吟 一念の窓の前 ヨリ  今に残るらん マデ )

      上 一念の窓の前。一念の窓の前に。摂取の光明を期しつゝ。。
         十念の柴の枢には。聖衆の来迎を待ちつるに。思はざりける今日の暮れ。
         古に帰るかとなほ思出の涙かな。
      下  げにや君こゝに叡慮のめぐみ末かけて。あはれもさぞな大原や。
         芹生の里の細道朧の清水。月ならで。御影や今に残るらん。

   ( 独吟・連銀 さてや御幸の ヨリ  住居なるべし マデ )

地  ロンギ上 さてや御幸のをりしもは。いかなる時節なるらん。
シテ    上 春過ぎ夏もはや。北祭のをりなれば。
         青葉にまじる夏木立春の名残ぞをしまるゝ。
地     上 遠山にかゝる白雲は。
シテ    上 散りにし花のかたみかや。
地     上 夏草のしげみが原のそことなく。分け入り給ふ道の末。
シテ    下 こゝとてや。/\。げに寂光の静かなる。光の陰を惜めただ。
地     上 光の影も明らけき。玉松が枝に咲き添ふや。
シテ    上 池の藤波夏かけて。
地     上 これも御幸を。
シテ    上 待ちがほに。
地     上 青葉がくれの遅桜初花よりもめづらかに。なかなか様かはる有様をあはれと。
         叡慮にかけまくも。かたじけなしやこの御幸柴の
         枢のしばしがほどもあるべき住居なるべしや。あるべき住居なるべし。
シテ    下 思はずも。深山の奥の。住まひして。雲居の月をよそに見んとは。
         かやうに思ひ出でしに。此山里までの御幸。かへすがへすも有難うこそ候へ。
法皇    詞「さいつ頃ある人の申せしは。女院は六道の有様まさに御覧じけるとかや。
         仏菩薩の位ならでは見給ふ事なきに不審にこそ候へ。
シテ    詞「勅諚はさる御事なれども。つら/\我が身を案じ見るに。
     クリ上 それ身を観ずれば岸の額に根を。離れたる草。
地     上 命を論ずれば、江のほとりに繋がざる舟。
シテ  サシ上 されば天上の楽も。
地     上 身に白露の玉かづら。ながらへ果てぬ年月も。つひに五衰のおとろへの。
シテ    下 消えもやられぬ。命のうちに。
地     下 六道のちまたに。迷ひしなり。

   ( 独吟 まづ一門 ヨリ  はてぞ悲しき マデ )

    クセ下 まづ一門。西海の波に浮き沈み。よるべも知られぬ船の中。海に臨めども。
         潮なれば飲水せず。餓鬼道の如くなり。又ある時は。汀の波の荒磯に。
         打ちかへすかの心地して船こぞりつゝ泣き叫ぶ。声は叫喚の罪人もかくやあさましや。
シテ    上 陸の争ある時は。
地     上 これぞ誠に目の前の。修羅道の戦あら恐ろしや数々の。駒の蹄の音聞けば。
         畜生道の有様を。見聞くも同じ人道の。苦となりはつる憂き身のはてぞ悲しき。
法皇    詞 「げに有難き事どもかな。先帝の御最期の有様。何とか渡り候ひつる御物語り候へ。
シテ    詞 「其時の有様申すにつけて恨めしや。

   ( 独吟 長門の国 ヨリ  恥かしき マデ )

         長門の国早鞆とやらんにて。筑紫へ一先落ちゆくべきと一門申しあひしに。
         緒方の三郎が心がはりせしほどに。薩摩潟へや落さんと申しゝをりふし。
         上り汐にさへられ。今はかうよと見えしに。
         能登の守教経は。安芸の太郎兄弟を左右の脇に挟み。
         最期の供せよとて海中に飛んで入る。
      下 新中納言知盛は。
      詞 「沖なる船の碇を引き上げ。兜とやらんに戴き。乳母子の家長が。
         弓と弓とを取りかはし。其まゝ海に入りにけり。
      下 其時二位殿鈍色の二つ衣に。練袴のそば高く挟んで。我が身は女人なりとても。
         敵の手には渡るまじ。主上の御供申さんと。安徳天皇の御手を取り舷に臨む。
         いづくへ行くぞと勅諚ありしに。此国と申すに逆臣多く。かくあさましき処なり。
         極楽世界と申して。めでたき所の此波の下にさむらふなれば。
         御幸なし奉らんと。泣く/\奏し給へば。さては心得たりとて。
         東に向はせ給ひて。天照大神に御暇申させ給ひて又。
地     下 十念の御為に西に向はせおはしまし。
シテ    上 今ぞ知る。
地     上 御裳濯川の流には。波の底にも都ありとはと。これを最期の御製にて。
         千尋の底に入り給ふ自も。つづいて沈みしを。
         源氏の武士とりあげてかひなき命ながらへ。二度。龍顔に逢ひ奉り。
         不覚の涙に袖をしほるぞ恥かしき。
地   ヲサメ いつまでも御名残はいかで尽きぬべき。はや還幸とすゝむれば。/\。
         御輿を早め遥々と。寂光院を出で給へば。
シテ    上 女院は柴の戸に。
地     下 暫しが程は見送らせ給ひて御庵室に入り給ふ御庵室に入り給ふ。


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