鵺   (ぬえ)

●あらすじ
旅の僧が摂津国芦屋の里で一夜の宿を求めるが断られ、仕方なく幽霊が出るという御堂で一夜を明かすこととなる。するとそこへうつほ舟(丸太舟)に乗って怪しげな男が現れる。暫く問答をしているうちに男は自分が鵺の亡霊であることを明かす。昔、天皇の命を狙っていたところを源頼政によって矢で射殺された様を語り、死後の悲しみを明かすと僧に弔って欲しいと頼んで消え失せる。僧が約束どおり経を読んでいると鵺が頭が猿、尻尾は蛇、手足は虎という本当の姿で現れる。自分が天皇を苦しめたため頼政に退治された様を見せ、名声を得た頼政とうつほ舟に押し込められて淀川に流された自分の姿を対比させる。そしてなおも成仏できることを願いながらも沈んでいく月と共に闇の中へと消えていってしまう。

●宝生流謡本      内七巻の二     四五番目    (太鼓あり)
    季節=秋   場所=摂津の国芦屋[兵庫県芦屋市]  作者=世阿弥元清
    素謡稽古順=入門   素謡時間=37分 
    素謡座席順   シテ=前・舟人 後・鵺の霊
               ワキ=旅の僧

●演能記
能 (宝生流) 『鵺』 昭和63年4月15日 国立能楽堂  〔シテ〕渡邊三郎
旅の僧が都へ帰る途中、芦屋の里に立ち寄りますが、宿を断られ、仕方なく化け物が住むという海辺のお堂に泊ります。夜の更けた頃、闇の中からうつほ舟[木の中をくり抜いただけの粗末な舟]に乗った怪しい舟人が現れます。古歌を引きながら僧と言葉を交わすうちに、舟人は、自分は鵺の亡魂だと名乗り、帝を悩まし退治された話を物語ります。僧が成仏を勧めると鵺の亡魂はいったんは姿を消します。僧が夜もすがら経を読んで供養していると本来の化け物の姿となった鵺の亡霊が登場し感謝します。亡霊は最期のありさまを思い返し、源頼政に射止められたのも帝を悩ましたことへの天罰であったと観念しつつも、華々しい栄誉を受けた頼政とは対照的に粗末な舟に押し込められて流されたわが身の不幸を嘆き、僧に救いを求めながら闇の中に再び姿を消すのでした。

●源頼政(みなもとのよりまさ)
源頼政は「平氏にあらざれば人にあらず」といわれた平安末期、中央政権の長老として従三位という高位にいた源氏の武士である。保元・平治の乱で平氏に味方した源氏のひとりであった。
「鵺」の中では頼政は二本の矢を携えている。一本の矢は鵺を討ち取るもの、もう一本は仕損じた時に自分を推薦した左大臣をその場で射殺するためのものである。戦ならいざ知らず、何とも分からぬ化物退治を命じられ仕損じれば貶められ、下手をすると処刑されかねないという状況は頼政にとって不本意なものだったため推薦者にも命を賭けよという意味であった。鵺を射る際「南無八幡大菩薩」と唱えているが、これは源氏の氏神であり、特に一度目の鵺の襲撃を退けた義家が八幡太郎と称されていたことを担いでいたとも思われる。鹿ケ谷の陰謀事件、安徳天皇の即位など立て続けに起こった平氏と天皇家の軋轢に耐えかねた以仁王が挙兵した際、共に反逆を企てたのも頼政であった。
謡曲「熊野」のワキで知られる平宗盛に頼政・仲綱親子の所持する名馬「木下」が強奪され、名を侮辱されたことに端を発していると言われている。この宗盛との対立の発端は鵺の呪いであるという噂も流れたほどの事件であった。 以仁王挙兵の際、頼政は郎党である渡辺党(源融の系譜、渡辺綱から始まる)を率いて参戦しているが、結局挙兵は失敗に終わった。頼政も宇治の平等院に追い詰められ自害している。なお、頼政が鵺退治の際に下賜された剣、獅子王は重要文化財として現存する。

●参 考 
□鵺出現の後は三つの場面に分かれます。鵺姿のシテ一人が三役を演じるので「誰がどうなってるの?」と混乱するところです。
一,頼政の功に天皇が御剣を下賜し宇治の大臣が代わって頂き頼政を讃えて和歌の上ノ句を詠みます。「ほととぎす名をも雲居に上ぐるかな」
二,頼政は「弓張月のいるに任せて」と下ノ句を付け御剣を戴き御前を退出します。頼政は名だたる歌人でもありました。
三,再び鵺のその後の話になります。頼政に射殺された鵺は空舟に押し込められます。角柱で二拍子を踏み表現します。角柱から舞台中央へ、さらに橋掛の方へ「流れ足」を使い、二回転し膝をつきます。淀川を流れ下り浮洲に流れかかって朽ち果ててゆく様を表します。起きあがったシテは扇を開き、ワキ座前から一ノ松へ「招き扇」で行き飛び回って膝をつき袖を頭上にかづき立ち上がって留めます。「招き扇」は後世を月の光のよう照らしてほしい、袖をかずくのは海中に沈んだことを表現しています。留め拍子は踏まず前に一足出て留めます。余韻を損なわないためです。
□聞きどころの前場の「クセ」や見どころの後場では、主人公の鵺のことよりもワキ役の頼政の活躍が圧倒的に多く語られています。通常の能ですと「クセ」で鵺の正体について語られるところでしょうが平家物語がほぼそのまま引用されています。据りの悪い筈はありませんが。この鵺の正体については「仏法王法の障りをなす悪心外道の変化」とだけで何か物足りない気もしますが、出典の平家物語にも鵺の正体については語られていないので、仕方のないことでしょう。
□あまりにも著名なこの歌は、拾貴和歌集に「性空上人のもとに詠みて遣わしける」と詞書して採られています。法華経の経文を踏まえた作で、敦道親王との恋を闇路に喩えたといいます。
□性空上人は、播磨国書写山円教寺の開祖。皇室、貴族、文人から遊女まで各層の帰依者があったといいます。藤原道長、その娘上東門院彰子も熱心な帰依者であったようです。ある時、彰子は和泉式部などを伴い書写山をたずね、やっとの思いでたどり着いたが、貴人嫌いの上人は居留守を使い会おうとしませんでした。がっかりして帰った式部は、上人に結縁を求めるこの歌を送ったといいます。面白い話ですが、真疑は又別です。
□この能は、五番目、初能、鬼畜物として扱われています。鬼畜物の能は、現在能が通例ですが、この能は複式夢幻能です。暗い道の果てから魂の救済を求める鵺が情緒的に語られ怪物ながら人格を与えられた二番物、修羅物に近い作品であるといわれています。金剛流に現在能「現在鵺」があります。
□鵺は“どらつぐみ”という鳥の異称だそうです。夜半から早朝にかけて鳴き、人の口笛に似て悲しげだといいます。中世の人は「よみつ鳥」といい、鳴き声は忌むべきものとしたといいます。平家物語の鵺は「頭は猿、胴(むくろ)は狸、尾は蛇、手足は虎」となっていますがこの能では胴の狸がぬけています。この頃も狸はおどけものだったのでしょうか。
□源頼政は弓の名手で、歌道にも優れ歌集に「頼政集」があります。平家の世にあって昇進ままならず「人知れず大内山の山守りは木がくれてのみ月を見るかな」と詠み、七十五才にして三位の官位を賜り、源三位と呼ばれました。源義朝が、平清盛の熊野詣の留守中に兵を挙げ、起こした平治の乱では日和見をきめこんで一門の怒りを買いました。治承四年(一一八〇年)以仁王の平家追討の令旨を奉じ兵を挙げたが敗れ宇治平等院で自刃しました。頼政挙兵の報に清盛はにわかには信じようとせず数回問い直したといいます。数々の頼政の不可解な行動に、鵺のような男と評されたといます。この複雑な性格を表すためか、能「頼政」では“頼政”という専用面を用いいます。頼政辞世「埋木の花咲くこともなかりしに身のなる果ては悲しかりけり」。        (梅)

(平成21年2月20日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                 

                            「鵺」   立命館大学能楽部編
        前シテ:舟人 後シテ:鵺
        ワキ:旅僧 
        アイ:芦屋の住人 
        地謡:コーラス兼ナレーター   場所:摂津国芦屋

一部原文と字体や句読点を変えた部分があります。また厳密な現代語訳ではありません。ご了承ください。

ワキ   『世を捨人の旅の空。世を捨人の旅の空。来し方何処なるらん。』
ワキ   『これは諸国一見の僧にて候。我この程は三熊野に参り一七日参篭申して候。
      これより西国修行と志し候。』
ワキ   『程も無く帰り紀の路の関越えて。帰り紀の路の関越えて。
      なほ行く末は和泉なる信太の森をうち過ぎて。松原見えし遠里の。
      ここ住吉や難波潟。芦屋の里に着きにけり芦屋の里に着きにけり。』
ワキ   『急ぎ候ほどに。津の国芦屋の里に着きて候。日の暮れて候ほどに。
      宿を借り泊まらばやと思ひ候。』

(狂言) (この町では家に旅人を泊めてはいけない決まりになっていたので宿を貸してもらえない。ワキは結局幽霊が出るという御堂に泊まることになり、アイは御堂をすすめてはみたものの心配そうだが、ワキは法力があるから幽霊がでても平気だといって御堂で休む)

シテ   『悲しきかなや身は籠鳥。心を知れば盲亀の浮木。ただ闇中に埋木の。
      さらば埋もれも果てずして。亡心何に残るらん。浮き沈む涙の波のうつほ舟。』
地謡   『こがれて堪えぬいにしへを』
シテ   『忍び果つべき隙ぞなき』
ワキ   『不思議やな夜も更方の浦波に。幽かに浮かみ寄るものを見れば。
      舟の形はありながら。乗る人影もさだかならず。あら不思議の者やな。』
シテ   『不思議の者と承る。そなたは如何なる人やらん。もとより憂き身は埋木の。
      人知れぬ身と思し召さば。不審ななさせたまひそとよ』
ワキ   『いやこれはただこの里人の。さも不思議なる舟人の。夜々来ると言いつるに。
      見れば少しも違わねば我も不審を申すなり』
シテ   『この里人とは芦の屋の。灘の塩焼く海士人の。類ひを何と疑ひ給う』
ワキ   『塩焼く海士の類ひならば。業をば為さで暇ありげに夜々来るは不審なり』
シテ   『げにげに暇のある事を。うたがひ給ふも謂われあり。古き歌にも芦の屋の。』
ワキ   『灘の塩焼き暇なみ。黄楊の小櫛はささず来にけり』
シテ   『我も憂き身は暇なみの』
ワキ   『汐にさされて』
シテ   『舟人は』
地謡   『ささで来にけりうつほ舟。ささで来にけりうつほ舟。
      現か夢か明けてこそ。海松藻も刈らぬ芦の屋に。一夜寝て海士人の。
      心の闇を弔い給へ。ありがたや旅人は。世を遁れたる御身なり。
      我は名のみぞ捨て小舟 法の力を頼むなり 法の力を頼むなり』
ワキ   『何と見申せども更に人間とは見えず候。如何なる者ぞ名を名乗り候へ』
シテ   『これは近衛の院の御宇に。頼政が矢先にかかり。
      命を失ひし鵺と申しし者の亡心にて候。
      そのときの有様詳しく語って聞かせ申し候べし。跡を弔うて賜り候へ。』
ワキ   『易き間のこと跡を弔おて参らせ候べし。その時の有様御物語候へ。』 X
地謡   『さても近衛の院の御在位の時。仁平の頃ほひ。主上夜な夜な御悩あり』
シテ   『有験の高僧貴僧に仰せて。大法を修せられけれども。そのしるし更になかりけり』
地謡   『御悩は丑の刻ばかりにてありけるが。東三條の森の方より。
      黒雲一叢立ち来たって。御殿の上に蔽えば必ず怯え給ひけり。』
シテ   『すなわち公卿詮議あって』
地謡   『定めて変化の者なるべし。武士に仰せて警護あるべしとて。
      源平両家の兵を選ぜられけるほどに。頼政を選み出されたり。
      頼政その時は。兵庫の頭とぞ申しける。頼みたる郎等には。
      猪の早太。唯一人召し具したり。
      我が身は二重の狩衣に山鳥の尾にて矧いだりける。
      尖矢二筋滋籐の弓に取り添へて。御悩の刻限を今や今やと待ち居たり。
      さる程に案の如く。黒雲一叢立ち来たり。御殿の上に蔽いたり。
      頼政きつと見上ぐれば。雲中に怪しき者の姿あり。』
シテ   『矢取って打ち番ひ』
地謡   『南無。八幡大菩薩と。心中に祈念して。よっ引きひゃうと放つ矢に。
      手応えしてはたと当たる。得たりや。おうと矢叫びして。
      落つる所を猪の早太つつと寄りて続けさまに。九刀ぞ刺いたりける。
      さて火を灯しよく見れば。頭は猿 尾は朽ち縄 足手は虎の如くにて 
      鳴く声鵺に似たりけり。恐ろし何度も疎かなる形なりけり』
地謡   『げに隠れなき世語りの。その一念をひるがへし。浮かむ力となり給へ』
シテ   『浮かむべき。便り渚の浅緑。三角柏にあらばこそ沈むは浮かむ縁ならめ』
地謡   『げにや他生の縁ぞとて』
シテ   『時もこそあれ今宵しも』
地謡   『亡き世の人に合竹の』
シテ   『竿取り直しうつほ舟』
地謡   『乗ると見えしが』
シテ   『夜の波に』
地謡   『浮きぬ沈みぬ見えつ隠れ絶え絶えの。幾重に聴くは鵺の声。
      おそろしやすさましや。あらおそろしやすさましや。』

(中入り・間狂言)
(先程のアイが心配で様子をみにくる。幽霊の話をすると、アイは鵺について詳しく教えてくれる。)

ワキ   『御法の声も浦波も。御法の声も浦波も。みな実相の道広き。
      法を受けよと夜と共に。この御経を読誦する。この御経を読誦する。
      一仏成道観見法界草木国土悉皆成仏。一仏成道観見法界草木国土悉皆成仏。』
シテ   『有情非情皆倶成仏道』
ワキ   『頼むべし』
シテ   『頼むべしや』
地謡   『五十二類も我同性の。涅槃に引かれて。
      真如の月の夜汐に浮かみつつこれまで来たれり。ありがたや。』
ワキ   『不思議やな目前に浮かみ寄る者を見れば。面は猿 足手は虎。
      聞きしに変わらぬ変化の姿。あら恐ろしの者やな』
シテ   『さても我 悪心外道の変化となって。仏法王法の障りとならんと。
      王城近く遍満して。東三條の林頭に暫く飛行し。丑三つばかりの夜な夜なに。
      御殿の上に飛び下がれば』
地謡   『即ち御悩しきりにて。玉体を悩まして。
      怯え魂消らせ給ふ事も我が為す業よと怒りを為ししに。
      思いもよらざりし頼政が。矢先にかかれば変身失せて。
      落々磊々と地に倒れて。忽ちに滅せし事。思えば頼政が矢先よりは。
      君の天罰と。当たりけるよと今こそ思い知られたれ。』
地謡   『その時。主上御感あって。獅子王という御剣を。
      頼政にくだされけるを宇治の大臣賜りて階を降り給うに折節郭公訪れければ。
      大臣とりあへず。』
シテ   『ほととぎす なほも雲居に 揚ぐるかな。と仰せられければ』
地謡   『頼政右の膝をついて。左の袖をひろげ月を少し目に懸けて。弓張月の。
      いるにまかせてと。仕り御剣を賜はり。御前を。罷り帰れば。
      頼政は名をあげて。我は名を流すうつほ舟に。押し入れられて淀川の。
      よどみつ流れつ行く末の。鵜殿も同じ芦の屋の。浦わの浮洲に流れ留まつて。
      朽ちながらうつほ舟の。月日も見えず。冥きより冥き道にぞ入りにける。
      遥に照せ。山の端の。遥に照せ。山の端の月と共に。海月も入りにけり。
      海月と共に入りにけり。 』


    執筆: 2006年度入部 K. F. 能楽部紹介冊子「幽姿」2008年度秋号掲載予定
                          c 立命館大学能楽部 2000-2011


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