宝生流謡曲 志 賀

●あらすじ
時の帝に仕える臣下が、近江国志賀の山桜を眺めている折、老若ふたりの内、老人が背負う薪に花の枝をさしていたので不審に思い尋ねろと、「道のべのたよりの桜おりそへて薪や重き春の山人」と答えた。やがて、黒主が霊人姿になって舞楽を奏し治まれる君が代の長閑けき春を愛でた。
謡曲『志賀』について、鴨長明(1155〜1216)の記事は中世期に広く流布した伝承であったらしく、本作はこの黒主が祭られた志賀明神を題材とした作である。能楽のほか 常磐津節『関の扉(せきのと)』は天明四年(1784)初演、これに合せて歌舞伎舞踊が演じられる。歌舞伎舞では黒主は、天下横領を狙う敵役として活躍するが、舞台登場時は関守に身をやつし薪を割っている。

●参 考  宝生流謡本  内七巻の一    脇能  (太鼓なし)
   季節=春   場所=近江国志賀  稽古順=入門  素謡時間34分
   素謡座席順  ツレ=男
            シテ=前・老翁 後・大伴黒主   
            ワキ=臣下  

●観能記
能『志賀』 <宝生流>    宝生会月並能 平成19年2月11日(日)13:00開演 宝生能楽堂 
シテ…朝倉俊樹  ツレ…小倉伸二郎  ワキ…宝生欣哉
アイ…前田晃一
笛…一噌庸二、小鼓…住駒匡彦、大鼓…亀井広忠、太鼓…小寺真佐人
後見…高橋章、宝生和英、山内崇生   地頭…三川淳雄
前場は適当に流して、後場はしっかり観る。シテの身のこなしが若々しかった。宝生流の謡は自己主張をあまりしないが、それは能としての一体感を醸し出すためではないかと思う。
亀井広忠の掛け声は、僕には「怪鳥の叫び声」としか聞こえない。時々、曲全体から浮いている事がある。大伴黒主と小野小町等が歌合わせする「草紙洗」や紀貫之が活躍する十世紀藤原文化の発達時代を題材にしている。

●大伴黒主
 亭子の帝(59代宇多天皇887~897後の宇多上皇)は、常々当寺(石山寺)に行幸なさった。
国守(平 中興)が、「民人の疲弊がはなはだしいだろう。」と言うのをお聞きになって、諸国の上皇の御荘園などにお命じになって、ご準備を致させて、延喜十七年{909年)九月二十日過ぎの頃、(宇多上皇は石山寺に)ご参詣になった。
 宮中からも右近少将俊蔭を勅使として、道中のことをお尋ね申し上げなさったので国守は、「どうしてお聞きになったのだろうか。」と嘆き恐れて(上皇が石山寺から)お帰りになるとき、打出の浜にこの上なく立派な行在所を作って、色とりどりの菊を植え、様々の雅やかに飾り立てた物の御準備をして差し上げて、国守は恐縮して外に隠れていて、ただ黒主の翁だけが、この行在所には参上して準備していたので、お供にお仕え申す人々が、「黒主はどうしてそのように控えているのか。」と促したので、上皇もお車を止めさせて、「どうしてここにはいるのか。」とお尋ねなさったところ さざ波が絶え間なく岸を洗っているようです。
 渚がきれいであったならば、上皇がお止まりになって下さると思ってのことでしょうか。 と詠み申したので、上皇も感心なさって、しばらくお帰りになるのを止めて黒主には被物などをお与えになって、お帰りになった。めったにない例であろう。

●大伴黒主の歌
我が心あやしくあだに春くれば花につく身となどてなりけむ   拾遺集
近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君が千歳は     古今集
鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると   古今集
春さめのふるは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ      古今集
思ひいでて恋しきときははつかりのなきてわたると人知るらめや 古今集
玉津島深き入江をこぐ舟のうきたる恋も我はするかな      後撰集
さく花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきの入るも知らずて 拾遺集
何せむにへたのみるめを思ひけん沖つ玉藻をかづく身にして   後撰集

●参 考@
大伴黒主 おおとものくろぬし 生没年未詳
伝不詳。姓は大友とも。『本朝皇胤紹運録』によれば大友皇子の裔で、大友姓を賜った与多王の孫。都堵牟麿の子。歌からは近江国や同国志賀と縁が深かったことが窺われる。鴨長明(1155〜1216)『無名抄』によれば、黒主は神になり、近江国志賀郡に明神として祀られたという。
一説に貞観八年(866)の太政官牒に見える大友村主(すぐり)黒主と同一人とする。これによれば、黒主はこの頃近江国擬大領で、円珍を園城寺(三井寺)別当とすることを要請した。
大友村主は近江国滋賀郡大友郷に本拠を持つ氏族。大伴黒主の先祖は朝鮮半島からの渡来人の説もある。

●大友黒主                出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大友 黒主(おおとも の くろぬし、生没年不詳)は平安時代の歌人・官人。姓は村主。六歌仙の一人。官位は従八位上・滋賀郡大領。『古今和歌集目録』に「大伴黒主村主」、また『天台座主記』第一巻安慧和尚譜に「(滋賀郡)大領従八位上大友村主黒主」とあることから、出自は大友村主とされる。大友村主氏は諸蕃(渡来人の子孫)で、『続日本後紀』では「後漢献帝苗裔也」とある。
 大友皇子(39代弘文天皇)の末裔との伝えもあり、『本朝皇胤紹運録』では「大友皇子─与多王(大友賜姓)─都堵牟麿─黒主」と系図を掲げるが、年代が合わない上に、皇孫が村主の姓を称することが合理的でないことから史実ではないとされる。また、大伴黒主との記載が見られるが、古代豪族の大伴氏(大伴連)は53代淳和天皇(大伴親王)の忌諱のために、黒主の時代には既に「伴氏」に改姓していることから、大友村主と大伴連は関係がないとする。
 系 譜
  父:大友列躬   母:不詳   養父:大友豊足
    妻:不詳     男子:大友吉継  男子:大友弟上  男子:大友道守

経 歴
近江国滋賀郡大友郷の人。貞観年間、園城寺神祀別当となる。鴨長明『無名抄』に没後近江国志賀郡に祭られたとの記事がある。 歌人としては、大嘗祭に風俗歌、59代宇多法皇の石山寺参詣に歌を献上して賞されたとされる。『古今和歌集』の4首をはじめとして、『後撰和歌集』『拾遺和歌集』等の勅撰和歌集に11首の和歌が収録されている。なお、六歌仙の中で唯一小倉百人一首に撰ばれていない。古今和歌集仮名序に「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評される。

(平成22年8月17日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)



 平安の時代に、大伴家や小野小町など,和歌の盛んな折りの物語由来をのべたご存知の名曲です。色変わりの文字の個所は福島県郡山市に昔から存在する地名「あさかやま・やまのい」の文言が詠みこまている。

 
        志 賀        脇能(太鼓あり)   
  
           ツレ   男                  季 春
              シテ  前・老翁 後・大伴黒主      所 近江国志賀
              ワキ   臣下

ワキ 次第 
     「道ある御代の花見月。道ある御代の花見月。都の山ぞ長閑き。
     「抑も是は当今に仕え奉る臣下なり。さても江州志賀の山桜。
     今を盛りなる由承り及び候程に。唯今志賀の山路へと急ぎ候」
    道行
     春の色たなびく雲の朝ぼらけ。たなびく雲の朝ぼらけ。
     長閑き風の音羽山けさ越え来ればこれぞこの。名におう志賀の山ごえや。
     湖遠き眺めかな湖遠き眺めかな
シテツレ「さざ浪や。志賀の都の名をとめて。むかしながらの。山桜。
ツレ   「春になれてや心なき
シテツレ「身にも情けの。残るらん
シテ   「山路に日暮れぬ樵歌牧笛の声
シテツレ「人間万事様々の。世を渡り行く身の有様。物毎にさへぎる眼の前。光の影をや送るらん
    下歌
     余りに山を遠く来て雲また跡を。立ち隔て
    上歌
     入りつる方も白浪の
ツレ   「入りつる方も白浪の
シテツレ「谷の川音雨とのみ聞えて松の。風もなし。げにや誤って半日の客たりしも。
      今身の上にちられたり今身の上に知られたり
ワキ   「ふしぎやなこれなる山賤を見れば。重かるべき薪に猶花の枝を折りそへ。
     休む所も花の陰なり。これは心あえいて休むか。唯薪の重さに休み候か」
シテ   「仰せ畏まって承り候。まづ薪に花を折る事は。」
     道のべの便りの桜折りそへて
     「薪や重き春の山人と。歌人も御不審ありし上。今更何とか答え申さん」
ツレ   「又奥深き山路なれば。松も檜原も多けれども。取り分き花の陰に休むを
シテ   「唯薪の重さに休むかとの。仰せは面目なきよなう」
シテツレ「さりながら彼の黒主が歌の如く。其の様賤しき山賤の。  
     薪を負いて花の陰に。休む姿はげにも又。其の身に応ぜぬふるまいなり。
     許し給えや。じょうろう達。
ワキ   「こは如何に勝るをも羨まざれ。劣るをも賤しむなとの。
     古人の掟は真なりけりやさしくも。古歌の喩えの心を持って」
     今の返答申したり
シテ   「いやいや古歌のたとえとやらんも。さらさら知らぬ身なれども。賤き身にも思いよりて」
ワキ   「彼の大伴の黒主が。心をよする老いの波
シテ   「和歌の浦わの藻汐草
ワキ   「かくたとえ置く世語りの
シテ   「それは黒主
ワキ   「これはまことに
シテ   「様も賤しき
シテワキ「山賤の
地    「身には応ぜぬ事なれど。ゆるさせ給え都人。とてもの思い出に花の陰に休まん。
     げにや今までも。筆を残して貫之が。言葉のたまのおのづから。
     古へ今の道とかや古へ今の道とかや
地クリ  「それ賢かっし時代を尋ぬるに。延喜の聖代の古へ。
     国を恵み民をなでて万機の政を。治め給ふ
シテ   「然れば其の御時に至って。和歌の道盛んにして。古へ今の詠歌を撰み
地    「二聖六歌仙を始めとして。その外の人々は。野べの葛乃這いひろごり。
     林に繁き木の葉の露の。色に染みゆく歌人の心は花になるとかや
シテ  「げに埋れ木の人しれぬ
地   「ことわざまでの。情とかや
地クセ  「そもそも。
難波津浅香山の。陰見えし山の井の。あさくは誰か思い草の。
     露ゆき霜来る色なれや。濱の真砂より。数多きことの葉の。
     心の花の色香までも。妙なれや敷島の道ある御代のもてあそび。
     然れば三十一文字の。神も守護し給ひて。無見頂相の如来も感応垂れ給えば。
     君も安全に。万民時をたのしみて。都鄙円満の雲の下四海八嶋の外までも。
     浪の声万歳の。響きは長閑かりけり
シテ  「今皇の御代ひさに
地    「萬の政の。道直ぐに渡る日の。東南に雲治まり西北に風静かにて。
     言葉のはやし栄ゆくや花も常磐の山松の。
     巷に唄う声までもこれ和歌の詠にもるべしや。
     天地を動かし鬼神も感をなすとかや。
地ロンギ  「げにやことなる山人の。げにやことなる山人の。
     家路いづくの末ならん床かしき心なるべし。
シテツレ「今は何をつつむべき。其の古へは大伴の。黒主といはれしが。
     時代とて此の山の神とも人や見るらん
地   「そも此の山の神ぞとは。ふしぎやさては大伴の
シテツレ「それは黒主が家の名の
地      「大伴か
シテツレ「我は唯
地        「おふ友もなくて一人。山路の花の陰になが休みしつる恥かしやと。
     夕べの雲に立ち隠れて志賀の。宮路に帰りけり志賀の宮路に帰りけり  (中入) 
ワキ 待謡 
     「いざ今日は春の山辺に交じりなん。春の山辺に交じりなん。
     暮れなばなげの花の陰月に詠じて天の原。時の調子にうつりくる。
     舞歌の声こそ。あらたなれ舞歌の声こそ。あらたなれ。            (出羽)
後シテ 「雪ならば幾たび袖を払はまし。花のふぶきの志賀に山。
     越えても同じ花園の。里も春めく近江乃海の。志賀唐崎の松風までも。
     千声の春の。長閑さよ。海越しに。見えてぞ向う鏡山
地    「年経ぬる身は老いが身の。
シテ   「それは老いが身。これは志賀乃
地    「神の白木綿かけまくもかたじけなしや。神楽の舞                (神舞)
地ロンギ 「ふしぎなりつる山賤の。ふしぎなりつる山賤の。
     薪のをのこ永き日も残る和光のあらたさよ
シテ   「げに惜しむべし君が代の。長閑き色や春の花の。
     塵にまじはる雪ならば。踏むあとまでも心せよ
地    「げに心して春の風。声も添ふなり御神楽の
シテ   「小忌の衣の色はえて
地    「花は梢の白和幣
シテ   「松はたち枝の
地    「青和幣。かくるやかへるやあづさ弓はるの。
     山辺を越え来れば道も去りあへず散る花の。
     雲の羽袖をかえしつつ紅の御袴のそばをとり。
     拍子をそろえて神神楽げにおもしろきかなでかなげに面白きかなでかな


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