三井寺 (みいでら)

●あらすじ
 我が子が行方不明となって途方に暮れた千満の母(シテ)が清水の観音に参詣したところ、三井寺(園城寺)に行けとの霊夢を蒙る。門前の者(アイ)に夢合わせをしてもらい、千満の母は三井寺へと向かう。一方、千満丸(子方)は園城寺の住僧(ワキ)の弟子となっていた。
 今日は中秋の名月だというので住僧は千満丸を伴って月を眺め、能力(アイ)が千満丸を慰めようと舞を舞う。そこに我が子を思うあまり狂乱状態となった千満の母がやって来る。能力が鐘を撞くと千満の母も鐘を撞こうとして制止されるが、中国の詩人が良い句を思いついた嬉しさから鐘を撞いた話を持ち出し、鐘にまつわる様々な事を語りながら鐘を撞く。その様子を見ていた千満丸は狂女が自分の母であると気付き、ようやく再会を果たした親子は連れ立って故郷へと帰っていく。

●宝生流謡本     内六巻の四   四番目略三番    (太鼓なし)
   季節=秋  場所=前は京都清水寺・後は近江国三井寺 稽古順=中序  素謡時間55分 
   素謡座席順 子方=千満
            シテ=前・千満の母 後・狂女 
            ワキ=円城寺の僧  
            ワキヅレ=従僧

●解 説   謡曲「三井寺」
 能は日本人が世界に誇りうる古典芸能である。2001年、ユネスコの世界無形文化財に登録された。能は謡曲と舞、囃子からなり、謡曲は能の物語にあたる部分の台本に相当し、セリフとしての語りの部分と、歌の部分に分けられる。いずれも一定のリズムや節回しに乗せて謡われる。 謡曲はそれ自体が鑑賞の対象になり、徳川時代から風流人士の趣味の中でも高雅なものとされた。
舞台は清水寺から始まる。 能「三井寺」は、中秋の名月の三井寺を舞台に親子の再会を描いた名曲として知られている。わが子をさらわれた母が、狂乱状態となって、清水の観音さまのお告げに従い、三井寺を訪れ、鐘を撞くことが機縁になって子どもとめぐり会う、というストーリーである。
 舞台には、千満の母が笠をかぶって登場。南無や大慈大悲の観世音さしも草、さしもかしこき誓ひの末、一称一念なほ頼みあり。ましてやこの程日を送り、夜を重ねたる頼みの末、などかそのかひならんと、思ふ心ぞあはれなる。 母は、清水の観音さまに子を失った悲しみを訴え、わが子に会わせ給えと一心に祈る。枯れた木にさえも花を咲かせるのが観音さまのお力、それなら、まだ若木のようなわが幼子にお慈悲によって会えるはず、どうして会えないという事がありましょうか、と。 やがて眠りに落ちた母は、わが子に会おうと思うならば、急いで三井寺に参るのがよいとの霊夢を得る。 あらうれしと御合せ候せふものかな。告に任せて三井寺とやらんへ参り候ふべし。 場面は三井寺。舞台には木で組んだ鐘楼があり、上部には小さな鐘が飾られている。時まさに中秋の名月。三井寺の住僧が弟子・千満を連れて講堂の庭での月見に出かける。そこへ子を失った母が、竜宮から持ち帰ったと伝える三井の名鐘を、龍女成仏にあやかって、自分も撞きたいと近付く。住僧は制止するが、母は中国の古詩を持ち出して、詩聖でさえ、名月に心狂わせて、高楼に登り鐘を撞くというのに、ましてや狂女の私がと、鐘を撞いて舞う。 憂き寝ぞ変わるこの海は、浪風も静かにて秋の夜すがら月澄む。三井寺の鐘ぞさやけき やがて、弟子の千満は住僧に女の郷里を尋ねるよう頼むと、女は駿河の国清見ケ関の者であると答え、女は千満がわが子であることを知る。
 親子の為の契りには、鐘故に会う世なり、嬉しき鐘の声かな かくて母子は、三井の名鐘の縁によって再び巡り会うことがかなう。離ればなれになった親子の心情を描くに琵琶湖上に輝く名月と湖面に響く鐘の音を配した「三井寺」の舞台は、まことにふさわしいものとなっている。
 かくて伴ひ立ち帰り、かくて伴ひ帰り 親子の契り尽きせずも、富貴の家となりにけり。げにありがたき孝行の威徳ぞめでたかりける。威徳ぞめでたかりける。

●参 考
□琵琶湖を見下ろす大寺□園城寺(おんじょうじ)
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。
  住 所 〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246   電 話 代表 :077-522-2238
西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の礼所である観音堂が観音巡礼の寺としてよく知られています。その他にも「近江西国観音霊場・第五番札所(観音堂)」、「湖国十一面観音霊場・第一番札所(微妙寺)」、「西国薬師霊場・第四十八番札所(水観寺)」として多くの信仰をあつめています。

□近江大津京のゆかりの古刹
667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。

□三井寺の名の起こり
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。

□苦難を乗越えてきた不死鳥の寺
貞観年間(859〜877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、園城寺を天台別院として中興されてからは、東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、南都北嶺の一翼を担ってきました。 円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

□弁慶の引き摺り鐘
当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。

□相模坊と天狗杉
金堂の向かいには天狗杉と呼ばれる樹齢千年と伝えられる樹高約20メートルの老杉があります。
室町時代の初め、相模坊道了という僧が勧学院書院で密教の修行をしていたとき、ある夜、突如として天狗となり書院の窓から飛び出し、この杉の上に止まり、やがて朝になるや東の空に向かって飛び去りました。 道了ははるか小田原(神奈川県)まで飛び、降りたところが大雄山最乗寺であったといいます。

平成23年8月6日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会


         三井寺

       四番目略三番(太鼓なし)  
          子方 千満             
          シテ 前・千満の母 後・狂女    季 秋
          ワキ 円城寺の僧           所 前・京都清水寺
          ワキヅレ  従僧               後・近江国三井寺

以下紹介する内容は、先日NHKが放送した観世流の舞台に基づく。シテは山本順之が演じていた。 舞台には囃子の無い状態でシテが静かに登場する。能の導入としてはすこぶるユニークなやり方だ。舞台の中ほどにたったシテはついで、自分の身の上を簡単に述べる。脇にはオモ狂言が控えている。(以下テキストは「半魚文庫」を活用)


シテサシ 「南無や大慈大慈の観世音さしも草。さしもかしこき誓の末。
       一称一念なほ頼あり。ましてやこの程日を送り。夜を重ねたる頼の末。
       などかそのかひなからんと。思ふ心ぞあはれなる。
   下歌「憐れみ給へ思ひ子の。行末なにとなりぬらん。行末なにとなりぬらん。
地  上歌「枯れたる木にだにも。枯れたる木にだにも。花咲くべくはおのづから。
       いまだ若木のみどり子に。再びなどか逢はざらん。再びなどか逢はざらん。
シテ  詞「あら有難や候。少し・睡眠{すいめん}の内に。
       あらたなる霊夢を蒙りて候ふは如何に。妾を何時も訪ひ慰むる人の候。
       あはれ来り候へかし語らばやと思い候。

ここで狂言が口上を述べる。立ち去ろうとしている女に向かって、しばしの間語らい会おうという趣旨のことである。それにたいして女は、不思議な夢を見たことを話す。すると狂言は夢あわせをしてやろうとしって、その結果三井寺に行けば訪ねる子にあえるだろうと予言する。
            狂言 シカジカ
シテ  詞「唯今少し睡眠の内に。新たなる御霊夢を蒙りて候。我が子に逢はんと思はゞ。
       三井寺へ参れと新たに御霊夢を蒙りて候。
            狂言 シカジカ
シテ  詞「あら嬉しと御合はせ候ふものかな。告に任せて三井寺とやらんへ参り候ふべし。

中入 狂言の言葉に喜んだ女は、それを頼りに三井寺に赴くことを決意して、舞台を去る。中入後は、三井寺の住持が、子方の千満を先立て、従者三人を従えて登場する。

ワキ、ワキツレ三人次第「秋も半の暮待ちて。秋も半の暮待ちて。月に心や急ぐらん。
ワキ  詞「これは江州園城寺の住僧にて候。又是に渡り候ふ幼き人は。
       愚僧を頼む由仰せ候ふ間。力なく師弟の契約をなし申して候。
       又今夜は八月十五夜名月にて候ふ程に。
       幼き人を伴い申し皆々講堂の庭に出でて月を眺めばやと存じ候。
四人 上歌「類なき。名を望月の今宵とて。名を望月の今宵とて。夕を急ぐ人心。
       知るも知らぬも諸共に。雲を厭ふやかねてより。月の名頼む。
       日影かな月の名頼む日影かな。

ワキの一行がワキ座についたところでアド狂言が現れ、狂女がやってきたことを告げる。僧たちは狂女を寺に入れるなと命じるが、狂言は狂いが見たさに勝手に女を中に入れてしまう。

後シテ一声「雪ならば幾度袖を払はまし。花の吹雪と詠じけん志賀の山越うち過ぎて。
       眺の末の湖の。鳰照る比叡の山高み。上見ぬ鷲の御山とやらんを。
       今目の前に拝む事よ。あら有難の御事や。
     詞「かやうに心あり顔なれども。我は物に狂ふよなう。いや我ながら理なり。
       あの鳥類や畜類だにも。親子の哀は知るぞかし。ましてや人の親として。
       いとほし悲しと育てつる。
   一セイ「子の行方をも白糸の。
地     「乱心や狂ふらん。

ここで最初の見せ場であるシテのカケリがある。カケリといっても華やかなものではなく、狂女であることを感じさせる程度の、ちょっとした工夫のものだ。

カケリシテ「都の秋を捨てゝ行かば。
地     「月見ぬ里に。住みや習へるとさこそ人の笑はめ。よし花も紅葉も。
       月も雪も故郷に。我が子のあるならば。
       田舎も住みよかるべしいざ故郷に帰らんいざ故郷に帰らん。
       帰ればさゝ波や志賀辛崎の一つ松。緑子の類ならば。松風に言問はん。松風も。
       今は厭はじ桜咲く。春ならば花園の。里をも早く杉間吹く。風冷ましき秋の水の。
       三井寺に着きにけり三井寺に早く着きにけり。
ワキ    「桂は実る三五の暮。名高き月にあこがれて。庭の木陰に休らへば。
シテ    「実に/\今宵は三五夜中の新月の色。二千里の外の故人の心。
       水の面に照る月なみを数ふれば。秋も最中夜も半。所からさへ面白や。
地   歌「月は山。風ぞ時雨に鳰の海。風ぞ時雨に鳰の海。波も粟津の森見えて。
       海越しの幽に向ふ影なれど月はますみの鏡山。
       山田矢走の渡舟の夜は通ふ人なくとも。
       月の誘はゞおのづから。船もこがれて出づらん舟人もこがれ出づらん。

折から十五夜の宵である。狂言は浮かれたついでに鐘をつくが、それをみた女も鐘を突いてみようとする。それを見咎めた住持が狂女のみにして鐘を突くとはけしからんとまくし立てるが、女は気にせず鐘を突く。鐘の段といわれ、この能最大の見せ場だ。

          狂言 シカジカ
シテ  詞「面白の鐘の音やな。我が故郷にては清見寺の鐘の音こそ常に聞き馴れしに。
       是は又さゝ波や。三井の古寺鐘はあれど。
     詞「昔に帰る声は聞えず。誠や此鐘は秀郷とやらんの龍宮より。
       取りて帰りし鐘なれば。龍女が成仏の縁に任せて。妾も鐘を撞くべきなり。
地  次第「影はさながら霜夜にて。影はさながら霜夜にて。月にや鐘はさえぬらん。
ワキ  詞「やあ/\暫く。狂人の身にて何とて鐘をば撞くぞ急いで退き候へ。
シテ  詞「夜〓{新字源:2196ユ}公が楼に登りしも。月に詠ぜし鐘の音なり許さしめ。
ワキ    「それは心有る古人の言葉。狂人の身として鐘撞くべきこと。
       思も寄らぬ事にてあるぞとよ。
シテ   「今宵の月に鐘撞くこと。狂人とてな厭ひ給ひそ或る詩に曰く。
       団々として海嬌を離れ。冉々として雲衢を出づ。此後句なかりしかば。
       明月に向かって心を澄まいて。今宵一輪満てり。清光何れのところにか無からんと。
     詞「此句を設けて余りの嬉しさに心乱れ。高楼に登って鐘を撞く。人々如何に
       と咎めしに。これは詩狂と答ふ。かほどの聖人なりしだに。月には乱るゝ心有り。
  鏡ノ段「ましてや拙なき狂女なれば。
地     「許し給へや人々よ。煩悩の。夢を覚ますや。法の声も静かに先初夜の鐘を撞く時は。
シテ   「諸行無常と響くなり。
地    「後夜の鐘を撞く時は。
シテ   「是生滅法と響くなり。
地    「晨朝の響は。
シテ   「生滅滅已。
地    「入相は。
シテ   「寂滅。
地    「為楽と響きて菩提の道の鐘の声。月も数添ひて。百八煩悩の眠りの。
      驚く夢の夜の迷も。はや盡きたりや後夜の鐘に。我も五障の雲晴れて。
      真如の月の影を眺め居りて明かさん。

ついでクリ、サシ、クセとつづく。クセは片膝を立てた姿勢の居グセである。

地  クリ「夫れ長楽の鐘の声は。色の外に盡きぬ。
シテ   「また龍池の柳の色は。
地    「雨の内に深し。
シテ サシ「其外こゝにも世々の人。言葉の林の兼ねて聞く。
地    「名も高砂の尾上の鐘。暁かけて秋の霜。曇るか月もこもりくの初瀬も遠し難波寺。
シテ   「名所多き。鐘の音。
地    「盡きぬや法の声ならん。
   クセ「山寺の。春の夕暮れ着てみれば入相の鐘に。花ぞ散りける。
      実に惜めどもなど夢の春と暮れぬらん。そのほか暁の。妹背を惜むきぬぎぬの。
      恨を添ふる行方にも枕の鐘や響くらん。また待つ宵に。更け行く鐘の声聞けば。
      明かぬ別の鳥は。物かはと詠ぜしも。恋路の便の音信の声と聞くものを。
      又は老いらくの。寝覚程ふる古を。今思ひ寝の夢だにも。
      涙心のさびしさに。此鐘のつくづくと。思ひを盡す暁をいつの時にかくらべまし。
シテ   「月落ち鳥鳴いて。
地    「霜天に満ちて冷ましく江村の漁火もほのかに半夜の鐘の響は。
      客の船にや。通ふらん蓬窓雨したゞりて馴れし汐路の楫枕。浮寝ぞ変るこの海は。
      波風も静かにて。秋の夜すがら。月すむ三井寺の。鐘ぞさやけき。

女の様子を見ていた子方が声をあげ、もしや自分の生き別れた母親ではないかと問いかける。

子   詞「如何に申すべき事の候。
ワキ  詞「何事にて候ふぞ。
子    「これなる物狂の国里を問うて賜はり候へ。
ワキ   「これは思もよらぬことを承り候ふものかな。
      さりながら易き間の事尋ねて参らせうずるにて候。如何にこれなる狂女。
      おことの国里は何くの者にてあるぞ。
シテ   「これは駿河の国清見が関の者にて候。
子    「何なう清見が関の者と申し候ふか。

女のほうでも、子方が自分のこの千満であると気づき、にわかに心の騒ぐのを覚える。

シテ  詞「あら不思議や。今の物仰せられつるは。正しく我が子の千満殿ごさめれあら珍しや候。
ワキ   「暫く。是なる狂女は粗忽なる事を申すものかな。さればこそ物狂にて候。
シテ   「なうこれは物には狂はぬものを。物に狂ふも別故。逢ふ時は何しに狂ひ候ふべき。
      是は正しき我が子にて候。
ツレ   「さればこそ我が子と申すが筋なき事と申し候。急いで退き給へ。
子    「あら悲しやさのみな御打ち候ひそ。
ワキ   「言語道断。早色に出で給ひて候。此上はまっすぐに御名乗り候へ。
子    「今は何をか包むべき。我は駿河の国。清見が関の者なりしが。人商人の手に渡り。
      今此寺に在りながら。母上我を尋ね給ひて。かやうに狂ひ出で給ふとは。
      夢にも我は知らぬなり。
シテ   「又妾も物に狂ふ事。あの兒に別れし故なれば。たまたま逢ひ見る嬉しさのまゝ。
      やがて母よと名のる事。我が子の面伏なれど。子故に迷ふ親の身は。
      恥も人目も思はれず。
地 ロンギ「あら痛はしの御事や。よそ目も時によるものを逢ふを喜び給ふべし。
シテ   「嬉しながらも衰ふる。姿はさすがはづかしの。漏りて余れる涙かな。
地    「実に逢ひ難き親と子の。縁は盡きせぬ契とて。
シテ   「日こそ多きに今宵しも。
地    「此三井寺に廻り来て。
シテ   「親子に逢ふは。
地    「何故ぞ。此鐘の声立てゝ物狂のあるぞとて御咎ありしゆゑなれば。常の契には。
       別の鐘と厭ひしに。親子のための契には。鐘故に逢ふ夜なり嬉しき。鐘の声かな。
地  キリ「かくて伴ひ立ち帰り。かくて伴ひ立ち帰り。親子の契盡きせずも。
       富貴の家となりにけり。実に有難き考行の。威徳ぞめでたかりける威徳ぞ。
       めでたかりける。

親子の再会を果たした二人は、そのまま手に手を取り合って舞台を去る。そこのところは百万と同じだ。