朝 長 (ともなが)

●あらすじ
朝長に縁の深い僧が、平治の乱に敗れて都を落ち自害した朝長を弔うために美濃の国青墓に赴きます。僧が墓所を訪ねて懇ろに回向をしていると、中年の女が詣で来て、僧の姿を見て不審をいだきます。「この墓所へは自分の外には参る人はないのに、涙を流して懇ろに弔いなさるはいかなり人か」と朝長との因縁を尋ね、かつ女も朝長に一夜の御宿をした縁で、同様に弔いをする宿の長であると告げます。女は僧の所望によって、落ちのびて来たその夜の義朝親子の様子から、朝長の最後の有様などを詳しく物語っているうちに、いつか夕陽も落ちて来たので、僧を自分の家に伴います。僧が、観音懴法(せんぼう)の法要を勤めていると、夜半に朝長の亡霊が昔の姿で現れ、都での敗戦の様子や、一門が不運をたどる中で、青墓の宿の長の深い情が死後の弔いにまでも及んでいる嬉しさを語り、遂に消え失せるのでした。        
 (『宝生の能」平成13年3月号より)

●宝生流謡本     内六卷の二   二番目(太鼓あり)
    季節=春    場所=美濃国青島  稽古順=中伝   素謡時間=65分
    素謡座席順   ツレ=従 者
               ツレ=待 女 
               シテ=前・青墓宿長者 後・源 朝長  
               ワキ=旅 僧  
               ワキヅレ=従 僧

●修羅能      
修羅能とは、武将(ぶしょう)などが主人公となっている演目を分類する言葉のこと。戦の果てに修羅道(しゅらどう)へ堕ちた主人公が登場します。勝ち戦の主人公が登場するものは、勝修羅(かちしゅら)。負け戦の主人公が登場するものは、負修羅(まけしゅら)と呼ばれます。能の演目は、5種類に分類されます。それぞれに番号がついていて、修羅能は2番目と呼ばれます。
▲修羅能の演目『朝長(ともなが)』自害しなければならなくなった源朝長の亡霊が、自分の死に際を語るストーリー。『頼政(よりまさ)』『実盛(さねもり)』『朝長』をあわせ、三大難曲として「三修羅」と呼ぶ。

●謡蹟めぐり
円興寺と朝長の墓  大垣市青墓町                
(平5・9高橋春雄記)
平成4年5月、教授嘱託会の謡曲名所めぐり、遠江から美濃路への旅に参加、円興寺を訪ねた。その際この部分の旅行記を書くように言われ提出したのが、教授嘱託会の会報に掲載されたので、再録してみる。「赤坂」の町並みを出て少し走ると今度は「青墓」である。この地名は謡曲「熊坂」にも出てくるが、それよりも「朝長」の舞台、朝長が自刃した所として私どもには無関心でいられない所である。朝長は平治の乱で平氏に敗れ、父義朝、嫡子義平、弟頼朝、鎌田政家らとわずか8騎で東国へ逃れようとした途中、吹雪のため頼朝は遅れ行方不明となり、残り7騎散々の体で漸く青墓の大炊長者(義朝の妾延寿の実家)の家に辿りついたのは平治元年の暮、27日のことであった。休む暇もなく義平は飛騨路へ、朝長は東国へ下って再挙を図ることにしたが、朝長は都落ちの途次龍華越で比叡山の衆徒と戦ったおり、左太腿に矢疵を負い、これが悪化してこれからの長途の旅が覚束なく、万一敵の手に落ち、名門源氏の御曹司の名を汚すことを恐れ、父義朝の介錯により自刃した(円興寺所伝による)。よって朝長の遺体を円興寺の境内に葬った。当時円興寺は、現在朝長の墓のある円興寺山上に在り、七堂伽藍、塔頭36院、末寺125の大古刹であったという。信長時代に戦火により焼失し、その後円興寺山の谷間の現在地に再建され、朝長の菩提寺となっている。
当寺の本尊は俗に石上観音と称せられる木造聖観音像であるが、信長兵火の際幸いにも谷間の石上に難を避け無事であった。大正3年国宝に指定され、その後国からの補助で造られた鉄筋の建物の中に安置されている。朝長の墓は円興寺から山道を30分ほど上がった昔このお寺があった場所にある由である。今回、私どものため、お寺のおばあさんが詳しく説明してくれたが、その中で私にとって新発見だったのは、朝長が自刃した時はまで16歳の若さだったことである。「朝長」の能もまだ見ておらぬため、大曲「朝長」のシテさんだから相当の年輩と思っていたが、考えてみれば、頼朝とそれほど違いない訳だから若いのは当然である。謡本をよく見ると、後シテは能の場合「十六」という年若い公達のシテに用いる面(おもて)をつけることになっている。「敦盛」「経政」も同様である。経政の没年ははっきりしないが、敦盛は朝長と同じ16歳で戦死している。面の「十六」という名前も二人の亡くなった時の年齢からきているのであろうか。本堂への通路の壁に若い朝長の自刃の図が掲げられており、見る人々の涙を誘っていた。このお寺では、今でも朝長が自刃した12月28日になると、毎年鐘を16回ついて朝長の霊を慰めているとのことである。

●源 朝長                 
源朝長は平安時代末期に生誕 康治2年(1143年) 死没 平治元年12月29日(1160年2月8日)
別名 松田冠者      官位 中宮大夫進    氏族 清和源氏為義流(河内源氏)
父母 父:源義朝、  母:波多野義通の妹(もしくは遊女)
兄弟= 義平、朝長、頼朝、義門、希義、範頼 全成、義円、義経、坊門姫、女子

●能 「朝長 - 懺法」 観世流    シテ: 青墓ノ長者 観世銕之丞
平成21年4月5日(日)於:名古屋能楽堂  「第31回邦謡会 東海の能」
今回上演される、特殊演出(小書き)としての「懺法」は、太鼓の役での「道成寺」と例えられ、そして他の役にとっても非常に重い習いものとして扱われます。また上演される機会が、なかなか無い曲です。能「朝長」は、「頼政」「実盛」とともに三修羅の一つで難曲とされ、小書き「懺法」の場合には、特殊な低い調子の太鼓に大小鼓が合わせ佛事の観音懺法を模した囃子に導かれ、後シテが登場します。
  (前半)源朝長の最後を、それを見取り後々も丁重に弔う女性が涙ながらに語り
(後半)現れた朝長の霊が、弔いに感謝しつつも源氏の悲運や修羅の苦しみを語る
前半と後半でまったく違う人物、特に女性が戦を語るという特殊な構成を持ちます。

●金沢市の能  能「朝長」= 宝生流
北國新聞ホームページ - 石川のニュース 平成22年www.hokkoku.co.jp/_today/H20070402101.htm ヨリ
 春の北國宝生能(北國宝生会、北國新聞社、富山新聞社主催)は一日、金沢市の県立能楽堂で行われ、ワキ方下懸(しもがかり)宝生流宗家で人間国宝の宝生閑さんをはじめとする東京と石川の名手が「朝長」など大曲、難曲六番を演じ、円熟の舞台で観客を魅了した。 能「朝長」では、シテ方宝生流の佐野由於(よしお)さんが、父の軍の足手まといにならぬよう若くして自害した源朝長の最期を知る女性と朝長の霊の二役を熱演。周囲の人々の哀傷と若武者の無念を切々と演じた。閑さんは朝長ゆかりの僧を重厚に演じて能の大曲の神髄を披露し、見る人の心を揺さぶった。
 「楊貴妃」では、大坪喜美雄さんが華やかな舞で余韻漂う舞台を演じた。「鷺」では、すがすがしい謡が舞台に響き、佐野萌(はじめ)さんが清新な白鷺にふんし、閑さんとの駆け引きを繰り広げた。 狂言「文蔵(ぶんぞう)」では、和泉流狂言師の九世野村万蔵さんが源平盛衰記を身ぶり手ぶりを交えて十分以上朗々と語り、見所を圧倒した。 仕舞では、宝生和英(かずふさ)さんが「藤」を華やかに演じ、渡邊荀之助(じゅんのすけ)さんが鬼気迫る「善知鳥」を披露した。 秋の北國宝生能は十月二十一日、金沢市の県立能楽堂で行われる。

                                      (平成22年6月18日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                   朝 長 (ともなが)
             季 春     所 美濃国青墓
  【分類】二番目物
  【作者】世阿弥元清    典拠 平家物語に拠る
  【登場人者】前シテ>青墓長者の女 後シテ>大夫進源朝長  ワキ>清凉寺の僧
          ワキツレ二人:従僧  ツレ:待女  ツレ:従者

    詞 章                     (胡山文庫)

ワキ    詞「これは嵯峨清凉寺より出でたる僧にて候。さても此度平治の乱に。
        義朝都を御ひらき候。中にも大夫進朝長は。
        美濃の国青墓の宿にて自害し果て給ひた由承り候。
        我等も朝長の御ゆかりの者にて候ふほどに。急ぎ彼の所に下り。
        御跡をも弔ひ申さんと思ひ立ちて候。
    道行上 近江路や。瀬田の長橋うちわたり。
ワキヅレ  上 瀬田の長橋うちわたり。
ワキワキヅレ上 なほ行くすゑは鏡山。老曽の森を打ち過ぎて。末に伊吹の山風の。
        不破の関路を過ぎ行き青墓の宿に。着きにけり青墓の宿に着きにけり。
シテツレ次第上 花の跡訪ふ松風や。/\。雪にも恨みなるらん。
シテ  サシ上 これは青墓の長者にて候。
シテツレ  上 それ草の露水の泡。はかなき心のたぐひにも。哀をしるは習なるに。
        これは殊更思はずも。人の嘆を身のうへに。かゝる涙の雨とのみ。
        しをるゝ袖の花薄。穂に出すべき言の葉も。なくばかりなる。
        ありさまかな。
     下歌 光の陰を惜めども。月日の数は程ふりて。

   (小謡 雪の中 ヨリ  あさましや マデ )

     上歌 雪の中。春は来にけりうぐひすの。
ツレ    上 春は来にけりうぐひすの。
シテツレ  上 氷れる涙今は早。とけても寝ざれば夢にだに御面影の見えもせで。
        痛はしかりし有様を思ひ出づるも。あさましや思ひ出づるもあさましや。
シテ    詞「ふしぎやなこの御墓所へ我ならでは。七日々々に参り。
        御跡弔ふ者もなきに。旅人と見えさせ給ふ御僧の。
        涙を流し懇に弔ひ給ふは。如何なる人にてましますぞ。
ワキ    詞「さん候これは朝長の御ゆかりの者にて候ふが。
        御跡弔ひ申さんためこれまで参りて候。
シテ    詞「御ゆかりとはなつかしや。さて朝長の御ため如何なる人にてましますぞ。
ワキ    詞「これは朝長の御めのと。何某と申す者にて候ひしが。
        さる事有りて御暇たまはり。はや十箇年に余り。かやうの姿となりて候。
        とくにも罷り下り。御跡弔ひ申したくは候ひつれども。
        今ほどは怨敵のゆかりをば。出家の身をも許さねば。
        とそお行脚に身をやつし。忍びて下向仕りて候。
シテ    詞「さては取り分きたる御なじみ。さこそは思し召すらめ。
        わらはも一夜の御宿に。あへなく自害し果て給へば。
        たゞ身のなげきの如くにて。かやうに弔ひ参らせ候。
ワキ    上 げに痛はしや我とても。もと主従の御契。是も三世の御値遇。
シテ    上 わらはも一樹の蔭の宿。他生の縁と聞く時は。
        実にこれとても二世の契の。
ワキ    上 今日しも互にこゝにきて。
シテ    上 弔ふ我も。
ワキ    上 朝長も。
地     上 死の縁の。処も逢ひに青墓の。/\。跡のしるしか草の蔭の。
        青野が原は名のみして古葉のみの春草は。さながら秋の浅茅原。
        荻の焼原の跡までも。げにほくぼおの夕煙一片の。
        雲となり消えし空は色も。形もなき跡ぞあはれなりける。
        なき跡ぞあはれなりける。
ワキ    詞「いかに申し候。朝長の御最期の有様委しく語つて御聞かせ候へ。

   (独吟 その時の申すに ヨリ  いつか忘れん マデ )

シテ    詞「その時の申すにつけて痛はしや。
        暮れし年の八日の夜に入りて。門を荒けなく敲く音す。
        誰なるらんと尋ねしに。鎌田殿と仰せられしほどに門を開かすれば。
        武具したる人四五人内に入り給ふ。義朝御親子。鎌田金王丸とやらん。
        わらはを頼みおぼしめす。明けなば川船にめされ。
        野間の内海へ御落あるべきとなり。又朝長は。都大崩にて膝の口を射させ。
        とかく煩ひ給ひしが。夜更け人静まつて後。朝長の御声にて。
        南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と二声のたまふ。鎌田殿まゐり。
        こはいかに朝長の御自害候ふと申させ候へば。義朝驚き御覧ずればはや。
        御肌衣も紅に染みて。目もあてられぬ有様なり。其時義朝。
        何とて自害しけるぞと仰せられしかば。朝長息の下より。」
      下 さん候都大崩にて膝の口を射させ。既に難儀に候ひしを。
        馬にかゝりこれまでは参り候へども。今は一足も引かれ候はず。
        路次にて捨てられ申すならば。犬死すべく候。
        唯返す%\御先途をも見届け申さで。かやうになりゆき候ふ事。
        さこそいひかひなき者と。おぼしめされ候はんずれども。
        道にて敵に逢ふならば。雑兵の手にかゝらん事。
        あまりに口惜しう候へば。是にてお暇たまはらんと。
地     下 これを最期のお言葉にて。こときれさせ給へば。義朝正清とりつきて。
        嘆かせ給ふ御有様は。よその見る目も哀れさをいつか忘れん。

   (小謡 悲しきかなや ヨリ  うれしと思ふべき マデ )

地     上 悲しきかなや。形をもとむれば。苔底が朽骨見ゆるもの今は更になし。
        さてその声を尋ぬれば。草径が亡骨となつて答ふるものも更になし。
        三世十方の。仏陀の聖衆もあはれむ心あるならば。
        亡魂幽霊もさこそうれしと思ふべき。
地     下 かくて夕陽影うつる。/\。雲たえだえに行く空の。
        青野が原の露分けて。かの旅人を伴ひ青墓の宿に。
        帰りけり青墓の宿に帰りけり。
シテ    詞「御僧に申し候。見ぐるしく候へども。暫くこれに御逗留候ひて。
        朝長の御跡を御心しづかに弔ひ参らせられ候へ。
ワキ    詞「誠に御志有難う候。暫くこれに候ふべし。
シテ    詞「いかに誰かある
ツレ    詞「唯今のお僧達を御借り申してあるぞ。皆々罷り出でて。宮仕へ申し候へ。
ツレ    詞「畏まって候。いかに誰かある
ツレ    詞「唯今のお僧達を御休い候間。罷り出でて。宮仕へ申し候へ
          中入
ワキ カカル上 さても幽霊朝長の。仏事はさま%\おほけれども。
ワキツレ  上 とりわき亡者の尊み給ひし。
ワキ    上 観音懺法読みたてまつり。

   (小謡 声満つや ヨリ  気色かな マデ )

ワキワキヅレ上 
     待謡 声満つや。法の山風月ふけて。/\。光やはらぐ春の夜の。
        眠を覚ますはち鼓時も移るや後夜の鐘。音澄みわたるをりからの。
        御法の夜声感涙も。浮ぶばかりの。気色かな浮ぶばかりの気色かな。
後シテ出羽 上 あらありがたの懺法やな。昔在霊山名法華。今在西方名阿弥陀。
        娑婆示現観世音。三世利益同一体。まことなるかな。誠なるかな。
        頼もしや。きけば妙なる法の御声。
地     上 吾今三点。
シテ    下 楊枝浄水唯願薩(ヨオシジンスイイゲンサアタ)と。
地     上 心耳を澄ませる。玉文の瑞諷。感応肝に銘ずるをりから。
        あら尊の弔やな。
ワキ カカル上 ふしぎやな観音懺法声すみて。灯の影幽なるに。まさしく見れば朝長の。
        影の如くに見え給ふは。もし/\夢か幻か。
シテ    詞「もとより夢幻の仮の世なり。その疑を止め給ひて。
        なほ/\御法を講じ給へ。
ワキ    上 げに/\かやうにま見え給ふも。偏に法の力ぞと。念の珠の数くりて。
シテ    上 声を力にたよりくるは。
ワキ    上 まことの姿か。
シテ    上 幻かと。
ワキ    上 見えつ。
シテ    上 かくれつ。
シテワキ  上 面影の。
地     上 あはれとも。いはゞ形や消えなまし。/\。消えずはいかで灯を。
        そむくなよ朝長を共にあはれみて。深夜の。
        月も影そひて光陰を惜み給へや。

   (小謡 げにや時人を ヨリ  説かせ給へや マデ )

        げにや時人を。待たぬ浮世のならひなり。唯何事もうち捨てゝ。
        御法を説かせ給へや。/\。
シテ  クリ上 それ朝に紅顔あつて。世路にほこるといへども。
地     上 夕には白骨となつて郊原に。朽ちぬ。
シテ  サシ上 昔は源平左右にして。朝家を守護し奉り。
地     上 御代を治め国家を鎮めて。万機の政すなほなりしに。
        保元平治の世の乱。いかなる時か来りけん。
シテ    下 思はざりにし。弓馬の騒ぎ。
地     下 ひとへに時節到来なり。
    クセ下 さる程に嫡子悪源太義平は。石山寺に籠りしを。
        多勢に無勢かなはねば。力なく生捕られて終に誅せられにけり。
        三男。兵衛の佐をば弥平兵衛が手にわたりこれも都へぞ捕られける。
        父義朝はこれよりも。野間の内海に落ちゆき長田を頼み給へども。
        頼む。木のもとに雨もりてやみ/\と討たれ給ひぬ。
        いかなれば長田は云ひかひなくて主君をば。討ち奉るぞや。
        如何なれば此宿の。あるじはしかも女人のかひ%\しくも。
        頼まれて一夜の情のみか。かやうに跡までも。御弔になる事は。
シテ    上 そも/\いつの世の契ぞや。
地     上 一切の男子をば。生々の父と頼み。
        万の女人を生々の母と思へとは今身の上に知られたり。
        さながら親子の如くに。御嘆あれば弔も。誠に深き志。請け。
        よろこび申すなり。朝長の後生をも御心やすくおぼしめせ。
地  ロンギ上 げに頼むべき一乗の。功力ながらになどされば。
        いまだ瞋恚の甲冑の。御有様ぞいたはしき。
シテ    上 梓弓もとの身ながら玉きはる。魂は善所におもむけども。
        はくは修羅道に残つて。しばし苦を受くるなり。
地     上 そも/\修羅の苦患とは。いかなる敵に合竹の。
シテ    上 此世にて見しありさまの。
地     上 源平両家。
シテ    上 入り乱るゝ。
地     上 旗は白雲紅葉の。散りまじり戦ふに。運の。極の悲しさは。
        大崩にて朝長が。膝の口をのぶかに射させて馬の。
        太腹に射つけらるれば。馬は頻に跳ねあがれば。
        鐙をこして下り立たんと。すれども難儀の手なれば。一足も。
        ひかれざりしを。乗替に。かきのせられて。
        憂き近江路をしのぎ来て此の。青墓に下りしが。
        雑兵の手にかゝらんよりはと思ひさだめて腹一文字に。
        かき切つて。其まゝに。修羅道にをちこちの。
        土となりぬる青野が原の。亡き跡とひて。
        たびたまへ亡き跡を。弔ひてたび給へ。


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