宝生流謡曲 遊行柳

●あらすじ
新古今和歌集の夏歌262西行と、雑歌上1448菅原道真を主題とする。遊行上人が白河の関を越えて陸奥に入ると老人が現れ、遊行聖が通った古道と朽ち木の柳を案内すると申し出、柳の朽ち木を西行がここで休んで歌を詠んだと教える。上人から十念を受け取ると柳の塚に消えて行く。その夜念仏を唱えていると柳の精が現れ、十念により草木までも成仏出来たことを喜び、柳に纏わる故事を連ねる。やがて夜が明けると翁も柳の葉も消えて朽ち木だけが残った。

●宝生流謡本     内五巻の五   三番目    (太鼓あり)
   季節=秋   場所=磐城国白河   稽古順=中奥   素謡時間60分
   素謡座席順 シテ=前・老 翁 後・柳の精
            ワキ=遊行上人

●解 説
能の曲目で鬘(かずら)物に準じて三番目物として扱われる。五流現行曲、ただし金春(こんぱる)流は明治の復曲。世阿弥(ぜあみ)の名作『西行桜(さいぎょうざくら)』に対抗して晩年の観世信光(かんぜのぶみつ)が書いた作品。初演は1514年(永正11)。西行の「道のべに清水流るる柳蔭(かげ)しばしとてこそたちどまりつれ」の和歌を骨子に、歌に詠まれた老いた柳の精が、閑寂な風情をみせる高度な能である。奥州に至った遊行上人(しょうにん)(ワキ)の前に、老人(前シテ)が現れて、先代の遊行上人の通った古道に案内し、西行の歌に名高い朽木(くちき)の柳という名木を教え、上人から十念を授かると柳のあたりに姿を消す(中入)。里人(間(あい)狂言)が出て、上人に柳の物語をして退く。上人の念仏のなかに、柳の精(後シテ)が白髪の老翁の姿で現れ、和漢の柳の故事を物語り、報謝の舞を舞って消える。
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日本大百科全書(小学館) ]  遊行柳 - Yahoo!百科事典 [ 執筆者:増田正造 ]

●史 跡
遊行柳  栃木県那須郡那須町芦野2530
交通 JR東北新幹線 那須塩原 乗換え、東北本線 黒田原下車
バスは伊王野行芦野支所前下車、東に250mほど進み、国道294号線バイパスに出、北に600mの田園の中にあります。ただし、一日4本のみ、タクシーが便利です。徒歩だと1時間位。車は遊行柳近くの「町営無料休憩所 遊行庵」に無料駐車可。徒歩200m。耕地整理のため、道路が直線的になり、柳から離れてしまいました。昔の奥州街道は柳の近くを通っていたと聞きました。向かいの山が鏡山、上の宮湯泉神社右側の小川は、西行法師が「道の辺に清水流るる柳蔭、暫しとてこそ立ちとまり」と詠んだとされる山からの清水。柳は上の宮湯泉神社の参道、鳥居左側に石垣に囲まれて植えられています。鳥居右側に本体が枯れた時の予備が植えられてます。

  白河の関 福島県白河市旗宿字関の森120
 関所跡入口  松平定信公考証の「古関蹟」碑寛政12年1800建立。車での見学:JR新白河を起点に289号線を東に進み、八幡山で県道坂本白河76線へ右折して進み、白河神社・関跡を見学。そのまま旧東山道 県道76・60・28号線を井王野まで進み、旧陸羽街道294号に入り、芦野まで北上、遊行柳を見学、そのまま北上、境の明神を見学して、白河へ戻る。   

●補足説明
 作者の観世小次郎信光1431〜1516は世阿弥の弟の観世四郎の孫、三代宗家観世三郎元重の子供です。 本曲は、世阿弥の「西行桜」を相当意識して書かれたとされています。本人が、「位甚だ大事なり、若輩のせざる能なり」と言っています。曲の中心部で、物語の展開に脈絡がなく、故事を淡々と語るのは曲の本位を一層むずかしくしています。初演は、作者亡くなる2年前、永正11年1514、新黒谷道見勧進において多分作者自身のシテで演じられたとされています。「隣忠秘抄」に、「西行桜の対の能にて位甚だ大事なり。茲にかようの習ありという事はなし、只一番の大意を一番の習とす。上手、年功の外、若輩のせざる能なり」とありこの能を的確に言い得ているといいます。
□この能の作者、観世信光は、「船弁慶」「安宅」「道成寺」などショー的要素の強い作品を意欲的に作った人だと言われています。 晩年世阿弥の閑雅幽玄の世界に触発されて、この能を作ったといい、世阿弥の自信作、老体の桜の精をシテにした能「西行桜」を意識した作品だといいます。 世阿弥の理路整然とした作風に対し、この能は和漢の故事や詩歌、教典が物語の展開に脈絡なくつづられているように見えます。一つ一つの事柄はそれぞれ味わい深く、例えば「サシ」から「クセ」にかけての展開のように、理解を超えた複合味の感銘を受けます。信光は七十五歳の時、三条西邸を訪れた折、三条実隆に年齢を聞かれ六十歳と答えたとあるそうです。自他共に認める精力家であったようです。この能の閑寂の中に「艶」がほの見えるのも、むべなるかなです。
□この能の見どころの一つ「蹴鞠(ケマリ)」は貴人の遊びで、七間半四方の角に桜、柳、楓(かえで)、松を植え、数人で鞠を地に落とさず、その下枝より高く蹴上げる遊びです。師範に飛烏井、難波の二家があり、本曲の蹴鞠の型は飛烏井家の「四段一足」という型だそうです。もう一つの珍しい型「手飼いの虎」は、猫の異称といいます。
□遊行聖は時宗の僧です。時宗の開祖一遍上人は鎌倉中期の人で、熊野権現の啓示を受け「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書いた名号札を配って遊行しました。歴代の法主も、これに習って全国を巡教し念仏勧進しました。これを遊行と呼び、遊行上人、遊行宗、行寺の名が生まれました。 一遍は観念の念仏を排し口称の念仏、全身全霊で称える念仏を主張し、信州佐久友野ではじめて踊りながら念仏を称え、平安時代の空也上人の「踊り念仏」を復活しました。
□やなぎは柳又は楊柳と書きます。約四百種ありますが、日本には約九十種あります。一般的に、楊は枝が直立したカワヤナギ、ネコヤナギ類を、柳はシダレヤナギを指します。シダレ柳は中国からの渡来で、挿し木で殖やした、いわゆるクローン樹木です。その歴史は古く、千二百年余り万葉集の時代だといいます。 中国では五月に柳絮(りゅうじょ)と呼ばれる綿毛の種子が雪のように舞うといいます。雌雄異株で、我が国ではほとんどが雄木であるため、種子が飛ぶ様子をみることはほとんどありません。六月八ヶ岳の通称ハチマキ道路で、かなりの量のカワヤナギの綿毛が飛んでいて、カワヤナギにも柳絮があるんだと嬉しかったことを覚えています。               


                
西行法師関係 4曲
                                            
小原隆夫調べ
 コード     曲 目     概          説          場所  謡稽古 季節 謡時間
内05巻5  遊 行 柳  柳ノ精遊行上人ニ西行法師ノ歌語ル     栃木  初奥   秋   60分
内10巻4  西 行 桜  老木ノ花の精ト春夜千金ノ舞ヲ楽ム      京都  中序   春   47分
内14巻3  江  口  天王寺ニ参ル僧ト江口ノ君幽霊愛執ノ迷   兵庫  中奥   秋   60分
外12巻3  雨  月  歌聖西行法師住吉明神デ和歌ノ徳ヲタタエル 兵庫  中序   秋   45分

(平成25年2月15日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


◎福島県会津若松市から、茨城県取手市までの国道R294が、白河市から県境をこえて栃木県芦野へ向かう茨城街道沿いに「遊行柳」が有ったものと思はれます。古道とでている「旧白河の関」への道は、県道坂本・白河線あたりではないかと私は推察しています。いずれにしても、謡本には、磐城国白河と書いてありますが、「遊行柳」の所在地は、栃木県である事は間違いありません。

遊行柳
  芦野の里の街道沿い近くに遊行柳伝説のある所があります。見わたす一面のたんぼの中に一むらの柳桜があって、その一角に玉垣を巡らし、中に一本の柳が植えられていて、かたわらには芭蕉が土地の人から「この柳見せばや」といわれ、田の畔に残る一本の柳陰に立ち寄った時の作であるという「田一枚を植えて立ち去る柳かな」元禄二年四月二十日(1689年陽暦では六月七日)更に蕪村の「柳散り涸れ石処々」寛保元年正月の句碑が並び立っています。
 さきの芭蕉の句より二百年以前の遊行柳説は多いが、中でも代表されるものは、遊行十四世大空上人が当地巡化の折、朽木の柳の精が女人となって現われ、上人に救いを示めて来たので成仏させたという説(仏教史、時宗史)。 また室町期の文明三年(1471年)遊行十九世尊皓上人が当地巡錫の折り、柳の精が十念を授けられ成仏したという二説があり、観世信光作と伝えられる現曲遊行柳の精の筋は後説の方で、この方が一般に流布されているという。
 また朽木の柳、清水流るるともいわれていて、朽木の柳については、宗祖遊行上人が芦野巡錫の時使用の杖が根づき朽木の柳、あるいは枯木の柳とも呼ばれる巨木になったという説もあるとか。たまたま現場に居わせられた県文化財保存会の方にお話しを伺うことができました。向い側には西行の「道の辺に清水流るる柳蔭しばしとてこそ立ちとまりつれ」の歌碑があります。西行ならずとも旅行く人が、枝垂れ青葉も築く休むに足る木陰を作っていたであろう柳の姿を見て、どんなにか心救われたことでありましょうか。時は水無月(六月)というから陽暦に直せば七月、暑い盛りであろう陽差しの強い野中の道をはるばると行く西行が一樹の下にたどりっき、わき出す清水にのどをうるほし汗をぬぐい、涼をとったであろう、さわやかな思いが伝わって来るようであります。今ある柳は何代も植え継がれていて樹齢せいぜい二十年位の若木であると大谷様に教えていただきました。・・・・(後略)

「宝生流教授嘱託会会報」 平成14年9月 第143号  「第36回謡曲名所めぐり報告」 福島、北関東めぐりの第二日 5月15日(水) 東京支部 内田 初代様の記事 P18より抜粋


               遊 行 柳        三番目(太鼓あり)

           シテ 前・老翁 後・柳の精             季 秋
              ワキ 遊行上人               所 磐城国白河


ワキ      「帰るさ知らぬ旅衣。帰るさ知らぬ旅衣法に心や急ぐらん。
ワキ     「是は諸国遊行の、聖にて候。我一遍上人の、教えをうけ。
       遊行の利益を六十余州に広め。
       六十万人決定、往生の御札を。普く衆生に、与え候。此の程は、上総の国に候ひしが。
       これより奥えと、志して候。」
ワキ道行 秋津州の国々廻る法の道。国々廻る法の道。迷わぬ月も光そふ。
       心の奥を白河の関路と聞けば秋風も。
       立つ夕霧のいづかくに今宵は宿をかり衣。日も夕暮れになりにけり日も夕暮れになりにけり
      「急ぎ候程に。音に聞こえし白河の、関をも過ぎぬ。叉これに数多道の、見えて候。
       広き方へ行かばやと、思い候。」
シテ    「なうなう遊行上人の御供の人に申すべき、事の候」
ワキ    「遊行の聖とは札の、御所望にて候か。老足なりとも今少し、急ぎ給へ」
シテ    「有りがたや御札をも、賜り候べし。まづ先年遊行の、御下向の時も。
        古道とて昔の海道を、御通り候ひしなり。されば昔の道を、教え申さんとて。
        はるばるこれまで、参りたり」
ワキ    「ふしぎや偖は先の遊行も。この道ならぬ古道を。通りし事のありしよなう。
シテ    「むかしは、この道なくして。あれに見えたる、一村の。森のこなたの、河岸を。
       お通りありし、海道なり。其の上朽木の柳とて、名木あり」
       かかる尊き上人の。御法の声は草木までも。成仏の縁ある結縁たり。
地     「こなたへいらせ給へとて。老いたる馬にはあらねども。道しるべ申すなり。急がせ給え旅人。
地     「げにさぞな所から。げにさぞな所から。人跡絶えて荒れはつる。葎蓬生刈萱も。
        乱れあいたる浅茅生や袖朽ちにし秋の霜。露分け衣きて見れば。昔を残す古塚に。
        朽木の柳枝さびて。影踏む道は末もなく風のみ渡る景色かな風のみ渡る景色かな
シテ    「これこそ昔の、海道なて候へ。叉これなる古塚の、上なるこそ。朽木の柳にて候よくよく、御覧候へ」
ワキ    「さてはこの塚の上なるが名木の、柳にて候ひけるぞや」
       げに河岸も水絶えて。河そひ柳朽ち残る。老木はそれとも見えわかず。蔦かづらのみ這いかかり。
       青苔梢を埋む有様。真に星霜年ふりたり。
       「偖いつの世よりの、名木やらん。委しく語り、給ふべし。」
シテ    「昔の人の、申し置きしは。鳥羽の院の北面。佐藤兵衛、憲清出家し。西行と、聞こえし歌人。
       この国に、下り給いが。頃は水無月、半なるに。この川岸の、木のもとに。
       暫し立ちより、給いつつ。一首を詠じ、給いしなり」
ワキ     謂れを聞けば面白や。さてさて西行上人の。詠歌はいづれの言の葉やらん。
シテ    「六時不断の、御勤めの。隙なきうちにもこの集を」
       御覧じけるか新古今に。
地     「道のべに清水流るる柳陰。清水流るる柳陰。暫しとてこそ立ちとまり。涼みとる言の葉の。
       末の世々までも。残る老木はなつかしや。かくて老人上人の。
       御十念を賜り御前を立つと見えつるが。朽木の柳の古塚によるかと見えて失せにけり。
       よるかと見えて失せにけり。(中入)
ワキ    「ふしぎやさては、朽木の柳の。我に言葉を、かわしけるよと」
ワキ待謡 「おもいの珠の数々に。おもいの珠の数々に。御法をなして称名を声うちそふる初夜の鐘。
       月も曇らぬ夜もすがら。露をかたしく袂かな露をかたしく袂かな。(出羽)
後シテ  「けんすい羅門海燕かえる。柳條恨みをひいてけいだいに到る。
       いたづらに。朽木の柳時をえて。
地     「今ぞ御法にあい竹の。
シテ    「直ぐに導く。 弥陀の教え。
地     「衆生称念必得往生の功力にひかれて草木までも。仏果に至る。老木の柳の。
       髪も乱るる白髪の老人。こっぜんと現われ出でたる烏帽子も。柳さびたる有様なり。
ワキ    「ふしぎやなさも古塚の草深き。朽木の柳の木の下より。その様けしたる老人の。
       烏帽子狩衣を着しつつ。現われ給うは不審なり。
シテ    「何をか不審、し給うらん。はや我が姿は、あらわしぎぬの。日も夕暮れの、道しるべせし。
       その、老人に候なり」
ワキ    「さては昔の道しるべせし。人は朽木の柳の精。
シテ    「御法の教えなかりせば。非情無心の草木の。うてなに到る事あらじ。
ワキ       「なかなかなれや一念十念。
シテ    「唯一声のうちに生るる。
ワキ    「弥陀の教えを。
シテ    「身にうけて。
地     「しかい一人念仏名。西方便有一蓮生。但使一生常不退。この花かえってここに向ひ。
       上品うえ生に。到らん事ぞ嬉しき。
シテ    「釈迦既に滅し。弥勒未だ生ぜず。弥陀の悲願を頼まずは。いかで仏果に到るべき。
地クリ   「南無やしゃじょく帰命頂礼本領偽りましまさず。超世の悲願に身を任せて。
        他力の舟にのりの道。
シテ    「すなわち彼岸に到らん事。一葉の船の力ならずや。
地     「彼の黄帝の貨てきが心。聞くや秋吹く風の音に。散りくる柳の一葉の上に。
       蜘蛛の乗りてささがにの。糸引き渡る姿より。たくみ出せる舟に道これも柳の徳ならずや。
シテ    「其の外玄宗華清宮にも。
地      「宮前の揚柳寺前の花とて。眺め絶えせぬ。名木たり。
地クセ   「そのかみ洛陽や。清水寺の古へ。五色に見えし滝浪を。尋ね上りし水上に。金色の光さす。
       朽木の柳たちまちに。揚柳観音と現われ今に絶えせぬ跡とめて。利生あらたなる。
       歩みを運ぶ霊地なり。されば都の花盛り。大宮人の御遊にも。しうきくの庭の面。
       四もとの木陰枝たれて。暮れに数ある。沓の音。
シテ    「柳桜をこきまぜて。
地      「錦をかざる諸人の。花やかなるや小簾の隙漏りくる風の匂いより。
       手飼いの虎の引き綱もながき思いにならの葉の。その柏木の及びなき。恋路もよしなや。
       これは老いたる柳色の。狩衣も風折りも。風に漂う足もとの。
       弱きもよしや老木の柳気力なうして。
       よわよわと立ちもうも夢人を。現と見るぞはかなき。
シテ    「教え嬉しき法の道。
地     「迷わぬ月に。つれてゆかん。 (序の舞)
シテ    「青柳に。鶯伝ふ。羽風の舞。
地     「柳花苑とぞ。おもほえにける。
シテ    「柳の曲も歌舞の菩薩の。舞の袂を返すがえすも。上人の御法をうけよろこぶ報謝の舞も。
       これまでなりと。名残の涙の。
地     「玉にもぬける。春の柳の。
シテ    「いとま申さんと。ゆうづけの鳥もなき。
地     「別れの曲には。
シテ    「柳條をわかぬ。
地     「手折るは青柳の。
シテ    「姿もたをやかに。
地     「結ぶは老木の。
シテ    「枝もすくなく。
地     「ことしばかりの風やいとわんとただよう足もともよろよろよわよわと。
       倒れ臥し柳かりねの床の。
       草の枕の一夜の契りも他生の縁ある上人の御法。西吹く秋の風打ち払い。
       露も木の葉もちりぢりに。露も木の葉もちりぢりになりはてて残る朽木と。なりにけり。


時宗の開祖「一遍上人」は、札配りと踊り念仏勧進をされた名僧。
遊行上人とも言われ、生い立ちや、人間像などは、愛媛県の宝蔵寺にある寺伝以外は不明であります。正応2年(1289)8月23日兵庫県の真光寺観音堂で51才の生涯を終えたらしい。






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