葵 上 (あおいのうえ)

●あらすじ
光源氏の正妻、左大臣家の息女の葵上は、物の怪にとりつかれ重態でした。回復させようと様々な方法を試みますが、うまくいかず、梓弓(あずさゆみ)の音で霊を呼ぶ「梓の法」の名手、照日(てるひ)の巫女を招き、物の怪の正体を明らかにすることになりました。 巫女の法に掛けられて姿を表したのは、元皇太子妃で源氏の愛人の六条御息所(みやすどころ)の怨霊です。御息所は、気高く教養深い高貴な女性ですが、近頃は源氏の足も遠のき、密かに源氏の姿を見ようと訪れた加茂の祭りでも車争いで正妻の葵上に敗れ、やり場のない辛さが募っていると訴えます。そして、葵上の姿を見ると、嫉妬に駆られ、後妻打ち(うわなりうち)〔妻が若い妾(めかけ)を憎んで打つこと〕で、葵上の魂を抜き取ろうとします。 家臣たちは、御息所の激しさにおののき、急ぎ偉大な法力を持つ修験者(しゅげんじゃ)横川(よかわ)の小聖(こひじり)を呼びます。小聖が祈祷を始めると、御息所の心に巣くっている嫉妬心が鬼女となって表われました。恨みの塊となった御息所は、葵上のみならず祈祷をしている小聖にも襲いかかります。 激しい戦いの末、御息所の怨霊は折り伏せられ、心安らかに成仏するのでした。       (国立能楽堂提供:「能 葵上」より)

●宝生流謡本(参考)   内五巻の四   四五番目   (太鼓あり)
    季節=不定   場所=京都 葵上の部屋  稽古順=初奥  素謡時間=37分
    素謡座席順 ツレ=横川の小聖・照日の巫女
             シテ=六条御息所の生霊
             ワキ=横川の小聖
             ワキヅレ=大臣

●解 説
作者:世阿弥改作か形式 準夢幻能 能柄<上演時の分類> 般若物・祈り物、
現行上演流派  観世・宝生・金春・金剛・喜多    本説<典拠となる作品>  源氏物語
題名は「葵上」ですが、実際には葵上は登場しません。舞台正面手前に1枚の小袖が置かれ、これが無抵抗のまま、物の怪に取りつかれて苦しんでいる葵上を表します。物語の中心は、鬼にならざるを得なかった御息所の恋慕と嫉妬の情です。御息所は元皇太子妃なので、鬼に変貌しても、不気味さの中に品格を表す必要があります。特に、前場の最後、扇を投げ捨て、着ていた上着を引き被って姿を消す場面では、感情の盛り上がりをいかに表現するかと同時に、高貴さを損なわない動きの美しさを要求されます。 この作品には、『源氏物語』らしい雰囲気を醸し出すための様々な仕掛けが施されており、前半では、見せ場の謡に、『源氏物語』の巻名が散りばめられています。また御息所が葵上への嫉妬に悩む直接の原因となったのは、賀茂の祭の車争いに破れたことであるという室町時代の解釈を反映して、御息所は前半破れ車に乗って登場するという設定になっています。


            
源氏物語関係の謡曲7曲
                                    
小原隆夫調
 コード    曲 目     概          要       場所  季節 素謡時間
内04卷3 玉   葛 初瀬寺ニ参詣僧ガ玉葛ノ妄執ヲ供養 奈良  秋   40分
内05卷4 葵   上 葵ノ上ニ六条ノ御息所生霊トナリ嫉妬  京都  不   37分
内13卷3 半   蔀 雲林院で光源氏と夕顔の霊夢     京都  秋   30分
内14卷5 源氏供養 源氏物語54帖ノ紫式部ヲ供養      滋賀  春   46分
内20卷3 野   宮 葵ノ上ノ後日物語ヲ旅僧ニ語る      京都  秋   55分
外04卷5 須磨源氏 源氏物語の光源氏桐壷        兵庫  春   35分
外09卷3 胡   蝶 一条大宮ニテ胡蝶ノ精舞う        京都  春   35分


●観能記    県民のための能を知る会         
2005年6月10日公演於 鎌倉能楽堂
 「葵上」も観ること4度目。今回は神奈川県鎌倉市にある鎌倉能楽堂での「葵上」。「県民のための…」では、初心者向けに演能前に専門家の解説をつけてくれる。能はもちろんだが、どちらかというとこの解説目的で通っているとも言う。 解説をされる上坂信男先生は「その筋」では著名な研究者でいらっしゃる。まして今回は「葵上」である。どんなお話が聞けるのかワクワク。
(光源氏との関係) 3歳で母親(桐壺更衣)が死んでしまう光源氏。父親の桐壺帝はその母親とよく似ている女性(藤壺)を妃に迎える。母親と似ている→思慕の情→恋愛感情へとなっていく。 六条御息所よりも藤壺との出会いのほうが先であるが、それは物語の中には描かれていない。おそらくは時間的な差はそれほどなかったであろうと思われる。
(六条御息所の嫉妬について) 六条御息所は「嫉妬深い人」の代表として描かれている。光源氏と藤壺の関係については、いずれは明らかになってしまう(読者に対して)が、六条御息所が藤壺という女性像について知っていたかはわからない。しかし人の噂で桐壺帝の新しい妃のことは聞いていたかもしれない。光源氏の「だれか」に対する思いに関しては「あきらめ」を感じていたかも。 しかし葵の上に対しては、政治的な「後見(うしろみ)の証明」としての結婚であり、光源氏としても心からは愛を感じているわけでもない。光源氏としても、藤壺への愛は表ざたにするわけにもいかず、六条御息所のところへ通うことになる。 左大臣の娘、葵の上は物語の中で1首も歌を詠んでいない。これは大事に育てられ、不平不満のない環境下において、感動しない=感情の起伏が乏しい→歌を詠む必要がなかったとも考えられ、光源氏からそういう話を聞かされ、「そんな女が本妻(※)ではかわいそう」という同情の思いもうまれ、「私のほうがすぐれているはず」という思いを持ったとも言える。
(「本妻」について) 通常「正妻」という言葉を使うが、本来「正妻」という言葉はもともとない。妻という立場に正しい・正しくないというのはなく、「本妻」というのが正しい。 「(素質としても身分としても)私のほうがすぐれているはず」という思いが葵の上の出産によって裏目に出てしまう。生まれたのは男子であり、さすがの光源氏も「子供が可愛い」と六条御息所のところには通わなくなってしまう。 六条御息所の「なんであの女が(子を生み)、なんで私が(捨てられる)」という心の不安が嫉妬心に変わっていき、やがて「許せない」→生霊となってしまう。
(能の中の六条御息所) 当時は病気になると薬や医者、神仏に願うのではなく、坊さんに加持祈祷をさせる。六条御息所の生霊というのは実際のところ心底病・精神病であろうと思われるが、能の中では僧と対峙する生霊として扱われ、僧は「因果応報、自分が苦しむのだよ」と生霊に向かって諭すものの、「負けられない」という思いの姿を「後シテ」の場面として構成している。六条御息所の存在とは、 魂が抜け出る生霊と、死んで取りつく死霊(しにりょう)をあわせて「もののけ」という。六条御息所は死霊となり、紫の上や女三ノ宮にとりつき苦しめる。加持祈祷でもののけが負けるのを「調伏(ちょうぶく)されるという。彼女は生きてても死んでても坊さんに世話になることになる。 なぜ「もののけ」とまでなってしまうのかというと光源氏が好きだからで、「そういうのをナントカの深情けと言いますね。」 なぜ六条御息所が「そういう存在」特異な人物として描かれているのか、なぜ女である紫式部がそういう女性像を描いたのか、というとやはり紫式部も女性であり、おそらく自分自身を振り返った思いの姿として六条御息所を登場させたと考えられる。 これは歌集「紫式部集にも歌があり、「嫉妬」は自然な感情であるけれども持たないほうが良い、「嫉妬」はマイナスの心であるため、自分を戒め、周囲にもそのことを教えたいという意味で六条御息所という女性の存在の意味があると思われる。     ( 以下省略)

(平成22年4月16日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


詞 章          「葵 上」 

能 楽 :「葵 上」          
作 者 : 世 阿 弥 作    
素 材 :「源氏物語」葵の巻    場 所 : 京都左大臣邸・葵上の病室
登場人物  
  前シテ……六条御息所の生霊 (面ー泥眼)(装束:紅入唐織ー壺折・黒地縫箔ー腹巻)
  後シテ……六条御息所の生霊 (面ー般若)(装束:黒地縫箔ー腹巻)
  ツ レ……照日の巫女 (面ー小面)(装束:白水衣・紅入唐織)
  ワ キ……行 者・横川の小聖 (装束:兜布・篠懸・水衣・白大口)
  ワキツレ……廷 臣 (装束:洞烏帽子・袷狩衣・白大口)
  ア イ……左大臣の下人 (装束:長袴)
「出小袖」……葵上は登場せず、代わりに舞台に折り畳んだ小袖を置いて、病に臥せる葵上を表わす

           あ ら す じ
 朱雀院に仕える臣下が登場する。左大臣の娘・光源氏の北の方(正妻)葵上が、物の怪に取り憑かれ臥せっている。貴僧高僧による加持祈祷をしても一向に回復しないので、梓弓によって霊を呼びよせる呪術を持つ照日の巫女に命じ、物の怪の正体を占わせた。すると梓弓の音に引かれて、源氏の愛を失い悲しみの六条御息所の生霊が、破れ車に乗って現れる。昔、賀茂の祭見物の折、葵上の家来と御車の所争いになり、侮辱されたその怨みを晴らさんと、枕元で葵上を打ち責めさいなみ、幽界へ連れ去ろうとする。
 急いで横川の小聖を呼び、怨霊を追い払おうと祈祷を始めるが、鬼女の姿になった六条御息所は激しく争う。けれども御息所は法力に祈り伏せられ、読経する声に心和らげ、浅ましいわが姿を恥じて、ついには成仏する。


ワキツレ 「是は朱雀院につかへ奉る臣下なり。さても左大臣のおん息女。・葵上の御物の気
      以ての外に御座候程に 貴僧高僧を請じ申され 大法秘法医療さまざまの
      おん事にて候へども 更にその験なし
      ここに照日の神子とて・隠なき・梓の上手の候ふを召して
      生霊死霊の間{を梓に掛けさせ申さばやと存じ候 やがて梓に御かけ候へ
ツレ   「天清浄}地清浄 内外清浄六根清浄
      より人は今ぞ寄りくる長浜の芦毛{あしげ}の駒に手綱ゆりかけ 
シテ    三つの車にのりの道 火宅の門をや出でぬらん。
      夕顔の宿の破車 やる方なきこそ悲しけれ
   次第「浮世は牛の小車の /\ 廻るや報なるらん
   サシ「およそ輪廻は車の輪の如く 六趣四生を出でやらず 人間の不定芭蕉泡沫の世の習
      昨日の花は今日の夢と 驚かぬこそ愚なれ。 身の憂きに人の恨のなほ添ひて
      忘れもやらぬ我が思い せめてや暫し慰むと
      梓}の弓に怨霊のこれまで現れ出でたるなり。
  下歌「あら恥かしや今とても 忍車のわが姿。月をば眺め明かすとも /\
    月には見えじかげろふの 梓の弓のうらはずに 立ち寄り憂きを語らん
シテ   「梓の弓の音は何くぞ /\
ツレ   「東屋の母屋の・妻戸に居たれども
シテ   「姿なければ訪ふ人もなし 
ツレ    不思議やな誰とも見えぬ・上臈の
      破車に召されたるに青女房と思しき人の 牛もなき車の轅に取りつき
      さめざめと泣き給ふ痛はしさよ。 
     「若しかやうの人にてもや候ふらん
ワキツレ 「大方は推量申して候 唯つゝまず名をおん名乗り候へ。
シテ   「それ娑婆電光の境には 恨むべき人もなく 悲しむべき身もあらざるに
      いつさて浮かれ初めつらん 唯今梓の弓の音に引かれて 現れ出でたるをば
      如何なる者とか思し召す 是は六条の・御息所の怨霊なり
      われ世に在りしいにしへは。雲上の花の宴 春の朝の・御遊に馴れ
      仙洞の紅葉の秋の夜は 月に戯れ色香に染み はなやかなりし身なれども
      衰へぬれば朝顔の 日影待つ間の有様なり。 唯いつとなき我が心
      もの憂き野辺の早蕨の萌え出でそめし思の露。
      斯かる恨を晴らさんとて これまで現れ出でたるなり
地  下歌「思ひ知らずや世の中の 情は人のためならず
   上歌「我人のためつらければ /\ 必ず身にも報ふなり 何を歎くぞ葛の葉の
      恨はさらに尽きすまじ
シテ   「あら恨めしや
    詞「今は打たでは叶ひ候ふまじ
ツレ   「あら浅ましや六条の御息所程の御身にて うはなり打ちのおん振舞
      いかでさる事の候ふべき 唯思し召し止り給へ
シテ  詞「いや如何に云ふとも 今は打たでは叶ふまじと 枕に立ち寄りちやうと打てば
ツレ   「この上はとて立ち寄りて わらははあと}にて苦くを見する
シテ   「今の恨は有りし報い
ツレ   「嗔恚}のほむらは
シテ   「身を焦がす。おもひ知らずや。
シテ   「思ひ知れ
地    「恨めしの心や。あら恨めしの心や。人の恨の深くして 憂き音に泣かせ給ふとも
      生きて此世にましまさば 水闇き沢辺の蛍の影よりも 光る君とぞ契らん
シテ   「わらはは・蓬生の
地    「本あらざりし身となりて 葉末の露と消えもせば それさへ殊に恨めしや
      夢にだにかへらぬものをわが・契{ちぎり} 昔語になりぬれば
      たとえ葵の上を泣かせたとしても、生きてこの世にいらっしゃる限り、
      なほも思は真澄鏡。その面影も恥かしや 枕に立てる破車
      うち乗せ隠れ行かうよう
ワキツレ詞「いかに誰かある 葵上のおん物怪 いよいよ以ての外に御座候ふ程に
      横川の小聖を・請じて来り候へ。

狂言シカシカ

ワキ   「九識の窓に思いを静め、十乗の床のほとりに 瑜伽の法水をたゝへ 
     「三密の月を澄ます所に 案内申さんとは如何なる者ぞ。

狂言シカシカ

ワキ   「此間は別行の子細候へども 大臣よりと承り候間参らうずぞ
ワキツレ 「夜陰と申しご参めでとう候 別行の子細候えども 大臣よりと承り候間参じて候
ワキ   「さて病者は何くに御座候ふぞ
ワキツレ 「あれなる大床に御座候
ワキ   「これはもってのほかの邪気と見えて候 やがて加持申うそうずるにて候
ワキツレ 「急ぎおん加持あってたまわり候え
ワキ   「心得申し候
      行者は加持に参らんと 役の行者の跡を継ぎ 胎金両部の峯を分け
      七宝の露を払ひし篠懸に
    詞「不浄を隔つる忍辱の袈裟 赤木の珠数のいらたかを さらり/\と押しもんで
      一祈こそ祈つたれ
シテ   「如何に行者早帰り給へ 帰らで不覚し給ふなよ
ワキ   「たとひ如何なる悪霊なりとも 行者の法力尽くべきかと 重ねて珠数を押しもんで
地    「東方に降三世明王 東方に降三世明王
シテ   「南方軍荼利夜叉
地    「西方大威徳明王
シテ   「北方金剛地
地    「夜叉明王
シテ   「中央大聖地
地    「不動明王 なまくさまんだばさらだ せんだまかろしやな
      そはたやうんたらたかんまん 聴我説者得大智慧 知我身者即身成仏
シテ   「あら/\恐ろしの般若声や 
地    「これまでぞ怨霊 この後又も来るまじ
      読誦の声を聞く時は 悪鬼心を和らげ 忍辱慈悲の姿にて
      菩薩もここに来迎す 成仏得脱の身となり行くぞ 有難き/\


   参考資料: 「能楽の杜」 http://www.webslab.com/ 


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