実 盛 (さねもり)

●あらすじ
 加賀篠原で念仏説法している遊行の聖は、時々独り言をいう。それは他入に見えない老人がこの説法の庭に来るからである。ある日、僧がその名を尋ねると、はじめ口ごもった老人(シテ)は実盛の幽霊だとうち明けて姿を消した(中入)。 僧が称名の声をあげてその霊を弔っていると、甲胃姿の斎藤別当実盛の亡霊(後シテ〉が姿を現わす。討死を覚悟の実盛は篠原の合戦に出発の際主君平宗盛に願って錦の直垂を賜わり、敵将木曾義仲を討とうと奮載した。敵の手塚太郎光盛がその派手やかな出でたちに目をとめて、「名乗れ名乗れ」とせめたが名乗らず、遂に手塚に首をかき落された。 手塚はその人柄を怪んで義仲に報告し、実盛らしいので樋口次郎が首実験した。樋口はその首を見て涙を流した。六十余歳の老武者だから先陣争いもなるまい。戦場には鬢や鬚を黒く染めて若やいで出て討死するのだ、とは実盛の口ぐせであった。そしてその通りに白髪を染めて、こうして討死したのだ。試みにその首をここの池の水で洗ったところ、墨は流れ落ちてもとの白髪となった。それは今から二百余年も前のことだが、まだ執心が晴れずにこうして姿を見せているのである。

●宝生流謡本      内四巻の二     二番目    (太鼓あり)
    季節=秋 場所=加賀国篠原 作者=世阿弥 素謡稽古順=中伝序  素謡時間=60分
    素謡座席順   ワキヅレ=住僧
              シテ=前・老翁  後・実盛
               ワキ=僧

●観能記  華やかなるかな、斎藤実盛!
 金沢能楽会の別会能を拝見。能三番と狂言一番が演じられた中で、何と言っても最も心を動かされたのは、我が師匠である藪俊彦師がシテを演じられた能「実盛」でした。この曲の主人公、斎藤実盛とはいかなる人物なのでしょうか。主人公の事跡がわからないとこの能の面白さを充分味わえないと思います。斎藤実盛(天永二(1111)年〜寿永二(1183)年)平安時代末期の武将。越前に生まれ、のち武蔵国幡羅郡長井庄(現在の埼玉県大里郡妻沼町)を本拠とし、長井別当と呼ばれる。武蔵国は、相模国を本拠とする源義朝と上野国に進出してきたその弟・源義賢の両勢力の緩衝地帯であった。実盛は始め義朝に従っていたが、やがて地政学的な判断から義賢の幕下に伺候するようになる。こうした武蔵衆の動きを危険視した義朝の子・義平は、久寿二(1155)年に義賢を急襲してこれを討ち取ってしまう。実盛は再び義朝・義平父子の麾下に戻るが、一方で義賢に対する旧恩も忘れず、義賢の遺児・駒王丸を預かり、信濃国の中原兼遠のもとに送り届けた。この駒王丸こそが後の旭将軍・木曾義仲である。木曾義仲にとって実盛は命の恩人であった。
保元の乱、平治の乱においては上洛し、義朝の忠実な部将として奮戦する。平治の乱で義朝が滅亡した後は、関東に落ち延びて平家に仕え、東国における歴戦の有力武将として平家から重用される。そのため、治承四(1180)年に義朝の子・頼朝が挙兵しても平家方にとどまり、平維盛の後見役として頼朝追討に出陣する。平家軍は富士川の戦いにおいて頼朝に大敗を喫するが、これは、実盛が東国武士の勇猛さを説いたところ維盛以下平家の武将が過剰な恐怖心を抱いてしまい、その結果水鳥の羽音を夜襲と勘違いしてしまったことによるという。実盛にとっては痛恨の負け戦であった。
寿永二(1183)年、再び平維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣するが、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れとなる中、覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦し、ついに義仲の部将・手塚太郎によって討ち取られた。この際、出陣前からここを最期の地と覚悟しており、『最期こそ若々しく戦いたい』という思いから白髪の頭を黒く染めていた。そのため首実検の際にもすぐには実盛本人とわからなかったが、木曾義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついに実盛と確認された。かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだという。

●能『実盛』の特徴
『実盛』は世阿弥の作品ですが、彼自身は『実盛』に満足していなかったそうです。世阿弥の『申楽談儀』には、「井筒・通盛など、直(すぐ)なる能なり。実盛・山姥も傍(そば)へゆきたるところあり」(田中裕校注『世阿弥芸術論集』新潮社、より)とコメントされています。「傍へゆきたる」とは脇道にそれたという意味です。『実盛』はまず狂言方の語りから始まりますが、これは現在能の手法であり、夢幻能には珍しい形式です。通常の夢幻能では、前シテは現世の人間として登場しますが、『実盛』では、遊行上人にしか見えないのであり、いかにも世の常の人間ではないというないという雰囲気を漂わせています。

●世阿弥自身が評価する点
世阿弥は、能の詞章を書くにあたっては忠実に原典(『実盛』の場合は『平家物語』)の順にしたがうのではなく、劇的効果を出すために順序を変更すべきであると述べているそうです。その例として『実盛』をとりあげ、『申楽談儀』に「実盛に鬚洗ふより、順序ならば、合戦場になる体を書くべきを、『また実盛が』など言ひて、入端に戦う体を書く、かやうの心得なり」(田中、前掲書)と紹介しています。原典『平家物語』では、「合戦討死」「首実検」「錦の直垂の話」という順番になっていますが、能『実盛』では、「首実検」「錦の直垂の話」「合戦討死」という順に変更されています。

●斎藤実盛【さいとうさねもり】(1111〜1183)
代々越前に住んだが、武蔵国長井(現・埼玉県大里郡妻沼町)に移り、源為義、義朝に、後に平維盛に仕えた。維盛に従って義仲を討つ折、鬢髪を黒く染めて奮戦し手塚光盛に討たれたという。別当とは役職の名称。 実盛の首を確かめた樋口次郎は、ただ一目みて「あなむざんや、斎藤別当で候ひけり」と涙はらはら。実盛の討死から500年後、芭蕉が訪れ「むざんやな」の句を詠む。
多太神社に残る実盛の兜(国重文)。高さ15.2cm、鉢廻り71.2cm、総体廻り139.4cm、重さ4.4kg。木曽義仲が願状を添えて実盛の遺品を奉納したと伝えられています。現在は兜、袖、臑当(すねあて)を見ることができます。なかでも兜は精緻で気品があり、芭蕉も[奥の細道]で詳しく紹介しています。小松市多太神社が収蔵する木曽義仲奉納の実盛の兜は820年の時を超え、色あざやかに堂々と、その姿を保っている。宝物館の扉を開けば、暗闇に眠る兜が光を受け、往時の輝きを見せる。

●実盛有情
寿永二年五月の命日より八百二十二年を経て、雨に煙る池の面に手を合わせ、実盛の 成佛を祈り、能を無事に舞い納めますと誓いました。又、 見る人もその心を受け止められれば、きっと冥土の実盛もその苦しみから解放されるに 実盛有情としひこ 蝉しぐれを耳にして、別会の「実盛」の稽古をしています。この曲の舞台は、片山津温泉に程近い源平町にある首洗池です。 この篠原の地で実盛が戦死して、二百年も経た康応二年(一三九〇)に時宗・遊行寺の十四世、太空上人が念佛を唱え、説教している所に老人があらわれます。 そして、上人に向かって「南無阿弥陀仏」と一心に念佛を唱えます。しかし、その姿、言葉は上人には見えるものの、他の人々の目には見えず、声も聞こえません。 何者かと尋ねると「魂は冥途にありながら、魄は此の世に留まって、執心の心に苦しみ続けている。どうか助けてくれよ。」と訴えます。 二百年もの間、苦しみ、悩み、悲しみ、成仏できない実盛の執心は如何程のものなのだろう。老武者として「もののふ」の鏡となる生き様をせんが為に持ち続けた心の深奥を実盛は上人に語り、その時の有様を見せることで解放されて行きます。  六十歳も過ぎて戦う時は、若殿と競い合うことも大人気ないし、老人だと疎まれることも嫌だと、白髪を黒く染めます。そして、赤地の錦の直垂に萌黄色の鎧を着て、とても七十三歳とは見えぬ姿で、最後の戦いに臨みます。 本当に「あっぱれ!」な心意気です。

(平成25年1月18日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


              実   盛(さねもり)
         季 秋      所 加賀国篠原
  【分類】二番目物 (修羅物)  
  【作者】世阿弥本清   典拠:前半分は伝説か 後半は平家物語
  【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:斉藤別当実盛 ワキ:僧 ワキズレ:住僧

【あらすじ】(仕舞〔クセ〕の部分は上線部、仕舞〔キリ〕の部分は下線部です。)
諸国遊行の他阿弥上人が加賀国(石川県)篠原で連日説法を行っていると、一人の老人が一日も欠かさず聴聞に来ます。しかし、不思議なことにその老人の姿は、上人以外の人には見えません。そのため、上人がその老人と言葉を交わしていても、上人が独り言をしゃべっているように聞こえ、土地の人は不審に思います。今日も、その老人がやってきたので、上人がその名を尋ねますが、なかなか明かしません。強いて尋ねると、人を遠ざけた後に、斉藤実盛は篠原合戦で討たれ、その首をこの前の池で洗ったことを話し、自分こそ二百余年を経て、なお成仏できないでいる実盛の亡霊であると明かして消え失せます。

     詞章                    (胡山文庫)

ワキ  サシ上 それ西方八十萬億土。生るる道ながら
ワキズレ  上 ここも巳身の弥陀の国
ワキ     上 貴賤群衆の称名の声
ワキズレ  上 日々夜々の法の場
ワキ     上 げにもまことに摂取不捨の
ワキズレ  上 誓いに誰か
ワキ    上 残るべき
ワキワキズレ上 独りなお佛の御名を尋ねん
ワキズレ  上 独りなお佛の御名を尋ねん
ワキワキズレ上 おの/\帰る法の場。知るも知らぬも心引く誓い綱にもるべきや知らぬ人も。
        知らぬ人をも渡さばや彼の国へ行く法の舟 浮かむも安き道とかや/\。
シテ  サシ上 笙歌遙かに聞こゆ孤雲の上。聖所来迎す落日の前。
        あらたうとやと今日もまた紫雲の立って候。
      詞「いかに人々。日昼の称名わはや始まりて候か。や。鐘の音念仏の声の聞こえ候。
        偖は聴聞も今なるべし。さなきだに立ち居苦しき老いの浪の。
        寄りもつかずは聴じゅの場(ニワ)に。餘所ながらもや聴聞せん。」
   カカル上 一念称名の声の内には。摂取の光明曇らねども。
        老眼の通路なおもつて明かならず。よし/\少しは急がずとも。
        ここを去る事遠かるまじや。南無阿弥陀仏
ワキ    詞「いかに翁。偖も毎日の称名に怠ることなし。されば志の者と見る所に。
         おことの姿余人の見る事なし。誰に向かって何事を申すぞと皆人不審しあえり。
         今日はおことの名を名のり稿へ。
シテ    詞「これは思いもよらぬ仰せかな。もとよりこの身は天さがる。
         鄙人なれば人がましや。名もあらばこそ名のりもせめ。
         唯上人の御下向。偏に弥陀の来迎なれば」
      下 かしこうぞ長生して。
      上 此の称名の時節に逢う事。盲亀の浮木優曇華の。花待ち得たる心ちして。
         老いの幸身に越え悦びの涙袂にあまる。さればこの身ながら。
         安楽国に生るるかと。無比の歓喜をなす所に。輪廻盲執の闇浮の名を。
         又改めて名にらん事。口惜しうこそ稿へ
ワキ    詞「げに/\翁の申すちころ理り至極せりさりながら。
        一つ懺悔の廻心ともなるべし。唯おことが名を名のり稿へ
シテ    詞「偖は名のらではかない稿まじきか
ワキ    詞「中々の事急いで名にり候へ
シテ    詞「さらば御前なる人をのけられ候へ
ワキ    詞「もとより翁の姿余人の見る事はなけれども。
        所望ならば人をばのくべし。近う寄って名のり候へ
シテ    詞「昔長井の斎藤別当実盛は。此の篠原の合戦にうたれぬ。
        定めて聞し召し及ばれてこそ候らめ
ワキ    詞「それは平家の侍弓取ての名称其の軍物語は無益。
        只おことの名を名のり候へ
シテ    詞「いやされば其の実盛は。
        其の御前なる池水にて鬢髭をも洗はれしとなり。
        さればその時の執心残りけるかな。
        今もこのあたりの人には幻の様に見ゆると申し候
ワキ    詞「さて今も見え候か
シテ    下 深山木の其の梢とは見えざりし。桜は花に顕れたる
      上 老い木をそれと御覧ぜよ
ワキ カカル上 ふしぎやさては実盛の。昔を聞きつる物語。人の上ぞと思いしに。
        身の上なりけるふしぎさよ。さてはおことは実盛のその幽霊にてましますか
シテ    詞「我実盛の幽霊なるが。魂は冥途にありながら。
        魂は此の世にとどまつて
ワキ カカル上 猶執心の闇浮の世に
シテ    詞「二百餘歳の程はふれども
ワキ    上 浮かみもやらで篠原の
シテ    上 池のあだ浪よるとなく
ワキ    上 昼ともわかで心の闇の
シテ    上 夢ともなく
ワキ    上 現ともなき
シテ    上 思いをのみ。篠原の草葉の霜の翁さび
地     上 草葉の霜の翁さび。人なたがめそ仮初めに。現れ出でたる実盛が。
        名を漏らし給うなよ。なき世語りも恥かしとて。
        御前を立ち去りて。行くかと見れば篠原の池の辺にて姿は。
        幻となりて失せにけり
<中入>
上人は里の男に実盛の出自、最期の様子、首実検の様などを尋ね、いよいよ先刻の老人は実盛の亡霊であると認め、その跡を弔うことにします。その夜、上人が池のほとりで念仏を唱えていると、実盛の霊が、白髪の老武者の姿で現われ、その手向けに感謝し、報恩のため、首実検の様、さかのぼって錦の直垂を拝領しての出陣の模様、木曾義仲と組もうとして、手塚太郎に討ち取られた一部始終を物語り、なおも回向を頼んで消え失せます。

ワキ カカル上 いざや別時の称名にて。彼の幽霊を弔はんと
ワキワキヅレ上 篠原の池の辺の法の水
ワキヅレ  上 篠原の池の辺の法の水
ワキワキヅレ上 深くぞ頼む称名の声澄み渡る弔いの。初夜より後夜に至るまで。
        心も西へ行く月の光と共に曇なき。鐘をならして夜もすがら
ワキ     下 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
後シテ   下 極楽世界に入りぬれば。永く苦界を越え行きて。
         輪廻(リンニェ)の古郷隔たりぬ。歓喜の心いくばくぞや。
       上 所は不退の処。命は無量寿佛となう。頼もしや。
         念々相続する人は
地     上 念々毎に。往生す
シテ    上 南無といつぱ
地     上 即ち是帰命
シテ    下 阿弥陀といつぱ
地     上 其の行此の義を持っての故に
シテ    上 かならず往生。得べしとなり
地     上 ありがたや

    (連吟 不思議やな カラ  至らざるべき マデ)

ワキ カカル上 不思議やな白みあいたる池の面に。幽に浮かよる者を。
        見ればありつる翁なるが。甲冑を帯するふしぎさよ
シテ    上 埋もれ木の人知れぬ見と沈めども。心の池のいいがたき。
        修羅の苦患の数々を。浮かめてたばせ給えとよ
ワキ    上 これ程にまのあたりなる姿言葉を。
        余人は更に見も聞きもせで
シテ    上 ただ上人のみ明かに
ワキ カカル上 見るや姿も残んの雪の
シテ    上 鬢髭白き老武者なれども
ワキ    上 其のいでたちは華やかなる
シテ    上 粧い殊に曇なき
ワキ    上 月の光
シテ    上 灯火の影
ワキ    上 暗からぬ夜の錦の。直垂に。夜の錦の直垂に。萌葱匂いの鎧着て。
        黄金作りの太刀かたな。今の身にてそれとても。なにか宝の。
        池の蓮の。臺こそ宝なるべけれ。げにや疑はぬ。法の教は朽ちもせぬ。
        黄金の言葉多くせば。などかは至らざるべき/\。
地   クリ上 それ一念弥陀佛速滅無量罪。即ち廻向発願心。
        心を残す。事なかれ。
シテ  クリ上 時至つて今宵逢いがたき後法を受け。
ワキ    上 懺悔懺悔の物語。猶も昔を忘れかねて。忍ぶに似たる篠原の。
        草の陰野の露と消えし有様語り申すべし

    (独吟 さても篠原の合戦 カラ  皆涙をぞ流しける マデ)

シテ    詞「さても。篠原の合戦。破れしかば。源氏の片に手塚の太郎光盛。
        木曾殿の御前にて馳せ参じて申すよう。
        光盛こそ奇異の曲者と組んで首取って候へ。
        大将かと見ればつづく勢もなし。
        又端武者かと思えば錦の直垂を着たり。
        名のれ/\と責むれども終に名のらず。
        声は坂東声にて候いしと申す。木曾殿聞こし召され。
        天晴れ長井の斎藤別当実盛にてやあるらん。
        それなれば義仲が上野にて見し時。鬢髭のかすうなりし程に。
        今は定めて白髪たるべきが。黒きこそ不審なれ。
        樋口の次郎や見知りたるらんとて召されしかば。
        樋口参り。只一目見て。涙をはらはらと流いて。
シテ    下 あな無残やな。斎藤別当にて候いけるぞや。

    (囃子 実盛常に申せしは カラ  跡弔らいてたびたまえ マデ) 

        実盛常に申せしは。六十に餘つて軍せば。
        若殿原と争いて。先をかけんも。
        おとなげなし。又老武者とて人々に。あなづられんも口惜しかるべし。
        鬢髭を墨に染め若やぎ討ち死にせんずるよし。
        常々申し候いしが直に染めて候。
        洗わせて御覧候へと。申しもあえず首を持ち

    (仕舞 洗わせて御覧 カラ  懺悔物語申さん マテ)
    (囃子 洗わせて御覧 カラ  跡弔らいてたびたまえ マデ) 

地     下 御前を立ちてあたりなる。此の池波の岸に臨みて。
        水のみどりも影うつる柳の糸の枝たれて
      上 気はれては風新柳の髪を梳リ。氷消えては。波旧苔の。
        髭を洗いて見れば。墨は流れおちてもとの。白髪となりにけり。
        げに名を惜しむ弓取りは。誰もかくこそあるべけれや。
        あらやさしやとて皆涙をぞ流しける

    (仕舞 また実盛が カラ  懺悔物語申さん マテ)
〔クセ〕
シテ  クセ下 また実盛が。錦の直垂を着ること.私ならぬ望みなり。
        実盛。都を出でし時.宗盛公に申すやう。古郷へは錦を着て。
        帰るといえる本文あり。実盛生国は。越前の者にて候いしが。
        近年。ご領につけられて。武蔵の長井に。居住つかまつり候いき。
        この度北国に。まかり下だりて候わば。定めて。討死つかまつるべし。
        老後の思い出これに過ぎじ。ご免あれと望みしかば。
        赤地の錦の.直垂をくだしたまわりぬ。
シテ    詞「しかれば古歌にももみじ葉を。
地     上 分けつつ行けば錦着て。家に帰ると。人や見るらんと詠みしも。
        この本文の心なり。
        さればいにしえの。朱買臣は。錦の袂を。会稽山にひるがえし。
        今の実盛は名を北国の巷にあげ。隠れなかりし弓取りの。
        名は末代に有明の。月の夜すがら.懺悔物語申さん。
地  ロンギ上 げにや懺悔の物語。心の水の底清く濁りを残し給うなよ

    (仕舞 その執心の カラ  跡弔らいてたびたまえ マデ)
〔キリ〕
シテ    上 その執心の修羅の業。めぐりめぐりてまたここに。
        木曽と組まんとたくみしに。
        手塚めに隔てられし。無念は今にあり。
地     上 つづく兵たれたれと。名のる中にもまず進む。
シテ    上 手塚の太郎光盛。
地     上 郎等は主を討たせじと。
シテ    上 かけ隔たりて実盛と。
地     上 押し並べて組む所を。
シテ    上 あっぱれ.おのれは日本一の。剛の者とぐんじょうずよとて。
地     上 鞍の前輪に押しつけて。首かき切って。捨ててげり。
        その後手塚の太郎.実盛が弓手にまわりて。
        草摺をたたみあげて。二刀さす所を.むずと組んで二匹が間に。
        どうど落ちけるが。
シテ    上 老武者の悲しさは。
地     下 軍にはし疲れたり。風にちぢめる。枯木の力も落ちて。
        手塚が下になる所を。郎等は落ちあいて。
        ついに首をばかき落とされて。篠原の土となって。
        影も形もなき跡の。影も形も南無阿弥陀仏.
        弔らいてたびたまえ.跡弔らいてたびたまえ。


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