頼 政(よりまさ)

●あらすじ
旅の僧が都から南都に向かう途中、宇治の里に赴く。僧が宇治の名所を教えてほしいと頼んだ老人は、僧を平等院へと案内する。僧が扇形に残る芝について尋ねると、老人はかつて源三位頼政がこの場所に扇を敷いて自害したことを話し、自身が頼政の幽霊であると名のり、姿を消してしまう。夜になり、源頼政の幽霊が現れ、平家に敗戦した際の様子を語る。高倉の宮(以仁王)に謀反を勧めた結果、都落ちすることになり、平家に追われた頼政らは宇治川の橋板を外し、対岸で追手を待ち構えた。平家方は田原の又太郎忠綱が先陣として宇治川に馬を乗り入れて対岸に攻め込み、合戦となる。頼政の息子二人も討たれ、頼政は平等院の庭の芝に扇を敷いて座り、辞世を詠んで自害した旨を語り、消えていく。

●宝生流謡本      内三巻の二     二番目    (太鼓なし)
    季節=春     場所=山城国宇治    作者=世阿弥作
    素謡稽古順=初序      素謡時間=45分 
    素謡座席順   シテ=前・老翁  後・源 三位頼政
               ワキ=旅僧

●源 頼政(みなもと の よりまさ)
平安時代末期の武将・歌人。摂津源氏の源仲政の長男。平氏が専横を極める中、それまで正四位下を極位としていた清和源氏としては突出した従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称された。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場 頼政(ばば の よりまさ)ともいう。保元の乱、平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に昇る。
(以仁王の挙兵)。だが、平氏の専横に不満が高まる中で、以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画し、諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えた。計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、平氏の追討を受けて宇治平等院の戦いで敗れ自害した。 
時代 平安時代末期  生誕 長治元年(1104年) 死没 治承4年5月26日(1180年6月20日)
改名 頼政、真蓮、頼円  別名 源三位入道、入道三品、三品禅門
戒名 蓮華寺建法澤山頼圓  墓所 京都府宇治市平等院 岐阜県関市蓮華寺(首塚)ほか

●解 説 〔'04/6/26 第15回 響の会 パンフレット掲載〕
 世阿弥作の二番目物。源頼政は平安時代末期に活躍した摂津源氏の武士で、平家とは友好的な関係を保っていたが、息子の仲綱が平清盛の子の宗盛に屈辱的な仕打ちをされたことを契機として、七十七歳という高齢でありながら平家打倒の謀反を企てた。宇治橋の上での頼政軍と平家軍との激しい合戦の様子は『平家物語』巻四「橋合戦」に詳しく描かれており、本曲もこれを素材としている。また頼政は歌人としても知られており、『源三位頼政集』という歌集を遺している。平等院で自害するにあたり辞世の歌を詠むのは和歌を愛した頼政らしいが、その歌は平家全盛時代にたいした活躍もなく生涯を終えようとする我が身を詠んだものだった。そんな頼政の生涯における華々しい活躍に鵺退治がある。宮中に飛来して天皇を悩ませる鵺という怪鳥を頼政がひと矢で射落としたという話だが、世阿弥は『平家物語』に描かれる頼政の鵺退治を題材として、退治された側の鵺の霊を主人公とする能〈鵺〉も作っている。能〈頼政〉では、歌人としての風流な面と、平家に反旗を翻す武士としての荒々しさ、敗れ去る者の悲哀がどのように表現されるかが注目される。

●参 考
「弓はり月のいるにまかせて」歌人として優れていた頼政は藤原俊成や俊恵、殷富門院大輔など多くの著名歌人と交流があったことが知られ、その詠歌は『詞花集』以下の勅撰和歌集に計59首入集しており、家集に『源三位頼政集』が残る。また、晩年は官位への不満をもらす歌が多くなっている。頼政の位階は正四位下だが、従三位からが公卿であり、正四位とは格段の差があった。70歳を超えた頼政は一門の栄誉として従三位への昇進を強く望んでいた。治承2年(1178年)、清盛の推挙により念願の従三位に昇叙した。『平家物語』によると清盛は頼政の階位について完全に失念しており、そのため長らく正四位であった頼政が、「のぼるべきたよりなき身は木の下に 椎(四位)をひろひて世をわたるかな」という和歌を詠んだところ、清盛は初めて頼政が正四位に留まっていたことを知り、従三位に昇進させたという。史実でもこの頼政の従三位昇進は相当破格の扱いで、九条兼実が日記『玉葉』に「第一之珍事也」と記しているほどである。清盛が頼政を信頼し、永年の忠実に報いたことになる。この時、頼政74歳。 翌治承3年(1179年)11月、頼政は出家して家督を嫡男の仲綱に譲った。

●演能記            
頼政の男気  喜多流能楽師 粟谷明生
粟谷能の会福岡公演(平成15年9月20日)『頼政』では、父の体調を配慮して、私が後シテを代演しました。『頼政』は粟谷能の会(平成9年)の初演以来、能楽座静岡楕円堂公演(平成12年)でも急遽、父の代演をし、今回またと、何か因縁を感じます。頼政像が父の姿と重なるようで感慨深いものもあり、私なりに思うところを後半に重点をおいてまとめてみました。『頼政』の後場は平家物語に基づいて作られています。治承四年の夏の頃、頼政は以仁王にご謀反を勧め、三井寺(園城寺)の援軍を頼みにしますが、平家方の知るところとなり、敢え無く、宇治平等院に御座を敷き平家を向かい討ちます。宇治川の橋合戦の様を語る床几に掛けての仕方話は、老将である頼政と、平家方の若武者、田原又太郎忠綱の二者を演じ分けるところに演者の力量が出て面白いところだと思います。特に忠綱の指揮による三百余騎が川を渡り攻め入る様子は、能『頼政』ならではの面白さ、見どころです。  (後略)

(平成24年12月21日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                頼  政( よりまさ)   

            内三巻の二     二番目     (太鼓なし)
            季 春    所 山城国宇治    
      【分類】  二番目物 (修羅能)
      【作者】  世阿弥
      【主人公】 前シテ:老翁、後シテ:源頼政の霊  

       詞 章                       (胡山文庫)

ワキ  詞 「是は諸国一見の僧にて候。我此の程は都に候いて。
       落葉の寺社残りなく拝み廻りて候。又是より南都に参らばやと思い候。」
  道行上 あま雲の稲荷の社ふし拝み。稲荷の社ふし拝み。
       猶行末は浮草や木幡の関を今越えて。伏見の沢田見え渡る水の水上尋ね来て。
       宇治の里にも着きにけり宇治の里にも着きにけり
ワキ      げにや遠国にて聞き及びにし宇治の里。
ワキ  詞 「山之姿川の流れ。」
ワキ      遠の里橋の景色。見所多き名所かな。
シテ  詞 「なうなう御僧は何事を仰せ候ぞ」
ワキ  詞 「これはこの所始めて一見の者にて候。この宇治の里において。
       名所旧跡残りなく御教え候へ」
シテ  詞 「所には住み候へども賤しき宇治の里人なれば。名所とも旧跡とも」
       いさ白浪の宇治の川に.船と橋とはありながら。渡りかねたる世の中に。
       すむばかりなる名所旧跡何とか答え申すべき。
ワキ  詞 「いや左様には承り候へども。勧学院の雀は蒙求を囀るといへり。
       所の人にてましまさば御心憎うこそ候へ。
       先ず喜撰法師が住みける庵はいづくの程にて候ぞ」
シテ  詞 「さればこそ大事の事をお尋ねあれ。彼の喜撰法師が歌に。」
       我が庵は都の巽しかぞすむ。
       「世を宇治山と人は云うなり
       人はいうなりとこそ。主だにも申し候へ。尉は知らず候。
ワキ  詞 「 またあれに一村の里の見えて候は槇の候か
シテ  詞 「さん候槇の嶋とも申し.又宇治の川嶋とも申すなり
ワキ  詞 「かれに見えたる小嶋が崎は
シテ  詞 「名に橘の小嶋が崎
ワキ      向ひに見えたる寺は。いか様恵心の僧都の。御法を説きし寺候な
シテ     なうなう旅人ある御覧ぜよ
     上 名にも似ず月こそ出づれ。朝日山
地    上 名にも似ず月こそ出づれ朝日山。山吹の瀬に影見えて。 
        雪さしくだすしば小舟。山も川も。おぼろおぼろとして是非を分景色かな。
       げにや名にしおふ。都に近き宇治の里聞きしに優る名所かな聞きしに優る名所かな
シテ  詞 「いかに申し候。此の所に平等院と申す御寺の候御覧ぜられて候か
ワキ  詞 「不知案内の事にて候程に。未だ見ず候御教え候へ
シテ  詞 「此方へ御入り候へ。これこそ平等院にて候へ。又これなるは釣殿と申して。
       面白き所にて候よくよく御覧候へ
ワキ  詞 「げにげに面白き所にて候。又これなる芝を見れば。扇の如く取り残されて候は。
       何と申したる事にて候ぞ
シテ  詞 「さん候これは古へ此の所に宮軍のありし時。源三位頼政合戦に打ち負け。
       扇を敷き自害し果て給ひぬ。されば名将の古跡なればとて。かように芝草のこして。
       今に扇の芝と申し候
ワキカカル いたわしやさしも文武に名を得し人なれども。跡は草露の道のべとなつて。
       行人征馬の行くへの如し。あら痛はしや候
シテ  詞 「げによく御弔い候ものかな。なう其の宮軍の月も日も今日に当りて候はいかに
ワキ  詞 「なにと其の宮軍の月も日も今日に当りたると候や
シテ     かように申せば我ながら。余所にはあらす旅人の。草の枕の露の世に。
       姿見えんと来りたり。現とな思い給いそとよ
地   上 夢の浮世の中宿の。夢の浮世の中宿の。宇治の橋守年を経て。
       老いの浪も打ち渡す遠方人に物申す我頼政が幽霊と名のりもあえず失せにけり 
       名のりもあえず失せにけり         P12  <中入>

そのあと、宇治の里の人がやって来たので、旅僧は、彼から頼政の挙兵の理由や宇治橋の合戦の模様を聞きます。僧は、そぞろ哀れをもよおし、頼政のために読経し、仮寝をします。やがて、僧の夢の中に、法体の身に甲冑を帯びた老将が現れます。僧は頼政と認め、法華経を読誦しているので、成仏疑いないことを伝えます。頼政は、治承4年夏、挙兵した時の様から説き起こし、宇治に陣を構えた模様を語ります。そして、宇治川を挟んでの合戦、平家方300余騎が川を渡ってくる様子、踏み留まっての防戦と語りつぎます。しかし、敗色濃しと見た頼政は、平等院の芝の上に扇を打ち敷き、「埋れ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果ては 哀れなりけり」の辞世を詠じて自害します。その跡が、世にいう扇の芝であると述べ、僧に回向を乞うて、草の陰に消えてゆきます。

ワキ  詞 「さては頼政が幽霊仮に現れ。我に詞を交わしけるぞや
ワキ      いざや御跡弔はんと
   待謡 思いろるべの浪枕。思いろるべの浪枕。汀も近し此庭の扇の芝を片敷きて。
       夢の契りを待とうよ
後シテ   血は?鹿の河と成つて。紅波楯を流す。世を宇治川の網代の浪。あら閻浮恋しや。
       伊勢武者は。皆緋縅の鎧着て。宇治の網代に。かかりけるな。哀れはかなき世の中に
地   上 蝸牛の角の。あらそいも
シテ  下 はかなける。心かな。
シテ  詞 「あら貴の御事や。猶々御経読み給え
ワキ      不思議やな法体の身にて甲冑を帯し。御経読めと承るは。
       いか様聞きつる源三位の。其の幽霊にてましますか
シテ  詞 「げにや紅は園生に植えても隠れなし
シテ    名のらぬさきに
シテ  詞 「頼政と御覧ずるこそ恥しけれ。唯々御経読み給え
ワキ      御心安く思しめせ。五十展でんの功力だよ。成仏まさに疑いなし。
       ましてやこれは直道に
シテ  上 弔いなせる法の力
ワキ   上 あいにあいたり所の名も
シテ  上 平等院の庭の面
ワキ   上 思い出でたり
シテ  上 仏在世に
ワキ   上 仏の説きし法の場。仏の説きし法の場。ここぞ平等大恵の。功力に頼政が。
       仏果を得んぞありがたき
シテ  上 今は何をかつつむべき。これは源三位頼政
地   上 執心の浪に浮き沈む。因果の有様顕はすなり
       そもそも治承の夏の頃。よしなき御謀反をすすめ申し。名も高倉の宮のうち。
       雲居のよそに有明の月の都を忍び出でて
シテ  下 うき時しもに近江路や
地   下 三井寺さして落ち給う
    クセ さる程に。平家は時をめぐらさず。数万騎の兵を。関の東に遣はすと。
       聞くや音羽の山つづく。山科の里近き。木幡の関をよそに見て。
       ここぞうき世の旅心宇治の川橋打ち渡り。大和路さして急ぎしに
シテ  上 寺と宇治との間にて
地   上 関路の駒の隙もなく。宮は六度まで御落馬にて煩わせ給いけり。
       これわさきの夜御寝ならざる故なりとて。平等院にして。
       暫く御座をかまえつつ宇治橋の中の間引きはなし。下は河波。上に立つも。
       共に白旗を靡かして寄する敵を待ち居たり

         (以下独吟の部分の抜粋です。 P20)
シテ  詞 「かくて源平両家の兵。宇治川の南北の岸にうち望み。閧の声矢叫びの音。
       波にたぐえておびたたし。」
       味方には筒井の浄妙.一来法師。
    詞 「橋の行桁を隔てて戦う。橋は引いたり水は高し。
       さすが難所の大河なれば。
    詞 「そうのう渡すべきようもなかっし所に。」
       田原の又太郎.忠綱と名乗って。
    詞 「宇治川の先陣われなりと。」
       名乗りもあえず.三百余騎。
地   上 くつばみを揃え川水に。少しもためらわず。群れ居る群鳥の翼を並ぶる.
       羽音もかくやと白波に。ざっざっとうち入れて。浮きぬ沈みぬ渡しけり。

シテ  下 忠綱兵を。下知していわく。
地   下 水の逆巻く所をば。岩ありと知るべし。弱き馬をば下手に立てて。
       強きに水を防がせよ。流れん武者には弓筈を取らせ。互いに力を合すべしと。
       唯一人の下知によつて。さばかりの大河なれども一騎も流れず此方の岸に。
       をめいてあがれば味方の勢は。我ながら踏みもためず。一町ばかり覚えずしさうて。
       切っ先を揃えて。ここを最後と戦うたり。さる程に入り乱れ。我も我もと戦えば
シテ  上 頼政が頼みつる
地   上 兄弟の者も討たれければ
シテ  上 今は何をか期すすべきと
地   上 唯一すじに老武者の
シテ  下 これまでと思いて
地   下 これまでと思いて平等院の庭の面。これなる芝の上に。
       扇を打ち敷き鎧脱ぎすて座を組みて。刀を抜きながら。
       さすが名を得しその身とて
シテ  上 埋もれ木の。花咲く事も無かりしに。身のなる果ては。哀れなりけり
地   上 跡弔い給え御僧よ。かりそめながらこれまでとても。他生の種の縁に今。
       扇の芝の草の陰に。帰るとて失せにけり立ち帰るとて失せにけり



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