老 松(おいまつ)

●あらすじ
都の西の方に住む梅津の某は、北野天満宮の夢のお告げを蒙り、筑紫国(福岡県)の安楽寺へ参詣することにします。はるばると旅をして、菅原道真の菩提寺である安楽寺へ着くと、老人と若い男がやって来て、梅と桜のことを述べ、花盛りの梅に垣を作ります。梅津の某は、彼等に言葉をかけ、有名な飛梅はどれかと問うと、神木であるから紅梅殿と崇めなさいとたしなめられ、同じく神木である老松についても教えられます。さらに梅津の某の頼みで、社殿の周辺の景色を述べ、松や梅が天神の末社として栄えていることを示し、中国では、梅は文学を好むので「好文木」といわれ、松は秦の始皇帝の雨やどりを助けたので「大夫」の位を授けられた故事などを教えたあと、神隠れします。

●宝生流謡本        内三巻の一    脇 能  (太鼓あり)
       季節=春    場所=筑前国太宰府稽古順=入門   素謡時間約=35分 
       素謡座席順   ツレ=男
                  シテ=前・老翁   後・老松神
                  ワキ=梅津某  

●演能記
老 松 (おいまつ)
 神木である老松と、飛梅伝説のある紅梅伝説の話です。都の梅津某一行(ワキ・ワキツレ)は、北野天満宮の夢のお告げにより、菅原道真の菩提寺である筑紫の安楽寺を参詣します。 そこに老人(前シテ)と若い男(ツレ)がやって来て、問われるままに飛梅と老松の話をし、中国の故事を述べ姿を消します。 やがて老松の神霊(後シテ)が現れ、のどかな春を祝って厳かな舞を舞い、君の長寿を祝い、泰平の世を寿ぎます。 全体に神能として荘重さの中に老体のどっしりとした落ち着きを感じさせます。  菅原道真にまつわる「飛び梅」、「追い松」伝説が原典。
 徳川時代には松の徳を讃えた曲である事から、よく上演された。老松の精が御代万歳をことほぐ、閑雅な祝言の一曲。 静かな21世紀の幕開けです。
<中入>
おどろいた梅津の某は、供の者に土地の人を呼びにやらせ、その人から詳しく道真の事蹟や道真を慕って飛んできた梅、後を追ってきた松の話を聞きます。里人の勧めで梅津の某の一行は、松陰で旅寝をして神のお告げを待ちます。すると、老松の神霊が、紅梅殿に呼びかけながら登場し、のどかな春を祝って舞をまい、君の長寿を況い、御代の永遠をことほぎます。
【詞章】(独吟〔クセ〕の部分と仕舞〔キリ〕の部分の抜粋です。)
〔クセ〕
げにや心なき。草木なりと申せども。かかる浮世の理をば。知るべし知るべし.諸木の中に松梅は。ことに天神の。ご自愛にて.紅梅殿も老松もみな末社と現じ.たまえり。さればこの二つの木は。わが朝よりもなお。漢家に徳を現わし。唐の帝のおん時は。国に文学さかんなれば。花の色を増し。匂い常より勝りたり。文学すたれば匂いもなく。その色も深からず。さてこそ文を好む。木なりけりとて梅をば。好文木とは付けられたれ。さて松を。太夫という事は。秦の始皇の御狩の時。天俄にかき曇り.大雨しきりに降りしかば。帝雨を.しのがんと.小松の陰に寄りたもう。この松にわかに大木となり。枝を垂れ葉を並べ。木の間透間をふさぎて。その雨を漏らさざりしかば。帝太夫という。爵を贈りたまいしより松を太夫と申すなり。かように名高き松梅の。花も千代までと。行く末久しみ垣守。守るべし守るべしや。神はここも同じ名の。天満つ空も紅の。花も松ももろともに。神さびて失せにけり跡.神さびて.失せにけり。
 〔キリ〕
さす枝の。さす枝の。梢は若木の花の袖。これは老木の神松の。これは老木の神松の。千代に八千代に。さざれ石の。巌となりて。苔のむすまで。苔のむすまで.松竹。鶴鶴の。齢をさずくるこの君の。ゆくすえ守れと我が神託の。告を知らする.松風も梅も。久しき春こそ.めでたけれ。
【分類】初番目物 (脇能) 【作者】世阿弥
【主人公】前シテ:老人、後シテ:老松の神

●玄侑宗久氏の「エッセイ」
能舞台の正面奥の鏡板には、必ず老松の絵が描かれている。これはもともと、奈良春日大社の一の鳥居のところの影向の松の下で神事が行われたことに由来するらしい。 松は昔から、神の天降りを「待つ」神聖でめでたい木とされてきた。思えば世阿弥の作った演目のほとんどは此の世ならざる物語だから、神霊に降りてきてもらわないことには話が始まらない。だからどうしても、神の足がかりとしての老松が必要だったのである。 松は長寿の木でもある。長く生きるうちには神に近づくものと、どうも東洋人は人にも松にも思っていたようだ。「翁」と「老松」は、いわば仲間なのである。 老松を珍重する習慣は、おそらく禅から来たのだろう。臨済禅師は「巌谷に松を栽える」ことを厳しい弟子の養成、ひいては教えが永続することに喩えた。また同じ『臨済録(りんざいろく)』には「松老い雲閑(しず)かに、曠然(こうねん)として自適す」とある。むろん本来は、臨済義玄が師の黄檗のもとで過ごした日々を回想する言葉だが、この「松老雲閑」はその後、禅僧の理想の境地と考えられるようになる。 剪定も不要になった老松にはすでに作為というものがなく、そうなるとそこに流れてきた雲も、閑かな美しい風物に見える。若いときには煩悶の種であった同じものが、今は閑かだというのである。そういう神々しい心境になると、神が降りてくる。仏教的に云えば、それは内部から現れるのである。
 思えば松が出てくる禅語は、すべて此の世ならざる清澄さを示すと云ってもいいだろう。「閑坐して松風を聴く」静寂、「松に古今の色無し」という永遠、「冬峰孤秀の松」の孤高……。風でも雪でも、みな老松と交わることで世塵を離れて清らかになるのだろう。 ところでこうした松の働きは、物語としてだけ存在しているわけではない。 以前京都の天龍寺の曹源池に一夜舞台を掛け、天然の老松を背景にお能を上演したことがあるのだが、そのとき私は能舞台の松より遙かに丈高い天然の老松を見上げながら、そのことを実感したのだった。
 松の木には下から、ブルーの照明が空に向けて当てられていた。自ずと私の視線は、しばしば松の天辺のほうに向けられた。実験していただくとお判りになると思うが、人はどうも口があくほど上を見ていると、此の世ならざる世界を感じやすいようだ。青いライトに照らされた夜空のせいも少しはあったかもしれない。しかしあとで自分の部屋で試して判明したことは、景色に関係なく、どうも顔を上向け、視線をさらに上向けてしばらくそのままでいると、どんな景色であろうと我々はトリップしやすくなるのだ。 たとえば「羽衣」で天女が羽衣を返してもらい、天に帰って行こうとするとき、シテはそれまで折っていた膝を伸ばす。そのことによって僅かに観客の視線が上向きになり、それが続くことで眼球やまぶたの筋肉が少しずつ疲労してくる。じつはそうした身体的な状況が、「天」とか「あの世」への我々の感性を支えているのである。 なんという深謀遠慮。なんと幽玄な芸能であることかと、私は驚いたものだった。観客の心情がその身体性によって導かれることまで、能の演出家たちは先刻承知だったのである。 お能を見て感動したければ、なるべく前のほうの低い位置に坐り、ときに老松の天辺あたりを見つめて眼球やまぶたを疲れさせるのもいいかもしれない。 ただしその状況は、そのまま眠気にも繋がるからご用心のほど。
月刊「国立能楽堂」2005年10月号より

(平成22年4月16日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)