千 手(せんじゅ)

●あらすじ
 平重衡は一ノ谷の合戦に生捕られ、今は鎌倉、狩野介宗茂のもとに預けられ、憂愁の日々を送っている。 頼朝は貴公子重衡に同情し、手越の長の娘千手を遣わし、労るよう心をつかっている。春雨の降る宵、宗茂もまた重衡を慰めるべく酒を持参した。宗茂は千手が来たことを伝えるが重衡は対面を断る。千手は頼朝の仰せで伺ったのだと宗茂に告げ、宗茂も対面を再度勧める。 重衡は千手に、頼朝に願い出ていた出家の望みの首尾を問う。千手は朝敵ゆえに出家は許しかねるとの頼朝の返事を告げる。落胆する重衡。千手はそれを慰めようと盃を勧める。千手は肴にと朗詠し、舞を舞う。重衡も興に乗り、互いに琵琶と琴で合奏し一夜をすごす。 朝、重衡は処刑のために都に護送され、千手は涙ながらに見送る。  〔'99/10/16 第10回研究公演 パンフレット掲載〕文・西村高夫

●宝生流謡本   内二巻の三   三番目(太鼓あり)
     季節=春   場所=相模国鎌倉   稽古順=初序   素謡時間=56分 
     素謡座席寿運   ツレ=平 重衛
                  シテ=千 手 
                  ワキ=狩野介宗茂

●曲目の解説                    
【京都にゆかりの、能のお話(千手)】
『平家物語』巻十「千手の事」平重衡の処刑までの悲しい物語です。平清盛の第5子重衡は一ノ谷の合戦で源頼朝に捕らわれて工藤狩野介宗茂の家に預かりとなっていました。粗野な頼朝は文武両道の重衡に配慮して特別の待遇をあたえました。頼朝は千手という遊君を重衡へ使わします。
千手は琴と琵琶を持って、尋ねます。重衡が願い出ていた出家の望みが絶たれたことを伝えます。
「いまは今生の望み無し・・・・・」と重衡は舞います。 二人で過ごせたのは僅かの時間でしたが、深い契りができます。春 外は雨「・・・・何なかなかの憂き契り はや後朝に引き離るる袖と袖の露涙・・・」と謡います。舞台では、中央で袖と袖がすれ違うように静に歩み寄ります。千手はそのまま舞台に残り、重衡はしずかに橋懸へと・・・刑場へ向かいます。 重衡が処刑されたのは、京都と奈良の境木津町の安福寺堂の額は『哀堂(あわんどう)』本尊は処刑の際の引導佛 阿弥陀如来
 後日談があります。千手22歳の若さでした。処刑を聞いた千手は気を失い病に倒れますが三日後死んでしまいます。このような、現実の人物ばかり登場する能を「現在物」といいます。

●観能記                     
京都観世会例会 (京都・京都観世会館)
「千手」      
松門之会     2008年03月23日 | 観能記録
この曲は直面のツレが決め手だなという気がしていて、その点、今日は説得力がありそう。 重衡の装束が、なんだかちょっとイマイチな色の取り合わせだった。よく見ると紫色の唐織に水色の指貫(半切?)なのだけれども、舞台の電球灯を浴びると唐織が微妙なオレンジ色にくすんでしまうのが残念。 千手のほうは、黄色地に蝶や桜草のを散らした唐織の着流し。少し寂しいような気もしたけれど、それでよいのかも。 ワキの宗茂だけが妙に無骨な色の素袍に烏帽子。この厳めしさが、情を通わせるふたりの背後にある政治的な冷たさを象徴しているのかと思う。
 舞台の中央に坐った千手の輪郭に、昨日見た紫式部を重ねてしまう。同じ位置に同じ形で坐り、同じように美しくても、やはり違う。紫式部の輪郭はどこか鋭角的だったのに、こちらの千手はなで肩だ。観世清和と片山清司の違いともいえるけれども、やはり紫式部と千手の性格的な違いに思える。どちらもさすがだなぁとあらためて思う。 今日の千手の舞は、なんだか日舞っぽく見えた。重衡のために舞っているリアルな感じ。 終盤の後朝の別れ。まだ眠っている重衡を見つめる千手の顔が、玉三郎もかくやというほど切なげに見えて圧巻だった。

●演能の記  
能  千手  シテ 馬野正基             2008年 05月 22日
 私は舞台での役はなかったのですが、最後のミニ講座は次回のシテが受け持つことになっていますので、公演後のミニ講座だけに出演しました。
 公演での話は難しいですね。 あらかじめ筋書きを立てていればよいのですが、なにせ行き当たりばったりで話すものですから、言いたいことの半分も言えずに終わってしまいました。久しぶりに「千手」の能を外から見て思ったのですが、この「千手」という作品は平重衡へのレクイエムのために書かれたのだという気がしてなりません。 明日にも命がなくなる定めの人に対して、できる限りの慰めごとをおこなう。 男同士なれば酒を飲み交し、女ならば最後の交わりを提供する。 男は狩野介宗茂、女は遊女・千手です。 二人ともいじらしいほど重衡のことを哀れんでいます。
 最後にこんな人に出会えた重衡は幸せものだったのかも知れませんね・・・
by shibata-minoru | 2008-05-22 01:53 | 柴田稔日記 | Comments

●人物の解説
平 重衡(たいら の しげひら)
平安時代末期の平家一門の武将、公卿。平清盛の五男。母は清盛の継室平時子。位階は従三位次いで正三位に昇り三位中将と称された。 平氏の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺大仏や興福寺を焼亡させた。墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍するが、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首された。その将才は「武勇の器量に堪ふる」(『玉葉』治承5年閏2月15日条)と評される一方、その容姿は牡丹の花に例えられたという。
生 涯
父の清盛は保元の乱、平治の乱を勝ち抜いて平氏政権を樹立。継室の時子の子として生まれた重衡は幼少にして叙位し、平氏の公達として順調に昇進を重ね、治承3年(1179年)、23歳で左近衛権中将に進んだ。 だが、平氏の権勢の高まりは後白河法皇・院近臣との軋轢を生み、同年11月、清盛はクーデターを起こして院政を停止する(治承三年の政変)。この事件の際に重衡は後白河への奏上を行う使者となっている。
 翌治承4年(1180年)5月、以仁王と源頼政が平氏打倒の挙兵に踏み切った(以仁王の挙兵)。この挙兵は早期に鎮圧されたが、その後も反平氏の挙兵が各地で相次いだ。8月に源頼朝が伊豆国で挙兵し、同年10月の富士川の戦いで平維盛の追討軍を破り、関東を制圧してした。さらに後白河と密接につながる園城寺や、関白・基房配流に反発する興福寺も公然と反平氏活動を始めた。
最 期
 元暦2年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡し、この際に平氏の女たちは入水したが、重衡の妻の輔子は助け上げられ捕虜になっている。
 同年6月9日、焼討を憎む南都衆徒の強い要求によって、重衡は南都へ引き渡されることになり、源頼兼の護送のもとで鎌倉を出立。22日に東大寺の使者に引き渡された。『平家物語』には、一行が輔子が住まう日野の近くを通った時に、重衡が「せめて一目、妻と会いたい」と願って許され、輔子が駆けつけ、涙ながらの別れの対面をし、重衡が形見にと額にかかる髪を噛み切って渡す哀話が残されている。『愚管抄』にも日野で重衡と輔子が再会したという記述がある。
 23日、重衡は木津川畔にて斬首され、奈良坂にある般若寺門前で梟首された。享年29。

あさかのユーユークラブ 謡曲研究会 平成21年12月18日(金)



            千   手 (せんじゅ)

  作者 金春禅竹か
  場所 相模国(現在の神奈川県)鎌倉 狩野介宗茂の館
  季節 晩春
  分類 三番目物 現在鬘物
                                     (胡山文庫)
  登場人物
  シテ 千手の前 面:若女など 唐織着流女出立(一般的な女性の扮装)
  ツレ 平重衡 直面 大口モギドウ出立(囚人の扮装)
  ワキ 狩野介宗茂 直垂上下出立(武士の扮装)

 「詞章】

ワキ   詞 「これは鎌倉殿の御内に。狩野の介宗茂にて候。さても相国の御子重衡の郷は。
         此の旅一の谷の合戦に生け捕られ給い候を。某預かり申して候。
         朝敵の御事とは申しながら。頼朝痛はしく思し召され。よく痛はり申せとの御事にて
         昨日も千手の前を遣わされて候。彼の千手の前と申すは。手越しの長が娘にて候が。
         優にやさしく候とて。御身近く召し使はれ候を遣わされ候事。誠に有難き御志にて御座候。
         今日は又雨中御つれづれ。酒を勧め申さばやと存じ候
シテ 次第上 琴の音添えておとづるる琴の音添えておとづるるこれやあづまやなるらん
    サシ上 それ春の花の樹頭に栄え。秋の月の水底に沈むも。世のはかなきさの有様を。
         見ても哀れや重衡の。其のいにしえは雲の上。
          かけても知らぬ身のゆくえ浪に漂い舟に浮き。
         さらば寄るべのよそならで。ありしにかえる。恨みかな
     下歌 都にだにもとどめぬ御涙なるをいたわし
     上歌 陸奥の忍ぶに堪えぬ雨の音。陸奥の忍ぶに堪えぬ雨の音。降りすさみたる折りしもは。
         重いの露も散りじりに心の花もしをしをと。しをるる袖の色までも。
         今日の夕べのたぐいかな 今日の夕べのたぐいかな
シテ   詞 「いかに案内申し候はん
ワキ   詞 「誰にて渡り候ぞ。や。千手の前の御参りにて候
シテ   詞 「わらはが参るたるよし御申し候へ
ワキ   詞 「暫く御待ち候へ。御機嫌を以つて申そうずるにて候
ツレ サシ上 身はこれ槿花(きんか)一日の栄。命は蜘蛛の定めなきに似たり。
        心は蘇武(そぶ)が胡国に捕はれ。岩窟の内にこめられて。君辺を忘れぬ心ざし。
        それは陽李が謀りにて。敵を亡ぼし。旧里に帰る。
    下二 我はいつとなく敵陣にこめられて
     下  縲絏(るいせつ)の責めを受くる。知らず今日や限りならん
    下二 あら定めなや候
ワキ   詞 「いかに申し上げ候。千手の御参りにて候
ツレ   詞 「唯今は何の為にて候ぞ。よしよし何事にてもれ。今日の対面は叶うまじき由申し候へ
ワキ   詞 「御諚の趣申して候へば。これも私にあらず。頼朝よりの御諚にて。
         琵琶事持たせて参りたり。よしよし御憚りはさることなれども
         唯こなたえと請ずれば
シテ   上 その時千手立ち寄りて
地    上 妻戸を押し開く。御簾(みす)の追い風匂い来る。花の都人よ。
        恥ずかしながら見みえけん。げにや東のはてしまで。人の心の奥深き。
        その情こそ都なれ。花の春紅葉の秋。誰が思い出となりぬらん      
ツレ   詞 「いかに千手の前。昨日あからさまに申しつる出家の御暇の事聞かまほしうこそ候へ
シテ   詞 「さん候その由申して候えば。朝敵の御事なるを私として。出家を許し申さん事。
         思いもよらずとこそ候いつれ」
     下  わらはも御心の中。おしはかり参らせて。いか程細々と申し参らせてこそ候へ。
         かいなき出家の御望み痛わしうこそ候へ
ツレ   詞 「口押しや我一の谷にて生け捕られ。今は東のはてまでも。かように面をさらす事
     下  前世の報と言いながら。又思わずも父命により。仏像を亡母子人寿をたちし。
         現当の罪をはたさす事。前業より猶恥かしうこす候へ
シテ   上  げにげにこれは御理さりながら。かかる例は古へ今に。
        多きならいと聞くものを。独とな嘆き給いそとよ
ツレ   上  げによく慰め給えども。たぐいはあらじ憂き身のはて
シテ   上 昨日は都の花と栄え
ツレ   上 今日は東の春に来て
シテ   上 うつり変われる
ツレ   上 身の程を
地    上 思え唯世は空蝉の唐衣。世は空蝉の唐衣。きつつなれにし妻しある。
        都の雲居を立ち離れ。遥々きぬる。旅をしぞ思う衰えの。憂き身のはてぞ悲しき。
        水行く川の八つ橋や。蜘蛛手に物を思へとは。
        かけぬ情のなかなかに馴れるるや恨みなるらん馴れるるや恨みなるらん
ワキ   上 今日の雨中の夕べの空。御つれずれを慰さめんと。
        樽を抱きて参りつつ既に酒宴を始めんとす
シテ   上 千手もこのよしみるよりも。御酌に立ちて重衡の。御前にこそ参りけれ
ツレ    上 今はいつしか憚りの。心ならずに思わずも。
        手まづさえぎる盃の。心一つにおもう思い
ワキ   上 それそれいかに何にても。御肴にとすすむれば
シテ   上 その時千手とりあえず。羅木の重衣たる。情なき事を機婦にねたむ
シテツレワキ 只今詠じ給う朗詠は。かたじけなくも北野の御作。此の詞をぜば聞く人までも。
        守るべしとの御誓いなり 
ツレ   下  さりながら重衡は今生の望みなし
シテツレワキ 唯来世の便りこそ聞かまほしけれと宣えば
シテ   下 わらは仰せを承り。十悪というとも。引抒(いんじょお)すと
地    上 朗詠してぞ。かなでくる
シテ クリ上 さても彼の重衡は相国の末の御子とは申せども
地    上 兄弟にも勝れ一問にも越えて。父母の寵愛。限りなし
    (囃子 されども時移りカラ・・・重ねていざや返さんマデ)
シテ サシ上 されども時移り平家の運命悉く
地    上 月の夜すがら声立てて。鳴くや牡鹿の津の国の。
        生田の河に身を捨てて防ぎ戦うと申せども
シテ   下 杜の下風木の葉の露
地    下 おとされけるこそ哀れなれ
   (仕舞〔クセ〕の部分 今は梓弓カラ・・・重ねていざや返さんマデ)     
   サシ下 今は梓弓。よし力なし重衡も。引かんとするにいず方も。網を置きたるごとくにて。
         のがれかねたる淀鯉の。生捕られつつありてうき。身をうろくずのそのままに。
        沈みは果てずして。名をこそ流せ川越の。重房が手に渡り。心のほかの都入り。
シテ   上 げにや世の中は。
地    上 定めなきかな神無月時雨降りおく奈良坂や。
        衆徒の手に渡りなばとにもかくにも果てはせで。また鎌倉に渡さるる。
        ここはいずくぞ八つ橋の。雲居の都.いつかまた三河の国や遠江。
        足柄箱根うち過ぎて。明けもやすらん星月夜。鎌倉山に入りしかば。
        憂き限りぞと思いしに.馴るればここも忍びねに.哀れ昔を思い妻の。
        灯暗うしては.数行虞氏が涙の雨さえしきる夜の空。
シテ   上 四面に楚歌の声の内。
地    上 何とか返す舞の袖。思いの色にや出でぬらん.涙を添えてめぐらすも。
        雪のふるえの枯れてだに花咲く。千手の袖ならば。
        重ねていざや返さん。

地    下 忘れめや
シテ ワカ上 一樹の陰や。一河の水
地    下 皆これ他生の縁という。白拍子をぞ唄いける
ツレ   下 その時重衡興に乗じ
地    下 その時重衡興に乗じ。琵琶を引き寄せ弾じ給えば又玉琴の緒合せに
シテ   下 合せて聞けば
地    上 峯の松風通いきにけり。琴を枕のみじか夜のうたた寝。
        夢も程なく東雲もほのぼのと。明け渡る空の
シテ   下 あさまにやなりなんと。酒宴のやめ給う御心の中ぞいたわしき
地    下 かくて重房勅により。かくて重房勅により。また都にとありしかば。
        武士守護し出て給えば
シテ   上 千手泣く泣く立ち出て
地    下 何中々の憂き契り。はたきぬぎぬに引きはなるる袖と袖との露涙。
        げに重房の有様目もあてられぬ気色かな目もあてられぬ気色かな


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