鵜  飼(うかい)

●あらすじ
安房国清澄[今の千葉県南部、鴨川市あたり]の僧が、従僧を連れて、甲斐国[今の山梨県あたり]へ旅立ち、石和(いさわ)[今の山梨県笛吹市石和町]に着きます。日も暮れたため、僧たちは、石和川のほとりの御堂で一夜を過ごすことにしました。すると、そこに松明を持った一人の鵜使いの老人が現れ、僧たちと言葉を交わします。齢を重ねた老人の様子を見た僧は、殺生をやめて他業に転ずるよう諭しますが、老人は今更難しいと応えます。その問答を聞いて、数年前にこの近辺に来たことのある従僧が、同様の鵜使いに会って一夜供応にあずかったことを思い出し、話題にします。老人は、その鵜使いは、殺生禁断の禁制を破った咎めを受けて、殺されたと告げます。老人はその顛末を語り、自分こそが殺された鵜使いの亡霊であると明かし、鵜を使った漁の様子を見せた後、闇路へ消えていきます。 里の者から改めて、鵜使いの悲惨な死を聞いた僧たちは、川の石に法華経の文句を書きつけて、老人を供養します。すると、そこに閻魔大王が現れ、殺生の罪により地獄に堕ちるべき老人が、従僧をもてなした功徳もあって、救いを得たことを知らせます。そして、法華経の有難いご利益を讃えつつ、慈悲の心を持って僧侶を大切にするよう勧めます。
夜半に松明を焚き、鵜舟を出して鵜を使う漁を表した「鵜ノ段」と呼ばれる部分をはじめ、禁漁を破った罪人に課せられる重い罰、法華経の文句を石に書き付ける供養の法など、往時の様子を、眼の前に見るかのように生き生きと描写するところが、大きな見どころ、聴きどころです。古色の残った素朴な味わいがあります。 また一曲全体を通して仏教、法華経の有難さを際立たせており、昔の信仰のありようを垣間見ることもできます。 旅僧は、清澄で修行していた日蓮上人その人である、とも伝えられています。 「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉(うぶねかな)」俳人・松尾芭蕉の有名な句は、この物語の世界をしみじみと表現しています。    国立能楽堂提供:「鵜飼」より

●宝生流謡本     内一巻の五     切 能  (太鼓あり)
    季節=夏   場所=甲斐国石和(山梨県) 稽古順=平物  素謡素謡時間=30分
    素謡座席順  ワキヅレ=旅 僧   
             シテ=前 老翁 ・ 後 閻魔王
              ワキ=旅 僧  

●演能談義(参考)                        観世流ぬえの会 記
平成18年2月11日の「梅若研能会」で『鵜飼』を上演させて頂いた機会に、考えている事などをつれづれにブログに書いたものを再構成してみました。鑑賞の手引き、という性格の文章かと思いますけれども。『鵜飼』という曲は上演時間もせいぜい1時間という小品ですが、それでもこの曲はそれほど飛んだり跳ねたり、って感じじゃありませんね。自分が舞うために稽古をしてみて感じるのは、『鵜飼』は切能であるのに、後シテは非常にあっさりしていて、むしろ「前シテを見せる能」という感じがありますね。極言すれば「謡の能」という気もします。 この曲はじつはとっても古い能で、世阿弥の伝書類にもたくさん引用されていて、それを信じるならば、作者や演出についてもある程度はっきりしています。 又、鵜飼、柏崎などは、榎並の左衛門五郎作なり。さりながら、いづれも、悪き所をばのぞき、よきことを入れられければ、みな世子の作なるべし。(『申楽談儀』)  鵜飼の初めの音曲は、ことに観阿の音曲をうつす。くちびるにて軽々と言ふこと、かのかかりなり。この能、初めより終りまで みなたけたる音曲なり。おもしろの有様やよりこの一うたひばかり同音なり。後の鬼も、観阿、融の大臣の能の鬼をうつすなり。かの鬼のむきは、むかしの馬の四郎の鬼なり。観阿もかれを学ぶと申されけるなり。さらりききと、大様大様と、ゆらめいたる体なり(同)摂津で活動していた榎並座の左衛門五郎の原作を世阿弥が改作したこと、その改作にあたっては父・観阿弥の作風(節付けや後シテの鬼)を下敷きにしていること、初同(はじめて地謡が謡う小段)が俗に「鵜之段」と呼ばれる中入の部分という特異な構成も世阿弥時代にはすでにそうであったことなどが、この記述によってわかるのですが、もっとも世阿弥は別の箇所また同じことを書くべからず。(中略)其能の肝用の開聞のところに一つ書くべし。 「かひも波間」「その心さらに夏川」「助くる人も波の底」三所までも同じことばあり。せめて「かひもなき身の鵜舟漕ぐ」などいふべし。(同)と、『鵜飼』の本文を批判してその代案まで用意していながら現行の本曲は改訂されていない事を考えると、現行の『鵜飼』が世阿弥の手によって改作されたものがそのまま伝えられている、とは必ずしも断定はできないのかもしれません。ぬえは本曲文体の印象としては「世阿弥らしさ」を感じるのですが、そうなるとこの記述とは矛盾してしまうけれど。『申楽談儀』にはちょっと変わった記述があります。すくなくとも現在の『鵜飼』の前シテはごく一般的な「着流し尉」の出で立ちで、鵜を使うという労働に従事している役なので水衣の肩はあげていて、また水に関係する労働であるために腰蓑を着けています。中啓は中入の「鵜之段」だけで使うため、左の後ろの腰に挿していて、特徴的なのは右手に松明を持って登場する事でしょうか。じつは ぬえは松明を持って出るのは今回が初めて。「一声」で幕を揚げて、右にウケて松明を二つ振り、それから橋掛りを歩み出ます。松明は橋掛りの幕放れと二之松、一之松で一度ずつ振り、後見座で正へ向いて舞台に入る時にまた二つ振りながら舞台に入り常座でトメます。松明というものはときどき振り立てないと炎が小さくなってしまうものなのだそうで、それで松明を振りながら歩むのですが。。幽霊が持つ松明でもやはり現実の松明と同じなんですかね?        (後略)

●鵜飼いの歴史
 長良川鵜飼(岐阜県岐阜市)鵜飼い・鵜飼・鵜養(うかい)は、鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る伝統的な漁法のひとつ。日本では岐阜県、愛知県、京都府、愛媛県などで行われているが、特に長良川での鵜飼いが最も有名である。(岐阜県岐阜市)鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に「梁を作つて魚を取る者有り、天皇これを問ふ。対へて曰く、臣はこれ苞苴擔の子と、此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり」と、鵜養部のことが見え、『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。天皇の歌に「しまつとりうかひかとも」とある。また中国の史書『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として紹介されている。
『和名抄』には美濃国方県郡の鵜飼が掲げられ、『集解釈別記』には鵜飼37戸とあり、『新撰美濃誌』には方県郡鵜飼の郷9箇村とある。文明年間、一条兼良が美濃の正保寺に滞在し鵜飼を見物した記録がある。延喜年間には長良川河畔に7戸の鵜飼があり、国司藤原利仁は7戸の鵜飼にアユを献上させ、時の天皇の気に入り、方県郡七郷の地を鵜飼に要する篝松の料としてたまわり、鵜飼七郷とよんだ。平治の乱で源頼朝が義朝と敗走するとき、義朝とはぐれて長良川河畔をさまよい、鵜飼の長である白明の家にやどり、そこで食したアユすしの美味に飢えをいやしたが、建久3年右大将として上洛するさい、白明の子をよびだして恩に報い、また毎年アユすしを鎌倉に送るよう命じた。永禄7年、織田信長は長良川の鵜飼を見物し、鵜飼それぞれに鵜匠の名称をさずけ鷹匠と同様に遇し、1戸に禄米10俵あて給与した。元和元年徳川家康が鵜飼を見物し、石焼きのアユに感賞し、以来、江戸城に毎年アユを献上するのが例となり、鵜匠21戸に戸ごとに10両の扶持を給せられた。その献上の際には老中の三判証文をもって継立て江戸まで2昼夜で送致した。その後、鵜飼はおとろえ、文化2年には12戸となり、その12戸に毎年120石、532両2分を給与するとして、ふたたび回復した。明治維新で一時衰退したが、明治天皇の代にしばしば沙汰があり、大膳職に上納され、明治23年から稲葉郡長良村古津その他武儀郡、郡上郡の各村で延長1471間を宮内省の鮎漁の御猟場に編入された。 鵜飼漁で獲れる魚には傷がつかず、ウの食道で一瞬にして気絶させるために鮮度が非常に良い。このため、鵜飼鮎は献上品として殊のほか珍重され、安土桃山時代以降は幕府および各地の大名によって鵜飼は保護されていった。鵜匠と漁場の確保は、大名達にとっても面子に関わる一大事であったのである。 

 平成20年12月19日(金) あさかのユーユークラブ 謡曲研究会


   鵜  飼(うかい) 季節 夏      場所 甲斐国石和       (胡山文庫)

【分類】五番目物 (切能) 太鼓あり
【作者】榎並ノ左衛門五郎の作を世阿弥が改作
【主人公】前シテ:鵜使いの老人、後シテ:悪鬼(閻魔王)

【あらすじ】(『鵜ノ段』の部分は斜体です。仕舞〔キリ〕の部分は下線部です。)
安房国(千葉県)の清澄の僧が、甲斐国(山梨県)への行脚を志し、途中、石和川のほとりに着きます。その土地の人に、一夜の宿を頼みますが、旅の者に宿を貸すことは禁制だと断られます。その代わり、川辺の御堂を教えられ、そこに泊まることにします。するとそこに一人の老人が鵜を休めるために立ち寄ります。僧が、老人なのにいつまでも殺生するのはやめて、他の職業についたらと意見をすると、老人は、自分は若い時からこの仕事で生計を立ててきたので、今さらやめるわけにはいかないと答えます。従僧が、二、三年前にこの地を訪れた時、このような老人に会い、もてなしを受けたと話すと、老人はその鵜使いは禁漁を犯したため殺されたと語り、実は自分がその亡霊だと明かします。僧のすすめで亡者は罪業消滅のため鵜飼のさまを見せて消えてゆきます。

詞 章

ワキ  詞「是は安房の清澄より出る僧にて候。我未だ甲斐の国を見ず候程に。
       この度甲斐の国行脚と志して候」
   サシ 行く末いつとしら波の。安房の清澄立ち出でて。六浦のわたり鎌倉山
ワキワキヅレ  窶れ果てぬる旅姿。
ワキヅレ    窶れ果てぬる旅姿。
ワキワキヅレ  捨つる身なれば恥られず。一夜仮寝の草むしろ。鐘を枕の上に聞く。
      都留の郡の朝じ一つも日たけて越ゆる山道を。過ぎて石和に着きにけり過ぎて石和に着きにけり
シテ 一セイ 鵜船にともす篝火の。後の闇路を。いかにせん。
   サシ げにや世の中を憂しと思はば捨つべきに。その心更に夏河に。鵜使う事の面白さに。
      殺生をするはかなさよ。
    詞「伝え聞く遊子伯陽は。月に誓つて契りをなし。夫婦二つの星となる。」
    下 今の雲の上人も。月なき夜半をこそ悲しみ給うに。我はそれにひきかえて。
      月の夜頃を厭い。闇になる夜を悦べば。
下歌 鵜船にともす篝火の消えて闇こそ悲しけれ
   上歌 拙かりける身の業と。拙かりける身の業と。今は先非を悔ゆれどもかいも波間に。
      鵜船漕ぐ。これ程惜しめども。かなわぬ命とがんとて営む業の物憂さよ営む業の物憂さよ
    詞「や。これに往来人の僧にて候が。里にて宿を借り候えば。禁制の由申し候程に。
     「偖この御堂に泊まりて候
シテ  詞「げにげに里にてお宿参らせしようずる者もあるまじく候
ワキ  詞「さてこれはいかなる人にて渡り候ぞ
シテ  詞「これわ鵜使いにて候。いつも月の程はこの御堂に休み。月入り候えば鵜を使い候
ワキ  詞「さては苦しからぬ人にて候ぞや。見申せばはや抜群に年たけ給い候が。
      かかる殺生の業勿体なく候。あわれこの業を御止まりあつて。
      余の業にて身命を御つなぎ候えかし
シテ  詞「仰せはさる事にて候えども。若年よりこの業にて身命をつぎ候えば。
      今更止まりびようもなく候
ワキヅレ  詞「いかに申し候。この人を見て思い出したる事の候。この二三ケ年前に。
      この河下岩落と申す所を通り候しにい。かようの鵜使いに行き逢い候に。
      とが中の殺生の由を申して候えば。げにもとや思いけん。我が家につれて帰り。
      一夜けしからず摂して候ひしよ。
シテ  詞「さてはその時のお僧にて渡り候か
ワキヅレ  詞「さん候その時の僧にて候
シテ  詞「なうその鵜使いこそ空しくなりて候へ
ワキ  詞「それは何故空しくなりて候ぞ
シテ  詞「恥ずかしながら我等が業故空しくなりて候
ワキ  詞「さらばその時の有様御物語り候へ
シテ  詞「語つて聞かせ申し候べし。抑もこの石和川と申すは。上下三里が間は堅く殺生禁断の所なり。
      今仰せ候岩落辺に鵜使いは多し。夜な夜な忍び上つて鵜を使う。
      憎き者の仕業かな。彼を見あらはさんとたくみを。それをば夢にも知らずして。
      又或夜忍び上つて鵜を使う。狙う人々なつと寄り。一殺多生の理にまかせ。
      彼を殺せと言いあへり。」
シテ    その時左右の手を合わせ。殺生禁断の所とも知らず候。向後の事のこそ心得候べけれと。
      手を合わせ嘆き悲しめども。助くる人もなみの底に。ふしづけにし給へば叫べど声の出でばこそ。
シテ  詞「これこそその時の鵜使の亡者にて候。跡を弔うて給わり候へ。
ワキ  詞「さてはその時の亡者にて候か。さあらば罪障懺悔に。業力の鵜を使うて御見せ候へ。
      跡をば懇ろに弔い候べし」
シテ  詞「既に此の夜も更けすぎて。鵜使う頃にもなりしかば。いざ業力の鵜を使はん」
ワキ    これは他国の物語。死したる人の業により。かく苦しみの憂き業を。
      今見る事の不思議さよ。
シテ  詞「しめる松明振り立てて
ワキ    藤の衣の玉だすき
シテ  詞「鵜籠を開き取りいだし」
ワキ    島津巣おろし荒鵜ども
シテ    この川波に
ワキ    ばつと     
シテ    放せば
地   上 面白の有様や。底にも見ゆる篝火に。驚く魚を追いまわし。かづき上げすくい上げ。
      ひまなく魚を食うときは。罪も報いも。後の世も忘れ果てて面白や。漲る水の淀ならば。
      生け簀の鯉や上るらん玉島川にあらねども。小鮎さばしるせせらぎに。
      かたみて魚はよもためし。不思議やな篝火の。燃えても影の暗きなるは。
      思い出てたり月になりぬる悲しさよ。鵜舟の篝影消えて。闇路に帰るこの身の名残惜しさをいかにせん。
                         <中入>
僧たちはやって来た先刻の土地の者からも、密漁をして殺された男の話を聞き、先ほどの老人こそ鵜使いの化身であったと信じ、法華経の文句を川辺の石に一字ずつ書いて川に沈めて回向します。すると地獄の鬼が現れて、かの鵜使いは地獄へ堕ちるはずであったが、生前、僧を接待した功徳と、法華経の効力によって救われ、極楽へ送ることになったと告げ、法華経のありがたさをたたえます。
 
ワキワキヅレ 川瀬の石を拾い上げ
ワキヅレ   川瀬の石を拾い上げ
ワキワキヅレ 妙なる法の御経を一石に一字。書きつけて。波間に沈め弔らはば。
      などかは浮かまざるべきなどかは浮かまざるべき
後シテ   それ地獄遠きにあらず。眼前の境界。悪鬼外になしそもそも
    詞「彼の者昔より。江河に漁つてその罪おびたたし。されば鉄札数を尽くし。
      金紙をよす事もなく。無間の底に。
シテ  詞「堕罪すべかつしを。一僧一宿に送らんと。鵜舟を弘誓の船になし。」
シテ  上 法華の御法の助け船      
地   上 篝火も浮かむ。けしきかな
シテ  上 迷いの多き浮雲は
地   上 実相の風荒く吹いて。千里が外も雲晴れて。真如の月や。出ぬらん。
  ロンギ 有難の御事や。奈落に沈む悪人を。仏所に送り給うなる。その実相のあらたさよ
    〔キリ〕
シテ  上 法華は利益深きゆえ。邪道に沈む群類を。救わんために来たりたり。
地   上 げに有難き誓いかな。もなく。妙の一字はさていかに。
シテ  上 それは褒美の言葉にて。妙なる法と説かれたり。
地   上 経とはなどや名付くらん。
シテ  上 それ聖教の都名にて。
地   上 二つもなく。
シテ  上 三つもなく。
地   上 ただ一乗の徳によりて。奈落に沈み果てて。浮かみがたき悪人の。仏果を得ん事は。
      この経の利益ならずや。これを見かれを聞く時は。これを見かれを聞く時は。
      たとい悪人なりとても。慈悲の心を先として。僧会を供養ずるならば。
      その結縁に引かれつつ。仏果菩提に至るべし。げに往来の利益こそ。
      他を助くべき力なれ。他を助くべき力なれ。
 
 
www.syuneikai.net/ukai.htm - キャッシュ より

〔鵜ノ段〕
湿る松明振り立てて。藤の衣の玉襷。鵜籠を開き取り出し。島つ巣おろし荒鵜ども。この川波に。ばっと。放せば。おもしろの有様や。おもしろの有様や。底にも見ゆる篝火に。驚く魚を追い回し。潜きあげ掬いあげ。隙なく魚を食う時は。罪も報いも後の世も。忘れ果てて面白や。みなぎる水の淀ならば。生け簀の鯉やのぼらん。玉島川にあらねども。小鮎さ走るせぜらぎに。かだみて魚はよもためじ。不思議やな篝火の。燃えても影の暗くなるは。思い出でたり。月になりぬる悲しさよ。鵜舟のかがり影消えて。闇路に迷うこの身の。名残をしさを如何にせん。名残をしさを.如何にせん。


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