宝生流謡曲 斑 女

●あらまし
美濃の国野上の宿の遊女花子は、東国へ下る途中の吉田の少将と契りを交わして以来、後日を約して去った少将を想い、形見に交換して扇ばかり眺め入って勤めに出ません。宿の長は怒って花子を追い出してしまいます。東国からの帰り、少将は再び宿を訪れますが、花子がいないのでやむなく帰り、賀茂の社へ参詣します。するとそこへ花子が現れます。彼女は少将への恋慕がつのって物狂となり、今は班女と呼ばれています。神に祈願を捧げる班女に、少将の供の者が狂いの芸を見せよと言います。班女は悲しみながらも形見の扇を手に、玄宗と楊貴妃の故事を語り、捨てられた班女と同じ身の寂しさを思い、少将のつれなさを恨んで狂おしく舞います。やがて少将はその扇に気がつき、自分の扇と比べて班女が自分の探していた花子であると知って再び逢えたことを喜びあいます。                   (宝生の能、平成10年2月号より)

●宝生流謡本 (参考)  内一巻の四  四番目略三番目  (太鼓なし)
              季節=秋    場所=前美濃国野上・後京都糺の森
              稽古順=初序 素謡時間=48分
     素謡座席順  ワキヅレ=従 者
               シテ=前 花 子 ・ 後 班 女 
               ワキ=吉田少将  

●参 考@   
班女(ハンジョ)とは、前漢の武帝(在位・紀元前141〜87)の寵妃で班捷、(ハンショウヨ)の略称。
後に、趙飛燕(チョウヒエン)に武帝の寵愛班捷、を奪われた彼女は「秋になって捨てられる夏の扇」と我が身を喩えた詩を作りました。以来、捨てられた女を「秋の扇」と云うようになりました。

●参 考A  <絵画作品によせて>
この作品は談山神社(奈良・遠ノ峯)の奉納能の取材から掘り起こしたものです。 紅葉を借景に拝殿で展開された能は見事なものでした。私は、「班女」のように“物狂い”を扱った謡曲を作品化したことは殆んどありませんでした。“物狂い”という、日本文化特有の表現(或いは状態)を把握しかねていたからです。 近代日本画で「班女」をテーマにした作品を制作した方は、実際に精神科病棟へ出向き、患者たちの姿態をデッサンされたそうです。  “物狂い”とは、狂気の状態なのでしょうか。 私はそうは思いません。  日本文化の先達が、狂人をテーマとして文学や能楽等を創造したとは到底考えられないことです。 私にとっての“物狂い”とは、狂人の様とは違います。 謡曲の“物狂い”に共通して描かれているのは、一人の愛情深い人が何らかの事故等 により突然、愛の対象となる人を失い、その愛の深さ故に自身が想いに囚われて現実の生活から離れて行き、想い人を探す為に彷徨う姿で す。 『狂う』がテーマなのでは無く、親子の愛情・男女の愛情等『愛・情』がテーマになっている為、時代を超えて人々の共感を呼ぶのだと思い ます。 班女のそれは恋の想いです。“恋”を経験されたことのある方なら片想いであれ両想いであれ、その時の内なる心の葛藤についてはご存知の事でしょう。 班女の物狂いは、恋しい人への想いで心を満たし、そういう自分自身に陶酔し、己の世界へと逃避している様ではないでしょうか。  花子(班女)の表情は恋する悦びに満ち溢れた純な乙女のようであると、私は感じています。 顔(面)を描く前のしばらくの間、「花ノ小面」を観てバランス等を研究していましたが、桃山文化を代表する傑作と評されるその面、 気品溢れる美しさは見惚れるものです。 その印象を心に写してキャンバスに向かい、一気に描きました。 私のオリジナルの小面ですが、 よい表情に描けたと自負しています。 “物狂い”の態は花子の髪の乱れをもって現し、さり気無く流しました。 笹を手から離して置いてある状態にし、この場面での 花子の心情を示すようにしました。 (後略)

●参 考B  <謡曲の解説>
 美濃国・野上ノ宿(ノガミノシュク)の遊女花子は、都から東国に下る途中に立ち寄った吉田ノ少将と契りを深く結び、その証しに互いの扇を交わ しました。  その日以来、花子は自室に引き篭もり、扇ばかり見入って何もしなくなりました。  人々はその様子から花子のことを「班女」と呼ぶようになりました。 宿の長はお客の相手をしない花子を怒って、罵った上に追い出してしまいます。花子は、道は近江路であっても‘逢う身’でない我がことを嘆き、あてもなく彷徨い出て行きます。 吉田ノ少将は都に帰る途中、花子に逢う為に再び野上ノ宿を訪れますが、花子の不在を聞くと『花子が戻れば都に上るよう』にと言伝て去りま す。都に帰った少将は糺ノ森(タダスノモリ)に参詣しました。  恋心が募った花子は物狂いの態となり、恋の成就を祈るため糺ノ森の神前に現れます。 花子の姿を見つけた者達は「班女よ、なぜ今日は舞い狂わぬ。面白く舞狂え。」と囃しました。花子は、今は正気でいる自分に対して狂えと言う人の無情さをたしなめます。 班女と呼ばれ、扇のことを尋ねられた花子は  『班女が閨(ネヤ)の中には秋の扇の色、楚王(ソオウ)の台(ウテナ)の上には夜の琴(キン)の声 夏果つる扇と秋の白露と いづれかまづは 置かんとすらん』  という古い詩を詠み、玄宗と楊貴妃の比翼連理(ヒヨクレンリ)の話を語りながらも、 我が身を秋には不要 となる扇のように思いつつ静かに舞を舞いました。  花子は「秋には必ずと言っていたのに・・・」、と少将を恨み「裏表のあるのは扇よりあの人の約束」と嘆きました。  遠目に花子の様子を見ていた少将は、従者を遣わし扇を見せるように言いますが、花子は形見の品だからと拒みます。 少将は扇について細 かく問い糺し、自分の持っている扇を取り出して花子に見せます。  その扇は夕顔の花が描かれた、花子が渡した扇でした。  二人は互いの扇を見つめ、この人こそが自分の探す、愛する人と解ります。 二人は再び巡り逢えたことを悦び合いました。
   野上ノ宿 ・・・  岐阜県不破郡関ヶ原町野上(関ヶ原と垂井の間)
   糺ノ森  ・・・  京都市左京区糺ノ森・下鴨神社
   比翼連理 ・・・  二羽が一体となって飛ぶ鳥と、木目の連なった二本の木の枝の意味で
夫婦の契りが深いことを喩える
昔は、「扇」は「逢う儀」に通じると謂れ、見初めた人と結納代わりに自分の扇を取り交わしました。 扇を形見に交わすのは、男女の深き絆を示すものです。

●謡蹟めぐり  班女 はんじょ                宝生流教授嘱託会 高橋春雄 記
野上の長者邸跡は、関ヶ原町に野上という部落が現在も残っており、この物語も語り継がれているとのこと。また、現在四軒ある岩田邸宅の中の一軒が、当時花子のいた長者邸だったということで、下調べの時はこの岩田邸を訪ねられたそうだ。(岐阜県関ヶ原町) このあたりは関ヶ原の古戦場にも近く、両側が山になっているので、東西交通の要衝の地だったのであろう。この道を往来する旅人がこの辺りで宿をとり、旅の疲れを癒すうちに遊女と懇ろになることは充分考えられることである。吉田の少将と花子もこのあたりで語りあったのだろうか・・・それにしても花子が大曲「隅田川」のシテ即ち梅若丸の母とは驚いたもの・・・など空想にふけっていた。(中略)
関ヶ原町歴史資料館の館内には能「班女」の大きな画が展示されている。不破郡垂井町の米沢二信氏の作品の由である。なお、資料館の案内書によると、近くに「班女の観音堂」がある由である。 ここで昭和61年4月から10月にかけて「謡曲、班女・隅田川(梅若)特別企画展」が、関ヶ原町教育委員会、関ヶ原町歴史民族資料館の主催、東京都墨田区木母寺の協賛で開催されたようで、その展示目録が見つかった。班女の木像、班女の画、梅若丸の木像、木母寺縁起絵巻、妙亀(梅若丸の母、つま本曲のシテ花子)塚・梅若塚等のパネル等多数が展示されたようだが、目録の中には本文記載の「班女の扇」は見当たらなかった。このような展示は大変珍しいと思うので、同じような催しがあったら是非拝観したいものである。

◎この曲は,四番目物といわれる。ワキの吉田少将と美濃野上で契った恋人が形見の扇により再び結ばれる物語中で、謡本8頁「音白河の関路より叉立ち帰る旅衣・・・・・」とあり東北の任地から吉田少将が京都にもどり再会と言うに文章で奥州陸奥(福島県)の白河が出てくる。
                                                (小原 隆夫)



   斑 女

        四番目略三番目(太鼓ナシ) 
                                季 秋
             ワキヅレ 従 者
              シテ 前・花子          所 前・美濃国野上
                 後・班女         所 後・京都糺の森
              ワキ 吉田少将


シテ   げにやもちよりも定めなき世と言いながら。憂きふししげき河竹の。流れの身こそ悲しけれ。

地 下  分け迷う行方も知らで濡れ衣。
地 上  野上の里を立ち出でて。野上の里を立ち出でて。近江路なれど憂人に。
      別れしよりの袖の露そのまま消えぬ身ぞつらき。そのまま消えぬ身ぞつらき。
ワキ 次第
ワキヅレ 帰るぞ名残富士の嶺。帰るぞ名残富士の嶺。行きて都に語らん。
ワキ   「是は吉田の少将とは我が事なり。さても我過ぎにし春の頃東に下り。
      秋になり候へば。只今都に上り候」
ワキ 道行
ワキヅレ 都をば霞とともに立ち出でて。
ワキヅレ 都をば霞とともに立ち出でて。
ワキ   
ワキヅレ しばし程ふる秋風の。音白河の関路より又立ち帰る旅衣。
      浦山過ぎて美濃の国。野上の里に着きにけり野上の宿に着きにけり
ワキ   「いかに誰かある。急ぐ間これわはや美濃の国野上の里に着きて候。
      この所に花子といいし女に契りし事あり。末だこの所にあるか尋ね候へ。」
ワキヅレ 「畏つてこう候。花子の事を尋ね申して候へば。長と不和なる事の候いて。
      今はこの所には御入りなき由申し候」
ワキ   「さては定めなき事ながら。もしその花子帰り来たる事あらば。
      都へ序での時は堅く申しつけ候え。急ぎ間程なく都に着きて候。
      我宿願の仔細あれば。これより直に糺すへ参ろうずるにて候。皆々まいり候へ」                              (一セイ)
後シテ  春日野の雪間を分けて生い出でくる。
      「草のはつかに見えし君かも。よしなき人に馴れ衣の。日を重ね月は行けども」
      世を秋風の便りならでは。ゆかりを知らする人もなし夕暮れの。
      「雲の旗手に物を思い。うわの空にあくがれ出でて。身を徒になす事を。神や仏も憐れみて」
      思う事をかなえ給え。それ足柄箱根玉津島。貴船や三島の明神は。
      夫婦男女の語らいを。守らんと誓いおします。この神々に祈誓せば。
      などか験のなかるべき。謹上。
地     再拝
シテ    恋すちょう。我が名はまだき立ちにけり。
地     人知れずこそ。思いそめしか。
シテ    あら恨めしの人心や
シテサシ げにや祈りつつ御手洗川に恋せじと。誰かいいけん空ごとや。
       されば人心。真少なきにごりえの。すまで頼まば神とても受け給はぬは理りや。
       とにもかくにも人知れぬ。思いの露の。
地     置所いづくならまし身のゆくえ
地     心だに誠の道にかないなば。誠の道にかないなば。
      祈らずとても。神や守らん我等まで真如の月は雲らじを。
      知らで程へし人心。衣の玉は有りながら。
      恨みありやともすればなお同じ世と祈るなりなお同じ世と祈るなり。
ワキヅレ 「いかに狂女。何とて今日は狂わぬぞ面白う狂い候へ」
シテ    「うたてやなあれ御覧ぜよ今までは。ゆるがぬ梢と見えつれども。
      風の誘えば一葉も散るなり」
      たまたま心直ぐなるを。狂えと仰せある人々こそ。
      風狂じたる秋の葉の。心もともに乱れ恋のあら悲し狂えとな仰せありさむらいそ。
ワキヅレ 「さて例の斑女の扇は候」
シテ    「現なや我が名を班女と宣うぞや。よしよしそれも憂き人の。
      形見の扇手にふれて。うちおき難き袖の露。ふることまでも思いぞ出づる」
      班女が閨の内には秋の扇の色。楚王のうてなの上には夜の琴の声。
地     夏はつる扇と秋の白露と何れが先におき臥しの床すさまじや独ねの。
      さびしき枕して閨の月を眺めん。
地    月重山に隠れぬれば。扇をあげてこれを譬へ。
シテ   花琴上に散りぬれば
地    雪をあつめて。春を惜しむ
シテ   夕べの嵐朝の雲。いづれか思いのつまならぬ
地    「さびしき夜半の鐘の音。鶏籠の山に響きつつ明けなんとして別れを催し
シテ    せめて閨洩る月だにも
地     しばし枕に残らずして。又独寝になりぬるぞや。
地クセ   翠帳紅閨に。枕ならぶる床の上。馴れしふすまの夜すがらも洞穴の跡夢もなし。
      よしそれも同じ世の。命のみをさりともと。いつまで草の露の間も。
      比翼連理の語らいその離山宮の私語も。
      誰か聞き伝えて今の世までもらすらん。さるにても我が夫の。
      秋より前にかならずと。夕べの数は重なれど。あだし言葉の人心。
      頼めて来ぬ夜は積もれども。欄干に立ちつくして。其方の空よと眺むれば。
      夕暮れの秋風嵐山颪野分けも。あの松をこそは音づるれ。
      我が待つ人よりの音信をいつ聞かまし。
シテ   せめてもの形見の扇手にふれて
地     風の便りと思へども。夏もはやすぎの窓の。
      秋風冷ややかに吹き落ちて団雪の。扇も雪なれば。
      名を聞くもすさまじくて。秋風恨みあり。
      よしや思えばこれもげに逢うは別れなるべしその報いなれば今さら。
      世をも人をも恨むまじただ思はれぬ身の程を。思いつづけて独居の班女が。閨ぞさびしき
地     絵にかける
シテ   月をかくして懐に。持ちたる扇
地     とる袖も三重がさね
シテ   其の色衣の
地     つまのかね言
シテ    かならずと夕暮れの月日も重なり
地     秋風は吹けども
シテ    萩の葉のそよとの便りも聞かで
地     鹿の音虫の音も。からがれの契り。あらよしなや。
シテ   形見の扇より。
地     形見の扇より。なお裏表あるものは人心なれけるぞや。
      扇とは空言や逢はでぞ恋は添うものを逢はでぞ恋は添うものを
ワキ   「いかに誰かある」
ワキヅレ 「御前に候」
ワキ   「あの班女が持ちたる扇見たきよし申し候へ」
ワキヅレ 「畏まって候。いかに狂女。あのお輿の内より。
      狂女の持ちたる扇ご覧じたきとの御事にて候参らせられ候へ」
シテ   「これは人の形見なれば。身を放さで持ちたれども」
      形見こそ今はあだなれこれなくは。忘るる隙もあらましものをと。
      思えどもさすが又。添う心地する折々は。
      扇とる間も惜しきものを人に見する事あらじ。
地ロンギ こなたにも忘れ形見の言の葉を。いわでの森の下つつじ。
      色に出でずはそれぞとも見てこそ知らめこの扇
シテ    見てはさて何のためぞと夕暮れの。月を出せる扇の絵の。
       かくばかり問い給うは何のお為なるらん
地     何ともよしや白露の。草の野上の旅寝せし契りの秋はいかならん
シテ    野上とは。野上とは東路の。末の松山浪越えて帰らざりし人やらん
地     末の松山立つ波の。何か恨みん契りおく
シテ    形見の扇そなたにも
地     身に添え持ちしこの扇
シテ    輿の内より
地     取りいだせば。をりふしたそがれに。ほのぼの見れば夕顔の。花をかきたる扇なり。
      この上は惟光に脂燭召して。ありつる扇。御覧ぜよ互いに。それぞと知られ白雪の。
      扇のつまの形見こそ妹背のなかの情なれ。妹背のなかの情なれ。

 



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