宝生流謡曲 「熊 野」

●あらすじ
遠江の国(現在の静岡県)、池田宿の女主人である熊野(ゆや)は、京の都で、平家の公達で権勢を振るう平宗盛(たいらのむねもり)に仕えています。このところ故郷の母の病状が思わしくないと聞き、故郷に帰りたいと、休暇を願い出ますが、宗盛は今年の花見までは一緒に過ごそうと言って、聞き入れません。その頃、熊野の一家の侍女である朝顔が、母の手紙を持って訪れます。文には、病状が思わしくなく、今生の別れが来る前に一目でも会いたいという切々とした母の願いがしたためられていました。一刻も猶予はないと熊野は、母の手紙を宗盛に読み聞かせ、帰郷の許しを一心に願います。しかし宗盛は、許すどころか清水寺の花見に同行するように命じます。
 春爛漫の中、楽しげな都の人々の様子を見ても、熊野の心は故郷への思い、母への気遣いで沈みがちです。心ならずも酒宴で舞を舞っていると、急に時雨が来て、花を散らしてしまいました。これを見た熊野は、母を思う和歌を一首読み上げました。その歌はかたくなな宗盛の心に届き、ようやく帰郷が許されます。熊野は、宗盛が心変わりしないうちに、と急いで京を発ちました。

●宝生流謡本      内一巻の三     三番目(太鼓なし)
               素 謡 : 季節=春  場所=京都  稽古順=初奥  素謡時間約=60分 
     素謡座席順  ツレ=朝 顔
               シテ=熊 野 
               ワキ=平 宗盛 
●能のみどころ
この能は、平家物語の巻十に語られた、平宗盛と愛妾熊野のエピソードに肉付けした現在能です。「松風」と並び昔から人々に親しまれ、「熊野松風は(に)米の飯」と言われるほど、飽きのこない面白さが称えられてきました。 話の内容は、平宗盛という権力者に翻弄される美女の姿を描いていますが、この能の最大の魅力は、明るい春の情景と熊野の暗く沈む心象風景という光と影を際立たせて、物語に深みを与えているところでしょう。清水での花見の道すがら、車窓からの風景を美しい詞章の連なる謡で描写し、その情景に熊野の心の揺れを重ねるように、謡、舞が織り込まれ、秀逸です。 「熊野」と書いて「ゆや」と読みます。ここでは物語の女主人公の名前です。

●能「熊野」(春の花見)  壷齋閑話
能「熊野(ゆや)」は、花見遊山をテーマにした、春の気配溢れる逸品である。「熊野松風に米の飯」といわれ、古来能の名曲とされてきた。今でも人気の高い曲で、能役者にとってもやりがいのある曲だそうだ。謡曲としても人気がある。松風が秋の能の代表作とすれば、熊野は春の能の代表作だといえよう。 作者は、世阿弥とする説や、金春禅竹とする説などがあるが、確証はない。おそらく古い能だと思われる。 出典を平家物語巻十「海道下り」に求める説がある。しかし、そこでは熊野の長者のことに言及があるのみで、能そのものの内容とは余り関連がない。熊野という名を借りて、全く新しい物語をつむぎだしたのであろう。 構成は、一場からなる現在能である。平宗盛の妾熊野が、老母からの手紙に接してその病を知り、暇をもらって見舞いに帰りたいと思うのであるが、宗盛は熊野を愛する余りに手放すことを欲せず、かえって熊野の気持ちを引き立てようと、花見に誘う。その花見の道中、病母を気遣う熊野の気持と、宗盛との間に演じられるやりとりが、一曲の筋をなしている。 親子の情愛と男女の葛藤を描くという点で、本来ドラマ性を秘めた作品といえるが、曲はそうした部分を表に出さず、遊山の道中に焦点をあてて、たゆたうように、ゆったりと進行していく。このゆらめくようなリズムの中にこそ、この曲の命があるともいえる。
 なお、この曲を喜多流では「湯谷」とする。「遊屋」と書く本もあるという。

●解 設  謡曲「熊野」
  ベースは『平家物語』巻十「海道下(かいどうくだり)」 謡曲「熊野」(喜多流では「湯谷」)は、作者不明ですが、この曲名初出資料の『歌舞髄脳記」』が1456(康正2)年に成立していますので、それ以前に作られたといえます。「熊野・松風に米の飯」といわれるほどの春の季節を代表する作品です。(「松風」は秋の名曲)原拠といわれるのは『平家物語』巻第十の「海道下」。しかし、ここでは、重衡中将の海道下りであって、能以下で有名な宗盛と熊野の話ではありません。
 「・・・そもそも、熊野というのは、池田の宿の長者自身の名前で、その娘の名前は侍従である。重衡が、その侍従が歌の名手であることをいぶかると、かつて宗盛に仕え、老母の長者のもとに帰してもらえたかった時に、「いかにせん都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらん」という名歌を歌って帰国を許されたという話を聞かされるといった、いわば劇中劇のようなエピソードに過ぎない。 それを、能においては、その侍従の名を親の熊野の名に代えて、宗盛がなかなか帰国を許さなかった理由として、清水の花見があることを絡ませて、一段能ではあるが、二場からなる楽劇の大作に仕立てたものである。したがって、後代の「熊野もの」の原拠としては、『平家物語』というよりは、能の「熊野」がそれであって、能の「熊野」を知らないことには、ほとんどこの「熊野」の話は通じない。」(「平野健次「『熊野もの』の箏曲」より)

●熊野の気持ち
「東の花」−母の命をたとえた、熊野の歌 「いかにせん、都の春も惜しけれど、馴れし東(あずま)の花や散るらん 」 熊野は平宗盛に仕えて京の都におりますので、遠く離れた故郷の母のことが心配でなりません。花見の宴で突然村雨に舞う桜の花を見ながら母への気持ちを歌います。この歌に宗盛は熊野の気持ちに感動し、帰郷(暇)を許すのです。

●宗盛の気持ち
 熊野の帰国を許さなかったその理由 さて、一方、宗盛は、はじめ熊野の帰郷を許さず、身勝手オトコと評されています。果たしてそうでしょうか? 「・・・「この春ばかりの花見の友と思ひ留め置きて候」とある。この一言の真意がわかるようになったのは、私もつい最近のことである。
 つい最近までは、単に色好みの大将であるから、熊野を帰さないのだと思っていた。しかし、京都に住んでみるとよくわかるのであるが、たかが清水の花見といえど、桜前線の予報と天気予報とを、よく研究した上で出掛けないと、容易に絶好の花見にはぶつかり得ないのである。(・・・中略)
 ・・・いわば桜の女王に白羽の矢をたてた女性が、肝心の花見の前に帰国するなどといい出されては、宗盛としては、たまったものではない。花見の友として、多分精一杯着飾らせて、ハレの舞台を踏ませてやりたいというのが、宗盛の愛情である。そして、「この春ばかり」というのは、この年を最後として、もはや宗盛は、都を落ちて修羅の巷に入らなけれぼならないことを予測していたに違いない。 してみれば、最後の花見、それに最愛の熊野を欠くというのは、宗盛としては、耐え難いことであったに違いない。こうした宗盛の愛情が、それは男の身勝手であるかもしれないが、まず、この宗盛の思いが前提となって、この劇は展開していく。清水へ向かう道行、そして、清水へ着いてからの熊野の舞と、和歌を短冊にしたためて宗盛に渡すくだり−どういうわけか、能の人形には、この熊野の短冊の段の姿が多い。 その和歌に感動して宗盛が帰国を許すと、大急ぎでそのまま帰国の途につく熊野。歌舞伎ならば、最後花道の七三のところで、空を見上げて雁が北へ飛ぶのを見送って、自らは急ぎ足で揚幕を目指すといった絵のような幕切れ。舞台中央では、桜の花びらが散る中を宗盛がじっとこれを見送り続ける、というような展開は、能であろうと歌舞伎であろうと、とにかく美しい。」(「同「『熊野もの』の箏曲」より)

平成24年8月17日 あさかのユーユーゥラブ 謡曲研修会




     熊 野    

                    熊 野 三番目(太鼓なし)
         ツレ   朝 顔
         シテ   熊 野          季 春
          ワキ   平 宗盛         所 京都

ワキ 詞「これは平の宗盛なり。さても遠江の国池田の宿の長をば熊野と申し候。
      久しく都にとゞめおきて候ふが。老母のいたはりとて度々暇を乞ひ候へども。
      この春ばかりの花見の友とおもひ留めおきて候。
○ワキ 詞「いかに誰かある。
ワキツレ詞「御前に候。
ワキ   「熊野きたりてあらば此方へ申し候へ。
ワキツレ 「畏つて候。○
ツレ次第「夢の間惜しき春なれや。夢の間惜しき春なれや。咲く頃花を尋ねん。
   サシ「これは遠江の国池田の宿。長者の御内につかへ申す。朝顔と申す女にて候。
    詞「さても熊野久しく都に御入り候ふが。此程老母の御いたはりとて。
      度々人を御のぼせ候へども。更に御くだりもなく候ふ程に。
      此度は朝顔が御むかへにのぼり候。
  道行「此程の旅の衣の日もそひて。旅の衣の日もそひて。
     幾夕暮の宿ならん。夢も数そふ仮枕。明かし暮らして程もなく。
     都に早く着きにけり都に早く着きにけり。
   詞「急ぎ候ふ程に。これは早都に着きて候。
      これなる御内が熊野の御入り候ふ所にてありげに候。
      まづまづ案内を申さばやと思ひ候。いかに案内申し候。
      池田の宿より朝顔が参りて候。
      それそれおん申し候へ。
シテサシ「草木は雨露のめぐみ。養ひ得ては花の父母たり。況んや人間に於てをや。
      あら御心もとなや何とか御入り候ふらん。
ツレ  詞「池田の宿より朝顔がまゐりて候。
シテ 詞「なに朝顔と申すか。あらめづらしや。さて御いたはりは何と御入りあるぞ。
ツレ   「以ての外に御入り候。これに御文の候御覧候へ。
シテ  「あら心もとなやうれしや先々御文を見うずるにて候。あら笑止や。
     此御文のやうも頼みずくなう見えて候。
ツレ  「左様に御入り候。
シテ  「此上は朝顔をも連れて参り。又此文をも御目にかけて。
     御暇を申さうずるにてあるぞこなたへ来り候へ。
     ○いかに誰か御入り候。
ワキツレ「誰にて渡り候ふぞ。や。熊野の御まゐりにて候。
シテ  「わらはが参りたる由御申し候へ。
ワキツレ「心得申し候。いかに申し上げ候。熊野の御まゐりにて候。
ワキ   「こなたへ来れと申し候へ。
ワキツレ「畏つて候。こなたへ御参り候へ。○
シテ  「いかに申し上げ候。老母のいたはり以ての外に候ふとて。
      此度は朝顔に文をのぼせて候。
      便なう候へどもそと見参に入れ候ふべし。
ワキ  「なにと故郷よりの文と候ふや。見るまでもなしそれにて高らかに読み候へ。
              文ノ段
シテ  「甘泉殿の春の夜の夢。心を砕く端となり。
     驪山宮の秋の夜の月終なきにしもあらず。
     末世一代教主の如来も。生死の掟をば遁れ給はず。過ぎにし二月の頃申しゝ如く。
     何とやらん此春は。年ふりまさる朽木桜。今年ばかりの花をだに。
     待ちもやせじと心弱き。老の鴬逢ふ事も涙に咽ぶばかりなり。
     たゞ然るべくはよきやうに申し。しばしの御暇を賜はり。 
     今一度まみえおはしませさなきだに親子は一世のなかなるに。
     同じ世にだに添ひ給はずは。
     孝行にもはづれ給ふべし唯かへすがへすも命の内に今一度。
     見まゐらせたくこそ候へとよ。
     老いぬればさらぬ別のありといへば。
     いよいよ見まくほしき君かなと。
     古事までも思出の涙ながら書きとゞむ。
地  歌「そも此歌と申すは。そも此歌と申すは。在原の業平の。其身は朝に隙なきを。
      長岡に住み給ふ老母の詠める歌なり。さてこそ業平も。さらぬ別のなくもがな。
      千代もと祈る子の為とよみし事こそ。あはれなれ詠みし事こそあはれなれ。
シテ  「今はかやうに候へば。御暇を賜はり。東に下り候わん。
ワキ 詞「老母の痛はりはさる事なれどもさりながら。
     この春ばかりの花見の友。いかで見すて給ふべき。
シテ  「御ことばをかへせば恐なれども。花は春あらば今に限るべからず。
      これはあだなる玉の緒の。永き別となりやせん。
      たゞ御暇を賜はり候へ。
ワキ  「いやいや左様に心よわき。身に任せてはかなふまじ。いかにも心を慰めの。
     花見の車同車にて。
   上「ともに心を慰まんと。
地  歌「牛飼車寄せよとて。牛飼車寄せよとて。これも思の家の内。
      はや御出と勧むれど心は先に行きかぬる。足弱車の力なき花見なりけり。
シテ  「名も清き。水のまに/\とめくれば。
地   「河は音羽の。山桜。
シテ  「東路とても東山せめて。其方のなつかしや。
地   「春前に雨あつて花の開くる事早し。秋後に霜なうして落葉遅し。
      山外に山有つて山尽きず。路中に路多うして道きはまりなし。
シテ  「山青く山白くして雲来去す。
地   「人楽み人愁ふ。これみな世上の有様なり。
  下歌「誰か言ひし春の色。げに長閑なる東山。
  上歌「四条五条の橋の上。四条五条の橋の上。老若男女貴賎都鄙。
      色めく花衣袖を連ねて行末の。雲かと見えて八重一重。
      さく九重の花ざかり名に負ふ春のけしきかな名におふ春のけしきかな。
地   「河原おもてを過ぎゆけば。急ぐ心の程もなく。
      車大路や六波羅の。地蔵堂よと伏し拝む。
シテ  「観音も同座あり。闡提救世の。方便あらたにたらちねを守り給へや。
地   「げにや守の末すぐに。たのむ命は白玉の。
     愛宕の寺も打ち過ぎぬ。六道の辻とかや。
シテ  「実に恐ろしや此道は。冥途に通ふなるものを。心細鳥辺山。
地   「煙の末も薄霞む。声も旅雁のよこたはる。
シテ  「北斗の星の曇なき。
地   「御法の花も開くなる。
シテ  「経書堂はこれかとよ。
地   「其たらちねを尋ぬなる。子安の塔を過ぎ行けば。
シテ  「春の隙行く駒の道。
地   「はや程もなくこれぞこの。
シテ  「車宿り。
地   「馬留め。こゝより花車。おりゐの衣播磨潟飾磨の徒歩路清水の。
     仏の御前に。念誦して母の祈誓を申さん。
〇ワキ 詞「いかに誰かある。
ワキツレ「御前に候。
ワキ  「熊野はいづくにあるぞ。
ワキツレ「いまだ御堂に御座候。
ワキ  「何とて遅なはりたるぞ急いでこなたへと申し候へ。
ワキツレ「畏つて候。いかに朝顔に申し候。はや花の本の御酒宴の始まりて候。
     急いで御まゐりあれとの御事にて候。其由仰せられ候へ。
ワキツレ「心得申し候。いかに申し候。はや花の本の御酒宴の始まりて候。
     急いで御まゐりあれとの御事にて候。
シテ  「何と早御酒宴の始まりたると申すか。
ワキツレ「さん候。
シテ  「さらば参らうずるにて候。〇
シテ  「なうなう皆々近う御参り候へ。あら面白の花や候。今を盛と見えて候ふに。
     何とて御当座などをもあそばされ候はぬぞ。
   クリ「げにや思ひ内にあれば。色外に現る。
地   「よしやよしなき世のならひ。歎きてもまた余あり。
シテ  「花前に蝶舞ふ紛々たる雪。
地   「柳上に鴬飛ぶ片々たる金。花は流水に随つて香の来る事疾し。
     鐘は寒雲を隔てゝ声の至る事遅し。
  クセ「清水寺の鐘の声。祇園精舎をあらはし。諸行無常の声やらん。
     地主権現の花の色。娑羅双樹のことわりなり。生者必滅の世のならひ。
     実にためしある粧。仏ももとは捨てし世の。半は雲に上見えぬ。
     鷲の御山の名を残す。寺は桂の橋柱。立ち出でて峯の雲。
     花やあらぬ初桜の祇園林下河原。
シテ  「南を遥に眺むれば。
地   「大悲擁護の薄霞。熊野権現の移ります御名も同じ今熊野。
     稲荷の山の薄紅葉の。青かりし葉の秋また花の春は清水の。
     唯たのめ頼もしき春も千々の花盛。
シテ  「山の名の。音羽嵐の花の雪。
地   「深き情を。人や知る。
〇シテ 詞「妾御酌にまゐり候ふべし。
ワキ 詞「いかに熊野。一さし舞ひ候へ。
地   「深き情を。人や知る。〇
                    (中ノ舞)
シテ 詞「なうなう俄に村雨のして花の散り候ふは如何に。
ワキ 詞「げにげに村雨の降り来つて花を散らし候ふよ。
シテ  「あら心なの村雨やな春雨の。
地   「降るは涙か。降るは涙か桜花。散るを惜まぬ。人やある。
                   (イロエ)打上
ワキ 詞「由ありげなる言葉の種取上げ見れば。
     「いかにせん。都の春も惜しけれど。
シテ  「なれし東の花や散るらん。
ワキ 詞「げに道理なりあはれなり。早々暇とらするぞ東に下り候へ。
シテ  「何御いとまと候ふや。
ワキ 詞「中々の事とく/\下り候ふべし。
シテ  「あら嬉しや尊やな。これ観音の御利生なり。
     これまでなりや嬉しやな。
地   「是までなりや嬉しやな。かくて都に御供せば。
     またもや御意のかはるべき。たゞ此まゝに御いとまと。
     木綿附の鳥が鳴く東路さして行く道の。
    〇東路さして行く道の〇
     やがて休らふ逢坂の。関の戸ざしも心して。明け行く跡の山見えて。
     花を見すつる雁のそれは越路我はまた。
     東に帰る名残かな東に帰る名残かな。

                 〇から〇の間を素謡ではうたわない。


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