宝生流謡曲 田 村

●あらすじ
 東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると応えます。清水寺の来歴を尋ねる僧に、少年は、坂上田村麿[田村丸]が建立した謂れを語りました。また問われるまま、少年が近隣の名所を挙げるうちに日は暮れ、やがて月が花に照り映える春の宵を迎えます。少年と僧は「春宵一刻値千金」の詩文を共に口ずさみ、清水寺の桜を楽しみます。少年は折からの景色を讃えながら舞いを添え、田村麿ゆかりの田村堂という建物に入っていきました。 
 残された僧の前に清水寺門前の者が現れて、清水寺の縁起を語り、少年は田村麿の化身だろうと述べ、回向を勧めます。夜半、僧が法華経を読誦していると、武者姿の田村麿の霊が現れます。田村麿はかつて、鈴鹿山の朝敵を討ち、国土を安全にせよ、との宣旨を受けて、軍勢を率いて観音に参り、願をかけたことを語ります。その後、見事に賊を討ち果たした有様を見せて、これも観音の仏力によるものだと述べて、物語を終えます。

●宝生流謡本(参考)   内一巻の二   二番目(太鼓ナシ)
               季節=春    場所=京都清水寺
               素謡(宝生)  : 稽古順=平物   素謡時間約=45分
     素謡座席順   シテ=前 童子丞  後シテ 坂上田村丸  
                 ワキ=旅僧

●解 説
『田村』は「箙」「八島/屋島」とともに、勝修羅三番のひとつです。勝修羅とは、勝ち戦の武将を主人公とする修羅能のこと。この曲の主人公は、征夷大将軍、坂上田村麿で、悲壮感はなく、雄々しい姿が描かれ、祝言の色彩も帯びています。 前半では、田村麿の化身である少年を主人公に、清水寺の花景色、とりわけ桜の陰に月明かりが洩れる春の宵が美しく描写され、優美さ、華やかさが際立ちます。後半は一転して、武者姿の田村麿が登場し、一代の戦記を語り、敵をなぎ倒した往時の勢いを現します。 前半、後半双方にクセのある「両グセ(二段クセ)」の曲です。前半は弱吟の舞いグセで優雅な舞姿を見せ、後半は強吟の居グセの後に、力強くカケリの所作、キリの舞が続き、それぞれ異なる情趣を伝えます。前後半での曲相の変化がまず、大きな見どころ、聴きどころでしょう。

●参 考@  壷齋閑話
 能「田村」は、坂上田村麻呂を主人公にして、清水寺創建の縁起物語と田村麻呂の蝦夷征伐を描いた作品である。観音の霊力によって敵を蹴散らす武将の勇猛さがテーマとなっており、明るく祝祭的な雰囲気に満ちた作品である。屋島、箙とともに、三大勝修羅とされ、祝言の能としても演じられてきた。 坂上田村麻呂は奈良時代末期に活躍した武人。その功績については、改めて語るまでもあるまい。平安時代以降、武人の鏡として尊敬を集め、多くの伝説を生んだ。清水寺の創建もその一つといえるが、これには史実の裏づけがある。 今昔物語集巻十一や扶桑略記によれば、清水寺は、宝亀十一年(780)坂上田村麻呂が創建したことになっている。田村麻呂は妻の病気の薬になるという鹿の血を求めて、音羽山に入り込んだ際、そこで修行中の僧延鎮に出会い、殺生を戒められた。田村麻呂はそれを機に仏に帰依してこの寺を創建したという。 延鎮はもと大和国子島寺の僧侶であったが、夢のお告げに従って音羽山に入り、そこで何百年も修行しているという行叡居士と出会う。行叡居士は、後を延鎮に託して去り、延鎮は行叡居士の残していった霊木に観音の像を掘り込んで祀った。これが清水寺のそもそもの由来なのであるとされている。  (後略)

●参 考A    清水寺の縁起
音羽山清水寺は、1200余年前、奈良時代の末、宝亀9年(778)の開創になります。
 奈良子島寺の延鎮上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との霊夢をうけ、幽邃の音羽山腹の滝のほとりにたどり着き、草庵をむすんで永年練行中の行叡居士より観世音菩薩の威神力を祈りこめた霊木を授けられ、千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのが、当寺のおこりであります。 その翌々年、坂上田村麻呂公が、高子妻室の安産のためにと鹿を求めて上山し、清水の源をたずねて延鎮上人に会い、殺生の非を諭され、鹿を弔うて下山し、妻室に上人の説かれたところの清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を語り、共に深く観世音に帰依して仏殿を寄進し、ご本尊に十一面千手観音を安置したのであります。 その後、延暦17年(798)上人は坂上公を助け、協力して更に地蔵菩薩と毘沙門天とを造像してご本尊の両脇士とし、本堂を広く造りかえました。
音羽の滝は、清水滾々と数千万年来、音羽の山中より湧出する清泉で、金色水とも延命水ともよばれ、ここより「清水寺」の名がおこりました。 古来、『源氏物語』『枕草子』にも記され、謠曲『田村』『盛久』らにも謠われ、浄瑠璃・歌舞伎『景清』に演じられ、広く篤い崇信を集めてきました。寛永10年(1633)現在の規模に再建され、国宝の本堂、重要文化財の15建造物を中心とした堂塔伽藍の輪奐の美は、観世音の信仰とともに、観音霊場として多くの人々に渇仰されるところであります。京都東山の中央・音羽山を背景にした絶佳の場所に位置し、京絡の町の南半を瞰下し、約13万平方メートルの寺域は春は桜、秋は紅葉と、四季の景観はすばらしく、観世音補陀洛楽土と仰がれております。 本尊の十一面千手観音菩薩は、霊験あらたかな観世音として著名で西国三十三所観音霊場第十六番の札所として香華のたえることなく、全国屈指の名刹であります。
「松風や音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらん」

●坂上田村麻呂
 8・9世紀頃は、毎年陸奥の国各地で蝦夷が、中央政権に反乱する。大和政権は鎮定将軍を定めて、大伴駿河麻呂・藤原小黒丸・大伴家持・弟麻呂・坂上田村麻呂言わ(758-811)等に命じて、蝦夷征伐は数多く行っていたとれるが、宝亀配し11年(780)の坂上田村麻呂以外成功しているとは言い難く、地方豪族が各地で、それぞれ支ていたものと考えられる。 758〜811(天平宝字2〜弘仁2)平安初期の武将刈田麻呂の子。その家は東漢(やまと)麻呂は「赤面黄鬚」(せきめんおうしゅ,赤ら顔に黄色のひげ),腕力人に優れ,怒ってはったとにらめば猛獣も倒れるが,にっことほほえめば赤子もなつくと称された。桓武天皇はその将帥の器たるを認め,折から進行中の北辺のエゾ経営戦の指揮官に起用した。田村麻呂は初代征夷大将軍大伴弟麻呂のもとで副将軍として,自ら10万の兵をひきいて794年(延暦13),胆沢の会戦に大勝,803年(延暦20)には自ら征夷大将軍として,再び胆沢に出兵,完全勝利をおさめ胆沢城を造り,鎮守府をここに移し,北方経営の基地とした。エゾ経営はかれのもとで最終的に安定するので,かれは「北天の化現」(北方守護神の生まれかわり)と仰がれた。                              〔参考文献〕高橋崇『坂上田村麻呂』吉川弘文館

            勝修羅謡曲 3曲
                                    
小原隆夫調べ
 コード   曲 目    概    説           場 所  季節  素謡   習順
外08巻4 竹  雪 先妻ノ子後妻ニ凍死サレルモ蘇る 新潟   冬   53分  初奥
内11巻2 八  島 源平合戦ノ義経弓流し       香川   春   55分  入門
外01巻2   箙    景季 梅の笠印ニ生田川で戦ウ  兵庫   春   40分  平物

(平成24年8月17日 謡曲研究会)



   田 村 
       
二番目(太鼓ナシ) 
                                季 春
              シテ 前・童子           所 前・京都清水寺
                 後・坂上田村丸      所 後・京都清水寺
              ワキ 旅僧



ワキ 次第「鄙の都路隔て来て。鄙の都路隔て来て。九重の春に急がん。
ワキ   詞「これは東国方より出でたる僧にて候。
      我未だ都を見ず候ふ程に。此春思ひ立ちて候。
      道行三人「頃もはや。弥生なかばの春の空。弥生なかばの春の空。
      影ものどかに廻る日の。霞むそなたや音羽山。瀧の響も静かなる。
      清水寺に着きにけり。清水寺に着きにけり。
シテ一セイ「おのづから。春の手向となりにけり。地主権現の。花ざかり。
   サシ「それ花の名所多しといへども。大悲の光色添ふ故か。
      この寺の地主の桜にしくはなし。さればにや大慈大悲の春の花。
      十悪の里に芳しく。三十三身の秋の月。五濁の水に。影清し。
   下歌「千早振。神の御庭の雪なれや。
   上歌「白妙に雲も霞も埋れて。雲も霞も埋れて。いづれ。桜の梢ぞと。
       見渡せば八重一重げに九重の春の空。四方の山なみ自ら。。
       時ぞとみゆる気色かな時ぞとみゆる気色かな。
ワキ  詞「いかにこれなる人に尋ね申すべき事の候。
シテ  詞「こなたの事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ    「見申せばうつくしき玉箒を持ち。木蔭を清め候ふは。
      若し花守にて御入り候ふか。
シテ   「さん候これはこの地主権現に仕へ申す者なり。
       いつも花の頃は木蔭を清め候ふほどに。
       花守とやいはん。又宮つことや申すべき。いづれによしある者と御覧候へ。
ワキ   「げにげによしありげに見えて候。
       まづまづ当寺の御来歴。委しく語り給ふべし。
シテ  詞「そも/\当寺清水寺と申すは。大同二年の御草創。
       坂上の田村丸の御願なり。昔大和の国子島寺といふ所に。
       賢心といへる沙門。正身の観世音を拝まんと誓ひしに。
       ある時木津川の川上より金色の光さしゝを。
       尋ね上つて見れば一人の老翁あり。かの翁語つていはく。
       我はこれ行叡居士といへり。汝一人の檀那を待ち。
       大伽藍を建立すべしとて。東をさして飛び去りぬ。
       されば行叡居士といつぱ。これ観音薩陀の御再誕。
      「又檀那を待てとありしは。これ坂の上の田村丸。
地上 歌「今もその。名に流れたる清水の。名に流れたる清水の。
      深き誓も数々に。千手の御手のとりどり。様々の誓普くて国土万民を漏らさじの。
      大悲の影ぞありがたき。げにや安楽世界より。今この娑婆に示現して。
      我らが為の観世音。仰ぐも愚かなるべしや。
      仰ぐも愚かなるべしや。
ワキ 詞「近頃おもしろき人に参り逢ひて候ふものかな。
      又見え渡りたるは皆名所にてぞ候ふらん。御教へ候へ。
シテ 詞「さん候皆名所にて候。御尋ね候へ教へ申し候ふべし。
ワキ   「まづ南に当つて塔婆の見えて候ふは。いかなる所にて候ふぞ。
シテ   「あれこそ歌の中山清閑寺。今熊野まで見えて候。
ワキ   「また北に当つて入相の聞え候ふはいかなる御寺にて候ふぞ。
シテ   「あれは上見ぬ鷲の尾の寺。や。御覧候へ音羽の山の嶺よりも出でたる月の輝きて。
      この地主の桜に映る景色。まづまづこれこそ御覧じ事なれ。
ワキ   「げに/\これこそ暇惜しけれ。こと心なき春の一時。
シテ   「げに惜むべし。
ワキ   「惜むべしや。
シテワキ二人「春宵一刻価千金。花に清香。月に影。
シテ   「げに千金にも。かへしとは。今此時かや。
地    「あら/\面白の地主の花の景色やな。桜の木の間に漏る月の。
      雪もふる夜嵐の。誘ふ花とつれて散るや心なるらん。
   クセ「さぞな名にしおふ。花の都の春の空。げに時めける粧青楊の影緑にて。
      風のどかなる。音羽の瀧の白糸の。くり返しかへしても面白やありがたやな。
      地主権現の。花の色も異なり。
シテ  「たゞ頼め。標茅が原のさしも草。
地    「我世の中に。あらんかぎりはの御誓願。濁らじものを清水の。
      緑もさすや青柳の。げにも枯れたる木なりとも。
      花桜木の粧いづくの春もおしなめて。のどけき影は有明の。
      天も花に酔へりや。面白の春べや。あら面白の春べや。
ロンギ地「げにやけしきを見るからに。たゞ人ならぬ粧のその名いかなる人やらん。
シテ  「いかにとも。いさやその名も白雪の。跡を惜まば此寺に帰る方を御覧ぜよ。
地    「帰るやいづくあしがきの。ま近きほどか遠近の。
シテ   「たづきも知らぬ山中に。
地    「おぼつかなくも。思ひ給はゞわが行く方を見よやとて。
      地主権現の御前より。下るかと見えしが。
      くだりはせで坂の上の田村堂の軒もるや。月のむら戸を押しあけて。
      内に入らせ給ひけり内陣に入らせ給ひけり。
                                  (中入)
ワキ待謡「夜もすがら。ちるや桜の蔭に居て。ちるや桜の蔭に居て。
     花も妙なる法の場。迷はぬ月の夜と共に。此御経を。
     読誦するこの御経を読誦する。
後シテ 「あら有難の御経やな。清水寺の瀧つ波。一河の流を汲んで。
     他生の縁ある旅人に。言葉を交す夜声の読誦。
     是ぞ則ち大慈大悲の、観音擁護の結縁たり。
ワキ  「ふしぎやな花の光にかゝやきて。男体の人の見え給ふは。
     いかなる人にてましますぞ。
シテ  「今は何をかつゝむべき。人皇五十一代。
     平城天皇の御宇に有りし。坂上の田村丸。
地   「東夷を平げ悪魔を鎮め。天下泰平の忠勤たりしも。即ち当時の仏力なり。
  サシ「燃るに君の宣旨には。勢州鈴鹿の悪魔を鎮め。都鄙安全になすべしとの。
     仰によつて軍兵を調へ。既に赴く時節に至りて。
     此観音の仏前に参り。祈念を致し立願せしに。
シテ  「不思議の瑞験あらたなれば。
地   「歓喜微笑の頼を含んで。急ぎ凶徒に。打つ立ちけり。
  クセ「普天の下。卒土の内いづく王地にあらざるや。やがて名にしおふ。
     関の戸さゝで逢坂の。山を越ゆれば浦波の。粟津の森やかげろふの。
     石山寺を伏し拝み是も清水の一仏と。頼はあひに近江路や。
     勢田の長橋ふみならし駒も足なみ勇むらん。
シテ  「すでに伊勢路の山近く。
地   「弓馬の道もさきかけんと。勝つ色みせたる梅が枝の。
     花も紅葉も色めきて。猛き心はあらがねの。土も木もわが大君の神国に。
     もとより観音の御誓仏力といひ神力も。なほ数数にますらをが。
     待つとは知らでさを鹿の。鈴鹿の禊せし世々までも。
     思へば嘉例なるべし。さるほどに山河を動かす鬼神の声。
     天に響き地に満ちて。万木青山動揺せり。
                           (カケリ)
シテ 詞「いかに鬼神もたしかに聞け。昔もさるためしあり。
    「千方といひし。。
     逆臣に仕へし鬼も王位を背く天罰にて。
     千方を捨つれば忽ち亡び失せしぞかし。
    「ましてやま近き鈴鹿耶麻。
地   「ふりさけ見れば伊勢の海。ふりさけ見れば伊勢の海。
     阿濃の松原むらだち来つて。鬼神は。黒雲鉄火をふらしつゝ。
     数千騎に身を変じて山の。如くに見えたる所に。
シテ  「あれを見よ不思議やな。
地   「あれを見よ不思議やな。味方の軍兵の旗の上に。千手観音の。
     光をはなつて虚空に飛行し。千の御手ごとに。大悲の弓には。知恵の矢をはめて。
     一度放せば千の矢先。雨霰とふりかゝつて。鬼神の上に乱れ落つれば。
     ことごとく矢先にかゝつて鬼神は残らず討たれにけり。ありがたしありがたしや。
     誠に呪詛。諸毒薬念彼。観音の力をあはせてすなはち還着於本人。
     すなはち還着於本人の。敵は亡びにけり。これ観音の仏力なり。



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