宝生流謡曲 高 砂

●あらすじ
 肥後(現在の熊本県)阿蘇(あそ)の宮の神主が京見物の道中、播州(ばんしゅう)高砂(現在の兵庫県高砂市)に立ち寄り、松の木陰を浄める老夫婦に出会います。老人は神主に、これが相生(あいおい)の松だと教えますが、自分は住吉(すみよし)(現在の大阪市住吉区から堺市北部)の住人だから、詳しいことは高砂の住人である妻の姥(うば)に尋ねよといいます。神主が夫婦別居をいぶかしく思っていると、老人は、本来の夫婦の仲とは、たとえ住まいが違っていても松葉の色のように変わることはないといいます。そして自分は松の精だと正体を明かし、住吉の浦へと舟で去ります。神主が浦の男に子細を尋ねると、男もまた常緑の松の功徳(くどく)を讃え、新造した舟の乗り初めを頼みます。神主が舟で住吉へと向かうと、住吉の明神(みょうじん)が現れ、舞を見せて天下泰平を言祝ぎます。 

●宝生流謡本        内一巻の一    脇 能     (太鼓あり)
              季節=春  場所=前・播磨国高砂 後・摂津国住吉  作者=世阿弥
              素謡(宝生)  :  稽古順=入門  素謡時間=45分  
    素謡座席順   ツレ=姥   
              シテ=前・尉 後・住吉明神  
              ワキ=神主友成  
●観能記 
「高砂観月能」      高砂市高砂町朝日町東播磨 優美な舞で魅了 神戸新聞
 秋の夜長に伝統芸能の幽玄の世界を楽しむ「高砂観月能」(神戸新聞社後援)が27日、高砂市高砂町朝日町の市文化会館で開かれた。たいまつに見立てた明かりや、スクリーンに「月明かり」が映し出されるなど、雰囲気たっぷりの中で能や狂言が繰り広げられた。 謡曲「高砂」発祥の地とされる、同市の地域文化の継承などを目的に、「高砂観月能の会」が毎年開催し、今年で13回目となる。この日は、地域の合唱団メンバーや高校生有志による謡曲「高砂」の大合唱、小学生らによる仕舞で開幕。続いて舞囃子「高砂」や、狂言「太刀奪」などが披露された。
 能の演目は「小鍛治」。天皇から剣の鋳造を命じられた、刀鍛冶の三条宗近が、稲荷明神に救いを求め、その神力によって名刀を打ち上げる、という筋書き。いずれも観世流能楽師の兄弟、上野朝義さん、雄三さんがシテを務めた。
 軽快な太鼓や笛の音色が響くなかで展開される舞に、観客らも見入っていた。    (増井哲夫) (2009/09/28 10:05)

●観世流の祝言謡の作法
結婚式で祝言謡を謡う場合、「翳シ=かざし」というのが問題になる事があります。縁起の悪い文言をめでたい文句に差し替えて謡うことで、「高砂」の「待謡」の場合、じつは「出る」「遠く」など、結婚式にはすこぶる縁起の悪い言葉が多いのです。また謡曲では頻繁に出てくる、文句を繰り返して謡う部分も「返シ」と呼ばれていてやはり具合が悪いので一度だけ謡うようにします。

●解 説      高砂 (能)             提供:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『高砂』は能の作品の一つ。相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。 ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ謌で謡う『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉に着きにけり、はや住吉に着きにけり』は結婚披露宴の定番の一つである。  
作者=世阿弥  成立年代=不明  形式=夢幻能
能柄=初番目物(男体の神物、神舞物)
季節  早春の夕暮れ→同日の明るい月夜
場所  播磨国高砂の浦→摂津国住吉の浦
シテ:翁   ツレ:嫗    ワキ:九州阿蘇宮の神官
  典拠  古今集仮名序及び中世の古今集註釈説
九州阿蘇宮の神官(ワキ)が播磨の国、高砂の浦にやってきた。春風駘蕩とする浦には松が美しい。遠く鐘の音も聞こえる。そこに老夫婦(シテとツレ)が来て、木陰を掃き清める。老人は古今和歌集の仮名序を引用して、高砂の松と住吉の松とは相生の松、離れていても夫婦であるとの伝説を説き、松の永遠、夫婦相老(相生にかけている)の仲睦まじさを述べる。命あるものは全て、いや自然の全ては和歌の道に心を寄せるという。ここで老夫婦は自分達は高砂・住吉の松の精である事を打ち明け、小舟に乗り追風をはらんで消えて行く。 神官もまた満潮に乗って舟を出し(ここで『高砂や…』となる)、松の精を追って住吉に辿り着く。
 『われ見ても 久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく代経ぬらん』(伊勢物語) の歌に返して、なんと住吉明神の御本体が影向され、美しい月光の下、颯爽と神舞を舞う。
 『千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ、相生の松風、颯々の聲ぞ楽しむ、颯々の聲ぞ楽しむ』(トメ拍子)。

●みどころ
高砂は、室町以来現在に至るまで、能の代表的な祝言曲として、広く人々に親しまれてきました。能を見たことがない人でも、「高砂」の名を一度くらいは耳に入れる機会があるでしょう。たとえば婚礼の席で、この曲から取られた「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」や「千秋楽は民を撫で…」といった謡を聴いたことがあると思います。
 「高砂」では、松が作品の中で重要な役割を果たしています。松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから「千歳」とも詠まれることが多く、長寿のめでたさを表します。また、雌雄の別があり、夫婦を連想させます。 世阿弥はこの能を、「古今集」仮名序の「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」という一節を題材として作出しました。「播州高砂、摂津の国住吉と、国を隔てて住みながらも、夫婦として暮らす老人老女」という人物設定で、長寿や老夫婦の睦まじさを称えるとともに、松の長生のめでたさを和歌の道の久しい繁栄になぞらえ、美しい詞章と、清々しい所作、舞いとで、傑出した表現を創り上げたのです。

                                          (平成22年4月16日 あさかのユーユークラブ謡曲研究会)


九州阿蘇の神主友成が゙上京の折播磨の国で高砂住吉の物語由来を体験すると言う ご存知の名曲です。色変わりの文字の個所は小謡として結婚式等に祝謡として謡われることがある。 (胡山文庫)                                                 

 
  高 砂 

       
脇能(太鼓あり)   
                           季 春
  
          ツレ 姥
              シテ 前・尉        所 前・播磨国高砂
                 後・住吉明神    所 後・摂津国住吉
              ワキ 神主友成
 

シテ  今を始めの旅衣 今を始めの旅衣日も行く末ぞ久しき
ワキ 「 そもそも是は九州肥後の国。  阿蘇の宮の神主友成とは 我が事なり。
     我末だ 都を見ず候程に。この度思い立ち都に 上り候。
      又よき ついてなれば。播州高砂の浦をも一見せばやと 存じ候。」
     旅衣末はるばるの都路を 末はるばるの都路の 今日思い立つ浦の波
     船路長閑き春風も幾日来ぬらん跡すえも
     いさ白雲のはるばると さしも思いし播磨潟高砂の浦に着きにけり高砂の浦に着きにけり
シテ   高砂の 松の春風吹きくれて 尾上の鐘も 響くなり
ツレ   波は霞の磯がくれ
シテ   音こそ汐の 満干なれ 誰をかも知る人にせん高砂の 松の昔の友ならで 
     過ぎ来し世々は白雪の 積り積りて老の鶴の ねぐらに残る有明の
     春の霜夜の起居にも松風をのみ聞きなれて 心を友とすがむしろの 思いをのぶるばかりなり
     音信は松に言問う浦風の  落葉衣の袖添えて木陰の塵を掻こうよ木陰の塵を掻こうよ
     
所は高砂の
ツレ   
所は高砂の
シテ   
尾上の松も年ふりて 老いの波も寄り來るや 木の下陰の落葉かくなるまで命ながらへて
     猶いつまでか生きの松 それも久しき名所かなそれも久しき名所かな

ワキ  「 里人を 相待つ所に。 老人 夫婦来たれり。  いかにこれなる老人に尋ぬべき 事の候。」
シテ  「 こなたの事にて候か 何事にて候か。」
ワキ  「 高砂の松とは 何れの木を申し候ぞ。」
シテ  「 ただ今木陰を清め候こそ高砂の 松にて候へ。」
ワキ  「 高砂住の江の松に 相生の名あり。 当所と住之江とは国を 隔てたるに。
      何とて相生の松とは申し候ぞ。」
シテ  「 仰せの如く 古今の序に。 高砂 住の江の松も。  相生のやうに覚えとあり さりながら。
      この尉はあの津の国      住吉の者。 これなる姥こそ 当所の人なれ。 知る事あらば 申さ給へ。」
ワキ   ふしぎや見れば老人の 夫婦一所にありながら 遠き住みの江高砂の 浦山国を隔てて住むと
     いふはいかなることやらん
ツレ   うたての仰せ候や 山川万里を隔つれども 互いに通ふ心づかひの 妹背の道は遠からず
シテ  まづ案じても御覧ぜよ
シテ  高砂住の江の 松は非情の物だにも 相生の名はあるぞかし ましてや生ある人として
     年久しくも住吉より 通い慣れたる尉と姥は 松諸共にこの年まで 相生の夫婦となるものを
ワキ   謂れを聞けば面白や さてさてさきに聞こえつる       相生の松の物語を 所に言ひ置く謂れはなきか
シテ  「昔の人の 申ししは。これはめでたき 世のためしなり。」
ツレ   高砂といふは上代の 万葉集の古への義
シテ  「住吉と申すは。 今この御世に住み給ふ 延喜の御事。」
ツレ   松とはつきぬ言の葉の
シテ  「栄えは古今 相同じと。」  御代をあがむるたとへなり
ワキ   よくよく聞けば有難や 今こそ不審はるの日の
シテ   光やはらぐ西の海の
ワキ   かしこは住の江
シテ   ここは高砂
ワキ   松も色添ひ
シテ   春も 長閑に
地    
四海波静かにて 国も治まる時津風  枝をならさぬ御代なれや
      あひに相生の 松こそめでたかりけれ げにや仰ぎても
      こともおろかやかかる代に 住める民とて豊かなる  君の恵みぞ有難き君の恵みぞ有難き

ワキ  「なおなお。高砂の謂れ委く 御物語り候へ。」
地    それ草木心なしとは申せども花実の時をたがえず 陽春の徳をそなへて南枝花始めて開く
シテ   しかれどもこの松は その気色とこしなへにして花葉時をわかず
地    四つの時至りても 一千年の色雪の中に深く  または松花の色十かへりともいへり
シテ   かかるたよりを松が枝の
地    言の葉草の露の玉 心を磨く種となりて
シテ  生きとし生ける物ごとに
地    敷島のかげに よるとかや 然るに長能が言葉にも 有情非情のその声皆歌にもるることなし
     草木土砂 風声水音まで萬物のこもる心あり 春の林の 
     東風に動き秋の虫の北露に鳴くも皆和歌の姿ならずや 中にもこの松は 萬木に勝れて
     十八公のよそほひ 千秋の緑をなして  古今の色を見す 始皇の御爵に
     あづかる程の木なりとて異国にも 本朝にも万民これを賞観す
シテ  
高砂の尾上の鐘の音すなり
地    
暁かけて 霜は置けども松が枝の 葉色は同じ深緑立ち寄る陰の朝夕に 
     かけども落葉のつきせぬは 真なり松の葉の散りうせずして色はなお正木のかづら長き世の
     たとへなりける常磐木の中にも名は高砂の 末代のためしにも相生の松ぞめでたき

地   げに名を得たる松が枝の げに名を得たる松が枝の 老木の昔あらはしてその名を名のり給へや
シテ  今は何をかつつむべき これは高砂住の江の  相生の松の精夫婦と現じ来たりたり
地   ふしぎやさては名所の 松の奇特をあらはして
シテ  草木心なけれども 
地   賢き代とて
シテ  土も木も
地   我が大君の国なれば いつまでも君が代に 住吉にまづ行きてあれにて 待ち申さんと
     夕波の汀なる海士の 小舟に打ち乗りて追風にまかけつつ沖の方に出でにけりや
     沖の方に出でにけり
ワキ  
高砂やこの浦船に帆をあげて この浦船に帆をあげて 月諸共に出で汐の 波の淡路の嶋陰や
     遠く鳴尾の沖すぎてはや住の江に着きにけり  早住の江に着きにけり

シテ  我見ても久しくなりぬ住吉の 岸の姫松幾世経ぬらん 睦ましと君は知らずや瑞垣の
     久しき代々の神かぐら 夜の拍子を揃へて すずしめ給へ 宮づこたち
地    西の海 檍が原の 波間より
シテ   あらはれ出でし 神松の 春なれや 残んの雪の朝香潟
地    玉藻刈るなる岸陰の
シテ  松根に寄って腰を摩れば
地   千年の翆 手に満てり
シテ  梅花を折って頭にさせば
地   二月の雪衣に落つ 有難の影向や ありがたの影向や 月住吉の神遊び御影を拝むあらたさよ
シテ  げに様々の舞姫の 声も澄むなり住の江の 松影も映るなる 青海波とはこれやらん
地   神と君との道すぐに 都の春に行くべくは
シテ  それぞ還城楽の舞
地    さて万歳の
シテ  小忌衣
地    
さすかひなには 悪魔を払い をさむる手には 寿福をいだき
     千秋楽は民をなで 万歳楽には命をのぶ
     相生の松風さっさつの声ぞ楽しむさっさつの声ぞ楽しむ



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