第一章「赤外線」
貧乏って悪いことだ。
目の前に広がる海を見ながら、俺は心の中でハラリと涙をこぼした。
実際に泣いていたのかも知れないけど、全身波しぶきでびしょぬれだったもんで、
ほんとの所はどうなのかは判然としなかった。
もし、もうちょっとこの島がほかの島々と近いところにあったら。
なにか名産があったら。あるいは、挑みがいのある遺跡があって、
リーバードが(強そうなのが)たくさんいたら。
きっとこのロードアイランド、いや、俺は…。
「こんな苦労はしなかったろうなあ・・・」
(きっと今ごろはディグアウターになる夢を叶えていたのに)
ぎりぎり、と耳元まで弓を引き絞りながら俺は紺碧色をした海の中をのぞきこんだ。
白銀の陽光がぎらぎらと水面で跳ね返って、海は一面銀の板のよう。
常人が見てもそこに何かをそれ以上見いだすことは至難の業だったろう。
でも、俺には眩しい水面のすぐ下を行く魚の群れが、手に取るように見えていた。
魚は大きな群れを作りながら、まるで一つの生き物のように俊敏に浮き、潜り、
踊るように右往左往して外敵(海鳥や海獣、肉食の魚なんかだ)の目をごまかすんだ。
しかし、そんな魚たちでさえ島の断崖絶壁の途中に立った人間が
弓矢で自分たちを狙ってるなんて、夢にも思わないだろうなあ。
舌で風に乾いた唇を湿して、狙いを定める。
…小さいやつじゃダメだ。大物でないと、高く売れない。
その瞬間、尾をひらめかして潜ろうとした特別大きな一匹を俺は見つけた。
ちらりと七色の鱗が光る。…こいつだ!!
限界まで引き絞られていた弓が怒ったワシの鳴き声みたいな鋭い音を立て、
空中に銀の矢を解き放つ。矢はまっすぐに水面に突き刺さって、狙いどおり魚の首を貫いた。
「よしっ!!ディーア、いったぞ!!」
俺は思わず飛び上がって叫んでしまって、あやうく断崖絶壁から足を滑らせそうになった。
・・・あ、あっぶねえ。
下は推定高さ30メートル。海からの逆風。
この絶壁に巣を作る海鳥だってたまに風にあおられて激突死する過酷な条件。
俺なんか、翼がないから間違いなく墜落死だ。下の岩場に叩きつけられて骨も残んない。
なさけなくも、思わず青くなって岩壁にかじりついたって仕方ないよな。
「まかせろっ!」
そんな俺のドジに気付かなかったのか、海面近くで待ち受けていたディーアが嬉々として飛び出していく。
黒い岩に映える赤い髪の毛は、この島の人間によくある色だ。
その実体は潮風や海水で傷んで色が抜けてしまった結果。元の色は本人にも思い出せないらしい。
岩場を走り抜けてゆく動物並みの鮮やかな足さばきは、
まだ見習いながらもロードアイランドの弓漁師固有の能力。
弓漁師っていうのは、ロードアイランドの特殊な環境下で生まれた職業で、
今ちょうど俺がやっていることがそう。
激しい海流ときつい海風はロードアイランドの漁業を発達させてくれなかった。
飛空艇があれば少しはましなのだろうけど、ロードアイランドの住民は俺も含め、
みんな貧乏だった。
とってもじゃないけど大きなディフレクターを原動装置につかう飛空艇なんか手に入らない。
だけど、神さまはそんなに意地悪じゃなかった。
幸いこの島に住む人々には、目が猛禽並に良い、
しかも平衡感覚に優れた人間がたまに生まれる。
たぶん、ここが360度まわりじゅう水平線しか見えない孤島だからかな。
目が良くないと他の島にも出掛けられなくなるっていう環境があったから。
そういう視力のいい人たちの中でも特に目のいいものが、
昔から弓と矢を手に崖を駆け巡って漁をしてきた。
…つまり俺はその末裔にあたるわけ。
しかし、仮にも『優秀な』って接頭語をいただいている弓漁師の俺が
足を滑らせかけたなんてとこ見られていたら、後で死ぬほどバカにされるところだった。
…心底見られなくてよかったよ。
こっそり息をつく俺のはるか眼下で、ディーアが力いっぱい糸をたぐる。
糸の先は海中に伸びていて、さらにその糸の先端はさっき俺がはなった矢じりに結び付けてあった。
糸に引かれて、ゆらりと力尽きた魚影があらわれる。
その鱗が複雑な美しい色の層を持つ、この辺ではめったに見ない魚だ。
「お。あいかわらずスゲェな、レインボー・ドラードじゃんか!!」
自分とたいして大きさの変らない巨大魚を怪力でずるずる岩の上に引き上げながら、
ディーアが興奮した声を上げた。
全体的に細い、というよりひょろひょろした印象のくせに、ディーアは意外と力がある。
しかし、その性格はといえば15歳という年相応に明るく無鉄砲。
「お前は相変わらず無駄に力あるよな。いったい何食ったらそんなバカなパワーが出るんだよ?」
崖の上から怒鳴ると、ディーアはにかっと笑ってみせた。
「ん?ふつーのメシに決まってるじゃん。
いや〜、でもグランドみたいに普段からリーバード食ったら、
俺もそんなめちゃくちゃな弓の腕になれるかもな!」
「んなもん食えるかっ!!」
奴ら鋼鉄みたいな外装してるから、たとえ煮ても焼いても食べるなんて問題外。
っていうか、それ以前に人間の胃じゃ消化できないぜ。
俺は憤然としながら軽々と崖を跳ね降りた。
さっきみたいに落ちそうになることなんか、ほんとは五年に一回も無い。…まったく。
「でもさ、食ったことも無いのに言えるのかよ」
口をとがらせるディーアに、俺は断崖の途中で足を止めて冷笑を見せた。
「食ったことあるから言ってんだよ」
「うそ!?」
ディーアの裏返った声が響き渡った。俺は、「うそうそ」と言いかけ…その瞬間、
足をピタリと止めた。…止めざるをえなかった。
ディーアの背後には初夏の日差しを浴びてぎらぎらと凶暴に輝く大海原が広がっている。
その複雑な波の動きは、そこに急な海流が流れている証でもあった。
島の周囲の海はいきなり深く落ち込んでいて、その底の深さは誰も調べた事が無いから、いまだに知れない。
そして、ここを泳ぐ魚は海流に逆らって泳ぐ事もあるから、
みんな鍛えられていて素早く、力も強いのばかりだ。
…その魚どもを、いきなり何かが蹴散らした。
それだけなら俺もサメかなんかが早めのディナーを食おうとしたんだと思うだけだ。
しかし。そいつは、そのサメをいきなりバッキリふたつに噛み切ったんだよ!
(!?)
俺は思わず冷たい汗をかいた。
ただの生き物なんかじゃないぞ、こいつ!!
しかもなんだかすごい勢いで上昇してくるじゃないか!
ディーアは俺みたいに海の深くまで見通す視力を持っていない。
当然、今のにも気づいていない。俺は電光石火の速さで背中の矢筒から矢を抜き放ち、弓に叩きつけた。
「ディーア、伏せろっ!!!」
俺の本気の殺気を感じたのか、戸惑うことも無く転ぶようにディーアが倒れた。
その頭上に、サメの何倍も巨大な影が飛び上がる。
バッシャアアッ
(リーバード!!)
滝のように水しぶきを降らせながら、文字通り水上に飛び上がる姿は、
まるで魚の機械バージョン。ただし、おそろしくサイズがでかい。
逆光の中深緑色のボディーを重たげにくねらせ、ディーアめがけて落下する!
「このやろ、喰らえっ!!」
ドシッ!!
装甲と装甲の継ぎ目を狙った俺の矢は、深々とリーバードの体に突き刺さった。
ギィィィィッ!
金属同士をこすりあわせるみたいな、気味の悪い悲鳴だかなんだかを上げ、
リーバードは苦しげに身悶える。
だけどまだ、その落下の軌跡はディーアの上から逸れていない。
俺の矢一本程度で動かせるほどこいつは軽くないんだ。
このままじゃ、ディーアのやつコンブみたいにまっ平らにされちまう。
―――だったら、即死させるまで!
俺は一挙動で次の矢を二本まとめて放った。…狙うは、らんらんと輝く奴の紅い両目!!
今度の矢は、二本ともその根元までぐっさりとリーバードの目に突き刺さった。
―――ガシャアアアッ
たまらず力尽きたリーバードは空中でばらばらに分解した。
ついでに、その距離はもうディーアの背中から1mもなかった。ほっとしたけど、危なかったぜ。
雨のように降るディフレクターのかけらとリーバードの部品を、
神業的な四足歩行で避けまくったディーアが、金切り声を上げた。
「馬鹿グランドっ!!」
俺は思わずむっとして叫び返した。だって、馬鹿って命の恩人に向ける言葉じゃないだろ。
「何が馬鹿だよっ!」
「グランドの腕なら、こいつが海中にいる間にしとめられただろっ!!」
そばかすの散る顔を髪の毛と同じくらいに真っ赤にして、ディーアは怒鳴った。
「絶対わざと危険にさらしたなっ!もー、おれ、殺意すら感じちゃったね!!」
そりゃ、大分深いところに奴がいるうちから気づいてたけどさ。
泳いでるやつが陸上の人間を襲いに来るなんて思わなかったんだ。
それに結果的には無事だったんだし、いいじゃないか。
細かいこと気にしてると将来ハゲるぞ。
でも、さすがにそれをそのまま言ったらもっとディーアは怒り狂うだけなので、
俺はしばし他の懐柔策を考えた。
「こいつが海中にいる間にやっつけたら、せっかくのディフレクター、手に入らなかっただろ?」
ディーアに歩み寄りながら、そこらに散るきらきらした結晶体を示してみせる。
ディフレクター。エネルギー発生体で、一定以上大きいものはそのまま動力に使い、
それより小さいものは通貨になる。主にリーバードや、古代の遺跡からしか見つからない。
ディグアウターたちから買い取ったり、ディグアウト用装備と交換に手に入れるしか、
入手手段が無いものだ。
ロードアイランドみたいに交通の便も悪くて、
ディグアウトし尽くされた小さい遺跡が一つきりしかない島にとっては、
小さいかけらですらめったに手に入らない。
弓漁師が遠い他の島に赴いて珍しい魚を売った代償でしか、
この島でディフレクターを見る機会は無いのだ。
自給自足ぎりぎりの農地から手に入る野菜類は、他の島に運んでいるうちに悪くなってしまい、
とても財源にはできない。
ああ、貧乏って、やだ。
思わずまた涙が出そうになってしまった
「う〜ん。それはそうか」
納得したふうで、ディーアも周りを見回した。
結構大きなかけらがある。…ということは、このリーバードかなりの大物だったらしい。
「しかし、やっぱとんでもない腕だよな。グランドって。
普通の弓矢でリーバードの目玉撃ち抜けるなんてさあ
…世の中のディグアウター連中が聞いたら目をむくぜ!」
うきうきと言いながらそこらに散った残骸の中から矢を拾い出して、ディーアが手渡してくれる。
『普通の弓矢』とディーアは言うが、
矢は弓漁師専用の鋼鉄製。がんばれば薄い鉄板くらい難なく突き破るくらいだ。
弓のほうも…これでも少しは秘密があったりする。
ま、確かに高額のアーマーや武器類でがちがちに装備したディグアウターたちから見たら、
信じられないくらいお粗末な武器には違いないだろうな。
でも、俺がもう少し金をためてバスターとかいい武器が買えるようになっても、
きっと俺は弓矢以外持たないと思う。だって気に入ってるし、
物心ついたときから弓矢を触っていたんだ。今さらね。
しかし…弓矢っていうのは威力はともかく、弾数に限界があるのが欠点なんだよなぁ。
尊敬の眼差しのディーアに、俺は半分ふざけて指を突きつける。
「だったら少しは敬った口をきくように。俺、一応は16歳だからな。年上だぞ年上」
「それにしちゃ童顔だけど」
「うるさい」
俺はむっとしながら地面のディフレクターのかけらを拾い集めた。
男にしては大きめの瞳、色は藍色。
それがどうしても子供っぽい印象を与えるらしくて、
俺はそれに抵抗するために空色の髪を長くして首の後ろあたりで一つにまとめている。
(垂らしたままじゃ弓矢を使う時じゃまだから)…少しでも年上に見えないかと思ってさ。
肌の色が褐色なのはこの場合救いだ。これが抜けるように真っ白だったりしてみろ。
今度は子供じゃなくって女呼ばわりされちまう。
(でもなぁ、オヤジがあれじゃあな・・・)
俺はため息とともにうちの父親を思い出した。
オヤジはカラーリングはほとんど俺と同じで、実年齢より10歳は若く見えるという、
ある種ばけもんである。
『あんたのせいで同い年なのに私は老けてみえるじゃないっ!どうにかしなさいよっ!!』
とは、年相応に見える母親の言。
そのおかげでオヤジはヒゲを剃る事(整えるくらいならOKだけど)を許されない身の上だ。
…俺はああはなりたくないんだけどな…ムリだろうか。
「ディフレクターのかけらと、
レインボー・ドラードを売った金はいつもどおり山分けでいいだろ?」
いつもは魚を入れる袋にかけらを放り込み、俺はディーアを振り返った。
「えっ!?ディフレクターも山分けにしてくれんの!?倒したのグランドなのに」
「ああ。襲われ賃」
「襲われ・・・」
複雑な表情で黙り込んだディーアに笑って、俺は魚の尾を持って背中に担ぎ上げた。
たちまち背骨がぎしっと鳴って、とんでもない重みが全身にのしかかる。
う〜ん、これは重い。とてもディフレクターと両方は持てないぞ。
そこで、ディフレクターの入った袋をディーアにまかせて、
俺は魚だけを持っていくことにした。無理して落としたら元も子もないからね。
そして、海に背を向けて一歩を踏み出そうとした時だ。
(ん?)
妙な違和感がした。
「なんだよグランド。またリーバードなんていわないでくれよ?」
「いや…リーバードじゃないと思う」
この岩壁はほとんど毎日漁のために訪れている。
少しでも変ったところがあれば、俺が気付かずにいることはまずない。
俺は注意深く、そのまま体を動かさず目だけで周囲を見回した。
「なんか、あの岩いつもと違わないか」
「岩?」
俺は気になったそれを指差した。
「ほら、さっきまでお前がいたところの…あの白い岩だよ。丸い模様がある」
そこには、自然岩とは少し言いにくい、ほぼ直方体の岩が平らな岩盤の上に屹立していた。
誰かが真円のハンコを押したみたいに、ぺたりとした灰色の模様がついている。
それを見た瞬間、俺は体の底から、なにかぞわりとした嫌な感じを受けた。
これって、絶対良くないものだ。…でも、昨日ここへ来た時にはこんな感じはしなかったのに。
「岩って、あぁアレ?別にいつもと違わないじゃん」
ふん、とバカにしたように鼻息をふいたディーアが、
軽い足どりでまた岩に近付こうとした。あたまっから信じる気は無いらしい。
…これだから注意力の無い奴はっ
―――ああ、ディーアのバカっ!!
「近寄るなっ!!」
俺は素早く片手に握っていた弓を肩にかけて、その手でディーアの襟首をひっつかまえた。
「なんだよ何すんだよ、野蛮人っ」
暴れるディーアを抑えておいて、俺は全身全霊を込めて岩をじっくりとにらみ据えた。
潮騒響く真昼の太陽の下、太陽光とは違う一本の線が、俺には感じられた。
その線は、岩の丸い模様の中心からまっすぐに放たれていた。
・・・これは・・・どこかで見たことがある。そうだ、島に一つきりの、あの古代遺跡の。
「・・・赤外線センサーだ」
「なにそれ」
「早い話がトラップだよ。罠!きっと、誰かがその赤外線をさえぎると、
海の中にひそんだリーバードが襲うように出来てるんだ」
普通は自動ドアが人間が来たかどうかを判断するのにも使っている、
ごくありふれたシステムだ。だけど、さっきの事件を考える限り罠だとしか思えない。
さっとディーアの顔が青ざめた。
「…冗談。なんでこんなところにそんな物騒なものがあるんだよ?
ここは遺跡じゃないんだぜ!?
それに、つい昨日までなんでもなかったじゃないか!!」
そんなこと、聞かれた俺だって困る。
昨日の今ごろ、俺ってば当の岩に腰掛けて昼飯を食っていたんだよな。
信じられない気持ちは俺も同じ。
溜め息をついて、ふと気付いた。
とりあえず、本当に罠かどうか試してみよう。ここで罠じゃないなんてわかったら、
さっきのに倍するディーアの非難は免れないだろうし。
「待て。本当に罠かどうかちょっと試してみる」
「ほほぅ。でたらめ言ったんだ?」
俺に襟首をつかまれたまま、ディーアがぎらりとうらめしげな視線を向けてきた。
…まるっきりでたらめってわけでもないんだよ!
心の中で舌打ちして、俺は思いっきり疑いの眼差しのディーアを無視し、
手近な石を取って岩のほうへ放ってみた。
石は簡単な放物線を描いて赤外線をさえぎり、地面に落ちて数回転かし、
海に落ちるぎりぎりで動きを止めた。
俺が間違っていたなら、この石は風か波の気まぐれでもない限りその場を永遠に動かないはずだ。
俺とディーアは固唾を飲んで見守る。
…その、一拍後。
ザザアッ
さっきのように突然波が立ち上がり、深緑色をした機械的な巨獣が石めがけ、
なだれ落ちてきた。さっきのと同じ種類のリーバード!
「うひぁっ!?でたっ!!」
ディーアのすっとんきょうな悲鳴の中、
サメをも分断した大口をバクリと開けたリーバードは、
岩棚の一部ごと石をかじりとって再び海底に沈んでいった。
この間、約10秒。
まさにあっという間だった。
「・・・これでもでたらめだと?」
とっさにかまえた弓矢もそのままに、半ば放心状態で言う俺に、
同じような声のディーアが答える。
「ぜ、前言撤回します」
しばらく、俺たちふたりは呆けたようにその場に座り込んだのだった。
…ともかくも、これがこの島全体を巻き込む事件の始まりだった。
第二章「Rain−bow」
“雨の弓”という名前らしい。
というのを聞いたのは、うちのオヤジからだった。
5歳くらいの時、それまで使っていた弓の代わりにこれをもらった時だったと思う。
空にかざせば溶けてしまいそうなほど透明で、ガラスのようにもろく見えるくせに、
この弓は驚くほど頑丈で弾力に富んでいた。
子供の頃には、俺も何らかの魔法がかかってるのじゃないかと本気で信じていたくらい、神秘的な外見だ。
(・・・でもな、違ったんだよなぁ)
布でひとふきして表面にこびりついた潮しぶきをぬぐうと、つるつるした面に苦笑いした自分が映った。
・・・オヤジいわく。この弓は、俺のご先祖様の誰だかが遺跡から拾ってきたものだ。
よくよく見ないとわからないほど、細かく薄く弓に刻まれた紋様と同じ物が確かにこの島の遺跡の壁にもあった。
つまりは、この弓は古代人の持ち物だっただけで、
何ら魔力も呪いもかかっていないものだった。
子供心に結構がっくりきたが、子供のロマンって、そういうものだ。
月にうさぎが住んでいると思えば、それはただの月の地形の影だったり、
数年に一度の割合で島を訪れる、空飛ぶ船に乗った武装した人々は天からの兵士ではなく、
たんなるディグアウターの一行だったり。
俺も昔はかなりの夢見る子供だったってわけだ。…ああ、そうだそうだ。
ディグアウターで思い出した。
「そういえば、西の海岸にディグアウターが来たんだって?」
弓の手入れを中断し、声を投げると意外と近くでオヤジの返答があった。隣の部屋にいたらしい。
「ああ。例の遺跡をディグアウトするって話だ。・・・ご苦労なこった。なんにもないってのに」
「・・・だよなぁ。そいつら、いつこの島に来たって?」
漁場の崖からの帰り道、
ディーアと一緒にレインボー・ドラードを売りさばいた店(島に一軒しかない)で聞きかじった噂だったから、
まだ詳しい話は知らなかった。
オヤジなら、もともと噂大好き人間だし、野次馬根性はなかなかのものだ。
自分で言っててなさけないけど、きっともう、すでに仕事ほっぽりだして見物に行ったに決まっている。
案の定、待ち構えたようにオヤジの得意げな声が響いてきた。
「今日の昼だ。飛空挺はそんなにでかくもなかったけどね。
話してみると結構感じのいいやつらだったなぁ。
いや、しかし彼らには悪いけどジャンク屋のジジィにそうとうふっかけられるだろな。
なにせ何年ぶりだかっていうディグアウターの客。
あのジジィがせっかくの金づる、ただで帰すわけないもんなあ」
俺は『ジャンク屋のジジィ』を頭に思い浮かべた。
70歳くらいの頭のはげた爺さんで、日々開店休業状態のジャンク屋にすわり続けている。
高齢にもかかわらずボケる気配は微塵もない。
むしろ、眼光も鋭い老練な武者のような爺さんだ。
俺は常々、あの爺さんの杖が実は刀なのではないかと疑っているくらいだ。
・・・う〜ん。でも、孫のディーアを見る限り、それも考えすぎかと思えるんだけど、どうだろう?
(ん?昼?)
オヤジの話をハンスウして、その部分がのどに引っかかった魚の骨みたいにチクリとした。
そういえば…あの海の崖で見た赤外線センサー・トラップも、今日の昼くらいに作動をはじめたんだっけ。
関係ない、と考える方がここは普通だろう。
…でも、俺はどうしてもそう思うことができなかった。
(一見関係なくたって、ディグアウターなら何かわかるかもしれない。あのセンサーのこと)
俺は、思わずぎゅっと弓をにぎりしめた。
だって、あのセンサーが今後も動きつづけるなんてことになったら、
俺とディーアはあの漁場をあきらめなくちゃならなくなる。
そうしたら、…また、俺のディグアウターになる夢が遠ざかってしまう。
今は何が何でもこの島を出る飛空挺を買うための、金がいるのに!
俺は少しの間考え込んだ。
そうだ!今からでも行って彼らに聞いてみよう!
俺は、パアッと目の前が開けたような気がした。遺跡のことは誰よりディグアウターが一番詳しい。
それと、俺自身の、まったくの個人的な興味でそのディグアウターと会ってみたかった。
島に何年かぶりにやって来た異邦人。
今度はどんな奴だろう?見上げるような巨漢だろうか。
それとも、雌豹のようにクールでしなやかな女性だろうか?
知的で、俺なんか近寄る事も出来ないくらいのカリスマ?
それか・・・俺と同じくらいの年の駆け出しディグアウターかもしれない。
ディグアウターという言葉の響きは、
こんな田舎の島にはない、冒険と夢の匂いがただよっているような気さえする。
幼い俺はその手のディグアウター冒険譚を飽きることなく読んではあこがれたんだ。
「オヤジ、俺、今から西の湾に行って来る」
隣の部屋で、オヤジがスッと息をのむ気配がした。
「なんだ、今からか?お前もたいがい好奇心旺盛だなぁ。
…でも、なにも今からでなくたっていいだろう。明日だってそう変わりゃしない。
いくら奴らだって今日来たのに今帰っちまいやしないさ」
俺は苦笑した。
…これがオヤジ流の心配のしかたなんだ。一見ただの軽口に見えて、
『今日はもう遅いから心配だ。明日行けばいいじゃないか』と言ってくれているというわけ。
ほんとに、まどろっこしいったら。…でも俺、そういうオヤジ、嫌いじゃないんだよね。
ベッドの上に放っておいたRain-Bow…“雨の弓”を慣れた動作で背負い、
一度すでに外して手入れも終えていた矢筒を、もう一度かつぐ。
矢は補充しておいたのできっちり30本入っているはずだった。
「今行きたいんだよ。明日じゃ遅い」
明日の漁に間に合うんでなければ意味が無い。
一日漁が遅れれば、それだけ俺がディグアウターになれる日は遠ざかるんだ。
ここでぐずぐずしてなんかいられない。
「グランド…!」
部屋のドアを開け、廊下へ一歩踏み出したとたん母が奥の部屋から姿をあらわした。
奥の部屋からとぎれとぎれのテレビの音がして、
それがなんだか寂しい響きに聞こえたのはなぜだろう?
母は夕食の仕度の途中だったのか、いつものエプロンをかけていた。
…みかん色のやつで、ひよこの刺繍が入っている。
俺やオヤジとは違う明るいブラウンの髪が、背後からの明かりを受けて金の縁取りを得ている。
淡い紫の瞳は、なにか言葉で語るより雄弁に俺の身を案じてくれていた。
「大丈夫。…この島で危険なことなんて探したってそうそうないぜ」
俺はにやりとわざと不敵に笑って見せた。
崖を走りまわる弓漁師の仕事以上に危険なことなど、この島にはありえない。
島には車も無いから交通事故だってあり得ないくらいだ。
ほんと、つくづく田舎だよな…
ともかく、西の湾へ行くだけのことに散歩以上の危険なんて。
俺は肩をすくめて苦笑した。
俺が武器を持っていくのだって、単なる用心のためなんだから。
「すぐに戻るよ!」
俺は叫んで背を向ける。なにか言いかけていた気がしたが、
それに付き合ってたら万が一説得されてしまうかもしれない。
おとなしげに見えて、実は世の中のあらゆる母親達の例にもれず彼女は説得にかけちゃ超一流なんだ。
庭を走って回りこんで、俺は厩から馬を引き出してきた。
時代遅れと言うなかれ。この島じゃ普通に馬を飼う。
うちのは全身灰白色の大きなヤツで、普段はオヤジが町へ仕事に行くのに使っている。
いくら俺でもここから西の湾に歩いて行こうと思ったら相当な距離を覚悟しなくちゃならない。
早く行こうと思うなら、馬に乗った方が楽だし早い。
俺は馬の背に一気に飛び乗った。
「行け!ミント!!」
雌馬は鋭くいなないて一瞬俺を乗せたまま竿立ちになったが、
俺は手綱をさばいてそれをこなすと、夕暮れで周囲のなにもかもが真っ赤に染まる中を疾走していった。
第三章「虹の足元に埋まるもの」
愛馬ミント(父命名)を西の湾に入る小道に導きながら、俺は思ったね。
(この島に車が普及しなかったわけ、わかっちゃったな・・・)
答えはこの勾配のきつさ、道の狭さ、道路の悪さ。
車が走るなんてとてもとても。馬に乗った俺でさえ酔いそうになったくらいだった。
やっぱり自分の足で走るのが俺は好きだ。人間その方が自然だね。うん。
「えっと・・・あ、あれか」
見回してみるまでもなく、すでに日が沈んで全てが闇色に消えてゆく中、
くっきりとした人工物のシルエットがオレンジ色の残照に輝いていた。
・・・飛空挺だ。
図鑑や本や、冒険小説で見て想像していたものより少し小さく、
はるかに優美に見える。
その曲線と直線とで出来た力強い船が雲海を行く様子はどんなだろう。
話に聞く空賊ってやっぱり本当にいるんだろうか。
この船も、世界のどこかで派手な空中戦をやらかしたことがあるのだろうか。
いいな。いつか俺もこんなのに乗って世界中を巡りたい。
しばらく見とれてから、俺はその時になってやっとその飛空挺の足元に人影があるのに気付いた。
(おっと見付かったかな)
注意を向けてみれば、人影は俺から見て背中しか見えない。
こっちに気付いた様子はなかった。なにやら真剣にモニターをのぞきこんでいる。
モニターの明かりが真っ白に光ってその人物を逆光にし、その人の顔はわからなかった。
背は少女のように低い。
・・・いや。なんだ、本当に女の子じゃないか。
恐る恐る馬を進めると、聞こえた声の調子は確かに高い女の子のものだった。
「う〜〜〜ん。ほんっと不思議ね〜」
女の子はつぶやいて、カタカタと端末を操作した。
無線で誰かと話しているのか、しばしの沈黙があって再び女の子は誰かに向かって語りかける。
「そうよ。ぜったいにここには宝物が・・・ううん。その前に、どこかに鍵があるはずなんだけど」
た、宝ぁ!?
俺はおもわず目をむいた。
「あの遺跡に宝があるだって!?」
「きゃあっ!!!?」
がしゃんっ
女の子はびくっとして飛び上がり、手にしていたマイクを取り落としてしまった。
「あっ・・・ごめん」
あわてて俺はミントの背から滑り降りた。
「おどかすつもりじゃなかったんだ。ただ、あんな遺跡に宝があるとか言うから・・・」
振り向いた少女はちらっとミントを見上げてから、俺を鋭くにらみつけた。
…へえ、碧(みどり)の瞳なんてはじめて見た。
一瞬俺をにらみつけた少女は、俺の顔を見るやあっけにとられたような顔になった。
(…なんなんだ?)
「・・・島の人・・・よね。ちょっと待って」
質問というより確認するみたいに言って、女の子は首をわずかに傾けた。
少女はマイクを拾い上げ、それに向かって小さく二言三言なにか話し掛けると、再び俺の方を向いた。
「どういうことですか?まるでここの遺跡に何も無いみたいないいかただけど…え〜と」
「俺はグランドって言う。…ここの弓漁師」
「じゃ、グランドさん。ここの遺跡に入ったことあるの?」
あたり前だ。島の子供たちのいい遊び場になってるんだから。
仰々しく『七色の遺跡』なんて昔から皆に呼ばれてはいるけど、
どのへんがどう七色なのか誰にもわからないっていうていたらく。
俺の推理じゃ、島の昔の人があんまり遺跡がちゃちだからせめて名前だけでも。
とか考えて無理やり名づけたんだと思うね。
「もちろんあんな遺跡三日に一度くらい入ってる。
リーバードなんかホロッコ一匹だって出たら珍しいぐらい。全部でワンフロア―しかないし、
たいした仕掛けも無い遺跡さ。…だから驚いたんだ。あの遺跡に鍵だの宝だの・・・」
俺が話を続けるに従い、少女はどんどん表情を険しくしていった。
最終的には、まるで俺が『実は太陽って金紙で出来てるんだ』とでも言ったような不審っぷり。
目をまんまるにして、俺の顔をまじまじ見るもんだから話すのを中断せざるをえなかった。
「な、何だ?」
「あの〜。それ本気で言ってます?」
「はぁ?」
「じゃ、これ見て。ここのマップだけど。…いま、うちのディグアウト担当が潜ってるの」
少女は半身をずらして覗き込んでいたモニターが俺に見えるようにした。
なんだよ。今さらあの遺跡になにがあるって・・・
「!?」
俺は思わずモニターの枠を引っつかんで引き寄せた。
簡易テーブルの上のものが引かれてがらがら落っこちていったが、
そのときの俺はそれどころじゃなかった。
「な・・・なんだこれ!」
画面は、はげしく入り組んだダンジョンともいうべき遺跡の地図を映していた。
しかも、そこに映っているのは遺跡全体のごく一部。
まったく、俺の記憶の中の遺跡と似た部分はない。
「その中心にある赤い光点が、今ディグアウターがいるところよ。
出現リーバードの種類は…」
横から手を伸ばしてきた少女は、コンソールを軽く叩いて表を表示させた。
それを覗き込んで、俺はまた言葉を失った。
「ホロッコ・マンムー・オルフォン・カルムナバッシュ・ポー・ゴルベッシュ?
…どうして…こんな…」
気付くと、腕ががたがた震えていた。
…こんなのは嫌だ。なんだか怖い。この島が、
俺の知らないうちにわけのわからない化け物になってゆくような、嫌な気分がする。
なんだよ、何が起こってるんだよ!
ディグアウターが夢だっていうのは伊達じゃない。
俺は必死に本を読みあさってリーバードの種類を頭に叩き込んである。
…そんな俺でも知らないリーバードの名前をいくつか交えて、
10種類近くの名前がそこに挙がっていた。
「こんなの、知らないぞ!!この島の遺跡は…っ」
そうだ、駆け出しディグアウターだって鼻歌まじりで攻略できるような遺跡だったじゃないか!
「グランド、落ち着いて。もしかして、
私たちディグアウターが来たことで遺跡が稼動状態に入っただけなのかもしれないわ」
俺の震える腕を抑えた少女が、金の髪を揺らして俺を見上げた。
「そういうことがあるのか?」
「・・・そんなによくあるってわけじゃないけど。全く無いわけでもないの」
少女は侵入者に応じて形を変える遺跡があることを俺に教えてくれた。
じゃあ、今日の昼、漁場の崖で赤外線センサーが突然出現していたのも、
この子達が島に来ているから?
…きっとそうだ。遺跡がそういうことがあるってんなら、
島全体が『稼動状態』になったっておかしくないだろ。きっとあの赤外線センサーはそのせいだ。
俺は少し落ち着きを取り戻して、震えが止まった腕を片手で握り締めた。
「じゃあ、君が言っていた鍵や宝って…」
「うん、計算ではあるはずなのよ。この遺跡の中心あたりかしら?
結構すごいディフレクターの反応だから、ひょっとすると、
これは幻の虹色のディフレクターかもっておじいちゃんも言ってたわ」
虹色のディフレクター!!
俺は思わず生唾を飲み込んだ。だって、『虹色の』ディフレクターだぜ!?
ベテランのディグアウターでもそうそうお目にかかれない、
至上最大規模のディフレクターで…ここが重要なんだが、とても高値で取引される。
それこそ、ディグアウター用飛空挺なんて軽く2、3台買えるくらいの値段らしい。
ここで俺がそれ手に入れたら、…俺の夢、叶うじゃないか!!
俺はなんだかドキドキしてきた。手を伸ばせば届く所に夢が近付いてきたんだ。そりゃ興奮するぜ。
でも、問題はこの女の子、俺にその虹色のディフレクターをくれるだろうか?
答えはNOだ。
天下のディグアウターが自分のディグアウトしたものを、
それも幻の虹色のディフレクターをほいほい他人にくれてやる道理はない。
俺だったら一週間は目立つ所に飾って楽しんでから大いに売っぱらう。
あ。その前に記念写真も撮るかもしれない。
俺が彼女たちを出し抜いて先にディフレクターまで辿り着ければ簡単なんだが、
当の俺にはまだディグアウトの経験が無いし、
遺跡の外から地図全体をモニターしながら導いてくれる役目のナビゲーターもいない。
う〜ん。難しいぞ。彼女たちとなんとか協力する体勢になれるのが一番いいんだろうけど・・・
と、俺が考え込んだそのとき。意外な形でその問題は解決する事になった。
「あーーーーーーっ!!!?」
なっ!?なんだ??
俺は驚いて、ついうつむいて考え込んでいた頭を持ち上げ、突然大声をあげた少女を見た。
「うわ、どうしよう…遺跡に入るのに、これ渡すのわすれてた!!」
少女の手に握られているのは…ライフボトル。
それと、…たぶん、エネルギーブレードを発生させることのできるアタッチメント武器。
「バージョンアップさせるからって言って、外してもらってたんだった!!
どうしよう。バスターだけじゃこの遺跡は辛いわっ!!…しかもライフボトルまでないんじゃあ・・・」
たちまち、女の子の顔がさ〜っと青ざめる。
俺も一瞬自分のことのように背筋が寒くなった。
あの規模の遺跡に、ライフボトルも特殊武器も無しなんて、
虎の巣穴にわりばしだけ持って飛び込むようなもんだぜ!
ディグアウト担当、生きてるんだろうか?誰かが届けに行くか、
いったん戻ってもらった方がいいんじゃないか?
…そうだ!
「俺が届けにいくよ」
俺は一歩踏み出して言った。
そう、俺が届けに行って、ついでにディグアウトにも参加しちゃえばいいんだ。
そうしたら、虹色のディフレクターを売った金の何割かくらいは請求できる可能性がでてくる。
俺、冴えてるぜ!
「えっ・・・でも、グランドってディグアウトの経験あるの?」
「伊達にこの島で弓漁師はやってないよ。
ちょっとくらいの危険なんかどうとでもしてみせる。
それに、プロであるきみのナビゲートは、期待してもいいんだろ?」
少女は困惑したように眉を寄せ、しばらく考えているみたいだった。
でも、他に選択肢のあるはずもない。
彼女にはナビゲートという重要な役割があるし、
一旦戻ってもらうのは時間的なロスがあまりに大きいだろう。
しばし沈黙の中夕方の涼しい風が通り過ぎていった。
島の中ではどこでも事欠かない、潮の香りを新たに残して。
「…わかったわ、お願いします。…私はロールっていうの。よろしくね」
俺はわくわくしながら、伸ばされた彼女の片手を握った。
「こちらこそ!ナビ頼みます…あと」
そして、長話の間すっかり退屈してあたりの草を食んでいた灰白色の馬を身振りで示し。
「申し訳ないけど、戻るまでミントをよろしく」
「ええ。わかったわ」
苦笑した女の子…ロールは小さくうなずいた。
―――やった!これで俺の初ディグアウトが始まるぜっ!!
第四章「RainbobwChaiser」
ディグアウトという職業を世界で最初にした人間は、どういう人間だったんだろう?
エネルギー危機にやむにやまれて?
それとも無敵の勇気を持っていたのか、無謀な人間だったんだろうか。
俺が思うに、少なくとも好奇心の無い奴じゃあ無かったんだろうな。
そうじゃなきゃ遺跡になんて潜ろうとさえ思うもんか。
先に何があるか、何ひとつわからない危険な場所に延々おりて行くなんて、
とてもじゃないが俺はごめん。
今だってこの遺跡の深奥に虹色ディフレクターがあると思わなきゃ、
とっくにくじけて家に帰ってるぜ。
でも、裏を返せば何かちょっとでもいいものがあったらガンガン進めるってわけで…
われながら現金だね。
俺は肩をすくめてから、もう何枚目になるか、遺跡の扉を開いて先に進んだ。
『いいわ。その道に沿ってまっすぐ…うん、そして三つ目の横道を左!』
少女の声がベルトに装着した無線機から響く。
ロールの指示は的確だった。複雑な遺跡の内部をわかりやすく導いていく。
俺はその手腕につくづく感心した。まだ十四、五歳にしか見えないのに、たいしたもんだ。
…でも、それが『プロ』ってやつなのかもしれないな。
俺は指示どおりに進みながら、変わり果てた『七色の遺跡』の入り口付近を思い出していた。
そこはいつもの遺跡よりも格段に広く、形も長方形の部屋だったはずが滑らかな楕円形の広い空間に変じていた。
俺は心底驚いたが、それより俺が一番面食らったのは遺跡内を照らす光の変わりよう。
いつもはどこが光源なのかわからない白い光にてらされているんだけど、
目の前に広がったそこは、不吉な赤い光で塗り込められていた。
まるでエマージェンシーの軍事基地みたいじゃないか。と、俺は思った。
…ま、見たことは無いんだけどさ。イメージでそう思った。
とにかく、ここは本当に俺が知っていた遺跡じゃない。
こうまで変ってしまうなんて、…遺跡を造った人間たちは何を想定していたのだろう。
「それにしても、リーバードがでないじゃないか」
『仕方ないわよ。だって、もう先にディグアウトした通路なんだから』
確かにね。でも、入り口からここまで一匹も出ないと逆に不安になってくるよ。
それとも、先に行ってるディグアウト担当とやらが
リーバードを全滅させながら進めるくらいのおっそろしい手馴れとか?
俺は苦笑した。…まさかなぁ。ありえないぜ。
ディグアウトの目的はあくまでディフレクターの発掘だ。
わざわざ全滅なんてさせてたら命がいくつあっても足りない。
どんな奴なんだろう?…そのディグアウト担当者は。
俺は頭をふって余計な考えを振り払った。
集中集中。今は危険な遺跡のディグアウト中だ。それでなくても俺初心者なんだから、
余計なこと考えてる場合なんかじゃない。
『グランド、ディーアさんって知ってる〜?』
「!?」
無線からのとんでもなく予想外のセリフに、
俺は思わず急停止した。もうすこしですっころぶところだ。
なんでロールがディーアのことなんて知ってるんだ!?
「なっ!?なんでディーアの名前を!?
それって赤毛でそばかすのちびで、やたら怪力の子供のことだよな!?
あ、奴のことだからあんたのとこに野次馬に来たのか!?」
無線から聞こえたのはロールの声じゃなかった。
真っ赤な照明に染まる遺跡の通路に、耳を聾せんばかりの聞き慣れた声が炸裂した。
『どさくさにまぎれて何言ってるんだボケグランドーーー!!』
…おいおいディーアだよ!
おかしいじゃないか、あいつの家は門限が厳しくて今ごろ外出なんてしたら、
親にめちゃくちゃ怒られるはずだぞ。
「それはともかく、お前なんでそこにいるんだ!?」
『ともかくじゃないよ!さっきの発言については後できっちり追求するからな!』
…うっ。
『グランドのおばさんから家に電話があったんだ。
「すぐ帰るって言ったのにまだ帰って来ない。そちらにお邪魔していませんか」ってな!
聞けば西の湾に行ったって言うし、
これは間違いなくディグアウターを見に行ったんだと思って、
俺グランドのことだからディグアウターと話すうちについついその気になって
一緒にディグアウトしちゃってるんじゃないかって思ったんだよ』
あ〜。そうだった。俺、すぐ帰るって言ったんだった!
でも、なんだよこのディーアの鋭さ。あいつテレパシーとか使えるんじゃないのか?
漁の相棒だし、いつも一緒に遊んでるし、家は丘をひとつ越えたとなりだし。
両親より俺の性格とかは理解している存在だとは思うけど。
…なんか悔しいなあ。
『…だからおばさんには
「さっきここに来て話してたらうちに泊まるって言ってさっき寝ちゃいました」って言っといたぜ。』
「ナイス!!ディーア最高!!感謝する」
俺は思わず無線をつかんで叫んだ。
俺がディーアの家に泊まることなんてしょっちゅうあるし、
親はそういうことなら。って納得するだろう。言い訳にしちゃ最高だ!!
「…でも、それじゃなんでお前そこにいるんだ?」
『こっそり家抜け出してきた。だってずるいじゃんか!グランドばっかりぬけがけしてさ。
ディグアウターになりたいのは俺も同じだって知ってるだろ!!』
そうだ。ディーアもディグアウター志望だ。いつか飛空挺が買えたら、
一緒に組んでディグアウトをしよう、といつか約束していた。
あいつは俺以上に外の世界に憧れている。ごくごくたまに飛空挺が島の近くを通ると、
それを見上げたディーアは見えなくなるまで見つめつづける。
それはもう食い入るように。
奴の夢も俺の夢も、先はともかく今は同じなんだ。
それりゃあ抜け駆けしたら怒るよな。
「…わかった。そこにロールさんいるんだろ?
彼女に聞いてからお前も来い。別にナビをするんでもいいぜ」
ディーアは笑ったようだった。
『ああ!ちょっとロールさんに話聞いて、
どっちか気に入った方やらせてもらう。グランド、俺が行くまで自爆すんなよ!』
誰が自爆するか。そっちこそ遺跡の変わりようにおびえんなよ!
「じゃ、一旦切るぜ」
俺はベルトに無線を戻して、再び先に進んだ。
途中分かれ道やエレベーターのありかはロールが冷静なナビで教えてくれた。
バックでディーアがうるさく何か言ってるのにも動じることなく。
…う〜ん、やっぱ大物だぜあの少女。
遺跡を満たす赤い光のせいで非常に視界が悪い。
普通の時の倍は物が見えにくくなっている。ともすれば扉を見落としてしまうんじゃないだろうか。
普通の視力ならそうとう難儀するだろう。俺、目が良くてよかった。
『グランド!戦闘反応!…そこを曲がった先にいるわ。
よかった、なんとか合流できたわね。あっちには私が無線で知らせておくけど、
いきなり出てってリーバードと間違われないようにね』
「おっけー!わかったぜ」
まっすぐに伸びた通路は右に曲がっている。その向こうで、
巨大な何かが倒れる音と、閃光が閃いた。誰かがリーバードと戦ってるんだ!
俺は注意して、そっと歩いて角を曲がった。
(うおっ!?)
そこでは予想外に激しい戦闘が繰り広げられていた。
シャルクルスが2体、ひとりの少年めがけて襲いかかっている。
少年の方は丸みを帯びた紫のアーマーに身を包んではいるものの、
細身であまり強そうと言う感じはしない。
見ている間に、
一体がダッシュと同時に少年の頭めがけて凶器と化した己の腕を叩きつける。
それを少年は軽くかいくぐり、そいつの背中側に抜けるとシャルクルスの背に片腕をついて高くジャンプした。
その足の下でもう一体のシャルクルスが悔しげに腕をふりまわす。
すごい、もう一体の動きまで読んでいたんだ。
驚くのはまだ早かった。少年はなんと、
その悔しがるシャルクルスの顔面に両足で着地し、バランスを失って仰向けに倒れたそいつにバスターを連射。
瞬時にとびすさって爆発から逃れると同時に壁際を疾駆し、
ようやく爆発した仲間を振り返ったもう一体のシャルクルスの後ろにすべり込んでいた。
―――驚いた!なんて身体能力だろう!!
驚く俺の目の前で、再びのバスター連射を体中に浴びた残りのシャルクルスが爆発した。
…すごい。こいつだったらリーバードを全滅させながら進むなんて真似ができるのかもしれない。
「すごいな!あんたがロールさんの相棒か?」
こちらに背を向けて汗をぬぐっていたその少年がはっと振り向いた。
やっぱり14、5歳くらいだろう。褐色の髪に灰色の瞳。片手のバスターはまだゆっくりと煙の筋を引いていた。
ビックリした表情で目を2、3回瞬かせ、少年はにこっと明るい笑顔をみせた。
「相棒っていわれるとちょっとビックリするよ。あんまりそうは言われないからさ」
照れたようなその顔に俺は気付いた。
そうか、ロールとおなじくらいの年齢のこいつが並んで歩いていたら、
ディグアウターというより恋人同士だ。なるほどね。
「俺はグランド。もうロールさんから聞いてるか?」
その少年は嬉しそうにうなずいた。
「ええ。僕はロイ・G・ビヴ。ロイって呼んでください」
あれ。フルネームの自己紹介だ。じゃあ俺もフルネームで自己紹介しないと。
「わざわざフルネームの自己紹介か、じゃ俺も。グランド・リヒトエアっていう。
変ってるし、言いにくいだろ?だからこっちもグランドでオッケーだ。
俺はこの島で弓漁師をやってる」
いいながら、俺は預かった特殊武器をバックパックから取り出した。
「あっ!ブレードアーム…と、シャイニングレーザー!?やった、二つも!」
喜びの声をあげて、ロイがブレードアームを片手に取り付ける。
「でも2つもなんて。重かったんじゃないですか?」
そんなもの。10キロを越える魚を担いで断崖絶壁を上り下りする弓漁師だぜ?俺は。
5,6キロにしかならない荷物なんて重いの内にも入らない。
「大丈夫。ふだんから運び慣れてるから」
にっと笑ってみせると、ロイもつられて笑う。へえ、結構気さくな奴だなあ。
「あとはこいつ」
仕上げにエネルギーボトルを放ってやる。
しかし、エネルギーボトルを忘れていくなんて、結構抜けてるやつなのかもしれない。
…崖で足をすべらせかけた弓漁師が言えることじゃないかもしれないけどさ。
器用に片手で受け取ったロイがそれをしまうのを待って、
俺はここに来た本来の目的を切り出した。だって…黙っておくのは卑怯だろ?
俺は俺の夢のこと、虹色のディフレクターのことをロールから聞いたことをまず話した。
「でさ、この島にいる限り大金稼ぐチャンスなんて滅多に無いんだ。
頼む。俺もこのディグアウト、手伝わせてくれ。
…それで…その…よければ、虹色ディフレクターを売った金のほんの一部でいいから、もらえないか」
我ながらなんて虫のいい話だとは思っていた。
最悪このまま帰れといわれるかも、とも覚悟していた。…が。
ロイは気持ちいいほどあっさりうなずいてくれてしまった。
「いいよ。じつはもうロールちゃんから話は聞いていたんだ。
…でも、僕が君にはついていけないと判断した場所がでたら、
そのときには戻ってもらいたい。いいかな?」
・・・信じられない!
「ああ!ありがとう、この恩は一生忘れないぜ!」
「大げさだなあ。面白い人だね、グランドさん」
…そうか?
先に進みながら聞いたロイの話によると、入り口から入ってすぐのところに
(俺はそこには寄らないで直行してきたから見てない)巨大な空間があって、
そこにいかにもな扉があるんだそうだ。
その扉はなにかの鍵でしっかり封印されていて、ロイはその鍵を探しにここまで来たという。
「…でもおかしいんだ。そんな鍵なんか全然ある気配が無い」
「先にあるかもしれないだろ?」
「それはそうなんだけど・・・」
そこで、俺の無線とロイの無線がザザッと作動音を立てた。
『二人とも!おしゃべりはそこまで。リーバード反応よ!』
―――来た!
通路のどん詰まりに小さい扉があって、そこはT字路になっている。
その、壁で先が見えない左右の通路からそれぞれ小さく素早い影が踊り出た。
オルフォン!
胴体が円の形になった、狼型のリーバード。4頭だ!
すでに構えていたロイのバスターが赤色の通路に光弾を放つ。
一瞬遅れて俺もつがえていた矢を解き放った。
バシュンッ!
三つの光弾を浴びたオルフォンがなすすべもなく転倒して弾け、ばらばらになって消える。
もう一頭は俺の矢に前足を片方ふっ飛ばされ、
悲鳴を上げてのけぞった首に第二矢を受けてガシャリと倒れた。
しかし、その二頭を踏み越えて残りのオルフォンが迫る!予想以上に素早い機動だ。
ロイは冷静にさっき以上のバスター連射で打ち倒す。
しかし俺はそうは行かなかった。弓は連射がきかない。
あっという間にオルフォンが1m手前に迫り、視界の端に映るロイの顔が青ざめた。
今から撃ってる暇は無い。どうする、どうする!?
「このっ!!」
ガギンッ
俺は弓そのものでオルフォンの強靭な顎を殴り飛ばした。
さすがご先祖様が拾ってきた古代人の武器!ひびも入ることなくリーバードに直撃した。
体も小さいこともあって、オルフォンはくるくる回りながら後方にふっとんだ。
そこへ、俺が放った矢が襲い掛かる。
狙う暇があったから、鋼鉄の矢はオルフォンの開いた口の奥から尻尾の先までまっすぐに貫いた。
―――ギャンッ!
悲鳴をあげて崩れ落ちるリーバード。…ふぅ。ちょっと危なかったぞ、俺。
「すごいじゃないか、グランド!これが初めての戦闘?」
バスターを降ろしたロイが自分のことのように嬉しそうに叫ぶ。
「そうだよ。ホロッコくらいなら戦ったことあるけど、これくらいやばかったのは初めて」
床に落ちた矢を拾い集める。
オルフォンの前足を吹き飛ばした矢以外は回収できた。
きちんと回収していかないと、制限があるからなあ…
ブツブツ言っている俺に、突然ロイが叫んだ。
「まずい!グランド、伏せろっ!!」
な、なんだ!?
驚きながらもその場に伏せると、すぐ頭上を小さい人形みたいなものが通り過ぎていった。
…なんだありゃ???
俺の頭上をすぎた直後に、ロイが強烈な蹴りをその人形にぶち当てる。
…ということは、あれもリーバードなのか!?
遠くまで蹴り飛ばされた人形は、通路全体を揺るがすような大爆発を起こした。
「うわっ!?」
「ミータンっていう。攻撃をくわえたり、
一定以上近くに寄られたりしたら今みたいな大爆発を起こすんだ。
まずいぞ、大量に来てる!!」
俺は立ち上がってロイが見ている方を見た。
…本当だ、俺たちが進んできた方から2、30体飛んで来てるっ!
あれが全部爆発したら、どうなるか。…考えたくも無い。
「いったんどこかに逃げるぞ!」
ロイが叫んで、通路の終わり、扉へ走った。なるほど、扉の向こうならあいつらも追って来れない。
「よし!」
リーバードの動きは速くない、逃げ切れる!!
俺とロイは全力で疾走した。扉まで後5m、4m、3m、…。
走っているうちに、背中にぞくぞくする殺気が当たる。近い、振り返りたく無いっ!
二人は怒涛の勢いで扉の向こうに走りこんだ。
第五章「黄色い扉」
ぜー、ぜー、ぜー。
扉を背にして、俺たちは息を切らして座り込む。
こんなに走ったのは島の運動会に無邪気に参加していた頃以来だぜ。
「ここは…ほら、グランド、下が例の扉のある部屋だよ。
まわりまわって入り口のすぐ近くまで来たんだね」
目をあけてみると、俺が座り込んでいるのは幅が3mくらいの通路で、
その向こうは深い段差になっていた。とても人には登れない。
高さは10mくらいはあるんじゃないかな。段差の下はサッカーコート1面ぶんくらいの広さがあって、
反対側の突き当たりの壁面に、どでかい扉があった。
そこだけ白い照明が当てられていて、扉の色が黄色だというのがすぐにわかった。
他の部分は赤い光にとざされている。
…よく見るともう一つ小さい扉があって、そっちが入り口付近へとつながる扉なのだろう。
「あれが、鍵の無い扉?」
「そうなんだ。…それで…」
ロイが何か言おうとした瞬間だった。また無線が作動音を立て、いきなりロールの通信が入る。
『二人とも!今あの黄色い扉のある部屋が見えるところにいる!?』
「…えっ?いるけど」
ロイが困惑した表情で俺の顔をみる。確かにおかしいな。声が切羽詰った様子だ。なにかまずいことでも?
「なにかあったのか?」
俺が聞くと、予想外の返答があった。
『大変よ!ディーアくんが、「俺もディグアウトのほうへ行く」って、
今ひとりで飛び出していっちゃったの!!二人の場所は知ってるから、
その場所へ引き上げてあげて。グランドみたいに大回りするのは危険だわ、
まださっきの通路にリーバード反応が残ってるから…』
その言葉が終わるか終わらないうちに、
小さい方の扉がパシューっと空気の漏れるような音を立てて開いた。
そこからのんびり歩いてきたのは…。
「ディーア!」
俺の叫びに気付かない様子で、奴はきょろきょろしている。
部屋が広すぎるんだ。声があいつのところまで届いてない。
「ロールちゃん、ディーアくんは無線持ってるの?」
ロイが無線に話し掛ける。
『ううん。無線は二個しかなかったから…』
なんてこった。とにかく叫ばなきゃ!
と俺が思った次の瞬間、俺たちが扉の向こうにいると思ったか、
ディーアのやつは黄色い扉の方へ全力ダッシュし始めてしまった。
「うわっ!そっちじゃないってディーア!!こらバカ気付けっ!!!」
扉の寸前で、やっとディーアの足が止まった。
「やっと気付いたか、お〜〜〜い!!こっちだ!!」
俺が腕をぶんぶん振り回したが、ディーアはまだきょろきょろとあちこちを捜している。
…そうか、この場所も赤い照明でとても視界が悪い。ディーアには見えないんだ。
「グランド、ディーアくんが今見えるの?」
ロイが隣で必死に目を見開きながら言う。…そうか、ロイにも無理か。
「俺は代々弓漁師の家系なんだ。崖の上から水中の魚を狩る職業だけあって、
普通の人間より何倍も目には自信がある。
ディーアもそうなんだがあいつはまだ見習いだ。こっちが見えてない」
「…僕には、人影があることぐらいしか。…ディーアくんは、こっちに来そう?」
俺はディーアの方に目を戻した。あいつ、扉を開けようと…
それを見たとたん、俺は体中に電流が走る思いがした。
頭の奥のほうで、『いけない!!』と何かが絶叫した。全身が凍りつく。
腕にはザッと鳥肌が立ってゆく。
・・・やめろ、ディーア、そっちはダメだ!!!!
「行くなあああああああああああああっ!!
ディーア、その扉にさわるなあああああああああっ!!!」
ビクッとしたロイが横で俺の顔を見上げる。
「僕、あの扉にトラップがあるって言ってないよね?」
俺はその言葉を聞いていた。が、理解してはいなかった。
そして、俺の全身全霊を込めた叫びにようやくディーアがこちらを向く。
…それから、俺は全ては遅かったことを知った。
ディーアの片手は黄色い扉の表面にぴったりとついていた。
「!!!!」
俺は物も言わずそのまま段差を飛び降りようとして、ロイに腕をつかんで止められた。
「無茶だ!この高さから降りたら足を骨折する。行くんなら僕が・・・っ!?」
俺は代わりに降りようとしたロイを逆に掴んで止める。
…飛び降りたってもう遅い。
たった一つの望みは、ディーアが俺の叫びに気付いてこっちに来てくれることだが…。
「あれー?グランド、そっちにいたんだ!」
「何でもいいから全力で走れっ!!!」
ディーアは走ろうとした。
あいつは、口ではいろいろいいながらも俺が本気で言ったことに逆らったりしない。
危険が多い弓漁師の仕事の上では、そうすることが身を守る手段だから。
・・・が。半歩も走らないうちに、奴の体はガクリと動きを止めた。
物理的におかしいくらい、突然に。
「そんな・・・っ!」
ロイの手から無線が落ちた。ロールが何か叫んでいるが、誰も聞けなかった。
黄色い扉は消え失せていた。そこにいたのは、見上げるような蛇の形のリーバード。
白い光を浴びて、深紅の鎌首をもたげている。額に一つだけのリーバードの瞳が輝き、
カッと開いた口には大きく横に飛び出したエネルギーブレードが一対。
金属の牙がずらり。体は鱗もなく滑らか。
そいつの喉のあたりが溶けたように変形して、細く鋭い刃に変じている。
それが床まで伸びていて、
ディーアのアーマーで守られていない胸の中心をぐっさり貫いて、
そして、床に縫いとめていた。
ディーアの悲鳴は無かった。…即死だったろう。
銀に光る刃をつたって、絶望的な赤の水溜りが広がってゆく。
見慣れた赤毛の頭が力を失ってうなだれ、目が光を失って。
こちらへ伸ばされていたディーアの腕が、ぱたりと落ちた瞬間、俺の中で何かが切れた。
俺は、胸に激痛が走るくらい大きく息を吸っていた。…親友の名を叫ぶために。
「ディーアあああああああああああああああああああああっ!!!」
叫び終わって、肺に空気が無くなって、それでも俺はまだ口を大きく開けて叫んでいるつもりだった。
涙なんて出てこなかった。体中の水分が乾いてしまったみたいで。
まだ、頭のどこかで『あ〜危なかったぜ』って言って、
ディーアが立ち上がるのを、俺は期待している。
明日、目をさましてから仕度をして、細い小道を歩いて丘を登り、
ディーアを漁につれにいく自分を簡単に想像できてしまう。そのときのディーアのわくわくした表情も。
逃げなきゃいけないとわかっているのに。俺は動けない。
「俺は、もっと大きい声でディーアのバカに止まれって言えた!
飛び降りて助けにも行けたかもしれない!…くそおっ!!!」
「・・・グランド」
蛇は、頭を振るった。
するとディーアを貫いていた刃がするすると縮んで喉のあたりに収まる。
奴は全身そんなような変幻自在の刃物の塊なんだ。
ディーアの体はバシャリと自分の血だまりのなかに落ちた。
ぐずぐずしていたら、今度の標的は俺たちだ。
・・・いっそ、ここで死んでしまいたい。俺、お前の母さんになんて言ったらいいんだよ。
「グランド!ここは引くよ!このままじゃ戦えない。僕も…君も!」
ロイの顔は涙で濡れていた。
俺も、ようやく流れはじめた涙で視界がにごる。…そうだ。このまんまじゃ戦えないよな。
涙で濁った視界じゃ、まともに仇なんかとれやしない。
俺は、動きを止めようとする手足を必死に動かして、ロイについてその場を逃げ出した。
そして、心に誓った。俺が逃げるのは、ここが最後だ。
今後、なにがあっても、勝てそうじゃなくても、俺は何からも逃げない。
ディーア、今だけは忘れさせてくれ。
俺があんたの仇を取るときまで、体勢を立て直すまで…。
頼む、頼むから。後は一生忘れないから。
しかし、思い出は涙よりもさらに、とめどもなかった。
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