藤田正勝 『西田幾多郎』――生きることと哲学(岩波新書)による
島木冬彦の〈写生〉
この生命の輝きを言いとめるという詩歌の営みを〈写生〉という言葉で表すことができるかもしれない。
西田が短歌の雑誌である『アララギ』にエッセーを寄せたのは、かってアララギ派の代表的な歌人であった島木赤彦と西田とのあいだに深い交流があったからである。一九二六に赤彦が亡くなったときに西田は「島木赤彦君」という短文を『アララギ』に寄せている。それによれば、西田が赤彦を知ったのは、岩波茂雄の紹介で赤彦が『万葉集』の古写本をみるために京都大学を訪れたときのことである。
これをきっかけに交際が始まり、赤彦が彼の歌論『歌道小見(かどうしょうけん)』を出版した際には、その批評を西田に依頼している。そのプランは実現しなかったが、しかし「私の近頃見た書物の中で最も面白く読んだものの一つであった」と西田はエッセーのなかで記している。このような関係が生まれたのは、赤彦の「写生」についての理解と西田の思想との間に、ある近さが存在することを両者が感じとっていたからではないだろうか。
赤彦の「写生」についての基本的な考えは、『歌道小見』の次の言葉から知ることができる。「私どもの心は、多く、具体的事象とその接触によって感動を起こします。感動の対象になって心に触れ来る事象は、その相触るる状態が、事象の姿であると共に、感動の姿でもあるのであります。左様な接触の状態を、そのままに歌に現すことは、同時に感動の状態をそのままに歌に現すことになるのでありまして、この表現の道を写生と呼んで居ります。」
文芸理論として最初に「写生」ということを主張したのは、言うまでもな正岡子規であった。赤彦もその影響を受けている。しかしここで言われている「写」は子規の言う「写生」と必ずしも同じではない。子規では、絵画をモデルとして「実際の有りのままを写す」ことが考えられている。赤彦の場合には、写生はある意味で「実際の有りのままを写す」ことであると言うことができる。しかしその「有りのまま」は、表現者から区別されたかぎりの事象を指すのではない。赤彦が歌おうとする「有りのまま」は、事象と感動とが一つになった状態である。その状態を「直接」に言葉に写すことが赤彦の「写生」である。それは単なる対象の記述ではなく、その人の生の表現である。
この点を捉えて西田はエッセー「島木赤彦君」のなかで次のように述べている。「写生といっても単に物の表面を写すことではない、生を以て生を写すことである。写すといえば既にそこに間隙がある。真の写生は生自身の言表でなければならぬ、否生が生自身の姿を見ることでなければならぬ」。西田が赤彦の「写生」論に共感をしめしたのは、赤彦の短歌についての理解が、まさにこの、芸術は生――赤彦流に言えば事象と感動とが一つになった状態――が生自身の姿を見ることであるという西田の芸術理解に通じるものがあったからであろう。
2008.5.4
▼赤 彦 歌 集(岩波文庫)
二月十三帰国昼夜痛みて呻吟す。胸瘠せに瘠せ骨たちたつ
生(い)き乍(なが)ら瘠せはてにける佛を己(おの)れみづからを拝(おろが)みまをす
火箸もて野菜スープの火加減(ひかげん)を折り折り見居り妻の心あはれ
隣室に書(ふみ)よむ子らの聲きけば心に沁みて生(い)きたかりけり
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