過去の日記 *2004年のひとり言を綴っています…

「sorairo no bara」へもどる


 2004年10月01日(金) 秋の栗むきで色々思う

うーん。栗ご飯が食べたいな…! と、近くのJA直販所へ行ってみました。大き目の栗が赤いネットに入って並んでます。ひと袋、こんなに入って200円〜500円! 毎年一度だけ(一度しか…)栗をむいて栗ご飯を作ります。

栗むきって根気いりますネ。毎年、手が疲れてごわごわになります。今年は「水に一時間漬けてからだと、むきやすい」と本に書いてあったので実行。レシピによっては、むく前に熱湯をかける、とか、一度さっとゆでる、という方法も載っていましたが、いつもなんとなく、生の栗をむいてます。

毎年の事ながら、初めの一個から「か、かたい…(*・・)」。握力なくなってきた…。おまけに、モゾモゾ動く虫さんと出くわした〜「うえええ…」やだぁぁぁ…(T△T) はぁ。

機械的にむいていると、色々な思いが頭に浮かぶ。子供の頃、栗ご飯はご馳走でした。
母が「今日は栗ご飯よっ」って言った日、私は何か特別なものを感じていました。母は「今日は栗ご飯だよ♪ みんなの美味しそうな顔がみたいからね〜」って思っていたのかもしれないな。

私が結婚して、栗ご飯に初挑戦した時、生栗の硬さに改めて驚きました。
「うっ…手ごわい…(笑)でも主婦なんだから…なんのこれくらい(汗)…」なんて思ったものです。

さて、炊飯器のスイッチを入れたところです。娘はたいして栗が好き、と言う訳ではなく、ゆでて「ハイ」と渡せば、食べる程度。では毎年、栗ご飯の日はどうだったろう…? 昨年はどうだったっけ? 今年はなんだか…私的に、チョット思い入れの多い栗ご飯となってしまいました。


 2004年07月13日(火) みどりの人

みどりの人はそこにいた。樹と空を見上げる人の瞳の中に、木陰で汗をふく人の視線の先に。風の通り道に立つと、そこだけは不思議と時がゆっくり流れている。トラ猫が目を細め、ポストの下にしゃがみこんだ仲間の姿をじっとみつめていた。それが彼女だった。

午後2時、太陽が右に傾き、キンモクセイとライラックの木々の上に移動する。ポストの辺りは、葉が風に揺れ、木洩れ日がキラキラと輝いた。そよ、と吹く風に、下草のそれぞれや、小さな花も木洩れ日に揺れる。そしてあたり一面、ここは光と葉のダンス会場となった。

春、もうすでに一度、花を落としたのよ、それから…またこんなに小さな芽が出てくれたの。誰も頼みもしないのに…この草は働き者だね、それとも、何度も芽を出す事は、草花たちにとっても、喜びなのかしら。

こおしている時、とても満たされた気持ち。土と、草と、風と、自分は同化できる気がする。季節の若芽を見つけるといとおしい。人間の暮しで感じる事のない、この世との一体感。

あなたも、そこのビンの中から、無限に「満足」が溢れ出るとは思わないでしょう。手にした「満足」だって思ったとおりの形ではない。わかっていても人は望むのよ…。欲がなくちゃ生きていけない。あっという間にしぼんでしまうスフレのように、後悔する事もわかっていても。しあわせの形は人それぞれだけど、欲のニオイのするしあわせは、どれも後悔がつきまとう。

人は水に解き放たれた魚のように、何にもとらわれずキレイに無心になりたいと思う。天の国の扉が、自分にとってきっと軽いものである事を望むでしょう。けれど身体の中の欲は決して消えないから悩みもだえる。私もそう。植物や作物に農薬をまかなくても、地球の行く末を憂いても、車の鍵は持っているしね。帰り道、アクセルを踏めば地球の空気を汚しているの。簡単にいうと、つまり人はそんな風だから…

自らの種を絶やさないために、モノを造りモノを壊す。潔さを失った時から、地球に友好的な生き物ではなくなった、まして地球と同化するなんて。

逆光の中、立ち上がった彼女の背中は光に溶けた。褐色の肩にかかる緩やかにカールした髪をそっとはらう。誰もが納得する道筋など無い。純粋に種を守るために戦う生き物であれば、神様も許してくれるだろうに。

道ばたの雑草でもいい。ただ芽生え、花を咲かせて、種をつけ枯れる。その姿は美しい。「ある人が、生まれて生きてそして死にました。」そんな物語でいい。

仙人のように生きろというのかい? 出来やしない。人間はもう、走り出してる。それが破滅への道だろうと。神さまは何もしてくれやしない。人間が自分で、自分達の始末をつけるのを、ただ見守っているだけだ。未来永劫、生きとし生けるもの、地球ファミリーなどありはしない。

突然、ザザ。と辺りをかき混ぜるように、ケヤキの大木が、広げた太い首を大きく揺らした。ブルネットの瞳は、喋りすぎた午後を少し悔やんでいるようだった。いつの間にか、辺りは湿った夕方の風にかわっている。何もかもが興ざめしたように、昼間の色を失い、早くも宵の紫のベールが、草むらのすみっこから広がり始めていた。

ぬるくなった水のボトルを飲み干し、足元を確かめ、歩き出す。さよなら。会いたくてここらを歩いていた。さあそろそろ出しっぱなしのウサギ達を家へ入れてやらなくちゃ。小松菜とトマトを買って帰るよ。ウン。そう、多分、無農薬のお店で。

                                                     
---「brunette」より---


 2004年06月03日(木) 親の気持ち、子供の気持ち。


 子供が遠足のお菓子を買ってきました。…あれ? このチョコレート。…『うんそう、このチョコレート食べたかったから。』チョット胸が痛みました。なぜなら先日と同じチョコレートだったから…。

たまたま頂いたチョコレートで、車に乗せておいたら、溶けてしまったのです。『このまま冷蔵庫で固まらせようよ!』いたずら気分で、箱ごと子供と冷蔵庫に入れました。数日後…思い出して取り出すと、アーモンドチョコボールが溶けてつながり、アーモンド板チョコ(?)になっていました。子供は面白がってパキッと割って口に入れました。
すかさず私は『大きすぎる!太るよ!』…娘は手を止め…『わかった、もうやめる。』と一言、それっきり食べようとしなかったのです。あれれ? いつもなら反撃してくるのに…? 子供心ってワカラナイ…? しまった〜! キツかったかな? 食べさせてやればよかった…。

 話が長くなりましたが、そのチョコレートだったのです。食べたかったんだね、ごめんね〜胸がチクリとした私。それとともに思い出したのが、私の中学1年生の時の忘れられない話です。

 母と買い物に行った際、どうしても欲しいベストがありました。倹約家の母は『だめ、買わない!』の一言。当時、ソンナ思いつきで、贅沢に買い物はしなかった家でしたので、あきらめましたが〜。なぜだか、とてもそのベストが欲しかったのです。
 私はその夜、日記に書き込みました。『欲しかったのに〜!』と。
 次の日。学校から私が戻ると…、包みが机の上に。あのお店の…。ひょっとして! と開けるとあのベストでした。日記が机の上に置きっぱなしでした。

 母は時々、私の日記を読んでいたのですね。でも、日記を見られた事については、母を責める気にはなれませんでした…。それより、私は喜べませんでした。しまった! と思いました。あんなベストにこだわり、日記に書かなければ良かった…。
 その後の事は覚えていません。でもあの時の机の上の包みと、日記が目に焼きついています。今でもフト、思い出す事があります。そんな時、中学1年の私の気持ちと、今の私、そして次の日にもう一度、ベストを買いに行った母の気持ちとが交錯するのです。

 母、私、娘…3人のつながりの糸を感じます。わがまま、それを受け止める気持ち、優しさ、気遣い…。母と私と娘、そして家族で、一見おおざっぱに、でも実は細やかに、支えあっている気がします。時にさりげなく、時に無意識に…。いや、私だけが甘えてばかりだったのかなァ…、ナンテ、急に弱気になって反省したりしています。

 
2004年05月14日(金) ページに挟み込まれた時間


 ひとあしひとあし…レオレオニさんの本です。子供達、そして私も母として、他にもたくさんの本にお世話になりました。フレデリックはちいさな野ねずみ…そしてお馴染みのスイミー、そしてそして何度も読んだのが、さかなはさかな。

 図書館にかよっては、「10冊まで選んでおいで!」ってふたりの子供を放すと、しばらくして、たくさんの絵本を抱えて戻って来たものです。

 最近、ぐうぜん古本屋さんで、若い頃、よく読んだ大橋歩さんの本を見つけました。それは初めて見る文庫本で…数年前に発刊された本のようです。ぱらぱらめくると、語り口が懐かしく、思わず買いました。古本屋さんですから200円と、本を書かれた方には申し訳ないような安い値段です。

 それをきっかけに、昔の本の事を時々考えています。今は引っ越した時のまま、段ボール箱に入ったままの子供達の絵本、そして夫婦の文庫本と単行本たち…

 以前何かで、読みました。年取ってから、絵本を読んだっていい。中学生が絵本を見てもいい。それは、過去の自分にもう一度出会う瞬間なのだという事です。親のヒザの上で読んだ絵本…そこからは母の優しい声、父の力強さがよみがえる…こんなに大切に守られていた自分。満たされた時間があったのだ。
 本と一緒に、幼少期に味わったシアワセを思い出す…それは自分で自分を癒す事になるから…というような内容でした。

 閉じられたままの昔の本。
 その頃の思い、シアワセ、暖かさ、頑張っていた自分、つらい事、その頃知り合った人たち…などナド…たくさんの時間がページの間に、挟み込まれているのだなぁと思っています。

 
2004年04月20日(火) ダ・イ・ジョ・ウ・ブ・?

 
ちょっと早めに今日はお買い物に…夕飯の献立、今日は焼肉!少し先のスーパーのスライスお肉は、安くて柔らかい♪ 足を伸ばして買いに行きました。

早い時間だったからか、小さい子を連れたお母さんが、イッパイ来ていました。中には3人のお子さんを連れていたり。

そうだったよなぁ〜! 私も子供を一人、前にくくりつけて。もう一人は、手を引いて。
午前中は公園に行って、夕方はチビ達に子供番組を見せながら、夕飯の支度をして〜
なのに、ダンナさんは、忙しくて遅くて…! 
子供をお風呂に入れて、寝かしつけて…そんな風に、一生懸命な時があったっけ。

数ヶ月のちいさな赤ちゃんを抱っこしたお母さん。ナントナク所在なさげに歩き、立ち止まって、
入り口の掲示板に貼った広告を眺めている…。

ダ・イ・ジョ・ウ・ブ・? 今日、誰かとお話した?

この辺りは新興住宅地。このスーパーも、そう、開発された土地に新しく建ったばかり。
いちにち、きっと、ちいちゃな子のお世話であっという間でしょう。
もちろん、チイサナ子の笑顔は素晴らしいし、子育ては根本的に、とても幸せで暖かい事…!
でも〜そんな日が続いたら、誰だって疲れるし、滅入っちゃう。

一日のうち、一言でも誰かと話せたら… その会話が、楽しいモノだったら、なおさらいい。
ご近所のオバサンでもいい、出来ればそう、同じ年代の〜少し上の年代の〜お母さんだったら、なおさらいい。
鏡を見てみる。今日、誰かと会って、にこっと笑ったカナ? 今の私だって、それが必要。
みんな、そうだと思う… ううん、強い人はいるのかもしれない、でも私はそうではないケド…

どうか良い知人を幾人かは持って、お話してくださいね、自分の思いを閉じ込めないで…。

最近、ニュースで、赤ちゃんや子供のことで…、悲しい話を良く聞くから…そんな事をフト思いました。。。。
ひとりじゃないから…そう信じて欲しいデス。 これはオバサンの独り言だけど…!

 
2004年04月01日(木) 手のひらの中に

 
手のひらの中に、包めるだけの人生をもらって、生まれてきたのではなかったのだろうか。
なのに、いつの間にか、手のひらから溢れるような荷物を背負っているみたいだ。

ひとりで生きてるわけではないからね、当たり前かな。

朝起きて、眠い目をこすりながら、フト、生きていくのに最低限必要なものはナンだろう。と考える。
例えば、足元のワンコは、私が目覚めたのを見てシッポを振る、さあ!ゴハンちょうだい!という合図だろう。
そして、私は…今は一杯の水が欲しい。花粉症の薬はのどが渇くので…。

それはさておき、
みんな、大切なものを手のひらの中に持っていて、決して手離したくないと、大切に握り締めているのかな。
しかし自分の手のひらから、溢れたものはどうするの…捨てていくか、それとも背負うしかない。
皆、そうして歩いているのだろうか。
でも、街中ですれ違う人達の足取りは、いかにも軽々している。とても重い荷物を背負って歩いているようには見えない…

生きていくのに最低限必要なものだけを、手のひらの中に、もらって生まれてきたのだとしたら…
そして、今、それだけでは生きられないのだとしたら…?

手のひらの中から溢れてしまった内容ってナンなのだろう。も一度考える。背中に、背負っているものってナンなのだろう。

 
2004年02月18日(水) 風の置き土産

 
このところ、風の中に春を感じる時があります。
ふわりと肌に触れた時、遠く、南の空からはるばると旅して来ただろう、風の便りを聞こうと、私は耳を傾けます。

 …暖かい風は吹き抜けてきたろう。みどりの草はらを。
  太陽にキラキラと照り返る大海原の、波頭を白くはじき。
  ツバサを大きく広げて風に乗る、勇敢な海鳥達のうぶ毛をくすぐって。

…そんな話を聞けるかもしれない。

でも、私の問いに答えるまもなく、優しい春の使者は、忙しそうにくるりと回って去っていく。

ア、脳裏に映し出された風景…黄色い水仙、フリージア、あわい桜色の花びらの香り…

これは私への、風の置き土産かな。

と、ほんわか和んでいると、すかさず強く冷たい風に肩を押された。
そうそう、ぼんやりせずに。頭を整理し、背筋を伸ばしてしゃんと歩こう。

胸を広げて深呼吸。
もう一日、もう一日、と、日々を重ねていこう。朝は起きて身体を動かし、夜はきちんと睡眠を取り。

それが今の私に出来る事だよね。