過去の日記 *2004年のひとり言を綴っています…
うーん。栗ご飯が食べたいな…! と、近くのJA直販所へ行ってみました。大き目の栗が赤いネットに入って並んでます。ひと袋、こんなに入って200円〜500円! 毎年一度だけ(一度しか…)栗をむいて栗ご飯を作ります。 栗むきって根気いりますネ。毎年、手が疲れてごわごわになります。今年は「水に一時間漬けてからだと、むきやすい」と本に書いてあったので実行。レシピによっては、むく前に熱湯をかける、とか、一度さっとゆでる、という方法も載っていましたが、いつもなんとなく、生の栗をむいてます。 毎年の事ながら、初めの一個から「か、かたい…(*・・)」。握力なくなってきた…。おまけに、モゾモゾ動く虫さんと出くわした〜「うえええ…」やだぁぁぁ…(T△T) はぁ。 機械的にむいていると、色々な思いが頭に浮かぶ。子供の頃、栗ご飯はご馳走でした。 私が結婚して、栗ご飯に初挑戦した時、生栗の硬さに改めて驚きました。 さて、炊飯器のスイッチを入れたところです。娘はたいして栗が好き、と言う訳ではなく、ゆでて「ハイ」と渡せば、食べる程度。では毎年、栗ご飯の日はどうだったろう…? 昨年はどうだったっけ? 今年はなんだか…私的に、チョット思い入れの多い栗ご飯となってしまいました。 |
2004年07月13日(火) みどりの人 みどりの人はそこにいた。樹と空を見上げる人の瞳の中に、木陰で汗をふく人の視線の先に。風の通り道に立つと、そこだけは不思議と時がゆっくり流れている。トラ猫が目を細め、ポストの下にしゃがみこんだ仲間の姿をじっとみつめていた。それが彼女だった。 午後2時、太陽が右に傾き、キンモクセイとライラックの木々の上に移動する。ポストの辺りは、葉が風に揺れ、木洩れ日がキラキラと輝いた。そよ、と吹く風に、下草のそれぞれや、小さな花も木洩れ日に揺れる。そしてあたり一面、ここは光と葉のダンス会場となった。 春、もうすでに一度、花を落としたのよ、それから…またこんなに小さな芽が出てくれたの。誰も頼みもしないのに…この草は働き者だね、それとも、何度も芽を出す事は、草花たちにとっても、喜びなのかしら。 こおしている時、とても満たされた気持ち。土と、草と、風と、自分は同化できる気がする。季節の若芽を見つけるといとおしい。人間の暮しで感じる事のない、この世との一体感。 あなたも、そこのビンの中から、無限に「満足」が溢れ出るとは思わないでしょう。手にした「満足」だって思ったとおりの形ではない。わかっていても人は望むのよ…。欲がなくちゃ生きていけない。あっという間にしぼんでしまうスフレのように、後悔する事もわかっていても。しあわせの形は人それぞれだけど、欲のニオイのするしあわせは、どれも後悔がつきまとう。 人は水に解き放たれた魚のように、何にもとらわれずキレイに無心になりたいと思う。天の国の扉が、自分にとってきっと軽いものである事を望むでしょう。けれど身体の中の欲は決して消えないから悩みもだえる。私もそう。植物や作物に農薬をまかなくても、地球の行く末を憂いても、車の鍵は持っているしね。帰り道、アクセルを踏めば地球の空気を汚しているの。簡単にいうと、つまり人はそんな風だから… 自らの種を絶やさないために、モノを造りモノを壊す。潔さを失った時から、地球に友好的な生き物ではなくなった、まして地球と同化するなんて。 逆光の中、立ち上がった彼女の背中は光に溶けた。褐色の肩にかかる緩やかにカールした髪をそっとはらう。誰もが納得する道筋など無い。純粋に種を守るために戦う生き物であれば、神様も許してくれるだろうに。 道ばたの雑草でもいい。ただ芽生え、花を咲かせて、種をつけ枯れる。その姿は美しい。「ある人が、生まれて生きてそして死にました。」そんな物語でいい。 仙人のように生きろというのかい? 出来やしない。人間はもう、走り出してる。それが破滅への道だろうと。神さまは何もしてくれやしない。人間が自分で、自分達の始末をつけるのを、ただ見守っているだけだ。未来永劫、生きとし生けるもの、地球ファミリーなどありはしない。 突然、ザザ。と辺りをかき混ぜるように、ケヤキの大木が、広げた太い首を大きく揺らした。ブルネットの瞳は、喋りすぎた午後を少し悔やんでいるようだった。いつの間にか、辺りは湿った夕方の風にかわっている。何もかもが興ざめしたように、昼間の色を失い、早くも宵の紫のベールが、草むらのすみっこから広がり始めていた。 ぬるくなった水のボトルを飲み干し、足元を確かめ、歩き出す。さよなら。会いたくてここらを歩いていた。さあそろそろ出しっぱなしのウサギ達を家へ入れてやらなくちゃ。小松菜とトマトを買って帰るよ。ウン。そう、多分、無農薬のお店で。 |
2004年06月03日(木) 親の気持ち、子供の気持ち。
たまたま頂いたチョコレートで、車に乗せておいたら、溶けてしまったのです。『このまま冷蔵庫で固まらせようよ!』いたずら気分で、箱ごと子供と冷蔵庫に入れました。数日後…思い出して取り出すと、アーモンドチョコボールが溶けてつながり、アーモンド板チョコ(?)になっていました。子供は面白がってパキッと割って口に入れました。 話が長くなりましたが、そのチョコレートだったのです。食べたかったんだね、ごめんね〜胸がチクリとした私。それとともに思い出したのが、私の中学1年生の時の忘れられない話です。 母と買い物に行った際、どうしても欲しいベストがありました。倹約家の母は『だめ、買わない!』の一言。当時、ソンナ思いつきで、贅沢に買い物はしなかった家でしたので、あきらめましたが〜。なぜだか、とてもそのベストが欲しかったのです。 母は時々、私の日記を読んでいたのですね。でも、日記を見られた事については、母を責める気にはなれませんでした…。それより、私は喜べませんでした。しまった! と思いました。あんなベストにこだわり、日記に書かなければ良かった…。 母、私、娘…3人のつながりの糸を感じます。わがまま、それを受け止める気持ち、優しさ、気遣い…。母と私と娘、そして家族で、一見おおざっぱに、でも実は細やかに、支えあっている気がします。時にさりげなく、時に無意識に…。いや、私だけが甘えてばかりだったのかなァ…、ナンテ、急に弱気になって反省したりしています。 |
| 2004年05月14日(金) ページに挟み込まれた時間
図書館にかよっては、「10冊まで選んでおいで!」ってふたりの子供を放すと、しばらくして、たくさんの絵本を抱えて戻って来たものです。 最近、ぐうぜん古本屋さんで、若い頃、よく読んだ大橋歩さんの本を見つけました。それは初めて見る文庫本で…数年前に発刊された本のようです。ぱらぱらめくると、語り口が懐かしく、思わず買いました。古本屋さんですから200円と、本を書かれた方には申し訳ないような安い値段です。 それをきっかけに、昔の本の事を時々考えています。今は引っ越した時のまま、段ボール箱に入ったままの子供達の絵本、そして夫婦の文庫本と単行本たち… 以前何かで、読みました。年取ってから、絵本を読んだっていい。中学生が絵本を見てもいい。それは、過去の自分にもう一度出会う瞬間なのだという事です。親のヒザの上で読んだ絵本…そこからは母の優しい声、父の力強さがよみがえる…こんなに大切に守られていた自分。満たされた時間があったのだ。 閉じられたままの昔の本。 |
| 2004年04月20日(火) ダ・イ・ジョ・ウ・ブ・? そうだったよなぁ〜! 私も子供を一人、前にくくりつけて。もう一人は、手を引いて。 ダ・イ・ジョ・ウ・ブ・? 今日、誰かとお話した? この辺りは新興住宅地。このスーパーも、そう、開発された土地に新しく建ったばかり。 一日のうち、一言でも誰かと話せたら… その会話が、楽しいモノだったら、なおさらいい。 どうか良い知人を幾人かは持って、お話してくださいね、自分の思いを閉じ込めないで…。 最近、ニュースで、赤ちゃんや子供のことで…、悲しい話を良く聞くから…そんな事をフト思いました。。。。 |
| 2004年04月01日(木) 手のひらの中に ![]() ひとりで生きてるわけではないからね、当たり前かな。 朝起きて、眠い目をこすりながら、フト、生きていくのに最低限必要なものはナンだろう。と考える。 それはさておき、 生きていくのに最低限必要なものだけを、手のひらの中に、もらって生まれてきたのだとしたら… 手のひらの中から溢れてしまった内容ってナンなのだろう。も一度考える。背中に、背負っているものってナンなのだろう。 |
| 2004年02月18日(水) 風の置き土産 …暖かい風は吹き抜けてきたろう。みどりの草はらを。 …そんな話を聞けるかもしれない。 でも、私の問いに答えるまもなく、優しい春の使者は、忙しそうにくるりと回って去っていく。 ア、脳裏に映し出された風景…黄色い水仙、フリージア、あわい桜色の花びらの香り… これは私への、風の置き土産かな。 と、ほんわか和んでいると、すかさず強く冷たい風に肩を押された。 胸を広げて深呼吸。 それが今の私に出来る事だよね。 |