2002/09/23 更新
島崎 藤村
島崎 藤村(本名 島崎 春樹) |
明治5年(1872年) 長野県西筑摩群山口村馬籠に生まれる。 中津川を紹介するのに藤村を紹介しないわけにはいかないと思い、ほとんど読んでない私がするのは いささか無謀ですがこの項をもうけました。 (著作権は切れています)
以下少しばかり小説と詩などをご紹介します。
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小説から
「夜明け前」より |
殺人、盗賊、駆落(かけおち)、男女の情死、諸役人の腐敗沙汰なぞは、
この街道で珍しいことでなくなった。 「あゝ。」と吉左右衛門は嘆息して、「世の中はどうなっていくかと思うようだ。あの御勘定所の お役人なぞがお殿様からのお言葉だなんて、献金の世話を頼みに出張してきて、家の床柱の前 にでもすわり込まれると、私はまたかと思おう。しかし金兵衛さん、そのお役人の行って しまったあとでは、わたしはどんな無理なことでも聞かなくちゃならんような気がする・・・・・」 |
今も同じ、人間は進歩しないものなのだろうか |
「幼き日」より |
今笑っている、直ぐに復たぐずり出す、 一度泣き出したら地団太踏むやら姉さん達に掻付くやら、 −中略−何故子供というものは、もっと自然に育てられないのかしら−何故斯う威かしたり 欺したり時には残酷な目にまで逢わせなければ育てられないのかしら−私は時々そんなこと を思います。頭の一つもブン擲らずに済ませるものなら、なるべく私はそんな真似も したくない。さよう思って控えて居りますと、「あなた方の父さんはお砂糖だと見えますネ」 などと人々に笑われる。 |
       | 昔も今も子供を育てるのは難しい。親父が割の合わない商売なのは変わらないらしい。 親父の権威がなくなっただけ昔より悪くなったか。 |
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詩などから
自序 | 若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四巻を まとめて合本の詩集をつくりし時に |
新しきうたびとの群れの多くは、ただ穆実(ぼくじつ)なる青年なりき。その芸術は幼稚なりき、不完全なりき、
されどまた偽りも飾りもなかりき。青春のいのちはかれらの口唇にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたいしなり。
こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寝食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と
煩悶とは幾多の青年をして狂せしめるを。
詩歌は静かなる所にて想い起したる感動なりとかや。げに、わが歌ぞおぞき苦闘の告白なる。
生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。 あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むる鞭にてありき。わが胸は溢れて、 花の香もなき根無し草四つの巻とはなれり。われは今、青春の記念として、かゝるおもひでの 歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり。
明治三七年の夏
藤村 |
何をやるにしても今の若い方がこんなあつい思いを持っていてほしい。 |
「木曽川の猿」 |
見えざるところより流れいで
木曽川の岸に柳あり |
木曽川と南木曾岳と地元の地名が入るので載せました。 |
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