2002/09/23 更新   

島崎 藤村

島崎  藤村(本名  島崎  春樹)

   

明治5年(1872年) 長野県西筑摩群山口村馬籠に生まれる。
昭和18年(1943年)没 享年71歳
代表作  夜明け前  破戒  千曲川のスケッチ(随想)  若菜集(詩集)など
夜明け前の書き出し「木曽路はすべて山の中である・・・」と「椰子の実−名も知らぬ遠き島より・・・」 の詩などはあまり藤村に関心のない方にもよく知られています。
あまり話題になりませんが年表(島崎藤村詩集 西脇順三郎編 白鳳社)によれば「明治31年東京 音楽学校選科ピアノ科に入る」とありますからピアノを弾いたのでしょう。 どんな風に習ったのか全くわかりませんが音楽好きの私としては興味があります。 西洋音楽のピアノは彼の詩にかなりの影響を与えたのではないかと思います。  

中津川を紹介するのに藤村を紹介しないわけにはいかないと思い、ほとんど読んでない私がするのは いささか無謀ですがこの項をもうけました。 (著作権は切れています)

      馬籠宿と周辺(写真中心)              藤村記念館公式ページ

以下少しばかり小説と詩などをご紹介します。  


小説から

「夜明け前」より

   

殺人、盗賊、駆落(かけおち)、男女の情死、諸役人の腐敗沙汰なぞは、 この街道で珍しいことでなくなった。

中略

「あゝ。」と吉左右衛門は嘆息して、「世の中はどうなっていくかと思うようだ。あの御勘定所の お役人なぞがお殿様からのお言葉だなんて、献金の世話を頼みに出張してきて、家の床柱の前 にでもすわり込まれると、私はまたかと思おう。しかし金兵衛さん、そのお役人の行って しまったあとでは、わたしはどんな無理なことでも聞かなくちゃならんような気がする・・・・・」



      

今も同じ、人間は進歩しないものなのだろうか

   


「幼き日」より

   

今笑っている、直ぐに復たぐずり出す、 一度泣き出したら地団太踏むやら姉さん達に掻付くやら、 −中略−何故子供というものは、もっと自然に育てられないのかしら−何故斯う威かしたり 欺したり時には残酷な目にまで逢わせなければ育てられないのかしら−私は時々そんなこと を思います。頭の一つもブン擲らずに済ませるものなら、なるべく私はそんな真似も したくない。さよう思って控えて居りますと、「あなた方の父さんはお砂糖だと見えますネ」 などと人々に笑われる。



      

昔も今も子供を育てるのは難しい。親父が割の合わない商売なのは変わらないらしい。 親父の権威がなくなっただけ昔より悪くなったか。

   

詩などから

自序        若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四巻を まとめて合本の詩集をつくりし時に
   


遂に、新しき詩歌の時は来たりぬ。
そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の予言者のごとく叫び、あるものは西の 詩人のごとく呼ばゝり、いずれも明光と新声と空想とに酔へるがごときなりき。
うらわかき想像は長き眠りより覚めて、民俗の言葉を飾れり。
伝説はふたゝびよみがえりぬ。自然は再びあたらしき色を帯びぬ。
明光はまのあたりなる生と死とを照らせり、過去の壮大と衰頽(すいたい)とを照らせり。

新しきうたびとの群れの多くは、ただ穆実(ぼくじつ)なる青年なりき。その芸術は幼稚なりき、不完全なりき、 されどまた偽りも飾りもなかりき。青春のいのちはかれらの口唇にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたいしなり。 こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寝食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と 煩悶とは幾多の青年をして狂せしめるを。
われも拙き身を忘れて、この新しきうたびとの声に和しぬ。

詩歌は静かなる所にて想い起したる感動なりとかや。げに、わが歌ぞおぞき苦闘の告白なる。
なげきと、わずらひとは、わが歌に残りぬ。思へば、言ふぞよき。ためらわずして言ふぞよき。 いさゝかなる活動に励まされてわれも身と心とを救ひしなり。
誰か旧き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しき開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。

生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。
われもこのこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日を過ごしぬ。
芸術はわが願いなり。されどわれは芸術を軽く見たりき。むしろわれは芸術を第二の人生と 見たりき。また第二の自然ともみたりき。

あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むる鞭にてありき。わが胸は溢れて、 花の香もなき根無し草四つの巻とはなれり。われは今、青春の記念として、かゝるおもひでの 歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり。

           明治三七年の夏                                  藤村
 

      

何をやるにしても今の若い方がこんなあつい思いを持っていてほしい。
(原文に段落はありませが画面では全部続くと読みにくいので私が勝手に入れました。)
 

   

「木曽川の猿」

 

見えざるところより流れいで
見えざるところへ流れ去り
岩にせかかるゝ木曽川の
    波に千古の響きあり
親に離れし山猿の
    南木曾が岳を夜越えて
口は飲めども喉を下らず
    手は握れども震ひ動けり

木曽川の岸に柳あり
木曽川の岸に柳あり
せめては暫し慰むと
    柳の下にきて見れば
尋ぬる親は見えずして
    巌を枕に眠れども
涙流れてよもすがら
    木曽川に泣く声かなし
 

    木曽川と南木曾岳と地元の地名が入るので載せました。
 

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