百科辞典
   
ホールデンの事をもっと知ろう、ついでに余計なことまで知ってしまおうというページ!!


注:以下は、私が以前に本、TV、噂話(もう出所も忘れたということです・・)などで見聞きした内容で、かなり記憶に頼っているところがありますし、なにぶん噂の域を出ないような話題については、もちろん真偽のほどは定かではありません。色々な説が入り乱れてたりする内容もありましたし。
データなど可能な範囲で調べ直しましたが、明らかに違ってる!!もしくは「私はこう聞いたけど・・・・」などのご指摘がございましたらメールを下さい。


芸名の由来
デビューが決まり、映画会社パラマウントの重役に会いに行った時の話。
本名”ウィリアム・フランクリン・ビードル・ジュニア”のビードル(Beedle)が、かぶとむし(Beetle)みたいだと笑われていた時、その重役あてに電話をかけてきた人物がウィリアム・ホールデンという名前だったそうで、そのまま芸名にいただいちゃったという。
ちなみにウィリアム・ボールドウィンと名前がちょいかぶってる。雑誌で「あ、載ってる」と思うとほとんどこっちの人なんで紛らわしいことこのうえない。まあ、ジャッキー・チェンとジャッキー・チュンほどではないけど。
 

”赤ん坊のような笑顔”
もしくは”隣家の無害なおにいちゃん”などと戦前のアイドルスター時代には呼ばれていたらしい。
戦中、戦後と苦労した後はさすがにこのキャッチフレーズだけでは収まらない俳優となったが、『麗しのサブリナ』あたりは、自分のそんなアイドル時代を思い出して演じたのか、お茶目でかわいい”赤ん坊のような笑顔”のホールデンに出会える。
戦後でも、特に大病を煩う前のホールデンにはどこかお坊ちゃん臭さ、育ちの良さそうなところがにじみ出てるようには思う。
 

総出演数
俳優としてのキャリアは第二次大戦服役中の4年間を抜かせばちょうど40年だが、その間の総出演数はテレビを含めて73本。
40年、48年、50年、53年、54年には年4本も出ている。しかも服役中以外は、出演作のない期間が2年以上空いたことがないという、まんべんのなさ。平均すると、およそ年2本のペースを40年続けていたことになる。
 

アカデミー賞
『第17捕虜収容所』で1953年度の主演男優賞を受賞。スピーチはオスカー像を掲げて「サンクス!!!」のみ。さすが、かっこいーと思っていたら、実は当時始まったばかりのテレビ中継のせいで、早くCMに行かなくてはといわゆる”巻き”が入ったため。
本人はもっといろいろしゃべりたかったそう。
 他、残念ながらノミネート(主演男優賞)で終わったのは50年『サンセット大通り』、76年『ネットワーク』。
ちなみに、アカデミー賞ではよくあることらしいが、良い演技をしたのにその映画では惜しいところで受賞できなかった俳優を、近いうちに違う映画でノミネートし、前の評価をプラスして受賞させるという例に、ホールデンも当てはまってるといわれている。ちなみに今年の助演女優賞もそんな声があるらしい・・・
確かに、どちらかというと『サンセット大通り』の演技のほうが、アカデミーと相性はよさそう。
 

ギャラ
アメリカの有名な映画サイト「IMDB(インターネット・ムービー・データベース)」によると、

54年『麗しのサブリナ』 15万ドル
57年『戦場に架ける橋』  100万ドル
69年『ワイルドバンチ』  25万ドル
74年『タワーリング・インフェルノ』  75万ドル

時代を考えてみたら、これはえらいことだと思う・・・。

マネー・メイキング・スター
客を呼べる俳優は誰か??全米の興行主によって選ばれるランキング。ホールデンはベストテン初登場の54年に7位、55年に4位ときて、ついに56年度1位に。
前年の『慕情』『ピクニック』のヒットが評価された。他57年に7位、58年に6位、61年に8位と、計6回もベストテン入りしている。
 



周囲の評判
総じて「陽気で人間味豊か。感情の変化を正直に出し、付き合っていてとても楽しい人物」とのこと。
実際、発言も気取りのないおちゃめなものが多い。
ただしこの評価は、「アルコールに没頭していない時には・・・」という但し書きを付ける者多数。
不満や悩みをアルコールで紛らわす気の弱さが彼の短所だったのだと思う。
 

ケツあご
ちょっとお下品な言葉で失礼。読んで字のごとくというか、見たままこういうあごをお持ちでらっしゃる。
クラーク・ゲイブルの顔を覚える為の記号が”髭”ならば、ホールデンの記号としておすすめすしたいのがこのケツあごかなぁと思うのだが、どうでしょ?
でもケーリー・グランドとかマイケル・ダグラスとは間違えないように。
 

胸毛
濃い。くまさんのようである。特に『戦場に架ける橋』の時が凄い。
でも映画のムードに合わせたのか『慕情』『ピクニック』ではきれいに剃ってますのでお確かめあれ。
その事を淀ちょーさんに指摘された時にはしきりに照れていたとか。
 

俳優以外の活躍
映画出演で稼いだお金を目ざとく石油、テレビ、牧場、観光、アフリカのサファリクラブなどの事業に投資して実業家となる。が、晩年はあまりうまくいってなかった様子。
またロナルド・レーガン会長の下で俳優組合の副会長もつとめた。思想的は進歩的とはいえず、穏健派であったらしい(いかにも・・・!)。

ちなみに俳優がプロデューサーになったり歩合制でギャラをもらうという、今では珍しくなくなったこのシステムを始めたのもホールデンやバート・ランカスターら50年代の俳優達だった。
 

アルコール中毒
これについてのエピソードをすべて書くとページが1つ出来てしまう。お酒が無ければ彼の俳優人生はどう変わっていたのか。
50年代にホールデンが来日した際、一緒に食事した淀川長治さんが「もう飲み過ぎですよ」と止めても笑って聞き入れなかったそう。
『麗しのサブリナ』共演時にお付き合いしていたオードリー・ヘップバーンとの別れを忘れる為に深酒をするようになったという説あり。
とはいえ晩年の私生活がもう少し幸福であったならあんな亡くなり方をするほどまでには・・・・・と思うと非常に残念。

−脱線Talk−
どうも私がファンになるのは「酒に飲まれてしまう」人が多いらしい。
特に歌手だと、その命であるはずの声の魅力を失ってしまうさまを見せつけられるのでつらい。
ミュージカルスターのジュディ・ガーランドはホテルのトイレで睡眠薬摂取過剰のため変死するが、かなりのアル中だったらしく晩年の歌声は伸びが無く、聞いていて悲しくなる。
ハリー・二ルソンも自慢の高音が出なくなった理由はお酒の飲みすぎ。何年か前に亡くなった直接の原因は知らないけど。
今お気に入りの山崎まさよしは、依存症ではないだろうしもちろんその美声もまだまだ健在だけど、本人曰く体が”奈良漬”状態なほど飲む人で、酔っ払ってよく意識を無くし、階段を転げ落ちたこともあると聞いてちょっといやな予感が・・・。
自分は飲めないのでこの辺は理解不能の世界です・・・
 

ロマンス
どうも惚れっぽいらしい。特に共演女優と。
オードリー・ヘップバーン とはどうやら本物っぽいし(詳しくはこちら)、グレース・ケリーとも噂があった。
長年連れ添った奥さまとの離婚もキャプシーヌとの不倫が原因といわれている。
死ぬ間際まで付き合っていたといわれるステファニー・パワーズ(共演してるのか不明)は、彼のアル中の看病に疲れて去っていったらしい。

「共演した女優達との関係では、のめり込み方が少なければ少ないほどよい仕事が出来ることを発見した。2人か3人惚れ込んだ相手がいた。もしも彼女達が生き方を変える気になってあなたに付いていくわと言ってくれたらそれはそれで結構。だが我々は一度も境界を越えなかった。だから何年たっても最初と同じようにお互い尊敬し合える。」
 一応、後年のインタビューで彼はこう語っているのだが・・・・
 





以下、おまけ・・・・
 
 

ウィノナ・ライダー
彼女のフェイバリット・アクターとして、バーバラ・スタンウィックと一緒にホールデンの名前が挙がっていた。
曰く、「身近で、共感の出来る演技をする」「物語にリアリティを持たせることが出来る」とのこと。同感。
 

丹波哲郎
ある日の『笑っていいとも』。『テレホンショッキング』のゲストだった丹波哲郎が話していたことはかなり衝撃的だった・・・。
丹波さんとホールデンは『第七の暁』で共演してるが、当時ホールデンはその映画の相手役であるキャプシーヌという女優にほれ込んでいた。でも実は丹波さんも一回だけその女優さんとまあ、あったらしい。
そこまではいいとして・・・・後年、自殺したキャプシーヌのお葬式に行った人から丹波さんが聞いた話では、な、なんとキャプシーヌは男だったらしい!!丹波さんはそれにまったく気付かなかったってのがこれまたすごい。
客席は知らない人の話だからか無反応。私はTVの前でのけぞっていたが。
 
キャプシーヌってすごくきれいな女優だったのに。ソフィア・ローレンとちょっと顔が似てるけどずっと洗練されてるというか。でもカルーセル麻紀にも似てるように思えてきたのは先入観か?
ところで・・・・丹波さんといい、ホールデンといい、そんないくらなんでも「気付かない」なんてことはあるのか?
・・・・・・・・・・もうあえて深く追求しないことにした。だって丹波さん、それ全部悪い冗談でしょ?
 
 淡路恵子
日本にはよく来日しているホールデン。淀川長治さんとお食事をした時に一緒に来ていた彼女をホールデンは痛く気に入ってしまい「アメリカへいらっしゃい。きっとスターになる」と言ったとか。彼女がニコニコして真に受けないでいると「どうして信じないの??」
としきりに不思議がっていたそう。
 

『ラブソング』
’97の香港映画。このあいだ偶然に観たらホールデンが意外な登場をしていた。
主人公の叔母は娼婦なのだが、若い頃にホールデンと食事したことがあるという思い出の中だけで生きているような人で、壁には彼の写真がいっぱい。
まわりの人間は「ただの酔っ払い(!)の外人を彼だったと妄想してる」と言っていた。
しかし叔母が亡くなった後に出てきた遺品の中から、紛れも無くホールデン本人が、まだ若く美しかった叔母と一緒に写っている写真が出てくる。映画の中ではほんの小さな1エピソードにすぎなかったが。
相手にとっては些細な係わり合いでもその本人にとっては一生で一番大切な時間として心の中で色あせず残ることがある。生きていく支え、生きる意味にもなりうるほどの思い出として。
不幸な人だったとも言いきれない。彼女にとっては一方通行ではあっても愛に満ちあふれた人生だったのだろうから。
ちなみにその叔母のセリフで、主人公(レオン・ライ)に向かって「あんたはウィリアムにそっくり」っていうのがあったんだけど・・・・・・
ちょっとそれには突っ込みを入れさせていただきたい。
 


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