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「ガウリイ――――っ!」 叫ぶ間にも、岩塊に乗ったガウリイは見る間に小さくなった。長い髪が箒星のように尾を引いて落下していく。やがてそれが小さな点となり、今しも消えようとした頃。 がぉ――……ん―――― 低く響く破砕音と川縁に起こった土煙が、落下した岩壁が砕け散ったことを教えた。 「……嘘、でしょ……っ」 ざわ、と背筋が泡立つ。ドラゴンが首を伸ばしても届かない程の高さがある崖だ。ガウリイは邪妖精に邪魔されて、逃げることも出来なかった。そのまま落下すれば、どうなるか。 『ホラ、飛ブコトモ出来ナイクセニ。愚カシイ人間』 『仲間ナドト、笑ワセル』 『私達ノ邪魔ヲスルカラ』 くすくすくす、とさざめくような笑いが起こる。 『サア、新シイ仲間。モウオ前ヲ騙ス者ハイナイ』 『私達ト遊ビマショウ』 『速ク飛ブ方法ヲ知リタイ?』 『風ヲ起コシテ木ノ実ヲ落トス?』 『サア』 「……る……い――」 『?』 「――うるさあぁぁぁああああいッ――!」 叫びと共に、放電が起こる。リナの操る風の結界が、妖精のそれとぶつかったのだ。それまで妖精達に押さえ込まれていたリナの結界は、徐々に勢いを増して妖精達を押し返し始めた。 「あんた達、今すぐそこを退きなさい」 『ドウシタノ?』 『何ヲ怒ッテイルノ?』 「いいからあたしを放しなさいっ!」 バリ、とまた火花が散る。 「あんた達と話してる暇はないのよ! じゃなきゃ、ガウリイが――」 『サッキノ、人間?』 『ソレデ怒ッテイルノ?』 『ドウシテ?』 『ダッテ、アレハ飛ベモシナイノニ』 『風モ起コセナイノニ?』 『ソレヨリモ、私達ト遊ビマショウ』 あやすように、妖精達は笑い続けた。彼らは、自分達がリナより風に長けていることを知っている。この空中で、彼らの敵となるものはいないのだ。焦りを見せるリナを、妖精達は嘲笑った。 『貴方ハ、私達ノ仲間ナノデショウ?』 『風ニ乗レナイ人間ナゾヲ、助ケヨウダナンテ』 『愚カシイコトハオヤメ、新シイ子』 「――風牙斬!」 『!』 リナの呪文と共に、妖精の輪に亀裂が走った。呪文が発動した場所にいた妖精が一瞬だけ四方に散り、また集まる。 小さなかまいたちを作り出す呪文だ。小技だが、空気を操って風を起こす妖精には効いたらしい。しかしそれも一瞬で、妖精はすぐ元の形を取り戻した。 『何故?』 『何ヲスルノ、新シイ子』 「何故、ですって?」 それまで俯いていたリナが、ぴくりと肩を揺らした。ゆっくりと顔を上げる。 ぎらぎらと光る朱の瞳は夕暮れ最後の太陽の輝きを思わせる、力強いが刹那的な色をしていた。 「答えてやる義理はないわね。あんた達があたしの言うことを聞くのが先よ――さもないとあんた達全部、塵も残らないと思いなさい」 「……い、ててて……」 激しい痛みに、意識が無理矢理引き上げられる。 ぼうっと目を開けると、まずは無残に荒らされた森が見えた。ガウリイの腕程もある太い枝が折れ、まだ青々とした木の葉を散らしてしまっている。 嵐でも通ったのかな? とぼんやり思いながら、今度はゆっくりと首を動かした。天を仰ぐと、高くまで聳える岩壁と真っ青な空。あそこから落ちて来たのだということを唐突に思い出し、ガウリイは跳ね起きた。 「リナ!」 全身をしたたかに打ちつけたようでそこかしこが痛かったが、動くのには支障ない。崖の上から落ちたにしては軽症だったが、それを不思議に思う暇もなく、ガウリイは空を見上げた。目を眇めて、リナの姿を探す。 リナは邪妖精に取り囲まれていた。あれだけ簡単に、ガウリイを殺そうとした連中だ。もし空中にいるリナが、同じように襲われたら。 「くそ、早く戻らないと――!」 『大丈夫』 不意に傍らから声が聞こえて、ガウリイは背後を振り返った。 『私達ハ人間ノヨウナ蛮族デハナイ。ダカラ、オ前モ助ケタ』 「お前……!」 ふわりふわりと舞いながら降りてくるのは、ガウリイが見たこともない生き物だった。 肌は向こうの景色が透ける程に白く、僅かに発光していた。エメラルドグリーンの髪も同様に不思議な輝きを放ち、波打ちながら長く長く伸びて末を空気に溶かしている。姿形は人によく似ていたが、その大きさはガウリイの掌に収まる程小さかった。 瞳がちのグリーンアイが、瞬きもせずにこちらを見つめてきて、ガウリイは息を飲んだ。 「さっきの……邪妖精、か? つまり、リナは無事なんだな」 『去レ。人間』 ガウリイの問いには答えず、邪妖精は言い放った。 『私達ハ争イヲ好マナイ。シカシ、私達カラ棲処ヲ、仲間ヲ奪ウ者ニハ容赦シナイ。 帰ッテオ前達ノ仲間ニ伝エルガイイ。警告ハコレガ最後ダト』 『ドウシタノ、新シイ子』 『私達ノ敵トナルト?』 周りを取り囲みながら次々に囁きかける妖精達に、リナは笑みで以って答えた。凶悪な、殺意すら滲ませた笑みで。 「仲間になってやってもいいかな〜、なんてちょびっとだけ思ったけどね。あたしの相棒を傷つけるなら、あんた達はきっぱり敵よ!」 『相棒? アノ人間ガ』 『飛ベモシナイ者ガ、仲間?』 『ソンナモノ、捨テテオシマイナサイ。私達ト来レバイイ』 リナはそれには答えず、混沌の言葉を紡ぎ始めた。焦りから、じわりと額に汗が滲む。 ガウリイが谷底に落ちてから、既に随分な時間が経っている。怪我の状態を確認し、一刻も早く治療に当たらなければならない。或いは、既に――浮かびかけた最悪の事態は、呪文に集中することで無視した。今は、何よりこの妖精達を退けることだけを考えていればいい。 風の結界は、膨れ上げるリナの魔力に煽られるように勢いを増していた。そこかしこで放電が起こり、妖精と接触した部分で火花が散る。 『オヤメナサイ、新シイ子』 『オ前ノ風ハ弱イ。コレ以上私達トブツカッテハ、オ前ノ風ハ消エテシマウヨ』 取り囲む妖精達の言葉は無視したまま、リナはぐい、と掌を前に突き出した。完成した呪文を、解き放つ。 「――風魔咆裂弾!」 ぎゅお、とそれまで以上の音を立てて、空気が軋んだ。リナを取り巻いていた風の結界が、呪文に従ってリナの掌に収束したのだ。風に乗っていた妖精も、一瞬だけ呪文の力に引き込まれ。 次の瞬間、すさまじい勢いで爆発した。 四方八方に風が吹き荒れ、妖精達はとうとう円陣を解いた。風に逆らわず、吹かれるままそれぞれに散る。妖精の檻が解かれ、リナは遂に自由を取り戻した。 しかし。 『新シイ子!』 『何ヲスルノ!』 風を操り直した妖精達が、ざわりとさざめく。 呪文の発動と同時に風の結界を失ったリナが、真っ逆様に谷底へと落ちて行く光景を目にして。 「えっと」 ガウリイは目をぱちくりと瞬いた。 要するに、ガウリイを助けたのは村人への警告のためらしい。ガウリイはうーんと唸って頭を掻いた。 「そうは言っても、なあ。村の人達も困ってるんだよ。突風を起こしてるの、お前さん達なんだろう?」 『私達ハ、風ヲ起コスタメニ在ル』 「そりゃそうかもしれないけど、その風のおかげで野菜や果物がダメになったって、村の人が言ってたぞ。あの人達は、作物が実らなかったら生きていけないんだ。それって、お前さん達の嫌う『殺生』って奴と同じだと思うぞ」 『デハ、コノ森カラ出テイケバイイ』 轟然と、妖精は言い放った。 『私達ハ、カツテ人間ノ村ニ祀ラレ、穏ヤカニ暮ラシテイタ。シカシ、人間ハヤガテ私達ヲ祀ルコトヲ忘レ、私達ノ棲処ダッタ祠ヲ壊シテシマッタ。 私達ノ棲処ハ人間ニ奪ワレタ。ダカラ』 「人間からも、村を奪ってやるって?」 『…………』 「そっか」 そういえば、依頼をしてきた村長は、拓いたばかりの畑があると言っていなかったか。ひょっとしたら、妖精の祠を壊してしまったのはその時なのかもしれない。 ガウリイは少しの間考えていたが、やがて崩していた姿勢を正し、妖精に向き直った。 「祠のことは悪かった。多分、村の連中も悪気があってやったわけじゃないと思う。どうにか許してやって貰えないか?」 『今更ダ。私達ノ棲処ハ戻ラナイ』 「そうだな。だけど、また作り直すことは出来るぞ」 『…………』 「訳を話せば、きっと分かって貰えると思うんだ。 そりゃ、お前さん達を追い出すことになっちまったのは良くなかったさ。けど、話し合いもしないまま、追い出し合うことないだろ? ほら」 言ってガウリイは、目の前に広がる森を指差す。枝葉が毟られ、無残な姿となった森を。 「この森だってお前さん達の棲処の一部なのに、お前さん達が人間に意地悪しようとしたせいで、こんなに荒れちまってるじゃないか」 『……信用出来ナイ』 妖精は、深く頭を振った。 『オ前達ノヨウナ人間ニ、私達ト同ジ意識ヲ持ツコトガ出来ルトハ思エナイ。 私利私欲ノタメニ森ヲ削リ、私達ヲ虐ゲ、時ニハ同胞スラ裏切ル人間ニ』 「…………」 ガウリイが口を開き、何かを言おうとした、その時。 「ガウリイ――――――――ッ!」 唐突に降って来た声に、ガウリイはがばりと天を仰いだ。空の高い場所から、真っ直ぐこちらに向けて落下してくるのは。 「リナ!?」 魔法での飛行でないことはすぐに分かった。飛行呪文にしては早過ぎるし、リナは直滑降する勢いで真っ直ぐ谷底に突っ込んでくる。妖精達の攻撃を受けたのかと、ガウリイは青くなった。 リナのスピードは少しも緩まない。間に合わないことを承知で、それでもリナの真下に回り込もうとしたガウリイの耳に、高らかに呪文を放つリナの声が聞こえた。 「火炎球!」 「!」 放たれた火炎球はリナより先に地面に衝突し、爆発した。ごうん! と轟音を立てて、炎が辺りに飛び散る。魔法障壁に守られたリナの身体は、爆風に弾かれて大きく跳ねた。 放物線を描いて落ちるリナの元に、ガウリイは今度こそ駆け寄る。間一髪のところで滑り込み、ガウリイはリナをがっしりと受け止めた。 「大丈夫かリナ!?」 「ガウリイ!」 呼びかけに応えてぱちりと目を開けたリナは、逆にガウリイに掴みかかった。 「あんた怪我は!? 大丈夫なの!?」 「お、おう。どうにかな。あいつに助けられた」 指差す先に妖精の姿を認めて、リナはほう、と安堵の溜息をついた。肩の力が抜け、ガウリイを締め上げていた手が外れる。 「リナこそどうしたんだ。あいつらにやられたのか?」 「……違うわよ。連中に囲まれちゃったから、風の結界を解いて抜け出してきたの!」 「はあ!?」 今度はガウリイが目を見開く番だった。 「それって、お前……落ちてきたってことか!?」 「まー、専門用語でそうとも言うわね」 「言うわねって、あのなあ!」 ガウリイの口から、思わず大きな声が出る。 「どうしてそんな無茶するんだ! 下手したら、お前さんが大怪我するところじゃないか!」 「うるっさいわね、誰のせいよ誰の! あんたがあっさり落っこったりするからでしょ!? そうじゃなきゃ、あたしだってこんな真似――!」 「オレのせいにするかぁ!?」 『…………』 二人のやりとりを、妖精は黙したままじっと見つめていた。そうして暫く、二人に言い合うままにさせた後。 『人間』 「へ?」 呼びかけられて、ガウリイとリナはぴたりと口を閉じた。二人はそこに妖精がいたことを初めて思い出し、次にリナは、自分がガウリイに抱えられたままだったことに気付いた。慌ててガウリイにアッパーを食らわせて、その腕から逃れる。 「な、何!? まだやる気!?」 意気込むリナに、しかし妖精は。 『……オ前達ニ、任セヨウト思ウ。私達ノ棲処ヲ、取リ戻シテホシイ』 「へ? 棲処??」 「ああ、分かった」 首を傾げるリナの隣で、どうにか起き上がったガウリイが答えた。 「村の人達に事情を話すよ。後はオレ達に任せてくれ。 でも、どうして急に?」 『気ガ変ワッタ』 妖精は大きな目を細めて、ふわりと舞い上がる。 『私達ハオ前達ヲ信用シヨウ。期待シテイル』 「おー。ありがとなー」 空の仲間の元へ帰っていく妖精に、ガウリイはのんびりと手を振る。リナは一人、訳が分からずガウリイに掴みかかった。 「ちょっと!? 何なのよ一体!」 「ん? ああ」 空を見上げていたガウリイはリナを見返って、にっこりと笑った。ぽん、と小さな頭に手を置く。 「あいつらと戦わなくても良くなったってことさ。とにかく、村に帰ろう」 「えぇ?」 「うんほら、聞いた話を忘れない内に帰らないと、大変だろ? だから」 「だ〜から、その話とやらを今すぐしなさいと言ってるのよ! あんたの記憶力なんてアテにならないじゃないのっ!」 ぱかん、とガウリイの頭を一つ叩き。 二人は肩を並べて、穏やかな風が戻った森の中を歩き出した。 ――間もなく、村と森の境に真新しい祠が造られた。 以来、その村には良い風が絶えることなく吹き、風に育てられた作物の出来の良さは、世界中に知れ渡ることになる。
Fin. |